44.破滅
先に異界に来ていた者が「人を殺せるか」と問うた。
後に異界に来てしまった者は「判らない」と答えた。
人を殺めて平静でいられる者はいない。
もし、いるとすればその者の心は何処か壊れているのであろう。
それとも、人を殺める理由を正当化し、あるいは大義名分を謳い、正常な思考に蓋をして修羅となるか。
そんな苦しみを背負う事が無いようにするため、殺した者が迷う者に対して言える言葉など、あるのだろうか。
◆
レイの左胸から剣の刃先が突き出て、真赤な血が噴き出していた。
その無慈悲な剣を握っていた者、即ちレイを背後から刺した人物は、紛れもない剣の勇者トウゴであった。
両手で剣のグリップを握り、腰を据えて突き出した、迷いなど全く感じられない突きだった。
トウゴが剣を引き抜くと、レイの身体がまるで人形のように崩れ落ちる。
余りにも意外、余りにも唐突過ぎて、誰も現状の理解が追い付いていない。ロウもキョウも、ケンジもセナミもネコ娘達も、みな同じだった。
それはロウ達だけではなく、敵として四人と対峙していたゼダハ王国の近衛騎士団長グラハムですら、その顔に驚愕の表情を貼りつかせている。
レイを刺した張本人であるトウゴは、俯き加減で見えなかった顔をゆっくりとした動作で上げた。
その顔に表情はない。それは虚無といっても良い。レイを刺したという慚愧も、血に酔った狂気も、信をもった決意も、全くの無表情で人としての感情を何も感じ取る事が出来ないのだ。
その表情を見たロウは、トウゴが何者かによる隷属状態にあることを悟った。
慌ててロウが叫ぶ。このままでは近くにいるセナミもケンジも、レイと同じようにトウゴに襲われるかも知れないのだ。
『隷属魔法だ!!皆トウゴから離れるのだ!!』
「と、トウゴ!なんで・・・っごふ!」
トウゴに声を掛けようとしていたケンジの首元で、一条の光が旋回したと同時に大量の血飛沫が上がった。
そしてケンジの頭がグラリと揺れ、そのまま地面に落ちる。
「あ、あああ・・・いやああああ!!!!」
余りにも残酷すぎるケンジの死を目の当りにしたセナミが絶叫を上げ、頭を抱えて地面にしゃがみ込んだ。
そしてトウゴは最後の獲物であるセナミに向き直り、血塗れの剣を振り被り上段から振り下ろそうとした。
(い、いかん!!間に合え!!)
ロウはキョウの頭から飛び立ち、セナミの周りに【障壁】を張ろうと魔力を集めるが、トウゴの斬撃は正に「目にも止らぬ」モノであった。
誰もがセナミが両断されると思った瞬間、セナミの従魔シロがトウゴに体当りし、体勢を崩されたトウゴの剣は軌道を逸らしてセナミの横を掠める。
攻撃されたトウゴはセナミよりシロを危険と判断したか、固有能力【瞬速移動】を使ってシロとの間合いを一気に詰め、一刀の元に白の首筋を撫で斬った。
シロが地面に激突して動かなくなる。
「あ、あ、あ、あああああ!!!」
再びセナミが絶叫する。
シロが命がけで作ったその僅かな隙に、ロウはセナミの周りに【障壁】を張り、キョウは刀を抜いてトウゴに向かって間合いを詰めて、一気に切り結んだ。
「キイィィィィン!!!」
闇の勇者キョウの刀と剣の勇者トウゴの剣が激しくぶつかり合い火花を散らした。
二人が対峙したのを見て、ロウは一旦ネコ娘達のいる場所へ戻り、シャズが背負っていた魔剣キノに魔力を与えキノを擬人化させる。
セナミだけならともかく、ネコ娘達も護りながらでは戦いにならないのだ。
ロウは三人の足元にファーレン王国ルフェンラノス村へ転移する魔法陣を出現させ、人化したキノに新たな指示をだした。
『キノ!!ネコ娘達を連れて一旦ファーレンへ逃れよ!!』
「は、はい!またすぐにお召び下さい!」「「にゃ!にゃ!?」」
『頼んだぞ!』
キノとネコ娘達が転移陣に消えていく。
それを見届けたロウが再びキョウとトウゴがいる場所を見ると、セナミとトウゴの間にキョウが割って入り、互いにけん制しているところであった。
一方セナミは両手両膝を地面に付いて、動かなくなったレイとケンジを見て泣きわめいている。
勇者同士の戦いは先にトウゴが仕掛けた。
トウゴの剣には気合も殺気も、剣を使う者の意思も無い、ただ速度だけが異常に速い斬撃が、横合いからキョウを襲う。
正眼の構えから一気に踏み込んだ撫で斬りである。
キョウはトウゴの剣を余裕で受け、軽い鬩ぎ合いの後に脇構えでトウゴの剣をいなし、一旦腰を沈め返す刀で下段から斬り上げた。
キョウの斬撃をトウゴは後ろに飛んで躱し、再びお互い正眼の構えで相対する。
「ロウ!!」
『分っておる!!』
間合いを取る事が出来たキョウが、自分がトウゴを抑えている間に瀕死のレイ達を何とかしろと叫んだ。
しkし、救急救命の正確な知識などロウは持っていない。
あるのは数百年前の人間として得た、うろ覚えの情報と、この世界に於ける治癒や再生といった魔法の知識しかないが、それでもやるしかないのだ。
ロウは真先に倒れているレイの元へ行き、真赤なシミが出来たレイの服の上に再生と治癒の魔法陣を具現化して、剣で貫かれたレイの肉体の傷を再生していく。
だが、いくら傷口を再生しても、破壊された細胞を元に戻しても、心臓を貫かれればほぼ即死状態であろう。大量の血を失ったことによるショック死である。
事実、レイの生命活動は全て停止しており、呼吸も鼓動も感じられない。
だが、レイの身体の再生を確認したロウは、一途の望みをかけて触手に電撃を纏い、レイの身体に触れる。
出血が酷かったため、こんな事で蘇生出来ないかもしれないが、レイをこのまま死なせないために出来ることはこれしかないのだ。
触手をつかってレイの上体を軽く起こしてから喉に溜まっていた血を抜いて気道を確保し、風魔法を使って強制的に肺に空気を送りながら心臓マッサージを施す。
しばらく救命措置を施した後に、触手の先に纏っていた電撃を送ると、レイの身体がビクンと跳ねあがった。
そして魔力の流れ、血液の流れをイメージして、レイの身体の中にある血液を少しずつ動かしていく。
レイの血液が極端に少ないが、今のところはロウの魔力で補う事が出来ている。
そうした作業の間、ロウはレイの心臓だけを【邪眼】見ている。僅かでも、ほんの少しだけでも動き出せばよいのだ。
そして同じ工程を二度繰り返したとき、トクン、とレイの心臓が一度だけ動いた。
(よ、よし!!あと少し、あと少しだ!!)
もう一度電撃を送り、強制呼吸とマッサージを続けていく。
やがて・・・トクン、トクンとゆっくり弱々しい鼓動だが、レイの心臓が再び動きだし、なんとか命を繋ぐギリギリの所まで蘇生する事が出来た。
(や、やった!!だが、このままでは・・・)
レイの命は確かに動き出したが、生命維持に必要な血液が極端に不足しているのだ。
血液を増やす方法は、輸血か食事、あとは【錬成】で増殖させるか、【創造】で血液細胞を作り上げるかだが、輸血という近代医学療法が無い以上、いずれにしても短時間でやれることではない。
魔法で下手にレイの身体を弄り、それが原因でレイの命を再び危険に晒すわけにはいかないのだ。
ロウは恒常的に自分の魔力でレイの血を補うため、レイの身体全体を覆う器となる収納型クリスタルを作りだした。
空間魔法でレイをクリスタルの中に隔離すると、その中に触手の先端からロウの血と共に膨大な魔力を流し込み、レイの身体全体を包み込む。
本来なら、このまま冷凍保存かクリスタル内の時間を完全停止させたいところだが、ロウはその経験も知識もない。
(時間の停止・・・止ればどうなる・・・駄目だ、それは死ぬことと同じだ・・・ではゆっくり動くのは・・・)
ロウはクリスタルの中に時計があり、それがゆっくりと、少しずつ秒針が動いている姿を想像する。最初は普通に動いている秒針が、ゆっくりと徐々に速度を落としていく様子だ。
その時計の秒針が一秒動く距離をどんどん拡大していき、クリスタル内では秒針が移動する距離を千倍まで延ばすイメージを固定させる。
時間の流れが極端に遅くなったイメージが定着すると、クリスタルの中に注入していた量の魔力がほとんど入らなくなった。
(よし!!上手くいったぞ!)
あとはキョウの【癒しの光】で何度か回復させれば、いつかきっと覚醒してくれるのではないだろう。
ロウはホッと一息漏らすと、今度はケンジの方に目を向ける。
ケンジの方は・・・思わずロウは目を伏せてしまった。助けることは不可能、そういう状態なのだ。それでもロウは再生魔法を使ってケンジの身体を元に戻し、レイと同じようにクリスタルの中に格納した。
傍ではセナミが泣きじゃくっており、慰めの言葉もないロウが力無く項垂れていると、キョウとケンジの剣戟が一際大きくなり、二人の魔力が急速に高まっていく気配が伝わってきた。
二人は3m程離れて対峙し、次の一撃を繰り出すために踏み込む隙を伺っている。
まず動いたのはトウゴの方で、少し腰を沈め自分の頭の横で剣を握り、切先をキョウに向けて水平に構え直すと、トウゴの持つ剣から炎が湧き上がった。
対してキョウの刀は正眼のままだ。
トウゴの魔力が高まっていき、剣が纏う炎も勢いを増してくる。
やがて炎が剣の周りで渦を巻くほど魔力が高まると、トウゴは炎の剣をキョウに向けて前に突き出した。すると剣の纏った炎がまるで龍の如く飛び出し、大口を上げてキョウを呑み込もうとした。
至近距離での魔法攻撃では避ける事など出来ない。
キョウは即座に【障壁】と【水の精霊魔法】を発動させて正面に氷壁を作り、炎の龍を弾き返す。
キョウが全力に近い魔力で作った【氷障壁】が嫌な音を立てて軋みだすが、キョウは冷静に破壊されることはないと判断していた。
炎の龍が消滅すると同時にキョウの氷壁も消滅する。
その隙をついて、再びトウゴが剣に炎を纏わせたまま斬りかかってきた。
風を切る音と共に炎の剣が振られ、キョウの刀に受け止められては火の粉が飛び散り、二人の身体を焼いていく。
キョウは刀を上手く使ってトウゴの剣の勢いを殺し、見事な足捌きで体を入れ替え、トウゴの死角から打込んでいくのだが、トウゴは固有能力【瞬速移動】を使ってこれを躱して、間合いを外していく。
二人とも勇者である。
しかも、お互い元の世界にいた時は剣道を嗜み、師を呻らせるほどの技と腕を持っていたのだ。
そんな二人の動きは、本気の殺し合いだということを忘れさせるくらい、洗練された美しい動きであった。
異界に召喚されてからの時間が違うので、場数を踏んでいるだけキョウにはまだ少しだけ余裕があり、トウゴの剣に合わせて弾き返す事は出来るが、トウゴに致命傷となるような攻撃を与える事が出来ない。
トウゴを傷付けるわけには、殺すわけにはいかないという迷いがキョウの刀の勢いを止めているのだが、トウゴは生半端な手加減をして倒せる相手ではない。
一旦離れた勇者達が、再び激突する。
上段から振り降ろされるキョウの刀をトウゴが受け、軽々と弾きあげて鋭い胴斬りを放つが横に飛んだキョウにあっさりと躱される。
それでもトウゴは地面を蹴り脚力だけでキョウに追い縋って袈裟懸けに切り下げるが、キョウも着地と同時に踏み打込んでおり、完全に剣を振り抜くタイミングを外され半端な体制になったトウゴに襲い掛かった。
キョウの刀が徐々に速度を上げていく。
閃光の斬撃は左右上下ありとあらゆる方向から繰り出されるが、トウゴも最低限の動きで全てを弾き返し、反撃のチャンスを伺っている様子だった。
そして、トウゴが固有能力【魔法剣召喚】を発動する。魔力を集中させているトウゴの背後に六本の剣が顕現し、宙に浮かび上がった。
魔法属性を纏う剣なのだろう。
剣身がそれぞれ赤の火、青の水、緑の風、黄の土、白の光、黒の闇という六属性を表わしているかのようだ。
これまでの訓練や戦闘では、トウゴは魔法剣を二本ずつ召喚し、それを自分の手で握って闘っていたのだが、精神を操られている無意識状態では、直接手を触れずとも自在に操ることができるのであろうか。
それまで休むことなく攻め続けていたキョウが、トウゴからの重い斬撃の反動を利用して背後に飛んで距離を取る。
トウゴか持っていた片刃の剣を投げ捨て、宙に浮かぶ魔法剣のうち、赤と緑を掴んで目の前で交差させた。
元々トウゴは能力【双剣術】を持っており、自分の最大剣の能力を駆使してキョウを倒さんと魔法剣を召喚したのである。
これに対し、闇の勇者キョウも脇差を抜いた。
ロウの牙で作った短刀であり、魔法攻撃に対して強い抵抗を持つロウの身体の一部を削り出して作った武器である。相手が魔法剣であっても十分抵抗できるはずであった。
キョウとトウゴが再び激突する。
右の剣が左の脇差で止められ、右の刀が左の剣で弾かれる。
闇と剣の両勇者の動きは、すでに常人の目では追えないほど激しいぶつかり合いだった。
トウゴが剣に炎と風を纏わせる。炎が風で縦横無尽に飛び回り、幾度となくキョウを焼き尽さんと四方八方から襲ってきた。
そして対するキョウは舞っていた。
最低限の動き、身体を反らし、回転させ、時に宙に舞い、地と同化し、その動きはまるで踊り子が緩やかな音楽に合わせて舞うが如く美しかった。。
決して大きな動きではないが、如何なる熱い炎も、如何なる速さの風も、キョウの動きを捉える事が出来ない。
まるでその場所だけ時間の流れが「遅くなったのでは」と錯覚してしまうほど、流れるように優雅な動きであった。
◆
その様子を見ていたロウは固有能力【邪眼】を使って、必死にトウゴの持ち物を鑑定していた。
トウゴが洗脳状態ではなく隷属状態であることは間違いないのだが、彼は隷属の首輪を装着していないのである。首輪以外で隷属魔法を付与するモノを見たことが無いロウは焦っていた。
(隷属の首輪は付けていない。どこだ!?隠蔽されているのか?まさか我の知らぬ隷属魔法なのか?)
トウゴが身に着けているモノをとにかく鑑定していくが、それらしいモノが見当たらないのだ。
考えられるのはトウゴの身体に刺青のように直接描き入れる方法もあるが、本人に気付かれず、そんな事が出来るとは思えない。
ロウが必死にトウゴの動きを目で追っていると、意外なところから声が発せられた。
「ローちゃん・・・トーゴ君の腕輪・・・」
『セナミ!!』
「最近誰かから貰ったっていう腕輪してた。汗止めになるって・・・右手。」
『セナミよ!よく見ていたぞ!キョウ右の手首だ!!!』
ロウの念話を聞いたキョウの動き、剣捌きが明らかに変わった。
水がゆっくりと流れるような動きから、大地から噴出する溶岩の如く激しいものに変化していく。一撃一撃が重く、トウゴの剣をその身体ごと弾き飛ばすほど激しいものであった。
キョウから次々と振われる斬撃の速さが増していき、トウゴの反応も次第に遅れてくるようになり、何とか間合いを開けようと下がっていくのだが、キョウがそれを許さない。
しばらくの打ち合いの後、キョウの身体から魔力とは異なる別の力が湧き立ってきて、突然キョウの姿が歪み、なんとその姿が二つに分かれた。
一つはそのままトウゴに打ちかかって行く姿、もう一つがトウゴの真横に滑り出し上段に構え今にも斬り下げようとする姿。
六神の加護【虚像】が発動したのだ。実体と虚像の二つに分かれたキョウは、二つとも虚であり実でもあるので相手への攻撃は有効である。
トウゴの右側で刀を振り下ろしたのは実体なのか虚像なのか、閃光のように縦に走った光はトウゴの右手を確実に捉え、魔法剣と共にトウゴの手首を斬り飛ばしたのである。
「うわあああああ!!!」
手首を斬り落とされた痛みでトウゴが絶叫を上げる。
そして、そのまま右手を押さえて跪き、顔を伏せて呻き声を上げ続けた。
果たして隷属状態は溶けたのか、キョウはまだ構えを解いておらず、いつでも打ち込めるよう腰を落としてトウゴを見詰めている。
やがて、トウゴの呻き声も止み、辺りがあり得ないほどの静寂に包まれる中、静かにトウゴが顔を上げた。
トウゴの目には自我の光が戻っている、とロウは見た。キョウが手首ごと隷属の魔道具を斬り飛ばしたので、隷属魔法が解けたのだ。
正気に戻ったトウゴは、斬られた腕を押さえたまま天を仰ぎ、声にならぬ叫び声を上げた。
「うわああああああああああ!!!!!」
隷属状態であっても、トウゴの意識は残っていたのであろうか。
闘う事をあれほど迷い、悩んでいたのに初めて人を殺し、しかもそれが自分の仲間だったのだ。その胸の中に後悔と悲しみ怒りしかないトウゴは、血の涙を流している。
天に向けての長い、長い慟哭が止むと、再び地面に膝を付いて顔を伏せてしまった。そのまま肩を震わせ、声を上げずにトウゴが泣いている。
やがて、もう一度顔を上げ、自分の剣を逃れて生き残ったセナミに視線を向けた。
そして一言、(ごめん)と呟くと、斬られていない左手を上げて魔力を集め、トウゴの固有能力【魔法剣召喚】を発動させた。
六本の魔法剣がトウゴの周り旋回している。
そして、トウゴはクリスタルの中のレイ、血溜りの中のケンジ、最後に涙でぐちゃぐちゃになっていたセナミを順に見みて優しく微笑むと、左手を振りおろし全ての魔宝剣を自分の身体に突き刺した。
自らの剣に貫かれて、トウゴが崩れ落ちた。誰もトウゴが自ら死を選ぶなど誰も予想していなかった。
トウゴの悲しみや後悔、向けようのない怒りの感情が戦場に充満し、その場の空気がずっしりと重く皆の身体に圧し掛かってくる。
誰もが立ち竦んで動けぬ中、最初に動いたのはキョウである。
この惨劇の原因となった、魔導兵器「フラクタル」の中に囚われていたエルフ族を見た時と同じ状態であった。
キョウの周りに陽炎のように白と黒の魔力が立ち昇り、美しい銀髪を巻き上げている。
さらに、刀を下げたまま俯くキョウの周りには、風が集まり渦となって砂塵を舞い上げ、それが対峙するゼダハ軍に降りかかるまで大きくなっていった。
顔を下げたまま、キョウがゆっくりとした動作で左足を一歩踏み出す。
ただ、それだけだったはずなのに、キョウの姿はゼダハ軍の最前面に押し出していたバレッド王が乗る戦車の前まで移動していた。
キョウの前にた、戦車を曳いていた四頭の戦馬が、目に見えぬ何か巨大な力で弾き飛ばされたかのように、左右に分れて吹き飛んで行った。
続いて御者台が下から突き上げられるように吹き飛び、操縦していた護衛の兵士が戦車の周りにいる集団の中に落下し消えた。
キョウは再び地面を蹴りバレッド王が立つ楼台へ飛び移ると、そのまま体を回転させて横薙ぎに回し蹴りを繰り出し、バレッド王を戦車から転落させる。
さらに、空になった戦車を風魔法で空へ舞い上げ、そのまま近衛騎士団が並ぶ目前へ墜落させて粉々に破壊した。
「ぐわっ!!」
地を這って逃れようとするバレッド王の背中を足で踏みつけ、キョウが低く掠れた声でバレッド王に誰何する。
「貴様、何をしたのか、判っている、だろうな。」
「ぐっぐえぇ・・」
「手前都合で召還魔法を使い、右も左も分からぬ異界人を、意のままに操って、殺したのだ。」
「ぎっぎゃああ!!!」
キョウの刀がバレッド王の右肩を貫いて地面と縫い付け、余りの激痛にバレッド王が絶叫を上げる。
そのバレッド王の悲鳴を聞いてようやく近衛騎士団が我に返り、剣を抜いてキョウに殺到してきたが、キョウが刀を持たない左腕を一閃させると旋風が起き、重装備の近衛騎士団をいとも容易く吹き飛ばしてしまった。
「あの子達だけではない。あのエルフ族は、何だ?死して尚、魔法発動媒体に使うとは・・・貴様は人の心を、持っているのか?」
「いびゃぁぁぁ!!!」
キョウがバレッド王の肩に刺した刀を振り抜いて右腕を切断し、バレッド王が再び悲鳴を上げた。
痛みでのたうち回るバレッド王の襟首を掴んで引き起こすと、キョウは魔力を集中させていく。
キョウの周囲に、いや、無理矢理キョウに立たされているバレッド王の周囲に極寒の冷気が顕現してくる。
「隷属魔法で人を弄ぶ、薄汚い人間族よ。貴様に生きている価値など、無い!」
キョウの叫びと同時に、バレッド王の身体が一瞬で真白に凍り付いてしまった。
そしてキョウは、氷像となってしまったバレッド王の身体を押し出すようにして手を離すと、氷の塊は地面に倒れると同時に粉々に砕け散ってしまった。
三度、静寂が戦場を支配した。
セダハ王国の兵達も魔法士達も、誰もが今回の戦争については疑問と迷いを持っていたのだ。大義無き戦争によって苦しむのは民、そして死んでいくのは自分達なのである。
だが国に仕える以上、絶対者の命には従わなければならないから、東大陸まで遠征し、テンフラント王国との戦争にも向い、人を生贄にする魔導兵器まで持ち出したのだ。
だが、自分達の目の前でその絶対者が無残にも殺された。
それで自分達は次の行動をどうすべきなのか、そこにいる誰もがその答えを出せないでいたのである。
しかし、同胞を道具の如く扱われていたことを知った者、大切な友を奪われてしまった者は違う。
キョウとセナミ、二人の気持ちは同じであった。
目の前にいる憎き「人間ども」を抹殺するのだ。
「あああああああ!!!!!」
静かになった戦場の空気を切り裂くような、泣きじゃくりながら叫ぶセナミの絶叫を聞いて、その場にいる全員が我に返った。
視線を向けるとセナミの顔が歪んでいる。ゼダハ兵士に向けているセナミの目は憎しみに満ちていた
「よぐも!!よぐもごろした!!!びんな!!ころじだ!!!」
もはや何とか聞き取れるぐらいにしかならない叫び声と共に、セナミの周りに召喚魔法陣が出現する。
最初に出現した一つの魔法陣が二つになり、二つが四つになり、その数が際限なくどんどんと増えていった。
魔法陣の中からは、この場にいるはずの無い魔獣が、体長3m程のゴーレムが次々と這い出してきたのである。余りの数の多さに小さなセナミの姿があっという間に見えなくなってしまった。
そしてゴーレム達が一斉に動き出す。これほど巨大なゴーレムならば、たった一体でもセンタークラスの冒険者が数人掛かりで討伐する強力な個体である。魔法攻撃に対するそれが数十体も同時に現れれば脅威でしかない。
もちろん、攻撃対象はゼダハ兵である。
さらに、キョウがいる方からも強烈な殺気と冷気が押し寄せてきた。
キョウの周りには、すでに数え切れないほどの氷柱が浮かんでいる。鋭く尖った先端が向いているのは、もちろんゼダハ兵であった。
ここにいる人間族を抹殺する、それほどにキョウの怒りは頂点に達している。
それはバレッド王への怒りとか、ゼダハ王国の兵士に対する怒りといった小さなモノなどではなく、もはやこの世界に存在する全ての人間族に向けられた怒りと憎悪である。
この戦いの切掛けとなった魔人族への仕打ちや、エルフ族を捕え道具として扱ったことだけではない。
これまで理不尽にも奴隷化されてきた人々を救ってきた中で、隷属魔法で他人を奴隷化し、自分の欲望もまま人を支配するのは人間族だけなのだ。
闇奴隷商人も奴隷狩りを行うならず者も、捕まった非正規奴隷を買っていく者達も、全て人間族なのである。
ロウが人種差別勢力を壊滅させ、キョウが数十年かけて闇奴隷商人を抹殺してきたのに、いまだ非正規奴隷にされてしまう者が後を絶たないのだ。
「ニンゲン達は、もう変わらない。」
『キョウ?』
「ごろす!!みんだごろす!!!」
『セナミ!?』
「「ニンゲンどもは、滅びろ!!!」」
キョウの氷柱が空中に舞い上がり、一旦上空で静止するとまるで雨のようにゼダハ兵に降り注いだ。
さらにセナミが召喚したゴーレム達も、兵士達を踏み潰さんと進軍を開始した。
ゼダハ軍の兵士達も魔法士組合の魔法士達も、二人から発せられる殺気と憎しみの感情、そして強大な魔力の膨張を肌で感じていたからこそ、動く事が出来なかった。
魔獣の領域に単身で放り出され、強力な魔獣と鉢合わせてしまった、そんな感覚だったのだ。
そこにいる全員が成す術なく、死を覚悟した。
氷柱が割れる音、重いモノが衝突する衝撃音が鳴り響く。
耳を劈く音を聞きながら、兵士達は自分の死の順番を目を閉じて待っていた。
だが、彼らに与えられた無慈悲な死はやって来なかった。
キョウの氷柱は彼らの頭上で砕け散り、魔力を失って霧散した。
セナミのゴーレムは見えない壁に阻まれ、兵士達の元まで辿り着けていなかった。
ロウが兵士達の周囲に固有能力【障壁】を展開して、二人の攻撃を邪魔したのである。。
「なんで!!?なんでローちゃんが止めるの!!何で!!」
『・・・』
「・・・ロウ、邪魔しないで。」
『キョウ、セナミよ。駄目だ。』
ロウはレイとケンジが死に、そしてトウゴが自死したのを目の当たりにした時、確かに怒りと憎しみが体の奥から湧き上がり、ゼダハ王国を滅ぼそうとも思っていた。
そんな時にセナミの心の叫びを、憎しみだけに染まった叫び声を聞いて、我に返ったのである。
ロウはセナミ達に人殺しにはなって欲しくないと、ずっと思っていたのだ。
人を殺めるたびに心に大きな傷を負って、後悔と罪悪感で潰れそうになっているキョウのようになって欲しくないのだ。
多くの経験を積んだキョウは意思が強くいつも冷静で、何とか負の感情を抑え込むことが出来ているようだが、ロウから見ればいつ壊れてもおかしくない、危うい硝子の心でしかなかったのだ。
一度始めてしまったら、人を殺してしまったらもう後戻りはできない。
そんな思いを、異界から来たばかりのセナミにさせたくなかった、そんな思いが逆に怒りで心が乱れていたロウを冷静にさせたのである。
そして、もう一つの気掛かり。
『キョウ、やめておけ。戦争に関わるな。戦争ほど無駄に人を殺すものはない。』
「これは、もう戦争ではない。人の尊厳を奪い、生を汚した鬼畜の所業よ。」
『・・・自ら望ます此処にいる者もいる。』
「厄災の不死竜として、数十万ものニンゲンを殺したロウが何を言っているの。」
『・・・』
「あの時だって、中には罪なき者もいたはず。」
確かにロウは数十万もの人間族の命を奪っている。
そのことについて後悔など無い、と言い切れるわけではないが、もはや人外の心でしかないロウは自分の行った行為を遠い過去のものだと割り切っていた。
それはキョウも理解していたはずだった。
だか、しばらくぶりで会ったキョウは、確かに変わらないキョウだったのに、今、ロウの前でロウに向けて殺気を放っているキョウは全く別人のように変わってしまっている。
『我と同じように、人の死を割り切れるのか?』
「ニンゲン族は私達をシンもレイも、勝手に召喚して、そして使い殺していく。」
『・・・』
「隷属を使って奴隷を作り、人が人を支配して、不公平な世界を作る。」
『それを無くそうと、キョウは頑張っているのだろう。』
「人が人らしく生きる、その権利を奪うのはニンゲン族。ニンゲン族だけ。」
『いったいどうしたのだ!?いつも冷静なキョウがキョウらしくないぞ。』
それだけ世界中を駆け回っても、奴隷制度が無くならない苛立ち、目の当りにする人間のエゴ、欲望が余りにも醜く、この世界への嫌悪感がどんどん増していった。
魔人族でも同じように支配階級があるが、それは隷属などでは無い。もちろん獣人族もないし、妖精族にもない。この世界は人間族だけが狂っている。
「ロウ、私はもうトカゲの尻尾だけを切るのを止める。」
『キョウよ、本当にどうしたのだ!?』
『頭を潰す。トカゲの頭はニンゲン族。』
ロウは戦慄した。
自分の目の前で恐ろしい宣言を成した者が、本当に自分の知るキョウなのかと。
今、ロウを見据えるキョウの黄金の瞳は、目の前にいるロウを敵か味方かを計るような、刺すような光を放っていた。




