契約者の少女
学院のあるこの街は、それなりに地域開発が進んでいる場所だ。
大型ショッピングモールやボーリング場、映画館などの娯楽施設が完備されていたり、美術館や博物館などの文化施設までも用意されている。
アレンが戻ってきたのは、西部にある住宅街の一画だった。
緑あふれる公園を抜けると、小さなマンションが建っていた。
「――――――――」
カードキーを使ってエントランスの扉を開けると、そそくさとエレベーターまで歩いて行く。
六階建てのマンションだが、割と最近に建てられたらしく、内装も設備もそれなりだった。
本来は、もっと立派なタワーマンションをクリスが用意していたのだが、そこまでのものはいらないとアレンが断った結果、このマンションに住むことになった。
アレンとしてはアパートでも問題なかったのだが、セキュリティ面の問題からか、クリスが断固として反対したため、アレンが折れる結果となった。
エレベーターが最上階に着くと、目の前の部屋で立ち止まる。
エレベータを降りてすぐ見える部屋が、アレンが借りている部屋であった。
鍵を使って扉を開くと、誰もいない筈の室内の電気がついていた。
それを気にすることなく、アレンはリビングまで歩みを進める。
「……はあ、前も言ったが、食べたら流し台に持っていくくらいのことはしてくれ」
「……ごめんなさい」
部屋の奥からショートカットの少女が姿を現す。
おそらくは十六歳ほど。少女はどこか掴みどころのない雰囲気を漂わせていた。
「ああ、次からは気を付けてくれ」
しょんぼりと肩を落とす少女を見つめる。
外見はともかく、中身は十六歳にしては少し幼く感じる。
もっとも、そうした印象を受けるのも無理はない。
「それで、記憶は戻ったか?」
「ううん。……あの日からなにも変化ない」
「そうか」
そう。目の前の少女は記憶を失っているという。
本来はしかるところに預けるべきなのだろうが……。
「でも、権能はだいぶ安定した。これも、あの時アレンが助けてくれたから。ありがとう」
感謝の言葉に、アレンは気恥ずかしさを覚えて頬をかいた。
時間は少し遡って、一週間前。
記憶喪失の少女と遭遇したのは、つい先週のことだった。
***
――あれは、仕事を終え、帰宅途中のことだった。
仕事が少し長引き、気がつけば空は暗闇に染まっていた。
いつも通りの帰宅道。近道のために、大通りから人通りの少ない路地裏へ曲がった。
開発の進んだ土地とはいえ、路地裏を進めば街灯は次第に少なくなっていく。
だから、ソレにはすぐに気が付いた。
不意に、路地の一画から明かりが灯ったのだ。
それも、電気などではなく、炎によるものだった。
「ボヤか?」
誰かが面白半分で火を放ったのかと思った。
けれど、炎のもとに近づくにつれ、ひどく懐かしい感覚を覚えた。
慌てて駆け寄ると、少女の周りを炎が取り巻いていた。
「誰!?」
少女はアレンを見据えて呟いた。
少女はフォリアの学生服を着ていた。
「ああ……権能が暴走しているのか」
久しぶりにみた光景だったが、さして珍しいものでもなかった。
契約者になったばかりの時は、ちょっとした弾みで権能を制御できなくなってしまうことがある。
暴走には大小様々な形があるが、このタイプはしばらくすれば収まる類のものだ。
それでも、見つけてしまった以上は放置しておけないし、契約者本人に支障はなくても、周囲には被害がでる恐れもある。
面倒くさそうにため息一つ吐くと、アレンは少女に近づいていく。
「ダメ!この炎、私にも制御できないの。だから危ない――――」
少女が喋り終える前に、アレンは少女の腕を掴んだ。
それに反応して、炎がその激しさを増す。
「落ち着け。無理に制御しようとしても駄目だ。権能の制御にはイメージが大切だ。そうだな――炎が消える瞬間をイメージしろ」
「っ!!」
少女が目を瞑る。
周囲に浮いていた炎の球が、一斉にアレンへと襲い掛かる。
命中すればただではすむまい。テニスボールサイズの火球といえど、神の権能だ。
まともに直撃すれば、人間の肉体など簡単に焼き尽くすだろう。少なくとも、火傷程度で済む代物ではない。
火球がアレンの眼前に迫り――――すんでのところで、炎は何事もなかったかのように姿を消した。
「ふう――――なんとか間に合ったか」
気がつけば眼前の少女が目を開けていた。
炎が消えたのも、彼女が制御に成功したからだった。
仮に少女が権能の制御に失敗したとしても、この場を収める方法はいくつかあったのだが、これが一番平和的だったので、無事に成功してくれてなによりである。
周囲の炎が完全に消えたのを確認すると、アレンが口を開いた。
「身体に異常はあるか?」
「……え?」
問われた少女は、きょとんとしながらも、自分の身体をあちこち触れた。
「……特に何もない」
「ふむ。権能が暴走した時は、心身に多少の影響がでることが多いんだが……」
多くの場合は疲労感が出たり、場合によっては気絶したり、一時的に身体が麻痺したりすることもあるのだが、運がいいのか適応率が高いのか。
「まぁいい。それで、契約した神の名前は?」
アレンの言葉に少女は首を傾げる。
「意図的であれ無意識であれ、契約したのなら契約神の名前は分かる筈だ。それが分かれば、その扱い方も教えられる」
概念となっているとはいえ、その元となった『神』には様々な逸話がある。
人間好きな神であれば、そこまで気にしなくても然程問題はないし、その逆であれば扱いはデリケートになる。
アレンの意図をどこまで理解しているかは不明だが、少女は問われたことだけを答えた。
「プロ……メテウス?」
「プロメテウス……ギリシア神話の神様か」
神話において、主神ゼウスと対立してまで人類に火を与えた神の名である。
すんなりと暴走していた権能を抑えられたのも、そうした背景があったからというのも一つだろう。
「プロメテウスであれば、そこまで慎重にならなくても問題ないだろう。権能を使う際に、火を使うというイメージを忘れなければ問題ないはずだ」
「――――ありがとう」
少女はそうアレンに告げたのだった。