47.神力
共に異界から呼ばれた、ただの人間であった。
片や救国の勇者として人族の世界へ、片や人外に成り果て闇の奥底深くに召喚され、数奇な運命を辿ることになる。
なぜ自分達だったのか、という問いの答えなど誰も持っていない事は解っているのだが、こんな理不尽な試練を与えた「何か」に怒りをぶつけるしか自分の心を救う手だてはなかった。
二人とも幾度となく自問自答を繰り返してきたのだが、他が誰もいない閉鎖空間にただ一人で、より長い年月を費やした人外の方が、己の存在を普通ではなく「異質なもの」と達観してしまったのは道理である。
身勝手な基準で「普通」であるものと、理不尽な理由で「異質」となったものが決して同じ枠に入らない不公平な世界で、「異質」と括られた二人が争う事になった。
争いには必ず理由が存在するが、この二人に明確な理由などあるのだろうか。
◆
厄災の不死竜ヒュドラことロウの十八の瞳は、全て対峙する魔人族の王として人間族に宣戦布告したキョウに向けている。
魔王キョウの兵はロウの一方的な範囲攻撃によって多くの死傷者を出したうえ、ロウの眷属だという破滅級の魔獣が二体も魔人族の国家を蹂躙しに向かったため全軍が潰走したので、キョウの背後にはゴーレムを召喚したばかりのセナミと、魔人族の各国代表が六人、獣人族の兵士長、妖魔族の長がいるだけであった。
もちろん人間族の軍も同じ状況であったが、こちらは戦場に残った者は誰もいなかった。
一方、キョウに相対するヒュドラの周りには、神獣ハジリスク、鬼獣シャドウアサシン、魔剣キノが控え、主と魔王が激しく殺気をぶつけ合い、荒れ狂う魔力の流れが渦巻く様子を特に気にする風でもなく見詰めている。
キョウのように六神の加護を受けた者ならともかく、神獣の殺気を真面に受けて普通の人族が平常でいられるわけはない。
魔人族の八人はともかく、精神的にはまだ一般人のセナミはロウの強大な魔力をまともに受けて、体の震えが止まらない。真横に召喚したゴーレム達がいなければ、とうに腰を抜かしているか、この場から逃げ出しているかであろう。
そんな仲間達を見て、「魔境」を背にしてロウと対峙したキョウは、背後にいるセナミ達がロウの攻撃に巻き込まれないように左側に移動し、部下達には後退するよう指示を出した。
横歩きで移動しながら腰の刀を抜き、中段の構えを取って切先と敵の顔を一直線上に揃え呼吸を整えていく。この刀を抜いた時のキョウにとっての儀式のようなものだ。
だが、ふとキョウは自分の持っているこの愛刀はロウが作った物で、脇差も含めロウの召喚によって自分の手を離れてしまう事を唐突に思い出した。
そんな心の動揺を見透かしたようにロウの念話が頭に響いてくる。
『見縊るな、魔王よ。そんな姑息な真似はしない、存分にかかってくるがよい。』
「っ!」
まるでキョウの迷いを嘲笑うかのように、ロウはキョウの武器を召喚術によって奪わないと宣言する。ロウの身体の一部で作った武器は、当然ロウの身体を斬り裂く事もできるというのに。
キョウは慣れ親しんだ刀をこのまま使える事に安堵する一方で、これも一つロウからハンデを与えられたような気がして胸がざわつき、何となく不快だった。
キョウは少し乱れた心をもう一度息を吐いて整え、刀を返し中腰で後ろに隠すように構えてから【身体強化】を纏いロウに向かって一気に踏み込んでいった。キョウの一歩で数mの距離が後方に流され、瞬く間にロウとキョウの間合いが詰まっていく。
対するロウは十本の触手の先端をさらに十本へ分岐させ、百の触手でキョウを捕えんと襲い掛かかった。
お互いに小手調べ、魔法攻撃など使わず肉弾戦でのぶつかり合いである。
キョウは見事な足捌きで舞うように刀を振るい、四方八方から襲ってくる触手を斬り飛ばしながらも走りを止めず、更にロウとの間合いを詰めようと疾走していく。
間もなくキョウの間合いに達しようとした時、キョウの正面に突如巨大な土壁が地面から迫り出して行く手を阻むように立ち塞がった。ロウが土魔法で作った土壁である。
背後から横からロウの触手が迫り、壁伝いに横へ避けている時間は無い。キョウは直立する土壁に片足を掛けて飛び上がり、その反動で背後の触手に向けて蹴りを入れ、さらに高く、ロウの七番目と八番目の首の間に飛び込むと、思いきり横薙ぎに刀を振った。
キィン!と金属と金属が擦れ合う甲高い音が響く。キョウは斬撃と同時に固有能力【神刀技】を発動して薙いだのだ。十分な手応えがあった。
ロウの背中に抜けたキョウに触手と共に二番目の首が襲い掛かるも、ロウの背中を蹴って後ろ向きで跳躍し、再びロウの正面へ着地する。
それと同時に、キョウの斬撃を受けたロウの八番目の首に横一条の赤い線が入り、グラリと揺れたかと思うと血飛沫を上げて倒れ、そのまま地面に落下した。
砂塵を巻き上げロウの八番目の首が地面に激突する。
首を一つ失ったからか、触手の追撃が止まり、キョウにほんの少し余裕ができていた。
もう一度攻撃を仕掛けようと刀を構えロウを見やると、全身の黒い鱗と鱗の間が赤く輝き、周囲の魔力を吸収し始めていた。
キョウも初めて見る、ロウか不死たる所以の【再生】能力である。キョウが斬り飛ばした首の切断面からあっという間に肉が盛り上がってくる。しかも切り落としたばかりの首も直ぐに魔素に分解されていき、黒い霧となって元の傷口に吸い込まれていた。
(早い、再生するのがあんなに早いとは・・・まさに化物・・・)
キョウがほんの少し躊躇っている間にロウの首が完全に再生し、再び十八となったロウの目が一斉にキョウへと向けられる。
すると、今度はロウの九つの首全てに魔法陣が顕現し、大地を揺るがす咆哮と共に炎、氷、岩、風、光、闇、毒、石化のブレスが一斉に放たれた。
しかし、これはロウの全力ブレスではない。一過性のブレスならばキョウが余裕を持って避ける事を想定し、連続してブレスが吐けるよう魔力を調整した小規模ブレスの正に連続照射であった。
キョウの身体能力があれば、一方向の巨大なブレスであれば避けれることも可能だが、無数に飛んでくる火球や氷柱、ましてや毒霧ともなればそうはいかない。避けきれぬものは自分の周りに【障壁】を張り巡らして防ぐしかない。
キョウは連続照射を可能な限り避け、【障壁】で防ぎ、それでも襲ってくるブレスは闇属性魔法【ダークボール】を複数発動させて吸収し、無効化していった。
だがロウの攻撃は留まることを知らず、ブレスを吐くと同時に再び触手も振り回してキョウを吹き飛ばそうとする。
キョウは【障壁】にロウのブレスが命中するのも、ダークボールが触手で粉砕されるのも構わず、とにかく触手に掴まらぬように一旦間合いを外そうと後退していった。
最初に対峙した辺りまで戻り、ようやく周りの状況を認識できるようになったキョウは、自分の迂闊さを後悔した。ロウはキョウとの激しい戦いの最中でも、その場に居残ったセナミや魔人族首脳達へ同時に攻撃も行っていたのだ。
真横に振われたロウの触手で魔人族らは側方に吹き飛ばされ、セナミに襲い掛かる触手や魔法攻撃はゴーレムが盾となって防いでいるが、その数はすでに四分の一まで減らされ、セナミは新たに召喚する余裕もなく、ただ頭を抱えて怯えしゃがみこんでいた。
「ロウ!!!セナミは関係ない!!!私とロウの戦いよ!!」
『知らぬな。我に敵として向ってきたのだ。それ相応の覚悟は出来ているのだろう?』
「くっ!」
戦場で声を上げるという隙を作ってしまったキョウにロウの容赦ない触手が振るわれ、キョウの左側に張った障壁を破壊するとともに、キョウの身体をそのまま数十mも吹き飛ばす。
その間もロウは、少しの躊躇も見せずにセナミに向かって触手を振り下し、最後のゴーレムを叩き潰すとその触手をセナミの頭上に振り上げた。
吹き飛ばされたキョウは六神の加護【癒しの光】を使って自分の傷を即座に直し、双月神の加護【時詠】を使って時間を止め、一気にセナミの傍まで移動すると、セナミを抱えて横飛びに逃げてロウの触手を躱し、そのまま「魔境」まで下がってロウと距離を取ることに成功した。
命拾いしたセナミのほうは、ロウに対する恐怖からまだ頭を抱えて泣いている。
自分が召喚したゴーレムや青鳥が成す術なく触手で砕かれ、炎で焼かれ、あっという間に全て破壊されてしまったのだ。自分に敵意を見せて襲ってくる巨大な竜の姿をしたロウが怖くて仕方なかった。
キョウは更に後ろに飛んでセナミをロウから引き離し、「魔境」との境界部にセナミを置くと、再びロウに向けて走り出す。傷によって失った血と精神的なダメージは残ったままだが、今は剣を構え敵に向かって行くしかない。
自分の呼吸が乱れているのが分かる。ロウは本気で自分達を殺そうとしている事を実感したのだ。
キョウはロウとの距離を詰める前に息を整え、自分の周りに【障壁】と【ダークボール】を張り巡らして再び走り出した。
向ってくるキョウを押し潰そうと、躊躇う事無く襲ってくる触手を撫で斬り、弾幕のように放たれる魔法攻撃を躱しながら、キョウは四本足で地に立つロウの腹下に滑り込むと、精霊魔法で真空の大渦を作りロウの身体を斬り刻もうと真上に放った。
「いっけえぇぇぇ!!!」
「GAAAA!!!!」
ゴウ!!と風を巻き込む音を上げて真空の渦が上昇してきたため、ロウは渦を避けようと前足を持ち上げるが、至近距離で放たれた大規模風魔法はロウの鱗を引き剥がし、四番目の頭と前足をズダズダに切断して舞い上がり、空の暗雲をも引き裂いて天に消えて行った。
真空で引き裂かれたロウの身体の内部には可視化された紅い魔力か蠢いていて、それが恰もロウの血であるかのように流れ落ち、大地を溶かしていく。
降り注ぐロウの体液を避けながら再び距離を取ったキョウは、触手の追撃が止まった機を狙って、自分の周りに滞空させていた【ダークボール】と新たに作ったダークボールを一斉にロウに向けて放った。
まだ完全に身体が再生しきれていないロウは、残っている触手を振ってダークボールを受け止めることで相殺したため、元の十本を残し殆どの触手を失ってしまうことになった。
キョウにとって絶好の好機である。物理攻撃を防ぐ「手」が無くなったロウに突進しようと、刀を低く構えて腰を沈めた時だった。
キョウの左側斜め前に膨大な魔力が集積していき、そのままキョウに向けて灰色のブレス吐き出され、螺旋を描いて襲ってきた。
ロウの眷属ハジリスクの結晶化ブレスである。これを受けてしまえばいかなるものも石英の結晶体となり、自分の死さえも気付くことは無く活動を停止するという悪辣な攻撃だった。
思わぬ方向からの攻撃にキョウは避けるのを諦め、魔力の【障壁】を解除して神力を放出することで直撃するブレスを無効化したが、結晶化ブレスは魔境にまで届き、幾多の木々を結晶に変えてようやく消滅したのである。
魔力の代わりに神力を纏ったキョウは一時的に魔法が使えなくなる。【身体強化魔法】が解除され、足を止めてしまったキョウに、再生が終わったロウの触手が襲い掛かってきた。
「卑怯な!!」
『言ったはずだ、我の本気を見せると。我の眷属共々人族全てを滅ぼすとな。』
「くっ!」
最初にロウによって吹き飛ばされた魔人族の首脳達が、シャドウアサシンに襲われていた。
五体満足であれば魔人族の中でもトップクラスの強さを誇る彼らであるが、ロウの触手によって吹き飛ばされた時に受けた怪我でまともに動くことも出来ず、たった一体のシャドウアサシンに翻弄されていた。
シャドウアサシンも鬼獣種の中では頂点に君臨する強い個体である。通常は影に潜み死角から敵を襲って倒す戦いを好むのに、他の眷属に触発されたか姿を晒して魔人族を蹂躙していた。
更に遠くへ避難させたセナミに向かってキノがゆっくりと歩いている。キノは人化したままだが、その白魚のような右手が禍々しい黒い剣となっている。
キノの戦闘能力は不明だが、元々は快楽殺人鬼メイリーナの記憶と技術を持っているのだから、戦闘の素人セナミが襲ってくる相手に対抗できるとは思えなかった。
そしてキョウの前には再生した触手を動かすロウと、その背後に眷属ハジリスクの巨体が並んでいる。
そう、この戦いはキョウが考えているような一対一の正々堂々としたものではないのだ。ロウが宣言した通り、どちらが生き残るか、生存を賭けて全力をぶつけ合う「死闘」なのである。
神話級の魔獣が二体も自分の前に立ち塞がる中で、たとえ六神の加護を受けたキョウですら他人を助ける余裕などないし、ロウはそれを許さないだろう。
ならば、この身を犠牲にしてでもロウを倒さなければ、ロウを殺して眷属達を無力化するしか、皆が生き残る術はない。
魔力の塊ともいえるロウを止めるには、六神の力を全てを解放して自分の身体を神力で覆い尽くし、そのままロウに突っ込んでロウの魔力と神力を相殺させ、ロウを消滅させるしかない。
神力を解放すれば、ロウの魔法攻撃は身体に当たる前に無効化されるはずだから、触手の動きだけを見て距離を詰めるしかないだろう。
そして、キョウの間合いに入るその瞬間を狙って【時詠】で一瞬だけ時間を止め、ロウの胸元まで飛び込んで、地球の伝説にもあったヒュドラの弱点、首の根元にある心臓、いや魔核を破壊する。
だが、神力解放中はキョウも魔法の類は全く使えなくなるし、魔法に由来する固有能力【神刀技】も発動することは無いのだ。
一瞬の内に神力を霧散させ、魔力に変換させる時にどうしてもわずかな時間が、隙が出来てしまうのだ。
ならば【虚像】を使って分身を作ってから突っ込むか。そうすれば本体が分からぬロウは触手を分散させることになり、その分時間を稼ぐ事ができるはず。
焦りと不安の中、キョウがそんな風に作戦を考えていると、再びロウから念話が届いた。
『どうだ?魔王よ。我を殺す算段が付いたか?』
「え?」
『魔王よ、いや、キョウよ。お前が頭の中でどうやってこのヒュドラを殺そうかと、散々考えているのが良く分かるぞ。』
「え?」
それはキョウがロウを殺すために取ろうとしている作戦を、全て把握しているぞと、警告を発したとも取れる内容だった。
ロウに視線を向ければ、いつの間にか全ての触手が格納され、敵意の無い紅い瞳がキョウを見据えている。そしてロウは、これまで交わした会話とは違い、キョウを魔王と呼ばず、キョウと自分の名を呼んでいたではないか。
いや、ロウはそんな事を伝えるためにわざわざ「魔王」を「キョウ」に言い換えて話しかけてきた訳ではない。そこまで考えた時、キョウは今、自分のしていることに気が付いたのである。
(な、なぜ私はロウを殺そうとしているの?)
ロウとの関係に軋轢が生じた切掛けはゼダハ王国で起きた、召喚された日本人の殺害であった。あの時キョウの胸の中に隷属魔法を悪用ずる人間族に対して激しい憎しみの感情が湧き上がり、怒りのままに人間族を滅ぼそうと決めたのである。
だが、それは決してロウのせいではない。ロウはむしろ隷属魔法で苦しむ者達を救ってきたではないか。
(なぜ、私とロウが殺し合いをしなければならないの?)
ロウが邪魔したから?
ロウが人間族の味方をしているから?
ロウが私の言う音を聞いてくれないから?
ロウが敵だから?誰の?私の敵?妖精族の敵?
妖精族をいっぱい救ってくれたロウが敵?
なぜ私はロウに剣を向けている?
なぜ私はロウを傷付けている?
ロウはいつも私を助けてくれたのに、私はいったい何をやっている?
自分の意思で動いていたはずなのに、自分の心のままに動いていたはずなのに、なぜ大切なロウを傷付けるようなことをしているのだ?
キョウは余りの衝撃で頭が真っ白になり、完全に思考と身体が固まってしまったのである。
そして追い打ちをかけるように、これまでキョウが感じたことがない強い意思を持ったロウの念話が頭に響く。
『我が本気でキョウとの戦いを望んでいるとでも思っているのか!!!』
「っ!ロウ!」
キョウは全てを悟った。
人間族特有の奴隷制度や、法も整備されぬうちに蔓延る非正規奴隷の取引、他種族への差別、そんな人間の理不尽で不平等な営みをずっと見てきて、それを無くそうと戦ってきたのに、いつの間にか人間族への憎しみが生まれていたのだ。
そして何が切掛けだったのか、なぜそうなったのか分からないが、人間族を滅ぼそうなどと大それた考えに駆られ、関係の無い魔人族を嗾けてそれを実行しようとしていた。
ロウがそれを止めようとしていたのに、身勝手にも魔人族の国家を蹂躙し、いらぬ争いに巻き込んでしまい、魔人族も人間族も多くの命をこの異郷で散らすことになったではないか。
自分は本当にそんな事をしたかったのか。
なぜ自分はそんな行動を起こしたのか、まるで自分が自分ではなかったような、そんな気持ちを否定できない。
ロウが自分を魔王と呼び、キョウと呼ばなくなった時は悲しくなったが、確かにあの時の自分はキョウではなかったのだから当然のことだったのだ。
キョウは持っていた刀を取り落とし、呆然とその場に立ち竦んだ。
やがてキョウの身体がガタガタと震え出し、それを止めようとしているのか、自分の両肩を抱いてロウを見上げた。
「ロウ・・・」
『・・・ようやく目が醒めたか、キョウよ。』
「ロウ・・・ロウ・・・わ、わたし・・・なぜ?」
『説明は後だ。我が眷属よ!天の楽園へと戻り、悠久の時を過ごすがよい!』
ロウの眷属達の足元に魔法陣が輝き出し、その光が眷属達の身体を呑み込むとその身体は掻き消え、もうそこには神獣の気配も鬼獣の気配も嘘のように掻き消えていた。
それは東大陸に向かったフェニックスとボーンドラゴン、人間族領に向かったキマイラ、九尾、バフォメルも同じであった。
この世界を容易く滅ぼすほどの力を持った厄災達は、そろって天空の塒へと帰って行ったのである。
そうしている間にも、ロウはシャドウアサシンと戦っていた魔人族達の傷を古代魔法を使って直し、殺気を含んだ【威圧】を浴びせてこの場から去るよう命じると、魔人族達は一目散に「魔境」の中へ消えて行った。
しばらくするとこの場所に充満していた殺気、怒気、冷気は微塵もなく消え去り、静かに佇むロウと子供のように震えて立つキョウ、「魔境」との境界線でダッド達に護られているセナミだけが残っていた。
◆
洗脳や魅了などの精神操作を受けた者は、心と行動の矛盾が生じた時、本来の自分を取り戻す可能性がある。
特に自分の意思をしっかりと持っている者や、自分の置かれた環境を冷静に分析できる者は、魔法による精神操作を受けていたとしても、これを弾き返す事ができるという。
今はどのような方法でキョウに精神操作を仕掛けたのかは分からないが、本来の自分を取り戻したキョウならば、二度と同じような手口に絡め取られることは無いだろう。
しかし、精神操作を受けていた間も、己の行動は記憶として残っているのだ。この戦争の結末を見てキョウの心が傷付いていないはずは無い。
「私のせいで大勢死んでしまった・・・」
『そうだな。』
「死ななくてもいい人達だった。」
『そうだな。』
「なぜこんな事に・・・私が・・・」
キョウの瞳に涙が溢れ、頬を伝って地面に落ちてくる。どんな時でも涙など見せないキョウが、泣き顔を隠す事無く縋るようにロウを見上げていた。
『キョウよ、思い違いをするでない。』
「え?」
『この場にいた人間族と魔人族を殺戮したのは我、厄災の不死竜ヒュドラである。キョウではない。』
「違う・・・原因はわたし・・・」
『キョウもセナミも、誰一人殺めておらぬ。原因?戦争などいつの時代でも確たる理由もなく始まるものだ。特に多種族が共存している世界ではな。キョウの行動はただの切掛けに過ぎぬ。』
「そうじゃない・・・、私が、私が魔王を名乗らなければ、こんな事は起らなかった・・・。魔人族を西へ連れてこなければ、こんな事には・・・。」
『いや、起ったであろうな。』
「え?」
『ゼダハ王国での顛末を思い出せ。あ奴らは東大陸へ攻め込もうとしていたのだぞ。』
「で、でも、私が・・・」
たとえロウがどんな言葉を掛けたとしても、この戦争に関してキョウの後悔と慚愧の念は決して消えることは無いだろう。
あまりの人死の多さがキョウに伸し掛かって、その全責任が自分にあると思い込み、まともな考えができていないのは明らかであった。
この戦争の根本は、この世界に隷属魔法によって心も体も縛られた奴隷が存在し、彼らを得ることで様々な欲望を満たそうとする心醜悪な者が今だ多く存在する事だというのに。
これまでキョウが精力的に取り組んできた奴隷解放運動はどうなるのか。
『では、もう奴隷に落とされた者達を救う事は諦めるのか。』
「で、でも!私にそんな資格は!」
『キョウにしか出来ぬことに資格もくそもあるものか。お前がやらねば理不尽に虐げられる不幸な者がずっと増え続けるだけである。』
「ろ、ロウ・・・」
『我に非正規奴隷を無くすと言ったではないか。キョウが正しいと決めたなら、たとえ百万の人族を殺してでもそれを成し遂げよ。』
「・・・は、はい。」
『この戦争はその切っ掛けに過ぎぬ。我がここで行った殺戮を、我の理不尽な蹂躙を、もっと多くの者を救う道標とせよ。』
キョウの身体の震えが徐々に収まっていく。
そう、キョウは相当な覚悟を持って非正規奴隷の解放に取り組んできたのだ。たとえ人を殺そうと、己の魂が地獄の業火に焼かれようとも、必ず成し遂げて見せると自分の心に誓って。
そしてこの誓いが成し遂げられた時、ロウがキョウの全てを消し去ってやると言ったことを改めて思い出したのである。
『さて、次はセナミか。』
少しは落ち着いたキョウを余所に、ふとロウは一本だけ触手を伸ばして、離れた場所で頭を抱えて蹲っていたセナミを掴み取り、強引に自分の傍まで引き寄せた。
「ひっ、ひいいいいいいぃぃ!!」
恐怖のあまり手足をバタつかせ、必死にロウの触手から逃れようと暴れるセナミをキョウの横へストンと降ろしてやる。
セナミは腰でも抜けたか、尻を地面に付けロウを見上げながら後退さっていく。
『セナミよ、レイは生きているし、トウゴもケンジも蘇る可能性は残っておる。』
「ひっ!ひいっ!ひへぇ?」
『我が二年もの間、何もせずに引き籠っているとでも思っていたのか?三人の命を繋ぐ法考えていたのだ。』
「ろ、ローちゃん?ほ、ほんと?ほんとに!?」
『ああ、嘘など云わぬ。』
ロウは三人をクリスタルの中の時間をほとんど停止させることに成功し、中の三人はほぼ死んだ直後の状態を維持する事ができた。
レイに関しては咄嗟の蘇生で心臓を動かすことが出来たから、生きていることは間違いないが、トウゴとケンジ魂と体が離れてから少し時間が経っており、蘇生できるかどうか微妙であった。
ロウは二人を蘇生させる方法を必死に考え、万能薬ともいわれるエリクサーを作ろうともしたし、【邪眼】を使って三千世界全てを見渡し、蘇生の方法を探ろうともした。
散々考えた末、思い出したのがキョウを蘇生させたときの六神の動きである。あの時、六神は何を成したか。
キョウが眠るクリスタルの中を「イータル」と呼ぶエネルギーで充たし、魂を呼び戻した。そして、運命神ルードが何らかの魔法陣からキョウの魂を拾い上げ、キョウの身体へ返したのではなかったか。
あの時の手法を再現できれば、彷徨う二人の魂を戻し蘇生できる可能性は残されている。
ロウは【亜空間世界】から三人が眠るクリスタルを取り出した。
『キョウよ、魔力は我がいくらでもくれてやる。その魔力を神力に変えてクリスタルの中へ注ぎ込むのだ。』
「そんなことやったことがないよ・・・。」
『イメージだ。我の魔力をキョウの【魔力吸収】で吸収しなが【神魔変換】を放出するのだ。まずはトウゴのクリスタルからだ。』
「で、でも・・・」
『癒しの光であったか?あれを発動させる感覚だよ。』
「う、うん。」
ロウは触手を分岐させてキョウの身体に巻き付かせ、キョウが魔力を吸収しやすい「形」を作った。
すると、ロウの身体全体から陽炎のように湧き上がる魔力が可視化され、その魔力が片膝を付いて両手をクリスタルにあてているキョウへと流れていく様子がはっきりとわかった。
キョウの掌が白銀に輝き、魔力が神力に変換されてトウゴが入っているクリスタルに注がれていくと、次第にクリスタル自体も輝きを増していった。
どれ程の時間が経ったのだろうか。辺りはすでに日が暮れ闇に包まれているのだが、キョウが齎す神力の光でそこだけが闇に侵食されていない。
キョウの視線がロウに向けられ、クリスタル内部が神力で満たされたこと無言で伝えると、ロウはクリスタルの真上に大きな魔法陣を展開した。
それは「神の領域」でキョウを蘇らせるために運命神ルードが具現化した魔法陣と瓜二つで、魔法陣の中では数えきれぬほどの光球がゆっくりと漂っている。
ロウは迷宮に閉じ込められてから、運命神ルードが作った「魂の魔法陣」を自分でも作れないかと、記憶を辿りながら何度も何度も試み、地上界での顕現に成功したのである。
ここからはセナミの仕事である。
『セナミよ、この無数の魂からトウゴを探さねばならん。』
「え?あ、うん・・・」
『目で探すのではなく、願うのだ。自分の元へ戻って欲しいと。強く願うのだ。それはセナミにしかできぬことなのだ。』
「わ、わかったよ。やってみる。」
セナミが魔法陣の下で目を閉じ、一心不乱にトウゴを想い、帰ってきて欲しいと念じている。トウゴの優しさ、迷いと苦しみ、悲しみと涙、最後に見せたとても切ない笑顔がセナミの胸の中に溢れてくる。
しばらくすると一つの光球が魔法陣を離れて下りてきて、セナミの周りを漂い始めたではないか。
セナミが目を開けて光球を見詰め泣き笑いの笑顔を浮かべると、指先で光球に触れそのままトウゴが眠るクリスタルへと導いた。
光球はクリスタルに吸い込まれ、トウゴの胸の上で少しだけ強く光るとそのままトウゴの身体の中へ入って行った。
『む、魂が戻った。トウゴの鼓動が聞こえるぞ。』
「あ、あああああ・・・・と、とーごぉ・・・」
だが、これだけではトウゴはまだ目覚めない。
今後、クリスタルの中を神力で充たし、魂と体が定着したらようやく目覚めるだろう。それがどれほどの時が必要か分からないが。
『さぁ、泣くのは後だセナミよ。ケンジも待っているのだぞ。』
「うん・・・うん・・・。」
◆
トウゴとケンジの魂を呼び戻すことに成功し、二人の顔に生気が戻ったのを見たセナミはクリスタルにしがみ付いて泣きじゃくっている。
キョウの表情もどことなく穏やかであった。
『さて、キョウとセナミ。今からお前達を浮遊島へ転移させる。キョウが住む小屋がまだあるから、しばらくはそこにいると良い。』
「でも・・・」
『大人しく我の言うことを聞いておけ。お前達には少し休息が必要だ。』
「ローちゃんの家があるの?」
『ああ、最高の塒である。下界に降りる転移魔法陣もあるから退屈はせんだろう。詳しいことはキノに聞けばよい。』
「待って。ロウはどうするつもりなの?一緒に行くんじゃないの?」
『我にはまだやるべきことが残っている。それが済んだらすぐ戻るさ。』
普段のロウらしい軽い口調で答えながら、ロウは二人の足元に転移魔法陣を発動させたのであった。




