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人魚の籠  作者: 風見烏
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お伽噺の人魚

青年と人魚の物語です。

少し古風な文体です。

人魚の姿のイメージは、某△の伝説のゾー○族です。

 外面そとも花崗岩かこうがんが波に削られて形成された断崖の。

 大門、小門と無数に連なるそれらをくぐった先に通じているのは、地獄か、はたまた竜宮の城か。

 前日の暴風雨あらしなど忘れ去られたように、しん、と波の一つも立たないほど穏やかに風がいでいて。それでも昨夜の影響から、遊覧船が出ないのでは無いかと、内心、冷ややかな動悸がほとばしったものであるが。

 彼、高坂龍海こうさかたつみは、旅人などと自称する風変わりな青年で。

 実際はただの大学生であるが、その軽やかな足取りから、船に乗れたかどうかは言うに及ばず。


 中空なかぞらく冴えて、ちらちらと、星が降り注いできそうなほど。

 立葵たちあおいも空を仰ぐ。風は薫る。影は判然はっきりひるがえった。

 月明かりを身にませ、沿岸を歩行あるいている。


 龍海は人魚のお話が残る土地を巡っている。

 と言えば、巡礼者のような生真面目さが有りそうなものであるが、そのような高尚なものではなく、趣味として、人魚の居そうな土地を渡り歩いているだけである。それも今時は流行らない大学生の貧乏旅行というもので、食事の無い安宿を探して転がり込んだり、宿が工面できないのならばそのまま野宿――などはまだマシな方で、酷いときにはひもじさと餓えを誤魔化すために、野外で塩気のある石を囓って眠るなどというどうしようもなさ。


 沿岸のふち、ぐるりと歩き回って、断崖の影、月明かりに照らされて、明瞭くっきりと、普段目につかないような場所にどうやら人が降りられる場所があるらしい。するするとくだってみれば、岸辺の少し先に岩肌が見える。そこには人がくぐれるようなうろが見えた。

 

 まるで月明かりが道のようで、きらきらと、降ってきた星を敷き詰めたよう。

 もしもこの時、この瞬間にしか現れないとしたならば、なんと面白いことか。

 この時間は引き潮であったか記憶に無いが、浅瀬の、長靴が少し浸かる程度の深さであるらしく、それでも、急な深みに足を取られれば危険極まりない。本来ならば絶対に立ち入ってはならない――などと決められている場所ではないが、言われるまでも無く推奨されていないだろう。龍海は進むか戻るか逡巡し、足を踏み入れた。危険と、イケナイと分かっていても、それ以上に、心が、体が惹かれるのだ。ただ、人魚に会いたいという思いを胸に掻き抱いて、その穴へとざぶりざぶりと進んでいくが――。

 

 とても人が入るような場所では無い。

 魚か、さもなければ人魚の住処と言うべきか。

 しかし龍海はそれに魅入られてしまった。

 進んだ先も、ただのどん詰まりであることも有り得る。そのまま溺れて、海の藻屑と成り果てるかも知れない。それでも進まずにはいられなかった。

 穴は薄暗く、星の影すらも届かない道。手と、足と、感覚のみで突き進んでいく。

 さながらトリスタン・レルミットの詩の一遍が思い起こされる。


 

  この暗い洞窟のほとり

  こんなにも甘い空気の吸えるところ、

  波は小石と、

  光は影ともつれ合う。


  砂利の上での戯れに

  疲れた波たち、

  この養魚池に来て休む。

  そこは、かつてナルシスが死んだところ。



 隧道トンネルの薄暗い道のりに、燈心草トウシンソウの花影を見る。

 たとえそれが幻影だったとしても、立ち止まる理由にはならない。

 期待に胸を震わせながら、緩い角を越えると、奥に漠然ぼんやりとした光が見える。

 それに近づくにつれ、掻き分けていた水が引き、陸地と、ひらけた空間に出た。

 天井部あたまには小さな穴が開いており、そこから明かりがちらちらと漏れる、月の落とし蓋。


 ――ちゃぷり。


 と、奥の方で水飛沫みずしぶきが上がる音が聞こえた。

 大きな魚でも跳ねたのか、龍海はそちらの方向を見遣みやる。ごそごそと動く影が有る。はじめは人かと思ったが、違う。


 艶々(てらてら)と光沢のはだえ。ほのかに淡い覗色のぞきいろ。腕にはヒレのようなものが伸びる。仄めく影に、月の光りを反射うつして。きらきらと輪郭が輝いてさえ見えた。たおやかな女性の影姿。

 紛れもない半獣神フォーンの姿がそこにあった。

 いや、水に生きるものならばこのように呼称した方が正しいであろう――――人魚と。


 龍海はがつんと、玄翁トンカチにでも殴られたような衝撃を受けた。

 追い求めていたものが、あそこに居るのだ。

 じっと岩陰からしばらく覗き込んでいたが、はっと、正気を取り戻し、かぶりを打ち振ると、そういえば彼女はここで何をしているのかと様子を見る。


 先ほどの音は水中から這い上がってきたものらしい。ずりずりと引き摺った後が、蛇の尾のように伸びる。半身を起こし、優雅に月光浴を楽しんでいる――

 というわけではなく。そのままじっながめていると、どうやら漁の網に足を絡め取られてしまったらしい。たどたどしい手つきで、網をつまんでは放し、引っ張っては痛がり、水かきの指ではぬめってうまく掴めないのか、それとも彼女が不器用なだけか。そういえば、ここからでも必死で、今にも泣き出してしまいそうな表情かおが窺える。


 これは手伝った方が良いのではないかと迷うが、安易に近づき、怖がらせてしまうのも本意では無く、岩陰から身を乗り出して、所在なさげにうろうろうろうろ。

 仕舞いには、石に蹴躓いて、前のめりのつんのめり、どしゃりと音を立てて転ぶ始末で。

 手を付き自然に四つん這いになる青年と、網に絡まる人魚の少女が一様に互いの方角に顔を向けると、ぱっと、視線が交わった。


 一拍の間を置いて、人魚は逃げだそうと身をよじるが、足に絡まった網のせいでうまく動けない。ぱたぱたとその場で跳ねる様は、浜辺に打ち上げられた魚か、そうでなければ俎板まないたの鯉とでも称すればよいか、しばらくは悪あがきのようにじたばた手足を暴れさせていたが、それも最早無駄な行為だと悟ったようで、諦めたように、そのまま仰向けに寝っ転がる。

 人魚は虚空を眺めながら、間遠まどおにも、龍海の耳に届くほど声を張り上げ、聞き浴びせるように叫んだ。


「人の子よ。わたしを殺して喰らうが良い! なれど決して不老不死になどなれぬぞ。腹を下すのが関の山だ。さあ、やるならひと思いにさくりとやってくれ!」


 自棄やけになりながら「さあ、やれ!」と何度もわめく姿は、駄々をこねる子供のようでもあり、やけっぱちとも言える。りとて、こちらの様子を遠目でちらちら。

 龍海の出方がよほど気になるらしい。彼が一歩近づく度にびくりと身体を震わせ、恐怖に戦慄わななく様相は、彼の同情を買うほどありありと。目元には涙さえも浮かべ。下手に刺激し、驚かせようものなら、そのまま心臓が止まってしまうのではないかという恐怖さえも覚える。龍海はゆっくりと近づきながら、子供に物語を読み聞かせるように話しかける。


「取って食おうなんて思ってないよ」

「そんなものは分からぬだろう。わたしを騙して囓る心積もりなのかも知れぬ」

「食べたら腹を壊すっていうなら囓るつもりはないよ」

「わたしをばっちいみたいに言わないでくれ! 腹を下してでも囓るつもりかもしれないじゃないか!?」

「…………興味が無いと言ったら嘘になるかもしれない」

「ひぃ! わたしに近づくな、触らないで!」


 手を前に出す姿は、まるで「私に触れてはならないノーリ・メ・タンゲレ」と告げているようでさえある。しかしながら、絵画の一幕だったのならば風情もあろうが、哀れにも網に絡んだ人魚と、情けなくも転んで泥に塗れた洋袴ズボンの青年では華に欠け、画趣がしゅになるにはほど遠い。あるいはその素朴さを前面に押し出した作品だったとしても、今度は間抜けさが先に立つ。


「冗談だよ」

「それならば何故なにゆえ近づいてくるっ」

「君の網を解こうかと思って」

「さ、触るな……。人間は安心させて近づいて後ろからさくりとるとおばあさまも言っていた」

「そんなことはしないよ」

「手つきがイヤらしい気がする」

「…………それは否定できない気がするな」

「ひぃっ――も、もしかしてくびり殺すことに興奮する変態とか? それとも生で丸かじりがよいというのか! 痛いのはイヤだ。喰らうなら殺してからにしてくれ!」


 ぎゃあぎゃあと喚き続ける人魚に龍海は苦笑しながら近づいた。

 彼女は恐怖に顔を背けながら、半ば諦めたように脱力。それでもぴくりぴくりと戦慄く様は、龍海に嗜虐心を感じさせるどころか、最早哀愁とか同情心ばかりを誘う。

まるで幼気いたいけな少女に悪戯している気分に陥りながらも網へと手を掛けた。

 いったいどうやればこんなにもこんがらがるのか、足と、ヒレと、絶妙に複雑な形で絡んでしまっているらしい。


「痛いっ! ヒレが千切れたらどうするんだ!?」

「これは…………はさみで切った方が早いな」


 背負袋リュックから鋏を取り出し、じょきりと切断し始める。

 人のような二つ足に、滑らかなはだえ、指先には水かき、やや胴が長く脚が短い。

 背中には短い尾びれのようなもの、エラのように見えるそれは嚢胞のうほうだろうか。


「…………ありがとう」

「面と向かわれると、なんか、こそばゆいな!」

「言うなっこっちまで恥ずかしくなってくるっ」


 龍海に害意はないのだろうと理解したのか、諦めたように嘆息。

 確かに、この男は邪なことは考えるだろうが、彼女に危害を加えるなどということは、毛の先ほどにも無いことだろう。


「なぜわたしを助けた」

「君が綺麗だったから」

「はあっ!?」


 真面目な顔で言い放つものだから、彼女は面食らって目を回し、それから口元が薄く緩んだ。

 顔に紅葉を散らす――と言えば比喩であるが。

 彼女はほんのりと逆上のぼせたように上気させ、肌の色を少し濃くさせた。

 あたふたと手を忙しなく振ると、ヒレが、唐縮緬とうちりめんの裾ようにゆらゆらと揺れ、春の空に映る影の頼りなさでふわりと舞っている。

 当惑しつつ、含羞はにかみながら、声を荒げながら一息に。

 

「何を言っているんだほんとうに人間はアホウだなあ!?」

「冗談じゃ無いさ。本気でそう思ったんだ」


 ぐっと言葉に詰まり、喉からくぐもって絞り出したものは、彼女の単純な疑問で。

 苦し紛れとも言える。


「……なぜこのようなところに来た」

「人魚の伝承を探していてこんな話を聞いたんだ。嵐の晩の次の日には人魚が現れるのだと」

「ほう?」

「海に身投げした者は、潮の関係で浜辺に打ち上げられることが多いらしい。しかし帰ってこない者もいる。海に魅入られ帰ってこない者は、人魚に気に入られ、籠の中に閉じ込められ連れて行かれてしまったんだそうだ」

「そんな話は聞いた覚えがないな。嵐の方が顔を出しやすいし、人を閉じ込められる籠など見たことも無い」

「そんなものか?」

「それにそのような話を聞きながらこんな場所にのこのこやってくるとは、さてはおぬし相当な変わり者だな!」

「ははは、よく言われるよ」


 彼女は、虎の子を得たとばかりに、彼を楽しそうになじる。

 まさに反撃の糸口を見つけたのだと、ここぞとばかりに、嬉しそうに。

 だが、一体何に対しての反撃だというのか。大抵は自爆で、龍海など意に介していない。ただ、ニコニコとながめるばかりで、あろうことか、突然、楽しそうに語る彼女の手を握りしめた。熱い吐息と、眼差しを添えて。


「俺のことを知って欲しい。俺は龍海というんだ。君のことも教えてくれると嬉しい」


 などと、熱砂の如く熱き情熱で。

 彼からこれほどまでの熱量が出るとは、到底思えないほど迸っていた。

 しかし彼女は、ひぃと叫んで手を振り払って後ずさり。

 龍海などは若干傷ついた顔をしていたが無理も無い。

 人魚は嫌悪感――――というよりも、驚きの方が勝っているのだろう。

 そもそもこのようなことに慣れていないようで、それも人間の情熱だ。ただただ目を見開いては戸惑いに裂帛れっぱくの声を上げてかまびすしく喚いている。


「たた、助けられた恩だ。わたしはアルクルゥと言う。この礼は必ずする。また会おう!」


一方的に言葉を置き残し、海の底へ帰ってしまった。

 というよりは、恥ずかしさに耐えきれず逃げ出してしまった、というのが正しい。

 龍海はぽかんと、間抜けにも大口を開き、アルクルゥが飛び込んだ後のあぶくながめるばかり。追い求めていたものを一度は掴んだと思えばするりと抜けてゆく。そしてまた追走劇が始まるとなれば、さながら牧歌劇のような様相を醸し出す。いや、それほど長閑のどかではなく、移り気と、逃避と、堂々巡りの遁走曲フーガと言い換えよう。

 もう一度逢えるかなど分からない。それでも彼は「また会おう!」という言葉に、淡い期待を抱くのであった。

引用

クロード・アシル・ドビュッシー

トリスタン・レルミット:二人の恋人の散歩道:窪田般彌 訳

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