中間貯蔵施設で起きた、焼却灰の強奪事件は、放射性廃棄物を悪用したテロにつながる危険性をはらんでいた。この事態に、主人公たちは、どう立ち向かうべきなのか。
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あらわれた大勢の男たちは、貯蔵施設にある焼却灰入りのドラム缶を大量に盗みだすと、乗ってきたトラックにそれを積んでいく。
二十台ほどのトラックに、それぞれ三十数本ずつ、ドラム缶が積み込まれる。
積み込みが終わったトラックから、荷台にならべたドラム缶の列にシートの覆いをかけて、その上からロープを交差させて動かないように固定が行われる。
程なく、すべてのトラックの積み込みが終わる。かかった時間は五十分間程度だった。男たちの一人が広報担当者のところにやってくると、さっさとズラかろう、と急き立てる。
広報担当者はその指示に従うかわりに、自分が小型拳銃をむけている相手に、つまりはそばに立ってここまでの展開を黙って観察していた加部に、このように呼びかける。
「加部さん、どうもお待たせしました。積み込み作業は終わりました。あとはあなたをどうするか、だけです。それがすめば私たちはここから立ち去りますので」
「……おれをどうにかするって、じゃあ、どうすんだよ?」
待たされているあいだ、いろいろと考える時間的な余裕をあたえられた加部は、あげていた両手をおろすと、微笑している広報担当者を、それまでの信頼を裏切られた、怒りをあらわにした顔でにらみつける。
こんなことをしでかして、タダですむわけがない。だれがやったのかはすぐに露見する。そうなれば事件を起こした犯人の一人であるあんたが真っ先に逮捕される。覚悟しておくがいい。
そんなだれでも言いそうな、決まりきった文句を、込みあげてくる怒りの感情にまかせて言ってやりたい衝動を必死におさえる。
加部は、衝動をおさえ込むのに成功すると、せいいっぱい平静を装い、広報担当者にこう尋ねる。
「盗みだしたそれを、どうするつもりだ? なにに使う気なんだ?」
問われた広報担当者は、しかし微笑をたやさずに、こう言って、加部をたしなめる。
「ありがちな返し文句ですが、加部さんは本当にこちらの目的をききたいですか? どうしても、それを知りたいですか?」
広報担当者から丁寧な口調でそう問われて思わずたじろいだ加部だったが、必死にアタマを働かせて、この相手がなにをしようとしているのかを当てようとする。
「おれだって、おまえたちの狙いくらい、わかるさ。普通ならこんなものを盗んだりしない。だってこれって、最終処分場がみつからないで持て余している、ごみだもんな。持っていく場所がなくて、みんなで押し付けあっている、やっかいなごみだ。
この分野にくわしい専門家も、きっとこう言うはずだ。原発施設から核燃料が盗みだされる危険はあるかもしれない。でも中間貯蔵施設から低レベル放射性廃棄物、つまりは放射性セシウムが付着した焼却灰が持ちだされることはない。そんなものを盗んだところで悪用なんかできない。そうくちをそろえて主張するさ。
ところがこれが専門的な知識がない、世間一般の人々だと受けとめかたが違ってくる。世間一般の人たちから見れば、放射性物質を含んだ焼却灰は、おそろしく危険な毒物なんだ。使われれば、がんや白血病をもたらす時限爆弾だ。
そんな危険なものが、ドラム缶で三百本も四百本も盗まれたらどうなるか? テレビや新聞が危機感タップリに、放射性廃棄物が大量に盗まれた、なにに使われるんだ、と大々的に訴えれば、世間の人々はパニックを起こす。
そうなんだよ。よくよく考えてみれば、この焼却灰は持ち運ぶのも、隠し持つのも簡単だ。スーツケースにめいっぱいつめて運んでも、核燃料を運搬するような危険は無い。
スーツケースに出し入れするときにうっかり手についても、きちんと洗い落とせば大丈夫だ。焼却灰を吸い込むのだけは注意しないといけないが、もしそうなっても基本的には二か月もあれば体外に排出される。
でもこれが核燃料だとハナシは違ってくる。たとえうまく盗み出せても、身近に隠して置いておくと、それが発する強力な放射線で外部被ばくして命を落とす。手に付着したり、吸い込んだらおしまいだ。同じことをやっても、核燃料だと命の危険にさらされる。
核燃料の場合、あつかいをちょっと間違えると、目的を達する前に犯人の方があの世行きになる。それだけじゃない。たしか強力な放射線にさらされた物体は、放射性物質へと変化するはずだから、犯人の遺体も放射線をだす放射性廃棄物あつかいになる。チェルノブイリの事故では、原子炉のそばで死んだ作業員も放射性廃棄物になってしまい、処理ができなくなった、ってきいたことがある。
だから、あつかうときの手間や危険性を考えれば、核燃料なんかよりもこっちの焼却灰のがよっぽど便利に使えるわけだ。つまりは、ここにある大量の焼却灰を盗みだせば、それを一般大衆むけのテロや脅迫の道具として使える、活用できる、ってことなんだ」
言われるままに自分の考えを語った加部だが、語り終えたあとでハッとなる。
調子に乗ってよけいなことを喋ってしまい、そのせいで面倒にまきこまれる、つまりはこの場で口封じに始末されるんじゃないか、と気付いたからだ。
青ざめた顔で後悔している加部を前にして、広報担当者と、防護服とマスクで顔を隠した男は、たがいに顔を見合わせて、無言でなにごとかを確認しあう。
広報担当者は加部に小型拳銃をむけたまま、丁寧だが容赦ない口調で、このように尋ねる。
「テロや脅迫に使う、とおっしゃいましたが、それでは具体的にどのような方法で私たちがそれを実行する、と加部さんは考えますか? それを加部さんのくちから直接に、私たちに教えていただけないでしょうか?」
「いや、さすがにそれはその……。わかってても言ったらおれの命が危ないっていうか。言ったらあの世行きっていうか……」
小型拳銃の銃口から視線をそらせずに、加部はそう口走ってくちごもると、要求を拒絶する。
ところが加部に拒否されると、広報担当者はセキばらいをしてから、以下のように計画について語り始める。
「そうですね。脅迫するなら、まずは次のようなメッセージを、対象とする大手の企業や営利団体あてに送りつければいいんじゃないでしょうかね。
我々は不当に利益を得ているおまえたちを罰するために、おまえたちの会社が店舗や、おまえたちの会社の商品や、関連会社や、役員たちの自宅、そのどこかに高濃度の放射性物質を散布することを決めた。いつどこに散布するかは、我々が決める。散布が実行されたあとで、おまえたちはそれを知るだろう。
たとえどのような妨害を受けようとも、客や従業員、内部の関係者に変装した我々の仲間が、放射性物質の散布を必ずなしとげる。このメッセージを世間に知られないように隠そうとしてもムダだ。我々はすでに、いまと同様のメッセージをマスコミ関係者に送りつける準備をすませたからだ。
我々の行動をとめる方法がひとつある。それは我々が指定した銀行口座に、組織の活動を援助する寄付金の名目で、いまから指示する金額を振り込むことだ。おまえたちがそうすれば、放射性物質の散布は見合わせよう。マスコミへのリークもしないでおこう。だがおまえたちが指示に従わなかった場合には、容赦なく正義の裁きがくだされる。それを覚悟しておくがいい。こういったメッセージを、目的の相手に送るわけです」
広報担当者が語る説明をきいて、加部はゾッとすると、冷や汗がドッとふきだすのがわかった。
反論もできずにかたまっている加部に、広報担当者は自分の計画について、さらにこう説明を続ける。
「この方法がすぐれているのは、実際に放射性物質の散布をしなくても、脅迫している対象に大きな経済的なダメージをあたえられる点です。
放射性廃棄物、といっても大量の灰なんですが、そんなおそろしいものがまかれるかもしれない店にでかける客はいない。放射性物質が付着しているかもしれない商品を買う客もいない。脅迫された側は、脅迫された事実をおおやけにすることで受けるダメージを避けるために、脅迫者に従うよりなくなる。
もしも相手が脅迫に従わなければ、実際に焼却灰をまいてその効果をみせればいい。しかも、脅迫相手のところまでわざわざ出向かなくても、その効果を証明できます。
都庁ビルでも、新宿駅や東京駅でも、代々木公園でもいい。大勢人が集まる場所に焼却灰を大量にまいて、あとでテレビ局や新聞社にそれを知らせる。いったいどんな混乱が生じるのかをその眼でたしかめれば、反抗していた相手も自分の間違いをすぐに理解することになる。
おまえらには屈しない、言いなりにはならない、脅迫には応じない、と強気で訴えていた相手も、存続が危うくなるくらいの経済的損失を受けると気付けば、こちらに従うようになります。
つまりですね、これは理念や信条や思想の問題ではないのです。そんなものは放射性物質がもたらす実際的な効果である、現実的な恐怖や、社会的な混乱の前には、とうていおよばない。
この焼却灰が大量にまかれた場所や施設や、焼却灰にまみれたものは、その価値を失う。都心の土地、立派な建物、金銀宝石や芸術品、どんな高価な貴重品でもそうなる。しかも三十年間という長い期間です。そんなことになれば、その相手は破滅する。破滅を避けるためには、私たちの要求に従うよりない。そういうことです」
広報担当者が語るおそるべき計画の内容に加部はショックを受けたが、それよりも、なぜ相手が自分にそんなことをワザワザ伝えるのか、その意図について考えてみて、そっちのがおそろしくなる。
「なぜ、どうして、そんなおそろしいことを実行しようなんて思うんだ? いったい、なにが目的なんだ?」
加部がそう問いかけると、広報担当者はワザとらしく肩をすくめてから、あっさりとこう答える。
「カネのためですよ。大金のためです。快適な老後のため、豊かな余生のため、そう言えばあなたにもわかってもらえますかね?
大金を手に入れるための道具がこうして目の前に用意されていて、その方法も容易に実行可能だというのに、そうせずに人生の残りの貴重な時間を、こんなところで無為に過ごすのに、耐えきれなくなりましてね。
ショックを受けていらっしゃるようですが、いま言ったのは、ほんの一例ですよ? 放射性廃棄物を使ったテロと脅迫は、ほかにもいろいろと実行できる。たとえば民間企業ではなく、政府を脅迫するのはどうでしょうか? この国の政府と交渉して、テロに使用する前に、盗んだ焼却灰を買い取ってもらうんです。
そうですね。1、1兆円の予算のうちから、ほんの一パーセントか二パーセントを支払ってもらえばいいでしょう。私はそのおカネで、残りの余生を、外国の保養地でのんびりと快適にすごすことにします」
「ほんの一パーセントとか言ってるが、110億円じゃねぇか。そんな大金を政府が支払うもんかよ。絶対にうまくいくもんか」
「そうでしょうか? 私は、そんなことはない、充分に可能性はある、と思いますよ。政府にすれば、これは日本の企業や、国民の生命と財産を守るために行うことですから、前向きに検討するんじゃないでしょうかね?
なにしろ、原発事故以来、原発がらみの問題に関していえば、国内だけじゃなくて、国際的にも日本政府はすっかり信頼を失っていますからね。百億円や二百億円程度で、日本企業や日本国民を守る政府の姿が世界に印象付けられて、イメージがよくなるのなら、かえって私たちに協力するんじゃありませんかね?
モチロンそのときには、ぜひとも加部さんにも協力してもらいたい。私たちと政府とのパイプ役や交渉者として活躍してもらえると、私どもとしても大変に助かるんですけどねぇ? どうか、ここはひとつ、手伝ってもらえませんかねぇ?
加部さんも、視察中に放射性廃棄物を盗まれた大間抜けではなくて。命の危険もかえりみずに犯人との交渉役として活躍して、放射性物質をとりかえした英雄になりたいんじゃないですか? 上司や世間の皆さんに、見事だった、とほめられたいんじゃないんですか?」
「……いや、そんなこと、言われたって。……だって、そりゃマズイだろ? 世間体とかあるわけだし……」
このままもどったら、片切ヒロや片切水蓮からどんな叱責を受けるのか。それを想像して、加部は絶望的な思いにとらわれる。
そのせいだろう。相手の誘い文句がじつに素晴らしい選択肢であるように思えてくる。
加部は、オーケーその話に乗りましょう、いい働きをしてみせますよ、と親指を立てて応じたい衝動と戦ったすえに、冷や汗を浮かべた顔をそむけて、弱々しい声でこう返す。
「すいません。かんべんしてください」
「そうですか、残念です。どちらに味方をすれば得なのか。加部さんならちゃんと見抜けると思ったんですがねぇ。そうなると、しかたがない。それではそのなかへ入ってください」
「わかった。わかりましたよ……」
広報担当者が手にする小型拳銃で指示されるままに、加部が貯蔵施設の建物の中に入ると、広報担当者は出入口のインターフォンを通じて、視察は無事に終わりました、建物を閉鎖してください、と管理棟に連絡を入れる。
巻きあげ機の作動音とともに、加部の目の前で、金属製のシャッターが下り始める。
下りてくるシャッターを見上げて、オロオロしている加部に、広報担当者は出てきたら撃つと手にした拳銃で伝えながら、このように言いきかせる。
「一応、忠告をさせてもらうとですね。先ほど渡した手袋とマスクは、そこにいるあいだは絶対に外さない方がいいですよ? 放射性廃棄物の収納容器はきちんと密封されているので、放射性セシウムまじりの焼却灰は外に漏れてはいない。
でも容器から発せられる放射線の影響で、施設内に積もっている土埃は放射化して、放射性物質に変化しています。それを呼吸すれば、内部被ばくをすることになる。それだけじゃありません。容器からは強力な放射線が放射されています。建物内にいるかぎり、どこにも逃れられません。あなたは外部被ばくをすることになります。
それからこれは是非ともきいてもらいたいのですが、強い放射線を浴びたことによる身体の放射化が起きます。先ほどあなたが言っていた、処理ができない放射性廃棄物になるわけです。
ですから、救出がくるまでのあいだ、できるだけ呼吸の回数を減らして、廃棄物をおさめた収納容器から離れていてください。それがあなたの肉体へのダメージを減らす、最善の策であり、対応になります。
それから最後にもうひとつ、加部さん、私たちが立ち去ったあとで、所持している携帯電話で助けを呼ぶつもりでしょうが、シャッターを閉鎖するとそこは電波を遮断された状態になるので、それは無理ですからね?」
広報担当者がむける、皮肉なのか本気なのかわからないアドバイスに対して、加部はやけくそ気味にこういいかえす。
「携帯電話なら、ホテルに置いてきたよ! 信じられないだろうが、重要なものだから持ち歩いて紛失させるわけにはいかなかったんだ。でもこんなことになるなら持ってくるべきだったよ! いまさら悔やんでも遅いけどな!」
自虐的な怒りを込めて、加部はそう訴えるが、そのセリフは相手には届かなかった。
その前にシャッターは完全に下りてピッタリと閉じてしまい、加部の目の前は、強固な金属の壁で遮蔽されてしまったからだ。
「ちょっ。待ってくれよ、おいっ!」
加部は分厚い金属製のシャッターに歩みよると、両手でそれを揺さぶるが、ビクともしない。
シャッターに耳を押し付けると、外でやりとりしている話し声や、たくさんの車の動きだす音がきこえた。その音も遠ざかっていき、あとはそれっきり静まりかえる。
不安と恐怖がドッと押しよせてきて、耐えられないまでにそれが大きくなる。
加部は、冷たい汗がふきだしてくると、それが脇の下や、マスクをした自分の顔を濡らすのがわかった。
呼吸が荒くなり、心臓が早く激しく脈打ち、目の前がチカチカとまたたきだす。足がふるえだして力が抜けてしまい、その場にへたり込みそうになる。
スチールラックにある、まだ大量に残っているドラム缶からできるだけ距離を置くために、加部はシャッターを背もたれにしてそこにすわり込むと、すわったその場で身じろぎもせずにジッと動かなくなる。
出入口のシャッターを閉鎖されてしまい、建物内に閉じ込められた加部は、そこで死ぬよりも、つらい経験をすることになった。
強烈な恐怖や不安にさらされると、人はパニック障害やパニック発作を起こす。取り乱してしまい、大声で騒いだり、泣きわめいたりするのだ。
加部も強い恐怖と不安にさらされていたが、騒ぐかわりにその場で身じろぎもせずに硬直していた。
加部はシャッターに背中を押しつけてすわり込んだ格好で、2メートルほど先にある巨大な金属製のラックと、そこにおさめられている、数は減ったがまだ大量に残っているドラム缶のような収納容器を凝視したままで、身じろぎもせずにいた。加部のその様子を見る者がいたら、加部が眼をあけたままで失神している、とかん違いをしたかもしれない。
加部は恐怖と不安で動けずにいた。加部の恐怖と不安の原因は、放射性物質と放射線だった。
放射性物質は、あたり一面に大量にある、眼には見えない微小なサイズの微粒子に付着して、建物内のホコリっぽい空気中に充満しているはずだった。
自分が呼吸をするたびに、防塵マスクを通り抜けて、放射性物質が微粒子といっしょに体内に入ってくる。体内に入った放射性物質は放射線をだして、この身体の細胞の遺伝子を破壊していく。
それだけではない。建物内にまだ数百個からある容器から強い放射線があたりにむけて放射されていて、見えてはいないがそれが建物内をとびかっている。
目には見えないその放射線は自分のところにもとんできて、シャワーでも浴びるように大量にこの身にぶつかって、自分を放射化させにかかっている。
いまこの瞬間にも、皮膚のいちばん外側にある細胞から放射線にジワジワと焼かれて、細胞が壊され始めているんだ。加部は、放射線が自分の皮膚にあたるのを、ハッキリと感じ取っていた。
ここから脱出するには、この建物内をさがして、脱出口を調べてみるべきだった。もしかすると建物の奥には、外と連絡をとる非常用の内線電話が用意してあるかもしれない。
だが加部は身動きがとれなかった。立ちあがってあたりを調べるなんて、とてもできない。
そんな真似をしたら、放射化したホコリがまきあがる。身動きしたせいで呼吸量が増えて、それを大量に吸い込むことになる。
それに、放射線を発しているあのドラム缶に近づくのもごめんだった。建物内を歩きまわれば、もっと大量の放射線にさらされてしまう。だからできるだけ、こうして放射線を発している容器から身を遠ざけているべきだった。
恐怖と不安のせいだろう。汗が滝のようにふきだして、顔面を濡らす。汗をぬぐい、ふきとりたかったが、そんなことをしたらマスクがずれるかもしれない。その危険が脳裏にチラついて、おそろしくてそれすらできない。
加部の両の目に涙がにじむと、それが汗といっしょに頬を流れ落ちる。
なんてことだ。自分はここで死ぬんだ。いいや、死ぬよりももっとひどい。死ぬ前になにかの幸運でここから助けだされたとしても、強烈な放射線で被ばくしているから、間違いなく重度の放射線障害になる。
生きたまま保護されても、チェルノブイリの原発事故で外部被ばくして死んだ作業員と同じ運命をたどる。遺伝子を破壊された細胞が正常に活動しなくなっているから、ひどく苦しんで死ぬことになる。たとえそれをまぬがれたとしても、がんや白血病になって、やはり苦しんで死ぬことになる。
自分の最期がどうなるのか、それを想像して加部は声をころして泣きだす。ひどいことになった、そしてこれからもっとひどいことになる、とおのれの運命をなげいて悲しんだ。
「うううぅぅっ、どうしてこんなことになってしまったんだ。あああ、いやだ。そんなのイヤだ。こんなことならいっそ、撃たれて死んでしまえばよかった。そうすれば、こんなおそろしい思いをせずにすんだのに……。ひどすぎるよ。あんまりだよ。どうしておれが、こんな目にあうんだよ……」
泣いて運命を変えられるわけもないが、いまの加部には、涙を流して我が身をなげく以外に、なにもできなかった。
そうやって建物内に閉じ込められたままで、いったい何時間が経過しただろうか。加部は泣き疲れてしまい、最初と同じ位置にすわり込んだ格好で、放心状態になっていた。
放心状態におちいっていたせいで、自分の背後でなにが起きているのか、気付くのが遅れた。
機械の作動音とともに巻きあげ機のモーターが動いていて、背にしていたシャッターが持ちあがっていた。
ハッとなって放心状態から脱すると、加部はあわてて身を起こし、立ちあがってふりかえる。
信じられなかった。なにかの見間違いかと思った。ひらいた金属のシャッターのむこうには、洗いざらしの作業着の上下に、適当な上着をはおった、早坂青子が立っていた。
青子は、ばつが悪い子供のような困った顔で、言い訳をする。
「昨日のことは悪かったよ。あたしも反省している。じつは加部に伝えなきゃと思っていたことがあるんだ。でも事情があって、どうしてもできなくてさ。わけをきいてもらえば、加部だってわかってくれるはずだ」
青子が説明を始めようとすると、加部はそんな青子によろよろと近づいて、青子に抱きついて、そのまま声をあげて泣きだす。
「おいおい。いったい、どうしたんだよ? 助けられたのが嬉しいからって、なにも泣くことはないだろう?」
「うううっ。そうじゃない。もうおしまいだから、泣いているんだよっ。ああくそっ、抱きついたりしたら、君まで被ばくさせちまう。このままおれは、放射能にやられて、苦しんで死ぬんだ。もう助かる見込みもない。いったい、どうしたらいいんだ。うわぁぁああん……」
大声で泣きだした加部を前に、青子はどうしたらいいのかわからずに、困った様子で髪の毛をかきながら、加部を見やるばかりだった。
青子は、自分の前にすわり込んで、心身喪失した状態で泣いている加部に、いったいなにがあったんだ、どうしてそんなに取り乱しているんだ、と理由をたずねた。
泣きじゃくるばかりで、加部の話は最初は意味不明だった。
でも青子に、しっかりしろよ、と何度もはげまされて、話を続けるうちに、青子にもようやく事情が伝わる。
青子は、放射性廃棄物を使ったテロや脅迫のことをきいても、驚くかわりに、しばらく考え込んでから、加部にこうかえす。
「やっぱり、こういうことになったか。あたしのせいだ。あたしがあいつをとめていれば、こんなことにはならなかったのに」
「なにを言っているんだよ? おれにはサッパリわけがわからないよ。それよりも早く病院や医療施設に連れていってくれよ! 検査や治療をしないと! 少しでもやれることをやっておかないと!」
加部の説明をきいて事態を把握した青子がとった次の行動は、加部の腕をつかんで立ちあがらせると、少し離れた場所に停車してあった、青子が乗ってきた例の汚れた車両のところまで加部を連れていき、後部座席に彼を押し込むことだっだ。
青子自身は運転席に乗り込んで、車のエンジンを始動させると、そのまま発進させる。
加部は走りだした車の後部座席で、青子が自分を、市内にある病院か、どこか放射線の急性障害の治療ができる医療施設に連れていくのだろう、と最初は考えていた。
ところが車両は、国道の方角ではなくて、中間貯蔵施設の敷地のさらに奥へ。真新しい道路を越えて、なにもない雑草だらけの荒れ地へと入っていく。
それに気付いた加部はギョッとした表情になると、運転している青子にむかって訴える。
「おいっ、なにをやっているんだよっ? おれを病院に連れて行くんじゃないのかよっ? どこでもいいから、専門の医療施設にむかってくれよっ! 除染をして、検査をして、できる手立てをかたっぱしからとらないと、おれは、おれは……」
「それは、あとまわしだ。いまは、それよりも先に、やらなくちゃならないことがある。焼却灰を盗みだした、あの連中をつかまえて、盗まれたものをとりもどす。
あいつらに、絶対にテロはやらせない。そんなことになったら、みんなが続けてきた努力が、あたしがやってきたことが無駄になる」
「えええぇぇぇっっっ。そんな……。それじゃあ、おれはどうなるんだよっ!」
決意の表情で運転を続けながらそう語る青子に、だが加部は納得して同意するわけもなく、再びパニック状態になると、ヒステリーを起こしそうになる。
君がなにを言ってるんだか、おれにはサッパリだよっ! 君はおれに、このままむごたらしく死ねっていうのかよっ! 会ったときから冷たいやつだと思ったが、そこまで冷酷で残酷だとは思わなかったよっ! おれはここで降りるから、あとは勝手にやってくれよっ!
後部座席でわめいている加部を黙らせるために、青子は運転に集中しながら、こちらも大声で加部に言いきかせる。
「いいか、あたしは説明がうまくない。それにいまは、お喋りしている時間なんてないから、手短にすませるぞ。放射線や放射性物質のことで、あいつらが加部に言ったことは、嘘だ。あいつはでまかせを言って、加部を脅えさせたんだ。
建物内にたまった土埃が放射線の影響で放射化をして、それを吸い込むから被ばくする。あの建物内は収納容器からでている強力な放射線でいっぱいで、だからそこにいれば重度の被ばくをする。しかも加部自身も放射線の影響で放射化して、放射性物質になっている。そう言ったらしいけど、そんなことは絶対にないからっ!」
「絶対にない、なんて、どうして青子に断言ができるんだよっ! 青子はあそこに閉じ込められて、苦しみながら長時間をすごしたわけじゃないだろっ? 同じ目にあってみればいいんだ。おれは閉じ込められているあいだ、放射線に皮膚を焼かれる感覚まであったんだぞっ!」
「うん。それは、気のせいだから。
放射化っていうのは、本来は放射線をださない安定していた物質が、高エネルギーの中性子なんかの粒子線を受けた作用で、放射線をだす不安定な物質に変質することを言うんだ。違う物質になるくらいだから、ものすごい強力なエネルギーをぶつけなきゃ、そういう変化は起きない。
もしも建物内の土埃を放射性物質にするくらい、強力な放射線が容器から出ていたのなら、そもそも建物内に入ることさえできない。建物の中で作業するなんて、もってのほかだ。
人体が放射性物質に変わるくらいに強烈な放射線が放射されていた場合、今頃は加部は、そんなに元気に泣いたりわめいたり、我が身をなげいたりできない。放射するくらいに強烈な放射線を浴びたのなら、加部は浴びたとたんに即死している。
チェルノブイリの放射化した遺体の話は、デマだよ。実際には原子炉からでた放射性セシウムにまみれたせいで処理がむずかしくなっただけで、人間の身体が放射性物質に変化したわけじゃない。
10万ベクレルの焼却灰、一千億ベクレルの放射性廃棄物あつかいの灰、ってきくと、あたしたちは途方もなく大きな数字にきこえて、高濃度な放射性物質を想像してしまう。でも原子炉の燃料は、もっと強力なんだ。容器におさめて、きっちりとフタをしておけば。そりゃゼロじゃないかもしれないが、人体にとって危険な線量にはならない。
だってあいつらは、その容器を手作業で運びだしてトラックに積んで、そのトラックで逃げているんだろ? つまりそれは、そうしても安全なものだってことじゃないか!」
ここで放射化の説明をする。放射化とは、青子の説明にあったように、放射線の照射を受けた物質が、放射性物質に変質することを言う。
放射線には種類があって、アルファ線、ベータ線、ガンマ線、エックス線、中性子線、などになる。エックス線、ガンマ線は、電磁波の仲間となる電磁放射線に。アルファ線、ベータ線、中性子線は、粒子放射線に。それぞれ分類される。
放射化は基本的には、重粒子線や中性子線を被ばくした際にしか起こらない。今回の原発事故で大量に放出されて、焼却灰に付着している放射性セシウムから出ている、ベータ線、ガンマ線では、放射化は起こらないのだ。
ただし、放射性セシウムからでる放射線による放射線障害は起きる。でもそれも三千ミリシーベルト以上でないと、加部がいっているような、身体的な異常や違和感は感じない。
いちおう、どれだけの線量だったのかを計算してみる。
たとえば1キロあたり10万ベクレルの焼却灰なら。もっとも大量に放出されたセシウム137として、1Bq=0、013uSvで計算できるので、1、3ミリシーベルトの放射線量となる。
さらに、放射線量は、距離の二乗に反比例して減衰する。だから、1メートル離れれば4分の一の線量に。2メートル離れれば16分の一の線量になる。そして、放射性セシウムの放射線は、ガンマ線以外は金属容器を透過できないし、そのガンマ線も透過に合わせて減衰する。つまりはこの程度の線量なら、人体には有害ではないのだ。
「そうはいうけどな。おれはあそこに半日以上も閉じ込められていたんだぞ。やっぱり、なにか心身に異常が出てないかを医師に調べてもらって。病院で適切な処置をしてもらうべきだ、と思うんだ。
それにだ。いまから追いかけても、かなりの時間が経過しているんだから、追いつくのは無理じゃないか?」
加部は青子の説得をきいて、一応は安堵して納得したものの、やはり青子を相手にそういってゴネる。
だが青子は、同情やあわれみではなくて、事実だけを伝える態度で、加部にこう言いきかせる。
「加部があの建物に閉じ込められていたのは、ほんの三十分間たらずだよ。あたしはあいつらが立ち去るまで、携帯電話の時計を見ていたから、加部が閉じ込められていた時間はわかる。
加部は恐怖心のせいで、体感時間がくるってしまい、長時間あそこにいた、と錯覚しているんだよ」
「まさか、そんなわけがない」
加部は青子の説明をきいても信じなかった。だが青子が投げてよこした青子の携帯電話で、現在時刻をたしかめて、自分の間違いに気付いて言葉を失う。
青子は、驚いたりあっけにとられている加部にはかまわず、車の運転を続けながら、こう自身に言いきかせる。
「行き先もわかっている。いまから追えば、あいつらに追いつける。追いついたら。放射性物質を使ったテロなんか、絶対にやめさせてやるっ! そんなことしたら、ここがなんていわれるか、わかったもんじゃないからなっ!」
焼却灰を盗んだ犯人たちの、逃走の経路だが。普通に考えれば、国道6号線を通ってトラックで県外に出る、はずだった。
ところが青子は、国道6号線に乗るどころか、車を走らせて中間貯蔵施設の広大な敷地内を突っ切って、それとは違う場所へと急ぐ。
どうやら青子には、犯人たちの行き先の見当がついているらしい。たしかに敷地内の、丈が高い雑草が生い茂る荒れ野には、多数のトラックが通過したあとだろう、雑草を倒して踏みにじったわだちができている。わだちはずっと先へと続いている。
青子と加部を乗せた大型車両は、先へと続くその多数の軌跡を追うように、無人の荒れ野を突っ走る。
青子が運転する車両は、舗装されていない荒れ地でも走行可能な車種らしい。道路がない荒れ野を走破して、先へ先へと進んでいく。
加部は青子にきいておきたいことがあった。だが高低差があるデコボコの荒れ地を車で移動するので、ひどく揺さぶられてしまい、それどころではなくなる。
やがて進行方向に、なにかが見えてくる。それは荒れ野のまっただなかにできた、土壌貯蔵施設の大穴だった。
大穴は、あまりにも巨大すぎて、加部が最初に見て思ったように、水が入っていないダムや、カラッポの貯水池を連想させる。
青子は大穴のそばでいったん車を停めると、車から下りて、穴のふちまで歩いていく。穴のふちに青子は立つと、穴の底を見下ろして、腕組みして考え込む。
加部は車で待っていたが、しびれを切らして、後部座席のドアをあけて車の外にでると、穴のふちに立つ青子に近づいて、呼びかける。
「なあ、おい。犯人たちを追いかけなくて、いいのかよ? 道草をくっていたら、追いつけなくなるんじゃないか?」
「ねえ、加部。あれって、なんだと思う?」
青子が指さす方向を見た加部は、最初はそれがなんだかわからなかった。
近付いてのぞき込めばわかるが、大穴の底にはあの汚染土をつめたフレコンバッグが大量に敷きつめられている。
穴の底にぎっしりとならんでいる大量のフレコンバッグが、まるで米粒くらいに小さく見える。そこに、なにかある。
加部はよくよくたしかめて、それが積みあげてあるフレコンバッグの上に落ちて、落下の衝撃でひしゃげた乗用車だ、と気付く。
この位置からだと、小さく見えて、車種の判別がつけにくい。それでも加部は穴の底に落ちている車が、今日、自分が乗ってここまでの移動に使った、あのピカピカの新車だったベンツなのを知る。
焼却灰を盗みだしだ犯人たちは、ここまで乗ってきたあの高価なベンツを、どうやら貯蔵施設の大穴に落としたらしい。
理由はなんだ? なぜそんなことをする? まさか穴の底に落ちたあの車両には、だれか乗っているのか? さすがに、それはないか。加部の脳裏に、いろいろな疑問がよぎる。
「大急ぎで、ここからできるだけ遠くに逃げなきゃならないのなら、クルマがあったほうがいいだろうに。なんでワザワザ、自分たちの大切な足を、穴の底に捨てるような真似をするんだ?」
胸中の疑問をそのままくちにする加部に、青子はこうかえす。
「あのクルマじゃ、この荒れ地を走るのに向いてなくて放棄したんじゃないか? それとも連中のあいだでもめて、逆らうとこうなる、ってだれかをおどすために落としたとかさ」
落下した車中に犠牲者がいたら大変なことになる。加部は青子に、さすがにこれは警察に連絡すべきじゃないか とうながすが、青子はくびを横に振って、追跡を再開する。
加部は青子が、意地になって自分でなんとかしようとする理由がわからなかった。といってもだ。それから程なく、目的地に到着したせいで、それどころではなくなる。
中間貯蔵施設を建設している、施設の広大な敷地は、海に面した第一原発をとりかこむように、陸地側に設定されている。
四倍の広さがある敷地は、青子がいる大熊町側と、一部だが施設が稼働している双葉町側にわけられる。海に面しているせいで、どちらの敷地にも海岸があって港もある。ただし原発事故以降は、どちらの港も閉鎖されているが。
青子が加部に、逃げた犯人たちの行き先だ、と説明したのは、現在は原発事故のせいで使用されなくなっている港のひとつだった。
青子が運転する車両は、速度を落として、人っ子一人いないさびれた港の中へと入っていく。
前方に、赤サビた船舶が停泊したままの桟橋が見えてくる。その桟橋につけて、焼却灰を盗み出すのに利用された、フレコンバッグの回収用トラックがずらりとならんでいる。トラックのそばには、この港のものらしい、クレーン車まである。
桟橋を前にならんでいる、二十台ばかりのトラックを見て、車中の加部は、運転席の青子に、あわててこう提案する。
「施設の管理棟に連絡して、施設の人たちを応援に呼ぶべきだと思う。連中は二十人以上いるんだから、やりあうことになったら、おれたち二人じゃ不利だ。てか無理だろ。多勢に無勢だ」
加部の弱気な提案をきいて、青子はだが、さっき加部に渡した自分の携帯電話をとって、圏内で使用可能なのをたしかめてから、加部にわたす。
それから青子は、マスクを装着して、車から一人で降りる。
「加部は、見付からないようにそこに隠れていてくれ。もしもあたしが帰ってこなかったら、それで助けを呼べばいいから」
「おおいっ! 一人で犯罪者の集団にたちむかうつもりかよっ! そんな英雄きどりの行動は、やめてくれよっ!」
トラックを調べに行く青子を一人にするわけにもいかず、加部もマスクをつけて、青子のあとを追いかける。
加部の心配は取り越し苦労に終わった。ずらりとならんでいるトラックの運転席はどれもカラッポで、ここまで乗ってきた防護服にマスク姿の男たちはどこにもいなかったからだ。
帆船たちはどうやら全員逃げたあとらしい、と知って加部はホッと安堵する。加部はそこで、ならんでいるトラックの荷台もまたどれもカラッポなのに気付く。
施設から盗み出して運んできた、ドラム缶にして三百本分はあった大量の焼却灰は、いったいどこにいったんだろう、とくびをひねる加部は、そこでいま自分がいる場所が港なのを思い出して、ハッとなる。
「そうか、ここで船に積みかえたのか。船舶を利用して、海路で安全な場所まで運ぶつもりなんだ。フレコンバッグの移送に使うトラックじゃ、県外に出てもすぐにつかまっちまうもんな。くそっ。ずいぶんと、やりかたが大胆で、組織的じゃないかよ」
とっくに移動したのだろう。加部は夕暮れが近づいている午後の海を見渡すが、どこにも船の影は無い。
放棄された無人のトラックを調べていた青子が、加部を呼ぶ。青子のところに行った加部は、そこでまた驚くことになった。とっくに全員が立ち去ったと思っていたのに、放射性廃棄物を盗みだした犯人の一人が、手足を縛られて、さるぐつわを噛まされた状態で、トラックの荷台に残されていたからだ。
残されていた人物は、加部をおとしいれて閉じ込めた、広報担当をやっていたあの老人だった。
広報担当者は、三つ揃いの背広に革靴という加部が最後に目にした格好で、くちをふさがれてトラックの荷台に転がされていた。
青子がさるぐつわをほどいてやると、広報担当者は、なんとか上半身を起こして、そばに立つ青子と加部の二人をそれぞれ交互に見てから、その面を伏せて、二人に弱々しく礼を言う。
「このままずっと、ここに寝転がされたままか、と思っていた。助かったよ。そして、面目ない。君たちにむける、言葉もない」
青子は広報担当者のそばに立つと、説教でもするように、きびしくこう言いきかせる。
「ここで船に乗りかえて、脱出するつもりでいたのが、あっさりと切り捨てられたわけか。だから言ったじゃないか。ロクなことにならないから、馬鹿な真似はやめろって!
それなのに、忠告もきかずに、大金に目がくらんで、裏切られて、このザマじゃね。みっともないったら、ありゃしない」
青子が、はじめてみせる真摯な態度で説教するのをきいて、加部は広報担当者が言っていたように、この二人が本当に親しい間柄だったのを知る。
どうやら広報担当者は、彼をささえていた自尊心や自信も、ここに放置されているあいだにくじけてしまったらしい。青子の説教に対してうなだれたままで、面目ない、申し訳ない、すまなかった、とくりかえすばかりだった。
残された広報担当者の老人の話から、犯人たちについて、いくつかのことがわかった。犯人たちは、この港に待機させていた外国籍の輸送船に、トラックの焼却灰を積み込んだ。そしてその輸送船で、犯人たちも逃げた、という。
行く先は都内にある××港で、運んだ焼却灰は××港の、港の倉庫に運ぶ予定になっている。あいつらはそう自分に語った、と広報担当の老人は、青子と加部に告げる。
「連中は都内で、私抜きで、放射性廃棄物を使ったテロを実行するつもりだ。港まで移動する最中に、予定しているテロの計画について、連中はいろいろと私に語ってきかせたよ。
連中のテロ計画が成功するように、あんなにいろいろと協力したのに。それなのに、利用されたすえに、こんな結末になるとはね。本当に愚かだった。いまさらだが、後悔している。反省している」
「謝罪は私じゃなくて、中間貯蔵施設で働いているみんなにいってくれ。いまから管理棟に、ここで起きたことを伝えて、海上保安庁に付近の海を調べてもらう。うまくすれば、海に逃げた連中を逮捕できるはずだ」
青子は広報担当者の老人にそう告げると、加部に渡しておいた携帯電話をとりかえして、トラックの荷台から下りる。
きっと管理棟にいる知りあいに、起きたことを伝えているのだろう。青子は、声を大きくして、事情の説明を始める。
加部はトラックの荷台に、広報担当者と二人で残される。広報担当者が自分を呼んでいるの気付いて、加部はそちらをむく。
「加部さん。あなたにも、すまないことをした。ところで、この手のいましめをゆるめてもらえないか。血行がとまっている様子で、しびれて感覚がないんだよ」
まあそれくらいならいいだろう。加部はさしだされた広報担当者の手首の拘束をゆるめると、はずしてやる。
広報担当者は加部がやることを見ながら、低い声で礼を述べる。
「どうも、ありがとう。ああ、ラクになったよ。加部さん、どうか誤解しないでもらいたい。私はあなたをあそこに閉じ込めて、被ばくさせて苦しめるつもりはなかった。あそこに閉じ込めても、ひどい恐怖を味わうだけで、放射線障害にはならないし、命の危険はない、と私にはわかっていた。
ウソをついて、だましたのは悪かった。でも私はどうしても、加部さんが救出された際に、おびえてふるえあがっていて欲しかったんだ。助けだされたあとで、あなたはテレビで、あそこでなにがあったのか、をインタビューで語るだろう。そこであなたは、焼却灰が盗まれたこと、盗まれた焼却灰を使ってテロが行われることを話すはずだ。そのときに、おそろしさに涙を流しながら、放射性物質を使ったテロの恐怖を語ってもらえば、視聴者にも、事件の恐怖と不安、危機感が伝わる。殺すつもりではなく、あなたをおびえさせる目的で、あの施設に閉じ込めたんだ。
テロはそれを、なんておそろしいことだ、とみんなが恐怖してくれないと始まらない。焼却灰をまいても、無視されたら、それまでだ。だから加部さんにはトラウマ級の恐怖を経験してもらい、世間にテロの恐怖を宣伝する役をやってもらいたかったんだよ」
手首の拘束をはずされて、手首をマッサージしながら、広報担当者は加部にそう理由を話してきかせた。
加部はなんと返したらいいのかわからずにいたが、けっきょく相手にありきたりの文句を告げる。
「これからあなたは逮捕されて、取り調べを受けることになる。自分がしたことを悔やんでいるのなら、テロに使われる前に焼却灰を取り返せるように、警察の捜査に協力してもらいたい」
広報担当者は、指が自分の思い通りに動くのをたしかめると、上着のポケットにしまっておいた、例の小型拳銃をとりだす。
「すまない。でも私はもう、利用されるのはごめんだ」
小型拳銃が自分にむけられると加部は考えて、あわててうしろに退いた。だが広報担当者は加部を撃つかわりに、拳銃を自分の脚にむけると、出血や、ズボンの焼けコゲや、腿にあいた小さな銃創を見ないように、顔をそむけたままで引き金を絞った。
銃の発射音にしてはずいぶんと小さい、かわいたパンッという破裂音がしたあとで、広報担当者はウッと呻いてその身を折ると、弾頭が撃ち込まれた自分の脚を押さえる。
携帯電話を手にした青子がトラックの荷台にとびあがってくると、広報担当者の馬鹿な行動をとめようとする。だが先に加部が、広報担当者の手から小型拳銃をとりあげる。
二人は、撃たれたのが大ケガにならない腿の外側で、大きな静脈も動脈にも命中せずに、出血も大してしてないのをたしかめる。
「これだったら、大丈夫だ。かすり傷みたいなもんだ」
だが二人は、広報担当者が苦痛をこらえて、自分たちに伝えたセリフをきいて、ゾッとする。
「いや、そうはいかない。私は助からない。苦しんで死ぬことになる。発射された拳銃弾の弾頭には、ポロニウムが注入されている。いまので弾頭といっしょに、ポロニウムが私の体内に入った。この物質の効果は猛毒と同じだ。私はおしまいだ。責任もとらずに退場だが、どうか許してもらいたい」
このあとでなにが起きたのかを、順序だてて逐一説明する必要はないだろう。
管理棟から、警察に連絡をしたのだろう。サイレンを鳴らして、パトカーと救急車がやってきた。
閑散としていた無人の港は、あっというまに、大勢の警官たちや緊急隊員でごったがえす、騒々しい場所に変わってしまった。
とはいえ、加部と青子は、警官たちに逮捕されて、パトカーに押し込まれて連行されたので、その後の現場の顛末については知るよしもなかった。
加部と青子は、警察署に連れて行かれると、警察署内で担当についた警官相手に、事情聴取を受けることになった。
そのために、加部が毎晩やっていた視察の報告も、いつもよりずいぶんと遅くなった。まあ報告できただけでもビックリだが。
けっきょく加部は、調書をとっている警官に自分の身分をあかすと、宿泊しているホテルにまで出向いて部屋においてきた携帯電話をとってきてもらい、それを受け取ったのちに、用意してもらった警察署の別室で、ヒロに連絡を入れたのだった。
呼び出し音の後で、通信回線が接続される。片切ヒロだとわかる声が、加部にむかってわけを問う。
「ずいぶんと遅かったじゃないか。今夜はもう連絡はないかと思ったよ。きいたよ。逮捕されたらしいな。警察の方から連絡があった。いろいろと面倒なことになっている様子だが、そのあたりも報告をしてもらおうか」
いつもの調子でヒロはそううながす。加部はだが、警察署の空き部屋にあったボロボロの椅子にすわった格好で、ヒロにむかって疲れた表情と疲れた口調で、逆にこう問いかえす。
「報告の前にたしかめておきたいことがある。なあ、あれって、社会不安だろ? 放射性廃棄物を使ったテロと脅迫の件で、確信が持てたよ」
いきなり意味不明なことを語りだす加部に、片切ヒロは「?」と疑問符で応じる。加部はそれにかまわずに、こう続ける。
「昨日の報告のときに、ヒロが言っていたじゃないか。30年前に起きたチェルノブイリ原発事故で、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの三国のうち、汚染が最もひどかったベラルーシよりも、少なかったウクライナやロシアのがその後の人口減少が多かった。その理由はなんだ、ってさ。同じ質問をまたするから、それまでに正しい答えを考えておけ、ってさ」
「ああ、あれか。そうだね。たしかに、そういう話をしたね。なるほど、加部はそういう答えにたどりついたってワケか。それじゃあ、そう答えたワケを教えてもらえるかな?」
「まずロシアだ。ロシアの場合は、チェルノブイリの事故が起きる前から、ロシアの前身であるソビエトが経済の面で低迷していたことが大きい。そして事故当時は、ロシアというかソビエトの国民は、社会主義体制の情報統制下におかれていた。原発事故に関する正しい情報を、ロシア国民は得られなかった。だからそのせいで、放出された放射性物質の降下による汚染は三か国のうちで最も少なく軽微だったのに、放射能汚染されているんじゃないか、という社会不安から、人口減少が進行したんだ。
バンダジェフスキー氏の資料にもでてきたが、事故後にソビエト政府は、大量に放出されたセシウム137の汚染の基準を、何度も低く設定し直した。そして正式にチェルノブイリ法を決めて、移住すべき基準を当初よりもかなり低く決定した。そのせいで、最初は汚染地域ではなかったところまで被災地にするという、ミスをやった。ロシア国内に、汚染の患者も出てないのに、汚染地帯があちこちに出現したんだ。
さらにだ。チェルノブイリ法に基づいた移住が、汚染が軽微だったロシア国内でも行われた。おかげで、移住先でそれまでの人間関係や生活の基盤を失った人々が、経済的な問題やストレスで病気になってしまい、大勢倒れることになった。
チェルノブイリ法で強制移住させられたロシア国民には、資料によると、社会保障の費用が出たらしい。まずかったのは、経済が低迷しているのに、チェルノブイリの対策費用がかかりすぎて、そのしわよせがほかのロシア国民にきたことだ。
ヒロが前回に言ってたが、ソビエトからロシアになって自由化したからといって、ロシア国民は裕福になったわけじゃなかった。経済の低迷から脱しようと計画経済から市場経済にはしてみたが、なれない自由化のせいでロシアの国庫が底をついてしまった。そこにチェルノブイリの事故の負担もかさなって、社会保障にまわすカネがなくなった。計画経済だったソビエト時代には保証されていた衣食住や生活保障が、ロシアになってからはストップしてしまったんだ。
ロシアって寒いところだから、国民のアルコールの消費量がハンパない。ウォッカで寒さをまぎらわせるのがあたり前になっているせいで、病人も多い。そのために社会保障費のストップで、医療を受けられなくなった人々から、大勢倒れることになった。これがロシアにおける人口減少としてあらわれたんだ。そしてロシアの人口減少が長期化したのは、社会不安も長期化したからなんだ。
チェルノブイリ法で大勢の移住者が出て、なれない生活で大勢倒れて、社会保障費の打ち切りのせいで病人が大勢死んで、そんなことが毎日くりかえされたら、だれだって暗い気持ちになる。将来に期待できなくなる。おれだってそうなるだろう。
原発事故のあとで、なんだかしらないが、大勢死んでいく。きっと政府はおれたちに真実を伝えてないんだ。このロシアもやっぱり放射能汚染されているんだ。おれたちも汚染されたこの町に暮らして、汚染された飲食物を食べてがんや白血病で死ぬ運命なんだ。
そんなふうにロシア全体が暗いムードのなかで、絶望的な気分のままにウォッカを毎日あおって、そいつは若死にする。それを見てほかの連中も、これも放射能のせいなんじゃないか、と不安をつのらせる。ロシアは、そういう悪循環におちいったんだ」
「でもそれなら、ウクライナはどうなるんだよ? 社会主義国家のロシアとは違い、ウクライナはどちらかというと、地続きであるヨーロッパ的な国だったはずだ。経済低迷と情報遮断、社会保障費の打ち切りのせいで、社会不安が長期化したロシアとは事情が違うんじゃないか?」
ヒロの指摘に対して加部は、そのとおりだ、と応じると、続いてこのように、自分の意見を語りだす。
「あれから別の資料を読んで知ったが、チェルノブイリの原発事故があってからまもなく、ウクライナでは数千件の中絶があったそうだ。これは命じられて行われたことじゃない。生まれてくる我が子が放射能の影響で病気や奇形になったんじゃないか、そういう不安や恐怖からウクライナ国民が自主的に行ったんだ。だがその必要はなかった、と資料にはコメントされていた。なぜそんなことをしたのか、ウクライナ国民の気持ちになって考えてみた。
(事故はウクライナの国境付近で起きた。放射性物質の大半は国境を越えてベラルーシに行ったので、ウクライナの国境に近い農村部が被災地になったが、ウクライナの都市部は汚染の被害をまぬがれた)
ウクライナに降下した放射性物質は全体の三割以下だった。それでもウクライナでは農村部から避難してきた被災者が大勢出ていたし、ウクライナ国内に流通する飲食物も汚染されているんじゃないか、という社会不安がウクライナ国民のあいだにはあった。
そしてチェルノブイリ法が実施された。この法律に基づいて、飲料水や食べ物にふくまれる放射性物質により内部被ばくすることや、飲食物にふくまれるセシウムをとるとマズイことがわかった。汚染された飲食物をとり続けると、被ばく線量がだんだんと増えていくとかね。でもそれはいいことではなかった。
だって、こうなるんだぜ? 自分たちのまわりは目に見えない放射性物質や放射線によって、どこもかしこも汚染されている。食べるものも、飲むものも、みんな汚染されている。毎日、自分のウチのまわりの放射線量を測り、体内に取り込むセシウムの量を考えながら食事をする。そんなふうに心配しながら生活していたら、子供をもうけたり、その子にあかるい将来をあたえる、なんて考えられなくなる。そんな社会不安が、ウクライナの国民のあいだに蔓延して根付いてしまったんだ。
その結果、ウクライナのが、ロシアよりも人口減少は大きくなった。それまで80万人から70万人を維持していた、ウクライナの毎年の新生児の出生数は、17年後には年間で37万6千人まで低下をした。たしかに放射能汚染による死産もそのなかには含まれているだろう。けれどもそれよりも、自分たちも放射能汚染されている、そういう社会不安からみんなが子供をつくらなくなったんだ。ウクライナの人口減少の原因、出生数の減少は、ウクライナ国民の自主性にまかせた結果として、そうなったんだ。
ロシアの場合には、長く続いた経済の低迷と、社会不安、社会保障費の打ち切りのせいで。ウクライナは、社会不安が慢性化したなかで、国民の自主性にまかせたせいで。二か国でそれぞれ、人口減少が急激に進んだんだ。
そして放射性物質の降下量が最も多く、汚染地域も広かったベラルーシの人口減少がおさえられたのは、ベラルーシがソビエト連邦ゆずりのガチガチの社会主義体制だったから、国民の自由が無いかわりに社会保障が維持されていたからなんだ。
けっきょく、チェルノブイリの原発事故は、放射能による被ばくで死傷したり病気になった被災者の数よりも、放射能のせいで自分も病気になるんじゃないか、生まれてくる子供たちも病気になるんじゃないか、そういう社会不安から発した被害者の数のが多かった。つまりは、社会不安が問題を大きくしてしまい。それが、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの人口動態として、30年間かけてハッキリとあらわれたんだ。
とはいっても、これはあくまでもおれの仮説でしかないから、実証のしようもないことだけどね」
ここでチェルノブイリ法と、ロシアの社会保障費について、補足をさせてもらう。
俗にいうチェルノブイリ法と呼ばれるものは、原発事故の五年後となる1991年に、ソビエト連邦崩壊後のロシア、ウクライナ、ベラルーシで施行された。
三か国のチェルノブイリ法はそれぞれ若干の違いがあるが、法律の対象となる汚染地域の定義や、被災者の定義は共通している。
事故当時は、移住の基準となる年間被ばく線量は、外部被ばくで100ミリシーベルトだった。二年目から50ミリシーベルトに、三年目や四年目には30ミリシーベルトに変更されたが、五年後に施行されたこのチェルノブイリ法によって年間線量で5ミリシーベルト以上、と決まった。
わが国ではチェルノブイリ法のこのあたりを誤解していて、年間被ばく線量が5ミリシーベルト以上の地域は『強制移住』で、1ミリシーベルトから5ミリシーベルトの地域は『移住の選択と権利』があたえられている、と考えている。
でも実際には、線量計を持ってきて空間線量を測ってみて、6ミリあったからどこかに移住しなければならない、2ミリだから移住の権利がある。そういう理屈ではないのだ。もっと厳密なわけかたになっている。
チェルノブイリ法では、まず最初に、強制移住の対象となる土地が、セシウムやストロンチウム、プルトニウムで汚染されていることが条件となる。この汚染度も厳密な数値のもとに決められる。
そして生涯を70年で計算した、生涯被ばく線量限度350ミリシーベルト(年5ミリシーベルト)の放射線を受ける人が、強制移住の対象となる。
ソ連放射線委員会が提案したのはこの条件だったが、三か国の学者たちから批判されて、しかたなく、追加被ばくの線量として70ミリシーベルト(年1ミリシーベルト)が希望移住の対象として追加された。
ちなみに、これは外部被ばくの基準であり、内部被ばくに関してもまたこまかく決められている。
ここで注意しなければならないのは、年間5ミリシーベルトの外部被ばくといっても、それがチェルノブイリの事故で放出された放射性物質によるものかどうかはわからないことだ。
じつはソビエトは1990年まで核実験をさんざんやってきた国なので、ロシア国内でも、工場とか建物とか道路とか、数値が高い場所はけっこうみつかる。だからチェルノブイリの事故とは関係ないのに、汚染地帯がいきなり多数出現して、そこにいた住人たちに、移住の義務が生じてしまうわけだ。
チェルノブイリ法は一見するといい法律に思えるが、原発事故なんて国境を越えたむこうの国の話だと思っていたロシア国民に、突然に、移住の義務が生じて持ち家や仕事を失わせたり、おれたちは汚染された環境で暮らしていたのか、という社会不安をあたえることになった。
続いて、ソビエトからロシアになる際に生じた社会保障費用の打ち切りについて、説明する。
ソビエトでペレストロイカが実施された当時、ゴルバチョフ書記長は大統領制への移行とともに、計画経済から市場経済への体制転換を急いだ。それはうまくいったわけではなく、国がロシアになっても、深刻な経済不振が続いていた。
この経済不振が原因で、ロシアでは公共サービスの財源が失われてしまい、教育や医療に回す資金が足りなくなり、ソビエト時代には保証されていた、老齢年金と軍人恩給の支給がとまってしまった。このせいで、社会保障に頼って生きていた人たちが大勢倒れて、ロシアの平均寿命が大幅に削られることになった。年金生活者もそうだが、医療を必要とした病人たちが大勢死んだわけだ。
社会保障費の打ち切りによる影響で、1991年のロシアでは、年間で約320万人の死者がでた。通常は年間で170万人程度の死者数なので、いかに急激に死者数が増えたのかがわかる。
比較例としてあげると、世界保険機関(WHO)による調査では、チェルノブイリの事故による三か国の事故二十年後までのがん死亡者数は、汚染地域の避難住民を対象にした4千件に、そのほかの汚染地域住民を対象とした5千件の、あわせて9千件を推計としている。
社会保障費の打ち切りで数百万人が死んでいるときに、原発事故の死亡者は数千人だったわけだ。
弱者の救済として、チェルノブイリ法で大勢の被災者が助かるのはよいことだ。でもそれよりももっと大勢の人たちが医療を受けられずに死んだり、年金がもらえずに困っていたのなら、なんのためにそんなことをしたのか、意味がわからなくなってくる。
加部が語る彼なりの自説をきいて、ヒロはうーんと唸ると、そのまま沈黙をする。その反応から判断して、自分の意見に対してヒロがそれなりに納得している、と加部は判断して、それで満足することにした。
ややあってヒロは、加部の意見に対して、このように応じる。
「でもまだ解決していない疑問があるよ。なぜ事故後、二十五年から三十年間で、減り続けていた人口が回復するんだよ? それは、
どういうわけだね?」
「その問いについては、答えにくい。なぜならそれはつまり、いまおれたちの国が直面している問題とも関わってくるからだ。そしておれがやった失敗が、同じことを引き起こしかねないからだ。あえて語るなら、つまりは、こう言うことなんだと思う……」
チェルノブイリの原発事故のせいで、事故が起きたウクライナで原発がすべて廃止されたかといえば、そんなことはなかった。
ウクライナでは現在、国内に供給されている電力の50パーセントは、原子力発電によるものだ。チェルノブイリの事故後も、ウクライナは原子力発電に依存している。
じつはチェルノブイリにあった原発も、そのすべてが廃炉になったわけではない。事故を起こした4号炉は石棺化されたが、それ以外のチェルノブイリにあった原子炉はいまでもちゃんと稼働中にある。天然ガスを供給しているロシアとの対立を深めるウクライナでは、国民は原発への依存を、しかたがないことだ、と受け入れている。
私たちは、ウクライナやベラルーシがいまだに原発事故による放射能汚染で痛めつけられていて、国民はみんなその苦しみに耐えている、と勝手にイメージしている。だが実際はそうではない。両国にとって、チェルノブイリはもはや過去の出来事であって、国民の興味はもっと違うことに向いている。
日本にいる私たちがそのような誤解をするわけは、福島の原発事故からまだあまり時間が経過していないせいだし、ウクライナやベラルーシの人たちからみれば、原発事故からすでに4分の1世紀以上、30年間以上経過しているからでもある。
別に起きた出来事を卑小化するつもりはない。でもずっとその問題で悩み続けるなんてできない。そりゃ史上最悪の原発事故でヨーロッパ全土を震撼させたかもしれないが、国民全員がチェルノブイリのことで30年間も絶望し続けるなんて無理だろう。食べ物や飲み物がセシウムに汚染されているかもしれない、とおびえるのだって、30年間もたてばあきるだろうし、そんなことでわずらう必要なんてなかったんだ、と気付いて、もっと別のことで悩むようになる。
加部は通信回線のむこうにいるヒロにむかって、チェルノブイリの事故に対して、ようやく見えてきた、自分なりの感想を述べる。
「放射能汚染による被災者がいなくなったわけじゃない。自国内にある立ち入り禁止だった汚染区域が開放されたわけでもない。でも他国が思っているほど、事故の当事国の国民は、チェルノブイリに縛られているわけじゃないんだ。というよりも、事故後に30年間、自分の国で暮らしてみて、心配したり不安になる必要はなかったんだ、と気付いたんだ。
こうした変化には、当然だが時間がかかる。ここで問題なのは、このような国民の心境の変化が、どれくらいで起きるか。それがどのように人口動態にあらわれるか、なんだよな。
最初の頃は、世間も騒いでいるせいで、放射能汚染の弊害をおそれて、国民は原発問題にヒステリックに対応する。でもそれだって、やがて変わる。ウクライナやロシア、ベラルーシの例をみるかぎり、事故が起きて認識をあらためるまでに、25年間から30年間かかっている。セシウム137の半減期が30年間だから、あるいは、そろそろ大丈夫だ、と半減期にあわせて、認識をあらためるのかもしれない。でも逆を考えれば、放射能に対する無用の恐怖心をあおれば、その効果というか影響は25年間も続く、という証明でもある。
盗みだされた焼却灰は、盗みだした連中がテロと脅迫に使うつもりでいる。この国で放射性廃棄物によるテロが起きれば、それがウクライナやロシアで起きたような長期にわたる社会不安に結びつくのは容易に想像がつく。社会不安は、ウクライナやロシアのような、人口減少というかたちであらわれるだろう。
以前のおれなら、そんな話をされても、そんな馬鹿なことが起きるわけない、よけいな心配しすぎだ、と笑いとばしていた。でも今日、中間貯蔵施設の建物に閉じ込められて、そこで放射性物質と放射線の恐怖におびえてみて、よくわかった。あんなおそろしい経験をしたら、世間の連中だって、これから二十年間も、三十年間も、トラウマをひきずることになる。
社会の混乱と、経済の低迷。そして放射能汚染されているのではないか、という社会不安から発する人口減少。ウクライナやロシアと同じあやまちを、この国もなぞるかもしれないんだ。それだけは絶対に阻止しなくちゃならない。これから二十五年も、放射性物質におびえ続ける社会になるなんて、まっぴらごめんだ」
加部は片切ヒロに伝えるべきことを伝えると、あらためて「それで盗まれた焼却灰の行方だが」と言い辛そうにきりだす。
加部としては、なるべく早く片切ヒロに、事件のその後をたしかめておきたかった。
焼却灰を盗みだして船に乗りかえて逃げた犯人たち一味は、もう逮捕したのか。
放射性廃棄物の焼却灰は、テロに悪用される前にとりかえしたのか。もしもまだ犯人たちが逮捕されていないのなら、自分も捜査に協力すべきなのか。
だが加部は、今日一日でいろいろとありすぎて、自分が疲れきっているのがわかっていた。だからヒロが自分の疲労困憊を察して、「まだ調査中だから。加部は今日はもう休憩をとれ」と自分に伝えたのをきいて、救われた気分になる。
自分の権限でホテルに帰れるようにする、とヒロからいわれて、加部はホッと安堵する。
「それなら、頼みたいことがあるんだが。いいかね?」
早坂青子は、案内された部屋で、取り調べの警官に自分が知っていることをすべて話すと、警官たちが休憩で出て行った部屋に一人でいた。
疲れきっていた青子は、椅子の背もたれに身をあずけてぐったりしていたが、だれかが室内に入ってきたので、そちらを見る。
青子は、入ってきたのが、こちらもずいぶんと疲れた表情の加部浩だと知ると、笑みを浮かべて、こう声をかける。
「なんだ、加部か。そっちの取り調べはどうだった? この調子じゃ、今夜はおたがいに、ここで過ごすことになりそうだな?」
青子はあきらめた様子でそうかえすが、加部が、青子の上着を彼女に投げて、続いて車のカギを投げてくるのを見て、驚いて目を丸くする。
「警察署の駐車場に、君のクルマが移動させてあるから、それでホテルに送ってくれ。君もウチに帰れるよ。ただし今日あったことは他言無用で、それから勝手に行方をくらますのは無し、という条件付きでね。それで、二人ともここから解放してもらえるはずだ」
「いやまさか。そんなワケがないだろ?」
青子は加部の説明を笑いとばしたが、もどってシブイ顔つきの警官から、加部がいま言ったとおりの条件で帰宅を許可されるのをきいて、あっけにとられる。
警察署を出るときも青子は、まだ信じられない、という顔で、あやしむように加部にこう呼びかける。
「加部、あんたもしかすると、ものすごい権限を発揮できる、身分を隠した政府の高官かなにかなのか?」
「とんでもない。それどころか、今回の失敗のいいわけを必死に考えている、ただの愚か者だよ。しかも、挽回できないと、このままクビだろうけどな」
「そうか。あたしもよくやらかすから、わかるよ。そっちも、いろいろと事情があるみたいだな」
そう言って運転席に乗り込むと、エンジンを始動させにかかる青子に、後部座席に乗り込んだ加部はこういいきかせる。
「視察の予定期間は、もう少し残っている。明日もまた、ホテルにむかえに来てくれ。できることはもうなさそうだが、それでもやれることをやろう。でも明日は、いつもよりも遅くていいよ」
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出張五日目で、いつもより少し遅い時刻だ。
早坂青子は、ホテルの駐車場に車を置くと、作業着の上下といういつものスタイルで、ホテルに加部をむかえにくる。
加部浩は、出かける準備をすませて、ロビーのソファにいた。
加部はちょうど、ホテルのロビーに常備してある新聞をあるだけ持ってくると、各紙を広げて目を通しているところだった。
あらわれた青子への加部の第一声は、新聞をめくりながらの「きのうの事件、どこもあつかってないな」だった。
青子は加部に、うなずいてかえす。
「うん。そうだな。あたしも調べてみたよ。テレビのニュースでも、ラジオのニュースでも、もちろんネットのニュースでも、昨日の中間貯蔵施設で起きた事件をとりあげてない。
でも関連がありそうなニュースはみつけた。海上保安庁が巡視艇を何隻もだして、ここいらから関東にかけての海上を捜索している、ってやつだ。共和国の密輸船だか不審船だかが、そのあたりで不法行為や違法行為を行っているから、らしい。捜査には、警察も海上保安庁も全面的に協力している、ってさ」
そのように告げた青子が、説明を求める顔で自分を見ているのに気付いて加部は、おれだってなにも知らされてないよ、と言い返す。
「こうなったってことは、これは表沙汰にはできない事件なんだ。でも隠し通せるわけないから、発表されるときには、事件は解決しているか、それともとりかえしがつかなくなっているか、そのどっちかだろう」
加部がどこか投げやりに、自身の見解を述べる。
青子は加部の前のソファにすわって、顎の下に掌をやると加部を見てから、あらためて次のようにたずねる。
「それで、今日のスケジュールはどうするんだ? 盗まれた焼却灰をとりもどすために、海上保安庁の船に乗り込むのかい? それとも警察と協力して、逃げた犯人たちのあとを追うのかい? でも昨日の夜に警察署でクギを刺されたように、勝手に県外にでるのはダメなんだろ?」
青子からそう問われて、加部は同意するかわりに、どこか自虐的な笑みを浮かべて、青子を見やる。
「じつはね。朝いちばんにウチの上司に連絡を入れてさ。いまの青子とまったく同じことを、おれもきいてみたんだ。上司はハナで笑って、それは警察や海上保安庁の仕事だ。おまえの仕事は別にあるはずだ。そっちをちゃんとやれ。そう言われたよ」
「それって、どういうことだよ? テロをやろうとしている犯人をつかまえて、テロに悪用される焼却灰をとりもどす以上に重要なことをやれ、って意味か?」
「サッパリわからんよ。おれが教えてもらいたいくらいだ」
つめよる青子に、加部は両手をあげて、お手上げだ、とかえす。
八方ふさがりだった。加部と青子は、一刻を争う事態に、自分たちが部外者になってしまった疎外感と、なにもできない無力感をおぼえる。
テロを実行しようとしている犯人たちは、放射性廃棄物の焼却灰を積んだ船舶で、いまも逃走を続けている。
なのに、こんなときに、自分たちだけがこんなところで、ノンビリと視察なんてしていて、いいんだろうか?
だがいつまでもそうやって、ホテルのロビーで不毛な会話をかさねていてもラチがあかなかった。行動しなければ、なにも始まらない。
まだ悩んでいる加部に、青子が決意した表情で、こう告げる。
「じつは今日だけど、市内の病院に行きたいんだ。逮捕されたあいつは、いまは入院中だ。ひどいことになっているだろうけど、姿を見ておきたくてね。いいかな?」
加部と青子の二人が、昨日の追跡劇のせいで汚れ放題の大型車両に乗り込んでむかった先は、市内にある大きな総合病院だった。
青子の目的は、その総合病院に運び込まれて治療を受けている、逮捕された広報担当者に面会することだった。
病院の駐車場に車をとめると、二人は病院の建物に入る。建物の出入口に用意してある受け付けで、加部は自分の身分をあかして、広報担当者がいる病室を教えてもらう。だがここまできたのに、当人に会うことはできなかった。
面会はできなかったが、廊下から室内をのぞいて、ベッドに寝ている当人を見ることはできた。
広報担当者は、総合病院にある、重病患者の治療のために用意された、集中治療室のベッドに寝ていた。
ベッドのそばには、患者に投与する白血球、血小板の成分を輸血するための点滴台を始めとして、患者の様子をモニターする医療機器や、機能不全を起こしている臓器のかわりをする大がかりな機器がある。
さらにベッド自体が、四角いテントのような透明なビニールカーテンで全体を覆い、フィルターを通して殺菌した空気を送り込む、無菌室の状態になっている。ちょうど点滴の交換のために、カーテンの出入口部分が持ち上げられていたので、ベッドに寝ている患者の姿を見ることができた。
青子といっしょに、ひらいた集中治療室のドアを通して、ベッドに寝ている広報担当者の姿を見た加部はショックを受ける。最初は、別人なんじゃないか、と思ったくらいだ。
入院患者が身につける病院服に着替えて、ベッドに仰向けに寝ているその人物は、頭髪がほとんど抜けてしまい、落ちくぼんだ両眼の眼窟と、そぎ落としたように減っている頬の肉と唇の肉に、浮いた肋骨のせいで、まるでガイコツのようなおとろえた姿をさらしている。
体内で、なにか問題が生じているのだろう。発汗している皮膚は、それでもひどく血色が悪い。呼吸器にも問題が生じているらしい。呼吸音は不規則に、ひゅうひゅうゼェゼェと鳴っている。そばにおいた医療機器で、心肺機能と血液の循環や透析を手助けしている、とわかる。
加部は見ていられずに顔をそむけたが、青子は病室の扉の前に立って、その姿を食い入るようにジッと見つめていた。
顔をそむけて耐えていた加部は、衝撃から脱すると、自分の気持ちを言葉にして訴える。
「なぜだ? どうして、あんなことになったんだ? あの変わりようは、どういうわけだ?」
狼狽した加部の自問自答に、青子が対照的な落ち着いた低い声で、こうかえす。
「放射性物質による、急性の放射線障害だよ。放射性物質がだす放射線が、肉体の細胞を通過するときに細胞にダメージをあたえて、ああなったんだ」
「待てよ。あんなに急激に衰弱するなんて、いくらなんでもおかしいだろう! いったい、どれだけ強力な放射線を浴びたんだよ!」
加部だって放射線障害について知らないわけではなかった。ちゃんと知識として身に付けているつもりでいた。だが実際にそうなった相手を見て、衝撃をうけてしまい、すっかり動揺していた。
なぜああなったのか、理由を考える。
「原因は、体内に入ったポロニウムだって言っていたが、ポロニウムってなんだ? 君は知っているかい?」
青子は、こうなると予想をして、前もって調べてきたのだろう。作業着のポケットからメモ帳をとりだすと、書きとめておいた内容を、加部に読んできかせる。
「正式な名称はポロニウム210だ。放射線半減期は138日。とにかく放射線量がものすごくて、ウランの百億倍もあるそうだ。
説明文からの引き写しになるが、『ただし放射線の種類は、距離が短いアルファ線なので、紙一枚でふせげる。だからポロニウムは、放射性物質の中では取り扱いが容易なものになる。
食い物や飲み物にまぜて摂取させれば、対象者以外は放射線の影響を受けない。こうした特性を利用して、ロシアでは暗殺に利用される』そうだ」
青子が、メモを読みあげる最中に、加部は、広報担当者が自分に小型拳銃をむけていたのを思い出す。あのとき撃たれていたら、こうなっていたのか、と込みあげてきた恐怖にふるえあがり、冷や汗をにじませる。
ポロニウムについて、簡単に説明する。
ポロニウムを使った暗殺は、2006年に、ロシア保安局(FSB)のアレクサンドル・リトビネンコが毒殺された事件が有名だ。この事件は、ロシアのプーチン大統領がこの暗殺を承認したのではないか、ともいわれている。
FSBの職員だったリトビネンコは、ロシア政府の指示でFSBが秘密裏に実行した犯罪行為を告発したせいで、ロシア政府に逮捕された。釈放後にリトビネンコは、イギリスに亡命すると、イギリスで再びロシア政府への批判を始める。しかしロンドンで会食後に、リトビネンコは体調を崩して病院に収容されたあとで、三週間後に死亡する。
リトビネンコの尿からは、ポロニウム210が検出された。死因はポロニウムであり、ポロニウムは茶にまぜられたのではないか、と推測されている。
この放射性物質をつくる方法は、天然ウランの鉱石から化学処理して分離するほかに、いまは原子炉かまたは加速器を用いて生成する方法が一般的になっている。
ポロニウムは、ウラン鉱石1トンあたりに対して、0.07ミリグラム程度しか含まれていない。たったこれだけの量でも、放射能強度は120億ベクレルになる。1グラムのポロニウムは、1700兆ベクレルの放射能強度となる。
内部被ばくで人を死に至らしめるには、一億ベクレルからのポロニウムが必要と推算されている。これは分量としては0.0006グラム程度になる。これだけの分量で、6シーベルトから10シーベルト程度の放射線を内部被ばくする計算になるので、摂取すると対象者は約3か月間で死亡する。(ただ今回のように、もっと短期間で健康に影響が出るようにするには、線量で10シーベルト以上が必要となるとも試算されている)
主な反応は、摂取の場合は、激しい内出血を起こし、下痢や吐き気、嘔吐の症状がでる。また神経組織や臓器にも影響があらわれて、臓器不全を起こす。
ロシアは、専門の機関のもとで、年間8グラムのポロニウム210を製造している。そしてそのポロニウムの管理はきちんとされている、と一応は公式に発表している。
青子は、病院をでて駐車場に停めておいた大型車両に乗り込むと、運転席にすわって、そのまま動かなくなる。
青子に続いて後部座席に乗り込んだ加部も、こたえている様子の青子になんと声をかけたらいいのかわからなくて、後部座席で悩む。
加部は考える。青子と広報担当者はどんな間柄だったのだろう。それだけじゃない。犯人たちと青子は面識があったのか。犯人たちについて知っていることはないか。どんな些細なことでもいいからきいておきたかった。
加部の様子をバックミラーで見ていた青子は、加部の胸中を察したのだろう、自分から話を始める。青子は、暗い表情でうつむいて、やりきれない内心の思いをくちにする。
「忠告はしたんだ。やめるように言った。でもあいつは、そうしなかった。それ以上は、どうしようもない。あいつが自分でそれを選んだんだから、あたしにはどうにもならない。あいつがいなくなったとしても、あたしはいつも通りに、自分がやるべきことをやるだけだ」
それだけ言うと青子は、いつもの内心を見せない態度にもどってしまい、それ以上は語らなくなる。
その沈んだ表情を見れば、青子がまだ立ち直れてないのが加部にもわかった。加部は車の天井を見上げて、青子を元気づける話題はないか、と必死に考える。
「さっきの様子じゃ重病に見えたが、ポロニウムで放射線障害になったからって、治療方法がないわけじゃないんだろ? なにか打つ手はあるんじゃないか?」
「いや、ないね。輸血や医療機器による身体機能の手助けで、延命はできるけど、治すことはできない。10シーベルト以上の放射線による内部からの攻撃なんだ。かりに回復して生きながらえても、今度はがんや白血病を発症する。軽度の放射線障害ならまだなんとかなるんだけど、あんな重度じゃどうにもならない」
「放射線障害にも違いがあるんだな。かかってしまえばみんな同じかと思っていた。それじゃ、どう違うんだ?」
「放射線障害ってのは、放射性物質がだす放射線をうけて、体内の細胞がダメージをうけて起きることだ。放射性物質が大量に付着した焼却灰から発せられる放射線でも、茶にまぜて飲んだ放射性物質がだす放射線でも、どちらででも起きる。(でもよっぽど強力な放射線をだす放射性物質じゃないと、内であれ外であれ、浴びた人間を病気にしたり、殺すことはできない)
最初は、骨髄が影響を受ける。ちゃんとした血液を造れなくなって、白血球や血小板が減少する。貧血やめまい、立ちくらみ、身体がダルい、食欲不振、吐き気、そういった肉体の不調として症状があらわれる。血液も細胞だから、そうなるらしい。悪化するとさっきも見たように、白血球や血小板の輸血が必要になる。同時に、吐いたり下痢したりが続く。臓器に問題が生じて下痢がおさえられなくなる。
それだけじゃない。新しい細胞がつくれなくなって、細胞の入れかわりができなくなるから、頭髪や爪や皮膚といった古い細胞が抜けたりとれたり失われたあとは、新しい髪の毛や爪や皮膚が生えてこなくなる。よく皮膚が再生されないから、死ぬ間際は肉がむきだしのおそろしい外観になるっていうけど、さっきのような内部被ばくの場合は、その前に放射線で臓器のどれかが正常に働かなくなる。
人間は体内にある各部の器官が正常に活動しているから生きているんであって、どこかひとつでもちゃんと動かなくなると、生命活動は危機にさらされる。
あの様子じゃ、呼吸がちゃんとできなくなって肺に水がたまって死ぬか。ほかの臓器が機能不全になって、意識を失い、そのまま命を落とすか。どちらかだ、と思う。神経組織が機能不全になって、正気じゃなくなるかもしれない。
そうなるまで数か月間はかかるから、まだ話はできると思ったんだけど、そうもいかなかったみたいだ」
青子が、広報担当者の身に起きた出来事を、低い声で淡々と説明するのをきいて、加部はあらためてショックをうける。加部は平静を装い、「ずいぶんとくわしいんだな」とかえす。
青子は加部の指摘に対して、怒るでもなく悲しむでもなく、このように自分たちがおかれている事情を話してきかせる。
「そりゃそうさ。放射線障害になると自分がどうなるかって、写真付きの資料で一通りは調べたからね。あたしだけじゃない。ここで暮らしている、同郷のみんながそうしている。
原発事故が起きた当時は、体調不良になる子も多かった。あたしもそうなった。
そうなった理由を調べてみて、それが放射線が原因で起きた放射線障害かもしれない、と知ったときはショックを受けたよ。ということは、チェルノブイリの被災者みたいに、放射線障害であたしたちも病気になって、ひどい死にかたをするのか、とおそろしくなった。
でもね。事故の最初の頃には体調不良を訴える子もいたのに、すぐにそういうことはなくなったんだ。あたしの場合も、すぐに身体の変調をおぼえなくなった。あれからもうだいぶたつけど、身体には異常は起きてない。普通に暮らせる。
世間はここが汚染地域で、つくるものを食べたり飲んだりできない、生活すれば放射能にやられて病気になる、といまだに思っている。でもあたしたちは実地で暮らしてみて、そうじゃない、って知ったんだよ」
加部は青子からきかされた話を、停車中の車の後部座席のシートで、反芻するように何度も考えてみる。
青子が過去に、放射線障害で死ぬんじゃないか、とおびえたと知ったのは意外だった。いまのように青子がタフにふるまえるのも、そういう経験をしたからなんだろう。そういう事情があったからなのだ。
さらには、病院の集中治療室で放射線障害により死亡しようとしている広報担当者についても考えてみる。両者の違いはどうして生じたのだろうか。
気付けば視察のスケジュールも終盤に入っている。加部はこれで何度目になるか、自分はなにをするべきなのか、とあきあきした同じ質問を自身に問いかける。
焼却灰を盗みだしてテロを実行しようとしている犯人たちをつかまえることだろうか。でも犯人たちをつかまえたところで、放射性物質に対する恐怖が続くかぎり、同じような犯罪はきっとくりかえされる。いったいぜんたい、こんな騒動が起きる原因はなんなのか?
それは放射性物質がおそろしいからだ。放射性物質について知らないからだ。正しい知識がないからだ、と加部はようやく思い当たる。
加部はつくづくと思い知る。放射性物質について、自分は知らなすぎる。知っているつもりでいたけれど、なにもわかっていなかった。まるでわかっていなかったのだ。
放射性物質について知るべきだ。正しい知識を身につけるべきだ。
加部は運転席の青子にむかって告げる。
「思い付いたことがある。いまから視察に出かけよう。行ってもらいたいところができた。そこはだね……」
自治体の職員である白衣の男は、地域生活センターに再びやってきた加部と青子を前にすると、困った顔で二人に尋ねる。
「それで、またここにいらした理由を、すみませんが、もういっぺんおっしゃってもらえませんか?」
加部は、本人としてはきわめてマジメな態度と真剣な表情で、目の前にいる、困り顔の職員にむかって訴える。
「じつはあなたに、教えてもらいたいことがあってきました。おれは、教えを請いにきたんですよ。ですからどうか、おれの疑問に答えてもらえないでしょうか!」
頭をさげると、へりくだった態度と、必死な表情でそう頼んでくる加部を前にして、白衣の職員はからかわれていると警戒したのだろう。困った様子で加部の要求をことわろうとする。
「そう言われましても、いまは勤務時間内ですし。私も専門家じゃないので、無責任な発言はできませんし。あなたのためだけに、仕事の時間を割くワケにもいきませんし、ね」
「そこをなんとかっ、お願いしますっ! あなたは自分の仕事をしながら、こちらの質問に答えてくれるだけでいいので! そうだ。それにおれの相手をしても、じつはこれは政府の仕事なので、どこからも文句はきません! だからどうか、おれを助けると思って。そうしないとおれのくびが。いやそんなことはもうどうでもいい! ここまで関わったんなら、なんとかしなきゃ、おれの気がすまないっ!」
放っておくと、すがりついてきて、拝み倒しそうな加部のやりすぎの訴えに、困りはてた職員は、助けを求めて青子を見る。
だが青子はそっぽをむいていて、今回のことは自分は関係ない、こいつが勝手にやったことだ、という部外者の態度でいる。
白衣の職員はため息をつくと、しかたない、といった顔で加部に、とりあえず顔をあげてください、と呼びかける。
「それで加部さんは、なにを教えてもらいたいんでしょうか? どんなことを知りたいんですか?」
職員からそう呼びかけられたとたんに、加部はガバッと身を起こす。そして加部は、それまでのしおらしい態度を一変させて、表情を輝かせ、がぜん勢い込んで、こう訴える。
「そう言ってくれるのを待っていましたっ! ききたいことはケッコウありますっ! まず最初は、ですね……」
「今回の福島の原発事故は、チェルノブイリの原発事故と、比較して語られることが多いですよね? でもチェルノブイリは、発生当時から現場の作業員の被害がけっこういて、そのあとも三か国の汚染地区では放射線障害による被災者が大勢でた。がんや白血病の被災者が、数千人でている。
ところが福島の事故では、そういう話をきかない。いったい、なぜなんですか? どうして、こんな違いが生じたんでしょうか?」
加部が訴える、ひどく曖昧な質問に対して、白衣の職員は、どう答えたものか、としばらく悩んでいた。
やがて職員は手もとのノートパソコンをひらくと、説明するのに必要となる資料を、そばの机に設置したセンターの備品であるインク式の簡易プリンターで打ちだす。それは二枚の地図だった。
最初のは、チェルノブイリの原発事故の位置を中心に、汚染がひどかったウクライナとベラルーシとロシアの三か国の汚染地帯を、汚染度によって色分けした地図だ。
次のは、福島の原発事故で生じた汚染地区を、こちらも汚染度にあわせて色分けした地図だった。
チェルノブイリの地図には、換算値で520万テラベクレル、福島のほうには、換算値で63テラベクレル、と記載がされている。ちなみに、これは放射性ヨウ素の換算値である。(この換算値も資料によって異なっている。共通しているのは、福島の事故の放出量は、チェルノブイリの六分の一程度だ、という部分だ)
汚染地区の広さや汚染度を示した二枚の地図は、世間一般にでまわっているものだ。だれもが一度は目にしたことがあるし、だれでも容易に手に入るものだ。
白衣の職員は、二枚の地図をホワイトボードにならべて貼りつける。それから加部をふりかえると、まずは次のような質問する。
「原発事故の比較は、もう言いつくされた、と思っています。ですから、なるべく簡潔にいきましょう。汚染地区をわける汚染度の数値が福島のが低いので、比較資料としては正確じゃないんですが。それでも伝えるべきことは伝わると思うので、これを使います。
この二枚の地図を比較して、気付いたことはありませんか? 鋭い考察とか、驚くべき新事実とか、そういうのは抜きで、思い付いたままの感想でいいですから」
「え。いきなりそんなことをきかれても困りますよ。だって教えてもらうつもりで来たんですから。おれが答えることになるなんて思ってなかったし。心の準備ができてないっていうか……」
「そんなふうにかまえずに。思い付くままに。さあどうぞ」
加部は困っていたが、自治体職員にうながされるままに、しかたなく自分の考えを語り始める。
チェルノブイリは汚染された場所が広い範囲にいくつもわかれている。福島は一か所にかたまっている。チェルノブイリは汚染の特にひどい場所が、ウクライナとベラルーシにそれぞれある。なぜかそこが特にひどい汚染地帯になっている。チェルノブイリは右斜め上にむかって汚染場所が広がっているが、福島は左上にむけて汚染場所が広がっている。等々。
自分の感想を相槌を打ちつつきいていた職員が、問うような表情で自分を見ているのに気付いて、加部はあわててこう言い返す。
「その理由を問われても、おれには答えられませんからね? それがわからないから、ここに来たんじゃないですか!」
「それも、そうですね。では次の質問です。それぞれの事故で放出された放射性物質。つまりは原発事故の際にもっとも大量に放出される放射性セシウムは、放出後にどのようなふるまいをしたと思いますか? そしていまはどうなっている、と思いますか?」
「えーっ。そんな専門的なこと、おれがわかるわけないじゃないですか! それでも答えろと? わかりましたよ。
そうですね。放射性物質っていうくらいだから、なにかの物質が、たぶんすごく小さくて軽い物質が、原子炉の外にたくさん出たんですよ。チリみたいな軽くて小さいその物質が、そのとき吹いていた風の流れにのって移動したんじゃないでしょうか。そして風の流れによってたくさん集まって落ちた場所が、高濃度の汚染地帯になった。それほど落ちなかった場所が低濃度の汚染地帯になった」
「そうですよね。ふつうはそう考えますよね。それでは加部さん、中間貯蔵施設に行って視察をしたときに、放射性物質を。つまりは放射性セシウムを、その目で見ましたか?
きっと大量のフレコンバッグや、フレコンバッグにつめた土や、容器につめた焼却したあとの灰を見たはずです。でも放射性セシウムを目にすることはできましたか?」
職員の質問に、加部は腕組みをしてしばらく考えていたが、くびを横にふってみせる。
「いいえ。見ていません。放射性セシウムが付着している土や灰は見ましたが、言われてみればセシウムそのものは見ていない」
加部の答えをきいて、白衣の職員はうなずくと、加部に説明を始める。
見えないのは当然です。加部さんが放射性セシウムを見ることができないのは、放射性セシウムが核燃料ではなく、ガス状で放出されたからです。原子炉から放出された放射性セシウムは、私たちの眼でとらえられるサイズではなかった。だからどこに移動したのか、それがわからなかった。
ここで原子力発電について、簡単なおさらいをしましょう。原発の燃料に使うウラン鉱石ですが、これはなにか特別なものじゃありません。地面の下にふつうに埋まっているものです。埋まっている状態では、それほど強い放射線はだしていない。それでも埋まっている状態で放射線をだしているので、その放射線でほかのウランが反応して放射線をだして、またほかのウランが反応する、という連鎖反応をくりかえしています。(放射線といっしょに、崩壊熱をだしています)
世界には、このウラン鉱石がたくさん埋まっている場所があるので、それを掘りだして集めます。集めた鉱石をくだいて、酸で溶かして、化学処理して、精製していくと、黄色い粉末ができます。その黄色い粉末を外国の会社から買ってきます。
この黄色い粉末をまた化学処理したら、気化化合物にして、遠心分離機にかけて、濃縮します。こうやってつくったものを、瀬戸物のように焼き固めて、1センチくらいの小片にして、小片をいくつも金属の筒につめて、一本の棒にします。これが燃料棒です。
この燃料棒を70本から260本たばねて、核燃料集合体にします。これをタンクにならべて、タンクに水を張ると、地面の下で起きていたのと同じ連鎖的な核反応が始まります。
核反応とともに熱が発生して、水が発熱で水蒸気になります。この蒸気で羽根車をまわして、発電をする。これが原子力発電の仕組みです。そしてこの水を張ったタンクを、私たちは原子炉と呼んでいるわけです。
炉内の核燃料が核分裂反応を連鎖的に始めると、途中でとめられなくなります。そして反応の進行にあわせて、猛烈な放射線がでます。ですから放射線を弱めるために、(というよりも崩壊熱を下げるために)燃料集合体同士の距離をあけたり、制御棒をさしこんだりします。(制御棒は中性子を吸収して核反応を抑制します)
減速材である水を抜く方法もありますが、そうするとこんどは高熱で燃料棒が溶けたり、高熱で炉が壊れる可能性もあります。だから冷却のために水をかけ続けるのが安全策となるのです。
これが火力発電所になると、大量の石油や石炭を他所から運んできて、際限なく燃やして消費しないとならない。でも核燃料なら少しの量ですむ。ただしいったん炉内で核反応が始まると、高熱と強力な放射線を出し切るまで、それは続く。
発電に使う熱エネルギーを、少量の燃料で長期間にわたって得るためにつくった仕組みですが。コントロールに失敗すると、燃料がだす高熱で、燃料が外にでないようにした入れ物まで壊す事故が起きる。こういうわけなのです。
チェルノブイリの原発は、中性子の減速材に黒鉛を使う、黒鉛炉でした。大量の黒鉛を積んで、レンコンのように穴をあけて、そこに核燃料が入った筒を入れて、冷却水を通す。高熱で蒸気が発生するので、それで発電用のタービンをまわす。
でも黒鉛は燃えやすいし、格納容器がないので、火災事故や爆発事故が起きると、核燃料がむきだしになる。(福島の原発は、核燃料が入った圧力容器を格納容器におさめる軽水炉だった)
チェルノブイリの事故では、火災で黒鉛が核燃料とともに燃えて、高濃度の放射性物質がまじった煙が大量に発生した。さらに火災に続く爆発事故で建屋が壊れて、核燃料の一部が飛散をして、残った核燃料も外気にさらされた。チェルノブイリの事故で、現場の作業者が急性放射線障害で28名死亡したのはこのためです。(福島の事故では放射線障害による作業者の死亡は出ていない)事故が起きた原子炉を大量のコンクリートで大急ぎで石棺化したのも、むきだしになった核燃料を早急になにかで覆わないとならなかったからです。
事故現場となるウクライナの国境付近だけでなく、ベラルーシにもそれ以上の汚染地帯が生じたのは、火災と爆発事故でふっとんだ核燃料がベラルーシまで行ったからです。ふっとんだ核燃料が落ちた場所から新たな汚染地帯が始まるんですから、このせいで高濃度の汚染地帯がいくつもできることになった。事故現場からベラルーシの汚染地帯まで二百キロ以上も離れているんですから、ものすごい爆発だったわけです。
福島の事故の場合では、核燃料が入っている入れものを壊すわけにはいかなかったので、圧力を下げるために炉内の蒸気といっしょに放射性物質を建屋内に放出した。だから放射性物質は揮発したガス状になっていた。でも建屋の屋根が水蒸気爆発で無くなったので、ガス状になった放射性物質が外にでてしまった。
くりかえしになりますが。つまりは、チェルノブイリが核燃料そのものだったのにくらべると。福島はガス状になった放射性物質だったわけです。
そして、福島の事故では、外にでた放射性物質は、揮発してガス状になっていたので、風にのって遠くまで広範囲にひろがることもできた。でも幸運だったのは、この国が島国であったことです」
そこまで話してから白衣の職員はこんどは、先ほどの二枚の汚染地帯の地図を、同じ縮尺に直してから、原発事故の位置をあわせて二枚かさねて一枚にしたものを、プリンターで打ちだして、加部にみせる。
それでわかったのは、福島の汚染範囲は、チェルノブイリの汚染範囲とくらべて、ずいぶんと小さいことだった。
チェルノブイリの汚染の範囲は、とても大きい。列島を縦断したうえに、海である太平洋にまで、大きく範囲を拡大している。
「福島の事故で放出された放射性物質の量は、チェルノブイリの六分の一でした。とはいえそのかさねた地図でわかるのは、チェルノブイリよりもかなり小さい、ということです。単純計算で六分の一の汚染なら、もっと広範囲が汚染されていてもおかしくなかった。本当ならそうなっていた。
チェルノブイリの事故は大陸のまっただなかで起きました。だから放射性物質が、事故の位置を起点にして、大陸のどこかに必ず落ちた。でも福島の事故は、放射性物質のかなりの量が、太平洋がある海側に流れていった」
「ああ、そうか。なるほど、そうだよな」
職員の説明をきいて、加部は思わず掌で自分の膝をたたくと、大きくうなずいて納得をした。
中間貯蔵施設の視察で国道6号線を青子とともに移動していたときに思ったのは、放出された63万テラベクレルの放射性物質は、すべて陸地側へといったのだろうか、という疑問だった。
第一原発は海岸沿いに建設されていたわけだし、自分が読んだ資料のなかには、放出後の放射性物質が太平洋側に拡散した図面もふくまれていた。けっきょくはガス状になった放射性物質は、かなりの量が太平洋側に移動したのだ。
「情報が多すぎると、単純な事実がみえなくなります。福島はチェルノブイリよりも、汚染範囲が六分の一と小さいはずですが、実際の範囲はその計算よりもさらに小さくなっているんです。
なぜそうなったのか、といえば、ガス状になった放射性物質が海に移動したからです。ガス状だったので移動しやすかったんでしょう。どのくらいの量が海に行ったのでしょうか? 半分? 三分の一? それはわかりませんが、少なからぬ量であったのは、汚染図の範囲と、汚染度から、判断できます。
海が汚染される。海産物が汚染される。そう騒いでいる人もいますが、陸地側に行かなかったことを感謝しましょう。もしもそうなっていたら、列島を横むきに横断するかたちで、いまよりも汚染範囲が広がっていたんですからね。
じつはあのときに大勢の専門家が、海側に行った放射性物質の話をしていました。ところがなにごとも否定的にとらえる人が、63万テラベクレルの汚染だ、と主張するので、大多数の人は放射性物質がすべて陸地側にいった、と思い込んだ。そう錯覚してしまったんです。
続いて、地形の問題です。中間貯蔵施設の視察に行かれたそうですが、国道6号線を通って大熊町から双葉町に移動する際に、山がずっと左側に連なっていたのに気付いたはずです。あれは阿武隈山系の山です。
事故当時からいわれていた疑問に、なんで田村市や南相馬市じゃなくて浪江町や飯館村のような、海岸沿いではなくて山地のあいだにある集落がひどく汚染されたのか、どうしてそんな場所に汚染度が高いエリアができたのか、がありました。それに、なぜ汚染範囲が左上にむけて伸びるように広がったのか、という疑問もあります。
それは現地を訪れて、ここの地形がどうなっているのかをみればわかることです。福島の海岸沿いは、特に原発や中間貯蔵施設があるあたりは平地の面積がかぎられていて、内陸地側にはすぐに山脈が、海岸線に沿って壁のように続く地形となっています。
そしてこうした山脈の連なりは、さらにそのむこうにもう一連があります。浪江町や飯館村は、その山地のあいだにあるわけです。
ガス状の放射性物質はこの山脈の壁にはばまれてしまい、列島を横切るようには広がることができなかった。海から吹く風で山地に沿うように流されて、山地の途中に生じたすきまである、高瀬川や請戸川の谷から山地側へと吹き込まれて、山地のあいだの平地にある波江村、飯館村に行った。
この山地の壁がなかったら、汚染の範囲は列島の内陸部にむかって、もっと広く大きく範囲を拡大していたでしょう。
つまりは、こういうことです。チェルノブイリの場合には、大陸の内部部の平野が多い場所で事故が起きた。そのせいで大陸内部に汚染地帯が広がる結果となった。また爆発で遠くまで移動した核燃料のせいで、そこから新しい汚染地帯が始まることにもなった。
福島の場合は、列島の海岸で原発事故が起きた。だから放出されたガス状の放射性物質が海に移動した。また陸地側に行ったガス状の放射性物質も、海岸沿いの山脈にそって広がったが、山脈にはばまれて内陸には入ってこなかった。
チェルノブイリの事故と比較して、福島の事故で、小児がんや白血病といった重度の放射線障害の被災者がでなかったのは、こうした理由で汚染の範囲が小さくせまくおさえられたからです。
続いて、原発事故でもっとも大量に放出された放射性物質であるセシウム137。いまも問題の中心である放射性セシウムの放出後のふるまいですが……」
「その前に教えてもらいたいことがあります。放射性物質って、いや放射線ってなんなんですか? どうしておれたちは放射線を浴びると放射線障害になるんでしょうか? 自分では、ちゃんとわかっているつもりでいたんです。でもここ数日間で、いろいろとありすぎて。そのせいで、自分の知識を疑うようになってしまって」
加部は、ほとほとわからなくなった、という困惑した様子で職員にそう問いかける。
焼却灰がしまってある貯蔵庫に閉じ込められて、死ぬような恐怖を味わったこと。弾頭に注入された少量のポロニウムで、こちらは本当に死かけている広報担当者のこと。
いろいろな体験をしたせいで、かえってわからなくなった。そう訴える加部の様子を見て、職員は、始めようとした放出後の放射性セシウムの挙動について説明するのをやめて、加部の要求どおりに放射性物質について解説を始める。
放射性物質とは、簡単にいうなら、不安定な物質のことだ。この物質は放射性同位体とも呼ばれる。
放射性物質は、熱といっしょに、放射線をだす。自分を不安定にしている粒子や電磁波を放射線として出すことで、変化というか崩壊をしていき、やがて安定したべつの物質になる。放射線を出し続ける期間を、半減期という。半減期が終わると (エネルギーを放出するから)文字通り、半分の量になってしまう。
たとえば核燃料の材料となるウラン238は、書き連ねるのも面倒になるくらいに崩壊という変化をくりかえして、いろいろな放射性物質になったあとで、放射線をださない、鉛210という安定した物質になる。ちなみにウラン238の半減期は45億年間だ。
原子爆弾は、45億年間かけてウラン鉱石が少しずつ少しずつやっている放射線と熱をだす反応を。高濃度に圧縮したウランの化合物をつくることで一度にまとめて、短時間で連鎖的に起こすことで、大きな熱と強力な放射線を出すようにした仕組みだ。爆弾と言っているが、じつは火薬を使った化学反応じゃないのだ。(爆縮レンズは考えないとして)
そして原子炉とは、ウランの化合物の濃度を調整することで、発電に利用する熱と放射線を長期間にわたって出すようにしたものだ。(だから原子炉の事故で核爆発が起きることはない)
セシウム137は、ウラン235を使っているウラン化合物の核反応によって生成される。放射性セシウムは自然界においてもウラン鉱石のゆっくりとした核分裂反応によって生成されるが、その量はきわめて少ない。大量に生成されるようになったのは、核実験をやったり原子炉を動かすようになってからだ。
放射性物質は人工的につくりだすことができる。たいがいの人は、放射性物質が放射線をだす危険な物質だから、それを使っている原子炉なんて動かすな、と感情的になる。でもじつは、放射性物質は私たちの生活においていろいろな用途で便利に利用されている。
人工的につくられた放射性物質やその放射線は、産業や医療の分野で役立てられている。でもそういう説明を始めるとたいがいの人は、よくわからなくなって、ボンヤリした顔になる。
「たぶん、ですが。加部さんがききたい、知りたい、と願っていることは、こういうことじゃない、と思うんですよね。
じつは住民の皆さんからもよく同じ質問をされるんですが、いまの話をしても、ボンヤリした顔をされます。そういうやりとりをくりかえして気付きました。皆さんが知りたいのは、放射線がなぜ人体に悪影響をおよぼすのか。どうすればその影響を回避できるのか。
そこだけなんですよね。そこでいまは、その質問をしてきた人には、次の話をすることにしています」
放射性物質は放射線をだします。放射線は私たち人間だけでなく、動物や植物、生きているものすべてに害をあたえます。それは浴びる放射線の線量によって変わります。
六千ミリシーベルトから七千ミリシーベルトを。つまりは6から7シーベルトの放射線をいちどに浴びると、私たちは放射線障害で、ほぼ間違いなく死亡します。
三千ミリシーベルトから四千ミリシーベルト。つまりは3から4シーベルトの放射線をいちどになら、二人に一人が放射線障害で死亡します。生き残った一人も無事ではありません。血を吐いたり、髪の毛が抜けたり、血便がでたり、放射線障害の症状に苦しめられます。
おぼえておいてもらいたいのは、三千ミリシーベルト。つまりは3シーベルトの放射線をいちどに浴びるラインから、生命の危険が始まることです。それに二人に一人は死亡するが、一人は助かることです。助かるといっても、吐いたり熱がでたり下痢したりと苦しみますし、治ったあとも後遺症がでるんですけどね。
放射線で人が死ぬのは、放射線が私たちの身体を通過するときに、人体の細胞の核に入っているDNAの化合結合を切断するから。DNAを損傷するからです。それは知っていますよね。
7シーベルトの放射線をいちどに浴びると、放射線によって細胞核のDNAは修復が不可能になるまでズタズタにされてしまい、それが原因で細胞分裂ができなくなって、新しい細胞をつくれなくなります。
新しい細胞をつくれなくなる、ということは、白血球や血小板を始めとする骨髄の細胞による血液の生成や、臓器の新しい細胞もつくれなくなるわけです。だからそのせいで、細菌の感染による感染症や失血死、臓器不全などで死亡する。
ただこうした放射線の効果がわかったのは、ずっとあとになってからでした。放射線や放射性物質が発見された当時は、それが人体に有害だ、浴びる線量が一定量を越えると危険だ、とはみんな気付いていなかったんですよ。
放射線や放射性物質の歴史は、1895年に、ドイツのレントゲン博士がエックス線を発見したことから始まります。続いて1896年には、フランスのベクレル博士が、ウラン鉱が放射線をだすのを発見しました。
そして1898年に、有名な話ですがキューリー夫人が、ピッチブレンドというウラン鉱石から放射性物質を分離して、それぞれをポロニウムとラジウムと名づけました。そして発見した新物質が放射線をだす能力を、放射能と命名しました。
この当時、新聞や雑誌でこの発見が大々的にとりあげられて、放射性物質という新物質に世間の注目が集まりました。そして、この新物質はどんなことに使えるんだろうか、と試行錯誤が始まったんです。
きっと、むじゃきに面白がっていたんでしょうね。その証拠に、ラジウム温泉みたいにラジウムは医療用の放射線源になるんじゃないか、という考えから、ラジウムを使った健康商品がいろいろとつくられて、それがヨーロッパ中にでまわったからです。
ラジウムを容器の内貼りに使ったラジウム樽でつくった健康水。若返りの効果があるラジウム入りチョコレート。性力増強に効果があるラジウム入りの座薬。ラジウム入りの治療薬。そういった品々がドイツやチェコで販売されて人気商品になりました。
放射性物質に世間の注目が集まって、ものすごい人気だから、安易にそれに便乗した商品をつくって売りだしたわけです。当然ですが、ラジウムは放射性物質なので、それを飲んだり食べたりすれば、内部被ばくします。
科学者や医師が放射性物質の危険性に気付いて警告をしなかったのか、ときかれれば、彼らも気付いていませんでした。
当時は、学者たちが各々で実験に使う放射性物質を手に入れるために、ウラン鉱石なりを業者に頼んで買ってきてもらい。それを(実験室がなければウチで)自分の手でくだいて、薬品をくわえて溶かしたり分離させて、そうやって放射性物質をつくっていました。あたりまえですが、そんなことをすれば学者や研究者は被ばくします。
でも気分が悪くなったり、体調がおかしくなるのは、きっと働きすぎだろう、くらいにしか彼らは考えていませんでした。
なにしろ発見者のキューリー夫人が、分離したポロニウムをふだんから人にみせるために持ち歩いていたんですから、本当にぜんぜんわかっていなかったんですよ。夫人は晩年に再生不良性貧血を発症しますが、それは放射性物質を使った実験で被ばくしたのが原因だろう、といわれています。(でも夫人は晩年まで生きたし、娘ももうけている)
ここできっと不思議に思ったはずです。放射性物質の実験中に学者たちがバタバタと倒れたり病気になっていたら、原因は放射能だ、と気付くまで飛躍しないにしろ、ミイラの呪いみたいに、ラジウムの呪いだ、ポロニウムのたたりだ、と関係者たちも危機感を抱いたはずです。
ラジウム入り健康食品にしても、食べたり飲んだりした人たちが体調不良で訴えたり、死亡者が次々に出ていれば、いくらなんでも、なにかおかしい、もしかすると放射性物質って人体に有害なんじゃないか、と大勢の人たちが気付いて騒ぎだしたはずです。
でもそうはなりませんでした。たぶん健康被害とともに、病人も死人もでたんでしょうが、その数は少なくて、放射線と放射性物質の危険性とは結びつかなかったんです。
いったい、なぜでしょうか? それは放射性物質の放射線によって被ばくをして、細胞のDNAがダメージをうけても、当人が気付かないうちに肉体のほうが自力で放射線障害を治癒して、被ばくのダメージから回復していたからです。
このラジウム健康ブームはヨーロッパだけで終わらずに、アメリカでは1920年代に、ヨーロッパでやったのと同じことがくりかえされます。
私たちの細胞の細胞核内にあるDNAは、二重のらせん構造をしています。つまりは二本のまったく同じ塩基情報を持つポリヌクレチオドの鎖からなっています。
もしもなにかあってDNA鎖の一本が切断された場合には、残ったもう一本のDNA鎖をひな形にして、切れたほうのDNA鎖を酵素の働きでもとどおりにつないで直します。これを細胞のDNA修復といいます。
ただし切断されるのがDNA鎖の一本だけならいいんですが、二本ともいっしょに切断されてしまった場合には、うまく修復できなかったり、修復したつもりでも微妙な修正エラーが生じているかもしれないので、その細胞をアポトーシス、つまりはプログラム細胞死させます。そういう仕組みが私たちの細胞には施されています。
なぜなら、もしもDNA鎖に損傷をうけた細胞が生き残ると。その細胞が十年間も二十年間もかけて細胞分裂をくりかえすたびにエラーが蓄積されていって、いつかがん細胞に変異する可能性があるからです。
またDNA鎖の損傷をそのまま残しておくと。それが生殖細胞なら、後の世代に遺伝影響としてあらわれる危険性があるからです。
よくいわれる話ですが、私たちがふだん食べている食品中にも、私たちが気付いていないだけで、放射性物質がふくまれています。
白米、大根、ほうれん草、リンゴなどの食品中には、自然放射性核種であるカリウム40がふくまれています。カリウム40は私たちの体内に入ると蓄積されて、放射線をだして私たちを内部被ばくさせます。
世間ではよく、自然放射線核種と人工的につくられた放射線核種は違う、と主張する人がいますが、問題なのはそれがだしている放射線のほうなので、そういう区別には意味がありません。
成人の体内に蓄積されるカリウム40の量は140グラムで、その放射線強度は四千ベクレル。内部被ばくの年間線量は0.18ミリシーベルトになります。カリウム40は必須元素のひとつなので、内部被ばくがコワイからといってこれをとらないと、かえって病気になります。
つまり私たちは常日頃から、原発からでた放射性セシウムではないにしろ、ほかの放射性物質がだす放射線によって、低線量の被ばくをしているわけです。カリウム40をふくめた、食品中の放射性物質による内部被ばくの線量は、年間で約0.8ミリシーベルトになると計算されています。
さらに私たちは、宇宙からや地面からの、自然放射線と呼ばれる放射線を浴びて、ふだんから外部被ばくをしています。外部被ばくする自然放射線の線量は、平均で約0.7ミリシーベルトになります。
つまりですね。べつに原発事故があったこの福島県にまで来なくても、この国で暮らしていれば、内部被ばく、外部被ばくの合計で、年間で約1.5ミリシーベルトの被ばくをすることになるんですよ。
ではなぜ、私たちは放射線障害にならないのでしょうか? それは私たちの肉体には、放射線の攻撃をうけた際にはたらく、自衛機能がそなわっているからです。それが最初に出てきた、細胞のDNA修復です。
私たちの細胞の細胞核にはDNAが入っています。DNAは私たちの肉体の設計図です。
私たちの肉体を構成している37兆個からあるたくさんの細胞が、私たちが、そうしろ、と命令したわけでもないのに、組織や器官をつくったり、酸素や栄養の循環などの生命活動を行ったり、分裂して入れかわって新陳代謝ができるのは、このDNAの設計図にそって37兆個の細胞が、各々ちゃんとそれぞれの活動をやっているからです。
私たちがケガして体に切り傷をつくれば、傷口のまわりの細胞がほかの細胞に信号を送って、それができる細胞が分裂を始めて、必要な細胞を必要な数だけつくりだします。分裂して生みだされた好中球の細胞が感染症にならないように傷口を守るし、傷口のまわりの細胞が分裂して、新しい細胞を傷口に補充することで傷口はふさがるわけです。
カゼをひけば私たちが気付く前に体の細胞のほうが先に異常を察知して、体温をあげる活動を始めて、細胞分裂して免疫細胞をつくって体内に入ったウイルスを撃退して病気を治します。
私たちが成長したり老いるのも、DNAの設計図に基づいてつくられた各種の体細胞の活動がちゃんと円滑に行われているからです。でもその細胞の活動も、細胞核内のDNAという設計図がなければ実行できなくなります。
放射線障害のところで説明しましたが、放射線はこのDNAを切断します。
ポロニウムを内部被ばくして死亡するのは、ポロニウムがだす強力なアルファ線が、体内の細胞のDNAをバラバラにしてしまい、DNA修復ができなくなるので、(細胞の設計図が失われて)そのせいで新しい細胞がつくれなくなるからです。
組織や器官を活動させる必要な新しい細胞がつくれなくなってしまい、それで被ばく者は死亡するわけですね。
でも同じように自然放射線で被ばくしている私たちは、それが原因で死んだりしません。なぜなら弱い放射線の被ばくなら、DNA鎖を切られても、先ほど説明したようにDNA修復によって、DNAが自身でそれを直すからです。
二重らせん構造をしているDNAが、その片方が傷つけられたり切られても、残った一方が自身の設計図をもとにして、傷つけられたり切られたほうを直す。いや治すのです。
私たちはふだんまったく意識していませんが、体の細胞は放射線の攻撃でDNAを切られていて、その切られたDNAを治すことを、せっせとくりかえしているのです。
つまり人体には、長年のあいだにつちかわれた、放射線に対する防御の能力や、治癒の機能がそなわっているのです。こうやって話しているあいだにも私や加部さんの、いえすべての人の肉体の細胞内では、放射線による攻撃と、攻撃に対する修復が、くりかえされているんですよ。
ただし、この自然治癒にも限度があります。いちどに3シーベルト以上の放射線を浴びると治せなくなる。だから3シーベルト以上の放射線は回避しないとならない。
ここまでわかると、なんとなく次のように考えてみたくなります。
この地球上にいる生物種の多く。というかそのほとんどは、体を構成する細胞のDNAが二重らせん構造になっています。人間だけではありません。それ以外の動物や、植物や、とにかく種の区別なく、みんな等しくDNAの二本の塩基がからみあう、そういう仕組みをそなえている。
自然放射線にもいろいろとありますが、そのなかでいちばん、私たち生物に影響をあたえたのは、空から降り注ぐ宇宙線でした。それと紫外線です。
45億年前に地球に海ができて、40億年前に海中に最初の生命が誕生した。でも40億年前の生き物たちは海の深いところで。海の底で暮らすしかなかった。なぜなら海の上のほうへとあがっていくと、宇宙から降り注ぐ放射線を浴びて死んでしまうからです。
だがやがて地球環境がゆっくりと変化していき、30億年前くらいにヴァンアレン帯が出現したことで宇宙線がガードされて届かなくなり、10億年前をすぎたころからオゾン層が出現したことで紫外線もガードされて、宇宙からの強力な放射線は降り注がなくなった。
そこで生き物たちは、深い海の底から、浅い海へと生活環境を広げていった。やがては陸上にもあがって、そのうちの一種類が私たちになった。
でも想像してみてください。ヴァンアレン帯やオゾン層ができる前の生き物は、海上にあがろうとするたびに放射線にやられて死ぬことをくりかえしていたんですよ。だからなんとかして、空から降ってくる放射線に対して生き残る方法をさがしていたんじゃないでしょうか。
それこそ、40億年前から数かぎりないチャレンジをくりかえして、強敵である放射線を相手に生き残る方法を会得した生き物が、生き残って増えていったんじゃないでしょうか。
その生き残る方法が、DNAを二重らせん構造にする、だったんじゃないかと思うんです。
私たちだけじゃありません。この地球上にいるほかの多くの生き物が、姿かたちも生態も種も違うのに、細胞核内のDNAが二重らせん構造をしているのは、放射線に耐えて地球の環境で生きるためにそうなった生き物をおおもとにしているからではないか。
今回の原発事故を経験して、住民のみなさんの健康管理の一環として、飲食物にふくまれる放射性セシウムの数値を調べたり、軽度の放射線障害から自力で回復するみなさんの姿を見るうちに、勝手な想像ですが、私はそう思い至ったわけです。
6
自分が、常識だ、と思っていたことが変わるくらいの強い衝撃をうけると、ヒトというのは呼びかけても相槌を打つくらいの反応しかしない、夢遊病者のようになることがある。
加部と青子は、無理を言って対応してもらった自治体の職員に礼を述べると、地域振興センターを出て駐車場にむかう。
センターの建物を出ると、建物の前にはセンターを訪れた近隣の住民たちが集まっていて、ちょうど世間話に興じていた。
住民たちはネギだの白菜だのと、自裁した野菜を検査してもらうために持ってきたのに、ここまで来た要件も忘れて世間話のほうに熱中していたらしい。
話に興じているジイサン、バアサンのなかには、よく見れば先日に加部がここで会った老人の姿もある。汚れた作業着に手ぬぐいという姿をした老人は、加部に気づくと、持っていたビニール袋をさしだして呼びかける。
「オヤ、そこにいるのは、この前の人じゃないか。ちょうど、ウチでとれた新鮮な野菜があるんだ。どうだね、今日は持っていくかね?」
どうせ受けとらないだろう、と考えて、加部をからかうつもりでそんな真似をした老人だったが、ショックを受けた様子の加部が、うわの空で礼を言ってさしだされたビニール袋をうけとると、フラフラと立ち去るのを、驚いた顔で見送る。
駐車場に停めてある、ここまで乗ってきた大型車両の後部座席に、加部はドアをあけて腰を下ろす。
たったいまきいたばかりの話が、ぐるぐると加部の頭の中でめぐっている。知ったばかりのその事実は、あまりにも衝撃的すぎて、そのせいで加部はショックから脱せずにボンヤリしていた。
加部がボンヤリとうわの空でいるのにかまわず、運転席にすわった青子は車のエンジンを始動させると、カーラジオのチャンネルをあわせる。
ちょうど、ニュース番組をやっていた。番組のアナウンサーは、警察と海上保安庁とが協力して逮捕しようと追いかけている、海上を逃走中にある不審船について語っている。
ニュースをきいてわかったが、海上保安庁と警察は、密輸組織の密輸船を逮捕する、そういう名目で不審船の追跡を行っている、ということだった。
ラジオ番組のアナウンサーは、この事件を面白がっているのだろう。こうなるとなんだか密輸団を応援したくなりますね、と呑気なことを言っている。
ニュースをきいていた青子は、憂鬱そうに自分の考えをくちにする。
「このまま、つかまえられたらいいんだけど、逃げられたらやっかいだな。そんなことになったら、どこか無人の海岸で焼却灰を降ろすかもしれない。この国は列島全体が海岸線なんだ。海岸線すべてを監視するなんて、絶対に無理だよな……」
だがそれに対する加部の意見というか反応は、青子とは真逆だった。
「え? そこまで深刻な事態かなぁ? なんとかなるんじゃないか? きっと大丈夫だよ。うん」
心ここにあらず、といった態度で加部がそうかえすのをきいて、青子はさすがに怪訝そうな顔で、後部座席をふりかえって、加部の様子をたしかめる。
視察がうまくいかないプレッシャーのせいでついに精神がまいってしまったのか。そう考えた青子だったが、そうではなかった。
加部だが、ビニールの袋の中身をガサガサとたしかめて、それがキュウリやトマトなのを知る。
青子が見ていると加部は、まずキュウリを袋からとりだして、そのまま丸かじりで食べ始めた。バリバリ、ボリボリ、噛み砕いて、咀嚼すると、何日ぶりかでまともなものを食べたからだろう、よく味わってからゴクリと飲み込み、「ウマイ」としみじみとつぶやく。
続いて袋からトマトをとりだした加部は、トマトもそのまま丸かじりで、ガブリ、シャクシャク、と食べ始める。
青子はあきれた様子で加部の放埓な食べっぷりを見物していたが、どこか安心した様子で、前をむくとハンドルを握り車を発進させる。
宿泊しているホテルにもどった加部は、定時報告用の携帯電話を使い、片切ヒロにいつもの報告を行った。
報告後に、それでテロ事件のほうはどうなっている、と加部がたずねると、ヒロがかえした第一声は「まだつかまえてないよ」だった。電話回線のむこうで、ヒロはさらにこう続ける。
「現在のところは、警察ががんばって、関東圏を中心に東日本側の海岸に必用な人員を配置して、不審船の接岸を監視している。それに海上保安庁の船舶や航空機が、該当範囲のパトロールを続けている。だから青子さんが心配したように、不審船がどこか人里離れた海岸にあらわれて、焼却灰をこっそりとおろして、それが大都市に持ちこまれてテロ発生、なんてことにはならないよ。
ただ、いつまでも中間貯蔵施設で発生した騒動については伏せられないから、そちらについては公表する。ただし、公表できる範囲を、だけどね」
片切ヒロの説明を黙ってきいていた加部は、そばにおいた大きな紙箱から、ついさっきまで食べていたジャーキーの新しいのをひとつとって、あらためてヒロにこう問いかける。
「今回の事件について、教えてもらいたいことがあるんだ。いまさらこんなことを指摘するのもなんだが、青子が働いている中間貯蔵施設の建設現場に、おれがこうして視察にきたのは、もしかすると偶然じゃなかったんじゃないか?
ヒロがおれをここに送ったのは、中間貯蔵施設でひそかに画策されていたテロ事件を阻止するのが、本当の目的だったんじゃないか?」
感情的にならないように自分をおさえて、冷静な態度と口調でそうきいてくる加部に対して、ヒロは少し考えたのちに、こうかえす。
「いいや、違うよ。だって、阻止できてないじゃないか。そりゃまあ、なにかあったときの保険くらいには考えていたけどね。加部の視察の目的は、つまり最初に私が言った通りだったってことさ」
「おいおい、まさか。そんなひどい説明でおれに納得しろっていうのかよ? 事前に説明をしてもらっていれば、ここまでヒドイ展開にはならなかったはずだぜ?」
加部のさすがに腹立たしそうな、怒りをこらえたセリフをきいて、青子はフォローのつもりなのか、こんなことを言い出す。
「だってテストなんだから、それくらいは覚悟をしてもらわないと。ってさっきから、ヒトが話してるあいだずっと、電話口のむこうでなにを食っているんだよ、お前は」
ヒロが、いまこの場で思い付いてデッチあげたような説明を得意そうに語るのをきくあいだ、加部は、ふざけんな、と怒り爆発させるわけにもいかず、せめてものイヤがらせで買ってきたジャーキーを、つまりは牛肉を使った干し肉を、もくもくと噛み続けていた。
ちなみにジャーキーとは、肉を燻製液につけて、オーブンなどを使い乾燥させてつくる、保存食料のことだ。特にどの肉を使った、と断りがない場合には、牛肉を使ったビーフジャーキーをさす。加部が箱買いしたのも、福島県産の牛肉でつくった特産品だった。
干し肉を噛みつつ、加部はヒロにむかって言い放つ。
「つまりだ。おれのこの六日間の苦労は、まったくの徒労だった、ってわけか?」
「そんなことにはならないよ。無駄にはならない。加部には毎日、視察の報告をしてもらったじゃないか。加部の行動の記録は、原子力災害対策本部で使う配布資料として、有効に利用されることになっている。まだ決まっていないが、きっと『放射性廃棄物がもたらす社会不安と、解消のために必要となる課題』とか、そんな面白味もないタイトルになるんじゃないか。
加部の行動は、どうしたら放射能汚染や放射性廃棄物に対する恐怖を克服できるのか。どうやったら脱することがでるのか。それを検討するための参考例にさせてもらう。」
「……勝手なことをいっているが、今回のおれの経験が、ほかにいかせるとは思えないけどな……」
「だから、そんなことはないって。加部でさえ、放射性物質、放射能、放射性廃棄物に対する恐怖を克服できるんだ。それならほかの連中に、できないはずがない。テロってのは、大衆を恐怖させて社会を機能させなくして、犯人たちの要求を通させるのが目的なんだ。盗まれた焼却灰をまかれても、大衆がそれに恐怖を感じなければ。つまりは大衆を動かせなければ、テロは失敗する。
加部だって、焼却灰を悪用したテロが起きる、ってきいても、いままでのように恐怖心にかられたり、パニックになったりはしないだろ?」
ヒロからそう指摘されて、加部は干し肉を噛みながら、しばらく考えてから、その通りだ、としぶしぶと認める。
「うん、たしかに、言う通りだな。そういうことか。ということはだ。今回の視察は、おれの仕事は、無事に終わったわけか?」
「ああ、もう帰ってきていいよ。視察に関しては、これで終了、完了だ。適性をみる再試験も、ぎりぎり合格としよう。でも帰る前に、もうひとつ、かたづけてもらいたい仕事が残っている」
出張六日目、最終日の朝になる。
加部は、手持ちのカバンに身のまわりの品々をつめて、着替えると、ホテルのチェックアウトをすませる。それから一階のロビーで、カバンをそばにおいて、青子がむかえにくるのを待つ。
きた。駐車場に車両を入れて、ホテル内に足を踏み入れた青子は、帰り支度を終えて一階のロビーにいる加部の姿に気付くと、驚いた顔をしてから、あわててそばに近づいて彼をなぐさめだす。
「ああっ、そうかっ。加部っ。ついにくびになったんだな? 解雇だ。免職だ。どこにでも好きなところに行け、って上司から言い渡されたんだな? ツライだろうけど、気を落とすなよ? 加部には、もともとむいていない仕事だったんだよ。
そうだ。加部にその気があれば、あたしから現場監督に話をして、中間貯蔵施設の現場で働けるように取り計らってやるよ。どうだい?」
「おれがここにきて以来、青子からきいたうちで、いちばん愛情がこもっている優しいセリフだな。最初っからそういう態度で接してくれたら、もう少しおたがいに相手を知ることができたし、今回の事件もふせげたかも知れないのに」
「なんだよ。そりゃ、どういうことだよ?」
「とりあえず、まずは駅まで送ってくれよ。途中で話すからさ」
二人を乗せた車両は、国道6号線に入ると、途中で道を右に曲がって、中間貯蔵施設の敷地内にむかう。
車両は、最初に加部と青子が出会った、工事現場にやってくる。
この六日間で、現場の作業はめざましく進展していた。整地した敷地内では、きっと管理棟になるのだろう、建物の基礎づくりが始まっている。ちょうど休憩中らしく、作業者の姿はない。
加部と青子は車から降りると、現場の様子を二人でならんで見物する。
中間貯蔵施設の建設現場の敷地と、そのむこうに見える第一原発の施設と敷地と、さらにそのむこうに広がる青い海という光景を、青子と加部はながめる。
青子はその景色を見ながら、加部にむかって呼びかける。
「加部にとっては、この景色も、これで見納めだな」
だが加部は、「ところが、そうでもないんだよ」とかえす。
不思議そうな顔をする青子に、加部は昨晩にヒロに指示されて以来、どう話したらいいのか悩み続けていた話題を、決意して語りだす。
「犯人グループを追跡しているときに、なぜ青子が追うのをやめて、途中で貯蔵施設の大穴を調べたりしたのか。いやそもそも、どうしてすぐに管理棟に連絡を入れないのか、理由がわからなかった。
青子なりの考えがあるんだろう、とそのときは納得したけどさ。でも本当は、焼却灰を盗んだ連中を逃がすためだったんだろう? 盗んだ連中が、焼却灰を船に積み込んで、船で海に逃げる時間をかせいでいたんだろう? でもどうして、そんなことをしたんだ? 知り合いである広報担当者が逮捕させないためか? それともなにか別のワケがあったのか?」
加部はよけいなことを言って、青子を逆上させないようにと、おさえた口調で、言葉を選んで、青子にそうたずねる。
だがあいにくと加部の期待通りにはならなかった。
青子は怒りをあらわにして、加部につめよると、加部を乗ってきた車両のフロントバンパーに追いつめてから、加部に押し殺した声でいいきかせる。
「あたしが犯人たちに協力したって証拠があんのかよ? 証拠が無けりゃぁ、あたしが犯人を逃がしたなんて、ただのデッチあげにしかならないよな? だいたいなんで、あたしがそんなことをしなきゃならないんだよっ! 筋が通ってねぇうえに、理屈としておかしいじゃねぇかっ!」
放っておけば青子は、情報公開センターのときのように、力づくで加部の考えを変えさせたろう。
だが加部は、自分の胸もとをつかんで殴りかかろうとする青子に、勇気をふるってこういいきかせる。
「青子はきっと、表面的にはテロをくいとめようとしていたんだ。でも内心では、犯人たちが逃げてほしい。犯人たちがテロを起こしてくれたらいい。そんな気持ちで行動していたんだ、と思う。
テロが実行されれば、ここ以外にも放射性物質で汚染された土地や建物が増えるからね。そうなれば、みんなが自分たちと同じ苦しみを味わう立場になるわけだ。
みんなも自分と同じように、放射能で苦しめばいい。ささやかな復讐だけど、これから三十年間も四十年間も、放射能と戦わなきゃならない、やりきれない気持ちを、それでまぎらわせることができる。だからそうしたんじゃないかい?」
「そんなこと、あたしは考えてない。あたしはあいつらとめようとしたんだ。でも、うまくいかなくてさ。だから、それで……」
今度こそ、かためた拳が顔面にとんでくるのを加部は覚悟して、まぶたをかたく閉じたが、そうはならなかった。
まぶたをあけた加部は、さっきとはうってかわって、ぼうぜんとした表情の青子を見ることになる。
青子は加部に、自分でも気付いていなかった本心に気付かされて。あるいは隠していた真実を言い当てられて。それでショックを受けているのだ、とわかった。
青子のうちひしがれた姿を見て、加部は青子が、泣いて涙を流して、隠してきた本心をあらわにするだろう、と思った。
だが青子はそうしなかった。ややあって、青子は加部にたずねる。
「そうだな。お前が言う通りだ。それで、どうする? 加部はこれから、あたしを警察に連れて行くのか? それとも、自首するように説得するのか?」
「いいや、そのどちらもしない。青子には今後も、被災地にとどまって、いまの仕事を続けてもらいたい。そうしないと、おれが困る」
「?」
怪訝そうな顔で自分を見る青子に、加部はその理由を告げる。
報告のあとで、加部がヒロに注意されたのは、原発事故の被災地の住民たちの精神的なケアをどうするべきか、という問題だった。
原発事故の被災地で、強いストレスにさらされて暮らす住人のなかには、どうにもならない現状を変えようと行動する者もあらわれるはずだ。その行動が極端な場合には、それがテロにつながる可能性もある。ではそれを回避するには、どうしたらいいのか?
なにを言っているんだ、と要領を得ない顔でいる青子にむかって、加部は次のように話してきかせる。
じつはいま原発施設で、プールからの燃料棒の取り出しがすすめられている。1号炉、2号炉、3号炉の燃料プールに沈んでいる燃料棒、1573本の取り出しと移し変えだ。
おれの上司の話だと、三つの炉のプールから燃料棒をぜんぶ取り出すのに、それ相応の期間がかかるらしい。そして1573本の燃料棒の取り出しさえ終われば、次はいよいよ、原子炉の中にある、核燃料の取り出しにとりかかることになる。
とりださなきゃならないのは、メルトダウンして原子炉格納容器の底に溶け落ちた核燃料だ。つまりは核燃料とコンクリートと金属とが溶けてまじってかたまってできた、大量の燃料デブリだ。大量の燃料デブリも、その頃になら冷えてかたまって、炉から取り出しやすくなっている。
でも間違いなく、取り出しを始めれば、また原発反対派やマスコミ関係の連中が騒ぎだす。我々国民の生命を危険にさらすな。必ず失敗する。やめろ。かわりに石棺化しろ、と主張して、取り出し作業を中止、妨害しようとする。だから取り出し作業を円滑にすすめる、そをする役目が必要になる。
だからおれは、その頃にまた福島に出向いて、いろいろなゴタゴタを解決するのに奔走しろ。そう命令されたんだよ。
「そしておれがまたここにやってきたときに、青子に協力してもらいたいんだ。また運転手役とサポートをやってもらうんだろうけどな」
自分にそんな頼みごとをする加部に、青子は驚いて、あっけにとられた顔になる。
「……」
そんなにうまくいくわけがないだろう! 利権だとか、技術的問題だとか。責任者同士の管轄争いだとか。ともかくなんでもいいから、よからぬことが起きるに決まっている!
加部が言う未来を、否定しようとした青子は、自分がなんのために努力しているのかを思い出して、否定しようとした自分の滑稽さに気付いて、苦笑する。
青子はため息をつくと、しかたない、といった態度で、加部の依頼を承諾する。
「いいよ。わかった。そのときは、また手伝ってやるよ。どうせ加部一人じゃ、荷が重すぎるだろうしな。約束だ」
青子がはじめて、重荷を降ろした、そんな顔をするのを見て、加部は安堵する。
それから加部は青子に、それじゃ駅まで送ってくれないか、と頼む。
福島第一原発の1号機から3号機までの、それぞれの原子炉の燃料プールからの燃料棒の取り出しは、次のような予定になっている。
最初は、3号機の燃料プールからの燃料棒の取り出しになる。
そのために、3号機がある建屋の除染を実行中だ。だが建屋5階の放射線量が下がらないので、準備の段階でてこずっている。
その次は、1号機の燃料プールからの燃料棒の取り出しになる。
最後は、2号機の燃料プールからの燃料棒の取り出しだ。
2号機の建屋は、1号機、3号機とは違い、屋根が残っている。つまりは建屋内に汚染蒸気が充満しているので、放射線の線量はこのなかでもっとも高い。
燃料棒が入っている燃料プールからの取り出しは、2号機がいちばんやっかいだ。そのためにプールからの取り出しの順番は、3号機、1号機、2号機の順番になる。
ここまで終わればいよいよ、燃料デブリの取り出しが始まる。