45.魔王
大陸北方のノクトール地方にはまもなく短い温暖な季節がやって来るというのに、ゼダハ王国の王都メッサドは今にも雪が降りそうなくらい気温が下がったように感じる。
天候が急変したわけでもなく、魔法で作られた無数の氷柱が砕け散り、宙に舞ったからではない。
それは威圧と威圧の衝突、或いは殺気と殺気の鬩ぎ合い、兵士達が出向く戦場でよく経験することだが、この場では発生源いる者達の強大な力が周りの空気を凍らせるほど鋭く、冷たくしているのだった。
ゼダハ王国の兵士達の目に映っているのは、黒い刀身の曲剣を持つ銀髪の女と、異界から召喚された魔獣を使役する少女、そして羽根を生やした小さな黒い小動物である。
そこから湧き上がった殺気が周りにいる者達に伝播し、心の底から冷え切ってしまうような冷気を感じているのだった。
やがて、魔力に敏感な魔法士の一人が叫び声を上げてメッサドの中に逃げ込んでいくと、後は堰を切った濁流のように他の兵士達が武器を捨てて逃げ出していった。
なにせ自分達がいる場所から十数m先には、なにか見えない壁に阻まれて前に勧めない巨大ゴーレムが数十体もいるのだ。
蜂の巣を突いたような兵士達の大騒ぎの中でも、強烈な殺気は収まることは無い。
誰も気が付いていないが、その殺気は兵士達に向けられたものではなく、一人と一匹の間で交わされているだけのものであった。
ロウは胸内で静かに怒りの炎を燃やしていた。
それは目の前にいるキョウにでも、横から睨み付けているセナミにでもない。
キョウの変化を、キョウの心の中にあった黒い悪意の種を見落としていた自分に対しての怒りであり、再び理不尽な要求を自分に課してきたこの世界の理にである。
メッサドの宿でキョウと再会した時にキョウの能力を垣間見たが、それは何でも鑑定してしまうロウの「癖」のようなものであり、自分の与えた加護が機能しているかの確認に過ぎなかった。
だがキョウと対峙して、これだけの殺気を自分に対して向けてくるキョウを、突然豹変したキョウを、何者かの精神操作を受けているのではないかと、疑わざるを得ないのだ。
そしてロウは改めてキョウを【邪眼】で視て、重大な自分の見落としに気付いたのである。ロウはキョウの種族を見落としていたのだ。
名 前:キョウ・アーミア・アリスハウルド(♀72)
種 族:妖精神族(ダークエルフ族)
状 態:平常
生 命 力:--- 魔力量:--- 神力量:---
能 力:大商人の次女、闇の断罪人
六神の加護【癒しの光】【神眼】【植物操作】【時詠】【神魔変換】【虚像】
不死竜の加護【転移・召喚・魔力吸収】
キョウの種族名が妖精族から妖精神族に変わっていた事は気が付いていたのだが、それは六神の加護がすべて顕現したからだろうと勝手に解釈して、詳細まで調べていなかったのである。
ロウは改めて、固有能力【邪眼】を使ってキョウの種族の詳細を探る。
神族:神界の祝福を受けた地上界の四王「輪廻王、精霊王、六獣王、堕天王」の眷属となった者達。
種族に神族を冠する者達はそれぞれ四王の眷属であり、地上界で生きる身でありながら、四王の教え、願い、意思、恩恵を地上界の者達へ伝える伝道者である。
その中で、精霊王とは文字通り妖精や精霊を統べる王と云われており、ファーレン王国の元女王ラフレシアが上位精霊となって仕えているという存でもある。
つまり、キョウは現在「精霊王」という存在の眷属ということになる。
人族に括られる妖精族の中にも信仰の対象として敬う者が多い。ただ、妖精族でもその存在を見た者は殆どなく、神と並ぶ一種の神格化された偶像崇拝の一つに過ぎなかった。
その不確かな存在が、何故キョウを眷属と成したのか、キョウはロウに何も語らなかったし、ロウが神の領域から戻ってきて数十年が過ぎ、その間にキョウとは何度も会っていたのだが、キョウはいつも無表情で感情を表に出すことがなかったので、種族に関わる変化に気付いてやれなかったのだ。
今、それに気付いたロウは、キョウの変化の原因が精霊王の存在であると確信したのである。
「どうあっても、邪魔するんだね。」
『キョウ、お前の戦いがお前の心のままにやっているのであれば、止めはせん。』
「私は私。その他の誰でもない。」
『我の知るキョウならだが、今のお前は全く別のキョウだな。』
普段から感情など見せないキョウの表情が、少しだけ歪んだように見える。
「ロウと私、何も変わってない。」
『なるほど、では聞こうか。キョウよ、「精霊王」とはなんだ。』
「・・・精霊王は我々妖精族の守護神であり、私にとって唯一無二の存在。」
『ふっ、元日本人の「上杉響」のセリフとは思えんな。やはり今のキョウは我の知る響ではないようだ。』
「・・・私は私と、何度も言っている。」
『お前が自分は響であると言い張るなら、我はお前の戦いを何度でも邪魔することになるな。』
「どうして?何故ロウと私が戦う?何故人間族が諸悪の根源だと認めないの?」
『キョウもセナミも人間族であろう。だからこそキョウは悩み苦しんでいたのではないのか。』
ロウはキョウと並ぶように立つセナミに目を向けた。
セナミも今までの何処かボーとした、大人しい少女の様相から、まるで悪鬼のようにロウを睨みつける女戦士の貌に変わっている。
やはりキョウが怒りを見せたように、ゼダハの兵士達をゴーレムから守っている事に憤慨しているのか、ロウを鋭い視線で睨み付けていた。
ロウは小さくため息をつくと、視線をキョウに戻し、取り返しのつかない方向に向かうキョウに対して、今のロウが出来る唯一の抑止の言葉を投げかけた。
『キョウよ、お前が人間族を滅ぼして他種族を護ると言うなら、我は妖精族、獣人族、魔人族を滅ぼしてくれよう。』
「っ!!」
『我は人外だ。この世界の人族がすべて滅びようと、この胸には何の痛みはないぞ。』
「ロウ!!」
『厄災の不死竜の本気を、この地上界で見せてくれるわ。お前達二人にそれを止められるか?』
「・・・」
キョウの美しい顔が、元の表情の無い、冷たいものへと変わった。厄災の不死竜ヒュドラと闇の断罪人キョウが敵となった瞬間である。
「ロウ、あなたとは戦いたくはない。」
『人外の我にその様な感情は無い。何とでも誰とでも戦えるぞ。我の眷属共々にな。』
「・・・私には六神の加護がある。」
『その六神の領域すら破壊したのが我だ。この地上界にいる限り我の魔力が尽きることは無い。』
「もう、駄目なの?」
『お前次第だ、キョウよ。お前が自分の本当の心で決めたことは何だったのか、今一度思い出して見るがよい。』
「・・・」
ロウとキョウの、しばらく無言の睨み合いが続く。
周りの気温がまた一層下がったように思えるほど、冷え冷えとした視線の交差であった。
そんな中、セナミが召喚したゴーレム達の足元に魔法陣が発動し、吸い込まれるようにして全てのゴーレムが送還されていく。
あっという間に戦場からゴーレムが消えてなくなると、セナミは再び召喚魔法を発動し、今度は巨大な鳥のような魔獣を召喚した。一見はロウの眷属フェニックスのようだが、身体の大きさは半分ほどでその羽は艶やかな青色である。
ロウとキョウの会話を聞いていたセナミが、黒い感情をそのままにロウに向って言い放った。
「キョウさん、もう行こう。これ以上は時間の無駄。」
『・・・』
「あたしは絶対許さない。誰も邪魔させない。キョウさんとローちゃんが戦って全部滅べば漁夫の利を得る。」
『セナミよ、トウゴ達がそんな事を望むと思うのか?』
「みんな死ねばいい。無人の野に立って高笑いしてやる。」
『いったい何を言っているのだ?誰も居なくなって困るのはセナミではないか。』
「トーゴ君達が居なくなったんだから、もう誰も居ないのと一緒。そして最後にローちゃんがあたしを殺すの。万々歳。」
『・・・』
悪鬼のような表情のまま、セナミが笑ったかのように口角を上げた。
もはやロウには二人に掛けてやる言葉など無かった。また、二人もそれが解っているかのように無言でセナミが召喚した魔獣の背に乗った。
二人を乗せた召喚獣は一つ二つ羽ばたいて舞い上がると、メッサドの上空を旋回してから東の空へと消えていった。
キョウとセナミが消え去り、やるせない気持ちのまま、ロウはレイとケンジが入ったクリスタルを亜空間世界へと格納した。
トウゴの遺体の傍に行き、自らの魔法剣で傷付いた身体に再生魔法を掛けて直していくが、生命活動を停止してから時間が経ち過ぎたのか、完全には回復できなかった。
それでもロウはケンジと同じようにクリスタルの中にトウゴをいれて自分の魔力で充たすと、亜空間世界へ格納した。
ロウの作りだした亜空間でクリスタルが三つ並んでいる。ロウの力では彼らを蘇らせることなど出来ないかもしれないが、彼らの生を諦めることだけは出来なかった。
誰も居なくなった戦場に風が吹いてきた。
ロウはもう一度溜息をつくと、そのままの姿勢で宙へ舞い上がり雲上へ出た。固有能力【不可視】を使って姿を消すと、浮遊島への転移魔法陣を具現化し、自分の塒へと帰っていた。
◆
キョウ達と別れてから数日が過ぎて、ロウは浮遊島から動いていない。ずっとお気に入りの湖の畔に座り、急に変わってしまったキョウの事やそのキョウを止める為とはいえ、宣戦布告してしまった自分の短慮をずっと後悔している。
さらに毎回毎回、地上へ降りるたびに「人族に関わると碌な事が無い」と同じことを思い、いい加減学習すれば良いのにと我が事ながら反省していた。
そんなロウの胸の中は暗雲で覆われ、心安らぐお気に入りの場所にいるというのに、一向に気分が晴れることは無かった。
ロウもまさかキョウと敵対することになるとは思ってもいなかったし、キョウの変化を今だに受け入れる事ができず、余計に気持ちが沈んでしまうのだ。
いつの間にか、ロウの眷属達が集まってきてロウを囲んでいた。眷属である彼らにはロウの感情が伝播しているのか、みな心配そうにロウを見て佇んでいる。
そんな眷属達に感謝しながらも、キョウが精霊王の眷属となった事を考え続けているのだった。
ロウが思うに、元日本人のキョウがこの世界の精霊王を崇めるなどあり得ない。
だが、キョウの状態を何度視ても洗脳されていたり、魅了されていたりと、精神状態の異常は無かったように思える。第一、ロウの与えた脇差を持っていればある程度の精神異常の魔法に抵抗を見せるはずなのだ。
あの時、キョウは確かに脇差を使っていたので、これまでも身に着けていたのは間違いないのだから、何らかの精神異常をきたす魔法を使われている可能性は低い。
では、キョウは本当に変わってしまったのだろうか。
この世界で転生してしまうと、信仰や崇拝といった精神的な依存を否定できなくなってしまうのだろうか。
(う~む、判らん。この世界の事をもっと真面目に勉強すべきだったな・・・)
そんな事を考えていた時、ロウの足元で魔法陣が輝き出した。それは以前、ゼダハ王国の港町ソドリスでセナミに召喚された時と同じ魔法陣である。
一瞬、ロウの視界が眩い光で真白になり、その光が徐々に弱まって目が慣れてくると、そこは暗い洞窟の中だった。
ロウの身体が一気に硬直した。
この空気、この魔素の濃度、回り岩壁の様子は、ロウにとって身に覚えのあるものばかりだったからだ。
ここは間違いなく【迷宮】の中だった。しかも奥の壁に迷宮核が埋まっているということは、最深層の迷宮創造主の空間である。迷宮主がいないということは、すでに攻略されている迷宮なのだろう。
ロウが唖然としていると、視界の隅で小さな影が動いたのを捉えた。
そこにいたのはロウをこの場所に召還した張本人のセナミである。さらに、その横には認識阻害を纏ったキョウの姿もあった。
『・・・我を此処に召んだのはセナミか。キョウも一緒とはとういう事だ?』
「ローちゃん、しばらくここで大人しくしてて。」
『ここは、迷宮か・・・。』
「キョウさんからローちゃんは迷宮から出られないって聞いた。」
『・・・』
「あたし達は絶対にやり通す。ローちゃんは邪魔なの。」
ロウにはセナミの声に感情が全く無いように聞こえた。それはここが迷宮の中という閉鎖空間で、音が岩壁に反響しているからか、それとも本当に感情を無くしたか。
「目標を達成したらちゃんと外に召喚するから。それまで我慢。」
『どうあっても人間族と争うか。』
「キョウさんはとても強い。あたしも強い従魔をいっぱい召喚する。」
『そんな事をしても救われる魂は無いぞ。』
「・・・わかってるよ。でも、人間族は許せない。」
『それが二人の行く道ならば、仕方あるまい。』
ロウは溜息を漏らし、二人から視線を外す。
ロウをここへ召んだということは、話し合いができる猶予など、もはや皆無であるという二人の意思表示でもあるのだろう。二人が目指す先の最大の障害がロウなのだから。
「ロウ、ごめん。」
『謝罪などしてほしくないな。今から我とお前達は敵同士だ。次に逢う時は全力で戦おうか。』
「っ!!ロウ!?」
『人間も妖精も獣人も魔人も、全てが滅んだ不毛の地でな。』
「ロウ・・・」
ロウは固有能力【変化】を使って元の九頭竜の姿に戻り、その姿でキョウとセナミに向け最大限の【威圧】をぶつける。
流石にキョウは眉一つ動かさずやり過ごしたが、セナミは禍々しいロウの本当の姿をみたことと、その威圧をまともに受けた影響とで、恐怖の余りその場で失神してしまった。
『さぁ去ね。それとも今此処で雌雄を決するか。』
「ロウ!!どうして!?どうして解ってくれないの!!」
『お前は我の知るキョウではない。我は偽を滅し、真が戻ることを望む、ただそれだけだ。』
「ロウ・・・」
キョウは顔を伏せ、何かに耐えるように立ち竦んだ。
やがてそのまま倒れたセナミの元へ行ってその身体を軽々と小脇に抱え、この空間へ入ってくるための扉の方へ歩いていく。そして、巨大な扉が閉じていく間、キョウはロウの姿をジッと見ていた。
◆
その日以来、ロウはこの迷宮で大人しく囚われている。どの位日が過ぎて行ったかなど最初から数えていなかった。
元々迷宮生まれで数百年も一所でじっとしていたのだ。この場で出来ることは何も無いことなど、ロウは十分理解しているのである。
だが、さすがにキョウの動きは気になったので、魔剣キノをこの迷宮に中に召喚し、外の世界の情報を集めてくるようお願いしたのが唯一の行動であった。
そう、この場にロウが召喚されたということは、ロウも同じように召喚魔法を使う事が出来るという事に気が付いたのだ。
だが、迷宮生まれの九尾やハジリスクを召喚して、万が一彼らも迷宮から出られなくなってしまっては拙いと思い、キョウと共に迷宮に入って戦ったと言っていたキノを召喚したのだった。
キノには眷属達を総動員してキョウ達の情報を集めるよう指示を出してある。
キョウとセナミが言っていた、人間族を滅ぼすという言葉は本気であろうとロウは考えている。
あの時のキョウの瞳には、ロウに対する殺気まで籠っていた。
ロウは本気でキョウと敵対してまで、妖精族や獣人族を滅ぼそうと思っている訳ではないし、そんな事をするつもりもない。
わざわざロウが手を下さなくても、キョウ達の考える通りに人間族が滅んでしまえば、その後の世界で妖精族や獣人族、魔人族も確実に滅ぶからだ。
この世界に「魔素」というものが存在する限り、食物連鎖の頂点は人族ではなく魔獣達である。その魔獣達を数頼りにして最も多く討伐しているのは人間族なのだ。
もし、人間族がこの世から消えれば、彼らが管理している領域や迷宮から津波の如く魔獣達が溢れ出てくるのは必至である。
地上が魔獣達で溢れれば、まず獣や植物が生き残ることができなくなり、魔素を吸った死体が瘴気を放って、やがて世界を満たすだろう。
妖精族、獣人族、魔人族だけで魔獣が増えないとうに討伐する事すら出来ないであろうし、そうなれば妖精族や獣人族の棲家である森もなくなり、彼らは食料も調達できずに飢え死にするしか道は無い。
繁殖力が弱い妖精族や魔人族では対処できる範疇を越えてしまうのだ。
魔人族なら或いは生き残るかもしれないが、魔獣達の超巨大氾濫を単一種族で抑えられるか、甚だ疑問である。
(そんな事も判らぬキョウではあるまいに・・・)
ロウはそう呟くと再び目を閉じて、長い眠りに就くのであった。
◆
ロウが地上より消えてからしばらくして、東西大陸では歴史上類を見ないほどの混乱と焦燥の最中にあった。
まずは、西大陸にある幾つかの国家で、その国の施政者達を悩ませる同じような大事件が発生した。
その事件が起きたのはゼダハ王国、サマイン自治区(旧サキュリス正教国)、ソシラン王国、マリス帝国の四国で、各国ともその事件を公表していないため、事件の内容は噂の類でしかないのだが、大規模召喚の魔法陣が破壊されたというものであった。
さらにセダハ王国、ソシラン王国では魔法士組合支部の建物が火災で焼け、貴重な書物や魔道具が灰となったとも噂されている。
大規模召喚魔法陣の存在については、各国ともにその場所や規模など全てが秘匿されているにも拘らずこの事件が明るみに出たのは、余りにも破壊の規模が大きかったからである。
冒険者組合や魔法士組合、商業組合を通じて広がった噂では、魔法陣があった場所は、地の底から溶岩が噴き上がり、溶けた岩が建物ごと陣を呑みこんで破壊してしまったというが、これほど大規模な火魔法と土魔法の融合魔法の使い手など、魔法組合の中でも二、三人しか思い至らないほどである。
いずれにせよ、東大陸にある大規模召喚魔法陣は殆ど消滅したため、今後この世界で勇者として異界人を召喚する事は非常に難しくなったのである。
一方、東大陸ある魔人族領の国家が激震に揺れていた。
今、魔人族国家の中でも一、二位を争う大国であるレグノイアの王城では、たった一人の侵入者によって齎された混乱に誰もが右往左往していたのだ。
王座をかけて現王に挑戦するためにやってきたという女が、いとも簡単に現王を倒してしまったのである。
魔人族の間で行われる王位継承方法は、現王に戦いを挑み勝利することで自分が新王になる、というもので、王位獲得に挑戦する権利は、貴賤問わず誰にでもあるとされている。
さらに国家としての施政官は全て王の指名で決められ、それによって王の権力は絶大なものとなる仕組みになっている。
ここレグノイアでもそれは同じで、先王に戦いを挑み、見事勝ちを得たゼルブナローバックが王位に就いている。
現王ゼルブナローバックの強さは魔人族全体でもトップクラスと云われるほどその戦闘能力の高さは絶大であり、彼が王となってから王座奪取に挑んだ者は三人いたのだが、いずれも現王に敗れており、在位は既に四年を数え、現体制は盤石であった。
しかし、そのゼルブナローバック王がさっきまで自分が座っていた王座の真前で仰向けに倒れている。
その手には自慢の魔剣ラムダもなく、身体の部位欠損はないものの、体中が傷だらけで多くの血を流し息も絶え絶えであった。
そしてその傍らには、竜皮マントのフードを目深に被って顔を隠した背の高い女が立っていた。
数刻前に城門に現れて現王への挑戦を告知し、話を取り合わず門前払いにしようとした衛士の全身の骨を砕いて城内に入ってきた。
制止しようとした者が全て倒され、事態を重く見た序列四位が王へ取次がなければ、さらに被害は大きくなっていただろう。
その女が現王を倒してしまったのだ。城全体が混乱に陥るのは仕方のない事であった。
「私の勝ち、で良いよね?」
「はぁっ、はぁ、はぁ、お、俺の負けをみ、認める。も、もう、あんたがこの国の王だ・・・。」
「そう?じゃ、この国は私の命令通りに動く。良いよね?」
「あ、ああ、あんたが王である以上、さ、逆らう奴はいない。」
「そう、良かった。」
「さぁ、殺せ。」
「まず最初の命令。貴方が王代理となって、この国を纏めなさい。」
「な、なに!!」
ゼルブナローバックは床に背中を付ける自分を見下ろしている女に顔を向けた。この城に入って来た時からずっとフードを目深に被っているので、その表情は窺い知れない。
王座奪取の戦いは負けた者には、勝った者が死を与えるというのが慣例である。新たに王座を争う強敵を減らすためでもあり、一度は王になった者が、誰かの下に付く等ということは不名誉であるという考え方があるからだ。
もちろん、ゼルブナローバックも先王を殺している。というより、王座奪取の激しい戦いの中で、敗れた方がまだ生きていること自体が稀であり、これまでの歴史の中では戦いの決着は片方の死によって決着付けられていたのだ。
だが、今回の戦いは違った。
傷だらけで瀕死の重傷を負っているゼルブナローバックに対し、挑戦者の女は息を上げるどことか、目深に被ったフードすら外すことが無いほど一方的な戦いであったのだ。
王座の間に集まっていたこの国の重鎮や各軍団の長達も、余りにも圧倒的な力の差に驚愕し、声も上げられないほどである。
その場にいる全員が新王の言葉に混乱して立ち竦んでいると、新王がフードを外し始めてその素顔を見せたため、さらに驚きに声を無くしてしまった。
「だ、ダークエルフだと!」
「まさか、わが君は妖精族に負けたというのか。」
フードの下にあったのは美しい銀髪と褐色の肌が特徴的である、妖精族の希少種ダークエルフのキョウである。
キョウはそんなざわめきや怒号など気にする風でもなく、六神の加護【癒しの光】を使ってゼルブナローバックの傷を完全に再生させたのである。
魔人族には人間族が使う治癒魔法や妖精族が使う回復魔法は効果が無く、傷を癒すには再生魔法によるものか、効果は薄いが回復薬を飲むかしか術はない。
魔人族の中で再生魔法が使える者は非常に少なく、もし使い手であることが分かれば立身出世が思いのまま、とまで言われている程なのだ。
その行動に、あれほど騒がしかった部屋が静まり返り、全員が息を呑んで二人の様子を伺う。
身体の傷が全て癒えたゼルブナローバックがゆっくりと立ち上がり、再びキョウの前に立って敗者に情けを掛けた理由を誰何した。
「どういうことか・・・。」
「新王は私。だけど貴方には引続きこの国を治めてもらう。」
「それは先程聞いたが、理由が分からない。」
「私は、これから隣の国に行って、その国の王座も貰ってくるから。」
「はぁ?!」
ますます訳が分からなくなり、ゼルブナローバックは思わず素頓狂な声を上げてしまった。
「だから私は魔人族の王を統べる王になる。魔王よ。」
「ま、魔王・・・」
「そう、魔王が魔人族をまとめ、さらに妖精族、獣人族とも統合して人間族を滅ぼす。」
「なっ!?そ、そんなこと・・・」
「サーベントとウェグスニアはもう魔王の支配下になっている。」
「何だって!!そ、そんな馬鹿な!!」
もちろんそれは事実であり、キョウはレグノイアに来る前に他の二国に立ち寄り、やはり現国王と対決してあっさりとこれを破っていた。
「いつか号令を掛ける。それまでに西大陸への進軍の準備を。」
「し、しかし、それはいったい何時で・・・第一人間族の領地まで移動する手段など・・・」
「二年内。この国からは二万。精鋭でお願い。道は私が創るから。」
「っ!」
それだけ言うと、キョウは再びフードを被って部屋の扉の方へ向かって行く。
皆が呆気にとられる中、ゼルブナローバックは慌てて配下の序列九位レジンエッタを呼び、キョウに着き従って情報を集めるよう指示を出すのが精いっぱいであった。
それから間もなく、東大陸の魔人族の国と獣人族の国、少数の混成国に至るまでの全ての国家が「魔王」の傘下に入り、東大陸に新しい連合国家が誕生したのである。
さらに、西大陸の国々には東大陸唯一の人間族の国イータルを通じて「魔王」から通告がなされ、人間族は東大陸から無条件で退去せよとの命令と、西大陸にある全ての人間族の国家に対する一方的な宣戦布告が伝えられた。
通告では「東西大陸全土から人間族を駆除する」とあり、さらには「獣人族と妖精族には一切手を出さない」と明記され、対価として西大陸に侵攻する際の無償協力を要求していたのである。
◆
ここは既に攻略され、迷宮創造主がいない筈の迷宮の内部である。
迷宮の第二十五階層にあたるこの場所は、岩盤をくり抜いた巨大な地下空間が拡がっていて、岩壁に群生したミドリヒカリゴケが仄かに輝き、その光を反射して漂うヒカリ胞子も相まって幻想的な空間である。
この開けた場所以降、迷宮は続いていない。つまりここは迷宮の最深部、心臓ともいえる『迷宮核』が置かれている部屋であり、迷宮主の部屋と呼ばれている所だ。
実際に奥の壁には、青白く輝く水晶のような物体「迷宮核」が埋込まれている。
「迷宮核」は放つ光は、この空間で漆黒の巨体を横たえる異形の存在、九つの首を持つ黒竜の鱗に全て吸い込まれるかのようで、この空間全てを照らす光となるには少し弱いようであった。
九首の黒竜、不死竜ヒュドラたるロウがこの空間に現れてから、どれ程の時が流れたのだろうか。
この迷宮の「迷宮創造主」でもないロウは、迷宮を動かす権限など一切ないので、以前のように迷宮全体を管理し、魔獣を生み出したり武器や魔道具を作ることも出来ないし、この迷宮に冒険者が入ってきても感知することも出来ないのだ。
この空間から出ようとしても扉の結界が発動して弾かれるし、何も出来ることがないこんな場所では、もう寝るぐらいしかやることがなかった。
しかし、今日は眷属である魔剣キノを召喚し、外界で起きている様々な変化についての報告を受けているので、ロウは普段の退屈さからは解放されている。
紅く燃えるような瞳の少女、人化したキノは、新たな情報としてキョウが東大陸で「魔王」を名乗り、魔人族の国を纏め上げて人間族に宣戦布告した事を伝えたので、どことなくロウは憂鬱そうで、今日は溜息をつく回数がだいぶ多くなっていた。
地上では季節が一巡したというのに、この空間では何もできない自分がもどかしく、キョウを早く止めねばと焦る気持ちばかりが逸り、ロウの心は散々に乱れていたのだ。
そんなロウを見て、意を決したようにキノが語り掛けてくる。
「ところでロウ様。いつまでこんな所に引き籠っておいでなのですか?」
『いつまでと言ってもな・・・どうすれば良いのやら・・・』
「早くここを出てキョウ様を止めて頂かなければ・・・」
『キノには言っていなかったか?我は迷宮生まれでな。迷宮に入ると出られなくなってしまうのだ。』
「は?」
『我の生まれた迷宮はキョウの友の勇者様が壊したので出てくることができたのだ。アレがなければずっと迷宮の中で暮らしていたな。』
「あ、あの・・・ロウ様・・・」
『あの頃が懐かし・・・なんだ?』
「ロウ様はキョウ様と喧嘩して落ち込んでいるから、ここに引き籠っていたのではないのですか?」
『はんっ!我がそんな事で落ち込むわけがなかろう。この迷宮から出る方法を一刻も早く探し出してキョウを止めねばな。』
「・・・」
『どうしたのだ?』
「・・・あの迷宮核を壊せばよいのでは?」
『え?』
「え?」
『・・・』
「あの迷宮核を壊せばここはただの洞窟になる、のですよね?迷宮の仕組みでそんな記憶が私にあるのですが・・・」
『・・・』
この世界に生を受けて三百と余年。不死竜ヒュドラとして生きてきた年月の四分の三を、ただ無駄にしていたことに気付かされたロウであった。




