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◇キサリティア編【10_12】人生の行く末を諦めた十六歳の私は義弟と再会するらしい


 ――筋書トラジディーは、六日と経たず明かされました。


 シシーラアボリ領は北部と南部に人口が密集しています。

 西隣のメリケオ領と自領を隔てる山脈が、中央部にまで連なっているためです。

 ルビアーノ家のお屋敷は、領地の玄関口でもある北部にありました。

 場所も、ヘルブン家のお屋敷のような山の斜面ではなく、行き来のしやすい平地に建てられています。

 ルビアーノ家のお屋敷に着くと、マシュエ様は私を客室へと通してくれました。


「ニ、三日は事後処理で忙しくなる。心細い思いをさせてしまうけれど、どうか辛抱してほしい」


 と、言い残していかれました。

 私は言われた通り、待っていました。

 食事や衣服の洗濯といった身の回りのことは、使用人の方がやってくれました。

 お世話をすることが常習化していた私にとって、人からお世話をされるのは初めてに近い経験でした。

 なので、どうしても恐縮してしまいました。

 使用人としての仕事がないと一日は長く、代わりに私は、いつマシュエ様がお見えになっても失礼のないように、体を清め、身支度を整えていました。

 一人でいると、何度となく不安に圧し潰されそうになりましたが、その度にマシュエ様の言葉を思い出し、自分を叱咤激励しました。

 そうでもしていないと考えてしまうから……本当にこれでよかったのかしらって。

 思ってしまうから……レンカリオはどうしているかしらって……。

 そうして四日が過ぎ、五日目。

 マシュエ様がお顔を見せにきてくださいました。


「マシュエ様……!」

「――待たせたね、キサリティア。寂しかったかい? ごめんよ。でも、ようやく準備が整った。さあ、僕の前へ来ておくれ」


 言われずとも、私はマシュエ様の元へ駆け寄っていました。


「僕の可愛い可愛いキサリティア。キミに渡すものがあるんだ。受け取ってくれるね?」


 マシュエ様が胸元の内ポケットから取り出したものは、指輪でした。

 蛇を模した銀色の、とても高価そうな指輪でした。


「……こ、これは……マシュエ様っ、まさか……!」


 貴族の男性が女性に指輪を贈る。

 それがどういう意味を持つのかを知っている。

 自分がどうしてここへ連れてこられたのかも理解している。

 けれど、ハッキリとその言葉を聞くまでは、実感が持てなかった。


「契約の魔術が施してある婚約指輪さ。これを嵌めればキミはもう僕のものだ。誰も邪魔立てはできない。レンカリオ嬢も、ヘルブン様も、僕の父上だって――」


 マシュエ様は少し心細そうなお顔をしました。

 煌々と赤く輝かせた瞳を潤ませて、


「受け取ってくれるかい、キサリティア。僕はしがない三男だけれど、それでも僕を選んでくれるかい? 自分の意志で、この指輪を嵌めてくれるかい……?」


 マシュエ様に、理想の王子様に、ここまで言わしめている。

 私が。

 私なんかが。

 いつだって邪魔者で、使用人か慰み物としかほっされなかった私。

 そんな私に求婚するだけに留まらず、自分を選んでくれるかと問うてくる。

 なんて、なんて身に余る幸福なのかしら……。

 自分の頬を熱い涙が伝った。


 指 輪 ヲ 受 ケ 取 ラ ナ イ ハ ズ ガ ナ イ !

 マ シ ュ エ 様 ヲ 選 バ ナ イ ワ ケ ガ ナ イ !

 自 分 ノ 意 志 デ 指 輪 ヲ 嵌 メ ル ナ ン テ 当 然 ノ コ ト !


 頭ではそう思っているのに、言葉にならない。

 だから私は行動で示した。

 指輪を受け取り、左手の薬指に嵌める。

 そしてその左手を顔の横に掲げて、微笑んだ。


「これで私はあなたのものです、マシュエ様……!」


 ――それが、幕引きの合図だった。


「クックックッ……」


 マシュエ様が笑い声を漏らしました。


「あっはっはっはっはっ!」


 私の両肩に手をかけ、声を上げて笑っていました。

 少し様子が変でした。

 最初は、私が指輪を嵌めたことを喜んでくださっているのだと思っていました。

 しかし、


「あーっはっはっはっはっ! あーーっはっはっはっはっはっはっ!」


 止め処ない哄笑が描く旋律に込められた感情は、嘲りでした。


「――馬鹿な女だ! その指輪に刻まれている契約が隷属とも知らずに、まんまと嵌めやがった!」


 マシュエ様の笑顔が、ぐにゃりと歪む瞬間を私は目の当たりにしました。


「……ぇっ……」


 隷属の契約?

 私が?

 どういうこと?

 状況を飲み込めていない私の面持ちがさぞや愉快だったのでしょう。

 既に喜色満面だったマシュエ様が、更に破顔一笑しました。


「言っていなかったけれど、僕も異能力者なんだよ。僕の異能力は魅惑でね。大したことはない。僕に一定以上の好意を抱く人間の思考に干渉できるってだけさ。常日頃から好意的に振舞っているのはそのためだよ。見ての通り、容姿には恵まれているから、女性から好意を持たれるハードルは低いんだ。キミの義妹君いもうとぎみも手玉に取ってやるつもりだったが、思ったよりもガードが堅かったなぁ。――それに引き換えキミと来たら、発情した牛馬よりも簡単な女だったよ!」


 マシュエ様は高らかに笑って言いました。


「わかるとも! 仕方がないさ! 僕のような貴公子に口説かれ、哀願されたんだ! 絆されないわけがないよなぁ! 女ってやつはどいつもこいつも夢を見ずにはいられない馬鹿ばっかりなんだから!」


 言い終えると同時に、私を打ちのめしました。

 なす術もなく床に転がってもなお、私は悲鳴の一つすら上げられずにいました。

 痛みすら感じないほどに強く驚いていたからでした。

 マシュエ様は髪を掻き上げると、いつもの柔和な笑顔を作りました。


「僕が本気でキミを愛すると思ったのかい? 卑しく、汚らわしいキミなんかを。外見の美しさは認めるが、どうせ好色なヘルブン様に散々好きにされてきたんだろう」


 私は首を左右に振った。

 マシュエ様の言葉を否定したいわけではなかった。

 否定したところでなんになるだろう。

 私はただ、この現実が嫌で、受け止めたくなくて、首を振っていた。

 しかし、そんな私の心境など、マシュエ様にはどうでもいいことだった。

 元より、使用人同然の名ばかりの養女である私など、マシュエ様からしてみれば牛馬も同じ。

 いや、それ以下かもしれない。

 泣こうが喚こうが、そんなのはただの鳴き声。

 聞く耳など持つわけがない。


「気がつかなかったかい? 僕は、キミの前では一度だってこの手袋を外したことがなかったんだよ。汚らしいキミに触れたくなかったからね」


 気がつかなかった。

 思い返してみればそうだった。

 なぜ私は、この人にトゥマ様の姿を重ねていたのだろう。

 絶望の淵に落とされた弱者を前に、噴き出し笑いをする人なんかに……。


「でもぉっ、幸せだっただろう? 身の程知らずにも僕と婚姻できると憐れな妄想をして悦に浸っていたんだろう? キミなんかには過ぎた夢だったじゃないか」


 ……そうね。そう、かもしれない……。


「さて、本題だ。キミには明日から、ルビアーノ家を訪れる賓客の相手をしてもらう。難しいことはない。ヘルブン様に仕込まれた芸の見せ所さ」


 マシュエ様の口調はとても軽妙。

 それなのに紡がれる言の葉は黒く重く、こんなにも私を絶望させる。


「その他にもやってもらうことがある。お相手は病や怪我で臥せっている方ばかりを集めている。これがどういう意味かわかるだろう?」


 わからない。

 わかりたくない。


「治癒をするんだよ。キミが。癒しの異能力が使える者はこの国では希少だ。発見されたなら国へ、王へ報告する義務がある。保護されなければならないからね。でも、僕はしない。なぜって? 金の卵を産むからさ! 治癒能力は希少だ、病や怪我を持つ貴族が殺到する! 金が取れる! なんてたって命がかかっているからなぁ! 体を売るのはついでさ。寝たきりの生活では、ご無沙汰の方も多いだろうからね。あははっ!」


 マシュエ様はそのあとも、嬉々としゃべり続けました。


「これが上手くいけばシシーラアボリ領の財政は大いに潤うぞ! そうなれば父上だって、三男なんて関係なしに僕を後継者に考えてくれるはずだ!」


 私にはもはや耳をふさぐ気力すらなく、心を閉ざすことで耐えていました。


「レンカリオ嬢に治癒能力のことがバレたと知った時はヒヤリとしたが、王への報告に王都へ行く様子はなかった。もしかして僕と同じことを考えていたのかな? しかし、それならなぜ父であるヘルブン様にも黙っている? ……フン、まあいい。お陰で金を積んだだけで道具キサリティアを手に入れることができたんだからな!」


 義妹いもうとの名を耳にした時、心が揺れ動いた。

 もう心を動かすことはないと、動かせないとすら思っていたのにも関わらず、私の心はレンカリオを求めて揺れ動いた。

 会いたい。

 レンカリオに会いたい。

 黙ってここへ来てしまったから、会って一言、別れの挨拶がしたい。

 なにを調子のいいことを……。なにを勝手なことを……。

 自分から見限ったくせに。

 でも、会いたい。

 隷属の指輪を嵌めたと知ったら、レンカリオはなんて言うだろう。

 自業自得と嘲笑うかしら。

 専属メイドの分際で主人を裏切るなんて、と怒るかしら。

 それとも、所有物の立場でありながら勝手に逃げ出した、と手打ちにされるかしら。

 きっと、どれも違う。

 マシュエ様が言っていたじゃない。

 私はお金で売られた。専属メイドの私が売られたということは、レンカリオがそれを了承したということだから。

 ……ふふ……。

 結局、私には、慰み物としてしか価値がないってことね。

 死ぬまでずっと使用人ではなく、死ぬまでずっと慰み物――。

 それが、十六歳にして決まった人生と未来を、自らの手で捻じ曲げた結果……。

 もう、いやだなんて思わない。


(思ったって仕方がない)


 もう、助けを求めたりしない。


(助けを求める資格がない)


 怖い思いも、辛い思いも、惨めな思いも、甘んじて受け入れなければならない。

 そう理解しているじゃない。


(でも)


 受け入れなさい。


(いや)


 諦めなさい。


(いやっ)


 これが私の運命だったのよ。


(たすけて)


 やめて……!


(たすけて)


 恥を知りなさい!


(たすけてっ)


 どうかしてるわ!


(たすけて!)


 今更、義妹いもうとの名を呼ぼうとするなんて!


「…………レンカ……っ!」


 ――コンコン。


 その場に相応しくない、丁寧なノックが響いた。


「ジェラルドです。マシュエ様はおられますか?」


 ドアの向こうから聞こえてきたのは、ルビアーノ家の執事長であるジェラルドさんの声でした。


「……なんだ? いま取り込み中なんだ。あとにしてくれ」

「マシュエ様、旦那様がお呼びです。それから、その……お客様が、レンカリオ・ヘルブン様がお見えです」


 息を飲む音が二つ。

 一つは私のもの。もう一つはマシュエ様のものでした。


「な、なんだって? 父上からの呼び出しはともかく、レンカリオ嬢が来ているだと? それは本当か! どういうことだ、ジェラルド!」


 マシュエ様は目に見えて狼狽えていました。

 レンカリオの訪問という想定外の出来事に動揺しているのでしょう。

 また、いつもは明朗快活な執事長が、妙に歯切れの悪いしゃべり方をしていることにも、嫌な予感を覚えているようでした。


「――お急ぎください、マシュエ卿」


 別の声がマシュエ様を急かしました。

 男性のもので、初めて聞く声でした。


「だ、誰だぁお前は!」

「これは失礼。私はトゥマ・レイナードと申します、マシュエ卿」


 名を聞いた私の胸に強烈な懐かしさが込み上げた。

 そんな、まさか。


「入り婿の身でして、レイナードは妻の家名になりますが、旧姓はヘルブン」

「……へるぶん?」

「ええ。トゥマ・ヘルブンですよ。――よもやお忘れですか、マシュエ卿」

「なっ――!」


 初めて聞く声は、成長されたトゥマ様のものでした。

 九歳当時、メリケオ領を去ったヘルブン家のご長男。

 王都に住む叔父様の元へ行き、そこで出会ったレイナード伯爵の令嬢と婚姻された。

 マシュエ様とは異なり、本当に私を救おうと、連れ出そうとしてくれた方。

 もう会うことは叶わないと思っていた……。

 それがどうして……。


「……トゥマ様……?」


 私は思わず、義弟おとうとの名前を呼んでいた。


「お前は黙っていろ!」

「きゃっ!」


 すぐにマシュエ様に足蹴にされた。

 すると、


 ――バァン!


 鍵のかかった両開きのドアを蹴破って、トゥマ様が乗り込んできました。


「失礼。しかし、義姉上あねうえへのこれ以上の狼藉を見過ごすわけにはまいりませんので」


 抜剣した切っ先を、鋭い視線とともにマシュエ様へ突きつけました。

 立派に成長したなどと、口に出すのもおこがましいくらいに逞しく、そして麗しい男性となった義弟おとうとが、そこにはいました。

 濃いピンクを混ぜたような、深みのあるブラウンの髪。

 細い体躯とは裏腹に、巨木のような安定感を覚える佇まい。

 華よりも実直や精悍といった言葉が似合う、精悍で凛々しい顔立ち。

 ブルートパーズのような瞳は、最後に会った時同じく澄んだまま。ただし、あの頃よりも強く力のある眼をしている。


「応接の間へ来ていただきましょうか、マシュエ卿。貴方のお父上がお呼びですよ。それと、我が妹にしてメリケオ領領主――レンカリオ・ヘルブンもね」


 メリケオ領、領主……?

 レンカリオが?

 私はもう、なにに驚けばいいのかわらなくなっていた。

 それくらい今日という日は驚きの連続だった。

 しかしまだ、もっともっと驚くべきことが私を待ち受けていた。



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