健やか讃歌
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一遍。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おはよう、10日ぶりくらいかしら?
まいったなあ、この時期にインフルエンザにかかっちゃうなんて。予防接種もばっちりやったはずだったのに、どうも型が違っていたみたい。
結構、気合入れて臨んだんだけどなあ、注射。まあ、おかげで積んであった時代劇のビデオ、あらかた見ることができたのは、幸いね。
あなたは注射されるの、大丈夫な人? お医者さんでも上手いと下手がはっきり分かれる技術じゃないかと、私は思うの。
だけど、注射だからこそできる、大事な役割もあるみたい。
健康を守る立役者たちをめぐる、私の話。聞いてみないかしら?
だいぶ前に聞いたんだけど、私って未熟児だったらしいのよね。生まれた時の体重が1500グラムに足らなかったとか。丈夫に生まれることが多いという女の子でも、この体重のなさはいささか問題だったみたい。
年中、身体が熱っぽくてだるい。食事時やトイレの時をのぞいて、ほぼ寝たきりの状態だったわ。
入院するまでじゃなかったけど、私は週の大半を通院に費やしていたわ。
その時、注射をぶすぶす刺されてね、苦手になっちゃった。
刺す前に消毒する、あのアルコールの臭いを嗅いだだけで、わんわん泣き出したことがあったくらい。
正直、この間の記憶は、大半が漠然と「辛かった」程度しか思い出せないことだけど、やがて転機が訪れたの。
幼稚園に通う、半年前。その日は、いつもと違う病院に向かったわ。
車に揺られること一時間弱。外来用に立派な駐車場を持つ、大きな病院だった。
院内は六階か七階建てで、各階が迷路かと思うほど広い。一階で受付を済ませた後、生涯で初めて乗るエレベーターの感覚にびくつきつつ、私と母は乗り降りを繰り返した。
どこの科を回ったかは、まだボキャブラリーの少なかった私では、判然としない。ある科の受付で母が話をしては、その階を練り歩いたり、またエレベーターに乗り込んだりと忙しかった。
たらい回しにされていたんでしょうけど、病院でこんなことが起こるなんて、よほどの重病患者じゃないと、あり得ないと思うわ。
そうして、ようやくベンチに腰を下ろした科の待合室は、開閉する自動ドア部分をのぞけば、周囲がガラス張りになっている。外の人と極力、触れ合わないような設計になっていたわ。
やがて名前が呼ばれて、母と一緒に奥の診察室へ。待っていた若い男の先生は、母と言葉を交わし始めたけど、丸椅子に座らされた私の視線は、先生の後ろにいる看護師さんの姿に釘付け。
だって、先生の机の上へ、淡々と注射道具一式が置かれていくんですもの。早くも泣きたくなってきちゃった。
話が終わる。利き腕を出すように言われ、ひじの少し先が酒精綿で消毒されていく。
アルコールの臭いが漂い始めると、いよいよ覚悟を決めなくちゃいけない。気持ち、ひりつく肌の感覚に、「こんなことしている間に、さっさと刺して済ませてよう」と、毎回思ってしまう。
溜まってくる涙をこらえながら、心の中でつぶやく、文字通りの泣き言だ。今日はいつもにも増して、皮膚がじんじんしている。濃度が濃いのかもしれない。
じきに針が刺さる感覚。私はいつも患部を直視できなくて、目をつむってしまう。
嫌いなものを食べる時と似ている。目を閉じ、息を止めて、何百回も咀嚼、何分も停滞させた後で、ようやく飲み込む。あれよりもずっと短いけれど、耐えがたい時間だ。
けれど、今回はいつもと違う。突き通る痛みよりも、染み入るしびれが、アルコールを塗った箇所から伝わってきたの。
すでに何度か正座をする機会があって、足のしびれを感じる経験のあった私。足先が地面に触れると、容赦なく足全体に走って、立つことなどとてもかなわない。あれとほぼ同じ感覚に、腕全体が染まっていくの。
こんなの、知らない。
私がぱっと目を開いた時には、すでに先生が針を私の腕から抜き取っていて、小さい保護パットを貼っていた。
腕のしびれはまだ残っているけど、動かせないほどじゃない。「何をしたの?」と尋ねる私に、先生が答える。
「元気になるための、おまじないをかけたんだ」と。
それを聞いて、私は内心でやや落胆する。
今までも同じようなことを、何度か言われたけれど、病院通いは変わらなかった。ちょっぴり違う刺激があったけど、今回もきっと、おんなじ結果なんだ。
また母と先生の間で二三、話があってから診察室を後にしたんだけど、家に帰るまで私は終始、沈んだ顔をしていたように思う。
玄関をくぐる時には、もうほとんど腕のしびれはなくなっていたけれど、その日からほぼ横になりっぱなしの私の生活は、変わり始めたの。
一番大きかったのは、私が寝る部屋に大きなテレビが置かれるようになったこと。私が布団に入りながらでも見られる位置に置かれ、部屋にいる間はつけっぱなしにされる。
チャンネルはその時々に応じて、親が勝手に変えていた。何かトラブルがあるといけないと思われたのか、リモコンは私の手元にない。
ビデオデッキもつく。私が起きている時に、母や父がビデオを観る時がしばしばあったけど、その中身はほどんどが子供向けのアニメ。
両親は何も言わなかったけれど、きっと自分が観るような体でお膳立てして、その実、私に見せたかったんでしょうね。
にわかに賑やかになった私の寝床。テレビ画面とそこに映る番組、アニメ、映画を親の用意するままに、私は眺めるようになる。
ときどき両親は、画面を遮らない位置より、テレビを見る私の顔をじっと見つめてくることがあったわ。当時はそう気にしなかったけど、きっと観察していたんでしょうね。
テレビ画面で展開するものに対する、私の反応を。
そして、ある日の20時頃。
いつも通りにつけっぱなしにしてあるテレビで、時代劇が始まったの。
身分を隠した偉い人が、陰謀をめぐらし、私腹を肥やす悪漢たちを懲らしめていく、ポピュラーな勧善懲悪ドラマ。
その音楽とオープニングが流れ始めた時から、私は今までにない胸の高鳴りを感じたの。
これまで味わってきた、節々の痛みに苦しむ時の脈打ちとは違う。
期待、希望、高揚感……これまで感じたことのない興奮を、私は覚えたの。身体がじわじわと熱くなってくるのは、何も、布団の中に潜りっぱなしだからじゃない。
本編が始まる。当時の私には難しい言葉ばかりで、やり取りの意味はほとんど分からなかった。幸い、お互いの名前を呼ぶことの多い回だったから、誰が誰を指すのかというのは、把握できたけど。
そして、お供のひとりが軽いダジャレを織り交ぜるワンシーン。
私は声を上げて、笑ってしまった。それまではせいぜい、くすくすと忍び笑いを漏らすのがせいぜいだった私が、ツボにはまってしまったの。
すぐに母が部屋へやってきたわ。それでも私は、まだ笑い続けていた。布団ごと身体をよじっていたと思うから、ぎょっとした目で見られたのを覚えている。
母の視線が、私とテレビ画面の間を、何度も行き来。「楽しい?」とも訊いてきて、私は画面から目を離さないまま、何度も夢中でうなずいた。わずかでも画面を観ないのが、たまらなく嫌だったの。
「そう」と、ため息をつく母。
視界の端にちらりと浮かんだその顔は、嬉しそうだったけど、ほんのちょっぴりさびしげにも感じたわ。
その日から、両親が私の部屋で観るビデオは、時代劇一色になる。
白黒時代の往年の名作から、最近に至るまで、時間を越えてテレビの中で繰り広げられる人間ドラマ。そのいずれもが、私の胸を高ぶらせる。
ささいな洒落に笑った。被害者の悲劇に泣いた。クライマックスの殺陣に興奮した。締めくくりの旅立ちに、スカッとした。時に訪れる、切ない結末にしんみりした……。
寝たきりの私の元へ、喜怒哀楽が舞い込んできたの。
そのうち、私は立って起き続けることが苦じゃなくなってきた。
すぐに疲れてしまい、具合を崩しがちだった身体も、あの時代劇の殺陣に憧れて動きを真似していくうちに、次第に強い運動にも耐えられるようになる。幼稚園の年長になる頃には、もう周りのみんなと、遜色ない体力を持つに至っていたわ。
しばらくして、私は母と例の病院へ向かう。今度は真っすぐ、あの時の科へ。診察をしてくれたのも、あの日の先生だった。
体調に関して、私自身、いくつか質問を受けりる。すこぶる元気だということを伝えたわ。
また先生の机の上には注射器の準備がされていて、アルコールを塗られる私。刺される瞬間こそ、また目をつむってしまったけど、すぐにまぶたを開いた。
細い細い注射器。筒の中のガスケットは、限界ギリギリまで押し込まれているけど、それと針先につながるわずかな空間の中で、ほんのわずかだけ火花が散ったように見えたの。
私の腕に、あの時と同じようなしびれがやってきたけど、ほんの一瞬こと。感覚が失せると、見計らったように先生が注射の針を引いて、告げたの。「もう大丈夫だ」って。
それから私が再び、その病院を訪れることはなかったわ。私の身体は、今までのだるい日々がウソだったように、軽くなっていたの。
私が受けた治療に関して、両親は詳しく語ってくれなかったのだけど、当時、存命だったおばあちゃんから、別口であの病院の話を聞いたの。
あの病院は、私が産まれる少し間。おじいちゃんが運ばれて、最期を看取られた場所だったらしいの。
実際に顔を見たことがないおじいちゃんは、晩年は家族の顔さえ分からないほど認知症が進んでいたようで、身体も寝たきりになるほど弱っていたけど、ただひとつ。
時代劇を観る時だけは元気を取り戻し、時には笑ったり涙したりしながら、その時間を存分に楽しんだとか。
あの日、覚えたほどの興奮を、私はもう時代劇から感じられなくなっている。でも、時代劇は見続けているの。
昔の私に、時代劇を通して喜びと元気をくれたのは、きっとおじいちゃんだと思っているから。
あの先生は、私とおじいちゃんを引き合わせてくれたのだと、今でも信じているの。