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8.襲来

学術都市レミダはソシラン王国、レジンドラ王国、ノガバン連邦国三国協定における自由貿易の拠点となっている場所であり、統治管理を行うソシラン王国も他国への配慮から表立って軍を駐留させておくような事はしていない。

ただ、自国他国も含め貴族の子女が多く住まう街であるから、憲兵と称して二百の精鋭を配置していた。

憲兵と言っても通常は街の治安維持と街周辺の警らを行っているもので、ここ数十年ほどこれといった有事は発生していなかった。

街の周辺や街道沿いで魔獣の目撃情報があった場合、殆どが冒険者組合が対処しているし、稀に盗賊被害の報告があっても、軍精鋭にとっては塒ごと鎮圧することなどいとも簡単な仕事であったため、事件と呼ぶほどのものでもなかったのである。


『魔境』から街へ文字通り”飛んで”戻ってきた二人であるが、このまま街へ入ることはできない。登録済みの従魔とはいえ、検問を通らず街へ入ることは禁じられているからだ。

街の門前に舞い降りたティノとアルフレイは、二体の従魔に驚く門兵にアンデット魔獣の行軍の様子を伝え、憲兵詰所に一報を入れるようお願いし、そのまま冒険者組合の建物に向かって走っていく。

門兵がすごい剣幕で捲し立てる二人の冒険者に気を取られている隙に、ロウは再び小ドラゴンの姿に戻り、キュアの背中に乗っていた。


組合事務所は昼下がりの曖昧な時間とあって閑散としていたが、只ならぬ様相で飛び込んできたアルフレイ達に一斉にちらほらと残っていた冒険者たちの注目が集まった。

そんな視線の中、アルフレイは今朝会ったばかりのポーラがいる窓口へ真っ直ぐ歩いていき、手早く用件を伝える。


「緊急に支部長に伝えたい事がある。取り次いでほしい。」

「どうしたの、アル。復帰準備に討伐に行ったんじゃなかったの?」

「急ぐんだ!とにかく取り次いでくれ!」

「・・・少し待ちなさい。いえ、付いてきなさい。二階にいるわ。」


ポーラは二人を先導して階段を昇っていき、支部長室と室名札が出ている扉を叩いて返事も聞かず中に入っていく。部屋の中には中年の男性が一人、書類が山と積まれたデスクに座って何事か書物をしていた。

冒険者組合レミダ支部支部長アラン・ホーリング。

グレーの髪に口髭を生やし、一見華奢な感じにみえる色男だが、元冒険者でリミテッド(金星一つ)まで登り詰めた男である。しかも自他共に認める前衛職で、彼の剣が通った後には屍しか残らないとまでいわれており『狂剣』という二つ名まで持っていた。


革製の来客用ソファに座るよう二人に勧めると、ポーラは支部長のテスク前に立ち要件を伝える。アルフレイは間を置かず応接に移ってきた支部長に事の顛末を話すと、彼はしばらく目を閉じて考えに沈んだ。


「アンデッドだけの集団か。厄介だな。」

「上空から確認したが千は超える集団だった。コブリンとオークを主体に地竜だけでも二十体はいたと思う。」

「地竜・・・それだけで二百人は必要か。」


彼はアルフレイの持ってきた情報を疑う事無く分析している。現在のレミダの戦力として、王国軍が百五十、冒険者が百、学院生や一般方募って精々六十で三百を若干上回る陣容である。

アンデッド魔獣となると焼き尽くすか頭を潰すか、光属性や聖水による浄化もできるが、物理攻撃に主流を置く王国軍では相性の悪い相手である。しかもそれが千以上。まさに厄災級の氾濫である。


「支部長!何故王国軍が少ないんだ?四百人は常駐しているはずだろう!」

「貴族子女の帰省護衛に付き合わされている。組合の奴らも何人か護衛で街を出ているはずだ。」

「なんてこと・・・。他の街から救援を頼めば・・・。」

「近隣の街は一報を受けたらこう思うだろうな。次はわが町の番かもしれぬ、とな。」

「・・・救援を寄越さないと?」

「この街の領主は三国評議会だ。政治的な義理はないし、救うべき貴族もいない。救援を要請しても返事すら来ないだろう。」


レミダの街は共同学院を有す学術都市という特異性から、特定国の領主を置かず三国から任命された領事が運営している。学院生が帰省するこの時期は街の人口も三分の二程に減ってしまっているので、領事官も年周りで廻ってくる筆頭領事以外自国に戻ってしまうのが習わしだった。

今年の筆頭は連邦のミナルセ・エルドークという中年の女性で、社会福祉や雇用促進に辣腕を振るい、確実に成果を挙げている有能な文官であった。


「まぁ、とにか評議会と話してくる。ポーラ、全員に非常招集をかけろ。あと各支部にも緊急救援要請の伝書鳥を放て。」

「わかりました。早急に手配します。」

「ティノ君はグリフォンで上空からアンデッド集団の動きを監視してもらいたい。」

「なっ!ティノは今日登録したてのビキナーなんだ。しかも学院生だぞ!戦場に行かせる訳にはいかない!」

「組合登録したばかりなのは知っている。だが、羽を持つ斥候は有用なのだ。今は少しでも多くの情報が欲しい。頼まれてくれ。」

「支部長!!」

「アルさん、私行きます。私にしか出来ないなら、それは私の仕事だから。」

「ティノちゃん・・・」


その日の夜、レミダにいる冒険者達に緊急招集がかかった。街の外での依頼でまだ帰っていない者もいるが、この時間に組合に集まったのは八十人程である。

冒険者は組合から緊急招集や指名依頼があった場合、これを断ると多大な違約金を払わなければならず、明日になればまだ増えてくるだろうが、それでも百に満たない人数であった。


同じ頃、評議会では評議会筆頭のミナルセと冒険者組合レミダ支部長アラン、レミダ王国東軍駐屯部隊小隊長レイドルック、アイザノク共同学院長ショウサ、メサイナ神教学園町モーセル、レミダ商工業組合長、ら街の有力者が集り、対アンデッド軍団の対策が話し合われている。

当然本当にアンデッド集団が街に向かっているのか疑問視する者もいたが、街に来るまでの間に、魔獣の集団が何かから逃げるように街道を横切っているのを見たという商人や旅人が複数人いた事が商工業組合から報告され、その情報はさらに信憑性を高めるものとなったのだ。


結局、対策会議では対アンデッド戦は国軍を中心とした籠城戦と決められ、可能な限りアンデッドの数を減らしつつ救援を待つ戦略が取られた。元々レミダは魔境が近いとあって、魔獣の氾濫に備えそれなりの防衛設備と食料の備蓄はある。

また、アンデッドは意思を持たず、ただ目の前の獲物を喰うという本能だけで動く魔獣である。それは戦術もなくただ真正面から突っ込んでくるだけなので、籠城戦ならば数の不利を覆せる可能性があるからだ。

敵が集中すると思われる東門を軍が担当し、冒険者組合が分れて北南門から臨機応変に出撃し両サイドから攻撃を加え、学院生らが西門を防衛する。しかし、学院生で攻撃魔法が使える者は東門の防衛に参加することになった。


戦準備は夜を徹して着々と進んでいる。

東門と西門の内側には木製門扉が破壊されても容易に侵入出来ないように、土魔法で土壁が築かれている。北南門には遊撃部隊の出入りがあるため、門扉の開閉が早くできるよう曳馬を配置し、通用門も鉄扉に取り替えられた。

街の防護壁の上には投擲器具や投石器が並べられ、街の工場では剣や矢尻などの消耗武器が急ピッチで生産されていた。街中でも万が一の市街地戦に備えて至る所に土塁が設けられ、裏道の封鎖も行われていた。


アイザノク共同学院やメサイナ神教学園でも、残っていた教職員が総動員され、籠城戦の準備に追われていた。

戦術部や魔法部に所属する者は防衛隊に組み込まれたうえで所定の場所に配置され、生産部では剣や矢、投擲具の制作が行われていた。神教学園ではアンデッドに有効な聖水や、光属性の魔法を込めた魔石を夜を徹して生産している。

街の人々で街を捨て逃げ出したものは少ない。アンデッド軍団が本当に来るとも判らない上、アンデッドに追われてこちら向かってきている魔獣もいることから、今から街を逃げ出すにも街道の途中でそれらに襲われるのは目に見えているからだ。

残った彼らは自警団を組織し、戦えるものは北門の守りに、そうでない者は固く戸を閉ざし、家や店の中までアンデッドが侵入しないよう息を潜めていた。


翌日。アンデッド軍団は確実に明後日の朝には視認出来る位置までやって来ている。

朝早く斥候に出たティノは逸早くアンデッド軍団を発見し、目前まで迫っているその移動速度に驚いていた。アンデッドは移動速度は遅いが疲れを知らない分、一晩中歩き続けることが可能なので思った以上に距離を伸ばしてきているのだ。

木々が生茂る『魔境』を出てくると、アンデッド集団のアンデッド集団の全容が見えてきた。凡そ千と見た集団はもう少し多いように見えるし、アンデッドの中には人族も混じっているのが確認できる。


「ロウ、あれって・・・」

『うむ、人だな。しかし解せんな・・・。』

「うん?どうしたの?」

『思ったより人間の体が傷んでいないし、着ている物が汚れていない。』

「それがどうしたの?アンデッド化したばかりじゃないの?」

『死体は十日は野晒しになって魔素を吸わねばアンデッドにはならんのだろう?』

「あ!」


身体に傷みがない、という事はアンデッドになるまでそれほど日数が掛かっていないという事で、それは自然にアンデッド化したという事を否定しているのだ。つまり、誰かが目的を持ってアンデッド化させたことになる。

アンデッドは食欲のみを満たそうとさまよう魔獣であり、目の前に餌があれば集団化することもあるが、ここまで大きく多種が混在するのは稀である。やはり何者かの作為が働いているのか。


ティノは急いで街に戻り、対策本部のある領事館へ駆けこんでアンデッドの数、人族のアンデッドが居たこと、ロウの推理について報告する。敵の数についてはある程度の覚悟があったが、人族のアンデッドが小奇麗であることを聞いた支部長は渋面を作って考えに沈んでしまった。


「まずいな。レイスかリッチがいるかもしれん。」

「アラン支部長!それは真か!」


居合わせた街の有力者達が一斉に騒ぎ出す。

リッチとは高位の魔術師か魔人族が自ら望んでアンデッドに転生したもと言われ、生命を弄び、死者を操るという妖魔族に類する種である。

妖魔族とは魔獣が魔素を多く取込み(それは主に魔素吸収や経口摂取と考えられている)自我を持ち、一段階高位に進化したもの達で、言葉を理解するようになり体の一部が人化している。身体能力と生命力が高く、魔法が使える個体も確認されている。

彼らの殆どが迷宮深層や魔境の奥地にしか住まないとされるが、過去に魔獣を率いて人族領域まで攻め入った事例も報告されていた。


今回の作戦は籠城による敵の殲滅戦である。多少の犠牲は覚悟の上だったのだが、リッチがいるとなると話は別だ。

本来アンデッドは自然発生の魔獣で自分で増えたりはしないだが、リッチはアンデッドを生み出す。死んだ者を即座にアンデッドとして甦らせ、自分の配下として人族を襲わせる。つまり、つい先程まで隣で戦っていたものが死んだ場合、アンデッドとなって仲間を襲ってくるのだ。


籠城戦でアンデッドの数を少しずつ減らして耐えれば、あるいは王都からの救援も間に合うかもしれない、と期待していた者達の心を折るには十分すぎる情報であった。



夜の防護壁上では少しでも遠くに夜の闇を押しやろうと数多くの魔道カンテラや篝火が焚かれている。二人一組の見回りの兵士は、ほんの少しの物音にも心臓が止まる程に恐怖し、朝の陽の光を待ちわびながら職務を遂行していた。


ティノとロウは南東の見張り櫓の屋上で、毛布に包まり、キュアに寄りかかりながら夜を明かしていた。

月明かりのない夜では、ティノの目では何も見えない。

こんな戦いは初めてのティノの心の中は不安でいっぱいである。死への恐怖、アンデッドというこれまでにない強敵への恐怖、そして弱い自分の心への恐怖。

逃げ出してしまえ、安全な場所まで飛んでいけと悪魔の言葉がティノの心を支配しようとしていた。


『怖いのか?』

「うん、怖い。死にたくない。でも私が戦わなきゃ、一体でも多くアンデッドを倒さなきゃ誰かが死んじゃうかもしれない。それは絶対に嫌。」

『キュアに乗って逃げれは良いではないか。誰も責めはせんぞ?』

「ダメ。アルさんも戦ってるし、サーリサ先生やレミルも街に残ってる。学院に残った人や食堂のおばさんも屋台のおじさんもいる。私だけ逃げる訳にはいかない。」

『そう親しい者たちでもあるまい。』

「私には皆を護る力がある、街の人を守らなければならないの!でも怖くて震えが止まらないの・・・」

『そうか。』


短く答えたロウだが、正直この街にいる人族全員の命と天秤に掛けてもティノのほうが大事である。

迷宮主として生まれ長い間人間を殺戮してきた彼にとって、人だろうが魔獣だろうが、それがアンデッドでも生命の重さは霞ほどに軽い。

この戦いもティノさえ無事ならば、たとえこの街が滅んだとしてもそれで良いのだ。

その筈なのに、目の前の膝を抱えて震えているティノを見ていても、無理やりティノだけを連れてこの街を出て行くことが出来ないでいる。


(ううむ・・・どうすればいいかのう。)


自分の中で眠っていた迷い、葛藤といった精神を逆なでしてくる感情に、何となく欝々とした気分になるロウであった。


やがて膝を抱え頭を伏せているティノの周囲が徐々に明るくなり、そして夜が明ける。

籠城兵にまず届いたのは肉の腐った腐臭だ。

兵たちが防護壁の上から外に目をやると、街道から、林の中から、草むらの中からアンデッドが次々と這い出してくるのが確認できる。そう、防護壁の外側は見渡す限りアンデッドで埋め尽くされていた。


大方の予想通り、アンデッドは東門に集中している。

棍棒で門壁を叩き割ろうとするオーク、防護壁に指を喰いこませて登って来ようとするゴブリン、腐った爪を立て石壁を削ろうとする獣、低い呻き声を上げながら襲ってくる姿は見ているだけで背筋が凍る様であった。

レミダの防護壁は高さが7m程あり、アンデッド魔獣が簡単に越えられるような高さではないが、奴らは他のアンデッドを足場にして重なり潰し合いながら上へ登ってくる。さらにはこの群れの中には体長10mを越える地竜のアンデットもいると報告されていたので油断はできない。


籠城側も黙って見ている訳ではない。守備兵の総隊長から一斉攻撃の号令がかかると同時に、一番近くに敵にめがけて火矢や投擲された石が放たれた。

石が命中して頭を潰されたり、火が燃え移ったアンデッドはその活動を停止させるが、それはほんの僅かだ。

さらに魔法を使える者達から火魔法で創られた炎矢や炎玉が雨のように降り注ぐ。門前の地面には油をしみこませた藁を敷き詰めていたので、着弾範囲は文字通り火の海となってアンデッドを呑み込んで行った。


「いける!いけるぞ!!!」


隊長の檄が飛び、炎に包まれたその外側を狙って火矢や石が放たれ、さらにアンデッドたちを行動不能にさせていく。

だがさすがにアンデッドで、炎を恐れる風でもなく己の身体が焼かれようと、腕をもがれ体に矢を突き刺したままでも前へ前へと進んでくる。まさしく”きりがない”状態であった。本当に千だけなのか?そんな考えが守備兵たちの頭に浮かんだ。


一方同じ頃ティノはキュアの背に乗り、アンデットが殆どいない南門から外へ打って出た冒険者の一団の上空を飛んでいた。

やがて南北両門から出撃した冒険者達が、東門に取り付いていたアンデッド集団の両側面から挟み撃ちで魔法攻撃を仕掛ける。魔法を持たない者も弓矢や投擲具で攻撃し、剣や槍を持つものは寄ってくるアンデッドの頭を潰していく。


地表に降りたキュアも小ドラゴンのロウも、その身で出来る限り最大のブレスをアンデッドに目掛けて放った。キュアの風ブレスがアンデッドの身体をバラバラに切断し、ロウのブレスが高速で放たれ狙い澄ましたようにアンデッドの頭に風穴を空けていった。

そして部隊長の合図と共に再び南北門へと撤退する。東門を襲う敵戦力を少しでも減らそうという、まさにヒットアンドアウェイ戦である。空へ逃げる事が出来るティノは殿で、最後の一人が撤退するまで追ってくるアンデッドを引き付け、頃合いを見て空へと撤退していった。


ゲリラ戦を繰り返す人族と力押しで攻めてくるアンデッドの攻防が続く。

街の防衛側に死者は十数名しか出ていないが、アンデッドの集団に呑まれて死んだはずの仲間がアンデッドとなって襲ってる様は精神的に衝撃を与え、徐々に疲労が蓄積していく。一方アンデッド側は当然疲れも見せず、目の前にぶら下がった血肉を求めて絶えず前進してきた。


ティノとアルフレイは南門の上に立ち、遂にこちらにも集まってきたアンデッドに魔法攻撃を放っていた。

アルフレイにせよキュアにせよ、無尽蔵に魔力があるわけではない。キュアにはティノの能力【魔力最適化】で魔力を供給しているが、それもいつまで持つかわからない付け刃である。それでも一体一体倒していくしかない。


「ティノちゃん、ごめんね。冒険者になってなかったら戦う事もなかったのに。」

「アルさん!!そんなことない!私だって戦えるもん!」

「はは、ありがとね。でも、ティノちゃん。」

「ん?なに?」

「そろそろヤバい。みんな魔力が尽きかけてるんよ。あんたはキュアに乗って逃げな。」

「え?アルさん何言ってるの!そんなこと出来るわけ・・・」

「誰かがこの現状を救援軍に伝えなきゃならない。そして少しでも速く助けに来るよう伝えて欲しいんよ。」

「そんな・・・嫌よ!皆を置いて逃げるなんて出来ない!!絶対に嫌!」

「ティノちゃん、このままじゃすぐに門が破られちゃう。アンデッドがこっちに多くなったのは防御が薄い事に気付いたからだ。時間の問題さね。」

「そ、そんな・・・」

「魔力が尽きて最後の手段は玉砕覚悟で打って出る肉弾戦だ。そうなる前に行くんだ。」


戦いが始まって数時間、魔法士たちの魔力は殆ど尽きかけ、弓を射る者の手は限界を超えて腫れ上がっている。矢が尽きることはないが、時々オークによって壁内に投げ込まれるコブリンやロックウルフの対処にも人を割かねばならず、戦いはもはや一方的な負様相を呈していた。

そして今、さらに絶望的な力が人族に向けて振るわれようとしていた。


「じ、地竜だぁぁぁぁ!!!地竜の群れが来るぞぉぉ!!!」


防護壁に群がるアンデッドたちの後ろに何体もの地竜が立ち上がったのが見える。もちろん所々肉が腐り落ちたアンデッドで、眼球の無い黒い窪みが壁上の人族たちを見据えていた。

さらに地竜たちの後ろに浮かぶ物体。体長は5mはあろうかという豪奢であるがボロボロのローブを身に纏った骸骨がいた。指に宝石のついた指輪を鏤め、黄金の杖を持って宙に浮かぶスケルトン、いや、リッチであった。


『カカカカカカカカ!!!』


人族達の心胆を凍らす、薄気味悪い笑い声が響き渡ると同時に、アンデッド地竜たちがゆっくりと前へ歩きだした。


守備兵たちの顔に絶望が拡がる。

アンデッドたちに効率よく攻撃を加え、漸く三分の一ほど減らた処だった。死者が少ない分、援軍さえ到着すれば何とか守り切れるとも安易に考えていた。味方の戦意もまだ高かったのだが・・・。

しかし、今目の前には五十体もの地竜のアンデッドと、悍ましいまでの妖気を湛えたリッチが無傷で現れたのだ。これ以上、如何抵抗せよというのか。


「こ、こんなのって・・・」

「はは・・・、空からじゃ判らないよう偽装していたな。認識阻害の魔法かなんかだろう。あのリッチ、中々の策士だよ。」

「あれを倒すなんて・・・ムリに決まってる・・・」


壁上で座り込むティノ。その胸の中には街の皆を守りたいという気持ちを砕かれた絶望があった。

アルフレイも精も根も尽きた風でティノの横に座り込む。彼女だけではない。これまで街を守ろうと戦ってきた戦士が持っていた僅かな希望が、完全に打ち砕かれた瞬間であった。


『ティノよ。』

「ロウ・・・、あなたとキュアだけでも逃げて。私は皆を置いて離れられないよ・・・」


ティノは目に涙をためてロウに訴える。


『さて、ティノよ。よく聞くのだ。お別れだ。』

「う、うん。私の事はいいから。早く逃げて。」

『勘違いするな。我が今からあ奴らを全て消し去る。うむ、始めからそうすれば良かったのだ。』

「え、え?」

『元の姿に戻るでな。たぶん我はお尋ね者なのだ。姿を見られたならばここを離れなければならん。』

「ロウ・・・何を言ってるの?元の姿って何のことなの?」

『くくく・・・すまなかったなティノ。余りの居心地よさについ長居してしまった。』


ロウが笑った瞬間、空気が、いや大気中の魔素が一気に張り詰めた。街の一角で発生した強大な魔力の集中は、壁中の人族も、意思を持たないアンデッドも戦いの手を止めて硬直してしまうほど激しく強いものだった。


そして動きを止めた者達が次に見たものは、真黒な雲の中から降りてくる戦場を覆うほどの巨大な魔法陣である。銀色に輝くそれはゆっくりと回転しながら下降し、南門を中心に置くと空中で静止する。


ティノの目の前にいたロウが魔法陣の中心に向かって飛んでいき、その姿が完全に見えなくなると魔法陣は急に輝きを増し、中に消えたロウの代りに別の巨大な「何か」が姿を現した。


魔法陣の中から出てきたのは竜の首。それが一つ二つ、三つと順に出てきて、やがて黒い鱗に覆われた体の全てが這い出してくると巨大な翼を広げて咆哮する。


「GYAAAAAAAAA!!!!!!」


先程のリッチの笑い声など子供の鼻歌に聞こえるほど、人々の精神に直接響いてくる恐怖の叫び声だ。

この国の者ならば誰でも知っていた。当然、街を守る兵士も冒険者も噂には聞いていた。怨嗟の迷宮からこの世に這い出してきた厄災の神獣がいることを。そして目の前にいる巨竜がその不死竜ヒュドラであることを。

全身を黒い鱗で覆われた九つの首を持つ巨竜の出現に、人々は今度こそ死を覚悟した。


ヒュドラ、いやロウはティノのいる南門上で唖然として見上げるティノを一瞥すると、背中から伸ばした触手で南門に群がっていたアンデッド達を横薙ぎに吹き飛ばしていく。

さらに東門に多く取り付いているアンデッドを睨み、一番目と二番目の首の前に赤い魔法陣を展開する。さらに翠の魔法陣を重ねて展開させ、その口を大きく開いて【暴風炎のブレス】を吐き出した。


直径5mを越える二つの炎の帯は螺旋に絡み合い、東門のアンデッドを横合いから襲う。

目の前を横切るブレスの、あまりの熱量に壁上の兵士たちが屈みこんで顔を覆い地に伏せ、ブレスが行き過ぎた後に恐る恐る外を覗きこむと、あれだけ壁に取り付いていた殆どのアンデッドが灰となって消滅し、そこに残っていたのは溶けて真赤になった地面と、直撃は避けたものの体の殆どが溶けてなくなった数体のアンデッドだけであった。


ロウの灼熱のブレスは止まらない。

アンデッドが一番多く固まっている辺りを目掛けて二度目のブレスを吐く。それは真直ぐ集団に向かうと思いきや、突然方向を変えて上昇したかと思うと今度は空中で折り返し、アンデッドたちの頭上から直撃した。

炎は広範囲に拡がり、辺り一帯を火の海に変える。続けて四度のブレスを吐き出した後は地面も溶け出し、其処に立っていることができる者など一体もいなかった。


ロウが空中から舞い降りて街とアンデッドの間に降り立ち、姿を現したリッチを十八の眼で見据える。


「カカカカカカ?!」


骨ばかりのリッチに表情があるとしたら、その顔は驚愕で染まっていただろう。あれほど有利に戦いを続け、あと少しで街の門を抉じ開ける寸前で自分の軍団が消滅したのだから。さらに自分を見下ろすほど巨大な化物が進路を塞いでしまったのだから。

ロウが吐き出した灼熱のブレスでアンデッドの殆どが焼き溶かされて消滅し、立っている者はアンデッド地竜を含めて百に満たない数である。

それでも最後の足掻きとばかりに、ロウに向かって残ったアンデッドたちを押し出してきた。そして自らはロウの生命力を吸収させようと黒い闇属性の玉を打ち出してきた。

しかし黒い玉がロウに近付いてきた時、ロウの背中から生えた触手が高速で振るわれ、打ち払うようにして闇の魔法を消滅させる。もちろん玉に触れた触手の先端も腐れ落ちるが、ヒュドラの再生能力によってみるみる再生していった。


ロウの次の攻撃が再び始まる。

街にいる者が呆然と見守る中、ロウの咆哮と共にアンデッド達の頭上に現れたのは純白の光の魔法陣である。それを見て街にいる魔法士やメサイナ神教の信者たちは驚愕した。

この世界で光属性の魔法を使える者は少なく、そのほとんどが神教徒かトップクラスの冒険者、国属魔術師位で、直径が20mを越えるような巨大で光り輝く魔法陣など、大司教はおろか教皇ですら作り出すことは出来ないと思えたからだ。


ロウが出現させたのは当然ただの魔法陣ではない。光り輝く魔法陣から現れたのは剣、無数の光の剣である。

光属性魔法を操る者は、光を収束させ様々な武器を生み出す。例えば冒険者の頂点、白金持ち星3位の剣士は普段は丸腰で、戦闘時になると光魔法の双剣を出現させて敵を殲滅するのである。

強力な光魔法で創られた武器に斬れぬものはなく、闇を消滅させる力を持つ。ゴーストやアンデッドの様な闇属性魔獣にも有効で、光の剣に対抗するには同じ光属性武器か強力な闇属性武器しかないとまで云われているのだ。


そんな光属性剣が数百本いや千本を越える剣が、切先をアンデッド達に向けて宙に浮いている。

やがて高速で動き出した剣はリッチの放った闇の玉を切り刻んで消滅させると、残ったアンデッド達に一斉に降り注いでいく。強力な光属性に触れたアンデッドは消滅するしかなく、巨体を誇るアンデッド地竜ですら数十本の剣に刺し貫かれて次々と消滅していった。


戦場だった場所が静寂に包まれる。

そこには無限と思われるほど湧き出していたアンデッドが、ただの一体も残っていなかった。防護壁上に立つ人族の目に映るものは、真赤に溶けだした地面と、千の光の剣に囲まれたリッチ、そして九つの首を持つ黒竜だけである。


ロウと対峙するリッチはなんとか光の剣から逃れようとするが、八方から囲まれて逃げ場などはなく、軽く腕を動かしただけでも身に着けたローブが剣に当たり、ボロボロに溶けだしてしまう。

進退窮まったリッチが眼孔の奥に光る眼をロウに向けると、光の剣が一斉に動き出してリッチを貫き、その体を悉く消滅させていった。


全ての剣が動きを止め、やがて魔法陣と共に消えていったとき、リッチのいた場所に残っていたモノは、地面に横たわる黒い首輪と両腕輪を付けた小さな人骨のみであった。



街を守っていた兵士や冒険者達、学院生達は、目の前で起こったことに理解が追い付かず、ただ呆然と巨大な黒竜を見つめていた。

アンデッド達が防護壁を越えてくるのは時間の問題と、少し前まで誰もが死を覚悟していたのに、ものの十数分で全てのアンデッドが消滅してしまったのだ。

だが、誰も自分の命が助かったなどと思っていない。消えたアンデッドに代わって自分たちの目の前に厄災の不死竜がその巨体を晒しているのだ。あの魔獣は我々の味方なのか?それとも我々にも死を撒き散らす厄災なのか?


静寂を破るかのように九つの首が街の方を向く、ただそれだけの事だったのに、人々は恐慌を起こす。あの灼熱のブレスがこちらに向けられたらどうなるのか、考えただけでも恐ろしかったのだ。


「う、う、うわぁぁぁぁぁ!!!」


誰かが叫び声をあげながら防護壁から駆け下り、てヒュドラのいる方向とは逆の方向に逃げ出した。それを機に街を守っていた兵士や冒険者達ほぼ全員が同じように武器を捨て、街を守る誇りを捨て、我先に逃げ出していく。

ヒュドラがアンデッドの襲撃から街を守ってくれたという考えは、誰の頭にも無かった。人々の心の中には、ヒュドラがあの灼熱ブレスをこちらに向って吐き出すのではという恐怖心しかなかったのである。


そんな人族達の動きを見てもロウが動くことはない。

ロウはただ一点、目を見開いてこちらを見上げているティノだけを見ていた。


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