◆レンカリオ編【6_17】九歳のワタシは義姉に読み書きを教えるらしいわ
ごきげんよう。九歳よ。前回が長かったからさくさく行くわ。
まずはそうね……長閑な昼下がりに響く不愉快なナンバー、基、ヒステリックなクソデカボイスを聞いてもらおうかしら。
「まったく、掃除もまともにできないなんて。こんなんじゃ使用人とも呼べやしない。とんだタダ飯食らいだわ。おお、いやだ。お前の冷え冷えとした青い髪も、埃っぽい灰色の瞳も、人に媚びたような大人しい顔つきも、全部が全部気に入らない。――キサリティア、お前は本当に卑しい子だわ!」
我がヒステリック・マザーことクオキシャ・ヘルブンよ。
脳内メモリの無駄遣いになるから、覚えてくれなくて結構だわ。
ヒステリック・マザー。略してヒスマが、できなくて当然のことをキサリティアに課して、「なぜできない?」って理不尽に責め立てているところよ。外見についての悪口もプラスしてね。
玄関ホールの掃除なんて、広さから考えて午前中で終わるわけがないじゃない。
本気で言っているなら馬鹿過ぎだし、わかってやっているなら性格悪すぎンのよ。
ほんの少しくらい自分のこと俯瞰できないのかしら。……まあ、できないから平然とやってのけているんだろうけど。
さてと、いくらなんでも見てられないし、いい塩梅に嫌味で助け舟とも思えない助け舟を出しましょうかしらね。
「もうお母さまったら、貧弱なキサ義姉さまに玄関ホールの掃除なんてこなせやしないわ。丸一日……いいえ、丸二日かかっても無理よ」
あら、言い方が嫌味なだけで内容はほぼほぼ真実になってしまったわ。せめて小憎らしい笑みを湛えおきましょう。
ちなみに、ほぼほぼ真実っていうのは、偽りが一つあるってことよ。偽りとはなにかというとそれは――キサリティアは決して貧弱ではないわ。主に胸が。
……十一よね? 頭を下げた状態でもおっきいのがわかるって相当じゃない?
「レンカリオ」
おっと、ヒスマが呼んでいるわ。少女の発育に物思っている場合じゃなかったわね。
嫌味なフォロー、嫌味なフォローっと。
「玄関ホールはミルダやテルト、ポーリーのような優秀な使用人に采配を任せるのが得策よ、お母さま。でないと、掃除した端からまたチリが積もってしまうわ」
ていうか、一人でやる広さじゃねーのよ。数人で手分けしてやるもンでしょ、フツー。
「そうね。ええ、そうね。レンカリオの言う通りだわ」
「ありがとう、お母さま」
ちゃんと人の話聞いてンのかしら? なんか鵜呑みにしてない? まあいいけど。
それより、キサリティアよ。いつまで下を向いているのかしら。
もしかして具合でも悪いの?
「……それにしても、ふふふっ! やだわぁ。キサ義姉さまったら、いつまでそうしているの? そんなに床がお好きなの?」
「ご、ごめんなさい、レンカ――ぁっ、いえ、申し訳ございません! レンカリオ様」
ああよかった。具合が悪いわけじゃなさそうね……って、また頭下げちゃった。
なあに? レンカ呼びを気にしているの? それなら――
「あら、いいのよ。キサ義姉さま。そんな風でもキサ義姉さまは、わたしのお義姉さまなんですもの。どうぞ幼い頃のように、レンカと呼んでくださいな? うふふふふっ」
キサリティアはレンカ呼びに慣れているものね。呼びやすい方で呼んでくれればいいわ。
「さあ、ほら」
「レ……レン……っ――ひぃ!」
キサリティアが言いかけたのを、ヒスマが睨んで黙らせやがったわ。
ちょっとぉ……! なにしてくれてンのよオバサン!
別にいいじゃない。仮にも姉妹なんだから……ああもう、ほら。笑って誤魔化すしかなくなっちゃったわよ、キサリティア。
ああったくもう……本当に気に入らないわ、このヒスマ。
「フン」
キサリティアの仕事を、いつまでもこのヒスマに指示させるわけにはいかないわね。
もっと楽な場所。それも、ヒスマの目の届かないところとなると……ああ、あったわ。
「ねえ、お母さま。こういうのはどうしら? 今日からキサ義姉さまには、わたしの部屋を掃除してもらうの。玄関ホールほど広くはないし、それに、いずれ領主となるわたしの部屋を掃除するのは、キサ義姉さまにとってとても光栄なことではなぁい?」
とでも理由づけしておけばアンタは頷くンでしょうけどね。更にダメ押しよ……!
「だってそうすれば、わたしには次期領主としての自覚が、キサ義姉さまにはわたしに仕える使用人としての自覚がより芽生えるはずだもの」
さあ、どう?
「――そうね! ええ、ええ! それがいい! それがいいわぁ! レンカリオの言う通りね! さすがはレンカリオだわ!」
ちょッッッろッッッ。
ええ~……? マジで鵜呑みじゃない。なんてイイ笑顔してンのよ。
扱い易いのだけが救いだわね、このヒスマ。
対するキサリティアは悲壮感が半端ないわ。まあ、ワタシのせいなんだけど。
今頃その胸中では、ワタシへの恨みつらみ、不服が募っているのかしら? だったらその調子で募らせなさいよね。
いずれ、アンタのためになる……いえ、それは言い過ぎ? 元を質せばワタシのためだし……ウーン。
ま、まあ、ちょっとくらいは恩恵があるんだから……その、副次的なアレで……ね?
だから耐えるのよ……。
(そう――耐えなさいワタシ……! いまキサリティアに優しくしたってなんにもなりゃしないんだから……! 慰めになんか行っちゃダメ……!)
ワタシは超小声で自分に言い聞かせた。
――引き続き九歳よ。
キサリティアに自分の部屋を掃除してもらうようにしたんだけど、考えてみたら色々と見られてはまずいものがあることを忘れていたわ。
たとえば、ソーサラーカードとか、トゥマや叔父やベニニからの手紙とかね。
そうなのよ。トゥマもベニニも元気にやっているわ。
ベニニは叔父の家でメイドをしながら、教会へ行って読み書きを覚えたと手紙で報告されたわ。覚えたてのたどたどしい、けれど、ベニニらしい一生懸命な筆跡が素敵よ。
ベニニ殺害が偽装と知ったトゥマは、ワタシと協力関係を結んでくれたの。叔父とともに王都から支援をしてもらうんだから。
これで手駒(協力者)は当初の予定通り五つよ。フフン。
さて、話を戻すわ。
正直に言うと片づけってあんまり得意じゃないのよね。自分でもなにをどこへ置いたか把握し切れてなかったりするの。
だから、邪魔だとはわかっているのよ? わかってはいるんだけど、掃除をするキサリティアのそばを離れられないのよ。だって……マズイものを見られたらマズイじゃない? 別にちょっかいかけてるわけじゃないんだから。
頭の中で弁解していると、キサリティアが本を三冊手に取った。今朝、ベッドに無造作に放り出しておいたやつだわ。
ああほら、マズイマズイ。あの中の一冊には、トゥマからの手紙を栞代わりに挟んだままだわ。あのままじゃ本棚にしまう時、挟んだ手紙に気づかれてしまうかもしれない……!
「――ねえ、キサ義姉さま。その本はベッドサイドテーブルに置いておいてくださる? 〝魔術について〟と書かれた本よ」
キサリティアはハタと足を止め、抱えた本を見た。
よしよし。止まってくれたわ。キサリティアは字が読めない。よってどの本を指しているかわからない。迷うその隙を狙って三冊ともひったくってやるわ。
「あぁ、いやだわ。わたしったら、うっかり。キサ義姉さまは字が読めないのでしたわね」
「……はい。申し訳ございません」
降参でもするように、キサリティアはすべての本を差し出してきた。
ひったくるまでもない。いい子ね。さすがは素直。助かった。本当にいい子だわ。
でも字が読めないなんて不便よね。……ああ、そうだわ。
「お可哀相に。字も読めないなんて。ふふっ。あんまりみじめでお可哀相だから、わたしが教えてさしあげましょうかぁ?」
「……ぇ?」
「きっとキサ義姉さまには無理でしょうけれどね」
字が読めないなら教えればいいのよね、ワタシが。ベニニが教会で字の読み書きを習ったように。
そんなこんなで、掃除の時間を利用して、キサリティアに字の読み書きを教えることにした。
これならそばを離れない恰好の口実にもなるし、キサリティアは教養を身につけられるし、一石二鳥だわ。
なーんて、のん気に構えていたんだけど、キサリティアの吸収力は予想を超えていたわ。
一月が経つ頃、キサリティアは字の読み書きに加えて、簡単な計算もできるようになっていたのよ。
「えっ! も、もう読み書きと計算が……?」
たかだか三時間……掃除もあるから実質一時間くらいの時間で?
「はい。あの、ありがとうございます……!」
ゆ、優秀な生徒じゃないのよ。これは……教え甲斐があるわね!
「そ、その程度で喜ぶなんて、無教養なキサ義姉さまらしいですわ。やっと人並み……いえ、そうね。……これは簡単なおとぎ話がまとめられた本ですが、これがスラスラと読めるくらいでなければまだまだ人並みとは言えませんわ」
そう言って、キサリティアの胸に本を押しつけた。
「果たして、キサ義姉さまに読み終えることができるかしらぁ?」
まあきっと、ほどなく読み終えるんでしょうけどね。
そうしたら次は、もう少し難易度の高いあの本にしようかしら、それともキサリティアの好みに合わせた方がいいかしら……ウーン。
――って、アレ? ちょっと待って、これってワタシ……自分で自分の首を絞めているんじゃない?
字の読み書きができなかったんだったら、そもそもトゥマ達の手紙だってわかりっこなかったんじゃないの?
やってしまったわ……。
……いや。まあ。ウン。でもキサリティアに教養が身に着くンならね……。
いえ、わかっているわ。駄目よね。ワタシもキサリティアを見習って、身の回りの整理整頓くらいきちんとできるようにならなくちゃね……。
転生して九歳。転生前の人生を合わせると××九歳。ようやくワタシは、整理整頓を身につけつつあった――。