最強竜、病弱になる
黒竜はアリシアを洞窟住居の中の宝物庫に案内した。
宝物庫にはまばゆいばかりの黄金や宝石、宝剣などが収められていた。
「えーっとね、コレコレ」
黒竜はたくさんの宝物の中から二つの対となる銀色の指輪を持ってきた。指輪の中央には紫色の輝石が埋まっている。
「これはね、属性交換の指輪。つけた者同士の属性を交換することができるんだ。君と僕がつければ君の病弱属性と僕の最強属性が交換できるってわけさ。君の病弱はステータス異常じゃなくて生まれつきのものだからね、これで君は元気に……竜並みに元気になれるよ」
黒竜はニヤリと笑う。
「黒竜様は……わたしを食べるんじゃないんですか?」
食べられるとばかりに思っていたアリシアは訳が分からず黒竜に尋ねる。
「食べる? 君を? 違うよ! もー! 前の子もそんなこと言ってたな……。僕は話し相手が欲しいだけ!」
黒竜はプンプン怒っている。
「君が元気になってくれないと話もできないからね」
黒竜は「どうぞ」と言って指輪を差し出した。
「でもそしたら黒竜様が……」
受け取っていいものか分からずアリシアはためらう。
「僕? 大丈夫だよ、竜はドラゴンスレイヤーでしか倒せないんだよ。病弱になったって死なない。さあ」
黒竜はこともなげに言ってアリシアの薬指に指輪をはめる。
そしてもう片方の指輪を自分の指にはめようとして、はめられる細い指がないことに気付いて「まあいいや」とつぶやいてから口に放り入れて飲みこんでしまった。
「!?」
その瞬間、アリシアは体がスッと軽くなるのを感じた。
体中にへばりついた厚くて重たい汚れが一気に洗い流されたような感覚。
こんなの生まれて一度も感じたことがなかった。今まではずっと体のどこかが重くて、痛くて、辛くて、苦しくて、うろんな気分だった。
それがどこにもなくなった。綺麗さっぱり消えてしまった。
アリシアは戸惑って、自分の体をパタパタと触る。
見た目は変わってはいない。なのに、生まれ変わったように気分が良かった。
目に見える世界も灰色の薄布が一枚取れたように明るく変わっていた。
アリシアはうれしくて軽くなった体でくるりとその場を回る。
白い花嫁衣装が花のようにふわりと広がった。
「黒竜様! 体が軽いです! 夢みたい!」
アリシアが笑顔で黒竜に言うと、黒竜はずーんと沈みこんでいた。
(体が重い……、つらい、苦しい、痛い、気持ち悪い……)
黒竜は今まで感じたことのない倦怠感に襲われていた。
(なにこれ……ずっとこの子、こんな苦しみの中生きてたの……?)
「黒竜様大丈夫ですか?」
アリシアに心配げに顔をのぞき込まれて黒竜は無理やり笑顔をつくってコクコクとうなずく。
「大丈夫……、ちょっとびっくりしただけで……。僕、竜だから全然平気だよ」
言いながらも体がガタガタ震えてきた。
「横になると楽になりますよ……?」
アリシアが背中をなでる。
じんわりと温かい手の感触に黒竜の目が潤んだ。
(なんだろう……この気持ち……)
苦しいことも初めてならそれを心配されることも初めてだった。
だから、今はどうしても誰かにそばにいてほしかった。
「うん……。部屋に戻ってちょっと寝るよ……」
黒竜はアリシアをひょいと横抱きにして肩を落としながら歩き出す。
「えっ? あのっ?」
「お嫁さん、看病して……」
声までぐったりとした黒竜の様子に、アリシアは慌てて「は……はい!」と答える。
そんなわけで、アリシアは竜の花嫁兼看病役となったのだった。
「すりおろしたリンゴ食べますか?」
寝床のかたわらに跪き、アリシアは心配げに尋ねる。
「うん……食べる。食べさせて」
黒竜が口を開けると、アリシアがりんごを匙で口に運んであげた。
黒竜はもぐもぐとそれを食べて、
「おいしい」
と微笑む。
「よかった。食べられるならすぐに治りますからね」
アリシアが黒竜の頭をなでる。
黒竜は目を細めてアリシアを見つめる。
看病されるなんて生まれて初めてだった。
竜は卵から生まれる。生まれた時に親はどこにもいなくて、一人ぼっちで生まれて一人ぼっちで生きていくのが宿命だ。
だから頭をなでられるなんてことだって初めてだった。
触れられたところがぽわぽわと温かい。
苦しいはずなのに嬉しくて、不思議な気持ちになる。
アリシアが食べ終わった食器を持って立ち上がろうとする。
黒竜はとっさに前足をアリシアへと伸ばした。
「黒竜様?」
アリシアが気づいて小首をかしげる。
「あ……」
(どうしよう……。つい止めようとしちゃった……)
自分でも何をしたいのか分からなくなって、黒竜は前足を引っ込めてもぞもぞする。
「あ……あのさ……僕の熱が下がったらさ、色んなところに行こう? 近くに温泉もあるんだよ。病弱になった僕を湯治に連れてってよ。体にいいものもいっぱい食べよう?」
苦し紛れについ色々言ってしまう。
アリシアは微笑んでうなずく。
「そうですね。わたし、そういうところ行ったことないからとっても楽しみです。さ、少し寝てください」
アリシアは黒竜の肩まで大きな毛布をかぶせ直す。
(また行っちゃう……。僕……また一人になっちゃう……)
黒竜は竜だ。それも雄の竜だ。
それにもう二百歳を超える大人だ。
だからこんな人間の女の子にこんなこと言うなんできっとすごくおかしい。
それでも、病気で弱っているという言い訳があるから、今なら言ってもいい気がした。
「ねえ、手を握って? 眠るまででいいからさ……」
「はい」
アリシアは黒竜の黒い鱗で覆われた前足を握る。
その温かさを感じながら、黒竜は目を閉じる。
うとうととまどろみながら黒竜は思う。
(ああ……、宝物庫に霊薬があったなあ……、魔法使いに押し付けられたヤツ……。あれを飲めば治るんだろうけど……でも、まあいいか……。もうちょっとだけ……お嫁さんに看病されてたい……)
最強の生物である竜。けれど、最強であるがゆえに逃れられないものがあった。
それは竜同士の争いだった。
好戦的な竜の中にあって平和主義の黒竜は誰が最強かなんてどうでもよかった。
でもそれを他の竜は許さなかった。
竜同士の争いで山はえぐれ、森が消え、町が燃える。
他の竜を滅ぼし、勝ち残った黒竜は居をこの山に構えて一匹だけで暮らした。
竜との関わりはもうこりごりだった。
それでもひとりぼっちは寂しかった。
だから、話し相手を求めた。それが『竜の花嫁』だった。なぜ女性限定になったのかは黒竜にはわからない。
今までの花嫁たちは話し相手を務めた後、他の町へと渡った。お礼にたっぷり宝物を渡して知り合いの魔法使いに後見を頼んだおかげで皆平和な生活を営んでいるそうだ。
(今度のお嫁さんはどうかな……。やっぱりそのうちいなくなっちゃうのかな……)
最強属性なんて黒竜にはいらないものだった。だからあげたって全然惜しくない。
それよりお嫁さんとの生活の方が価値がある。
――それが一瞬の夢だったとしても。
心地よい眠りの末に目を開ける。
黒竜の目の前にアリシアの顔があった。
アリシアは目を閉じ、すぅすぅと規則正しい寝息を立てている。
「アリシア……?」
前足に彼女の手の温かさを感じる。
ずっと手を握っていてくれたことに気付いて、黒竜の心臓が早鐘を打ちはじめた。
(え……? え……? 僕が言ったから……? でも、寝るまででいいって言ったのに……?)
寝ている彼女を起こしてはいけないと思って動くことができず、黒竜はじっとアリシアの顔を見つめる。
(まつ毛がキラキラしてる……。人間って綺麗だな……)
人間をこんなに近くで観察することなんてなかった。
いや、そんなの竜同士でだってなかった。一触即発が竜の世界だ。
今までのお嫁さんだって、こんな顔が触れそうなほど近くに来たことはなかった。
亜麻色の髪にそっと触れてみる。
「……ん……」
小さな声にびっくりして前足を引っ込めて、ドキドキしながら見つめるだけにする。
そのまま眠り続けていることを確認して、ホッと静かに息を吐いた。
(元気になった時、すごく喜んでかわいかったな……)
アリシアの笑顔を思い出して目を細める。
そうしてあげたのは自分だと思うと、自然と尻尾がヒョコヒョコ動いてしまう。
ハッとして尻尾を後ろ足で挟んで動かないように抑える。
(もうっ! 尻尾ってこれだから困る! アリシアを起こしちゃうじゃないか!)
尻尾は自分で動かすこともできるけれど、感情によって勝手に動いてしまうこともある。黒竜の場合、うれしいとすぐに尻尾が大きく動いてしまう癖があった。
アリシアの気持ちよさそうな寝顔を穏やかな気持ちで見つめる。
(起きたらまた笑ってくれるかな……)
彼女に目覚めてほしいような、ずっとこのままでいたいような不思議な気持ちだった。