契約者育成機関
「ぁぁ――疲れた」
声にならない叫びをあげながら、アレンは職員室の机に突っ伏した。
体力的にはなんら問題はないのだが、精神的疲労が全身を支配していた。
幸いなことに、あの少女はあれ以上騒ぐこともなく、なんとか穏便にHRを終えることができた。
まぁ、HR中ずっとあの少女に睨まれ続けていたのだが。
ため息を一つ吐き、周囲を見渡す。
職員室には次の授業の準備に取り掛かる教員や、なにかの打ち合わせをしている職員たちが残っていた。
アレンは現在、他の職員に挨拶をし終え、教育係が来るのを待っている最中である。
授業を担当するのはもう少し先ということらしく、まずは校舎内の案内及び授業の進行についてを教えてもらうことになった。
もっとも、急に授業をやれといわれても困るので、指導してもらえるのはありがたかった。
「もうお疲れですか?アレン先生」
名前を呼ばれ、慌てて顔を上げる。
目の前には短く切りそろえられた茶色の髪をもった若い女性が立っていた。
クリスやあの少女のような人目を惹く美しさや、体躯をもっているわけではないが、朗らかに微笑む姿はそれだけで十分に魅力的だった。
「えっと……」
ヤバい。自己紹介はしてもらったのだが、名前が思い出せない。
「もしかして名前がわからないとか?まぁ、一度に職員全員を紹介されても覚えきれませんよね。
では改めて――――アレン先生の指導係を任命されました北条静璃です。何か分からないことがあればどんどん質問してくださいね」
もう一度ニコっと微笑む静璃。
どんな人物が指導係になるのかと少しばかり不安だったが、いい人そうでよかったと、アレンはほっと胸をなでおろす。
「アレン先生は名門の学院を飛び級で卒業していると伺っていますので、学問的な面では特に不安要素はありません。ただこの学院は普通のそれとは違ってもう一つ重要な側面を持っています」
「契約者の育成、ですね」
アレンの言葉に、静璃はよくできました、といわんばかりの笑顔を浮かべながら首を縦に振った。
「ご存知の通り、三年前突如として世界中に出現した契約神。彼らと契約することで神の力――――その一端を使用することができる稀有な存在……それが契約者です」
そう……文字通り神の如き力を人の身でありながら使用できる特殊な存在。
十代の若い世代のみが契約神と契約を行うことができ、その契約は短くて一年、長ければ十年程であると推測されている。
もちろん十代の少年少女全員が契約者になれるわけではないが、過去の事例を顧みて、契約者となり得る可能性のある若者を集めて教育を施す機関を設立した。
それが契約者育成機関。
そしてそのナンバー23に該当するのがフォリア契約者育成学院というわけである。
「生徒の中で最終的にどれだけの人数が契約に至れるかは不明だけど、将来的に契約者になる存在がいるなら、その力を正しく使える存在に育て上げる。
――それが私達に課せられた最重要任務というわけです。なので、契約者に覚醒しそうな生徒がいたら職員一同に報告するようにしてくださいね」
「…………わかりました」
強大な力を持つ者は、その力を誰かが管理する必要がある。
それが契約者育成機関を設立した統制局の考えだ。
もちろんそれに反逆した契約者も多数いた。誰かに管理されているのでは、それはもはや家畜同然のような扱いであると。
そうした対立から最後は『戦争』にまで発展したわけだが……結果は御覧の通り、統制局が勝ったというわけである。
「いい返事です。さて、今から校舎内の案内をするわけですが、最初に聞いておきたいこととかありますか?」
そう言われて、なにか聞くことはないか慌てて考える。
学校内のことは、まだ分からないことだらけで何をどう聞けばいいかも分からない有様だ。
視線を巡らせながら思考していると、ふと静璃の左目に言葉にできない違和感を感じた。
「北条先生のその左目って……」
アレンの言葉に静璃は一瞬肩を震わせると、ゆっくりと自分の左目に手を当てた。
「っ!すみません……聞いちゃ不味かったですかね?」
「いえ、むしろ感心してるんですよ。ここの生徒も職員も誰一人気付かなかったのに、こんな一瞬で見破るなんて驚きました。
コレは義眼なんです。昔病気で左目を失ったので、それ以降義眼をはめているんですよ」
義眼といわれてしっかりと観察してみるも、右目との違いはほとんどない。
アレンが違和感を感じたのは『戦争』で人間の肉体――その生死を何度も見た所為で、左目から生気を感じなかったからだ。
それでもほんの微かな違和感だけしか感じ取れないあたり、左目が義眼だと見抜くのは至難の業だろう。
「義眼には見えない……まるで本物のような……」
「そうですよね!とある職人さんに作ってもらったんですけど、これが本当に凄くて……今でも大切に扱っているんです。
だけど、他の人には内緒にしてくださいね?変に気を遣われても困ってしまいますから」
静璃は口元に指をあてて、困ったような笑顔を浮かべた。
その仕草が愛らしくて、アレンは少し頬を赤らめながら、静璃から視線を外した。
「っ――ええ、わかりました」
アレンの返事を聞くと、静璃は満足そうな笑みを浮かべて頷いた。
やっぱりこの人には、笑顔が似合う。
そんなことを考えていると、静璃はアレンの手を引いて歩き出した。
「では、早速校舎内を案内します。設備や施設が多いので、頑張って覚えてくださいね!」
静璃に手を引かれながら、アレンは校舎内を歩き回ったのだった。