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another

 鼻炎持ちも俺ぐらいのプロになると、春の杉が終わったと思ったら、椎が始まり、夏のブナと栗に、晩夏は稲と、冬は寒暖差アレルギーで年中鼻をズルズルさせることになるから、抗アレルギー薬は手放せなくなる。これで肝臓を悪くする可能性は無きにしもあらずだが、鼻炎のストレスで寿命を削るという話もまた否定できない。一つ俺でもわかるこの世の真理は、鼻炎持ちもそうじゃない奴もいつかは死ぬということだ。どちらにせよ死ぬのだから、日々の生活の質の向上のため、俺は喜んで薬漬けになろう。

 ちなみに今は栗花粉が熱い。今日は薬を飲んでいないから、さっきから鼻がフィーバーしている。栗きんとんがなかったとしたら、栗の木を絶滅させるところだった。だが当分の間は見逃してやろう。また一つの生物を救ってしまった。


 さて蒲郡が部室に来てから数週間経った。その間に、クラスマッチやら、中間考査やら、修学旅行やら、イベントは盛りだくさんで、俺たちも人並に忙しくしていたのだが、そんな俺達と一緒に時間を過ごして、蒲郡もすっかり放送部に馴染んでしまった。

 もちろん曰く付きの彼女が、波風一つ立てないなんてことがあるはずもなく、俺中心に、橘や安曇も交えて、彼女とよく話をして、彼女自身の問題(それは思っていた以上に深かったものだったが)も一定の解決を見て、それなりに先輩後輩として仲良くやっていた。

 それでも時たま蒲郡と橘は嫁と姑みたいな感じの衝突を繰り広げている。その内容は非常に不毛で非生産的だから、いい加減止めればいいのにといつも思うのだが、安曇曰くあれはあれで仲良くないとできないものであるという。

 それでも隣でワーワー言われるのは疲れるから、俺がいないときにやってくれと思うのだが、俺がいないときは二人とも静からしい。二人して俺の邪魔をしたいだけだと、それを聞いて分かった。

 

 今日ぐらいは大人しくしててくれないかなと、そんな気持ちで俺は部室に向かった。


 部室に入って、俺が席についたところで

「先輩、コーヒーと紅茶どっちがいいです?」

 と蒲郡が尋ねてきた。

「……じゃ、コーヒー」

 申し出を断るのも失礼だと思い、そう言ったのだが

「ちょっと待って頂戴。コーヒーなら私が淹れるわよ」

 とさっそく橘が口を挟んできた。


「いえいえ。橘先輩はそこで座っていて結構ですよ」

 蒲郡が笑顔でそう返す。

「いいのよ。だって私の方がいれるのうまいもの」

「あら、本当ですか。じゃあ勝負してみます? 私と橘先輩とでコーヒーを入れて美味しいと思う方を花丸先輩に選んでもらうんです」

「望むところだわ」

 ……この子達何してるんだろう。

 インスタントだから誰が入れても同じだと思うけどな、僕は。

 大体橘さんいつも「花丸くんのだから、用量は適当でいいわよね」と独り言を言っては、いつも俺のだけ注ぐお湯を目分量でやってなかったかなあ。気のせいだったのかなあ。


 そんな感じで、またアホなことを始めたなと、ぼーっと観察していたら、何やら橘がゴソゴソと、机の上に用具を出し始めた。出揃ったその道具を見て

「ちょっと、待って。何それ?」

「何って、コーヒーミルだけど。知らないの?」

「いやそれは見れば分かるけど、何でそんなもの出してるんですか?」 

「何でって、それはもちろん、生意気な小娘に格の違いを見せつけるためよ」

 蒲郡が横で、「私小娘じゃないですよ」と文句を垂れているが、この際気にしない。


「……さいですか。……ていうかそんなもんいつの間に持ち込んでたの?」

「去年から置いていたわよ。でも私も安曇さんも紅茶しか飲まないし、コーヒー飲むの花丸くんだけだからインスタントでいっか、と思ったから結局使っていなかったの」

「……」

 いや、まあいいんだけどね。


「でも豆がなきゃ意味ないだろ」

「大丈夫。学校の前の焙煎屋で買ってくるから」

「へえ」

 ……。

 橘はじっと俺の方を見てきた。


「ほら何してるの。早く行きなさい。お金はあげるから」

「あ、俺が買いに行くんだ」

「他に誰が行くの?」

 ……まあ、俺しかいないわな。


「……豆の種類とかは?」

 立ち上がったところでそう尋ねる。

「そうねえ、……グアテマラのSHBをペーパードリップで飲むって、焙煎士さんに言えばいいわ」

「へいへい」


  *


 言われたとおり、すぐそこのコーヒー屋で豆を買い、部室に持って帰った。驚いたことに、言われた豆は百グラムで千円を超えていて、橘美幸という少女の生活レベルが垣間見えた気がした。俺んちのは百グラム百円の豆だよ? 近所のメガドンキで買ったやつ。


 俺が持って帰るやいなや、橘はそれをミルでガリゴリと挽き始めて、ふわっとコーヒー豆の良い香りがしてくる気がしなくもない。鼻が詰まっていてわからない。


 お湯が沸き、橘と蒲郡がそれぞれ、コーヒーを用意してくれたのだが、蒲郡は圧倒的不利な状況に不服そうな顔をしている。


 俺はカップを受け取り、まずいつも飲んでいる蒲郡の方に口をつけた。

 うむ、いつもの味だ。

 次に橘の方に口をつける。

 …………。

 やっべ。どっちもおんなじ味だ☆ よしここは匂いで判断……。

 あ、栗花粉のせいで、鼻詰まってるんだった。詰んだわ。


 俺が絶望の淵に立ったところで

「どちらが美味しい? まあ、聞くまでもないことだけれど」

 と橘が尋ねてきた。


「そんなことないですよ! ね、先輩、私のほうが美味しいですよね!? 大事なのは値段じゃなくて、愛情ですよね?」

 

「……えっと、うんと。どっちも美味しいと思う。というか、違い分かんなかった」

 テヘペロ。


 俺がそう言えば、橘は頭を抱えるように

「どうしてなの? 鈍感、味音痴、変態」

 と俺を非難した。

「ちょっと待って、変態かどうかは関係ないでしょ」


 その隣で

「どうでもいいですけど、差額分私の勝ちということで」

 と蒲郡は勝ち誇っている。


「じゃあ、先輩、私が勝ったので飲み物おごってください」

「ねえ、なんで? あのコーヒーそもそも俺が持ってきたやつなんだけど」

「私、今日はアイスココアな気分です」

「話聞けや」


  *


 悲しいかな、このしたたかな後輩が俺の話を聞くはずもなく、結局俺は自分が持ってきたコーヒーのために、後輩に飲み物をおごることになってしまった。

 自動販売機のところに行くために、蒲郡と二人で並んで歩いてそこに向かった。俺は蒲郡のアイスココアを買ってやり、彼女が飲むのを隣で「なんですか? そんなに見ちゃって。もしかして私と間接キスしたいなあ、なんて考えてないですか?」「なわけないだろ。黙って飲め」とたわいないやり取りをしながら、眺めていた。

 そんなとき

「やあ」

 そこに不意に現れた山本が連れだっている俺達を見て声をかけてきた。


 蒲郡は目の前に現れた人物の顔を見て、さっと俺の後ろに隠れた。


「橘さんに、ここだって教えてもらったんだけど……あからさまに嫌われちゃってるなぁ」

 山本は困ったような顔をした。


 俺は彼女を諌めるように

「おい蒲郡。そんなことしたら、山本が泣いちゃうだろ」

 と言った。

 蒲郡は俺の後ろに隠れたまま。

「いいじゃないですか。だって山本先輩が先に私のことを捨てたんですよ? なんですか? 今さら昔の女のところに来て、撚りを戻そうっていう魂胆ですか?」

「昔の女って、お前そもそも誰とも付き合ってないだろが」


 山本は、ボリボリと頬を掻きながら

「えっと、まあ、蒲郡さんにも言いたいことはあると思うけど、君は一応執行部のメンバーだからね。もういい頃合いだし、折りを見て戻ってきなよ」

 山本が穏やかにそう話しかけているというのに

「一昨日来やがってください」

 と蒲郡はがんを飛ばしている。


 山本は勝機なしと悟ったのか、早々に

「花丸くん、あとは上手く説得して」

 と俺にパスしてきた。

「また俺に丸投げかよ」

「頼むよ。花丸くんが執行部を手伝ってくれたと聞いたら、萌菜先輩が喜ぶよ」

「それは仕方ないな☆」

 萌菜先輩の笑顔のためとあらば、断るわけには行かない。


「いや、先輩ちょろすぎませんか」

 隣で蒲郡が胡乱げな視線を向けてきているが、気にしない。気にしたら負け。


 山本はスタスタと来た方向を戻っていった。

 それを見やりながら、諭すように彼女に話しかける。

「ま、そもそもお前があいつにちょっかい掛けたのが悪いわけだしな。どうやらあいつの彼女ももう怒ってないみたいだし、そろそろ元いたところに帰ったらどうだ?」

 蒲郡は膨れっ面をした。

「……そんなに私といるの嫌でしたか?」

「……いや、嫌とかそういうわけじゃないけど」

 俺に説得できるのだろうかと、不安に感じたところで

「まあいいです。執行部に帰りますよ。でも約束は守ってくださいよ」

 存外に蒲郡は素直に戻る気になっているらしい。


「……まあ。約束はな」

 俺と彼女との間でした約束。俺が言い出しっぺである以上、それをなかったことにするわけには行かない。

 それにしても山本はどこまでわかっていたのだろうか。

 山本には明確な目的があって、俺たち放送部に彼女を連れてきたのだろうが、その問題の解決を悟り、こうして後始末しに来たのだろうか。

 彼女が何を思い、どう行動するか、それも彼にはお見通しなのだろうか。

 俺には人心を掌握する、この小悪魔な後輩が恐ろしく感じられたのだが、山本という男もなかなかの奸物らしい。執行部だけは敵に回してはいけないという噂も、そう考えるとかなり真実味がある。


 なにはともあれ蒲郡はそうして、執行部へと戻っていき、放送部は前の状態へと戻っていった。

 ……はずだったのだが。


 その後某日

「あ、先輩。遅いですよ!」


 俺が放課後になって部室を訪れたところ、橘と安曇に加えて、いなくなったはずの蒲郡が席に座り、咎めるような口調で俺を迎えた。

 俺は平静を装って

「……遅いですよって君は部員じゃないだろ」

 と返す。

「なんですか。女は飽きたらすぐにモノみたいにポイですか。ほんと最低ですね」

「おい」

 なんでお前は昔の女、みたいな面してんだよ。


「捨てられた原因を人に押し付けるのは良くないわ。だから相手にされないのよ。お茶の温度はぬるいし」

 そして橘よ。なんでお前は、面倒臭い姑みたいなこと言ってんだよ。大体俺は猫舌だからぬるめでいいし。


「相手にされないなんてことないですよ」

「だってあなた花丸くんとあなた、もはやなんの関係もないじゃない」

「ところがどっこい違うんですね。なにせ先輩は私のこと幸せにしてくれるって約束してくれたんですから。ね、先輩」

 蒲郡が笑顔で俺のことを見た。


「……ははは」

 言葉に詰まった俺は笑って誤魔化した。


 その隣で

「それはどういうことかしら。詳しく説明してもらえるかしら」

「私も気になる……かな」

 と橘さんと安曇さんが笑顔すぎて逆に怖いくらいですが、そんなことはどうでもよくなるぐらい今日の空はよく透き通った青空ですな。などと現実逃避をしても、彼女らが許してくれるはずもないので、弁明の文言を考えることとしよう。

 ちなみに言っておくが、俺は悪くない。

読んでいただきありがとうございました。


彼ら彼女らの物語にご興味を持っていただけた方は、ぜひ本編の方も覗いてやってください。

この短編のみでは分からないことも多いかと思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 後輩最強ですね [気になる点] 蒲郡さんに山本くんの弟か親戚を紹介し終えているのかと思いましたが、難しいですね [一言] なぜ入部しないのか? 乙女の心はわかりません
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