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46.三巴


人族の居住領域である東大陸と西大陸は陸続きであるが、二つの大陸の間にオルボスとネルヴァスという二つの険しい山と、その裾野に無限ともいえる広がりを見せる「魔境」があり、強力な魔獣が跋扈する未踏の世界は人族の侵入を拒んできた。

陸続きであるにもかかわらず東西を行き来する陸上ルートが無いのは、この険しい二つ山と「魔境」が存在するが故である。

「魔境」の樹木は繁殖力と再生力が強く、普通の火で焼いたり切り倒したぐらいでは瞬く間に元に戻ってしまううえ、己の身体を護るためより多くの魔獣を呼び寄せるので開拓など出来ないのだ。


しかしそんな「魔境」の中で、この世界の歴史が始まって以来の奇跡が多くの魔人族達の目の前で繰り広げられていた。


ここは東大陸と西大陸の人族居住領域を結ぶと直線距離が約3,000km程度の所であり、「魔境」の中でも横断距離が一番短くなる位置だった。

その場所に突如築かれた、東大陸側から「魔境」の真中に向って進む「道」に大勢の魔人族が集結していた。「魔境」に分け入るような道を進んでいるのは、魔王の元に集まった魔人族連合軍のうち、主に魔法工作部隊とその護衛部隊の約一万の軍である。


魔人族を僅か二十日余りで統一した強者、魔王キョウが人間族の討伐を宣言してからすでに一年が経過していた。

魔王は各国の政治に関与することなく、これまで通り各魔人族国家の自治を認め各国の王も変わることなくそなまま施政を行っているため、混乱や内乱などは起らなかったが、人間族を滅ぼすための軍備は着実に推し進められていた。


最大の障害であるロウを迷宮に幽閉し、外の世界と隔絶させている間に魔人族を纏め上げた魔王キョウは、次なる行動に移っていた。


その魔王キョウが打ち出した、人間族の領地へ侵攻する方策が「魔境」の横断であった。人間族の領地へ侵攻するための経路を確保するため「魔境」を丹念に調べ、魔人族領と人間族領が最短距離で結ばれる場所を特定したのだ。

最初は誰もが魔境を進むのは無理だと考えていたのだが、そんな批判にも魔王はどこ吹く風で聞き流し、全軍から土魔法の使い手を集めさせたのである。


今も魔王キョウが先頭に立ち、「魔境」を切り開いていく「道」の造作に当たっている。

魔王の背後には六十体の巨大ゴーレムが三段構えで立ち並んでいた。もちろんこれらはセナミが召喚した護衛用のゴーレムである。


先頭に立つキョウから考えられない大きさの魔力が湧き上がり、魔人族の兵士達は魔力に当てられ一斉に顔を強張らせる。キョウは六神のうち、大地神ケープスの加護能力【植物操作】を発動させたのだ。

魔王が前方に突き出した両手を左右に広げていくと「魔境」の植物たちは、巨木も下草も一斉に左右に分かれて動きだし、幅は30m、奥行きは前方へ200m以上は開けた空間を作りだしたのである。


出来上がった「道」をゴーレム達がゆっくりと前進していく。一列目はそのまま前進し、二列目三列目は左右横に並んで飛び出してくる魔獣を警戒している。


「道は出来た。土魔法で両側に壁を作って。」

「は、ははっ!」


キョウの傍にいたルリエント王国の国王補佐官が号令を掛けると、後ろで固まっていた土魔法の使い手たちがバタバタと動き出した。道の両側に五十名ずつ魔法士達を配置し、セナミのゴーレムに守られながら高さ3m程の厚い土壁を作っていくのである。

壁が出来上がったところからゴーレムが前方へ移動していき、木々が無くなった空間に入ってこようとする魔獣を数で圧倒して易々と倒していくのだ。


そんな尋常ならぬ魔王の魔法を目の当りにし、この作業に交代でやって来た魔人族の兵士達が一様に溜息を漏らしている。


「お、おい・・・俺は幻覚でも見ているのかな・・・」

「言いたいことは良く分かる。俺だって信じられんよ。この目で見ていなきゃな。」

「これ、マジで人間族の領土まで行けるぞ。魔王様の力は恐ろしいな。」


だが、【植物操作】の能力を駆使してキョウがどれだけ頑張って道を作っても、横断道を作るには相当長い時間が掛かってしまう。

この作業を続けてすでに百日以上が過ぎているのに、全行程の三分の二しか完成していないのである。森を分割するだけなら今のペースの倍の速度で進める事ができるのだが、後に続いていてくる魔人族達の安全も同確保を優先しなければならないため、防護壁の設置は必須なのである。


いま、キョウが恐れるのはロウの存在だけである。

迷宮に幽閉したとはいえ、ロウならばきっと脱出方法を見つけだして自分達を邪魔しにくる、そんな予感がずっと拭えずにキョウの胸の内にあった。

ロウが自分の前に立ち塞がったら、その時自分はロウに刃を向ける事ができるのだろうか。


「急がないと・・・。」

「は?」

「何でもない。」


再び前を向いたキョウの瞳には迷いなど微塵も見られなかった。



岩壁のあちらこちらに付着しているヒカリゴケのおかげで洞窟の中は仄かに明るい。しかし、漆黒の巨体がある場所だけは光が影を追い出す事ができずにいる。

迷宮の最深層に放置されてからどれ程の時が流れたかなど、不死竜ヒュドラのロウにとっては些細な事でしかない。そんな事よりも真剣に考えなければならない重要な事がいまだ先も見えない闇の中にあり、ロウの心に「焦り」を生んでいた。


『どうしたものか・・・』

「ロウ様・・・」


キノの機転でこの迷宮からの脱出方法は見つかったのだが、散々考えてもキョウの変化の理由、原因が確定できないロウである。

キョウが何らかの精神操作を受けていることは間違いないと思うのだが、誰がどのような方法でキョウを変えたのか、キョウの心にどうやって干渉したのか、この迷宮に囚われてからずっと考えを巡らしているのに、確たる答えを見出せていない。


どのみち、このまま迷宮を出て行ってキョウと向き合っても本当に殺し合いになってしまうだろう。それは避けたいロウは、なんとか変化の原因を突き止めそれを排除し、キョウが元に戻ることを願うしかないのである。


ロウの思考がキョウの原点にまで遡っている。勇者召還されたキョウではなく、この世界で転生した妖精族のキョウの原点は・・・。

キョウが妖精族として転生したのは運命神ルードの采配であった。あの時、「神の領域」にいた六神はロウを相手に臨戦態勢にあったので、運命神はキョウの魂に細工する時間や意識は無かったはずである。


ロウが「神の領域」から戻されてからは、一年に三、四度はキョウと会っていたのだが、それほど長く会話をしたわけではないので、キョウの変化には気付けなかったのか、それとも変わっていなかったのか、判断できない。

ただ、キョウが心疲れて浮遊島にやって来て、三、四日滞在して地上へ戻る時は、ロウが昔から知るキョウの表情であったから、その間に変化が起きていたとは考えにくいのだ。


ならば、ここ最近の話か。

最近のキョウは非正規奴隷解放のため獣人族の国ギヌス王国に行ったのが最後で、その後はファーレン王国に戻っていたと聞いている。

その前に会ったのが二年前で、浮遊島に一人でふらりとやって来た時だった。


あの時キョウは、妖精族と獣人族の非正規奴隷が殆どいなくなったと、人間族の非正規奴隷も相当数減ってきていると、珍しく笑顔を見せて話していたので、ロウは良くやったなと心の底から賛辞を言った記憶がある。

あの瞬間、キョウの心中に人間族に対する激しい憎しみの感情は有ったのだろうか。


(なかった、と思いたいな。)


考えに行き詰ったロウは、再び別の方面からキョウが変わった理由を考える。


キョウは隷属や魅了などの精神干渉魔法にかかっている気配が全くなかったことは【邪眼】を通して判っているが、現代日本の知識を持つロウは、人がいきなり変わってしまう理由に、宗教がらみの狂信か洗脳、または自己犠牲の可能性もあるのではないかと考えている。

だからこそロウはキョウに対して信仰の問いを投げ掛けてみたのである。

ロウは長い幽閉生活の中で、キョウの変化の原因について、妖精族に多大な影響を与える精霊王の存在であろうとは予測しているのだが、それが実在するモノなのか、またはサキュリス神のように人族にも干渉できる管理者的な存在なのか、いくら考えても判断がつかないのだ。


(精霊王が実在しているか、若しくは精霊王を騙っている者がいるのか・・・)


ファーレン王国では精霊信仰が大多数を占めていたので、精霊王に関することは、あの国に長く滞在していたロウもある程度の知識は持っていた。

事実、彼の国の者達が最も恐れているのが「精霊王の怒り」であり、拠り所にしているのは精霊王が住まう「聖樹エルブ」であることは他種族でも知っている事である。


しかし、元日本人のキョウはロウと同じで神の存在など信じていない筈である。妖精族として新しく生を受けたとしても、日本人としての精神はそのまま引き継いだのだから尚更だ。

更にいうなら、キョウは神を名乗っている七神のうち、サキュリス神に一度殺されているのだから、今更七神への信仰心が生まれるなどあり得ない。しかも、七神はただの「管理者」でしかなく、加護と恩恵、そして厄介ごとを人族に押し付けているだけの存在であることを知っている。


そんなキョウが、精霊王などという曖昧な存在に傾倒するのだろうか。再びロウの思考が振出しに戻ってしまい、堂々巡りを繰り返しているのである。


「ロウ様、またキョウ様の事をお考えなのですか?」

『うむ、あのキョウがあれほど感情を表に出すことなどなかったのでな。変わってしまった理由を考えている。』

「確かに無表情であまり感情の動きが分からない方ですが、最近はすこしお変りになられたようですね。」

『ほう・・・キノにも変化が分ったか。』

「いえ、ロウ様の使いでファーレン王国へ行った時に、上位精霊になられたラフレシア様と楽しそうに談笑していましたので珍しいな、と。」


ファーレン王国の元国王であるラフレシアは、死に際して聖樹エルブに吸収され、そのまま上位精霊となって精霊界と現世を行き来しているが、ロウは精霊となったラフレシアとは一度しか会っていない。


『そうか・・・あの王様の存在を忘れていたわ。』

「え?ろ、ロウ様?」

『全く、碌でもないことをしでかしてくれたな・・・』


ロウの強力な魔力が急激に湧き上がり、狭い洞窟の中を満たしていく。そんなロウの魔力に当てられ、キノが少し怯えたような表情を見せている。


そう、ロウの中でキョウが変わってしまった理由、その原因と目的が繋がった瞬間だった。

この世界で自分を生んだ両親も兄弟も、奴隷解放運動の仲間ですら一線を置いているキョウが、心を開いて接する事ができる存在はそう多くはいない。ロウか、もう死んでしまったティノ、そして上位精霊ラフレシアである。

上位精霊となったラフレシアがどれほどの力を持っているかロウに知る術はないが、人族から精霊に「昇華した」のであれば、キョウの心の隙につけこむことが出来たのではないか。


『今、キョウは何処にいるのだ?』

「九尾様が監視を続けておりますが、既に西大陸に入り人族領と魔境との境界部まで達しているとの事です。」

『流石はキョウである、ということか。そこまで準備を終えたか。』

「はい。魔境横断道はほぼ完成間近で、魔王軍も東大陸を出立しました。人間族もこの動きは察知していて、横断道の開通位置に各国から軍が集結している模様です。」

『なるほど、人間族も動きが速い。』

「ロウ様、いよいよここを出られるのですか?」


キノが期待に満ちた目を向けながらロウに聞いてくる。

そう、キノに気付かされたとおり「迷宮核」をこの場で破壊してしまえばここはただの洞窟となり、ロウは難なく外で出る事ができるであろう。


だが、外界に出て何をするのか、と問われればキョウを止めると答えるしかないが、それは別に人間族を救うためでも妖精族達を滅ぼすためでもない。

ロウは人外となって長く生き、人の心などもはや自分の中には残っていないと自負している。人間族が滅びようが妖精族が死に絶えようが、心痛む事など無いのだ。


ロウの願いは、キョウの心が壊れないで欲しい、ただそれだけなのだ。そのために、キョウの為にロウができることは何なのか、その答えを直ぐに出さなければならない。


『我の目的は決まっておる。厄災の不死竜の名を、もう一度この世界の全ての人族の胸に刻みつけてやるとするか。』

「ろ、ロウ様?」

『人の怨念も恨みも、全て我が食らい尽くす。』


そう宣言したロウの様子は、先程までの腑抜けた様子が掻き消えキノら眷属達が絶大な信奉を寄せる邪悪な主の姿であった。



「魔境」を強引に掻き分けて進む魔王軍の上空にある空は、これからの人間族の行く末を表わすかのような暗雲が立ち込めており、今にも雨が落ちてきそうな天候である。

人間族の領域との境界まで残すところ数kmとなった地点で、魔王キョウは最後の仕上げに取り掛かろうとしていた。


周辺の様子を探るために一旦行軍を止めて、多方面に斥候を出し情報を集めているのだが、ここまで来て人間族の冒険者が森に隠れてゲリラ戦を仕掛けてきたので、散発的にだが小規模の戦闘も起きている。


そんな中、自ら召喚した青い巨鳥に乗って偵察に行っていた、異界から召喚された勇者セナミが戻ってきた。


「キョウさん、森の向こう、草原の所に人間族の軍隊が集まってる。」

「そう。」

「木造の砦?もテントもいっぱいあった。森を抜けたらすぐ戦いになる。」

「了解。」

「どうする?ゴーレム君をもっと召喚しておく?まだまだいけるよ?」

「たぶん、大丈夫。」


人間族の軍は約十万との報告を受けているが、各国の軍と傭兵、冒険者達が集まった正に烏合の衆、数ばかり集めただけで指揮命令系統の構築が出来ていないと見た。

この場所がどの国になるのかキョウも判らないが、他の国はまず様子見、自国に火の粉がかかるようなら本腰を入れようという思惑がはっきりと分かる陣の布き方であった。


一方、キョウとセナミ、キョウの参謀となっている各国代表十一人と妖魔族の長が軍議を開き、緒戦の動きを再確認している。キョウは魔王軍十三万の兵を擁して、目の前に布陣する人間族の軍隊を蹂躙し、そのままの勢いで近隣の町、都市を併呑して西大陸に魔人族の領地を立ち上げる心算でいた。

既にこちらに向っている魔人族連合軍本隊が到着し、全軍の集結が完了するのを待って道幅を500mまで広げ、人間族の連合軍に一気に突撃する算段である。

魔王軍の戦力は十二万人まで膨れ上がっており、人間族が相手ならたとえ倍の戦力で


魔人族軍:最大国ルリエント三万、サーベント一万五千、レグノイア二万、

     ウェグスニア八千、ゼヴェント五千、シンマ二千の計八万。

獣人族軍:ガルータ一万、ヒューゴ五千で計一万五千。

混成国軍:ピーシス三千、トロン二千で計五千。

妖魔族軍:二万。


その他にも、第二軍として約四万の軍が、東大陸にある人間族の都市国家イータをル攻略するために別行動をとっていた。


正直言ってキョウは戦闘のプロでも戦争となると素人である。そのことは日頃から幹部連中に言い伝えているので、この軍議もキョウが口を挿むことは無かった。

魔人族が組織的に人間族を蹂躙していく中で、キョウとセナミは自分に向かってくる人間族を手当たり次第に屠っていくだけである。


間もなくこの世界で二度目となる種族間戦争の火蓋が切って落とされる。

正義などどちらの側にも無く、ただ敵の滅亡だけを望んで繰り広げられる殺し合いに、少女たちの心は耐えられるのであろうか。



ついに「魔境」が抉じ開けられた。

「魔境」との境界部にある平原に布陣していた人間族の兵士達は、目の前で「魔境」の樹木が数百mに渡ってわさわさと動きだし、開けた空間に魔王軍が布陣しているのを確認すると、すぐに陣を展開させ臨戦態勢を整えた。

戦場特有の極限まで緊張した雰囲気が今にも破裂しそうであり、人間族は魔人族の得意戦法である遠距離魔法攻撃に備え、守りに重きを置いた陣を作っている。


しかし、兵士達が目にしたのは魔法攻撃の火球や氷柱などではなく、巣から這い出る蟻の如く「魔境」から溢れ出てくる魔獣達であった。

ゴブリン、オーク、オーガなど人型だけではなく、フォレストウルフや地竜まで、行軍の途中で魔人族の魔獣使い達が支配下に置いた魔獣達で、「魔獣寄せ」の魔道具を使いここまで連れてきたのだ。その数は一万を下らないだろう。

十万に対して一万の魔獣が襲い掛かっても結果は見えているが、敵戦力を消耗させるにはこの上ない戦法である。


「ま、魔獣の氾濫だと!?違う!奴らが魔境から引き連れ来たのだ!!」

「先に魔獣の大軍を仕向けて我々を疲弊させるつもりだ!くそっ!卑怯な!!!」


魔法攻撃に備えて前面に出ていた魔法士部隊が慌てて後方へ移動し始め、盾を構えた屈強な戦士が最前線に進み出てくるのだが、隊列が揃わず所々綻びが見られる。


そして「魔境」から溢れ出した魔獣の大軍が人間族の軍へ襲い掛かろうとその牙を見せた時、戦場全体の空気がキィィィン!と甲高い音を立てて張り詰めた。

疾走する魔獣達は動きを止め、人族達の高ぶった士気が急速に失われていくほどの、強大な魔力の動きであった。


強大な魔力の流れは兵士達の頭上にあり、誰もが手を止めて空を見上げていると、暗雲立ちこめる空を覆うほど巨大で淡く銀色に輝く魔法陣が出現し、戦場の真上でゆっくりと回転し始めた。

そして魔法陣の真中から、真黒な竜の首が一つ二つと這い出してくる。


GUAAAAAA!!!!


獣の咆哮と共に暗雲の中から現れたのは、黒い鱗に覆われた巨大な九首竜不死竜ヒュドラであった。異形の竜は体長ほどにもある羽を大きく広げ、地上に影を作りながらゆっくりと音も立てずに下降してくる。


キョウは六神の加護【時詠】で、ロウがこの場に現れることを知っていた。

三日ほど前に感じた感覚は、自分が全力で推し進めてきた計画が頓挫することを意味し、ロウと戦いになる事を確定するものであった。


キョウはこの事を誰にも話すことは無く、自ら先頭にたって戦うつもりでいる。たとえこの戦争が無意味なものとなったとしても、胸の奥から湧き上がる人間への憎しみは消えることは無いのだから。


「ロウ・・・」


ヒュドラは首を動かして人間族、魔人族を睨み、威圧で動けぬ魔獣達を最後に見下ろすと、九首竜中央の首の前に白い魔法陣を発現させて魔力を集積していき、魔獣達に向けて灼熱の光ブレスを放った。

光の束となったブレスは、人間族の軍を噛砕こうとしていた魔獣の群れを直撃し、一瞬の内にその殆どを蒸発させてしまった。


不死竜ヒュドラは下降を続け、やがて地面に着地して、魔人族軍、人間族軍、ヒュドラの三つ巴の布陣が成った。


『全く、人族共と関わると碌な事にならぬわ。』

「ロウ・・・」

「ローちゃん・・・どうして・・・」

『魔王に召喚の勇者よ、久しいな。元気そうで何よりだ。』

「やっぱり、来るとは思ってた。」

『魔王よ、ではあの時の我の宣言通り、遠慮なくお前の計画を邪魔させてもらうとしよう。』


キョウはロウが自分の名を呼ばず、魔王と言った事に少なからず衝撃を受けていた。

一瞬目を伏せてロウから視線を外したとき、ロウの周りには巨大な魔法陣が幾つも出現した。セナミの召喚陣など子供の落書きに思えるほど、複雑で美しく、洗練された魔法陣が光り輝き、中からヒュドラと同じような異形が次々と出現してきた。


黄金の獣の身体に三つ首を乗せた合成獣キマイラ

白炎を纏った巨大鳥不死鳥フェニクス

銀色に輝く九本の尾を広げた妖狐の九尾銀狐

破壊不能の黒盾を持つ悪魔王バフォメル

血肉を失い骨だけとなった混沌竜のボーンドラゴン

白銀の鱗に覆われた二つ首の双頭竜ハジリスク

小さくて見えないが、ロウの背中で片膝を付いているシャドウアサシン


人族の誰もが、その姿すら見た者がいないと云われる厄災級から神話級の魔獣、鬼獣、神獣達である。この内のたった一匹いただけでも国軍が出撃し、多大な犠牲を払って討伐できるかどうか、というまさに災害クラスの魔獣であった。

地上に現れた強者が一斉の咆哮を上げ、敵意を剥き出しにして目の前にいる人族達を威嚇している。


最初に動いたのは不死鳥フェニックス。一羽ばたきで空中に舞い上がると、人間族が陣を布く木造の砦に向い、白炎を吐き出して砦とテント、兵糧荷駄を焼き尽しそのまま上空を旋回している。

続いて混沌竜ボーンドラゴンが顔の前に漆黒の巨大な球を生み出すと、器用に首を後方に反らし戻る反動で雷闇属性のダークボールを「魔境」に向けて投げ付けた。

稲妻を纏った禍々しい黒い球は「魔境」の樹木を消滅させ、着弾と同時に拡散した稲妻が、樹木を焼き横断道の側壁を打ち抜いて大きな穴を開ける。


今戦場にいる人族全員が目の前の出来事を、わが身に降りかかった災いだと消化できず、ただ硬直していた。


そんな人族達の頭の中に、まるで闇の底に引き摺りこむかのような低い声が、不死竜ヒュドラからの念話が直接響いてきたのである。


『矮小な下等生物どもよ、静かなるこの世界で何の騒ぎを起こしているか。』

『魔人共よ、せっかく魔境という壁が築かれ、蟻の如く増え続ける人間と隔絶できていたのに、それを破壊してくるとは恐れ入ったぞ。』

『人間共よ、最も未熟な種であるにも拘らず、隷属を悪用して他種を支配しようとは、何処まで思い上がっておるのか。』


人間族も魔人族も、ヒュドラの言葉が一々身に覚えのあることで、わざわざ厄災の不死竜ヒュドラが降臨して自分達に攻撃してきた理由を悟り、恐怖で身震いしてしまった。


『何という傲慢か!何という自惚れか!人族だけが害虫の如くこの世界を蝕んでいき、喰い尽くし、不毛の地と変えていくのだ!』


激しいロウの怒りの波動が濁流となって人族達に襲い掛かり、気の弱い者など腰砕けになって地に尻をつき、ガタガタと震えるしかできなくなっている。

怒りの波動はそのまま風の渦となり、ヒュドラが鎮座する周りには竜巻が発生している。竜巻は次第に勢いを増していき、ヒュドラに一番近い場所にいた両軍の兵士を巻き込んで空中に舞い上げ、数十mも吹き飛ばした。

その竜巻が収まると、今度はヒュドラが巨大な羽を一振りしたため、途轍もない突風と砂塵が二十数万の人族を襲い、吹き飛ばされて地面に投げ出された者、飛ばされた仲間の下敷きになって潰される者が続出し、もはや軍としての陣容は乱れ、両軍は大混乱に陥った。


そんな状態になっても、両軍の魔法士達は自分が得意とする攻撃魔法を発動させて、盲滅法にヒュドラやその眷属達にむけて火玉や氷柱、風の刃などを撃ち出しているが、ヒュドラの固い鱗に傷一つ付けることはできなかった。

魔王軍の先頭にいたセナミのゴーレム達もヒュドラに向かって突進してくる。

ゴーレムは恐れを知らないので、自分の身体より遥かに巨大な敵でも躊躇うことなく腕を振り上げその剛力で殴り潰そうとしたのだが、何故かそのままの姿勢で活動を停止してしまった。


ヒュドラよりさらに大きな白銀の身体を持つ双頭竜ハジリスクがゴーレム達を見下ろしている。

その四つの赤い目が怪しく光っているのは石化の魔法を仕掛けたからだ。元々土属性のゴーレムであるが、ハジリスクからより強い石化魔法で固められては身体を動かく事など全くできなくなってしまうのである。


『ほう、まだ我に刃向かう気概を見せるか。そのような児戯にも劣る攻撃で我を倒せると?片腹痛いわ!』


ヒュドラの一番目の首が天に向かって持ち上げられると、顔の前に赤い魔法陣が出現し巨大な炎の球が放たれた。その姿はまるで陽が昇るが如く熱く眩しく、暗雲で遮られている本当の陽の光さえ凌ぐほどの勢いである。

炎球は両軍の真上まで上昇すると、一つ二つと分裂していき、瞬く間に空を埋め尽くす無数の火の球となって空中に静止している。

成す術なくその様子を地上から向上げていた人族達は、この後に起こる残酷すぎる結末に顔面蒼白となり、盾や倒れた仲間を頭に翳して被害を小さくしようとする者、他人を押しのけ我先に逃げ出す者、ただ立ち尽くして運命に身を委ねる者と様々だった。


『燃えよ、灰燼となり大地の糧となれ!』


上空から一斉に火球が降り注いだ。

一つ一つは拳ほどの大きさで大した威力は無いかもしれない。しかし、両軍合わせて二十万人以上もいる集団に余すことなく降り注ぐほど膨大な数なのだ。戦場は炎に包まれ、悲鳴や怒号が飛び交う阿鼻叫喚の修羅場と化した。


魔法を使える者は水を放出し、そうでない者は服や布を使って火を消し止めようと必死に動き回っている。

自分や仲間に燃え移った火をようやく消し止め、何とか無事であったという安堵と喜びに一息ついた兵士達の頭に、再びヒュドラから絶望的な内容の念話が響き渡る。


『これより我の眷属は東大陸に向い、魔人達の国々を襲わせよう。このような所まで大軍を放出し、ガラ空きになっている各国の都市をな。』

『道すがら魔王が築いた道は破壊する。五体満足で東に帰れると思うな。』


見ればヒュドラの眷属である混沌竜ボーンドラゴンが骨だけの羽を上下させて空中に舞い上がり、すでに上空を旋回していた不死鳥フェニックスと並んで東の空へと飛び去っていく姿があった。

ヒュドラが言うように、今魔人族領の各国は殆どの兵士を出征させているためがら空き状態なのだ。そんな所へ破滅級の魔獣が二体も襲い掛かれば、街にいる住民の全滅は免れないことは明らかである。

さらにヒュドラは魔王が作った「横断道」も破壊するという。安全な帰り道を失えば「魔境」を越えて自国に戻ることなど出来るはずがない。


もはや開戦前までの異様に高い士気もなく、魔人族の軍から再び悲鳴が上がり、我先にと「横断道」に殺到して東大陸へと潰走していった。


人間族の軍も同じである。地を歩く九尾銀狐、バフォメル、キマイラが彼らの国に向かって移動を開始したのだ。

中には高位の冒険者と見える者もいて、三眷属の移動を妨げようと打ち掛かってくる者もいたが、九尾に焼かれ、キマイラに踏み潰され、バフォメルに塵にされ喰われてしまっている。


『隷属などという下劣で卑しい手法で、他種族はおろか同族までも支配するウジ虫共よ。上位種に喰われる恐怖をとくと味わうがよい。』


ヒュドラからの念話は実際に目の前で起こっている事で、そんな惨劇を目の当りにした人間族の軍も一斉に潰走を始め、そこにはもはや秩序など存在しなかった。


戦場だった場所には焼け焦げた死体と食い千切られた人の残骸が転がっているだけで、動くモノはなにも見当たらない。


ただ、破壊と残虐の波動を纏った厄災の不死竜ヒュドラと、周囲を凍らせるほどの冷気を纏った魔王とが対峙し、目には見えない異様な力が両者を死闘へと押しやっているだけであった。


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