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42.西乱


真白な帆が西からの風を受けていっぱいに膨らみ、帆船が波が少ない海を疾走している。


この海域の西風は、時に気紛れな女性に例えられるほど予想がつかない動きを示すのだが、いま海を疾走している帆船を推している風はとても素直で真直ぐに船を推している。

このような順風はこの時期特有のものであり、船員たちも帆操の手間を大いに省いてくれるので、普段は片手間でしかできない船の整備や予備のロープの手入れに時間を割く事が出来た。

船の舳先立って見渡しても視界の中に他の船は見当たらず、右舷側の遥か遠くに大陸の白い影が見えるだけであった。


ゼダハ王国の戦船「鳳凰の嘴号」は航海六日目に入り、明日の鐘二つ刻(鐘一つ刻は九時、鐘二つ刻は十三時、鐘三つ刻は五時、鐘四つ刻十七時くらい)には目的地である東大陸の都市国家イータルに到着する予定である。


三日前に海魔獣シャーガンイールとの戦闘で傷付いた船体の修理も、航行中に応急ではあるが凡そ終わっていた。

凶悪な海魔獣に襲われながらも九死に一生を得た乗組員達は、自分達を救ってくれた謎の黒い巨大生物の正体も判らぬまま、別の海魔獣と獲物の奪い合いでもしたのだと勝手に思い込み、運が良かったのだと喜び合っていた。

海上で巨大海魔獣に襲われて、それでも生き残ることができたのは奇跡に等しいのだ。


鳳凰の嘴号に乗船している船員も騎士団も、もちろん勇者として異界より召喚されたトウゴ、レイ、セナミ、ケンジの四人も、巨大魔獣の前では自分達は無力に等しいということを痛感させられた事件であった。

常に自分に有利な条件や場所で戦えるわけではなく、相手のフィールドで戦えば圧倒的不利になる事を思い知らされたのである。

もし、あの九首竜がいなかったらこの船諸共海の藻屑となっていたのは間違いないと。


突然現れた黒い九首竜は何のためにこの船を救い、そして何処へ行ったのか、今となっては誰にも判らない。


そんな事件の当事者であるロウは、船の艫に寝そべって心地よい揺れに身を委ねていた。時々飛沫が舞い降りてくるが、【障壁】を張っているので身体が濡れることは無い。


眼は閉じているが眠っている訳ではない。このところずっと、この船を襲ってきたあの八目ウナギの事を考えている。

ロウがシャーガンイールを固有能力【邪眼】で視たとき、従属された状態だった。つまりあの八目ウナギは何者かの意を受けてこの船を襲った、ということになる。

あれほど強力な魔獣を使役できる者など、人間族や獣人族にいるとは到底思えなかった。


では「誰が」と考えれば、当然それは魔人族という結論になる。

この船の乗組員にはあの海魔獣が隷属状態であったことを伝えていないので、この船が襲われたのは偶然だと全員が思っているであろう。

ロウがトウゴ達にもこの情報を伝えていないのは、この程度の事件を切掛けに魔人族を診る勇者達の目を曇らせたくなかったからである。


ロウの推測がどんどん広がっていく。


鳳凰の嘴号が港町ソドリスを出航する時に、あの港に集まっていた他の多くの戦船が一斉に出航していった。

途中で海戦訓練を行うとかで離れて行ったが、あの港町ソドリスに集積した戦船の船団の様子を魔人族の密偵が見ていたら、本国にどのような報告を成すだろうか。一万もの兵が動けばそれはもはや戦争であると見られても不思議はない。


敵が海から大船団で攻めてきたならば、上陸前にある程度殲滅して陸地での戦闘を有利に展開する作戦は、兵法でもおなじみの常套手段である。

つまりは、戦を仕掛けられたを早合点した何者かが、あの海魔獣を放って戦船を沈没させようと考えたのはまず間違いないだろう。

この鳳凰の嘴号たった一隻を沈めるためだけにあの強力な魔獣を放ったのだとは考え難く、三十隻にも及ぶ戦船の船団を殲滅させることが本来の目的だったと考えるのが普通である。


(何者か、で考えればその都市国家の反体制派か、魔人族国家の二択であるな。)


イータルは都市国家として独自の主権を持っているとはいえ、ゼダハ王国の属国と考えても良い国であるから、国内、国外織り交ぜて反対勢力が存在しても不思議はない。

だが、人間族があれほど強力な魔獣を使役できるかどうかは甚だ疑問である。

そう考えると、やはりシャーガンイールは魔人族が使役しているとみて間違いなく、ソドリスにいた魔人族の密偵が何らかの方法で国に連絡を取り、戦船が航行する海域にあの海魔獣を放ったのだとしたら納得がいく。


しかし、実際はその思惑と異なり、鳳凰の嘴号は一隻のみで東大陸に向かい、更には海魔獣の中でも比類なき強さを誇るシャーガンイールが倒されてしまったのだ。

シャーガンイール使役していた者は、相当狼狽えたに違いない。

あのシャーガンイールを倒せるほどの人間族があの船に乗っているのだと。


使節団と共に勇者達がイータルに向うということは、相手方へは通達してあったと言っていたが、魔人族は勇者がシャーガンイールを倒したのだとあらぬ誤解をしているのではないだろうか。


そこまで考えて、ロウは思考を止めた。


(面倒だ。人族は本当に面倒である。)


改めてロウは思うのだった。



鳳凰の嘴号は、半日ほど遅れて東大陸の都市国家イータルの港に到着した。


イータルの港は入り組んだ海岸線を利用して作った自然港で、張り出した岬が外海から入る波を防いでくれるのでとても穏やかである。


ほとんど予定通りの入港だったので、港の外で待たされるようなことは無く、直ぐに水先案内人が乗り込み、所定の場所へと誘導された。

接岸準備で船員たちが甲板上を走り回り、船から舫い綱が渡され、鳳凰の嘴号はようやく艀に接岸した。

一応、外国の使節団ということになっているので、港には当主こそいないがイータルの先三家の主だった者達が並び、下船してきたロミロス副宰相以下使節団と勇者一行を出迎えていた。


イータルにとってはゼダハ王国が唯一の取引相手であり、万が一仲違いでもしてゼダハ王国が港を閉鎖すれば、さらに十日ほど西へ行った場所にある港まで行かなければならなくなる。

冷蔵技術が発達していないこの世界で、その余計にかかってしまう時間は食料輸送にとって致命的である。

それ故、セダハ王国の気分を損ねないよう、常に顔色を伺って交渉に当らなければならないのだ。


一方、ゼダハ王国もイータルから輸入する東大陸の素材が一定量確保できない場合、それを売却して得る利益が減少してしまう。

素材を集めるのは常に冒険者達なので、食料や一般生活用品などの輸出品を高額にしてしまうと、彼らが食っていけなくなるか、利鞘が減ると言ってイータルを離れてしまう可能性がある。


だからこそゼダハ王国と都市国家イータルは蜜月の時を維持し、暗黙の内に互いの利を尊重してきた。しかしそれは表向きで、食料事情を改善する方法がないイータル側だけが、常に崖淵に立たされているようなものである。


そんな人族の欲が集まった街を、ネコ娘の頭に乗ったロウは、艀に接岸した船の甲板で見渡していた。

キョウがいるかもしれないと考えたのだが、港人足や荷馬車でごった返す波止場では、【隠蔽】と【認識阻害】を併用しているキョウを見つけることは、ロウであっても不可能に近い。

早々に探すのを諦め、海岸線から緩やかに昇る傾斜地に建つイータルの街を眺める。


イータルには城というものはなく、4km四方の高い壁囲まれた街の中央に行政府と呼ばれる建物で国家運営がなされている。

行政府には政庁舎と高三家の館、迎賓館とメサイナ教の教会が並び、それを取り囲むように、兵舎や中で働く者の宿舎、冒険者組合、魔法士組合の出張所が配置されている。

街並みは雑然として統一性がないのだが、それが街自体の勢いを表わしているようで、どことなく活気がある街という印象を受ける。


やがて接岸が完了た船から、使節代表のロミロス副宰相を先頭に下船していく。イータルへの使節団として届け出してあるのは副宰相と四文官、騎士隊隊長と副官ほか六名、それに勇者ら四人である。

今回、鳳凰の嘴号には騎士団百人と使節団が十数人、その他使節団の従者や船員達しか乗っていないため、当然船倉には余裕があり、食料品や生活用品を満載してきている。

その情報はすでにイータル側には伝えてあったので、岸壁には早速港人足達が集まってきていた。


使節団はイータルの代表代理は港で簡単な挨拶を交わした後、用意された馬車に乗り込み、街の中心へと走っていった。このまま行政府へと向かって先三家の当主と面会することになっているらしい。

会談中は併設する迎賓館に滞在することになっており、各人が部屋を宛がわれる事になっている。


もちろん、勇者レイの従者となっているネコ娘達も、他の従者と共に行政府へ行くことになっているが、ロウと彼らの移動は徒歩である。

大した距離ではないのだが、体が小さいネコ娘達のためにセナミが従魔のシロを貸してくれたので、他の者に比べて移動は楽であった。

従者達は使節団と一緒に迎賓館に宿泊することは出来ないが、ほど近い場所にある職員宿舎の一室が与えられる事になっていた。


街の中を疾走した馬車は時を掛けず行政府の中にある迎賓館に到着し、先三家タヒト、レンクール、カイリュウの三人の出迎えを受け、使節団として来訪の挨拶を交わす。

先三家の三人は、貴族というより歴戦の戦士といった印象が強い、眼光鋭い男達であった。


ありきたりな自己紹介と「大人の」挨拶もそこそこに、使節団は迎賓館へ引揚げ、広々とした一室を借りて主だった面々だけが集まって今後の行動予定を再度確認することにした。

もちろんそれには勇者四人とロウも参加している。


まず、魔人族との交渉は三日後の予定となっている。

それまで勇者の予定としては、明日は勇者達と高三家の当主達との会談と晩餐会があり、明後日はゼダハ騎士隊と合流して船上で出来なかった訓練を行う事になっていた。


そして、勇者達は初日の顔合わせだけに出席すれば良いらしい。

実際に交渉が始まっても、交渉事や調印などの実務は全て副宰相が行うという。トウゴ達四人が参加する意義は、あくまでゼダハの威を示すためであり、冒頭の挨拶に参加するだけで良いとの事だった。

だが、その冒頭の挨拶こそが重要らしく、普段は表情を崩さないロミロス副宰相が、苦虫を噛み潰したような顔で四人に話してくれた。


「魔人族側にはサーベント国の軍務を担当するヴェンミューマ様が居られます。毎度毎度初見で人間族を威嚇し、狼狽える者を見ては腹の中で笑っているような方なのです。」

「なんか性格が悪そうな奴だけド大丈夫かね?ブチ切れないか心配だぜ。」


なんでも前回、ただの立会人として初参加した副宰相だが、席に着いた瞬間ヴェンミューマの【威圧】を浴びせられて、護衛もろ共その場で気を失ってしまったのだという。


魔人族側からはルリエント国、サーベント王国、レグノイア王国、ウェグスニア国の四国が参加し、その他に獣人族の国がガルータ、混成国トロンの計六か国からそれぞれ二名ずつ代表が参加する事になっている。

イータル側から評議会メンバー七人が出席するので、三十人以上が一堂に会する重要な会議だ。

魔人族の代表はその席で毎回先に述べたような悪戯をすると言うのだ。


四人はまだ知らないのだが、魔人族にとって人間族とは同族の仇であり、彼らの中にはこのような交渉など行わなくても、好きな時に搾取してしまえば良いと考えている者も少なくない。

たとえ争いになっても、人間族相手では自分達の戦力が勝り、全く勝負にならないと当たり前のように考えている。

当然、人間族も同じように考えているし、だからこそ貢物という形で恭順の意を示し、相互不干渉という安全を買っているのだ。


今回の交渉から、十数年前の戦争の当事者であるゼダハ王国も正式に参加するということで、どのような事が起こるのか、全く読めないのだという。

有事の際の人間族の盾、そのために勇者に同席してもらうのだ。


「魔人族の【威圧】ってどんなものなのかな?」

「俺の能力に【威圧】はあるけど、一般兵ならともかく騎士やグラハム団長にはまったく効果が無かったぜ。」

「じゃ、相当だな。ロミロスさんの護衛だったのは騎士だってさ。」

「そんなの目の当りにして大丈夫かしら・・・。グラハム団長の【威圧】だって耐えられなかったのに。」

『心配するな、レイよ。我らに向けて仕掛けてきたなら、我がやり返すのでな。』

「え?ローちゃん【威圧】能力があるの?」

『当然である。我の力を見せつけてくれよう!』


ロウはセナミの膝の上で、胸を反らして仁王立ちする。

魔人族の能力がどれほどのモノかは分らないが、小ドラゴン姿とはいえ神獣に類されるヒュドラの【威圧】を受ければ大人しくなるだろう。

三者とも交渉の席に着いているのだから、そんな小さなことで戦闘まで発展することは無いはずだ。


明日からの方針が決まったところで会議はお開きとし、船旅の疲れもある今日は、用意された居室でゆっくりと休むこととなった。


『では、我はネコ娘達の部屋に戻るぞ。』

「ん、ローちゃん、明後日までどうするの?あたし達は外へ出られそうもない。」


トウゴ達は交渉が始まるまで外へ出ることは出来ないが、その後は自由に過ごして良いと言うので、街の見物は三日後の会議の後で出かける事にしている。

会談や晩餐会には参加できないので、ロウとネコ娘達は明後日まで自由に行動させてもらい、会議の前に再び集まる約束をして、解散となった。


イータルの到着してからの四人はバタバタと予定を消化し、いよいよ今日が三者会議の初日である。

迎賓館の一室に三角形になるよう長机が並べられ、それぞれの辺にゼダハ王国、都市国家イータル、そして魔人族連合の四代表が並んでいた。


レイの膝の上に座り、ロウは居並ぶ魔人族の面々を眺める。

皆が青みがかった肌と赤い瞳をもち、エルフ族よりも長い耳を持っている。ロウはふと大人になったカミュの姿を想い出し、懐かしさに心の中で微笑んだ。


勇者達が入室してくると、席に着く前から相手方の視線が四人に集中し、着席してから程なくして魔人族の一人がいきなり【威圧】を発動させ勇者四人を威嚇した。

予め聞いていたとはいえ、凄まじい重圧が勇者達と傍にいたゼダハ使節団一行の心を締め付けてくる。


魔人族からの【威圧】を感知したロウは、レイの膝の上から魔人族四人に向かって自分の【威圧】を浴びせた。小ドラゴン姿とはいえ、破滅級魔獣くらいの重圧は与える事が出来る強力なものである。

ロウの強力な【威圧】によって魔人族からの重圧が瞬く間に霧散し、不意を突かれた四人は文字通り椅子から飛び上がって立ち尽くした。

そして、今まで受けたこともない強力な威圧を発した元を探るように凝視している。


ロウは【威圧】を一瞬で消滅させたので、魔人族の四人は恰もレイが強力な威圧をぶつけてきたように感じたのであろう。

それを機にケンジもじわじわと【威圧】を解放していき、先程魔人族側から発せられた威圧には劣るものの、それなりの強大な重圧を与えていく。


「いきなりのご挨拶でしたが、そういった事が東大陸の礼儀とは伺っていませんでした。ご挨拶が遅れまして申し訳ございませんでした。」


初めて見る魔人族への恐怖心と、威圧による心の動揺を押し隠し、レイが毅然と答え、その後きっちりと頭を下げる。


「い、いや・・・そういう訳ではない。流石は人間族の勇者であるな。」


魔人族の男達はレイの言葉で我に返り、バツが悪そうに四人が着席する。

ロウの作戦通り、初見で相手に呑まれるような醜態は回避する事が出来た。ロミロスも表情を崩していないが、内心ではしてやったりとほくそ笑んでいる。


「では、ご挨拶も済みましたし、各々のご紹介から致しましょうか、勇者様方はこの後、退出してしまいます故。」


余裕を取り戻したロミロス副宰相は、場を仕切る訳でもなく語りかけ、まずゼダハ王国使節の紹介を淡々と始めたのであった。



そんな波乱含みの開催となった会議の翌日、面倒な交渉やら会議やらは副宰相らに任せ、勇者四人は朝からイータルの街の散策に繰り出した。

面倒な護衛はいない。四人とネコ娘達、ロウとセナミの従魔の集団である。

四人がいればそれだけでも目立つ出立なのに、セナミはダッド立ちと共に自分の従魔である雪狼のシロ背中に乗っているので、道行く人々に好奇の目を向けられていた。


だがそんな好奇の目も忘れてしまうほど、一行は目の前の街の様子に言葉もない。


平和なのだ。


勇者四人の目に映るイータルの街には、人間族は元より、獣人族や妖精族も多く見る事が出来るし、少数だが魔人族も当たり前のように通りを歩いている。

そこには特に人種差別がるようには見えないし、人間族や妖精族が魔人族によって虐げられているようには全く見えない。


バレッド王の話では、人間族の都市国家イータルは、残虐な魔人族によって管理され、そこから解放を望んでいるはずではなかったのか。


「俺の見間違いか?昨日まで想像してた街の様子とは全然違うぞ。」

「ああ、僕もだ。昨日は馬車だったからよく見えなかったけど、人間族はもっと虐げられているのかと・・・」

「ラノベにはない展開。ローちゃん説明求む。」

『だから我はロウだというのに。我だってここに来たのは初めてである。魔人族はカミュしか知らんしな。』

「ねぇ、魔人族の支配って、ゼダハ王国の妄想なのかしら?全然緊迫した雰囲気じゃない・・・」


ロウにとってはこの世界の何処の国でも見かける、ごく普通の風景だった。

同じ種族同士で国家を形成するので、人間族の国、妖精族の国などの線引きはあるが、近年はキョウ達の働きもあり他種族排除の選民意識無くなってきているので、他種族が街を闊歩するのは当たり前になっている。

辺境や小さな村では今だ選民意識は根強い土地もあるが、大都市で他種族が共に生活するのは、今や普通のことになっているのだ。

ましてやここイータルは、未開の大地に冒険者達が一獲千金を求めてやって来る夢の街なのだ。


「こうなったのは最近らしい。」

「きゃっ!!」

「うぉ!!」


あまりに普通、一方的な支配など微塵も感じられない街の風景に、呆然と立ち尽くしている四人の背後から、突然現れた影が話しかけてきた。

もちろん異界からの召喚者「闇の断罪人」ダークエルグのキョウである。


「あ!お姉ちゃんです!」「ちょっとびっくりしました!」


お魚料理をご馳走してくれたキョウに懐いてしまったネコ娘達が駆け寄って両腕にしがみ付く。

ロウもネコ娘の頭からキョウの頭へ移動した。二人はいつもキョロキョロしているので落ち着かないのだ。


「キョウの姉さん、いきなり背後からはキツイぜ!全然気付かなかったじゃん!」

「ごめん。」

「き、キョウさん、こんにちわ。僕達は昨日着いたばかりなのです。で、街に出たら想像していた状況と違っていて・・・。」

「ラノベ的にはここで勇者が暴れるはずだった。」

「まず、見て回った方が良い。行こ。」


キョウの両隣にネコ娘達が並び、その後を四人が付いていく体で歩き始める。

相変わらずキョウは認識阻害の影響下にあるので、二つの集団が同じ仲間内だと思う者はいない。


大通りの商店街、屋台や露天商が並ぶ路地通り、食堂や酒場で賑わう一角。

三日前に到着しているキョウは、入念に下調べをしていたのか、街の裏通り、すなわちこの街本来の姿を垣間見る事が出来るエリアにも足を踏み入れていた。

キョウ曰く、表通りでは魔人族との関係を悪いと言う者はほとんどいなかったので、裏通りの衛兵の目が届かない場所まで調べたのだとか。


キョウの後に続いて黙々と街中を歩き、時に茶店に入って足を休めながら相談し、再び街を歩く。

ロウは一生懸命市場の方へ誘導しようとしたのだが、その度にキョウが何処からともなく焼きたての串焼きを取り出すので、すぐに籠絡されていた。


七人は鐘一つの刻から鐘二つの刻まで歩いただろうか。

最後にキョウが宿泊している宿まで戻り、一階の食堂に入って大きな机を囲んだ。


「結論、魔人族は支配しているという認識は誰も持ってない。」

「そ、そんな・・・。じゃ、僕達は何のために」


キョウは四人に現状を見せたうえで都市国家イータルの現状を告げる。

字際に自分の目で見てきたのだから、四人ともキョウの言葉を疑うことはできず、かといって四カ月もの間魔人族に対して敵愾心を植えつけられたため、すんなりと受け入れることが出来なかった。

重い沈黙がその場を包んだ。


キョウ曰く、十数年前に戦争があったのは間違いない。

その原因となったのが非正規奴隷を扱う闇奴隷商人であり、魔人族を騙し、隷属の首輪を装着させて西大陸に送っていた事が魔人族の知るところとなったからだという。


魔人族は同族を救い出すため、人間族がこれ以上魔人族に干渉しないようにするため、大軍を起こしてイータルに圧力をかけ、連れ去られた同族の早期返還を求めた。

イータルの人間族を助けたければ、連れ去られた者達を死に物狂いで探し出せ、という恫喝でもあったのだろう。

それに対し、ゼダハ王国とラビトアル国の連合軍が港を埋め尽くす程の戦船を集めて侵攻してきて、結果何もできず魔人族の眷属達の前に敗れ去った。


戦争なのだから死者は必ずでる。

バレッド王が言った通り何人か一般人も被害があったがごく少数で、包囲の間街に入れず「魔境」の魔獣に殺された冒険者や、すでに病に侵されていた者達だったという。


「これが十二年前の真相。」

「信じられねぇ・・・。いや、キョウさんの話じゃなく、俺達が聞いていた話と全く違うじゃねぇかよ。」

「腹黒はやっぱり王様だった。定番なラノベ展開。」

「それじゃ!セダハ王国の目的って何なのですか!?何で僕らを召喚したのですか!?」

「分らない。」

「トウゴさん、キョウさんに当たっても仕方ないじゃない。これは私達の問題よ。」

「っ!す、すみませんでした。つい・・・。」

「気にしてないし問題なし。」


四人は長く歩いた以上に疲れていた。

平和のため、凶悪な魔人族から人類を救うために召喚されたはずなのに、使命があるからとこの世界で生きる事を決めたのに、それは虚実で一部の人間の単なる妄想か、政治的な思惑でしかなかった。

心が乱れるのは当然である。


それまで黙って聞いていたロウが四人に向けて言った。


『いっぺんに色々な事を考えすぎると良くないぞ。今日は戻って頭の中を整理したらどうだ。』

「そう、よね・・・。こんな気持ちじゃよくない事ばかり考えちゃうわ。」

「俺は頭悪ぃからよくわかんねぇけど、まぁみんなに付いていくからいいよ。」

「ラノベ主人公の存在意義が・・・。」

『それとレイよ、お前達だけの問題ではないぞ。何かあれば相談できる者がこの世界にもいるのだからな。』

「は、はい。」

『それと、トウゴ。冷静に動け。ゼダハ相手にいきなり暴発しては何も意味がない。年上のお前が仲間を守らねばな。』

「・・・そうですよね。僕がしっかりしないといけないですね。すみません。」


随分長い間話していたのか外はすでに陽が暮れて、四人はもう戻らなければならない時間が迫っている。ロウの言葉で幾分元気を取り戻した四人は、行政府の方へと戻っていった。

ロウとネコ娘達は行政府の方には戻らず、このままキョウと行動を共にし明日もイータルの状況や外側から見た勇者召還についての噂などを集めることにした。


その日の夜、ロウは外へ出たがったのだが、既に市場も閉まっている時間なので、宿の食堂で食事を取ることにする。

イータルの宿では獣の肉より魔獣の肉を供する所が多く、この日は「魔境」に住むグラップシープという魔獣の肉の塩焼きと、鱒のような赤身魚の蒸し焼きから選ぶことができ、濃厚な野菜とキノコのクリームスープ、焼きたてのパンが付く。


ネコ娘達は当然魚料理を選び、いまだ使い慣れていないフォークを持って競うように掻きこんでいる。

ロウは明日の朝市に期待することにして肉の塊に噛り付き、キョウは果実酒を飲みながら木の実だけを摘まんでいた。


『む、キョウは食べないのか?』

「六神の加護が覚醒したから。」

『ふむ、食べなくともよくなったということか。』

「そう。」

『難儀だな。この世界にも美味しいもは沢山あるのだ。ワクワクするわ。』

「ロウほど食いしん坊じゃないよ。」

『そう言うな。今度南の国の魚の塩焼きを食べに連れて行ってやる。あれは美味いぞ!』

「今度ね。」


キョウは感情を表に出さないため、表情だけでは全くわからないが、トウゴ達の影響なのか、何となくキョウまで気分が沈んでいるようである。

ロウは肉を齧るのを一旦止め、キョウの金色の瞳をそっと覗いていた。



その時間から少し遡った、都市国家イータルから遠く離れた西大陸のゼダハ王国では、王都メッサドの南側門前が、夥しい数の敵兵で埋め尽くされていた。


黒い甲冑の右肩だけが赤く染められた兵装と、臙色に染め抜かれた布に赤縁取りの飛竜の紋章はテンフラント王国のもので間違いはない。

国境を超える時は約二万四千人だった兵士が、ゼダハ王国の王都に着いて見ればその数が増え、三万人にも膨れ上がっている。

それに対し、王都の守備兵は二千にも満たない寡兵であった。


テンフラント軍は王都を取り囲む際、隣接する港町ソドリスには剣を向けないと通告し、同時に王城へも無血開城を迫る使者を送っていた。

丸一日経った今になってもゼダハ王からの返答は来ていない。


送った使者も戻らずついに返答の期限が切れ、降伏の意を示さないのであれば城門を焼いてやろうと、弓兵と魔法士兵を前線に送り、新型の攻城兵器「衝鎚」を押しだした時であった。

正面に聳えるメッサドの南門の上部から、黒い鉄製の筒のようなモノが迫り出してきて、真っ暗で中が見えない不気味な孔がテンフラント兵に向けられたのである。


何事かと様子を見守る兵士達を余所に、黒い筒の中心に強大な魔力の収束が見られ、そして、視界が真白に成るほどの閃光と熱湯を被ったかのような高熱が兵士達を襲う。

離れてその様子を見ていた者は、まるでドラゴンブレスのような光の束が発射されたと思ったことだろう。


発射された光の軌道上にいた兵士は、跡形もなく溶けて蒸発してしまったのである。


テンフラントの牙を折る。

バレッド王の言葉通り、ゼダハ王国の魔法士達が作り上げたという、ラゴンブレスに近い性能を持つ兵器、広範囲殲滅魔法発動装置『フラクタル』だ。

フラクタルは、元々ゼダハ王国に本部を置く魔法士組合が、海戦時に巨大海魔獣や群生魔獣殲滅用に開発した魔導兵器である。


一回の発動におよそ三十人分という膨大な魔力を必要とするが、魔力を供給する者、つまり弾となる人間は街中そこら中にいるのだ。

たとえ魔力枯渇で命を失っても、王国にとって損害などほとんど無い。

事実、フラクタルの周りには兵士に剣を向けられ、震えながら固まる奴隷達がいる。その横では生きているのか死んでいるのか、ぐったりとし動かない者達が運び出されていた。


たった一回の攻撃で百数十人ものテンフラント兵が消滅した。そして、間を置かず二度目の攻撃魔法が発動し、再び百名規模の兵士が消滅する。


テンフラント軍の指揮を取るレミュイダス将軍は、犇めき合っていた兵士達の中にぽっかりと空いた空間を呆然と見ていた。

その将軍の元に新たな情報がもたらされる。


東大陸に向かったはずのゼダハ軍戦船三十隻の帰還。


これがバレッド王の戦略であった。

魔人族の討伐を目的として行った勇者召還の事実をこちらの方から積極的に流し、隣国や魔人族国家の目を勇者の同行に集め、討伐軍を招集して勇者と共に東大陸へ送るのだが、実際は同行するのは騎士百人だけで、残りの兵は途中で引き返してくる。

テンフラント軍を王都付近で戦うよう引き込み、残した兵で迎え撃つと見せかけ、フラクタルと正規軍で挟撃する作戦だった。


王城の物見の塔に立ち、バレッド王が静かに下知する。


「テンフラント軍を殲滅せよ。」



再びここは東大陸の都市国家イータルの街中。夜の街を散策するように街中を歩いていた妖精族の女、キョウが突然立ち止まった。

彼女の頭の上には真黒な小ドラゴンが乗っている。


「ロウ。嫌な予感がするかも。」

『ん?何かあったのか?』

「西でたくさん人が死ぬ。」

『西・・・我々がいたゼダハ王国なのか?』

「うん、運命神の加護。少し先の未来を見せる。」

『・・・』

「存在してはいけない。そんなモノが動き出した。」


そう言ったキョウの表情が歪み、西の空を睨みつけるように見上げていた。


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