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人魚の籠  作者: 風見烏
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二度目の出会い

「また海に行ったんだって。土産をくれ」

「ない! が、いつも代返をしてくれている村岡だけにはやろう」

「さんきゅー。それでこれは?」

羽二重餅はぶたえもちだ」

「おお、聞いたことはあるけど食べたことはなかったな」

「俺はある。結構好きだ」

「俺にも分けてくれ!」


 講義室にざわめく人の声。

 六角橋の看板。今は無い銭湯の、千鳥破風ちどりはふの屋根と煙突に遠い日の過去の記憶が呼び覚まされた。そういえば、父に連れられて良く行ったものだと追慕ついぼする。最早どちらも居ない。残された物は煙草ゴールデンバットの空箱の。

 思い出とにおいの残滓が残るばかりである。

 古きと新しきが混在する商店街を通り過ぎた先に、龍海の通う大学があった。

 必須科目の講義のあとの休憩時間、とは言うものの、次に講義はなく、このままどこかにでも行ってだらだらとくっちゃべろうかという相談をしていたところで。


 あれから龍海はもう一度同じ場所に行ってみようと思ったが、そんな洞窟はとんと見つからず。地元の人々も口を揃えては知らないと言うばかり。

 いったいどうやってたどり着いたのか、本人でさえも全く分からないという有り様。

 胡蝶の見る夢か、海に映る月の泡影のような物だったのかも知れない。

 しかし、あの日の巡り合わせをたった一言『夢だった』と切り捨てることも出来ない。かといって、彼自身どうすることも出来ないというもどかしさ。


「それで、今度は何処に行くつもりなんだ?」

「そうだな…………富山あたりに行ってみようかと思うから日雇いのバイトをくれ」

「置き薬でも売れば良いんじゃないか」

「ひでぇ!」

「梱包と交通整理だったら募集していたぞ」

「もういっそ旅の記録を動画サイトにでも上げたらどうだ」

「俺にはそれを面白くする能力はないし第一に継続力がない!」

「いばっていうことじゃないだろう……」


 講義は億劫おっくうになることも多々あるが、フィールドワークなどは嫌いではない。むしろ率先して行動しするほどであるし、友人との他愛もない遣り取りも、すさんだ懐事情を忘れさせてくれる有り難い存在である。

 それでも、喉の渇きを覚えるように、衝動が押し寄せてくるのだ。

 その渇きというのはやっかいなもので、決して癒えることが無い。

 また、人魚を追い求めてゆく。


 龍海がいかにして人魚に興味を示すようになったのか。

 などと舞台劇の語り出しのようであるが、それほど大仰な話ではなく、彼の母が人魚姫のお話が好きで、よく読み聞かせをしてくれたことから始まる。

 最も少年龍海はそのもの悲しい物語があまり好きではなかった。


自らを語ることなく最後は泡となって消えてしまうなど、少年の心にか黒い影を落とすには十分であった。けれども、その母が亡くなってから思い出されるのもあの切ない物語。

 永遠とも呼べる長い時を生きられる代わりに、魂という物を持たないという。

 人魚に魂が無いのだとしたら、その人魚に恋をした人間はどうなるのだろうか。

 きっと自らの魂を人魚に映し泡となって消えるのだろう。

 

 いや、それならば水仙へと姿を変えたナルキッソスではあるまいか。

 いや、異形になぞらえた姿形にも魂が宿るのだ。

 

 それから龍海が人魚のお話が残る土地や、水辺などを中心に旅をするようになった。

 厭世えんせいの嫌いがある彼である。それが恋着れんちゃく執着しゅうちゃくか、何時の日か酸漿ほおずきの実を口に含んで水の中に飛び込み六道の巷へと旅立ってしまいそうな危うさを伴う。それほどまでに逢いたいと望んだ。


 ――――そのねがいが叶ったのだ。





 海岸の一帯。

 昼日中ひるひなかだというのにどんよりと、雲がだらけたように掻き流れて行く。

 煤を段だらに撫でつけた空模様と言えば、なんとなく気分も沈んで行きそうである。

 疲れた波たち、海も草臥くたびれたように白いけむを吐く。もっと好い日和であったのならば、湾から連なる山々が見えたところだろう。生憎、連峰の姿は隠され。輪郭さえも不確かで。人も散らばって、煤けた背中を目で追うばかりである。


 陽もすっかり落ち、丑三つの少し前。靄ばかりが漂う。視界は悪い。遊びに来た番の姿も無ければ、酔っ払いの姿も無い。その場に居るのはよっぽどの変わり者か。

 海は冷たかろう。水面の奥は暗かろう。潮のにおいも静けさとがつんと薫る。

 それだのにどんよりと空気までも重い。

 ふらりと白徒しれものらしく歩行あるくその変わり者が一人。その人物の名は高坂龍海こうさかたつみと言う。


 宿は無い。民泊もこの時間では無理だろう。24時間空いている施設に転がり込もうかという心積もり。財布の中をながめれば、野宿さえ視野に入る。秋口始めと言えども夜は冷えるだろうに。手持ちは上着と、薄っぺらい毛布が一枚。

 全くの無計画、無作法者である。

 龍海はどかりと砂浜に座り込むと、背嚢リュックから本を一冊取り出した。

 まだ明るい時間、本屋の店頭を通りかかったとき目に入った人魚姫の絵本。懐かしさに身を酔わせ、路銀かねも少ないのについ買ってしまった。


 龍海は暗がりの中で懐中電灯にも提燈ランタンにもなるそれを取り出すと、手元を照らして読み始める。首と肩の間に挟んだ姿は、さながら丑の刻参りの如く。ぼうっと青白い顔が映され、口に火を咥えているように見え、斜めのラインが入った襯衣シャツが死に装束の様相をかもし出している。とはいえ当人としてはちょっと夜の星の下で(曇っているが)、絵本を読むという長閑のどかな光景と気勢という認識でしか無い。さもありなん。


 と、ちかちか。

 電灯の光から段々と元気が失われていく。

 怪しさが深まり、鬼火かと見紛うばかり。明滅して。はたまた仁丹の看板か。

 どちらにしてもこのような場所では不気味さ、胡散臭さが先に立つ。

 龍海は替えの電池が無かったかと背嚢リュックをひっくり返さんばかりの勢いでさばくってみるが、なかなか見つからない。そうこうしているうちに、海の方からぽちゃりと、控えめで大きな音が聞こえてくる。魚が跳ねたのだろうか。


 ようやく目的の物を見つけ出すと、手早く取り替えて、その方角が妙に気になり照らしてみた。


 ――――ぱちりと目が合った。


 あろうことか頭が生えていたのだ。水中から。

 その様は海坊主か水死体の如く。

 そして見たことのある顔だった。

彼女は目を見開くとそのままぴくりとも動かなくなった。身を竦ませる訳でも、震わせる訳でもなく、固まってしまう。地球の静止する日の如く。それならば懐中電灯の明かりも消し去ってしまわなければならないのかもしれない。


「アルクルゥ?」


 彼女を呼ぶ声。よしのささめく音にも似て。潮風もぞめく。

 悪戯じみた笑顔を浮かべ、完爾にこにこ

 目を幾度かしばたかせた後、ようやく龍海だと気づき、ほっと一息。口唇くちから覗く皓歯しらは鼓子花ひるがおの蕾が芽吹く。

 アルクルゥは龍海に向かって、少し待っていろと身振り手振りで伝えると、そのまま海の中へと沈んで行った。


 それから四半刻ほど経った頃。

 ぽつんと取り残された彼。すっかり。絵本を読み切ってしまった。

 人魚姫の最後というのはいつも物悲ものがなしい寂寥感と透明な気持ちが伴う。

 風の精となった彼女が、彼らを祝福したのはいかなる心境だったのか。

 きっと、すでに魂の欠片を手にしていたのだろう。


「それにしてもいつまで待っていればいいんだ?」


 龍海はひとりごちる。

 まさかと、読了後の情感とは違った、不安と寂寥さびしさに襲われる。

 水のつらはゆらゆらと揺らぎ揺らいで奥に何かが見えた――ような気がする。

 それを差し覗いてみるが、ただのあぶくの塊である。魚どころか海月くらげや海藻すら浮かんではいない。ただの波のあわが人の影に見えてきたのならば重症だろう。

 この不安感というものはやっかいな代物のようだ。彼に疑心暗鬼だとか被害妄想と徒党を組んで襲いかかってくるのだ。波の音、あるいは背の高いあしのざわざわとした音が、彼の心情を表しているようで。

 もしかしたら戻ってこないのではないかと悪戯に不安を掻き立てられる――――と。

 ぽちゃりという音と供に彼女が再び顔を出す。

 そして、もう少し向こうの影の方へと手招き。


「待たせてしまったようですまぬ」

「また会えて嬉しいよ」

「おぬしとは奇妙な縁があるらしい。それに――」

「それに?」

「礼はすると言った」


 ずいっと、龍海の眼前に突き出される信玄袋しんげんぶくろ

 受け取れと言わんばかりに笑みを浮かべる。その笑顔は、まるで子供が自分のお気に入りの物を見せびらかすように得意気な表情で。

 

閻浮檀金えんぶだごんの砂金だ」

「それが欲しかったわけじゃない」

「しかしわたしに渡せる物はこれくらいしかない」

「会えただけで充分だ」

「おぬしは本当に……!」


 ぶんぶんと信玄袋しんげんぶくろを振り回すアルクルゥ。

 水に浸かっていたというのに袋には水滴のひとつも飛び散っていないというのは、いかなる防水を施されたものなのだろうか。中の砂金よりもよっぽどすごい物なのではといぶかしむ。


「――それではわたしの気が済まないのだ。恩には報いなければならないとばあさまも言っていた」

「そのおばあさまというのは?」

「わたしに様々なことを教えてくれたのだ。言葉から魚の捕り方。見つからないようにこっそりと息を継ぎに行く方法」

「俺に見つかったような」

「ぐっ、イジワルを言わないでくれ。普段は見つかったりしないのだ。おぬしがおかしいのだ」

「やはりこれは出会うべきして出会った――運命というものだと思うよ」

「人間は嘘ばかり言うし、アホウだし、口ばっかりだとばあさまが言っていた」

「そのおばあさまはもしかして人に騙されたことがあったのか?」

「そこまでは知らぬ」


 それならば無理からぬ事だろう。

 龍海の口から出る言葉は海月や海藻のようにぷかぷかと漂うばかり。

 本気かどうかも分からぬとあっては反応に困るというもの。


「少なくとも嘘では無い」

「少なくとも――ということは真意は別に掛かっているとでも言うのか」

「それは良く分からない……な」

「ほほう。自分の気持ちも分からぬとは、おぬしもなかなかに間が抜けている」

「マヌケどうしでちょうど良いんじゃないか?」

「わたしは間抜けでは無い! 断じて!」

「いやぁ、最初に出会ったときは見事に絡まっていたのを思い出すよ」

「うぐぅ!?」

「今日は、まあ、うっかり俺と目が合ってしまっただけだからねぇ」

「うぐぅ!?」

「言い逃れは出来ないと思うんだけれども」

「そ、それは間抜けなのではない。ただ、ちょっとお茶目な失敗をしてしまっただけなのだ。そう、決してわたしが間が抜けているとか、それで夥多なかまからおまは危なっかしくて仕方ないなどと言われているはずがない!」

「いやぁ、それは、なんか、悪かった……」

「謝るでないっ、いたたまれなくなるだろう!?」


 白に黒に目を剥くアルクルゥ。

 声量は落とし、秘めやかに。

 密々(ひそひそ)とえば内緒話の楽しさと、人目を忍び悪く色気も出てきそうなものであろうというのに、それが鶏の癇声かんごえであったのならば情緒は明後日の方向へ旅立っていくだろう。代わりに訪れるのは見苦しさみっともなさという有り様。音が小さいだけで実に聞き苦しい。


「大丈夫。信じていれば道が開けるものさ。がんばろう」

「適当にもほどがあるのだっ」

「本当にそう思っているんだ。ねがいは望み続ければ叶う」

「真面目な顔をしてもわたしは騙されんぞ」

「そんなっ、俺は真剣だ。真剣に君のことが知りたいと思っているし。真剣に俺のことを知って欲しいとも思っている!」

「おぬしの何を知って欲しいのだ?」

「……金が無いときは塩気のある石を舐めていたとか?」

「何故そうなってしまったのか……腹を壊すぞとか、色々と言いたいことはあるのだが、本当にそれが知って欲しいことなのか?」


 龍海はっと息をき 、軽く目を伏せた。

 これを言おうか言わまいか、何度かの逡巡の後に、彼の丸く空いた唇の奥から、しとしとした声が浮かび出る。


「俺の父の最後は仕事で沖を出た後、歌が聞こえると呟いて、そのまま海の中に飛び込んでしまったらしい。母の三回忌が終わってしばらくした後のことだった。父の同僚が話していたのを聞いてしまったね。「彼は人魚に魅入られてしまった。籠の中に入れられて連れて行かれたんだ」――――ついに父は見つかることがなかった」

「…………それをわたしに聞かせてどうするのだ? わたしの夥間なかまのせいかも知れない。悪かった――と言えば満足するのか」


 龍海はゆるく首を振る。

 

「そういう意味じゃ無いんだ。だが何故飛び込んだのかそれが知りたい」

「知ってどうするつもりだ。納得でも欲しいのか?」

「もしかしたらと思うこともある」

「思い当たることでもあるのか」

「母は学生時代は水泳の選手だった。事故で亡くなる直前まで、週に一度は泳がないと気持ちが悪いってジムに行っていたんだ。俺もそうだ。俺たち家族は水に惹かれる」

「だから水に飛び込んだとでも言うのか。それに殊更ことさらわたしにどうしろと言うのだ。おぬしを慰めろとでも言うのか?」

「ただ聞いて欲しかった。そして君のことも知りたい」

「わたしに語れるような話など無いぞ」

「君の話に出てくるおばあさまというのは元気かい?」

「今も元気すぎるほど元気だ。この名前もおばあさまが付けてくれたのだ」

「何か意味があったりするのか」

「そうだ。海を意味するアルクと、龍神様の名前を一部いただいている。海と龍という意味だ」

「それなら俺もそうだ。りゅうと海と書いて龍海たつみと読むんだ。俺たちは出会うべきして出会ったんだ」

いや――」


 重く開いた口からこぼれ落ちるのは、パンセの花びら。

少しのに、風の音が妙に大きく聞こえ、さざ波が松籟まつの音と誘く(おび)く。

 楊柳やなぎの穂先も揺れ、露の重みで頭がたわんだ。

 その月影が、まるで彼女の睫毛まつげのように伏せる。

 

「もう会うことは無いだろう」

「っ――――――」


 龍海は息を呑む。


「何故、そんな悲しいことを言うんだ」

「もう会わない方が良いだろう」

「言い換えたって一緒だ。何故そんなことを言うんだ」

「掟がある。と言えばお主は納得するのか?」

「それでも……それでも――――だ」

「しばらくすれば日も登り始める。わたしは海に戻る」

「待ってくれ。もう一度逢いたい。もう一度逢えばこの気持ちが君に逢えてただ浮かれているだけなのか、それともそうじゃないのか、俺の真個ほんとの気持ちかどうか知りたいんだ」

「それはお主の勝手だろう」


 無理からぬ事だろう。

 今までの龍海の口から出る言葉というのは、海月くらげか海藻のようにぷかか漂うばかり。どこまで本気か分からないとあっては反応に困るというもの。そもそも彼の心根しんこんが定まっていない。アルクルゥと出会ったことに満足してしまっているのでは無いか。もう、二度と会うことが無いとしても、思い出の片隅に忍ばせ、昔人魚に出会ったのだと子供や孫に語るだけになるのではないか。あの日視た幻とも記憶とも呼べない物になり果ててしまうのでは無いか。

 自分の中の真個まことが何か分からないまま終わる。

 それが彼には堪らなく恐ろしい。


「……恩を、恩を返すと言ってくれただろう」

「……それでもだ。もうわたしの(うち)に入ってくるな」

「なら待つのも俺の勝手だ。だけど明日の朝には発たないといけない。望むならまた同じ場所同じ時間に――」


 言い終わるかその間際。

 彼女はざぶんと、一瞥もせずに水の中に飛び込んでいった――

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