48.真実
迷宮の奥底で初めて己を認識した時、すでにその身は九首を持つ化物となっていた。
元より備わった多才な能力も迷宮の中では使い道もなく、無為に時だけが過ぎていった。
名 前:ロウ(不死竜ヒュドラ)
種 族:神獣(呼ばれし者)
状 態:平常
生命力:‐‐‐ 魔力量:∞
能 力:迷宮創造主 異なる世界を創る者
固有能力:【創造】【再生】【古代魔法】【不可視】【邪眼】【変化】【吸収】【九頭の息吹】
特殊能力:【言語理解】【物理魔法耐性】【状態異常耐性】【障壁】【空間収納】【意識集中】【錬成】
通常能力:【威圧】【幻影】【魅了】【体術】【索敵】【隠蔽】
現代日本のごく普通の青年を、このような化物に変えてこの世界に呼んだ者は誰なのか。
この醜悪な獣に人の心を持たせた理由は何なのか、今となってはそれを知りたいと考える者すら居なくなってしまった。
◆
魔人族と人間族の軍隊二十万以上をあっさりと蹴散らしたロウは、そのまま固有能力【不可視】を発動して透明状態となり、西大陸を南に向かって飛行していた。
ロウの胸中は、キョウの心が戻った喜びを打ち消すほど、キョウの心を奪った者への怒りで紅い炎が渦を巻いており、その怒りを具現化しているかのように、漆黒の鱗と鱗の間が開いて真赤な光が洩れ光っていた。
風すら追いかけてくることが出来ないほどの速度で飛行し、ロウが静止した場所はエルザード大森林の中央に聳える「聖樹エルブ」の上空である。
以前、竜人族のゼロフトらを乗せて飛んだ時に見た様子も変わらず、聖樹自体に強力な【精霊結界】と【隠蔽】の魔法が掛けられていて、固有能力【邪眼】で視なければそこに巨大な樹は見えなかっただろう。
普段から【邪眼】を解放したままだと、精神的に悪影響受ける様々なモノが見え過ぎてしまうので、特定のモノを視る時にしか使わなかったが、今のロウは怒り狂っているといっても過言ではない状況であり、精神的なダメージなどうでも良く、一刻も早く聖樹を見つけようとしていたのだ。
だがらこそ、強力な結界も隠蔽もロウの前では何の意味もなさない。
ロウは聖樹エルブの上空で完全に静止し、透明化を解除して聖樹エルブに向け敵意を隠さず強大な殺気を込めたまま【威圧】を放った。
聖樹の周りにいた獣も魔獣も、この【威圧】を受け殆どが呼吸を止め、多少強い個体であっても逃げることも忘れてその場で地に伏してしまった。
それは結界の中にいた精霊達も同じである。ある程度の精神攻撃は結界自体が防いでくれているのだろうが、ロウの【邪眼】には結界の中にいる精霊達の怯えた様子まではっきりと見る事ができたのである。
一見その姿は愛くるしい精霊達だが、今のロウには醜悪なゴブリン以下の生物に等しい存在だった。
ロウは九つの頭の前全てに魔法陣を顕現させる。その姿は七十年も前に「神の領域」で行った破壊行為と同じ状態であり、唯一違うのは、ここは「神の領域」ではなく下界であり、魔力が有り余るほど存在している場所である、ということだった。
魔法陣の元に魔力がどんどん集積していき、今にも爆発しそうなほど膨れ上がっている。
そして、その爆発的な魔力にも劣らぬほどの怒りの力を纏った念話が、エルザード大森林全体に響き渡った。
『さぁ!そんな所に閉じ籠っていないで出てこい、精霊王よ!!』
大森林の木々を揺るがす咆哮が響き、ロウの口から九頭の息吹、ブレスが吐き出された。
九条のブレスは螺旋となって一つになって、激しい衝撃波を起こして聖樹を護る結界に激突した。しかし、そのまま聖樹の結界を避けるように外側に拡散されて流れ、エルザード大森林に着弾して森を無残にも破壊していった。
聖樹とそれを護る結界こそ無傷であったが、聖なる森は炎に包まれ、凍り付き、引き裂かれ押し潰され、そこが豊かな森であった面影は何処にもなかった。
聖なる森を地獄に変えてもなお、ロウの攻撃は止らない。再び九首の面前に魔法陣が輝き、九色のブレスが吐き出された。
今度のブレスは着弾と同時に少しの間その場に留まったが、やはりすぐに結界沿いに流され、再び森を焼いていく。
連続してブレスを放ったロウが、ゆっくりと降下して結界に近付いてくる。
魔法攻撃が効かぬのならと、十本の触手を伸ばして結界を打ち叩き、長い尾を振って軋ませ、九つの首の牙と角で突き刺す。ロウの物理的な攻撃は、もはや結界だけではなく、その衝撃で周辺の大地を揺るがし、巻き起こす暴風で木々を薙ぎ倒していった。
そして三度、今度はこの至近距離から結界に向けてブレスを吐き出した。
圧倒的なエネルギーの塊は、目を開けていられないほどの光と熱をもって結界の表面を、周りの森と大地を、空に浮かぶ雲を焼いていき、光が収まったあとには、無残にも広範囲に溶け出した大地が蠢き、緑が一切消えた不毛の地へと変わっていた。
聖樹を護る結界は、それほど強大なロウの攻撃をも防ぎ切ったわけだが、聖樹の周りにあった豊かな森は跡形もなくなっている。
さらにロウの毒ブレスが相当の勢いで拡散していき、まだ被害に遭っていない樹木も枯れていき、森の色が変わっていった。
だが、それでもロウの攻撃は止ることを知らない。
再び面前に魔法陣を顕現させ、四度目のブレスを吐き出そうとした時であった。
『ロウちゃん!もうやめて!!お願い!!』
声ではない声、頭に直接語りかけてくる念話である。もちろんロウはその声に聞き覚えがあった。
聖樹に張られた結界の上に、高位精霊となったラフレシアが姿を現し、ロウに向かって必死の形相を見せて叫んでいた。
ロウが待っていたのはこの高位精霊ではなく精霊王なのだが、ロウの怒りの対象であることには変わりはない。
『ふっ、ようやくお出ましか、王様。いや、精霊王の眷属ラフレシアよ。』
『お願いだから止めて!このままでは森が、聖なる森が消えてしまう!!』
『我には関係の無いことだ。こんな森が消えようと、妖精達が絶滅しようと。キョウを傷付けた輩を消し去るのみ!!』
『ロウちゃん!!』
『お前も同じである、ラフレシアよ。キョウを誑かしたお前は最後に殺す。聖樹を燃やし精霊王の消滅を見届けた後でな。』
ロウの魔力が再び高まっていき、ロウの周りに集まる魔力の流れはもはや竜巻のような勢いで荒れ狂い、空気を軋ませていた。
そんな嵐の中でも、ラフレシアは高位精霊となってさらに強力となった光精霊魔法で、無数の光の矢を自分の周りに顕現させると、ロウのブレスを止めようとさながら豪雨のように向かって浴びせかけた。圧倒的熱量を持った光の矢がロウの身体に突き刺さり、鱗を溶かし貫き、身体全体を破壊していく。
だが、ロウの魔力集積は止ることは無く、身体を再生しながら四度目となるブレスを吐き出した。
ラフレシアはロウのブレスを止めようと、軌道上に何重にも「光の盾」を張り巡らし、身を挺して聖樹の結界を護ろうとした。
ロウのブレスが「光の盾」を破壊していく。そして最後の盾が破壊され、怒りのブレスがラフレシアを呑み込もうとした瞬間、ラフレシアの前に魔法陣の障壁が現れ、ロウのブレスを防ぎ切ったのである。
魔法陣の障壁はロウが使う古代魔法の障壁と同じような文様であった。だが、神獣が使う魔法陣をこの地上で使える者などいないはずである。
つまり、ラフレシアを救ったのは紙とも呼べる絶対者、妖精王なのだろう。
いくらラフレシアの作った「光の盾」で勢いが殺がれたとはいえ、ロウのブレスを防ぎ切ったのだから、その存在はロウに匹敵する力を有していることになる。
それこそが精霊王であることは間違いない。精霊王の干渉で命を拾ったラフレシアが呟く。
『・・・正に厄災級の魔法ね。私では全く歯が立たないわ。さすがロウちゃんね。』
『ラフレシアよ、我がお前が知っているロウだと本当に思っているのか?だとすれば精霊王もお前も、真を見抜く目など持っていない事が分ったわ。』
『な、何を言ってるの?』
『あのブレスを防いだのならば、我の本気、我の本来の姿を晒さねばならぬ。』
ロウの周囲で強大な魔力が勢いよく流れ始める。
ロウは背中の十本の触手を真直ぐに伸ばし、触手全体に魔力纏わせていった。すると、触手が真っ白な骨に変化して新たに指骨が形成されてくる。触手が翼手に変化して肉が徐々に盛り上がっていき、巨大な蝙蝠の羽へと姿を変えたのである。
そして、十二枚に増えた羽の先端には、白の魔法陣がゆっくりと回転しながら輝いている。
さらには、長い九首の後ろから背中部分の鱗が逆立ち、先端が鋭く伸びて禍々しい針山の様相を呈している。
頭の角も三倍にも伸び、牙も手足の爪も槍穂の様に鋭く、ぶ厚く伸びている。面前に遭った魔法陣が頭の上、伸びた角に突き刺さるような形に移動していた。
そして特筆するのはロウの目で、各首とも四つに増えており、三十六に増えた紅い瞳は全てラフレシアに向けられていた。
それは何という醜い姿なのであろうか。
元よりあった九本の首も、十二枚の羽も、三十六個の瞳も、逆立った鱗も二十一の魔法陣も、生物として身体のバランスが取れていない。
こんな生物を作ったのが本当に神であるなら、それは悪意に固まった悪神か邪な思想を持つ邪神か、ろくでもない存在であろう。
この姿である限り、不死竜は全身で魔力を吸収し続ける。それは如何なる生物も余すことなく対象であり、現にロウの真下にあるエルザード大森林の木々が魔力枯渇で枯れ始めているではないか。
それは獣達も魔獣達も同じだった。弱い獣がすでに死んでいるのは、恐らく魔力だけではなく生命力まで吸収しているからであろう。
『ろ、ロウちゃん・・・あなたは・・・』
『我の「存在自体」が厄災であるのだ。我の意思で撃を止めるとか止めないとか、そんな事で済む話ではない。』
『聖なる森が・・・命が・・・』
『ラフレシアよ、精霊王が何かは知らぬ。だが、人間族を滅ぼそうとしたり、その他の種族を滅ぼそうとしたり、手前の都合で我に大虐殺を起こさせた者を見過ごすわけにはいかぬ!』
ロウの大虐殺とは、七十年前にサキュリス教徒数十万人の命を奪ったことであり、先ほどの人間族と魔人族を蹂躙して奪った数万の兵士達の命の事である。
たった一つの個体が行った虐殺にしては、余りにも多すぎる数であった。
『我は何人殺そうが何も感じぬ。だが、異界から来たキョウや勇者達に虐殺などさせてなるものか!』
ロウは十二枚の羽を一斉に羽ばたかせて爆風を起こし、魔力を吸われ力なく対峙していたラフレシアを吹き飛ばすと、全ての魔法陣に魔力を集中させた。
五度目に吐き出されたブレスはこれまでのブレスと比べ、遥かに強力なモノだった。再び現れた精霊王の障壁も破壊すると聖樹の結界に激突して、大地を揺るがす轟音と衝撃が聖樹を中心に津波の様に広がっていく。
結界は何とか持ちこたえたようだが、中にいる精霊達の顔に恐怖が張り付いている。
おそらくあと一撃、ロウがもう一度ブレスを吐けば結界が消滅する事を感じているのだ。
◆
聖樹エルブのほんの僅かな周囲を除き、周りの景色は一変した。豊かな森などどこにもない、死の香りだけが充満する不毛の世界である。
しかし、最終形態となったロウはその景色すら目に入っていないのか、聖樹エルブを消滅させんと再び魔法陣に魔力を流し込んでいった。
その時、ロウと聖樹の間にたちはだかるように、突如巨大な精霊が現れた。透明の状態から徐々に実体化するそれはロウと並んでも遜色ないほどの背丈があり、金髪碧眼でエルフ族のような外見だが、男とも女ともとれる中世的な顔立ちをしている。
これがおそらく精霊王なのだろう。
魔力とも神力とも何となく異なる力でその身を包み込み、秀麗な顔に怒りの表情を隠そうとせずにロウを睨みつけている。
ロウは躊躇う事無く精霊王に向けてブレスを吐き出した。
精霊王は片手を動かしただけでラフレシアを護った魔法陣を顕現させ、ロウのブレスを受け止めたのだが、その表情が苦悶に歪んでいる。
『厄災の不死竜ヒュドラ。過去には罪なき人間族を虐殺したお前が、何故今度は妖精族に牙を向ける?敵は人間族ではないのか。』
『精霊王を名乗るものよ、茶番はやめろ。貴様の正体が知れたわ。人間のキョウが死んだ時にいた【管理者】の一体であろう?』
『むっ・・・』
【管理者】。それはこの名もなき世界を支配している、七神を名乗る者達の事である。
神と名乗り何故地上界に干渉してくるのかは分からないか、人間族に肩入れしたり妖精族を庇護したりと、神とも思えぬほどの行いであった。
しかも、これまで行われてきた「干渉」の殆どが、人族達を「滅び」に向かわせる、悪意あるものでしかなかったのである。
ロウの前に姿を現した精霊王は、妖精族の信仰の対象となっていた精霊種などではなく、実在する神、いや神の領域から度々下界に干渉してくる神非ざる管理者の一体であることは間違いない。
『あの時我は言ったはずだ。キョウに干渉するなと。やはり貴様達【管理者】はキョウにとって害悪でしかないな。』
『・・・』
『よいか、我の名に冠する厄災という言葉は、別に人族だけに向いているのではない。』
『なに?』
『我をこの世界に呼んだ者が何者かは知らぬが、この世界全てに向けられた厄災であろう。特にこの地上界では我の破壊の魔力に制約はない。』
『っ!ま、まさかお前は!あの時と同じように!?』
精霊王が振り向くと背後に巨大な魔法陣が出現していた。
ロウが「神の領域」に入って行った時の扉となった魔法陣である。それが今再び開き、向こう側には地にある天から天にある地へ落ちる稲妻の光が見え隠れしていた。
『【管理者】どもよ、滅ぶのは地上にある人族ではなく、貴様達だ。』
『や、止めるのだ!再び神の領域を破壊する気か!!』
ロウの角上にある魔法陣、羽の先端にある魔法陣、二十一の瞳、背にある鋭鱗が全て同時に輝き出す。
そして、ロウの九首全てから濃い灰色のブレスが放たれた。全ての色を混ぜ合わせて最後に出来る色、全てを無に帰す終焉のブレスである。
ロウは神の領域に向けて、何度も何度も繰り返しブレスを放った。
強大なエネルギーがロウの下顎を溶かしても、叩き落された地上からラフレシアがロウに光の矢を浴びせようとも、魔力の強制吸収によるロウの【再生】能力が上回り、瞬く間に元へと戻していく。
精霊王も神力の【障壁】を張ろうと試みてはいるが、軌道上に張られた精霊王の障壁は全てロウのブレスで破壊されていた。
魔法陣の巨大な扉にロウのブレスが吸い込まれていき、神の領域で轟音が上がり、稲妻の動きが完全に乱れたのが見て取れた。
そして、神の領域での異常は地上界にも伝播する。
七十年前の大厄災の日は、サキュリス教徒を狙った天変地異に模しての直接攻撃だったので甚大な被害をもたらした。
今のロウの破壊行為は直接下界に向けられてはいないが、それでも大陸全土で地震が大地を揺らし、火山が炎と噴煙を噴き上げ、大波が海岸線を襲ったのである。
『貴様達【管理者】こそ人族にとって、この世界にとって厄災なのだ。さぁ我と共に滅びてみるか。』
『お前は神獣ではないな!呼ばれし者だと?・・・ま、まさか?!神界からの干渉か!』
『何の為に我がこの世界に来たか?どうでも良いな。だが、我の本能が教えているぞ、【管理者】を滅せよと!!』
『ま、まさか、使徒か!?神界が干渉して来るとはっ!!くっ、同胞よ!ヒュドラを、神界の使徒を止めるのだ!!』
ロウがブレスを撃ち込んでいる神の領域から、あの忌わしき管理者達が次々と降臨してきた。その姿にもはや神の威厳など微塵もない。ただロウに対して負の感情を向けてくる倒すべき敵であった。
目の前にいた精霊王も、人族の姿を止めて二つに分かれ、神の領域にいた双月神へと姿を変えていた。
それを見た精霊王の眷属ラフレシアの顔が驚愕に染まる。それはそうだろう。自分達の盟主、信仰の対象が全く別の存在だったのだ。
種族を護るためだという精霊王の命に従い、キョウに人間族に対する憎しみを植え付け、魔人族と人間族が争うように誘導したのもラフレシアである。
全ては妖精族の安寧のため、妖精族を見守ってくれる精霊王のためだったというのに。
そんなラフレシアの様子を気にする風でもなく、本来の姿となった双月神は表情を歪めてロウに言い放つ。
『我々が管理するこの世界で、我々全員を相手に使徒ごときが存在できると思うな!!』
『ふはははは!!それはどうかな?我は一人ではない。我と共に生まれた、頼もしい眷属達がいるのだ。』
ロウが咆哮を上げる。
それまで何も無かったロウの周りに、巨大な八つの魔法陣が顕現する。そして魔法陣の中から出てきたのはロウの七眷属達と、故あって浮遊島に暮らす異界から召喚された鬼獣ギガドゥールであった。
すると音もなくロウの十二枚の羽が剥がれ落ちて、空中に現れた翼を持たない眷属達、ハジリスク、バフォメル、キマイラ、九尾銀狐、シャドウアサシン、ギガドゥールの背中に融合したのである。
女神メサイナには、眷属筆頭双頭竜ハジリスクが対峙する。
運命神ルードには、混沌竜ボーンドラゴンが対峙する。
まだ実体を持たない万能神サキュリスに、影の暗殺鬼シャドウアサシンが対峙する。
大地神ケープスには、異界の鬼獣騎士ギガドゥールが対峙する。
精霊王、いや月の神リナスとマリスには、妖狐九尾銀狐と合成獣キマイラとがそれぞれ対峙する。
創造の神、マギ・ロナとは、不死鳥フェニクスが対峙する。
破壊神シム・ロウには、破壊不能の盾を持つ悪魔王バフォメルが対峙する。
ロウが神の領域を破壊するまで、眷属達が管理者らを留め時間を稼ぐのである。
ロウが直接指示した訳ではないが、眷属達はそれぞれの能力に合わせて自然に敵対する管理者に対峙し、咆哮と共に襲い掛かった。
それは遠距離からの魔法攻撃であり、肉薄しての物理攻撃であったり、神を名乗る高位の存在に臆することなく向かって行ったのである。
魔法攻撃は魔法陣の盾で全て防がれているが、ロウの眷属達には鋭い牙も爪も、ロウが作った武器も持っているのだ。たとえ相手が強大な力を持つ存在だとしても、人族相手に暴れ足りなかった眷属達の士気は異常に高かった。
エルザード大森林の上空で繰り広げられる神魔の戦いであった。
ロウの羽は無尽蔵に魔力を吸収する媒体である。
強大な魔力を与えられた眷属達の身体の傷はすぐに癒え、無限に魔法攻撃を放つ事ができるし、その動きはロウがこれまで見たこともないほど速く、力強く、優雅であった。
眷属達の存在についてもロウの本能が教えていた。ロウの眷属達もまた、この時のため、管理者達との戦いのために生まれたのだと。
彼らは迷宮でロウを護るため生み出されたのではないのだ。この世界の生物で、彼らに抗う事ができるモノは存在しないと云えるほど、彼らもまた強大な力を持っているのだ。決して、たかが一迷宮の階層主で収まるような存在ではない。
そしてロウが全く思いも寄らなかったこと、不死鳥フェニックスからロウに向かって二つの陰が飛び降りてきたのだった。
「ロウ!」「ロウ様!!」
『なっ、キョウにキノ、何故此処に?!お前達は召んでいないぞ!』
「ロウと私は一心同体。」
「私だって眷属です!!!」
『い、いや駄目だって!ここ危ないし!!』
「もう今更だよ。私だって管理者達は許せない存在。キノ!剣になって。」
「はい!!」
『おい!!だから危ないというのに、話を聞かんか!』
慌てるロウを無視して、キョウはロウの魔力を譲渡され、相当量の魔力を内包した魔剣に闇魔法を纏わせて「ダークソード」を生み出すと、正に眷属達に攻撃を加えようとしている管理者達に向けて、力強く振り抜いて牽制し始めた。
魔法攻撃などは、神力を纏う管理者達にはダメージを与える程の効果はない筈だった。
ところがキョウの「ダークソード」は見間違う事無く双月神マリスの腕に突き刺さり、真黒なシミを作ったのである。
双月神マリスの顔には、苦悶の表情が浮かんでいる。
管理者達はこの地上界では魔力を吸収し神力に変換して活動の原動力としている。だが、今この場は、エルザード大森林はどうなっている?ロウが魔力を吸収し続け、広範囲で魔力枯渇状態になっているのではなかったか?
魔力が無ければ、神力に変換されることもない。つまり管理者達は無力になる。
「ロウは頭が良い。そこは気が付かなかった。」
『お、おおう!我にかかればこれしきのことなど、なんでもないことなのだ・・・』
そんな作戦など全くなく、冷や汗をかいているロウの答えを聞いていたのかいなかったのか、キョウはどんどん「ダークソード」を作り、管理者向けて放っている。
一方、ロウの眷属達は魔法攻撃を控え、己の爪と牙のみで戦っていたが、キョウの牽制を見て、魔法攻撃も効果があることを知ると、物理と魔法の両面攻撃に切り替えていく。
だが、たとえ眷属達が強くても管理者達にはその攻撃は通じず、魔法攻撃は弾かれ鋭い爪も武器も躱されてしまう。代わりに自分達の怪我だけが徐々に増えていった。
『小癪な獣どもが!!』
管理者達は「神の領域」を破壊するブレスを止めるため、まずロウを止めなければならないのに眷属達が執拗に行く手の邪魔をし、先に進めない。さらに眷属を攻撃しようとすると飛んでくる闇の剣で、少なくないダメージを受けてしまうのだ。
そんな小競り合いが進む中でも、ロウのブレスは止ることは無く神の領域へと吸い込まれていく。
そしてようやく神の領域の、いや管理者達の領域であろう「管理者領域」の崩壊が始まった。
『い、いかん。領域が消滅すれば「神界」に強制送還されてしまう!!崩壊を止めなくては!!』
管理者の誰かが叫び、その声に弾かれたかのように管理者達が一斉に管理者領域へと戻っていく。
ロウは追いかけようとする眷属達を引き留め、自分の背後に来るよう命じると、己の魔力を今出来る最大限まで高め、もう一度管理者領域に向けて終焉のブレスを放った。
ロウが吐き出したブレスが管理者領域に吸い込まれると、なぜかロウは空間を繋いでいた魔法陣の扉を消滅させたのである。
あれほど騒がしかったエルザード大森林が一瞬音を無くし、張り詰めた空気だけがそのまま辺りを支配している。
「ロウ、どうし・・・」
ロウが中途で攻撃を止めたことを、キョウが怪訝そうな表情で聞こうとした時、耳を劈く轟音と共にこの世界、惑星全体が激しく揺れ、地上にある生けるモノは全てが地に伏した。
地は割れ、海は溢れ、空は暗雲で覆われた。大地を揺るがす振動は長く続き、だが徐々に静かに、小さくなっていく。
どれほどの時間が過ぎたのか、次第に暗雲は何処かへ流されて行き、海は凪を取り戻し、大地の揺れは収まっていったのである。
ロウが懸念していた、この名もなき世界の消滅は起らなかった。管理者達は必死に「管理者領域」の崩壊を抑えているのだろうか。
「ロウ、なぜあいつらを?」
『奴等は戦いの最中に、あの領域が崩壊すれば「神界」へ強制送還されるといっていた。』
「うん。」
『おそらくだが、我をこの世界へ呼んだ者は「神の領域」、いや「管理者領域」を崩壊させたかったのだろう。奴等を「神界」へと戻すために。』
「そうか・・・」
『だが、それは下界この世界の崩壊に繋がるかもしれぬ。それは避けなければならぬのだ。』
「うん。」
『あ奴等は必死になって管理者領域の崩壊を止めようとする。そうすれはこの世界の崩壊もないだろうと思ったのだ。』
「また来るかもよ?」
『その時はまた戦うさ。全力でな。』
「まさか、そんなことまで考えていたなんて。」
キョウが感心したように言葉を漏らすが、ロウは特に深く考えて破壊行為をしていたわけではない。
ただ、管理者達への怒りが大きくなって戦いに没頭していく中で、なぜか管理者領域に対する破壊衝動が異常なくらいに高まり、その本能のまま動いただけなのである。
だがそれには言いようのない違和感があったのも事実である。まるでロウの意思などそこには無かったかのような、ロウにとっても不自然な行動であったのだ。
そして、戦いの最中にずっとロウが考えていたことは全く別の事であり、ロウが求めるべき全ての答えの根源ともいえる疑問であった。
これまで誰にも話したことがなかったが、再び自分の背に乗ってくれたキョウになら話せるかもしれない。
『キョウよ、我は何故この世界に呼ばれたのか、随分考えてきた。』
迷宮に幽閉されて二百年を過ごし、勇者が召喚されたタイミングで人族と関わり合いを持ち、そして管理者達と敵対する事となった。
まるで劇場で演じられている物語のように、何者かが作ったシナリオ通り動くように、ロウは自分の意思とは関係なく、この世界と関わっていったのだ。
ロウをこの世界に呼んだ、或いは送った者が与えたロウの使命とは、おそらあのく管理者領域を破壊し、管理者達を神界へ強制転移させることだったのは間違いないだろう。その代償としてこの世界を崩壊させるとしても、である。
そこにロウの意思はなく、ロウの怒りが管理者達に向かうよう、初めから舞台は整えられていたものと考えられる。
だが、その本能にロウは抗った。それは、管理者達との戦いの場に他ならぬキョウが現れたからだ。
キョウとの会話が、ロウが自分を取り戻す切掛けとなったのである。
『管理者達は何の目的でこの世界にいるのか、何をしたいのだろうか。』
「神を名乗って思い通りに世界をゲームの様に弄っている?」
『そうであるな、まるでこの世界の人族を滅ぼそうと・・・』
「ん?」
ロウの言葉が途切れた。
突然言葉を切って黙り込んだロウを、怪訝そうにキョウが見詰めている。
管理者達の目的、キョウ達が召喚された理由、そして自分がこの世界に存在する理由が、全ての線で結ばれたのである。
千年前に起こった種族戦争時の異界人召喚も、キョウとシンが召喚された時も、セナミ達が召喚された時も全て、大なり小なり種族間の争いが勃発している。
おそらく管理者達は、自分達が意図的に引き起こした種族間の戦争で、どの種族が滅びそして生き残るか、まるでゲーム感覚で遊んでいたのだとしたら、何となく辻褄が合ってしまうのだ。
そして、その中で唯一異質な、イレギュラーな存在が、種族を超越した厄災の不死竜ヒュドラなのである。
管理者達は神界の使徒と言っていたが、この世界で自分達の意思通りに動かない唯一の存在がロウなのであろう。
何と悍ましい遊戯なのだろうか。知的生命体として生を受けたならば、決して消える事の無い差別という心の闇の部分を弄るとは。
『キョウよ、種族間の差別や偏見は、無くなると思うか?』
「無くならないと思う。地球でもそうだった。況してやこの世界は種族が多すぎ。」
『決して平等などあり得ない、不平等で不完全な世界か・・・』
「ロウ?」
『管理者達は遊んでいるのかもしれぬ。どの種族が強くて、どの種族が先に絶滅するか、それぞれ自分が肩入れする種族に加護を与えてな。』
「そんな・・・」
『勇者召還は、そんな種族間戦争を引き起こすトリガーになっているのかもし知れん。』
この世界に召喚されてきた者は、誰もが、始めから決められた演題を唱える道化に過ぎなかったのだ。
ロウは自ら考えに至ったこの答えに、戦慄を感じずにいられなかった。