5.勝負
学務課でロウの同道許可証を発行してもらうと、ティノはまだ人の多い学舎の廊下を避け、内庭回りで校門を出る。もう鐘二つの刻(鐘一つ刻は九時、鐘二つ刻は十三時、鐘三つ刻は五時、鐘四つ刻十七時くらい)を過ぎ、街は昼食を終えた労働者たちが午後の仕事に戻る最中だ。
今ティノとロウは街の商店街に向かっている。従魔の証を貰ったロウは、早速街の屋台に行くと騒ぎだし、渋るティノを強引に引っ張ってきたのだ。
『ティノ!焼肉だ!あれを食べるぞ!』
「ま、まって、そんなに慌てなくても屋台は逃げないよ!」
商店街に到着すると、早速何かの肉を焼いている屋台に向かって飛んでいく。
『ティノ!この串焼きの肉はいくらなのだ!?』
「え、ええっと、おじさん一本おいくらですか?」
「っと!嬢ちゃんの従魔か?驚いたぜ。突然トカゲが飛んでくるからよ。嬢ちゃんラクボアの串焼き一本半銅貨二枚だよ。焼き立てだぜ!」
『おし!貰おう、二本くれ!』
レミダの街で普通の宿をとると宿泊費は、朝夕食事付きで銅貨二十枚。体を拭くお湯を貰うと銅貨二十五枚だ。銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚の計算となる。
半銅貨とは庶民の間で使われている貨幣で銅貨の四分の一の重さしかない貨幣だ。
ロウは触手を使って空間倉庫から銅一枚を取り出すと、そのまま店主に手渡した。その行動に目を丸くして驚いていた男だが、指を二本立て涎を流して待ちわびているロウを見ると、人の好い笑顔を見せて串焼きを二本準備する。
やがて大人のこぶし大の肉の塊が焼けると、ドロリとしたソースを塗りたくってもう一度火にかける。この臭いを嗅いでなおの事ロウの涎が止まることがない。
「賢い従魔だな!嬢ちゃんのと二本だな、ほら焼けたぜ!」
「ちょっとロウ!なんであんたお金持ってるのよ!?」
『気にするな。諸般の事情だ。』
触手を器用に使って受け取り、一本を自分の口に入れ、もう一本をティノに渡した。ロウの口の中に広がる香ばしい香りと、溢れんばかりの肉汁。ロウにとって実に二百年ぶりの食事であった。
屋台のカウンターに座って串焼きに一心不乱に噛り付き、涙を流して食べるロウをみて店主が人の良い笑顔で笑う。
「変わった従魔だな。大トカゲの一種かい?」
「は、はは、似たようなもんです。すみません、店先なのに。」
「いいってことよ。こんな風に旨そうに食ってもらえるとは嬉しいねぇ。お行儀もいいし上品だ。お嬢ちゃんの従魔はホント賢いんだね。」
「はぁ、こんなに食い意地が張っているとは思わなかったですけど・・・。」
「ははは!いいじゃねぇか!自分で金払ってんだし、お嬢ちゃんも奢ってもらったんだしよ!」
結局ロウはその屋台で四本追加して食べ、さらに隣の屋台の肉スープ、果物店、甘味店とハシゴしてようやく落ち着いたのだが、実はその間ティノもちゃっかりご相伴に与かっている。
最初はどの店でも従魔がドラゴンという事で驚かれてしまったが、店の物を美味しそうに食べ、しかも自分でお金のやり取りもする賢い小ドラゴンを見ているうちに店主の警戒心も薄れ、去り際にはにこやかにお見送りされたのだった。
それからさらに何軒か食べ物屋を見て廻り、歩き疲れたと泣き言をいうティノの要望もあったので、新鮮な果実ジュースを買って広場のベンチに座っている。決して満腹になったわけではないが、久しぶりの食事を楽しんだロウはご機嫌である。
『この街は美味しい店が多いな。気に入ったぞ。』
「ロウ、大丈夫なの?あんなに食べて。たくさんお金も使ったし。」
『ああ、我の体内に取り込めばあっという間に魔素変換されるから問題はない。』
軍資金については、百五十年もの間に迷宮で倒れた冒険者達が持っていたものや、ヒュドラ自身が迷宮内の金鉱から採取した金塊で創った金貨、さらにこの間戦った勇者様御一行からたんまりと頂いた分で潤沢にある。屋台での買い食いなど何とでもない。
例え底をついたとしても、長年迷宮の最下層で創ってきた魔道具の一つでも売れば何とかなると楽観的に考えている。
迷宮創造主は迷宮に入ってくる冒険者への報酬を用意しなければならない。何故か?と問われてもそういう本能の元に生きている、つまりこの世界の神が作ったルールなのだからとしか言いようがない。
ロウはその本能に則り、金貨を造って迷宮の壁に埋めたり、死んだ冒険者が持っていた剣を魔剣に創り変えて階層主のいる部屋に隠したりしていた。
いくつかは冒険者に持ち去られていたが、中層階から深層階に配置していたそれらは手つかずだったので、迷宮を出る際全て持ち出して空間倉庫に入れてあるあたり、実に貧乏性の神獣であった。
◆
街に鐘四つが鳴り響いた頃合いに、ティノとロウは学院内の寮へと戻ってきた。
さすがに色々食べすぎて夕食まで入らないティノは食堂棟にはいかず、ベットに座って歩き疲れてパンパンになった足を摩っていた。
『そうだティノ、当面の生活費を渡しておこう。今日はついつい我がやってしまったが、従魔が金を払っては体面が良くないであろうからな。』
「・・・体面の問題じゃないんだけどね。」
ロウはそういうと空間倉庫を開き、中から金貨と銀貨を数枚ずつ取り出してティノに渡そうとした。食費もそうだが部屋へ居候しているのだから寮費も折半せねばならないし、日用品だっていろいろと係ってくるだろう。全ておんぶにだっこでは申し訳がない。
「ちょ、ちょっと!!なんて大金を無造作に出してるのよ!」
この街で金貨一枚あれば半年は宿屋暮らしで生活していける。それを数枚、突然何もない空間から取り出し渡してきたのだ。ロウにとっては必要経費の先渡しと思っていたのだが、貴族や商人は別として一般の住民であれば金貨など取扱うこともない貨幣である。
慌てるティノを余所に、ロウはティノに渡してあった魔法拡張鞄に放り込んでいる。
『優秀な召喚士になってもらわねば困るからな。まぁ先行投資と考えてくれれば良い。』
「は、はぁ?先行投資って・・・もう学費は払ってあるし、寮費いらないし、食費だって贅沢しなければ何とかなるから。」
『召喚を行うたびにあの様な魔法陣お絵かき道具を持っていく気か?毎回毎回地面に魔法陣を描いていては日が暮れてしまうぞ。』
「え?だって地面に魔法陣を描かなきゃ召喚なんて出来ないじゃない。」
『ふふふ、やはりその辺りからすでにズレている様だな。』
そういうとロウは空間倉庫を開き、中から以前自分で創った紙とペンを取り出すと、触手を使って図形を描いていく。一つの正円と内側にも少し小さい円、さらにその内側に正方形が一つ描かれた簡単な図形だった。
そして次に描きあがった図形の、四角形の角と内側円が接する位置に古代ゴード文字を四つ書き入れる。で、召喚に必要不可欠な要素である。
『今描いたのは召喚魔法の基本となる魔法陣だ。』
「え?こんな簡単なものなの?子供の落書きみたいだけど・・・。」
『単純なものだからな。たとえばこの魔法陣の中央に「火」というゴード文字を入れる。』
「・・・」
『あとは魔法陣の文様すべてに行き渡るよう魔力を通すと・・・』
ロウが魔力を込めると紙に描いた魔法陣が淡く白く輝きだし、紙から分離した魔法陣が空中に浮き上がってきた。ティノの目が大きく見開かれる。
『炎よ』
ロウが静かに命じると魔法陣の中心からリンゴ大の炎が出現し、ティノの部屋を明るく照らし出した。青白い炎は小さくても相当の熱を持っているのか、離れて見ているティノの顔に熱が伝わってくる。
『消えよ』
再びロウが命じると、空中に静止していた炎は一瞬で掻き消え、夕闇で薄暗くなったいつもの部屋の景色が戻ってきた。
「あ、あのロウ、今のはいったい・・・」
『炎を【召喚】したのだよ。』
「え?ええええ!?」
『召喚とは何も従魔だけを呼ぶだけのモノではないぞ。我の使う古代魔法は魔法陣を基礎とする魔法なので、炎も雷も魔法陣を使って呼ぶのだ。』
「あ?そ、その・・・。」
ロウの使う古代魔法とは魔法陣を使って従魔を召喚するだけでなく、炎や水、雷などこの世の森羅万象を「召喚」する魔法なのだ。ティノは自分の理解の範疇を超える話に目を白黒させている。
『この通り召喚魔法には魔法陣が使われることは知っているな?』
「も、もちろん知ってるわ。召喚魔法陣を覚えなきゃ何もできないじゃない。」
至極当たり前のことを聞いてくるロウに訝しげな目を向けるティノ。実際、彼女が使っている魔法陣は学院の講義で教わったもので、召喚術科の生徒はこの魔法陣を暗記するまで頭に叩き込み、自分で描いた魔法陣に魔力を通すことで召喚魔法を完成させている。
『ではその魔法陣、どんな意味を持っているのかも理解しているのか?』
「え?意味って、従魔を呼ぶための召喚の魔法陣だよ。それ以外に意味はあるの?」
『成程。つまり、それでは教えられた通りに魔法陣の「形を憶えて」使っているという事だな。』
「え?」
召喚の魔法陣は特に高度なものではなく、この陣に意味を付けるならば『扉』である。魔力を込めて魔法陣を描くと、その陣自体が魔力を持ち、様々な能力を発揮するのである。
ティノが召喚魔法の歴史の講義で教わったのは、召還の魔法陣は七つの種類があるが、現在使われているのは魔獣召喚と精霊召喚の魔法陣のみで、その他の魔法陣は形が複雑で描くのは難しいうえ組み込まれる古代ゴード文字も多いため、正確に描ける者など殆どいないということだ。
たとえ描くことはできても魔法陣を起動させるためには膨大な魔力は必要となるため、並みの人族では魔力枯渇状態に陥り、最悪の場合死に至る。
さらにいうなら超高度な神獣召喚の魔法陣は完全にに失われており、運命神ルードを祀るルード教会総本部の壁画として描かれているのが幽かに見えるのが最後だという事だった。
召喚術科で教えられたのは精霊と魔獣の召喚魔法陣の二つだけで、ティノも皆と同じように魔法陣を覚え、同じように召喚の呪文を唱えるのだがどうしても上手くいかなかったのだ。
しかしロウは学院で教わった魔法陣より簡素な魔法陣を描き、さらにどういう魔法なのか魔法陣を空中に浮かばせてしまうという不可解な術を見せたのだ。しかも呪文の詠唱もなく召喚したのは従魔ではなくただの『火』である。
『ふむ、人族が我と同じように召喚魔法を使うには、魔法陣の他に何らかの媒体が必要になる。先ほどティノに言った先行投資とは、その媒体を手に入れるのに幾らかの金が必要だからなのだよ。』
「ほぇ!ど、どのくらい・・・」
『さぁて、ティノの魔力量と媒体との相性によるな。まぁ無いなら我が創っても良いだろうし、ティノが休みの日にでも探しに行こうかの。』
「あの、'しょくばい’っていうのがなにか、すごく気になるんですけど。」
『とりあえず、その辺は置いておいて・・・』
ロウが召喚魔法を教えるにあたって、ティノの召喚魔法に対する知識がどの程度なのか、魔法陣の核となる古代ゴード文字をどの位理解しているのか、など知っておかなけれならない事がある。
『召喚獣とはなにか、召喚に魔法陣を使う目的は当然知っているのだろう?』
「ええ、講義では聞いたけど・・・。」
この世界における召喚獣(従魔)の位置付けは、精霊と魔獣、鬼獣、霊獣、聖獣、神獣の五獣であるとされ、これまでに魔獣が亜種を含め三百九種、鬼獣が十一種、霊獣が五種、聖獣が三種、神獣がロウを含め四種ほど確認されている。
因みに最新の冒険者組合の情報では、ロウの眷属であるボーンドラゴンと九尾が霊獣、シャドウアサシンは鬼獣、バフォメルが精霊、フェニクスとハジリスクが神獣に分類されている。
魔獣はこの世界のどこにでもいる知能の低い者達、鬼獣はこの世界に迷い込んできた者、霊獣はこの世界外の異界から呼び寄せた者達、聖獣は神の祝福を受け聖なる癒しを持つ者達、神獣はどの世界にもいる森羅万象を調律する者達とされている。
精霊は四大元素を疑似生物化したものや人型をしたもの、武器を模したものなど数が多すぎて正確な数字が分らない状態だ。
あと一つ悪魔召喚というものがあるが、これまで確認されたものはなく、物語を面白くするための作り話であると位置付けられている。
魔獣の場合、この世界のどこかにいる対象を召喚(転移と呼ぶ者もいる)するもので、召喚士も姿形をイメージすることが容易で召喚成功率が高い。鬼獣は空間の歪みが生み出した裂け目を通ってこの世界にやってきた魔獣だと云われ、目撃情報も少なく詳細は不明であるため召喚は不可能とされている。
聖獣は大陸西の『深淵の森』にある巨大な神樹エルダグリムの近くに生息していて、大樹から発せられる神気を長く浴びた獣が姿を変えたものだと云われている。一角馬や天馬は女神神教の象徴ともされ、メサイア神教の巫女に従者として仕えているという。
霊獣や神獣はまさにお伽噺の世界で、数千年前の魔道士達が使役していたとされる空想の生物といわれてきた。しかし、百年ほど前に滅亡したアイザス王国の召喚士が霊獣フェンリルを召喚して使役したとされ、さらに今代、貴族筆頭オヌワーズ家の次女が霊獣「ビャッコ」召喚に成功したことで、召喚魔術界で俄かに注目を集めることになったのである。
いずれにせよ鬼獣、霊獣、神獣の三獣は、召喚士の想像力と膨大な魔力を以て創造された生物であるといっても良く、普段は亜空間で眠り、召喚士の呼び出しに応じてこの世界に具現化するのだと云われている。
そしてこれらを召喚するのに必要なものが魔法陣である。
魔法陣の使い方は大きく分けると三つ、召喚、定着、送還である。しかし現代では召喚魔法と定着魔法しか記録が残っていないので、呼び出した従魔を元々居た場所に送り「還す」ことも出来ず、常に召喚士と一緒にいるか、従魔たちの亜空間世界で過ごしているしかない。
さらに召喚士によって召喚された従魔たちは、召喚者の魔力と「定着」させることも出来ないため、代わりに契約魔法や隷属魔法を使ったりしているのだ。
この世界では、高度な文明を築いていたといわれる「源人類」が神の怒りを買い大昔に亡び、同時に彼らが使っていた古代ゴード文字も失われてしまったと言われている。考古学者たちが古代遺跡や古墓を何か所も調査し、残された文字を解読しようと日夜研究に励んでいるものの、意味を持つ単語が幾つか解っただけで成果は上がっていない。
送還魔法と定着魔法が失伝したのは、この古代ゴード文字を読める者が居なくなったからに他ならない。
『つまりだ。古代文字と図形の組合せさえ分っていればこの地に「呼ぶ」も元の場所へ「還す」も出来る。呼ばれたモノも帰る方法があると分っているなら安心して術者に仕えるのは道理だろう。』
「う、うん、言われてみればその通り・・・。」
理路整然としたロウの説明に深く頷くティノ。例えば主人が死んだ場合、召喚された従魔は契約の効果を失い自由の身となるため野に放たれる。だが、従魔がもしこの世界の外から来たモノであったら、ただ野に放つだけで良いのだろうかと常々疑問に思っていたのだ。
一度サーリナ先生にその話をしたことがあったが、召喚された従魔はこちらの「呼びかけ」に応えてやって来たのだから、こちらの世界で幸せに暮らすだろう、という答えだったが。
『さて、今日の講義は此処までとしよう。』
「あ、いけない!宿題が出だんだった!」
備え付けのテーブルに本やらノートの様なものを出してバタバタし始めるティノを横目に、ロウはベットの上で丸まって目を閉じる。一度に多くを詰め込んでも良いことはない。
◆
それから数日後、ロウを預所において朝食をとり、いつも通りティノが教室に入っていくと室内の時が止まった。入口で一瞬たじろぐティノだが、理由は分かっている。昨日、預所からロウを連れ出す時に同じ科の男子に見られたのだ。
何とも言えない雰囲気の中席に着くと、それを待っていたかのように複数人の男子学生と女子学生がティノの席を取り囲むように立ち、ティノを見下ろす。
「お前・・・聞くところによるとドラゴンの幼体を従魔にしたそうだな。」
「えっと・・・」
「平民のお前にはなんとも過ぎた従魔ではないか。しかも偶然にも近くにいたから契約出来ただと?」
「・・・」
「落ちこぼれの貴様には全く不相応だな。すぐ契約を破棄してそのドラゴンを僕に渡すのだ。」
「全くね。あなたの様な劣等生がドラゴンの主だなんて、無理やり契約されたドラゴンの方が可哀そうだわ。」
この男子学生、伯爵家の三男、ロシュゾーラ・ラセナ・マイセントは成績は優秀、容姿もそれなりに良く、いつも幾人もの取り巻きを連れ歩いている。召喚術に関しても優秀であり、現在の従魔はギガドゥールという人型魔獣で体4mはある鬼獣である。
マイセント伯爵といえばソシラン王国7大貴族の一家で、ユリアナの家柄には及ばないまでもこの国での権力は大きい。ロシュゾーラが召喚術の才を見出されてから、彼の実家では全国各地の優秀な召喚士を雇い入れ、英才教育を施したとか。
そんな男がロウを譲れと言ってきたのだ。この国では貴族の権限は絶大である。学院が貴賤平等を謳っていたとしてもそれは学院の中だけであり、一歩外に出れば権力の元に全てを許されてしまうのだ。
「他人の契約済み従魔に契約破棄や隷属を強いるのは法違反ですわよ。」
ティノが何も言い返せないで俯いていると、教室にユリアナの涼やかな声が響きわたった。
「ユリアナ様・・・僕はティノと話をしているのです。横やりはやめて頂きたい。」
「ロシュゾーラさん、貴方はティノさんよりもドラゴンの主に相応しい、優秀な召喚士だと仰るのかしら?」
「ふっ、ふん!少なくともこの落ちこぼれの平民よりは僕の従魔となった方が、ドラゴンもその能力を最大限に生かせるというものです!」
ロシュゾーラは貴族筆頭オヌワーズ家の登場に気を呑まれるも、ティノへの理不尽な要求を正当化しようと声高に主張を続ける。証拠はないが、この無茶な主張でこれまで何度も他人の従魔を奪い、強い従魔を手に入れてはそれまで共にいた従魔と戦わせ、殺してきていると噂されていた。
睨み付けるロシュゾーラの視線をユリアナは軽く受け流し、俯いたままのティノに何の気負いもなく、軽やかに話しかける。
「では・・・ティノさん、ロシュゾーラさんの言う通り一旦ロウさんとの契約を破棄してみては?」
「え?」「な、なに!」
「私の見るところ貴女とロウさんなら大丈夫でしょう?」
「あ・・・。」
ユリアナはロシュゾーラの面前で契約をロウとの破棄し、どうせ再契約などできないのだからロシュゾーラに契約魔法を試させればいいと言っているのだ。
ただし、短時間とはいえ従魔を契約外にして放つわけだから、その危険性に対する責任は全てロシュゾーラが負うという条件を付ける。仮に未契約の魔獣が暴れて人や設備に危害を及ぼしてもロシュゾーラが保障し、ティノとロウに一切の責を求めないというものだ。
ユリアナはここ数日のティノとロウを注意深く観察し、契約魔法以上の何かで繋がっていると見立てていた。ティノとロウの信頼関係は揺るぎないもの。一度や二度の破棄など何でもないはずと。
「ユリアナ様・・・私・・・」
「ははは!よかろう!この僕がドラゴンと契約して見せようではないか!」
不安げにユリアナを見つめるティノに優しく微笑み、ユリアナは教室の全員に聞こえるように宣言する。
「では二日後の午後、屋外の修練場で。先生方には私からお伝えしますわ。」
◆
『なんだ、そんなことか。我は別に構わぬぞ。』
ティノは講義が終わってから脇目も振らず預所に行き、ロウを連れ出して魔法部学舎の裏庭にいた。
朝の出来事を全てロウに話し、自分の意思にかかわらずロウを賭けの対象にしてしまったことを謝っているのだが、悲壮感漂わせるティノに対し、ロウの答えは実にあっさりとしたものだった。
ロウは遅かれ早かれこのようなトラブルがやってくることは分っていたし、逆にロウではなくティノに危害を加えられなかっただけ良かったと真面目に考えていた。ティノを物理的に脅すか消すか、貴族など本気になればいかなる悪事も闇に葬る事が出来るだろう。
だが、ティノはあの時何も言い返せなかった自分が情けなくて、謝っている間もずっと目に涙を溜めていた。本当に泣き虫な娘である。
『気にすることはないぞ。我がティノから離れるなど毛ほどもないからの。』
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。」
『むううう。泣くでない・・・。』
俯くティノの頭を触手で優しく撫でてやる。こんな女の子を泣かせるなど、その貴族の男に天誅をくれてやろうと固く心に誓うロウ。そして、ロウの念話が聞こえないユリアナではあるが、まるで会話しているかようなティノとロウを見て、この主従は契約魔法など必要ないのではないかと改めて思うのであった。
そして二日はあっという間に過ぎ、講義が半日で終わったこの日、ロウを巡ってティノとロシュゾーラによる争奪戦が行われた。すでにティノがドラゴンの契約者であることは衆人の知る事となり、妬みや羨望あるいは賞賛といった様々な意識が交錯した日々であった。
修練場にはクラスの者だけではなく、魔法学部の先生方や一部の上下級生まで集まっている。会場にいる大半の者がロシュゾーラのティノに対する言いがかりを良くは思っておらず、かといって七大貴族の御曹司を前に表立って不平を言うこともできないという異様な熱気に包まれていた。
ロウの契約解除の前に、修練場全体に強力な結界が張られる。幼体とはいえドラゴンが暴れ出した場合、この結界が持つかどうかなど誰も判断できなかったが、無いよりはマシである。
結界の中にはロウとティノとロシュゾーラ、そしてこの話の流れから判定員を務めることになったユリアナの三人だった。もちろんユリアナの従魔ビャッコも、不測の事態に備えてユリアナのすぐ後ろに控えている。
「それでは始めます。ティノさん従魔の契約を破棄してください。」
ティノは一瞬逡巡し、それでも従魔契約破棄の魔法を詠唱すると、ロウの額から契約紋である白の三ツ星が消滅する。そしてまた泣きそうな顔になってロウを見つめた。
契約が解かれたことで修練場が緊張に包まれるが、小さなドラゴンが暴れ出すことはなかった。
「ふっ、ドラゴンとはいえ所詮幼体か。契約が解かれたことすら理解できていないようだな。」
契約を解除されても変化のないロウを見て嘲るように笑い、無警戒に近寄ってきて契約魔法の詠唱を始める。詠唱を終えるとロシュゾーラから白い菱形が現れ、ロウに向かって近付いて行った。ティノの三ツ星と同じように、召喚士には人それぞれ形の違う契約紋があり、これを受け入れることで従魔との契約が成立する。
微動だにしないロウを見てほとんどの者が契約を受け入れるのだと思っていた。ところがロシュゾーラの契約紋がロウの目前に迫った時、ロウは触手を使って近付いてくる契約紋を粉砕したのである。
完全な拒絶であった。魔法を『物理的に破壊』されたことに唖然とするロシュゾーラと見学者たち。ティノの顔に笑顔が戻り、ユリアナはさも当然とばかり微笑を浮かべている。
静まり返った修練場で、我に返ったロシュゾーラが再び契約魔法の詠唱を始めたが、その詠唱が完成することはなかった。
「汝の御魂は我の元に・・・ぶふぉぇ!!!」
ロウの触手がロシュゾーラの横面を殴りつけ、結界端まで吹き飛ばしたのだ。さらにうつ伏せで転がるロシュゾーラを鞭打つように触手で殴り始めた。
「こ、こら!ロウ!!やめなさい!!」
ティノが慌てて止めに入ると、ロウはピタリと攻撃を止めてティノに向かって飛んでいき、もはや定位置である頭の上に腹這いになった。
これを見て驚いたのが、この勝負を見物に来ていた観客たちである。ついさっきティノとロウが契約を破棄した事は全員が確認している。なのに解放された従魔がこれまでと同じようにティノのいう事を聞き、その命令に従ったからだ。
召喚魔法の根本を覆すようなあり得ない事態に、先生方も見物の学院生たちも驚愕に目を見開き、誰もが二の句が継げず静まる場内に怒気を滲ませた声が響き渡る。
「こ、こ、この落ちこぼれの平民が!!!」
鼻血を拭いながら漸く起き上ったロシュゾーラが、激しい怒りをその表情に滲ませ召喚魔法の詠唱を唱えると、修練場の地面にあるはずのない魔法陣が輝き始めた。
「あれは!!」
「まさか事前に魔法陣を仕込んでいたのか!?」
「ははは!来い!ギガドゥール!幼体のドラゴンなど踏み潰してくれるわ!」
魔法陣の中からロシュゾーラの従魔ギガドゥールが現れて雄叫びを上げた。
鬼獣。それは人型で巨体を有した魔獣の総称で、高い知能と優れた身体能力を有し、時に道具(武器)をも使用して戦闘を行うモノ達である。身長が4mを越える人型の巨人で四本の太い腕を持ち、全身が固い皮膚と鋼の様な筋肉で覆われている「鬼獣」である。
冒険者等級で言えば三等級以上で、強い個体になると二等級まで評価されているが、この世界では過去に三度しか遭遇事例のない珍しい個体であった。
さすが三等級の鬼獣だけあって、凄まじい威圧感と殺気を纏い、ロウとティノを睨み付け・・・、いや、その殺気が急激に萎んでいく。何故なら三等級鬼獣以上の威圧、直接当てられた人族など意識を保つことなど出来ないくらいの殺気が、突如ギガドゥールの前方から突如湧き上がったのだ。
大きな気の発生元は勿論ロウである。ロウは恐怖で棒立ちになったティノの頭から飛び立ち、ギガドゥールの数メートル先に着地し対峙した。
ロウは最初からこの貴族の男が修練場に従魔召喚の魔法陣を仕込んでいて、いつでも自分の従魔を召喚できるようにしていることを見抜いていた。契約に失敗した場合にロウを始末するためだということは容易に想像できる。
そして召喚された従魔に違和感も感じる。
(意思がない。)
『ティノよ、あれは契約されているモノではないぞ。恐らく隷属させられておる。』
「え?そ、そんな!隷属魔法は禁止されているよ!」
従魔との契約魔法は法でも認められ確立された手法であるが、隷属魔法は使用が制限されていて誰でも勝手に使っていいものではない。国と商業ギルドから許可を得た奴隷商人、国に仕える召喚士、犯罪を犯した者が働く鉱石山を管理する山士長だけである。
隷属魔法で精神を縛られているなら、生気のない表情も頷ける。
「そのチビを握り潰せ!」
ロシュゾーラが命令すると共にギガドゥールから再び殺気が湧き上がり、巨体とも思えぬ速さでティノとロウに向かってきた。拳を作りロウを殴り潰そうとするも、ロウは最小限の動きでこれを交わしギガドゥールを翻弄する。
繰り返し殴りつけるギガドゥールだが修練所の床に幾つもの拳の窪みができるだけで、それでもロウを捉える事が出来ない。
その間、ロウは隷属印が施された部位がどこか考えていた。ギガドゥールが身に着けているのは革の片掛けの胸当てと腰巻、それと肘から手首まで巻かれた籠手だけだ。隷属印が隠されているとしたら・・・。
ロウは空中に舞い上がり、人の目には見えないように透明の魔法陣を自分の周りにいくつか展開した。
(炎と風の複合ブレスで革の胸当てを焼き切る。恐らく胸か背中に隷属印があるはずだ。)
「GAAAAAAAA!!!」
ギガドゥールの手が届かない上空から真下に向けて炎風のブレスを吐き出すと、狙っていた肩口に命中しギガドゥールの身体が炎に包まれた。ロウにとってはだいぶ手加減したブレスであるが、それでもギガドゥールの固い皮膚を焼き、防具として使っていた胸当てを焼き払った。
悲鳴を上げて地面を転げまわり火を消そうとするギガドゥールだが、炎と一緒にボロボロになった胸当てもはがれて胸と背中の皮膚が露わになる。するとそこには真黒に染められた隷属印が刻まれていたのである。
それを見た修練場にいる者達に緊張が走った。
「あの紋様は・・・隷属印か?」
「なに!契約従魔ではなかったのか!?」
一目見ただけで隷属紋の持つ特性を理解したロウは、ギガドゥールに向けて古代魔法のうち隷属解除の魔法を発動させた。それは魂を縛る主の血、精神と肉体を縛る主の魔力、隷属紋そのものがもつ魔力循環阻害の力、それらを全て無効化する、「浄化」「調律」「回復」の魔法陣である。
三つの魔法陣がゆっくりと回転しながらギガドゥールを包み込むと、雷に打たれたように硬直して動かなくなる。やがて魔法陣は輝きながら収束していき、ギガドゥールの胸の隷属紋に吸い込まれて消えると、隷属紋から黒い煙が立ち昇り、胸の痕と共に虚空で霧散して消えた。
硬直が解かれ倒れこむように両手両膝をついて蹲るギガドゥール。余程苦しいのか、激しい呼吸を繰り返し背中だけが大きく上下している。
だが、やがてそれも落ち着くと、俯いたまま立ち上がりそしてゆっくりと顔を上げた。彼が最初に見たのは、いや怒りと殺意を込めて睨み付けたのは今まで戦っていたロウではなく、つい先程まで主人であったロシュゾーラであった。
「ひぃぃぃぃいぃい!いっ!いっ!!」
自分の力で制御することができない鬼獣が、強力な殺気を放ちながら目の前に立っているのである。ロシュゾーラは腰が抜けてその場に尻を突き、逃げることもできずガタガタと震えることしかできない。
ギガドゥールはその太い腕を伸ばしロシュゾーラを鷲掴みにすると、そのまま振り下ろして地面に叩きつけようとする。
『止めよ、巨人の戦士よ。』
ロウが強い念話を送ると、ギガドゥールの動きがピタリと止まる。
『そ奴を殺したところで何が変わるというのだ?』
腕を上げたままロウを見つめる巨人。
やがて腕を降ろしたギガドゥールは、手の中で気絶して動かなくなったロシュゾーラを投げ捨てると、ティノに向かってゆっくりと歩いてきた。ティノは暴れた鬼獣が恐ろしくて身体が硬直し、動く事が出来ない。涙目になってゆっくりと近付いてくるギガドゥールを見ていた。
やがてギガドゥールはティノの前に立つと意外な行動に出る。片膝をついてティノに跪いたのだ。いや、ティノへというよりティノの頭に乗るロウへ、であろう。
『ほう、我に従うというか。』
「グォォ・・・」
『ふむ、ではしばし我の【塒】で休息しているが良い。ほとぼりが冷めたらいずれ呼ぶでな。』
ロウは跪くギガドゥールに回復魔法を掛けて火傷を癒し、続けて足元に浮遊島への転移魔法陣を発現させると魔法陣が輝きだし、ギガドゥールの巨体が徐々に薄れ、やがて光と共にその姿が消えていった。
「え?え?鬼獣が消えた?」
『ああ、我の住処へ移ってもらったのだ。転移魔法陣だよ。』
「ええええ!!?て、転移魔法~!?」
静まり返った修練場にティノの絶叫が響き渡る。ロウと念話で会話していることを知らない連中から見れば、独り言を言い突然叫び声を上げる痛い人に見えたに違いない。