◆レンカリオ編【5_15】八歳のワタシは義姉のお人好しっぷりを侮っていたらしいわ
さて、殺人偽装完了よ。
ついさっき自分の部屋へ引き上げてきて、『洗浄』して、着替えて、いまようやく寝室に戻ったわ。
ベニニはワタシのベッドでよく眠っている。
ベニニ。ワタシ、ゴスメズとトゥマの前で見事に演じきってやったわよ。
これでゴスメズのワタシへの信用は鰻登り。それに引き換え、トゥマのワタシへの愛情はだだ下がり。テルトに絞めてもらった鶏の血を浴びた甲斐があったってもんよ。
王都へ行かされることが決まったトゥマは、きっとキサリティアも連れて行こうとするはず。
そうなればこっちのもの。だって、こぉーんな悪環境な家、キサリティアだってとっとと出ていきたいはずだもの。絶対了承してくれるわ。
急な出立に誰も彼もが大わらわ。そこへこっそりベニニをねじ込むことくらい、ポーリー達なら訳ないんだからね。
よしよし。順調だわ。
雨で消えるだろうけど、念のため殺害現場の偽装もした。亡きがらは……訊ねられたら崖下へ落としたとでも言っておこう。
あのクズ(ゴスメズ)のことだから、死んでいるベニニには興味がないだろうし、まして自分に歯向かって逃亡した村娘のことなんて思い出しもしないでしょうね。
王都への旅支度はとっくに整えて備えてある。ポーリーには朝一で馬車の手配をしてもらうし、テルトにはトゥマについてもらっている。ミルダにはいつも通りでいてもらって、キサリティアがトゥマと旅立つ際は諸々のフォローを頼んでいるわ。
……OKよ。OKすぎるわ。
あとはそうね、叔父様への手紙を書いておきましょう。事の次第とワタシの真意を説明して、トゥマとキサリティア、それからベニニのことをよろしく取り計らってもらえるよう、よくよくお願いしておかなくちゃ。
王都への途上でトゥマに読んでもらう手紙も書く必要があるわね。ベニニが生きていると知れば、ワタシへの信頼も戻るはず。
そしたら、ワタシの忠告を受け入れる気も起きるでしょうからね。
【二度とメリケオ領には戻るな】
【王都で幸せに暮らせ】
【キサリティアとベニニを頼む】
……ってなことを、優雅かつ健気な文章に変換してしたためておくわ。
寝室には、暗闇を怖がったベニニのためにランプが灯してあるから、手紙くらい書けるんだからね。
――――。
一時間くらい経ったかしら。
不意にベニニが目を覚ました。
「……ん。……ぁ……レンカリオさま」
寝ぼけ眼のベニニの顔を見た。少しの食事と少しの睡眠を取っただけだけど、顔色が大分よくなった。
この分ならあの提案をしてもいいかもしれない。
「まだ夜中だけど、おはようベニニ。もう少し寝ていてもいいんだけど、あなたの体調さえよければ、最後に家族に会いにいかない?」
家族に会う。その言葉に完全に覚醒したベニニが即答した。
「――会います! ……え? 会えるんですか?」
「会えるわ。準備をするから、あなたはまず残りのお粥を食べてしまいなさい」
ベニニは、ひきわりにした燕麦を牛乳で煮た粥を綺麗に平らげた。ワタシも軽食をお腹に入れておく。
そして、『瞬間移動』を使って、麓の村のベニニの家へと飛んだ。場所のイメージなら問題ないわ。ジュジュとの視覚共有で事前に把握しているもの。
ベニニの家――というか、このメリケオ領の農村の住居は簡素にできている。
壁は小枝を編み込んだ漆喰。屋根は茅葺き。
平屋の長方型で、部屋割りは大体が寝室と居間の二部屋のみ。
居間の真ん中に炉があって、照明と暖房器具と調理器具を兼用しているわ。
ドアの代わりに革を吊るしているくらいだから、鍵なんてあるはずもないわね。
「すごい……こんなに簡単に帰ってこられちゃうなんて……」
育った家を前に立ち尽くすベニニ。
二度と帰ることはできない。そう思っているのかもしれない。
「……あんまりのんびりとしている時間はないわよ、ベニニ」
「は、はい。あの、レンカリオさまに入っていただけるようなところじゃないですけど、どうぞ中へ」
「ありがとう。お邪魔するわ」
ベニニの家へ入る前に、『闇』のソーサラーカードを使用した。
『闇』のカードは闇を発生させることができる。この闇は光も音も通さない。だから、闇でベニニの家を覆ってしまえば、中の音も明かりも外へ漏れ出ることはないわ。
なぜそんなことを、って……? だって、再会の歓声くらい心置きなく上げてほしいじゃない……。
中へ入ると、炉に火が灯っていた。
実は中に入る前から気がついていたわ。ドア代わりの革の隙間から、うっすら明かりが見えていたわよ。
「だ、誰だっ⁉」
鋭く誰何する声は男性のものだった。
「お父さん! お母さん!」
「ベニニ……ベニニなの? そんなまさか……。ああ、本当に……。本当にベニニなの?」
炉が照らす明かりの下へベニニが飛び出すと、母親だろう窶れ切った女性がふらふらとした足取りで近寄った。
足取りこそ悪夢の中を泳ぐように覚束なかったけど、その表情は悪夢から覚めたように生気が戻っていた。
「お母さん本当よ! 本当にベニニよ! あたし戻ってきたわ!」
「ベニニ! ベニニ! ああっ、私の可愛いベニニ!」
抱き合う母娘を前に、父親だろう男性が外の雨にも負けない涙を流していた。
「もう二度と会えないと思っていた娘が帰ってきた……。奇跡だ……。おおっ、神よ! 感謝します!」
天に祈りをささげたのち、妻と娘を抱きしめに行った。
両親は二人とも目の下に隈ができていた。領主に連れ去られた娘の身を案じるあまり、ろくに眠れてなかったんでしょうね。
ワタシは黙って彼らを見守った。水を差すような真似はしないわよ。
しばらくして、涙を拭ったベニニが言った。
「あのね、お母さん、お父さん……あたしが帰ってこられたのは神様のお陰じゃないの。そちらにいるレンカリオさまと、弟のトゥマさまがあたしを助けてくれたの」
紹介に預かったワタシは、ドレスの裾を上げ、微笑んでみせた。
「はじめまして、ごきげんよう。わたしの名はレンカリオ・ヘルブン。領主の娘よ。結論から言うからよく聞いて。我が父ゴスメズから逃れるため、ベニニには王都へ行ってもらうわ。これが今生の別れになるかもしれないから、覚悟してちょうだい」
たっぷり十秒間ポカンとしたあと、揃って平伏する夫婦を宥めて、それから事情を説明した。
領主にはベニニはワタシが殺したと嘘をついていること。
罰と証として遺髪を二人に送るから、届いたら酷く悲しむ演技をしてほしいこと。
また、それ以降、二人にはずっと娘を殺された親として振舞ってほしいこと。
ベニニが生きて王都に行くことは、絶対に誰にも知られてはいけないこと。
よくよく言い含めてから、最後にもう一度、家族水入らずの時間を過ごしてもらった。
外で待っているつもりだったんだけど、それはあんまりだからと寝室に通されたわ。
固めた粘土の床に、イグサを敷き詰めただけのベッド。そこに幼い子供が三人並んで寝ていた。
ベニニの妹と弟達。
この子達にはベニニの死の偽装は語られない。知らない方が身のためだと、ベニニの両親がそう判断した。
異論はなかった。幼くい直な心では、秘密を守り続けることは難しいし、酷だもの。
だからいつか必ず、この子達が真相を知る機会を作ってみせる。ベニニの両親がすべてを安心して打ち明けられて、この子達がなんの不安もなく思うままの反応ができるような、そんな領地にする。
「それまでの時間を、あなた達から姉さんとの時間を奪ってしまってごめんなさい」
無垢な寝顔に向かって深く体を折り曲げた。
「――レンカリオさま……お待たせました」
頭を上げると、ちょうどベニニがやって来た。
「もういいの? 時間ならまだもう少しあるわよ?」
「いえ。大丈夫です。最後にこの子達の顔を見たらもう行きます」
三人の頭を一撫でしながら「元気でね」、「お母さんをよく助けてね」、「幸せになってね」とささやいていく。
ワタシは堪らなくなって、ベニニがこの家に残れる方法を探った。何度も何度も探ってきたから、そんな方法がないことくらい知ってるわ。
でも、そうせずにはいられなかったのよ。
「……レン――ぁっ……もう。泣かないでください、レンカリオさま。あたしなら大丈夫ですから。あたしも家族も、これでよかったんですから」
声もなく泣くワタシをベニニがそっと抱きしめた。
「妹のイナレクにもよくこうしました。よくこうして一緒に寝ました」
屋敷に戻ったあと、ワタシとベニニは一緒に眠った。声を押し殺して泣くベニニを、今度はワタシが胸に抱きしめた。
そして翌朝ね。長かった八歳パートももうすぐ終わりよ。
まあなんていうか、事は概ね、ワタシの思惑通りに運んだわ。
いや、運んだんだけど……肝心なところでしくじったというか、甘く見ていたというか、ぶっちゃけるとキサリティアが王都に行ってくれなかったわ。
まったく、どうしてそうなっちゃうのよ……。
ベニニとトゥマに関してまでは上手くいったわよ?
まず、ベニニには、馬車が到着して早々荷台に隠れてもらったわ。
トゥマの洋服を詰めた箱がいくつかあったから、一つを空にして、ベニニと緩衝材代わりのタオルが入るようにしたわよ。
「いい? ベニニ。長時間同じ大勢でいるとエコノミー症候群っていう病気になるわ。時々体を動かすのよ? あと水分補給ね。水袋を渡しておくから少しずつ飲んで。メリケオ領を出てしばらくしたら、この猫が鳴いて報せるから。そしたら、持たせた『呼』のソーサラーカードを使ってお兄さまに話しかけなさい。経緯を説明して、箱から出してもらえるまで、何度も呼びかけるのよ? あとはなにかあったかしら……。カードは余分に持たせたし、暗闇対策に明かりになる『灯』カードを箱の中に貼っておいたし……ウーン」
「十分過ぎます、レンカリオさま。これ以上はバチが当たっちゃいます」
「そんなことはないわ。まだまだ不足していることばかりよ……。王都で困ったことがあったらお兄さまか叔父様に相談するのよ? 二人に言いづらいことだったら、向こうへ着いた頃に、連絡用の烏を派遣するから、その子に話してくれればわたしに伝わるわ。その……魔術で契約した使い魔みたいなものだからね」
「……言伝ができるってことですか? だったらあの……困ったこと以外でも……お話ししてもいいですか?」
「当り前じゃない。わたしも返事をするわ」
「ありがとうございます!」
お礼を言いながら、ベニニが抱きしめてきた。
身長差を利用した、上から包み込むようなハグ。
中々熱烈だわね……。ちょっと照れちゃうわ。わりと情熱的な子なのかしら?
「……本当に……本当に……本っ当に! ありがとうございました、レンカリオさまっ! このご恩は一生忘れません」
ああ、そういうこと? 熱烈なハグは感謝の表れね。感謝だなんて別にいいのに。
ワタシは右肩にあるベニニの後頭部を撫でた。
「馬鹿ね。恩なんてさっさと忘れて、あなたが思うまま存分に生きなさい。それが最大の恩返しよ。――元気でね、ベニニ」
「レンカリオひゃまぁ~!」
今度は感極まって泣いてしまったベニニ。義理堅いだけじゃなく感動屋さんでもある。とっても可愛い子。
守ることができて本当によかった……。
どう? こんな感じで、ベニニとの別れは順調だったわ。
一苦労だったのはクオキシャの説得ね。
でも、ゴスメズとワタシはグルになっているし、トゥマもこんな父と妹がいる家なんかすぐにでも出ていきたがってから、結局押し切られていたわ。
ポーリー、テルト、ミルダ以外の使用人や、見張り番や、門番は、若干八歳にして人を殺めたワタシにすっかり恐れ慄いて、一切口を挟もうとはしないどころか、話に触れるのも嫌がっていたらしくてね。
お陰で、ワタシもポーリー達も動きやすくて助かっちゃったわよ。
あとは、トゥマがキサリティアを誘いさえすれば万事OKって思っていたんだけどね……。
その報告をワタシへ届けに来たのはミルダだったわ。
時刻は十四時を過ぎた頃。
早朝からてんやわんやで、なんとか間に合わせたトゥマ出立の時間。
正直言って、十四時なんて半端な時間に出発するくらいなら、出発を次の日の早朝にした方が利口よ。
一刻も早くメリケオ領を出たいトゥマと、一刻も早くメリケオ領を追い出したいワタシとゴスメズ((動機は異なる))の願望が一致した結果だわね。
見送りだけど、ワタシは行かなかったわ。行ってどうすんのよって感じだものね。
ゴスメズはクオキシャの手前、行ったみたいよ。
ワタシもクオキシャに誘われたけど、テキトーに言い繕っておいたわ。
「トゥマ兄さまへのお別れは済ませましたわ。トゥマ兄さまはお母さまが大好きですから、わたしは遠慮しておきます。どうぞお母さまが行ってあげて?」
こんな風に言っておけば、勝手に納得して感動してくれたわ。
そういうわけで、見送りにいかなかったワタシは、机に向かって手駒(協力者)達への報酬を算出していたの。
そのうち、開け放した窓から馬車の走り去る音が届いて、肩の荷が下りた気がしていたわ。
これでトゥマも、ベニニも、そしてキサリティアもきっと幸せになれる。
そう思っていたんだけど……。
完っ全に油断していたわ。
「失礼します。レンカリオ様、あの……」
「ああ、ミルダ。ご苦労さま。トゥマ兄さまは無事旅立ったようね。もちろんキサ義姉さまも一緒でしょう? ――今回は本当に助かったわ。あなたも少し休んで? 報酬は弾むから楽しみにしていてちょうだい」
「いえ、レンカリオ様……。キサリティア様は王都へは行きませんでした。このヘルブン家に残っておいでです」
「そう。よかっ――……え? なん……なんですって⁉」
勢いよく振り返るあまり、椅子から転げ落ちたわよ。
「レンカリオ様!」
慌てて助け起こしてくれるミルダ。その腕を掴みながらワタシは図らずも混乱したわ。
ど、どーゆーこと?
え……なんで?
王都へは行かなかったですって? 残ったですって?
どーしてそうなるのよ? なにか理由があるの?
王都が……知らない土地が怖い? それとも、領地を勝手に逃げ出した罪に問われると思ったとか?
でも、トゥマと一緒ならどちらも問題にはならないはず……。
「――まさか、トゥマ兄さまが王都へ一緒に行くことを言い出さなかった? わたしの脅しが効き過ぎちゃった?」
「いえ。私もテルトも、トゥマ様とキサリティア様がこっそりとお話をする姿を確認しておりますので、それはないかと。辞退しましたが、トゥマ様はテルトのことも王都へ誘ってくださったそうですし」
「ならなぜ……あぇ? テルトも誘われたの? そんでもって断っちゃったの?」
「はい。大旦那様への御恩がありますし、なにより、我々はレンカリオ様に仕えていますので」
「……そう。アリガト」
あぁ……ミスったわ。テルトにトゥマに誘われたらホイホイついて行けって言っておくんだった。
手駒(協力者)だけど、いなくちゃ困るけど、こんなトコ出ていけるなら出ていった方がいいもの。
ふぅ……。
それでどうする? いまから馬車を追いかける? でもなんて言えば……?
ていうか、キサリティアは王都行きを了承してないし……、無理やり連れて行って乗せるのは、……現実的ではないわね。
「……ミルダ。キサ義姉さまは、どうして行かなかったのかしらね」
「お二人がお話しする様子を盗み見ていた私の見解でよければお話ししますが……」
「お願いするわ」
「キサリティア様はトゥマ様とのお話しの最後に、小さく微笑まれていました。私は、このメリケオ領から脱出できることへの安堵の微笑みと判断しました。しかし、いま思うにあの表情は、『可愛い妹を一人残していくわけにはいかないわ』という、決意の微笑みだったのではないかとお見受けしました」
淡々とした口調のミルダだけれど、キサリティアの心情を語る時だけは声色を彼女に似せてみせた。
存外、似ていたと思う。意外な特技ね……。
けど、さすがにその見解はどうかしら? いくらなんでも人が好過ぎ……いえ。
「ああもう……そうね。そうだわ。侮っていたわ、わたし……」
己の考えのいたらなさに項垂れた。
ミルダでさえ読み取れるのに……いえ、ワタシが愚鈍なだけかしら。
人生をめちゃくちゃにした一因(相手)にさえ親切にしてしまう、損なくらい優しくて、バカいい子のお姉ちゃん。
それが、キサリティアだったわね……。
「あとは、キサリティア様の耳にベニニさん殺害の話題が入らなかったので、そのせいもあるかと」
「嘘でしょ? そんな狙ったみたいにキサ義姉さま耳にだけ入らないなんてことある?」
「どうしましょう? いまからでも私がお伝えしますか?」
「……いえ、いいわ。この偶然もなにかの天啓かもしれない。下手に干渉しないで成り行きに任せましょう。もしずっと知られないままなら、その時は最も効果的な瞬間に使うとするわ」
最も効果的な瞬間。それは――嫁入りよ。
今回を逃したのなら、次にキサリティアがメリケオ領を出ていく機会に恵まれるのは嫁入り(それ)くらいなもんだわ。
キサリティアはいま十歳。ボメリッゾ王国では十六歳から成人として扱われる。結婚ができるのも十六歳から。
あと六年……か。
この家に蔓延る呪いが爆発する時期も同じくらいじゃない。正直ギリギリね。
……OKよ。なんとかするわ。
上等じゃない。
別に、明確なビジョンとか全然見えてなくて、これから考えるんだけどね。
でも、一個だけやるべきことがあるってわかってるわ。とりあえず明日から、キサリティアが二度とお姉ちゃん愛を発揮したくなくなるような嫌な妹になるってことよ。
気は進まないけど、仕方ないわ。今日の二の舞はごめんだもの。
でもまあ、それも明日からの話。今日はおしまい。
ハァ……長かったわ、八歳パート。
ひとまずお疲れさま。