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君へ捧ぐ献身  作者: 坂本雅
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都市の裏

人が多く住まう都市は村とは比べものにならないほど広く豊かだ。

しかし、決して美しい面ばかりではない。

大通りから逸れた路地裏近くで下車したマーリャは様変わりした周りの様子に愕然がくぜんとした。

食べ残しや悪臭を放つ汚物がそこかしこに散らかされており、背の曲がった掃除夫が雑巾で億劫おっくうそうに拭き取っている。

バケツで水を撒いているのは、地面の溝から下水道へ汚れを流すためだろう。

住宅地を兼ねているようだが周囲の人の数はまばらで、誰もが清掃に励む彼らに目をやらず急ぎ足でいる。

家屋の隙間に挟まれた通りは昼間とは思えないほど暗く、紐で吊した洗濯物が蜘蛛の糸のように干されていて空そのものが見えづらい。

同じ街でも、人によって生活層に明確な差があるのではないか。

そう感じるまでに時間は掛からなかった。

「こないきたなげなん……初めてや」

「小屋でも、もっと綺麗にするが」

セルマとディアンはマーリャ同様、表との落差にショックを隠せないでいる。

何度も村の若者を送り届けてきた村長のダーチェスと、過去に訪問したことがあるジョサイアは既知である分、落ち着いていた。

「ここらじゃ、これが普通なんやろ。心配せんでも宿はうちの村の出身者が経営しとるとこやし、場所かてここほど悪うなか。さっさと通り抜けてしまうで」

元気づけるようにマーリャたちの肩を軽く叩きながら、ダーチェスがいち早く歩き始める。

彼の言葉を信じ、汚物を踏まないように注意を払いながら後についていった。

「ネ、ネズミおるよ、マーちゃん……」

暗がりを恐れてマーリャの腕にしがみついたセルマが耳打ちしてくる。

指さした先には子連れの痩せた大ネズミがおり、視線を感じてか一目散に壁の穴の中へ潜っていった。

一定の区間ごとに湧き水の井戸が作られており水には困りそうになく、村にない下水施設まで備えている。

それでも不衛生な印象がぬぐえないのは、人口が多すぎて個々に処理しきれていないからかもしれない。

ダーチェスによれば何もかも専用のものを持てる一軒家暮らしの民はごく一部で、たいていの人は水や資材、台所まで他の家庭と共同の集合住宅で暮らすのだという。

「家を持っとったって余裕じゃおられん。自宅兼店で運用するんがほとんどやち、毎日忙しゅうせなあかん。ずうっと、せせこましいで」

おりに触れて彼らの様子を確かめてきたダーチェスの声は、どこか淡々としている。

そこに都会への偏見は含まれておらず、厳しい現実を伝えんとする言葉だった。

「……分かっとるもん」

悲しそうに下を向いたセルマの一言は小さく、そばにいるマーリャしか聞き取れない。

どうにか励まそうとマーリャが口を開いた途端、先行していたディアンが振り返った。

「ようは肝っ玉が座っとればええがじゃ。寝床も食事もあるだけ上等、御の字やって構えとけばどうとでもなる。今から気負うたらたんが」

励ますような淡い微笑みは年長者のような落ち着きがあった。

思いもよらない助言にセルマはひどく驚いた様子で目を見開き、片手で口元をおさえながら頷く。

ディアンが正面へ向き直った後、彼女の頬や丸い耳はうっすらと赤く染まっていた。

「……本気で移住を考えとったんやの」

「うん……」

マーリャの密かな呟きにセルマも同意を示す。

一口に冒険者と言えば聞こえはいいが、流れの旅人は皆その日暮らしのようなものだ。住み込みの用心棒もまた雇われの立場である以上、辛い目に遭う可能性もあるだろう。

ディアンはそれらを重々承知の上で大まかな目標を定め、這い上がろうとしているのだ。

自分はーーそこまでの決意を持てるだろうか。

無意識に噛みしめようとした歯は何故か噛み合わず、あごの位置に違和感を持った。


ダーチェスの宣言通り、宿屋があるのは路地裏でも清掃の行き届いた小綺麗な区域だった。

宿は他の住宅より横幅が広く二階建てになっている。

生い茂る森を思わす緑色のかわら屋根と、独特の模様の刻まれた扉は目につきやすい。「ここの宿は朝食だけ出るが、他は自分たちで食べとかないけん。酒場は行ったらあかんけど、露天でも店でも適当に食べとき。荷物置いたら夜までは好きに歩いてええ」

受付で手続きを済ませたダーチェスはマーリャたちに一人ずつ、部屋の鍵と路銀を入れた袋を手渡してきた。

「パパはついてこんと?」

「あー、お前たちの自主性を信頼しとるから……っちゅうのは建前や」

セルマの問いかけに対し冗談めかしながら、自分から首を縦に振る。

「成人の儀はややこしい。組合やら庁舎ちょうしゃに行って、あれこれ頼まんとあかん。子供がおってもやることないで、自由にさせとった方が勉強になるわ」

とはいえ、都会へ興味津々でいた子供がどこへ向かいたがるかは大体把握している。くれぐれも危ない行動は取らないように。

よくよく言い含めながらダーチェスは自分の荷を置きに階段を上がっていく。マーリャたちも彼にならった。

団体用の二つの部屋を男女別にあてがわれており、単独行動をしていても合い鍵で入ってこれる。

扉を開けてすぐ視界に飛び込んできたのは、大きく作られた開閉式のガラス窓だった。

二階から望むアンギナムの街並みは下を歩いていた時よりはるかに見通しが良い。

青々とした樹木の代わりに角張った家が連なり、人造の森を成しているように感じる。

「ベッドも敷物も綺麗かしとうね」

セルマはふっくらとしたベッドに腰を下ろして触り心地を確かめていた。

マーリャも同じようにもう片方のベッドに座る。

床板の上に敷かれた花模様のラグは毛足が長く、靴を履いて踏むのが惜しいほどだ。

すみにある本棚に詰められているのはこの都市のことを記した歴史書か、旅人への案内書なのだろう。

背の低い机の上には一輪挿しがあり、白いコクリコが飾られていた。

「……セルマ。やっぱりディアンみたいに引っ越したいち思う?」

「せやねえ。村の暮らしと色々違うけ、思ったより苦労するかもしれんけど……表通りで見た人たちみたいに髪の毛うんと伸ばして、綺麗か服着るんが目標になったかも。道が汚かってもあのお爺さんみたいに拭いたり、ほうきで掃けばええもん」

長所を褒めつつも改善すべき点を捉えるまなこには、もう路地裏を初めて見た時の曇りはなかった。

他人がそうしているからといって、必ずしもなぞらえた行動を取る必要はない。

たがやす土地を得ただけでは作物が採れないように、場所を構えたうえで住み心地の良い環境に整えていくのが重要なのだ。

「うん。それが、ええかも……」

マーリャはセルマのまぶしいほどの前向きさに目を細める。

だが、不意にめまいを感じて眉をひそめた。

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