40.現実
北方の海は大陸から少し離れた場所に西行きに流れる海流があり、大陸に近い沿岸部は逆に西から東への大陸風が吹いている。
この世界の海運は、こうした自然の力を利用した帆船を使うのが主流で、風力以外の推進力を持っていないため、沿岸では縦帆のスクーナー船か、遠洋では横帆のクリッパー船と使い分け、物資の輸送を行っているのだ。
「魔境」で所々分断されているとはいえ大陸は陸続きなので、海岸を持たない国が多く大型船を造る技術は遅れているのが現状である。
それでも、近年は三百人もの兵士が乗船可能な巨大戦船や、オールが付いて人の手による推力で走る高速ガレー船などが開発され、徐々に海運産業が活性化しつつある。
ゼダハ王国の港町サイダッタにも、自国内のみならず近隣諸国から様々な形をした数多くの船が入出港し、北方地方一番の賑わいを見せている。
こうした活気も、東大陸の都市国家イータルから運ばれてくる珍しい品々があってこそのもので、イータルとの交易権を独占しているゼダハ王国は、まさに「濡れ手に粟」状態であった。
そんな賑わいを見せる町の一角に、外国船の客や、これから東大陸へ向かおうとする冒険者達が泊るための宿泊施設が集まる場所がある。
キョウ達はそんな場所にある、ごく普通の宿屋に部屋を借りていたが、この界隈には海運や陸運、倉庫の借用など商談や取引に使われる会議室的な施設も多数置かれていて、金を出せば誰でも使用する事が出来る。
ロウが王城へ戻った翌々日に勇者一行が現れて、先代の闇の勇者キョウと会談するため、そんな施設の部屋を一つ貸し切っていた。
お付の執事や護衛達は部屋の外や施設の外で待機してもらっている。
先に部屋に入っていた勇者達四人は落ち着かない様子で椅子に座り、ロウが連れてくるという同郷の元勇者を待っていた。
しばらく待っていると、ロウを頭に乗せた双子のネコ娘達が元気よく部屋の扉を開けて駆け込んできた。
小ドラゴンのロウもネコ娘達も、護衛の兵士とはすでに顔見知りである。二人が来ることは伝えてあったので、特に止められることもなくここまで来たようだ。
いつも元気な双子をみて、緊張で強張った表情を緩めるが、二人の他に誰も入ってこない事を訝しく思い、レイがネコ娘に声を掛ける。
「あれ、フェズちゃんシャズちゃん、キョウさんは一緒じゃなかったの?」
「一緒なのです!」「お姉ちゃんいます!」
双子が指さす部屋の隅を見ると、そこから突然一人の女が陽炎のように湧き上がった所であった。
トウゴとレイが【索敵】を常時発動しているにも拘らず、感知する事が出来なかったほど完璧な隠蔽能力である。
背が高く、高い美しい銀髪と相反する様な褐色肌を純白のインナーで包み、漆黒の胸当てとキュートレット、籠手で防護している。
布ではなく革製のフード付きマントを羽織っているが、鑑定せずともそれが竜種の皮で作られているものであることは素人目でもわかるものだった。
そして武器は、この世界で初めて見る刀のような剣を二本腰に挿し、背中にも赤鞘の大剣を背負っている。
レイを除く他の三人は妖精族と会うのも初めてである。
男二人はキョウの美貌に息を呑み、人には興味を示さないセナミですら顔を赤らめ、ぎこちなく挨拶を交わした。
双子と共に真先に部屋の入ったロウは、四隅に魔法陣を描き、四方の壁に障壁を張って防音効果と認識阻害を発動させ、外の世界と遮断した。
溢れ出るキョウの覇気に気圧されて緊張する四人に、何の前置きもなくキョウがこの世界の現実、いかに未熟で不公平な世界であるかを語り始めた。
「ここは人種差別や身分差別、男女差別も人権差別も、権力と暴力とで公然と正当化される不公平な世界。」
『・・・』(キョウさんや、いきなりですか!)
種族融和を謳っている国家は多いが、差別意識根強くもっているのは人間族だけであること。
それに対し、妖精族は優劣など付けないし、獣人族は力のみ、魔人族はよく分からないが、聞いた話だけなら他種支配というモノに興味はない種族である。
奴隷制度なんかを持つのも人間族だけであり、そのルールを他種族にまで押し付けている。ルールだけならまだしも、奴隷狩りと称して罪なき者を無理矢理捕えている者もいること。
四人はキョウの両隣に座り、無心にお菓子を食べているネコ娘達に視線を移した。この娘達もそうした輩の被害者であるのだ。
更にキョウは三百年前の種族戦争、七十年前のファーレン王国とブリアニア王国の戦争、サキュリス正教国の崩壊についても淡々と語った。
主観を交えず事実だけを時系列に語るキョウの話は実に真実味があり、彼女の静かな語り口も相まってこの世界の理不尽さが四人の意識にゆっくりと浸透していく。
「ここからは私の話になる。」
一旦話を切ったキョウが暫し目を瞑り、小さく息を吐いてから再び話し始めた。
この世界に召喚されてしばらくは、四人と同じように戦いの訓練明け暮れていたこと。
街で見かけた非正規奴隷の生気の無い目がきっかけで、勇者であることを辞め出奔したこと。
それ以降、とある国を拠点にして、非正規奴隷の解放活動を始め、闇奴隷商人と奴隷狩りに手を染める暴漢を殺した。
非正規奴隷を購入し、好き放題していた貴族や商人も殺した。
それを由としない人間族の軍と戦い、おそらく奴隷とは無縁であった敵の兵士を何人も殺した。
「そう。私は人を殺している。」
キョウの話を聞いて四人は言葉もない。
召喚されてからの座学では、セダハ王国は一応種族融和策を取っていると聞いているし、非正規奴隷を認めず取締りも行っていると言っていたはずだった。
実際、王都メッサドでは奴隷となっている人を見たこともなかったし、そのような取り締まりがあったということも聞いたことが無かった。
だが、迷宮の町サイダッタでは、その目で見たわけではないが、ロウが助けてきた猫獣人の二人は親族を殺され、奴隷狩りを行う暴漢に攫われてきたのだと聞かされている。
今、キョウの話を聞いていた四人は、彼女が人を殺したのは、己の確たる信念のもと、相当な覚悟を決めて実行した事なのだということをはっきりと理解する事が出来た。
そして改めてキョウは四人に問いかける。
「で、あなた達のこと。」
「は、はい・・・。」
聡明な四人はキョウの言いたいことが分かっていた。
勇者として振る舞うということは、戦争の旗頭になるということは、いずれ人を殺す事になる。その覚悟はあるのかと問うているのだ。
四人とも何も答える事が出来ない。
ただ漠然と人殺しなど絶対に御免だと思っているだけで、人を殺さずに済む方法を模索するとか、逃げる算段をするとか何の対応もしていないのだ。
今回の東大陸への遠征だって、ただの護衛任務と思えば良いと言われ、戦闘になるかもしれないという可能性を、無意識のうちに思考から外してしまっている。
この世界では、人の死というもが身近にあるということに目を伏せていた。
では、万が一交渉が決裂して戦闘になったらどうするのか。当然、自分も相手も国のため、仲間を守るため戦う事になるだろう。
その時、自分は相手を殺せるのか?
黙り込む四人。
しばらくして、重い沈黙を破るようにレイがキョウに話しかけた。
「キョウさんは・・・人を殺してどう思ったのですか?」
「狂っていた。」
「え?」
「最初の一人を殺して、同じような連中を躊躇いなく殺せるほどに。」
「そ、それは・・・」
「だけどね、やっぱり壊れかけた。」
「・・・」
「詳しくは言えない。でも助けてくれたのはロウだった。」
『ん?』
「だから地獄に落ちることなく、まだ、この世界に生きていられる。」
再び場を沈黙が支配する。
人を殺したことがない四人でも、キョウがいかなる理由であれ人を殺し、正に善と悪の挟間で葛藤と後悔を繰り返して悩み苦しんだことがよくわかるのだ。
そして、自分達にはキョウのような信念が、覚悟が全く見当たらない事もショックだった。
魔人族の残酷な仕打ち、国王の願い、東大陸の人間族を解放する、全てが他人が考えたことで、それは自分達の信念ではない。
それなのに自分達は何の迷いもなく人を殺せる道具を持ち、戦う訓練をしているのだ。
沈黙を破ったのは、やはりレイである。
おそらく他の四人も、最も聞きたかったことであろう。
「私達・・・元の世界に帰れるんですか?」
「私は、帰る方法は、知らない。」
「ロウさんは・・・」
『我も知らぬよ。そもそもレイの地球とキョウの地球、我の知る場所も、同じ姿で違う場所かも知れぬ。』
「それは、パラレルワールド・・・。やっぱり、そう、なんですね。」
『レイ達の召喚に使われた魔法陣を見たが、あれほど不完全なものは我も知らぬ。』
異界人を召喚する魔法陣を不完全なもの、とロウは言う。
ロウが最も不可解に思うのは、召喚された者が持つ能力の多様さである。
巨大な魔法陣の中には、【卓越した剣技】だの【海をも凍らせる魔法】など、勇者に求める能力が不完全な古代ゴード文字で羅列されていた。
魔法陣を起動させるため、二百人もの人族の魔力と生命力を必要としたことが、十分納得できる無駄の多さだったのだ。
そんな魔法陣だからこそ、キョウ達がこの世界の人族を遥かに超えた能力を持っているのだと予想できるが、元々そんな能力を持っていない者にどうやって付与できたのかが分からない。
さらにその魔法陣には「特定の場所」を記す文字は、【日本】とか【地球】などは全く示されていなかった。
唯一場所らしい記述は【神々の箱庭】という文字だけであった。これでは送還など出来るわけがない。
そしてロウは考える。
この四人は、キョウやシンは、三百年前の二人の勇者は、もちろん人外に成り下がった自分も含め、本当に同じ場所から来たのかということを。
召喚元の世界【地球・日本】などという場所は、本当は存在しないのではないだろうか。
地球や日本といった記憶は作られたものでしかなく、異界から召喚された勇者とは、とある世界の「召喚」という儀式の産物として、都合よく【神々の箱庭】という場所で作られた、ただの創造物なのではないか、と。
ロウが全く別の事を考えている間に、トウゴが呟くように、誰かに縋るように口にする。
「ぼ、僕達は、一体どうしたら・・・」
俯いて必死に自問自答を繰り返し、それでも答えを出せなかった四人が、ようやく出した言葉だった。
それに対してキョウは何も答えない。彼女はいつも事実だけを口にし、自分の気持ちや考えを他人へは滅多に話さない。
再び重苦しい沈黙が場を支配する。
ロウは呆れたように溜息をつくと、最後に言葉を発したトウゴに話しかけた。
『トウゴよ。』
「は、はい。」
『お前は不幸な者を、理不尽に虐げられる者を助けたいか。』
「・・・僕は、決して、正義の味方じゃないけど、もし、身近にいたら出来る限り助けたい。」
『では・・・それがお前の信念で良いではないか。』
「っ!」
『それだけの力を持っているのだ。存分に使えば良い。』
「でも!それでも人殺しなんて・・・」
『人殺しはできぬか。』
「だって!何が正しいなんて分らないし!相手だって色々な事情があるかもしれないし!正しい事なんて・・・」
『その時は仲間がおる。レイにセナミにケンジ、こ奴らはお前が苦しめば慰め、間違えていれば正すだろう。』
「「「え?」」」
『それが仲間であり、友なのだろう?四人がお互いに助け合えば良いではないか。』
「それは・・・キョウさんにロウ君が居たように?」
『我がどうとかは知らん、人外だからな。だがキョウにもこの世界の仲間はいるぞ。』
どうすれは良いかという問いの答えなど出せない事は皆が分っていた。
たとえ意に反して召喚されたのだとしても、この世界にこうして存在している以上、この世界で生きて行かなければならないのだから。
◆
それから十日後の港。
普段は沿岸区域を航行する商船や貨物船ばかりの港に、今は巨大な戦船が何十艘も停泊していた。
最初に見たのは二、三隻だったのに、六、七日前から日を追うごとに増えていき、今では貨物船や漁船の数より多くなっていた。
さらに夕方から夜、または夜が明けないうちに、小部隊に分かれた多くの兵士がサイダッタにやって来ては、件の戦船に乗り込んでいく姿が目撃されていた。
こうした動きは一般人には公表されず秘密裏に行われていたようだが、これだけ人と物が動くのだ。目立たない訳がない。
サイダッタの町は、再びどこかと戦争が起こるのではないかかと不穏な空気に包まれ、住民たちは不安な日々を過ごしていた。
もちろん、こうした動きは近隣他国にも伝わっている。
このサイダッタの町にはノクトールの他二国や東大陸のイータルからも細作が常駐しており、ゼダハ王国が不穏な動きを見せればすぐに本国へ連絡が行く手筈になっているのだ。
「ゼダハ王国は、兵士一万と共に東大陸の三国間協議に向かう。目的は戦争ではないか。」
「その協議には、異界から召喚した勇者四人も同行する。」
ここ一月ほど、ノクトール地方全体に広まった噂である。
ここ十日間のサイダッタの町の様子は、その噂が噂ではない事を証明するかの様な動きであった。
そして今日、三十数隻の戦船はあらゆる準備が整い、いつでも出航できる状態である。
この日の朝の開門と同時に、それがまるで出陣の行列であるかのように四人の勇者と百人の騎士隊が王都メッサドを出発し、港町サイダッタまで長い列をつくったのである。
百人の騎士達は一旦岸壁に整列し、甲冑を身に着けた重装備のまま一番近い場所に舫われた戦船に次々と乗り込んでいく。
一方、勇者達は船の首脳達と挨拶を交わしたあと、巨大な戦船「鳳凰の嘴号」を見上げて感嘆の声を上げていた。
更に目の前に広がる海は、入り組んだ海岸線に作られた港の中なのに透明度が高く、元の世界では見たことがないほど深い紺碧色をした水面が、陽の光をも吸い込んでいるかのように静かに揺れている。
使い込まれた木桟橋が海に突き出して浮かぶ姿は、まるで元の世界のリゾート地の様で、四人の頭からこれから異郷へ向かうという事すら消えてしまうほど美しい。
一頻り港の風景を眺めた四人は、最後に乗船した騎士の後に続いて戦船に乗り込む。
この世界では巨大な船尾楼を持つガレオン船は作られておらず、この戦船も横帆のクリッパー船である。
当然、そんな帆船の種類など四人は知らないし、帆船に乗ること自体が初めてなのだ。視界に入るもの全てが、まるで映画かゲームの中にでもいるようで、否応なく気分が高揚してくる。
勇者たちが乗った戦船がゆっくりと岸壁を離れて行く。
四人は自分達に与えられた部屋へ行く前に甲板に並んで立ち、離れていく港町を眺めていた。
海が嫌いと言っていたセナミも、マントフードを目深に被ったままだが、ゆっくりと流れていく風景を無心にみている。
四人から少し離れた所では、船縁にかじり付き、船の動きに合わせてゆっくりと動く景色を、キラキラと瞳を輝かせて見つめる双子のネコ娘達もいた。
片方の頭の上には漆黒の小ドラゴンが乗り、もう片方は剣先を引き摺るくらいに長い赤鞘の剣を背中に背負っている。
ネコ娘達はレイの従者だということは届け出を済ましているし、騎士団の中では、ロウもセナミの召喚獣という認識は浸透している。
一方、キョウは三日前に出航した定期便で、既に東大陸に向けて旅立っている。
最初はロウも先行して東大陸に向かうつもりだったのだが、キョウが四人に付いていた方が良いといい、別行動をとることになった。
この世界にまだ不慣れな四人が初めての長旅で、何か問題は発生した時に判断を誤らぬよう助言するため、ロウは残った方が良いと考えての事だった。
そう、四人ともこの旅の中で真実を見極め、自分達が思う通りに行動しようと決めていた。
元の世界に帰れるかどうか今は判らないのだから、自分達にとって正しいものとは何か、為すべきことは何なのか、何のためにこの身に得た強大な力を使うべきか、その答えを見つけようとしている。
ただ周囲に流されているだけの現状を、なんとか打破しようと話し合った四人の瞳は、格段に澄んだ光を湛えている。
そんな思いを胸に何となく景色を眺めていたレイは、港に停泊していた他の戦船も一斉に錨を上げて出航したことに気が付いた。
他の戦船は四人が乗る船を先頭にして菱形に展開し、追随するように動き出していて、その他の商船や貨物船は、その後ろを必死に追いかけるかのように進んでいる。
「ねぇ、他の船も一斉に出航したけど、この船だけ東大陸に行くんじゃなかったの?」
「本当だ・・・。え、え?これじゃまるでこれから戦争に行くみたいじゃないか!」
「おいおいおい・・・、まさか俺達、騙された?このまま殺し合いかよ。」
四人は慌てて同行しているロミロス副宰相の姿を捜し、荷の整理をしている騎士から船長室にいる事を聞き、船員に案内を頼むと足早に船内を進んでいく。
船長室ではこの船の船長を始め航海長、操舵長、操帆長らとロミロス副宰相が航路会議を行っているところだった。
トウゴは話をする許可をもらい、港にいる船が一斉に出航した事を告げ、如何なる理由なのか質した。
「あれはいったい?」
「他の船?ああ、我が国の海馬船団でございますか。しばらく並走しますが、途中で反転して海戦訓練に向かう予定です。」
「え?東大陸に行くんじゃないの?」
「はい。勇者殿の初陣なのでず。せっかくだから華々しいものへ、と国王様がサイダッタに戦船を集めたのです。元々訓練を行う予定でしたから。」
「な、何だよ・・・。東大陸で戦争でもおっ始めるのかと思ったぜ!」
「はっはっは、まさかそのような事はございませぬ。この船の騎士百名だって多いと申し上げたのに、勇者様の威光を示すと言って取り合ってもらえなかったのですよ?」
「そ、そうですよね!戦争じゃないですよね!」
「はい、もちろんでございます。我々はあくまで使節団です、ご安心ください。」
この船の僚船は中型の貨物船一隻だけで、他の商船や貨物船は「戦船に付いて行けば海賊船などが近寄って来ない」ことを狙った「小判鮫船」だという。
笑顔でそう答えるロミロス副宰相の言に四人は安堵の表情を浮かべ、再び甲板に戻っていった。
船長室に残った副宰相と船長は四人が出て行くと笑みを消し、逆に眉間に皺を寄せて嘆息する。
「さて、たった一隻でも攻撃されば一巻の終わりだ。王国の為とはいえ損な役を仰せつかったものよ・・・。」
ロミロスの低く呟いた声は船底に叩きつける波の音でよく聞こえなかった。
◆
一方、その頃、ゼダハ王国の南西に位置するテンフラント王国の王都テヘラストでは、テンフラント国王アシリッドと五人の施政大臣が一室で会議を続けている。
ゼダハ王国が一万もの兵の軍備を始めたという情報は、テンフラントでもふた月も前から把握しており、自国へ侵攻してくる可能性も視野に入れ、いつでも国境に軍を展開する準備は整っていた。
ただ、ゼダハで軍が動いたのが事実だが、兵の集結場所が王都付近であったため、相手を刺激せぬよう派手な動きを控えていたのが現状である。
「ふむ、そうなるとバレッド王の目標はあくまで東大陸か。」
「一万のも兵を戦船で送ったのですから、本気でしょう。王子を失った怒りは相当なものと聞こえてきております。」
「ふっ、また海に沈められるのではないか?海獣対策などそうあるものでもない。」
「彼の国に召喚された異界の勇者が四人もおります。あるいは海の魔獣を一掃する方法があるのではないかと。」
「なるほどな・・・勇者、か。禁忌の法を使うとは思い切ったものよ。」
「で王よ、どういたしますか?」
「何の事じゃ?」
「今、ゼダハの王都はガラ空きでございます。」
「・・・」
軍務大臣ボートベックの言葉にアシリッド王が沈黙する。
ボートベックが言わんとすることは良く分かっている。
国境に展開している軍をまとめ、守備兵のいないゼダハの王都に向けて侵攻すれば容易く王都を落とせる、ということだ。
一万もの兵を出国させた王都には、多く見積もってもゼダハ軍は千か千五百千、民兵や冒険者を掻き集めても千、緊急招集で近隣から援軍を募っても、王都近辺に即刻集合できる戦力は精々四千と予想できる。
対してテンフラント軍は二万五千の兵を国境に展開している。強行軍で行けば十日余りでメッサドを包囲する事が出来るのだ。
周辺貴族の領地で領軍を集結させている所はなく、侵攻ルート上にいる貴族の幾人かは、テンフラント軍が自領地を走っても攻撃してこない位には誼を通じてある。
「またとない好機であるか。」
「積年の思い、我が国が北方に覇を唱える絶好の機会でございましょう。」
「罠、ということは?」
ボーンベッドは分析する。
もぬけの殻となったメッサドを落とすのは容易い。守る兵が少ないのであれば、火矢部隊と魔法士部隊を前面に出して城門への火責めが出来るからだ。
メッサドに潜伏させている工作員も、城門の耐久を三分の一、いや半分まで落とすぐらいの働きは出来るはずである。
周辺貴族が援軍に駆け付けたとしても、せいぜい数百単位の領兵か、多くても急遽住民を掻き集めてきた民兵が二千程度だろう。
攻城に一万五千、周辺へ展開する機動部隊が一万、追ってテヘラストから本陣五千も出れば、労せずゼダハ王国を手中に収める事が可能だと考えられる。
では、東大陸に向った一万の兵が急遽戻ってきた場合、どうなるか。
大型の戦船が東大陸に行くときは、風に乗って七日もあれば到着できるが、逆に戻ってくる場合、遠洋まで出て海流を利用しなければならず、最低でも行きの倍はかかる行程になる。
つまり、メッサドが寡兵しかいない日数が二十日以上ある、ということなのだ。
おそらくゼダハ王国も、その位の検討はしているだろうが、そこに細作による城門内部工作や新型の攻城兵器「衝鎚」の存在、さらには、ずっと秘匿してきた軍属従魔使いが二十人の部隊をつくっている。
深読みしてゼダハの貴族が集結して兵をまとめた、としよう。
この際徴兵される民兵は無視して良いだろうから、ゼダハ王国正規軍の総戦力は四万、多く見積もっても四万五千のうち、王都直轄兵一万が抜けて残り三万五千である。
三万五千のうち辺境警備で動きが取れない兵士が、東西南の国境に各五千で一万五千であるから、残りが貴族の領兵二万ということになる。
だが、この二万に集結の動きは見られず、そのうちの貴族の何人かはすでに調略済みであるから、急遽集めたとしても全体の半分まで行くかどうか。
「罠を張るのであれば、数で劣るのですから別の圧倒的な力が必要ですな。魔法士部隊の残留か、それこそ召喚されたという勇者が守りを固めるか、選択肢はありますまい。」
「それが両方ともいない。」
「はい。結局は属国ラビトアルに援軍を求め、防御を厚くして亀のようにひたすら耐えることになるでしょう。」
だが、信じて疑わないラビトアル王国が牙を剥けば、セダハは混乱を極めるだろう。
メッサドで暮らす彼の国の人質は殺されるであろうが、国家が属国から脱する事が出来るのであれば十分に釣り合う犠牲だ。
テンフラント王国が何度も机上で模擬戦を繰り返し、検討した内容だった。
瞑想から戻った王が静かに言葉を発する。
「国境の兵を侵攻させよ。メッサドを落とす。」
「畏まりました。」
ノクトール北方三国の均衡が、まさに崩れようとしていた。
◆
事件らしい事件も起きないまま、勇者四人が乗った鳳凰の嘴号は順調な航海を続けている。
サイダッタの港を出て二日目には他の戦船が離脱していき、慌てふためく「小判鮫」達を余所に、帆いっぱいに風をはらんで速度を上げて行った。
バッサド王が言っていた通り、海が荒れることは無く船もそれほど揺れない順調な航海である。
トウゴ、レイ、ケンジは船酔いもなく、船の隅々を見て廻ったり、時に甲板で騎士達と訓練したりとそれなりに船旅を楽しんでいた。
船酔いしたのはセナミとネコ娘達である。
特にセナミの症状は酷いようで、レイが一時間おきに治癒魔法を掛けては船縁で吐くことを繰り返していた。
「おろおろおろろろろ・・・・」
『・・・セナミよ、もう三日目ではないか。まだ慣れぬのか?』
「海嫌い。船嫌い。土魔法で埋めてしまいたい。」
『無茶言うな。』
「セナミちゃん、もう一度治癒魔法掛けましょうか?」
部屋で寝ているネコ娘達以外は全員が甲板に出て来ている。
セナミの酷い有様に、横で様子を見ていたレイが心配して声を掛けてきたときであった。
何の前触れもなく、進行方向やや左側の水面が激しく波打ち、吹き上がる水飛沫と共に巨大な影が海中から立ち上がった。
海面から顔を覗かせたのは、巨大なウミヘビのような魔獣で、鱗で覆われてはいるが、その姿はまるで「八目ウナギ」である。
頭と胴体の区別がつきにくいが、水面上に出た体の先端には丸い口がぽっかり開いており、中には何十層にも鋭い牙が並んでいるのが見える。
目らしいものは確認できないが、口の後ろから体の両脇に四つの鼻腔の法な穴が開いていて、おそらく餌となるモノを感知する何かの器官であることが伺えた。
持ち上げた鎌首だけで10mはあり、海面下の身体を含めれば、全長60mもある鳳凰の嘴号とあまり変わらないと推測できる大きさだ。
「おおおい!あれは!!」
「なっ、なんで海竜シャーガンイールがこんな所に!」
八目ウナギの姿を見た船員や騎士たちが騒ぎ始め、敵襲を知らせる鐘が激しく鳴らされた。
同じように海竜出現を甲板で見ていた勇者達も、その巨大さ、醜さに息を呑んで固まっている。
ロウも初めて見る魔獣である。固有能力【邪眼】で海の魔獣を鑑定してみると、中々厄介な魔獣であることが判った。
名 前:‐‐‐(シャーガンイール)
種 族:魔獣
状 態:従属
生 命 力:‐‐‐ 魔力量:‐‐‐
能 力:北海の捕食者
固有能力:【悪食】【海流操作】【氷水息吹】
特殊能力:【物理耐性】【魔法耐性】【水魔法】
通常能力:【体当り】【水面跳躍】【威圧】【気配察知】
戦場の混乱を余所に、シャーガンイールは大口を開けると、船に向かって氷水ブレスを吐き出した。
直径50cmから1mもある無数の氷礫が船を襲い、まさに船が蜂の巣になろうかと思われた直撃の寸前で、まるでそこに透明な壁でもあるかのように弾かれ、海に落ちて波を作る。
ロウがブレスの軌道上に固有能力【障壁】を発動して氷礫の直撃を食い止めたのだが、シャーガンイールのブレスは拡散型ブレスなので、一部は船尾やマストに当たり船が損傷してしまった。
「あ、あんなでかいのどうすりゃいいんだよっ!?」
『お前達勇者だろう!海を凍らせるとか、焼けた隕石を落とすとかできんのか!?』
「ムリだよ!そんな魔法なんか習ってないし!僕のファイヤーボールだって精々2m位なんだよ!」
『まぢか!?これまで何を訓練しておったのだ!?仕方あるまい、我が行くか。』
ロウは船縁から海に飛び込み、適当な深さまで沈んでいく。
船に影響が出ないところまで潜り、元の姿に戻って戦おうと考えていたのだが、それ以前に重要な事を忘れていた。
『あ、我はこの身体になってから泳いだことが無かったわ・・・』
人外となった身体での泳ぎ方が分からないロウは、短い手で必死に水を掻きながら、泡と共にゆっくりと海の底に沈んでいったのである。




