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異形人外恋愛系

蛮族モンスターは疑心暗鬼な愛妻家



 今は昔、とあるファンタジー世界の寂れた田舎街道を、少女というには若干とうのたった、そこそこうら若き女薬師が歩いておりました。

 都会は貧乏人お断りかつ意識高い系のギルドに所属する薬師たちがほぼ需要を独占しているので、お金のない彼女は、彼らの息のかかっていない小さな村々を周っているのです。

 優秀な薬師であった祖母の知識を受け継いだ彼女は、旅の道中に採取作成した手製の薬を、主に日々の糧との物々交換で処方しています。

 一見清貧にも思える女薬師ですが、彼女には特にこれといった志などなく、また、己の職に対する誇りもなく、好きでやっているなどという事実もなく、ただ、それしか生きる方法を知らないので続けている、という現状でありました。


 別段、急ぐ理由もなければ、背に負う仕事道具も軽くはないので、彼女はゆっくりゆっくりと歩を進めていきます。

 しばらく無心で足を動かしていた女薬師ですが、ふと、街道の続く先にかなり深そうな森が形成されているのを見て取り、間もなく、彼女は迷いをもって立ち止まりました。

 通行人が少なく視界の利かない場所には、盗賊やモンスターといった危険な存在が蔓延っている可能性が高いのです。

 しかし、そろそろ商品の補充を考える時期でもあり、薬効のある植物等々を集めようと思えば、年季の入った森ほど効率の良い地もありません。

 行くべきか、避けるべきか、彼女は腕を組んで思考します。

 しばらくそのままじっとしていた女薬師でしたが、骨折り虚しく、これといった答えは出ませんでした。

 しかし、この場に留まり続けるというのもあまりに無益であるので、折衷案として、森の様子を観察しがてら、一先ず再び街道を進んでみることにしたのです。


 さて、そうして実際に森の傍近くまで辿り着いた彼女が、今度はどう結論を出したかと申しますと……木々の奥に垣間見えた希少な薬草を前に我を忘れ、無防備にも、ほの暗き地に喜び勇んで飛び()ってしまったのでした。




 そんな残念な女薬師ですが、警戒を怠ったツケはすぐに回ってきます。


「うわっ、何だこのドラゴニュートが間違ってゴリラに進化したような生物はっ。

 新人類ドラゴリラか」


 彼女は、厳つい強面モンスターに目を付けられ、連れさらわれてしまったのです。

 風のような早業で現れると同時に女を肩に担ぎ上げた仮称ドラゴリラは、長い腕と短い脚を駆使して、あっという間に自らの住処である洞窟へと人間を運び込んだのでした。

 いかにも寝床であろう動物の毛皮が敷き詰められたソコへと降ろされた女薬師は、放られて尻をついた体勢のまま、呆然とマッシヴなモンスターを見上げます。

 すると、縦長の虹彩を窄めながら彼女を観察するように眺めていた未知の生物が、鋭い牙の並ぶ口を大きく開き、細長い先割れの舌を器用に蠢かせ始めたではありませんか。

 このまま頭からバリバリ食われてしまうのかと、一瞬、覚悟を決めかけた女薬師でしたが、まぁ、実際のところ、そうはなりませんでした。


「くくく、突然のことに混乱しているようだな」

「あ、コイツしゃべるぞ」


 あまりにも安直な感想が女の喉から漏れ出します。

 しかし、混乱の影響と判断してか、ドラゴリラは特に反応をみせずに一方的な語りかけを続けました。


「我が縄張りに踏み入ったが運の尽きよ。

 貴様は、今日これより俺の花嫁となるのだ」


 モンスターの寝耳に水かつ高圧的な宣言に対し、人間の女は一度大きく瞼を瞬かせてから、ポンと右拳で左手のひらを叩きます。


「おお、略奪婚とは今どき古めかしい蛮族的風習だな」

「うるさいうるさいっ。

 こちとらモンスターに分類される生き物だぞ。

 行動が本能的で何が悪いっ」


 自らの言葉に反して理屈臭い個体のようです。


 よくある設定に準ずるように、この蛮族系モンスターは、なぜか雄ばかりが産まれてしまう運命(さだめ)にあるため、必然的に他種族の雌をさらって犯し、無理やり子を孕ませるという、凶悪な習性を有しています。

 この度、一人前の雄と認められ独り立ちを果たした当個体は、半年程の流離いの旅の末に自らの縄張りを得て、以後、年頃らしく花嫁を求めて日々森を落ち着かな気にウロついておりました。

 そこへ、ノコノコと姿を現したのが女薬師です。

 もちろん、千載一遇のチャンスを逃すドラゴリラではなく、一般的人間の域を出ぬ非力な彼女は、至極あっさり囚われの身となってしまったのでした。


 仁王立ちで威圧してくるモンスターを仰ぎ見ながら、女薬師は顎に指をかけ、淡々と心境を語ります。


「あー、まぁ、うん、モンスターといえど対話は可能なようだし、私も強引なのは嫌いじゃないし?

 とうに身寄りもなければ、特定の相手というのもいなかったから、ここらで落ち着くのも別に構わないかな」


 彼女の発言から直後、洞窟内に沈黙が落ちました。


「…………ん?」

「うん?」


 数秒後、思わずといった体で零れ出たモンスターの声に、女が首を傾げます。

 やがて、緩慢な動作で魚の背びれにも似た自らの耳をいじり始めたドラゴリラ。

 満足いくまで鱗指を動かした彼は、次いで、逞しくも毛深い両腕を地に着け、腰を曲げて、毛皮に座す人間にゴリラにしては長くドラゴンにしては短い鼻面を寄せてから、内緒話でもするように小さく囁きかけました。


「……貴様、今、何と言った?」

「え? あぁ、別に構わない、と言ったぞ。

 私をアンタの花嫁にするんだろう?」


 今度こそ間違えようのない、はっきりとした同意を確認して、牙の端から腑抜けた音が通り抜けます。


「えっ」

「なんだ?」


 蛮族モンスター相手に対する、過去例にない快い返答に、彼は困惑してしまったのです。

 こんな展開は、無理やりがデフォルトのドラゴリラの想定には、当然ながらありません。


「……もっと、こう、嫌がって泣き叫んだり、など、するものでは?」


 頭のどこかで、バカなことを聞いているなと思いつつも、彼はそう問いかけることを我慢できませんでした。

 一方、たどたどしく尋ねてくるモンスターの真意を理解し損ねた女薬師は、妙な自己解釈で、とことん見当違いのセリフを返してしまいます。


「あっ、もしかして、そういうシチュエーションでないと盛り上がれなかったりするタイプか?」

「おい、勝手に変な性癖持ちにするな。

 普通の反応はこうだろうという、いわば常識の話をしている」


 ゼロコンマのスピード回答。

 これにはドラゴリラも真顔でした。

 嫌われ上等の立場ではありますが、変態的嗜好の持ち主は同種の中でも極僅かです。


「略奪婚なんかしようって輩が、常識なんぞと語れた義理かね」

「そう責められると返す言葉がない」


 が、己らの鬼畜な習性を前に、蛮族モンスターはあっさりと敗北してしまいます。

 不躾な指摘に激昂もせず、認めて落ち込んでみせるあたり、中々理性派な雄なのでしょう。


「こんな野蛮な結婚形態なんだ、どうせ、女の役割なんか子作り一択で、他は何もしなくていいってパターンだろ。

 与えられる飯だけ食べて、二重の意味で寝るだけの生活?

 とても楽じゃないか、こんな素晴らしい相手もそういないぞ」

「打算が酷い」


 女薬師の口から唐突に告げられたあんまりな本音に、ドラゴリラの瞼も細まります。

 さて、その時です。


「っいや、待て。

 そうやって油断させておいて、隙を見て逃げようという魂胆じゃないのか?」


 ふと浮かんだ考えに、彼は急速に何もかもが腑に落ちたような感覚に陥りました。

 女が実際には嘘など吐いていないにも関わらず、自らが最も納得のいく回答を前に、それが真実であると強く思い込んでしまったのです。


「くそっ、俺は騙されないからなっ」


 牙を食いしばり、至近距離から悔し気に睨み付けてくるモンスターへ、意外と余裕な態度の女薬師が両肩を竦めて語りかけます。


「なかなか非モテ精神が極まっているな。

 まぁ、一緒に暮らしていれば、その内、二心はないと分かるだろう」

「むむむっ、必要な情報を集めきるまでは動かぬという長期的逃亡計画予告か?

 だが、やらせはせんぞ。

 どんなに嫌がろうと、貴様は俺の花嫁なのだからなっ」

「そういうセリフは、どうせなら、もっとプラスの意味で言って欲しいんだがねぇ」


 頑ななドラゴリラに、女は呆れの溜め息を堪えきれませんでした。



 と、まぁ、そんなこんなの微妙な流れではありますが、今日この時より、一人と一体のチグハグな結婚生活が始まったワケです。






「狩りに行ってくるぞ」


 疑心に塗れながらも、新婚らしく夜には励んで、終いに嫁の足腰を立たなくさせた夫は、森の木々が朝陽に煌めく中、未だ気だるげに寝そべっている女薬師へと、そう告げました。

 体はともかく意識のしっかりしている彼女は、力の入らない手を弱々しく振り、彼に応えます。


「あぁ、いってらっしゃい。

 怪我などないよう、くれぐれも気を付けて」

「ふんっ、白々しいセリフを吐きおってからに。

 どうせ、本音では逆のことを思っているのだろ」


 嫌なことを聞いたとばかりに身を翻し、ドラゴリラは乱暴に足音を響かせながら、その場から立ち去ろうとします。

 そんな彼の厳つい背に、女薬師は再度、朗らかな声を投げかけました。


「新鮮な肉など久しく口にしていないんだ、今から楽しみにしているよ」


 途端、モンスターは全身の動きをピタリと静止させます。

 そして、数秒後、彼は振り返らぬままに小さくこう返してきました。


「……わざとらしく煽ててみせたところで、幻惑魔牛ぐらいしか出ないぞ」

「貴族御用達の高級食材じゃないか」

「っ人間如き弱者の世の事情など俺の知ったことではない!」


 希少で美味しい肉を食べさせようとした事実が、即バレしてしまったドラゴリラです。

 それが恥ずかしかったのか、彼は無駄に怒鳴り散らしながら、洞窟の外へと荒々しく駆け消えていくのでした。

 そんな夫を微笑ましく見つめる新妻の眼差しには、もちろん気が付かないまま……。





 更に三日後、昼過ぎの狩りから帰宅した雄は、そこで衝撃的光景を目にします。

 彼の妻である人間の女が一人、洞窟の傍近くを……端的に言えば、外を出歩いていたのです。

 蛮族モンスターは、これ見よがしに彼女を指さし、大仰に騒ぎ立て始めました。


「あーっ、出たっ! 洞窟から出たなっ!

 ソラ見ろ、ホラ見ろ、逃げる気だろう!」


 鬼の首を取ったようなハシャギっぷりのドラゴリラに対し、半目になった女が冷静な声を投げかけます。


「あのねぇ、この腕に抱える洗濯籠が見えないかい?」

「っあ」


 教えられて初めて気が付いた事実に、迂闊な雄はたじろぎました。

 しかし、彼はすぐに首を激しく横に振って、己の妻へと詰め寄ります。


「そう言って誤魔化して、川を下って逃げようというんじゃないのか。

 そんな疲労した体でわざわざ働こうなど、いかにも怪しい」


 互いの額が密着しようかという近距離で、蛮族モンスターは女の真意を探るように、ジッと瞳を覗き込みました。

 対して、彼女は僅かにも取り乱すことなく、心に思ったままを舌に乗せます。


「連日、朝方まで飽きもせず人を(むさぼ)って疲れさせてる立場で、どの口が言うんだい」

「なっ、う、うるさい!」


 明け透けな妻の物言いに、ドラゴリラは慌てて背を仰け反らせました。

 それからすぐ、自らに湧く羞恥の感情を隠すように、彼は大声で女を威嚇し、強引に話を先に進めようとします。


「ええい、黙ってその籠をよこせ!

 本当に洗い物が目的だというのなら、俺がやっても何の問題もないはずだな!?」


 蛮族モンスターは、人間の細腕から、布が山と詰まった大きな木籠を素早く奪い取って、己の小脇に抱え込みました。

 すると、直後、女薬師は笑みを浮かべて、夫へこんな提案を差し向けます。


「あぁ、それなら一緒に行こうか。

 流石に下着ぐらいは自分で洗わせて欲しいからね。

 女物の扱いは繊細なんだ、その怪力でダメにされては敵わない」

「した!? 貴様っ、バカッ、そんな……!

 っく、勝手にするがいい!」


 略奪婚系蛮族モンスターの割に、いちいち新妻の開けっ広げな言動に振り回される、純情思春期ボーイ思考なドラゴリラでした。





 それから半月も経過する頃には、夜の運動会にも互いに少しずつ慣れてきて、女薬師も昼より前には普通に歩き回れる程度に復活するようになったのです。

 しかし、彼女が自由に動けるようになれば、それはそれでドラゴリラの不安な心が煽られます。


「そのデカい図体で木の一本如きに隠れられると、どうして思ったんだい」

「ぐぬっ、か、隠れてなどいないっ、たまたま通りがかったのだ」


 洞窟の外で商売道具を地面に広げ、確認作業に(いそ)しんでいる女薬師を、少し離れた位置の木の裏に張り付いて凝視していた蛮族モンスターですが、ゴツい体がそれはもうバレバレなレベルではみ出ていたのです。

 害はなかろうと、しばらく放置を決め込んでいた妻ですが、己の動きに合わせてやたらと彼が反応を見せるので、段々と鬱陶しくなって、ついに非情な現実を突き付けてしまったのでした。


「まぁ、どちらでも構わないがね」


 その上、更に苦しい言い訳を重ねる夫への呆れを、女は溜め息ひとつで受け流して、そんなに自分の動向が気になるならと、共にいられる状況を提供します。


「そうそう。暇なら、少し護衛役をやってくれないか。

 薬の材料になりそうな草花や木の実などを集めようと思うんだが、非力な女一人に森の中は危険が多くてね」


 頼まれごとをされるのは嫌いではなさそうだと、今日までの経験で理解しているので、彼女は蛮族モンスター相手にだって、容易く願いを口することが出来るのです。


「そうやって、徐々に安全な逃走ルートを割り出そうという気だな?

 良かろう。この俺の監視下にあって、やれると言うならやってみろ」

「あーはいはい、あーはいはい」


 女薬師はもちろん、断られる心配など微塵もしておりませんでしたが、まぁ、そんな彼女の予想通り、ドラゴリラは疑いの言葉で自己の心を弁護しつつも、乞われるままにホイホイと釣られてくれるのでした。

 己のソレがもはや妻を手伝うための隠れ蓑にしか使われていないという事実に、彼は一体いつ気が付くのでしょうか。

 献身的な夫と対照的に、女は彼の話を適当に聞き捨てながら、収集用の背負い籠を手にします。


「おっと、良からぬ道具でも隠しているかもしれん、その怪しい籠はこちらで預からせてもらおう。

 無論、洞窟に帰るまで、しっかりとな」


 途端、妻限定で目ざとい蛮族モンスターに見咎められて、彼女はあっという間に荷を奪われてしまいました。

 彼の真意がセリフの真逆にあると知っている女薬師は、次のリアクションを見越した悪戯な笑みを浮かべて、優しい夫への感謝の気持ちを紡ぎます。


「おや、持ってくれるのかい?

 ありがとう、助かるよ」

「違っ、そんなんじゃ……バ、バカっ!」


 予想外すぎる彼女の返しに仰天したドラゴリラは、恒例の小学生のような悪態を吐きながら、大げさに顔を逸らしたのでした。





 さて、そんなやり取りから数日後。


「さすがにそろそろ岩塩だけに味付けを頼った野生飯には飽いたよ。

 薬のついでに調味料を作ったから、今日からは私がご飯作りを担当しよう」


 見事な狩りの成果を手に帰宅した雄に向かって、開口一番、女薬師が強気な笑顔でそう宣言しました。


「……ほほう、俺を毒殺してから悠々逃げ出そうという魂胆だな。

 生半なモノがこの体に効くと思うなよ」

「はいはい、丈夫な旦那で私も安心だ」


 常より僅かに逡巡の時が長くはありましたが、結局、大事な嫁を働かせまいとする自らの感情よりも、彼女の満足を優先することにしたようです。

 人間の作った調味料を上手く使えるだけの経験など蛮族モンスターにはありませんし、食事は毎日のものですから、敢えて我慢させるには酷な話だと考えたのでしょう。


 しかし、いざ女が調理場へ入ろうかという段階になって、彼の過保護ぶりが本領を発揮してきます。


「っ待て。

 さすがに凶器を持たせてやるほど、俺も甘い雄ではないぞ。

 切るのはこちらで……あっ、火もダメだ、危な、じゃないっ、油断したところを刺されたり焼かれたりしては堪らんからな!

 貴様は毒物の混入役だけしていろ、いいなっ」

「こら。あまり愉快な物言いをするんじゃない、笑ってしまうだろう」


 破れ鍋に綴じ蓋な仲良し夫婦のイチャイチャ共同作業が、また一つ増えた一日でした。





 順調に新婚生活を続ける一人と一体ですが、数ヶ月も経ったある日、ついに不安が臨界点を突破したらしいドラゴリラが、言動不一致にも程がある制作物を大興奮で持ち込んで来ました。


「見ろっ、この森の安全な道の図を描いてやったぞ!

 ちなみに、ここから森の外に出られて、こっちに進めば四半日も経たずに人間の暮らす集落があるのだ。

 どうだ、ムズムズと逃げる気が湧いて来ただろうっ」


 さしもの女薬師も、これには苦い顔を隠せません。


「……結局、私を逃がしたいのか、逃がしたくないのか、どっちなんだい」


 額に手を当て疲れたように問いかける彼女へ、蛮族モンスターは牙を食いしばり両拳を強く握り込みながら、怨念こもる低音ボイスで脅しかけます。


「貴様は俺の花嫁だ、逃げるなど許さん」


 どこまでも支離滅裂な男だと、そう思いながらも、女がソレを口に乗せることはありませんでした。

 今、何を伝えたところで、彼が本当に本気で心から自らの嫁を信用しない限り、届く言葉の一つだってあるはずがないでしょうから。


 夫の執着心自体は好ましく感じている女薬師ですが、だからこそ、こうも疑われ続けるという現状について、時には一方通行のような、寂しい気持ちにもなってしまうのでした。


「…………仕方のない奴だな。

 まぁ、一応コレは貰っておくよ。

 何か人里で調達したい物が出た時にでも、使わせていただくとしよう」


 複雑な表情で笑う妻の姿に何か思うところがあったのか、意外にも、ドラゴリラがそれ以上の難癖をつけてくることはなかったのだそうです。





 数日後、明け方。

 隣から響く聞き慣れた声に起こされて、女薬師が毛皮の寝床からのそりと上半身を起こします。


「……んん、また寝ぼけているな」


 音の元凶を迫って視線を動かせば、そこには、赤子のように巨体を丸め、閉じられた分厚い瞼の隙間から涙を止め処なく流しつつも寝言に喚く、一体の蛮族モンスターの姿がありました。


「っ待て、行くな、俺を独りにするんじゃない!」


 しつこい疑心にウンザリとしつつも、どうしても彼女が夫を見限れない理由の一部が、コレです。


「ダメだ、嫌だ!

 たっ、頼む、何でもするから捨てないでくれっ!」

「全く……素直なのは夢の中だけか」


 どれだけ不安を抱えているのか、この雄、しょっちゅう妻に捨てられる悪夢を見ては、(うな)されているのです。

 そして、普段は強情っ張りな彼の、情けなくも弱々しい様子に、女は毎度飽きもせず、母性本能を疼かせてしまうのでした。


「ホラ、よしよし。私はここにいるぞ。

 大事な旦那を置いて、どこにも去ったりするものか」


 幼子に対するように優しい声色で語りかけて、女薬師は夫の大きな顔面を胸に抱き込み、伸ばした細腕で後頭部をさすります。


 常道の通りに忌避されていれば、それで当然だと、彼も蛮族モンスターらしく相手のことなどお構いなしに振る舞えたのでしょう。

 けれど、そうではないと……おかしな人間が負の感情もなしに嫁入りを承諾などしてくるものですから、産まれてより直後に諦めざるを得なかったはずの雌からの好意が、愛情が、手に入るのではないかと、ドラゴリラは夢想してしまったのです。

 結果、ようやく掴みかけた光を失ってしまうことが……この稀有な女に嫌われてしまうことが、彼はとてもとても恐ろしくなってしまいました。

 ついでに、もしもの際、己の心が傷付き過ぎて壊れてしまわないよう、無意識の自己防衛が働いて、彼女を常に疑い続けることになった、という具合です。

 目の前で微笑む雌を信じたく思えども、いざ信じて裏切られた場合に代償が大きすぎると、頭でっかちなモンスターはいつも怯えていました。



 しかし、月日をいくつも重ねる内、そんな臆病なドラゴリラにも、一つの転機が訪れます。


「そういえば、出来たぞ」

「なんだ、また発病防止薬の試作品か?」


 女が製薬作業を終えたタイミングでの発言だったので、彼がそちら関連の話と考えたのも当然の成り行きです。

 が……違います。


「いや、出来たのは子だ、赤子」


 彼女は自らの薄い腹を軽く叩きながら、何でもないような顔で爆弾を投下しました。


「…………………………こ?」


 突然のことに思考が追いつかないのか、蛮族モンスターは鶏の鳴き声のような呟きを零して、呼吸ごと体の動きを停止させてしまいます。


「二月ほど前から血の道が止まっているとは思っていたが、どうも、つわりらしい症状が出てな。

 他の変な病気じゃなければ、そういうことだろう」


 夫の硬化を意に介さず、妻は職業薬師らしい淡々とした説明を彼に施しました。

 すると、ようやく言葉の意味が脳へ浸透してきたようで、再起動を果たしたドラゴリラが、覚束ない足取りで女に歩み寄りながら、口を大きく開いて騒ぎ出します。


「えっだっ、誰との子だ!?」


 いくら混乱していたとしても、身ごもった愛妻に対する旦那の第一声としては最低の部類でしょう。


「こら、真っ先に不貞を疑うんじゃあない、私はそんな不実な花嫁ではないぞ。

 大体、健康な男女が毎日のように行為に及んでいれば、子の一人や二人、出来て当然だろうに」

「あ、う……そ、そう、か……」


 女がモンスターの鼻先を人差し指で押して諭せば、彼は妙な照れを挟みつつも、一応、納得したようでした。

 そうしてドラゴリラが少しの平静を取り戻したところで、彼女は一転、凄みのある笑みを浮かべて、こんな要求を突き付けます。


「ってことで……そろそろ観念して、健気に寄り添う自分の伴侶に、愛の言葉のひとつでも囁いてみたらどうだい?」

「んぐっ」


 驚きに喉を詰まらせる夫へ、妻は一切の容赦なく、もはや逃げは許さないとばかりの鋭い眼光を浴びせかけました。

 彼女の迫力に思わず両手を上げてしまう蛮族モンスターでしたが、やがて、避妊薬すら自らで作れてしまうであろう雌がわざわざ己の子を孕んだという事実に、相手が日頃ぶつける疑心のままの本音を抱えていれば永遠に辿り着けぬはずの結末に至っているという矛盾した現状に、彼は気が付きます。


 ふと意識を戻せば、いつの間にか、女薬師の纏う空気は和らいでおり、慈愛に満ちた柔らかな眼差しがドラゴリラへと注がれておりました。

 全ては独り相撲であったと、日々の真相を理解し、徐々に実感が染み入れば、爆発する感情の群れに押され、巨体が小刻みに震え出します。


「……っほ、本当に貴様、逃げる気はない、のか?

 こ、子を、醜く野蛮なモンスターの、俺の子を、産もうというのか?」


 思わず、かすれる声で尋ねれば、返ってきたのは苦笑いでした。


「私は最初からそう言い続けているはずなのだがね。

 ここまで来れば、少しは信じてみる気になったかい?

 ん?」


 イタズラな表情で小首を傾げる彼女を前に、ドラゴリラの胸の頑なな疑心は幻のように(ほど)けて消え、偽りのない、花嫁を愛する自らの心を正面から受け入れることに成功します。

 そして、彼は一度大きく喉を鳴らしてから、厚い瞼を強く閉じ、固く拳を握って、先程妻より望まれたセリフを紡がんと、痺れる舌を動かし始めました。


「うぅ、そ、その……俺は……」

「うん」


 夫の心境の変化を鋭く察した女は、(つたな)くも懸命に吐き出される言の葉たちを、静かに拾い集めます。


「もう、あの、貴様、いや、お前以外の花嫁は、か、考えられない、から、だから」

「うん」


 ここで、勇気を分け与えるように、細い指が厳つい拳に添えられました。

 すると、モンスターの硬い手がおもむろに開かれて、逆に、人間の華奢なソレを優しく包み込んできます。


「っだから、頼む、その、どうか逃げないで、くれ、ず、ずっと……!」


 カッと瞼を上げ、潤む縦長の虹彩を最愛の妻へと向ければ、健闘むなしく、彼女からまさかの温情なき批評が下りました。


「うーん、弱い。非モテ精神根深いな。

 何言ったって嫌わないから、もっと強気で来てくれていいんだぞ」


 身の内の恐怖を乗り越え、ついに告白を遂げた夫に対する、この仕打ち。

 女薬師に人の心はないのでしょうか。


「つよき……?」


 予想外の返しと精神力の消費にただ呆然とするばかりのドラゴリラへ、配慮も遠慮もない花嫁の魔の手が伸ばされます。


「そう、例えば、こういう体勢からの」


 言いつつ片腕を太い首にまわし頭の位置を下げさせると、もう一方の手で鱗の覆う下腹をいやらしく撫であげ、同時にヒレ耳の付け根にある穴へ唇を寄せ、ぬるい息を吹きかけるように低く粘り気のある声色で女が囁きかけました。


「一生、ここに俺の子を孕ませ続けてやる……足腰立つ隙なんざぁ与えられると思うなよ?」

「はあんッ」


 途端、モンスターは高く喘ぎを飛ばし、腰から崩れ落ちて悶えるなどという醜態をさらしてしまいます。


「ん?」


 雄の大袈裟な反応に、戦犯の女薬師がキョトンと目を瞬かせました。

 あくまで、自分好みのシチュエーション例を披露しただけで、ドラゴリラに効果が発揮される可能性など、微塵も考えてはいなかったのです。

 地面に転がったまま熱く呼吸を乱す彼は、キッと妻を睨み付けて、妙な必死さのあるトーンで叫び訴えかけました。


「バカ、止めろっ。

 うっかり俺が孕んだらどうしてくれるっ」

「何でそうなる」


 もちろん、うっかりで孕めるほど性別の壁は薄くありません。

 越えられるとすれば、せいぜい特殊な性癖の壁ぐらいでしょう。




 まぁ、何はともあれ、想いの通じ合った異種間夫婦は、以後、ストレートなイチャラブチュッチュ生活を送りつつ、最終的に二桁に届く多くの数の子を産み育てたということです。

 また、仲の良い両親の元に育った子どもたちは、彼らから継いだ知識や理屈臭い性格を上手いこと利用して、様々な境遇の娘を見つけては巧みに同意を取り付け、各々幸せな結婚を果たし、父母同様、多くの子に恵まれ、蛮族モンスターらしからぬ充実した人生を送ったのでした。





 めでたし、めでたし?


二人の子供たちの小話↓

https://ncode.syosetu.com/n2319ci/21/

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[良い点] 面白かったです! うっかり孕むドラゴリラが好きです [一言] 真のヒロインはドラゴリラだったんですね
[良い点] 安心安定の面白さっ。さや様節が炸裂です。 [一言] 今年の流行語大賞。 「はあぅっん」 「うっかり俺が孕むかも」
[良い点] フツーなら不幸一直線のはずなのに、奥さんのさばけた性格と、夫の真面目純情な性格でただのラブコメ、否、惚気コメになってる件( ̄▽ ̄;) [気になる点] 他のドリゴリラに姉妹をさわれ復讐鬼と化…
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