7.召喚
季節は冬、といってもソシラン王国は大陸の南西に位置しており、年間を通して温暖な気候であるため雪が降るようなことはない。
この時期は「年替わり」といわれ、この世界での一年が終わり新しい年を迎えるころで、街にいる誰もが皆忙しなく動き回っている。
平民はこの年の借金を少しでも減らそうと、いつも以上に身を入れて働き、貴族らは領内の収支を算出して次の年の税を決め、己の懐具合を再確認するのである。
アイザノク共同学院でも年末から年始にかけて六十日間の長期休暇に入る。
学院では年に二回長期休暇があり、学生たちは久し振りの長期休暇に心躍らせ、実家への帰省の準備をする者や遠方への旅行の準備をする者など、どこか浮ついた雰囲気の中講義を受けていた。
この時期の召喚術科の授業は、進級のためのおさらいと召喚した従魔との実践を想定した連携訓練が主となる。
この連携訓練で皆の目を引いたのがユリアナとビャッコの主従であった。
彼女の従魔ビャッコは、召喚された当初から敵なしの状態で他を寄せ付けない強さを誇っていたのだが、数か月前からその能力をさらに向上させて動きに磨きが掛り、外見もどことなく精悍になっている。
それはこれまで身に着けていた”重石”が取れたような動きで、学院内では王国騎士団でも倒すことが不可能なのではないか、とまで評されたほどである。
まず、ビャッコの内包魔力量が格段に上がった事により、魔法を使えるようになっている。いずれも水系の【氷槍】と【氷壁】という魔法で、攻撃魔法としては使い勝手のある優秀な魔法だ。魔法攻撃の威力は学院の魔法科の上級すら凌駕する威力を持ち、さらに霊獣という稀有の生命体に対する畏怖が深まった。
身体的には恒常体型が体長2m程度にスリム化し、魔力解放時に本来の姿であるその二倍程度まで巨大化するようになった。これはビャッコは体が大きく、どんな場所でもユリアナと一緒という訳に行かなかったため、常に一緒に居たいというユリアナの思いを受けて、普段は体を小さくし魔力を抑えることを覚えたのだろう。
さらにユリアナを騎乗させての連続飛行時間が飛躍的に伸びているし、ユリアナの他にティノ位の人であれば余裕で乗せることも出来るようになったのだ。
もちろんこうしたビャッコの変化には理由がある。ビャッコの契約者であるユリアナが、これまで使用していた学院の魔法陣ではなく、ロウが作成した魔法陣を写した腕輪を使って一旦亜空間世界に置いたビャッコを再召喚したからだ。
ロウが学院の教える魔法陣を査定したところ、召喚に不必要な情報や紋様が描かれていたので構成し直し、ビャッコの召喚に必要不可欠なものだけで再構築したのだ。再び召喚されたビャッコはまぎれもなくユリアナの従魔のビャッコであったが、旧魔法陣にあった不必要な”枷”が無くなり、その姿なり能力なりがより高い次元進化していたのである。
ユリアナはロウに感謝し、ティノの制止も聞かずその胸にロウを抱きしめてくれたので、ロウとしては大満足であったのだが。
そして今日、ティノがロウの魔法陣を使って初めての従魔召喚を行う。
場所はティノとロウが初めて出会った、街外れの朽ちた遺跡である。
この数か月の努力の甲斐あって、固有能力【魔力最適化】が顕現しティノの内包魔力は飛躍的に増大していた。この能力のおかげで召還に必要な膨大な魔力を供給できる目途が立ったのだ。召喚士と従魔の付き合い方も、図書室で文献を読んだり、冒険者組合まで出向いて従魔使いの冒険者から話を聞いたりして、だいぶ理解を深めた。
古代ゴード文字の習得から魔法陣の文様配列の配列の理解、召喚可能といわれる魔獣、鬼獣、霊獣、精霊の特性の把握など、覚えることは山のようにあったが、弱音を吐かず知識を貪欲に吸収していったのである。
従魔を必要とするその目的も、従魔の姿も全て決めている。
ティノが召喚しようと決めたのは【魔獣グリフォン】だ。グリフォンの種分類が魔獣なのか神獣なのかは定かではないが、この世界でその姿を目撃された例はなく、神話やお伽噺に出てくるだけの生物であった。
学院の図書館にあった物語「救世の書」の挿絵に描かれていた、鷲と獅子を身体を持ち、自由に空を駆けることができる魔獣で、物語の中では主人公の騎獣を務めていた。
飛竜をも凌ぐ飛行能力と戦闘能力、ドラゴンにも向かって行く闘争心と主人への忠誠心を併せ持つ魔獣で、鉤爪と嘴、風魔法攻撃、雷魔法攻撃を得意とする、とある。
はたして物語にあった様なグリフォンが召喚されるかどうかは分からない。だが、ティノはロウから必ず成功するだけの努力は十分したと言われ、例え召喚された従魔がグリフォンではなくても従魔として大事に付き合おうと決めていた。
「それじゃやってみるね。」
『ああ、気負わず平常心で行くのだぞ。』
「うん、大丈夫だから。」
ティノは目を閉じて深く息を吸い、胸に手を当て深呼吸を二、三度繰り返す。そしてそのままの姿勢で指先で左手の腕輪に触れると、固有能力【魔力最適化】を発動し、静かに魔力を流し込んで行った。
「理の中に生まれし魂と魂が結び、百花繚乱たる一つとして世に我の求める姿となりし汝を誘う。我が声に応え我が魂に触し、我が元に来よ、天駆ける翼グリフォン!」
召喚の詠唱が淀みなく流れ、同時にティノの腕輪が輝き始める。ティノはそのまま腕を前に突き出してさらに腕輪に魔力を流し込み、グリフォンが、空を飛ぶ翼が自分の元に来ることを強く願った。そしてグリフォンに乗り、空を共に飛ぶ自分の姿をイメージする。
魔法陣がこれまでにない輝きを放ち始める。その光は徐々に広がりを見せ、やがてティノの目前に巨大な光の魔法陣が浮かび上がった。人族では出来ないと言われた魔法陣の顕現である。
魔法陣がゆっくりと回転しながら地表へと降りていく。そして地面に接しようとしたその時、魔法陣の中心に向って光が崩れていき、あるものの形となって収束していった。
「クルルルルゥゥゥ!!!」
甲高い鳴き声を上げ、一匹の獣が光の中から現れる。
上半身は鷲、下半身は獅子、それはまさしくあの物語に描かれていたグリフォンの姿であった。ただ、描かれていたグリフォンは、鷲の身体が白で獅子の身体の色が黄金であったのだが、ティノが召喚したこの個体は漆黒の羽を持ち、全身が白と銀色の羽毛で覆われている変異種である。
目の前にグリフォンが召喚されてもティノは目を開けない。グリフォンが召喚される前からすでに互いの魔力、心の繋がりは感じていたので召喚が成功した事は分かっていたから、そのまま契約魔法を詠唱する。
「汝の御魂は我の元に沿い、我が剣と成れり、我の命運は汝の糧と成りて、更なる上に汝を栄す。」
ティノの身体から白い三ツ星が現れ、ゆっくりとグリフォンに近付いていく。ティノの契約紋である三ツ星はグリフォンの漆黒の翼の根元に吸い込まれ、そこだけ羽が白く変わっていく。グリフォンが契約を受け入れたのだ。
そこでティノは漸く目を開けてにっこりと微笑み、召喚した自分の従魔に話しかけた。
「あなたの名前はキュアよ。宜しくね、キュア!」
「クルルゥゥゥ!!」
まるでティノの言葉を理解しているかのように、いやおそらく理解しているのだろう、グリフォンは可愛らしい鳴き声で応じてティノに頬擦りし始める。
独特の魔力をその身に纏うグリフォンをロウは固有能力【邪眼】でグリフォンを鑑定してみると、やはりその能力の高さが際立っていることが判る。
名 前:キュア(グリフォン)
種 族:幻獣(幼体)
状 態:弱興奮
生 命 力:110,000 魔力量:9,000
能 力:ティノの契約者
固有能力:【自己回復】
特殊能力:【風魔法】【雷魔法】【身体強化魔法】【遠目】
通常能力:【威圧】【索敵】
体長は今ですでに2.5mもあるのだが、ロウの鑑定能力でも(幼体)であることは明らかであり、今後どのように成長していくのか、非常に楽しみである。
特筆すべきはグリフォンの種族がこの世界には存在しなかった【幻獣】となっていることである。これにはロウも驚いたのだが、このグリフォンは召喚されたというより、ティノの思いが生み出したのだからそうなったのだろうと納得した。
「・・・ティノさん、素晴らしい、素敵な従魔ですわ!」
「ユリアナ様、ありがとうございます!よかった!ちゃんと召喚できました。」
召喚魔法を傍で見ていたユリアナが駆け寄り、ティノと手を取り合って喜んでいる。
想像上の魔獣であるグリフォンの召喚に挑戦すると聞きつけたユリアナは、ティノの事が心配でビャッコと共についてきたのだ。高等貴族の娘が、共も連れず単独で街外れまで出てくることなどそうあることではないのに、どこまでも型破りなお嬢さんである。
一頻女子二人がグリフォンを挟んで盛り上がっていたが、弾けるような笑顔を見せていたティノが急に真顔になり、ビャッコの頭に乗るロウの元へ歩いてきた。
ロウの近くに来るまでには、すでに目に涙を一杯溜めてぐずぐずしている。
「ロウ・・・。ありがとう、ほ、ほんとうにあじがど・・・」
『また泣くか、この泣き虫め。鼻水など垂らしていると従魔の主としての威厳を失うぞ。』
「だ、だって・・・ひっく・・・ロウのおあげで・・・あだし・・・」
『だから泣くなというに、、、誇れ、喜べ、召喚士ティノよ。』
「っ!う、うわぁぁぁぁぁっん!!」
完全に涙腺が決壊し、大泣きするティノ。ロウはビャッコの頭の上でオロオロし、ユリアナはその姿を微笑んで眺めている。
涙と鼻水で顔中をグシャグシャにして大泣きしている少女が、後に『白銀の天女』という二つ名で武名を轟かす戦士になるのは、まだ少し先の話である。
◆
ようやく落ち着いたティノと今後の従魔の対応について話しておく。
ロウはグリフォンの送還場所として亜空間という不安定な場所は止めて、自分の塒にしないかと提案してみた。当然そこが浮遊島であることは秘密にしているのだが。
幻獣という稀有な存在であるグリフォンともなれば、各方面から目を向けられ、妬みによる毒殺や自分のものにしようと隷属魔法を行使されるなど、好からぬ危害を加えられる可能性も捨てきれない。
四六時中ティノと一緒にいる訳にもいかないのだから、普段は安全な場所で過ごし、必要に応じて呼び出せばよい。狭い預所などにいるより広い場所でびのび過ごせるほうが良いであろうと考えたのだ。
しかもそこは異空間ではなく同じ世界なのだから、例え召喚術を使わなくても、魂の繋がった従魔なのだからどんなに距離が離れていてもお互いの居場所は分かるはずなので、時間さえかければ飛んでくることも出来るのだと。
ロウの塒が何処にあるか知らないが、話を聞いたティノはその危険性に気が付き一二もなく賛同した。もちろんロウと同じ考えを持っていたユリアナも同じである。
ロウはティノとユリアナの腕輪に浮遊島への転移魔法陣を描き入れる。
ティノの腕輪の魔法陣には本陣の他に五つの衛星陣があり、一つはキュアを浮遊島から召喚する陣でもう一つが送る陣。もう一つはロウを呼び出すための陣だがこれはティノにも秘密にしている。
あとの二つは追々教えてあげればよいだろう。
ティノがドラゴンの幼体に続いて想像上の生物グリフォンの召喚に成功したことは、あっという間に学院中に街中に広まった。
当然どうやって召喚に成功したのか、どこにいた個体なのかとあらゆる方面から質問攻めにされるが、予てからの打合せ通り、本を読んで空想の生物を思い浮かべながら召喚魔法を発動させたと、真実の一部分だけを正直に話した。
実は魔法陣を改訂していたことなど誰も思い付かず、ティノの証言通りに、伝説の生物や物語の挿絵を傍らに置いて召喚を行い、何の反応もない者、魔力をごっそり奪われて卒倒する者が続出してしまった。
だが、そんな大騒ぎも学院の長期休暇突入と共に沈静化していき、結局は偶然の産物だろう、ドラゴンの事といいなんて運が良い女なんだ、と囁かれる程度にまでなったのである。
殆どの学院生たちは帰省してしまい、残っている者は平民出の学生か、学院に残って自己鍛錬に努める者、あるいは研究者くらいで、当然貴族出のユリアナも実家のあるオヌワーズ領へと帰って行った。
さて、当のティノだが長期休暇となっても帰る家はなく、旅行にでも行こうかといっても特に行きたい場所があるわけでもない。それなら預所にいるロウとキュアと一緒に近場でピクニックにでも行こうかと考えていると、部屋の扉が叩かれ、外から預所のアルフレイの声が呼んでいた。
長期休暇中の預所は結構暇で、従魔を預ける者は殆どいない。一緒に実家まで帰るか、冒険者としても活動している者は、商隊護衛や迷宮探査など普段は出来ない長期拘束の依頼を受けるからだ。
そんな訳でアルフレイも休暇状態となり、予定の無かった彼女もロウとキュアの世話を快く引き受けてくれたのだった。
「ティノちゃん、組合に冒険者登録に行かない?それなら討伐依頼も受けれるし、ロウもキュアも暇そうにしてるよ?」
「冒険者・・・ですか。」
「そう!あたしが口聞いてあげるから。キュアの戦闘訓練にもなるし、お小遣い稼ぎにもなるよ。」
「そうですね・・・って!アルさん!!腕が!!」
「ふふん!気が付いた?ロウが作ってくれたんだよ!あたしの腕!」
アルフレイの腕には磨き上げられた金属製の腕が付いている。ロウは固有能力【創造】を使って、アルフレイのため魔力を通すことで自由に動かす事が出来る「義手」を作成したのだ。
材料は純度の高いミスリルを使って魔力を通しやすくし、騎士達が使うガントレットを参考にして関節の動きを再現してみた。
ミスリル特有の薄い蒼色をした外見は籠手のようにゴツゴツした物ではなく、あくまで女性らしい滑らかな曲線を意識して加工したので、一見は女性冒険者が防具を装着しているだけのようにも見える。
「しかもちゃんと動くんだよ!ほら!」
アルフレイが腕をニギニギして自由に動かせることをアピールすると、ティノは目を見開いて驚いた。それが義手だとは思えないほど自然な動きだったからだ。
『ふむ、我にかかれば造作も無い事なのだ。』
「ロウ・・・、すごいよ!それが作り物だなんて信じられないよ!」
「うん、最初はすこし違和感があったけど、すぐに慣れて自分の思った通りに動くようになったんだよ。」
にこやかに話すアルフレイだが、この義手を装着して腕が動いたのを見た時は嬉しさのあまり大泣きして大変だったのだ。
日頃から世話になっているアルフレイの腕を、ロウは何とか再生させようと診断してみたのだが、腕を無くしてから長い年月が経ったことで、内包魔力の流れが腕がない事に馴染んでしまっていたため、仮に再生させてもまともに動かせない恐れがあった。
それならば、ある程度精巧な義手を作って装着させ「腕があること」に慣れさせれば、内包魔力にも変化があるかもしれない、と考えたのだ。
どうせ作るならトコトン拘るのがロウである。
人体の仕組みは前世の記憶にあったので、義手には骨格と筋肉、皮膚となる外殻、神経の代わりのミスリル糸といったパーツをそれぞれ作りこみ、魔力で制御を行えるよう各部位に魔法陣を彫り込んでいる。つまり、指を動かすという意識で魔力を通せば魔法陣が反応するという仕組みだ。
意識して体の部位を動かす、という行為は難しいだろうが、慣れてくれば自然な動きに近付いてくるはずである。そうなれば内包魔力も五体満足時の流れに戻ってくるので、細胞を再生できるかもしれないという考えだ。
さらにこの義手はミスリルで造っているので、魔法発動の媒体としては最高の相性なのである。
元々アルフレイは身体能力に優れた獣人族の中でも魔法を得意とする「狐人族」である。しなやかな動きを生かした剣術と四大属性魔法と闇魔法が使え、冒険者時代は組合からも期待されていた一人だった。
ロウは義手の五本指にそれぞれの属性をブーストする魔法陣を仕込んで魔法の威力を高め、腕の部分には魔素吸収の陣で燃費を向上させ、掌部分には魔法強化の陣を刻んでいる。魔法使いにとってこれだけの性能を持つ魔法発動媒体は垂涎の的であろう。
余計な期待を持たせないよう、アルフレイには腕が再生できる可能性があることはまだぼんやりとしか言っていないが、とにかく喜んで貰えたのはロウにとっても嬉しい事だった。
「だから腕の動きも試したいんで、ティノちゃんにも付き合ってもらいたいんよ。」
「うん!行きたい!こちらからもお願いします!」
早速二人は準備に取り掛かる。
アルフレイは冒険者を辞めたといっても、まだ未練があったのかすべての装備を残したままであった。それを装着してしまえば準備は完了である。
一方、ティノの装備はというと・・・これもまたロウが暇に任せて作った装備が一式取り揃えてあった。
「緋緋色金の短剣」「雪狂熊の皮の胸当て」「岩百足の外殻のキュートレット」
これがティノの装備である。
ロウにとっては有り合わせの材料で作った装備でしかないのだが、人族の扱う素材としてはどれも一級品の材料を使っており、性能もその辺の武器屋では太刀打ちなど出来ぬほどに高いものである。
アルフレイの義手を作った時もそうだが、ロウはティノに何も言わずに勝手に生産部錬金術科のスタイナーを訊ね、鍜治部屋を貸してもらって作っていたのだ。
最初は一匹だけでで訪ねてきた従魔に驚いた様子だったが、スタンレーは何も言わず前と同じ部屋にロウを案内し、今度は何をするのかとそのまま居残って、ロウの【錬成】の力によってただのインゴットが見る見る変わっていく様子を、表情も変えずただ見ていた。
やがて粗方の作業も終わり、ロウが預所に戻ろうと片付けをしていると、その背中をツンツンとつつき、振り向いたロウに一枚の紙を見せた。
そこには一つの魔法陣が描いてあった。ロウから見れば拙い、ただ写しただけの様な魔法陣だが、それはまさしく先程までロウが使っていた「金属性状変化」の魔法陣であった。この魔法陣を介して魔力を使うことで、固い金属も一時的に弾性側に変化し、任意の形に変形させることが可能となる。
錬金術科の天才は、ロウの作業中に空中に浮かぶ魔法陣を一目見ただけで模写したのである。錬金魔法の中には「刻印」という魔法陣に似た印があり、一定の魔法効果を物に付与する事が出来る技術がある。ただし、その効果は一時的なもので簡単なものなら100日程度であった。
一言も喋らないが、彼はその刻印の知識から魔法陣に何らかの秘密があるとみて、紋様の意味は何かと聞いているのだろう。
ロウは空間倉庫から紙とペンを取り出し、「金属状態変化」の魔法陣を描くと部屋の隅から鉄塊を引っ張り出して魔法陣の上の載せて魔力を込める。すると一瞬魔法陣と共に鉄塊が輝きあっというまに術式が完成した。
スタイナーに触るよう促すと、彼は御くびも見せず鷲掴みにするが、鉄とは違う柔らかい触感に目を見開いて驚いた。魔力の加減で金属を固くも柔かくもできる魔法である。
こんな事情があって、今やロウがスタイナーを訪ねると無条件で部屋を貸してくれるようになった。勿論、その時はスタンレーも同じ部屋の中に居座ることになるのだが。
ともあれ準備も出来た二人は学院を出て歩いて冒険者組合へと向かった。
キュアはティノが背中に乗らないので不満げであったが、ティノが楽ばかりせず自分で歩くことを心掛けているのを理解しているので、今はロウを背中に乗せるだけで我慢している。
冒険者組合は商業区の東門付近にあり、石造り三階建ての大きな建物だった。入り口横のスペースにキュアを預け、開け放ちの大きな間口を入っていくと、正面に依頼斡旋カウンター、右手に食堂兼酒場、左手に買取カウンターと事務窓口が並んでいる。
女二人組の入場に不躾な視線が注がれるが、背の高い狐人族の女冒険者を見て古株の冒険者達が皆一斉に驚きの表情を貼りつかせた。
「お、おい・・・一緒にいるのは『鬼火』の姉御じゃねえか?」
「ま、間違いないよ!姉さん!!お久しぶりです!!」
アルフレイの姿に気が付いた冒険者達が声をかけて寄ってくる。『鬼火』という二つ名持ちのアルフレイは、元来の強さと面倒見の良さで誰からも頼りにされる存在だったのだ。
引退して時が経つのに自分の存在を忘れず、またこうして声を掛けてくれる仲間の気持ちを嬉しく気恥ずかしくも思いつつ、今はこの子の事が先だからと言って事務カウンター前の列に並んだ。
「アル・・・久しぶりね。その腕・・・復帰するのね?」
「それもこの腕の状況次第だね。ポーラ、今日はこの子の登録に付き合ってきたんだ。」
「そう、良かったわ。後でどういう訳なのかちゃんと報告に来なさい。貴女はこの用紙に必要事項を記入してね。」
アルフレイの顔馴染なのか、テキパキと業務を進める女性職員に記入した紙を渡すと、一旦席を立って奥の部屋に入っていき然程待つ時間もなく窓口へと戻ってきた。
「はい、ティノさん。貴女はアルフレイさんの推薦もあり青のビギナー星2からの登録です。このプレートは身分証にもなりますので無くさない様に。これは組合規則、罰則が書いてある冊子ですので、必ず熟読してください。知りませんでしたという言い訳は通用しませんので。」
「は、はい。」
「登録料は銀貨1枚です。組合口座を開設される場合、先に銀貨をもう一枚預けて頂くことになりますが。」
「は、はい。お願いします。」
「はい。それではティノさん、これからは可能な範囲で、無理をせず組合活動を行ってください。決して命を粗末になさらない様に。」
「はい、気を付けます。これから宜しくお願いします。」
「こちらこそ。アルのこともお願いね。」
「はい!」
嫣然とウィンクするポーラに元気よく返事を返して冒険者の証を受け取ると、後ろで待っていたアルフレイの元へ駆けていった。
組合を出た二人は、やはり歩いて東門を出る。そのまま歩きながら相談し、今回は特に依頼も受けていないしティノの希望で『魔境』の端まで行って獲物を探すことにした。
ティノはグリフォンに乗って飛んで行けるが、アルフレイはどうするのかと思っていると、キュアの背から降りたロウがいきなり膨張し始め、あっという間に成竜へと変化してしまったではないか。
余りの事に呆然として固まったアルフレイに背を向け、乗れと言わんばかりに一声吠えると、我に返ったアルフレイが額に手を当てながらロウに跨った。
「アルさん!私だってロウに乗って飛んだこと無いんですからね!」
「グアァァ・・・」『我だって誰か乗せて飛んだことがないわ・・・。』
「ちょっ!大丈夫なのかい?振り落したりしないでよね!?」
ティノはグリフォンの騎乗訓練も何度となくこなしてきたのでだいぶ空を飛ぶことに慣れてきたが、初めて空を飛ぶアルフレイはどうだろうか。
黒と銀の影は見る見る大空に舞い上り、東の方角に向けて速度を上げて飛んでいく。そして、なぜか女性の悲鳴が影の後を追うように響いていた。
◆
「ティノちゃん!左から二匹!」
「はい!キュア!行って!」
学術都市レミダの東方。『魔境』と呼ばれる深い森と渓谷が人族の侵入を拒んでいる場所がある。
人族と魔獣の居住エリアを分けるギリギリの境界部で、ティノとアルフレイが全身白い毛で覆われたボルケドというヒヒ型の魔獣と戦っていた。
ボルケドは体長が1.5m程度と小柄な魔獣だが、五匹から十匹が連携して襲ってくるのでルーキーやビギナーには荷が重く、センターでも前後衛揃えたフルパーティでないとなかなか討伐が難しい相手であった。
だが、義手を付けたアルフレイはセンターの冒険者の中でもトップクラス、しかも金属の義手は彼女の思い通りに動き、金属筋力も桁違いにパワーアップしている。魔法発動体としても優秀で魔力消費を格段に小さくしてくれていた。
「っ!なんでこんな近くにボルケドの群れがいるんだい!?」
アルフレイが飛び掛かってきた一匹の首筋を愛剣で撫で切って絶命させると、すぐさま右手に狐火を発現させてもう一匹に向けて放つ。キュアは飛び掛かってくるボルケドを難なく躱しながら、風魔法の「風の矢」を使って牽制し、鉤爪で急所を引き裂いて倒している。
八匹ほどの集団だったがティノとアルフレイは落ち着いて対処し、殲滅するまでさほど時間は掛からなかった。
「ふーっ・・ティノちゃん怪我はない?まだ森の外れなのにいきなり三等級の魔獣が出てくるなんて・・・。」
「はい、大丈夫です!キュアも大丈夫ね?」
「クルゥゥ!」
紫星三つ、センター冒険者であるアルフレイがいたので無事倒す事が出来たが、この辺りは精々四等級魔獣しか現れない場所で、ティノと同じビギナーやルーキーの冒険者も依頼で訪れる場所である。ボルケドの様な危険な魔獣が出てくるエリアではなかったはずだった。
とにかく先ず血抜きし、胸に埋まった魔核を取り出してから買取素材となる毛皮を剥ぎ取りにかかる。
ティノにとっては初めての生物の解体だったが、ロウの空間倉庫ならともかく魔法拡張鞄では精々三~四匹しか格納できないし、魔獣と戦うのであればいずれ通らなければならない道である。慣れない手つきでアルフレイを手伝い、素材の回収を覚えていった。
そんな時、ロウが何かに気付いたように頭を上げ、魔境の奥を凝視している。
『ティノ、どうも嫌な感覚だ。何かこっちに向ってくるぞ。』
「え?どういう事?」
『判らん。しかし、かなり大きな集団だ。百や二百なんてものじゃない。あと二十キロほどか・・・』
「歩きで半日教か・・・。そんなに近いところにデカい群れがあるなんて情報、組合でもなかったはずなんだが・・・」
「空から様子を見てみましょうか?」
手早く素材の回収を終わらせ、余った肉はアルフレイの土魔法で埋め、ロウとキュアに乗って『魔境』の奥に向かって飛び立つ。
ロウが「嫌な感覚」を感じた方向へ下を注視しながらしばらく飛ぶと、ロウだけではなくキュアも、人族のアルフレイやティノすらも、背筋がゾクゾクする様な嫌な感覚を感じ始めた。
「っ!なんだ!」
「あ・・・あんなのって・・・」
空中を旋回するロウとキュアの背で二人が絶句する。
森の中を同じ方向に進む集団がいた。
コブリンやオーク、オーガなどの人型魔獣やフォレストウルフやサンドボア、ロックアリゲーラや地竜までが入り混じった大集団であった。ただし、そのすべてがアンデッド化しているのだ。肉や皮膚は腐り、骨が見えている個体もいる。足がない者はその身を引き摺り、それでもゆっくりと集団に付いて行っている。
森に遮られてその全容は見えないが、さっと見ただけでも千はいるだろう。
「ティノちゃん!これはヤバい!!」
「アルさん!あれってやっぱり・・・」
「ああ!街に、レミダに向かってる!」
あの集団が街に向えば大変な事になる。
アンデッド化した魔獣は昼夜なく生きているモノを襲い、際限なく喰らい続ける。さすがに殺されたものまでがすぐにアンデッド化する様な事はないが、脳を潰すか体内の魔石を破壊するしか物理的に倒す事はできない。
魔法攻撃ならば光属性魔法の攻撃魔法である「光の矢」を放つか「光球」という熱源を放つことも有効な手段だがその使い手は非常に少ないのが現状だ。他の魔法攻撃であれば焼き尽くすか押し潰すか、とにかく殲滅するには非効率な相手なのだ。
過去にエリアヒールなどの範囲回復魔法の光でアンデッド化したモノの細胞が破壊されたという例は報告されているが、そのような大規模魔法が出来る者はまずいないだろう。
他にもアンデッドに有効だど云われている魔法は「癒し」や「回復」であるが、これも通常は単体相手に発動する魔法なので戦闘に使えるとは言い難いのだ。
つまり、アンデッドの集団は生ける者にとって相当厄介なものであり、千のアンデッドともなると第一級災害に相当する脅威なのである。
「ティノちゃん!街に戻るよ!皆に知らせないと!」
「はい!キュア!お願い!」
『やれやれ、慌ただしい事だな・・・』
あのアンデッドたちの行軍速度なら街まで二日余りで到達してしまうだろう。それまで迎撃準備が整うのか、アルフレイは絶望的な状況を頭から振り払うように目を閉じ、ロウの背中にぎゅっとしがみ付いた。