◇キサリティア編【11_12】人生の行く末を諦めた十六歳の私は義妹に救われるらしい
トゥマ様に引き連れられる形で、私とマシュエ様は広間へと向かった。
道々、マシュエ様が何度か不平を漏らしたけれど、トゥマ様が一瞥するだけで黙らせてしまった。
「――久しぶりだね、義姉さん」
トゥマ様が肩越しに微笑んだ。
「え、ええ、お久しぶりです、トゥマ様。お元気そうでなによりです……!」
「うん。ありがとう」
「あの、私、とても驚いています……。トゥマ様が大変立派になられたことも、こうして会えたこともそうですが、他にも……」
「わかっているよ。ただ、その話はこれが終わってからにしよう。大丈夫。すぐに済みますよ。レンカリオに任せておけばね」
それは、どういうこと……?
「お言葉だが、トゥマ卿。そうはならない。なにせ彼女には僕と交わした契約があるからね! 今更レンカリオ嬢が出てきたところで、どぉーにもならないとも!」
マシュエ様が訳知り顔で言いましたが、トゥマ様は歯牙にもかけませんでした。
応接の間へ着いた私達は、中へと通されました。
下座にレンカリオが、上座にルビアーノ様がいました。
……ああ……。
レンカリオ……だわ……。
もう一度、会えた……。
会いたかった。
会いたかったわ。
ごめんなさい。
ごめんなさい、レンカリオ……っ!
私はお金で売られた身だけれど、レンカリオがどうしてここにいるのかわからないけれど、でも、自分の意思であなたを見限っておきながら、あなたに助けを求めてしまった浅ましさを、私は謝罪したかった。
レンカリオとルビアーノ様が同時にこちらを向いた。
私を認めたアメシスト色の瞳が、かすかに揺れたのち、静かな怒気を孕んだ。
怒っている。
理由はわからないけれど、レンカリオがとても怒っているのはわかった。
激情を静めるためか、レンカリオは一呼吸おいてから、ゆっくりと立ち上がった。
「ルビアーノさま。義姉が参りましたので、わたくしはこれで失礼いたしますわ。――さて、帰りましょうか。キサ義姉さま。お兄さまもご苦労さまでしたわ」
……ぇ?
レンカリオ? なにを言っているの?
帰るって……だって私は売られたはずじゃ……?
「ああ。姉弟妹三人で仲良く帰るとしよう」
トゥマ様まで……!
「ちょっ! ちょちょちょちょっと待ってくれ! 帰るだって⁉ 馬鹿を言っちゃあいけない! キサリティアは僕のものだ! 帰ることなどできない!」
マシュエ様が進み出ると、レンカリオは眉を顰めました。
義妹はあからさまに気分を害した顔をして、隠そうともしませんでした。
そのような態度を取られるのは初めての経験だったのでしょう。マシュエ様は傷ついた顔をしました。
しかし、すぐに気を取り直し、怒ってみせました。
「僕はキミのお父上――御領主からキサリティアを買ったんだ。証明書もある!」
……ぇ? マシュエ様は旦那様から私を買った?
じゃ、じゃあ……レンカリオは、私を売ることを了承してはいなかったの?
本当に私は帰れるの? 帰ってもいいの……?
淡い希望を抱いた瞬間、ズキンと胸が痛んだ。
自分の能天気さと浅ましさと咎めるかのような痛みだった。
帰ってもいいの、ですって? 呆れた……。
……そんな資格ないじゃない……。
「これだ! 見たまえ!」
懐を漁っていたマシュエ様が、レンカリオとルビアーノ様の間にあるテーブルに、証明書を叩きつけました。
ルビアーノ様はすぐに目を走らせましたが、レンカリオは見る価値などないといった様子で目をつぶっていました。
「なぁぜ見ない⁉」
マシュエ様が憤慨しますが、レンカリオは取り合いません。
ならば、とマシュエ様はルビアーノ様に言いました。
「いかがです、父上! これは正当な手続きを踏んだ取引で――」
「大変なことをしでかしてくれたな、マシュエよ」
「……へ?」
「この愚か者めが! 恐れ多くも王の所有物に手を出すとは、言語道断!」
天鵞絨の布を裂いたような一喝でした。
大音声ではないはずなのに、応接間の隅々からお腹の底まで響く不思議なお声でした。
お父上の鋭い叱咤に、マシュエ様は色を失っています。
「お、おうのしょゆーぶつ? ど、どーゆーことですか、父上……?」
「わたくしから説明いたしますわ。マシュエ卿」
レンカリオが私の元までやって来ました。
足取り軽く私の背中に回り、両肩にそっと手をかけてきます。
背後から肩を持たれた私は自然と背筋が伸びました。
なんだか、レンカリオが私のことを見せびらかそうとしているような、そんな体勢になっていて、場違いにも私はドキドキしていました。
「ご存知かと思いますが、我が義姉キサリティアには治癒の力があります。よってわたくしは、掟に則り、そのことを王へ報告しました。兄を通して」
義妹と義弟は視線を交わし合い、頷きました。
「義姉は速やかに、王の名の下に保護を約束されました。これはその証ですわ」
レンカリオは私から離れました。
ドレスの袖を引き、手首を見せます。
すると、王の紋章を象った金色のペンダントトップが現れました。
レンカリオは、ペンダントのチェーンをブレスレットのようにして手首に巻いていました。
「そ、その鹿の子模様は、まさしく王の紋章……! し、しかし! ヘルブン様はそのようなことは一っ言も言ってくれはしなかった……!」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。だってわたくし、父と母には義姉の能力のことを黙っていましたもの。耳に入れたが最後、マシュエ卿と同じような下劣な手段に義姉を用いることはわかりきっていましたから」
……そう、だったの?
つまり……、レンカリオは……、私を守ろうとしてくれていたの?
「し、失敬な! ぼ、僕は純粋にキサリティアを妻に迎えたかっただけで、げ、下劣な手段に用いるなど考えてはいなかったさ!」
マシュエ様がなにか言い返していたけれど、少しも耳に入らなかった。
心の中で無我夢中になってレンカリオに問いかけていた。
だから、あんなにきつく黙っていろと言ったの?
『治癒能力が使えることは、わたし以外の誰にも知られてはだめよ。特に、お父さまとお母さまには絶対に』
『――もし、誰かにしゃべったりしたら……キサ義姉さま。わたしは、あなたを殺してしまいますから』
あの脅迫は、私のため……?
恐ろしい言葉も、鬼気迫る姿も、すべて私を守るため?
「王の名の下に保護をされた。それは裏を返せば、義姉は王の所有物ということですわ。ですからね、マシュエ卿――あなたは王の所有物を勝手に売買した大罪人、ということになるのですよ。おわかりいただけましたか?」
マシュエ様は答えなかった。
いえ、答えられなかったというのが、正しいかしら……。
「ちなみに、同じく大罪人となった我が父ゴスメズですが、その首でもってして贖いましたわ。妻である母クオキシャも。娘であり、義姉の保護を監督するはずだったわたくしの罪は、父母の首を刎ねること。それから、父亡きあとの領主の座――侯爵位を召し上げられることで贖わせていただけることとなりました」
誕生日にもらったプレゼントの中身を打ち明けるような、そんな明るく可愛らしい口調で、レンカリオはとんでもないことを口にしました。
「とはいえ、侯爵位の召し上げはまだ少し先のこと。よっていましばらくは、不肖このレンカリオ・ヘルブンが、メリケオ領領主を務めさせていただきます」
レンカリオはルビアーノ様に向かってカーテシーを行いました。
同じ侯爵位をいただいてはいますが、領土位ではルビアーノ様のシシーラアボリ領が上位のためです。
「……さて。では、メリケオ領現領主の名において、マシュエ卿と前領主との間に交わされた取引を正式に無効とさせていただきます。支払われた代金は、先ほどルビアーノさまにお返しいたしましたし、それでよろしいですわよね? ルビアーノさま」
「ああ。息子マシュエとゴメスズ殿の取引は正式に無効となった」
両領主が右手を挙げました。
すると、両者の小指に嵌められた銀色のシグネットリングが鈍い光をまといました。
あとで聞いた話ですが、そのシグネットリングは領主の証で、魔術が施されているそうです。
またたく間に、テーブルの上にあった証明書から文字が消えてしまいました。
それに呼応するように、私の薬指からも蛇を模した指輪が抜け落ちていきました。
床を転がる指輪の立てる音は、やけに大きく、そしてどこか滑稽に響きました。
しかし、いまのマシュエ様にとってそんなことはもうどうでもよくて、もっと他に気がかりなことがあるようでした。
「僕はどうなる……? ヘルブン様が斬首刑なら、僕は、僕は僕は僕は! どうなる! いったいどうなるんだよぉ!」
「――父母と同じく斬首刑かと」
いまこの場で、その首を切って捨てるかのような言い方でした。
「そんな……そんなぁ……嘘だ……うそだうそだうそだうそだうそだひぃやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――」
「ご安心ください、マシュエ卿。今回の仕儀、その不始末の原因は我がヘルブンにあります。ですので、マシュエ卿の首一つで済むよう、わたくしから王にお頼み申し上げました。ルビアーノ様も、奥様も、二人いる兄さま方も、罪に問われることはありません」
レンカリオがそう告げると、それまで上げ続けていたマシュエ様の悲鳴がプツンと途切れ、背中から床に倒れてしまいました。
「あら、ご安心いただけたようでよかったですわぁ。ふふふ。――では、今度こそ帰りましょうか。キサ義姉さま、トゥマ兄さま」
何事もなかったかのようにレンカリオが言いました。
帰ろうと言われて、すぐに「そうですね」と答えられる心境にはなかった。
どうするべきか、まずレンカリオに謝るべきかと戸惑っていると、
「お兄さま」
レンカリオがトゥマ様を呼んだ。
「ああ、任された」
と、二つ返事で答えたトゥマ様がスタスタとやって来て、ひょいと私を横抱きにした。
「……ぇっ?」
「失礼いたします、ルビアーノ様」
恭しく頭を下げたトゥマ様は、私を抱きかかえたまま華麗に退室した。
「……ぇえっ? あのっ、待っ、え?」
残されたレンカリオの声が、遠ざかる私の耳に届く。
「それではごきげんよう、ルビアーノさま。ご子息の首一つで済んで、本当にようございましたわ」
「…………悪魔め」
吐き捨てるようなルビアーノ様の声も。
けれど、そのルビアーノ様の言葉を受けて更に応じるレンカリオの声は、私には届かなかった……。
「…………悪魔め」
「悪魔だなんてとんでもない。わたくしはただシスコンなだけですわ」
「シス……コン?」
「義妹は義姉の幸せを願っている――ということです。……もちろん兄の幸せも願っていますけれど」
「ならば、悪魔的シス……コンであるということだ。血の繋がらぬ義姉ために、実の親の首を刎ねたのだからな」
「あ、悪魔的シスコン⁉ 中々のパワーワードですね……。キャラ属性みたいな……」
「なにを訳のわからぬことを言っている?」
「ああいえ、こちらのことです。――言い訳になりますが、わたしが首を刎ねなくても、父母に命はありませんでした。積もりに積もった呪いに惨たらしく殺される寸前だったのを、せめて苦しまないようにと先に逝かせてさしあげたのです」
「戯けたことを。気でも触れたか? ……いや、元々触れていたのかもしれぬな」
「うっふふふふふ! そうかもしれませんね。ですがルビアーノさま? お気をつけくださいませ。呪いはあなた様のお屋敷にもおります。ええ、私には見えます。我が父だけかと思いきや、あなた様もとは……。領主というのはどうも呪いに塗れた存在のようですね」
「フン。幼子の身でありながら人を殺めている悪魔になど言われとうないわ」
「ですから悪魔だなんてとんでもない。わたくしはただ呪いが見えて、呪いに触れられて、呪いと話せて、そして最後には呪いに食われる……。ただそれだけの人間ですわ」