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4.学院

紅く染まる太陽が山の頂に隠れ、遠くから漆黒の闇が迫ってきている。


西大陸街道に沿って森の中を突き走ること小一時間。レミダの街の外壁が見える所まで来ると、漆黒の狼はようやく走るのを止めた。

あれだけの速度で走り続けたのにも拘らず、狼の姿に変化したロウは、少しも息を乱していなかった。

ティノは最初はその速さに恐れおののき、目を瞑ってロウの背中にしがみ付いていたのだが、殆ど揺れずまるで静かな湖に浮かぶ船のような乗り心地に、行程の三分の一は流れゆく景色を楽しむ余裕も出てきた。


レミダの街に入るには三つの門があり、門を管理する国の駐屯兵の審査を受けなければならない。身分証の提示と簡単な問答だけだが、それでも犯罪者が街に入りにくくなるといった抑止力は持っている。

さすがに巨大狼の格好では街に入れないだろうから、ロウは再び小ドラゴンの形態をとり、背中に跳ね上げたティノのフードの中にスッポリと収まった。

そこから頭と尻尾を前に伸ばし、ティノの肩に顎を置く格好で周りの景色を楽しんでいた。勿論、重力魔法で体の重量は調整しているので、ティノに負担がかかることはない。


『ほほう、もう夕方だというのに結構人が居るものだな・・・。』

「他の街から来た行商人や、組合の依頼を終えて帰ってきた冒険者達ですね。街の外の農地に行った人たちは、もう街の中に入っているでしょうから。」


ティノが並んだ門には二十人ほどの人間か並んでおり、自分の順番が回ってくるのを静かに待っている。ティノも列の最後尾に並んだ。

暫くすると、ティノの後ろにも仕事帰りの冒険者のパーティが並び、ロウの姿に気が付いた冒険者たちがザワザワと騒ぎ始めた。どう見ても幼体のドラゴンで、しかも特に強力な個体だと云われる黒色である。

ドラゴンは一頭が暴れれば街がいくつも消滅するとまで云われている。幼体でもその破壊力は計り知れないのだか、それが小さな女の子の背中に収まっているのだ。


こうなる事はある程度予想していたものの、ティノは顔を青くして俯いている。

ティノにとっては気の遠くなるような長い時間が過ぎ、ようやく自分の審査の順番が回ってきた。ティノの身分証は学生証となる。


「あの・・・従魔も一緒です。契約は済ませました。」


恐る恐る申告するティノ。ロウは興味なさげにフードの中で丸くなった。

自分の契約紋を書いた紙を取り出し、ロウの身体の契約紋と比べて、契約がなされていることを確認してもらう。


「な、なんと君はドラゴンを召喚したというのか!!」

「まさか・・・しかし幼体とはいえ・・・なんという実力か・・・」

「い?いえ・・・あの・・・」

「召喚することなど不可能とまで云われているドラゴンと契約するとは・・・優秀な召喚士なのだな!君は。」

「え?ちがっ・・・」


召喚したのではないと言おうとするが、周りの勢いに呑まれてなかなか言い出せない。するとロウは念話で語りかけてくる。当然その声は周りの人間には聞こえないのだが。


『まぁ、良いではないか。我とティノはちゃんと「契約」できているのだからな。』

「そ、そうだけど・・・」


出会った経緯が経緯だけにやはり釈然としないティノだが、ロウは全く気にせずこの状況を楽しんでいた。

門兵も含めて周りの騒ぎが徐々に大きくなってきたので、ティノは早く審査を済ませるよう担当の兵に願い、審査が終わると学院の方向へダッシュで駆けていった。



東西ヨーロッパの古い町並みのような世界。小説やアニメなどでは、異世界に転移した現代人が街の様子を語る時の言葉である。

ロウの目の前にまさにその風景が広がっていた。

木の骨組みに石を積み上げた建物や、滑らかな石を敷き詰めた大通り。大きい建物ならば4階建ての物まであるし、この世界には顔料があるのか、外壁は色取り取りに塗られている。さらには大通りから外れた道には露店のようなものが所狭しと並んでいるあたり、この世界の商業特性が伺える。

魔獣など人族にとっての天敵がいる世界では、街の外壁を高くして天敵と隔離し安全を確保しなければならない。そうなると当然人が住める空間は限られ、固定店舗などは大金を出さなければ手に入れることはできないのて個人経営の店の殆どは、自宅で用意した商品を露店売りするという仕組みになってしまうのだ。


道行く者も色鮮やかな服を着ている者は少なく、地味な麻布の服や木綿の服などが主流で、そのほかに冒険者などは甲冑を着ている者や、踵まであるローブを羽織っている者など様々だ。

また人種も様々で人間族だけではなく獣人族やドワーフ族の特徴を持つ人種も数多く出歩いてた。


『ティノ!あの店は何を売っているのだ!?焼肉の匂いだぞ!』

『あっちは甘いモノか?何であろうな・・・』

「ね、ね・・・落ち着いて!また注目集めちゃうよ・・・後で買ってあげるから今日は我慢して!」

『・・・仕方がないの。だが次の休みには街を案内するのだぞ。』


騒ぐロウを何とか宥めてしばらく早足て歩いていると、ようやく街の中心にある学院の門が見えてきた。

敷地内に入ると木々や芝など緑が多く、歩道沿いの花壇や建物際の緑地にまで花が咲き乱れており非常に美しい。石造りの学舎などには壁に蔦が張り付いていて、殊更古めかしい雰囲気を醸し出していた。

広大な敷地のほぼ中央に校舎があり、講堂や教会、訓練所や研究室、部室などの教育施設と、男子寮女子寮、食堂棟、職務員棟などの建物が、効率の良い導線で配置されている。


アイザノク共同学院には学生が2,548人、教職員が782人、そのほか料理人や掃除婦など運営労務者が1,270人と数多くの人が所属している。

一年二年の間は学内の寮に住んでいる学生が多いが、三年になると卒業条件を満たしたものから学外に出ていき、家を借りて自分の目指す職業の見習いに就いたり、冒険者となってお金を稼ぐ者が増えてくる。

貴族出の学生は学外に屋敷を借りるか、学院内に専用のコテージを立てるかして生活し、寮で平民と共同生活をしようとする者は殆どいなかった。


男女比でいえば男性四割、女性六割というところか。これはこの世界の人口比率にも通じるもので、女性人口が圧倒的に多く、身体能力や保有魔力も基本的に男性と女性の差は殆どない。寧ろ冒険者の最上位、白金の星3位4人のうち3人は女性だと言われている。

男にとっては楽園のような状態だが、この世界のように魔法が存在するところでは、基礎身体能力以外で男が女に優位に立てる事象が少ないため、寧ろ種馬的役割を担う男の方が哀れな感もある。


休日の、しかも間もなく陽が暮れるこの時間で校内をあるく学生は少ない。偶にすれ違う学生もティノに注意を向けるものはいなかった。

真っ直ぐ自室のある寮に向かうと、一階の一番奥にある自室に脇目も振らず飛び込んでいった。因みに寮は部屋に入らぬほど大きなモノ、不潔だったりアンデッドなど臭いを発するものは許可されないが、従魔の持ち込みは基本的に可である。


『ほう、ここがティノの部屋か。随分と狭いの。』

「ごめんね。一年生や従魔がいない子はこの部屋なのよ。」


狭い部屋の中にベッドと机、洋服棚が備え付けてありスペースの殆どを使っている。扉も内開きだからベッドにぶつかって半分しか開かない状態だった。


『いや、人らしくて良いではないか。いろいろ改善の余地もあるしな。』

「あ、あまり大袈裟なことはしないでくださいね?それよりこれからの事だけど・・・」


まず従魔についての規則だが、契約を済ませた従魔ならどこへ連れ歩いても問題はない。ただ、数多い学院生の中には魔獣に肉親を殺されたり、何らかの敵意を持っている者もいるので、召喚術科の者は食堂や談話室など不特定多数が集まる場には従魔を連れて行かないようにしている。

そして講義や訓練以外の時間で、従魔が暴れたり、制御不能になったりで人を傷つけた場合には、契約者もその責を負う事になる。

勿論、契約して従魔となれば契約者の所有物(財産)とされ、他人の従魔を勝手に連れだしたり殺したりできない法が定められていた。


とにかく召喚術科の先生にロウの事を報告しなければならない。

ティノを悩ませているのは、彼女が召喚魔法を使えない劣等生だというのは、学部内でも周知の事実であり、そんな落ちこぼれが高位魔獣を召喚して従魔にしたなどと誰が信るか、ということだ。


「ロウの事なんて説明すればいいんだろう・・・。」

『なんだ、そんなことか。偶々其処にいたので「契約」を試してみたらできてしまった、で良いではないか。それが事実でもあるしな。』

「そんな・・・簡単な問題じゃないよ・・・。」

『簡単なのだよ。虚実を並べても言い訳だのなんだの疲れるだけだぞ?』

「うっ、そうなんだよね・・・」

『ティノの心配事が我の持つ力の事ならば安心してくれ。能力を隠しながら上手く世渡りしてやるでな。』


学院の者にロウの実力を見せてしまったら、誰もが恐怖し、排斥する声が上がってもおかしくはない。特に【変化】の能力などが知られてしまったら大変な事になることは容易に想像できた。

とにかく明日の朝一番で先生の所に報告へ行く事にしたが、ベッドの上で丸くなっているロウを見て溜息ばかり出てしまうティノであった。



翌朝、結局一睡もできなかったティノは、長年愛用していた大きな背負い鞄の中にロウを入れて魔法部の校舎に向かっていた。

始業時間まではまだ時間があり、人影は殆どない。


担任のサーリナ先生は学内の職員寮には住まず、学外に部屋を借りているようだが、自分の研究室に籠りっぱなしで全く家に帰らない変人と噂されていた。

だから早朝でも研究室に行けば居るだろうと考え、こんな早い時間にやってきたのだ。


「先生、居ますか?召喚術科二年のティノ・ヴァルドアスです。」


軽く拳でノックして訪いを告げるが返事はない。もう一度扉を叩いて中に呼びかけるも、やはり何の返答もなかった。


「失礼しま~す・・・。」

『・・・これはまた酷い有様だな。』


鍵のかかっていない扉を押して中に入ると、研究室の中は床一面に木版や半皮紙が散乱し、壁際には数えきれないほどの本が山積みされている。さらに何に使うかわからないような道具が詰め込まれた木箱が部屋のあちらこちらに無造作に置かれていた。


「サーリナ先生・・・いますか~?」

「うっ・・・うぅぅぅん・・・」


間仕切りの奥からうめき声が聞こえたので、そちらに目を向けると乱雑にまとめられて床に放置された毛布から、人が一人這い出てくるところだった。

寝癖なのかボサボサの赤毛が白い肩までかかってる。肩が露出しているのは、なんと衣服を着用しておらず、首からかけた長い布が胸の先端を隠し、下は腰巻を着けただけの格好だからだ。

人間でいえば二十代後半から三十代前半。手足が長く、無駄な肉の無い引き締まった体をしている。そのくせ胸だけは異常なくらい大きい。


「きゃー!せんせ!服を着てください!」

「・・・ぁあ・・・なに・・・ティノさん?」


その場で胡坐をかくと、寝ぼけているのか焦点の合わない目でこちらを見てバリバリと頭をかく。


『おおーー、眼福眼福。』

「ちょぉぉっと!!!アンタ何言ってんの!先生!服はどこ!?」

「んー?何を一人で騒いでいるのだ?服か・・・どうしたっけな・・・。」


そういって体を動かす度に布がはだけ、大事なところが丸見えになる。それに合わせてティノが大騒ぎする悪循環がしばらく続いた。

騒ぎの後、やはり本や半皮紙が山積みになった机を挟んで向き合うと、漸く意識がはっきりしてきたサーリナ先生がティノに訊ねてきた。


「で、こんな朝っぱらから何の用なの?起こしてくれた事は感謝するけど。」

「は、はい。実は昨日魔獣と契約することに成功しまして・・・この子なんですけど。」


ティノは肩越しにロウの首根っこを掴み、背負い鞄の中から引き摺り出して無造作に机の上に置く。すると焦点の定まっていない先生の目がだんだん見開かれてくる。


「・・・」

「・・・」

「グアァ」『おす。』


突然、目の前で起きたあり得ない事象に固まったサーリナ先生。恐る恐る上目使いで顔色を伺うティノと、陽気に片手を上げて挨拶をするロウ。勿論ロウの声は先生には聞こえていないが。


「・・・私が幻覚を見ているのでなければ目の前にドラゴンの幼体がいるんだけど。」

「私の目にもそう見えますから、先生は幻覚を見ていないと思います。」

『ドラゴンではないがな。』


サーリナ先生が固まっている間に、二人の打合せ通り「偶然契約出来ちゃった作戦」でティノが一気に捲し立てる。勢いで押し通そういう作戦だ。だが先生は全く話を聞いている風でもなく、ロウの姿をじっと見つめていた。


「触ってもいい?」

『おっぱい触らせてくれるなら触ってもいいぞ。』

「こらーー!!変態ドラゴン!!先生!触ってはダメです!おっぱい触られます!!」

「・・・何を言ってるの?もしかしてドラゴンと意思疎通まで出来るの?!ドラゴンに触る事が出来るならおっぱいぐらい・・・」


いよいよサーリナ先生の目が爛々と輝いてくる。傍から見れば己の欲望と葛藤している妖しい人間にしか見えない。さすがのロウも目を血走らせ、涎を流しながら迫ってくる女にドン引きしていた。



「なるほど。召喚の練習中に偶々其処にいた、という訳ね?」


落ち着きを取り戻したサーリナ先生が腕組し、ティノの頭に乗って寝ているロウを見つめる。

あれから服を脱ごうとする先生を押し留め、ロウに雷を落として軽く背中に触ることを納得させたりと、かなりの精神的なダメージを受けたティノだが、ロウとの出会いについて、多少の脚色を付けてサーリナ先生に話す事が出来た。

ただし、その時に召喚出来たのはスライムだった事にして、ワーウルフに襲われたことは黙っていたが。


「確かに学院生が一等級以上の魔獣を召喚できるなんて考えられないし、もし出来たとしても契約する前に何処かへ行っちゃうか殺されるかだわ。」

「気が付いたら傍にいたんです。大人しくしていたのでふと契約魔法を試してみたら受け入れてくれて・・・。」

「う~~~。かなりのレアケースね、相手から寄ってくるなんて。それに・・・このドラゴン、あなたとコミュニケーションとれているのでしょ?」

「え、えっと、言葉が通じるというんじゃなく、何となくこの子の要求が判るというか、伝わるというか・・・そんな感じです。」

「ふむ。確かに契約した魔獣とはそういった繋がりができるわ。そうなると間違いなく契約は出来ているわね。」


契約しているという事実があれば、一等級魔獣を召喚したかどうかの曖昧さが有耶無耶になってくれる。まさにロウの作戦通りであった。

サーリナ先生としては今回の事は釈然としない部分はあっても、目の前にドラゴンがいるのは事実なのだからティノとロウが契約した事を認めざるを得なかった。


「契約が出来ていて意思疎通もできるなら従魔としては何の問題もないわ。でも、いろいろ厄介事がやってくるのは覚悟しないとね。」

「はぁ・・・、そうですよね。」


溜息と共にウンザリした表情になるティノ。

ドラゴンを従魔にしたことが広まったら、ただでさえ落ちこぼれのレッテルを張られて下げ蔑さまれていたのに、今度はさらに妬みや誹謗中傷とありとあらゆるマイナス感情を向けられることは分かり切っていた。考えただけで気が重くなってくる。


「まっ、私も出来るだけ気を配るようにするけど、ロウちゃんに関して目立つ行動は避けるよう気を付けてね。」

「はい・・・。」

『我とてその位の自覚はある。心配するでない。』

「この事は学務部の方にも言っておくわ。講義が終わったらちゃんと手続きに行くのよ。」

「はい。」


先生の研究室を出て、次に向かったのは魔法部の建物の外れにある従魔の預所である。大型の魔獣を使役する者や講義の間は従魔を連れ歩かない者が一時的に従魔の世話を頼む施設で、学院の召喚士や魔獣使いならば無償で利用する事が出来る。

主人と契約した魔獣ばかりなので暴れたり脱走したりする魔獣はいないが、施設の各所に脱走防止の結界は張ってある。

ここに預けると目立ってしまうので、ティノは自分の部屋で大人しくしているようロウに言ったのだが、ロウは狭い部屋での引きこもりは嫌だと駄々をこねたのだ。


「お昼過ぎには講義も終わるから。街のお店にも連れてってあげるから大人しくしててね。」

『分っておる。それより屋台の件、忘れるでないぞ。』


ティノはこれから食堂棟へ行って朝食を食べた後、半日も講義を受ける予定である。さすがに近くに契約者がいない状態で従魔が自由に動き回るわけにはいかず、この施設で時間を潰す事にしたのだ。

勿論、教室の中まで従魔を連れていく者もいるが、それには契約者と従魔のコミュニケーションが取れているかどうか、長時間飽きることなく待機できるかなどを審査され、学院から発行される許可証が必要となる。

ティノとロウはまだこの許可証を持っていないので、ロウは基本的にこの施設に預けなければならない規則だ。


ティノ達が施設に入っていくと、受付のカウンターにいた女性職員がにこやかに挨拶をしてきた。


「あら、ティノちゃんじゃない。珍しいわね、ここに来るなんて。もしかして召喚に成功した?」


彼女はアルフレイ。頭の狐耳とどうやって外に出しているか判らないフサフサの尻尾が特徴の狐人族である。身の丈が並みの男以上の190㎝はある長身の女性で、背の低いティノは彼女の肩ほどしか届かない。

スレンダーなその身に地味な色をした木綿のツナギ服を着ており、傍目には外見など気にしない無頓着な身なりをしているが、ツナギ程度では隠せない女性特有の体の線や、切れ長の目と薄い唇が成熟した成人女性の色気を主張していた。

しかし、彼女を一目見ただけで感じる違和感。アルフレイは右手の肘から下がないのだ。

元々は紫の星三までいった冒険者だったが、仲間と共に受けたとある魔獣討伐の依頼中に、自分たちのランク以上の二等級魔獣が現れ、仲間数人の命と彼女の右腕を奪っていったのだ。

利き腕がない状態で冒険者を続けるのは無理と判断した彼女は仕事を止めて様々な職を転々とし、今はこの学院の職員に落ち着いている。


「アルさんこんにちは。えっと・・・偶然に契約に成功してしまって。だから講義の間預けに来ました。」


そういってティノはサーリナ先生の研究室の時と同じように、背中の鞄からロウの首根っこを掴んで引き摺り出すとカウンターの上に乗せた。


「・・・」

「・・・」

「グアァ」『おす。』


アルフレイは、片手を上げて挨拶するロウをじっと見つめている。交互にティノとロウを見比べると、ゆっくりとカウンターから出てきてティノの前に仁王立ちした。


「・・・ティノちゃんが捕まえたの?」

「は、いえ、捕まえたのではなく、全くの偶然にその場所にいたので・・・。契約も受け入れてくれました。」

「おめでとう!本当によく頑張ったね!」

「あわわわわ・・・」


いきなりティノを片腕で抱え込み、自分の胸に押し付けて振り回した。

アルフレイは魔法部の職員になった頃から、劣等生と言われて孤立していたティノの事を何かにつけて気にかけ言葉をかけてきた。片腕を失ってからしばらくは、それでも冒険者としてやっていこうと足掻いていた自分と重ねていたのかもしれない。

そのティノがようやく契約出来た従魔を連れてきたのだ。嬉しくないわけがない。


「ね、ロウ。アルさんには本当の事話しちゃダメかな?彼女にだけは嘘をつきたくないんだ。」

『ティノがそうしたいなら我は構わんぞ。』

「うん?どうした?嘘とかあたしがどうとか・・・。」


ティノは一度深呼吸してアルフレイに頭を下げ、ロウとは偶然契約出来たと偽ったことを謝り、これまでの顛末を全て話した。

言葉を理解し自分と会話も成り立っていること、召喚魔法を知っていて自分に教えてくれるということ、そしてドラゴンではなく何か他の魔獣であること。


アルフレイは表情を変えず、黙って聞いていた。

全てを話し終わったティノが顔を上げてアルフレイを見ると、彼女はにっこりとほほ笑み、だがカウンターに立つロウに向き直ると、地の底から聞こえるような低い声で言った。


「あたしはこれでも紫星三の冒険者だったんよ。あんた、ティノを困らせたり、泣かしたら承知しないからね。」


切れ長の目をさらに細くし、ロウを睨みながらはっきりと宣言する。左手に青い狐火を纏わせて。


「ガ、ガァァ」『り、解した。』

「うんうん、解れば宜しい。本当に言葉を理解しているようだね。」


若干引き気味で答えるロウを見て、アルフレイは満足そうに頷く。その様子を見て安心したティノは、ロウに大人しくしているよう言いつけると、小走りに学舎へ向けて走って行った。


預所の中は半屋外の構造になっており、従魔たちにストレスを与えないように土魔法で森が再現されていた。正方形と思われるこの空間の四隅には結界魔法が施されており、見えている壁以外の『見えない壁』が展開してあった。

従魔となった魔獣は、契約者の命令なく自ら戦闘を行う事はないが、かといって他の魔獣と仲睦まじく遊んだり寄り添ったりもしない。ただ木の枝の上で寝ていたり、ただ蹲って周りの様子を観察しているだけである。

今はまだ早い時間なのか、そもそも預ける者が少ないのか、この施設の中には従魔が六体しかいない。

ロウが中に入っていくと、明らかに他の従魔たちの気配が変わる。ロウは若干魔力を収束させ警戒すると、息を潜めロウを避けるように壁際まで後退して行くものや、木々の間からそっとロウの様子を伺うようになる。


(やれやれ、迷宮の階層主は有無を言わさず牙を向けてきたモノもいたというのに、ここにいるモノは随分と大人しいの・・・。)


学院の始業時間間近になると、次々と召喚士や魔獣使い達が従魔を預けにやってきた。

しかし、いつもとは違う雰囲気、何となく従魔たちが落ち着かない状況を訝しむも理由が判らず、釈然としない様子で立ち去っていく。

木陰でその様子を見ていたロウは、漸く自分が纏う魔力が他の従魔たちにとって強すぎるのではないかと思い至り、先ほど収束させた分の魔力を霧散させたが、今現在、自分の身を守るにあたり最小の体に変化して、最低の魔力量を保持したのにこの状態なのだ。これ以上抑えるとなると、虫かスライムに変化するしかない。


(早く自由に動けるようにしてもらおうかの。)


溜息を漏らすと、手近にあった赤い実の生った木に登ると、触手を使って一つもぎ取ってのんびりと食べ始めた。



ロウと別れてから食堂に行き、しっかり朝食をとって時間ぎりぎりに教室に来たティノは、廊下側の後ろの方にある自分の席に座った。

召喚術科の教室は広い。従魔を連れている学生もいるので席と席の間は離れ、その開いた空間に自分の従魔を待機させているからだ。殆どの者は預所に従魔を預けてくるのだが、主人の命令しか聞かぬ従魔もいるのでこういった措置となったらしい。

講義を受ける準備をしていてふと周りをみると、召喚術科の教室がなんとなくざわついている。


召喚学科二年は男子十六人女子二十八人の計四十四人。殆どが貴族出の子女たちで平民出は五人しかいない。ティノは一応「元」貴族だったが、家が没落したため平民扱いとなっている。

学院の理念から貴賤の区別はないとは云われているが、やはり貴族は貴族同士、平民は平民といった空気は存在していた。

そんな召喚術科で落ちこぼれのティノに話しかける者はほんの三、四人しかいない。


「ねえねえ!ティノ、聞いた?昨日の事!」


そのうちの一人、ティノと同じ平民出で街の魔道具屋の跡取娘レミルだ。教室のざわつき、レミルの興奮具合、大体内容の予想がついたティノの背中に冷たい汗が流れる。


「昨日の夕方ドラゴンを従魔にした子が東門を通ったんだって!学院の生徒じゃないかって云われてたらしいけど、私服だったみたいで真偽は分からないの。」

「あ、あああ・・・そ、そのことね・・・」

「このクラスじゃないから三年生かも。でも、もしかしたら他の街から来た凄腕の召喚士だったりして!!」

「い、いやぁ、凄腕ってわけじゃ・・・」

「凄いよね!ドラゴンだって!一度でいいから見てみたいなぁ。」


ティノはただただ脂汗をかいて愛想笑いをする位しかできなかった。


結局教室では休み時間のたびに謎の召喚士の話題になり、ティノとしてはロウの事を隠せば隠すほど事態は悪くなることは分かっているのに、どうしても自分から言い出せなくて、ここ数年味わったことのない変な緊張感の中で過ごさなければならなかった。

最後の講義が終わるとティノは大急ぎで道具類を片付け、預所へ行くため教室を出ようとしていた。


「ティノさん。」


速攻で教室を出て数歩、廊下に出たばかりの背中に声がかかり、ティノはピタリと動きを止める。

ゆっくり振り向くと、そこには容姿端麗で落ち着いた雰囲気の女子が立っていた。百人が見れば全員が美人だと答えるであろう。腰まで伸びたワンテールの蒼い髪と蒼の瞳、背が高くスレンダーではあるがしっかりと女性らしい柔らかさを感じる体型。

オヌワーズ辺境伯の次女ユリアナ嬢である。辺境伯と言っても王族に繋がる血筋で国王からの信も厚く、隣国からの侵略の抑え、『魔境』からの魔獣の氾濫の備えに国内最大兵力を指揮する高等貴族であった。彼女もまたティノに声をかける数少ない一人である。

クラスの筆頭、いや召喚術科全学年でもトップクラスのユリアナが何故落ちこぼれに構うのか、誰も知らない。一度その理由を尋ねた者がいたが、ただ微笑むだけで何も教えてくれなかったそうだ。当然、ティノ本人も理由を知らない。


「そんなに急いでどちらへ?」

「え?えええっと、あず・・・えっと・・・。」

「そうですか、預所ですか。では一緒に参りましょう。今日は私のビャッコも預けてありますの。」


ティノはまた額に脂汗が滲み出てきたのを感じていた。普段は連れ歩いているビャッコを何故今日に限って預所に入れたのか。やんわりと微笑む彼女の目は笑っていないように見える。


「あ、あのっユリアナ様、わたし・・・」

「ユリアナです。何度お願いすれば呼び捨てで呼んで頂けるのかしら?」

「いいいいええええ!と、とんでもないです。呼び捨てなど・・・」

「学院は皆が平等な場所ですわ。敬称を付けるなど逆に規則違反ですわよ?」


だが、クラスのほとんどの者はユリアナに様を付けて呼んでいる。そんな中、劣等生の自分が呼び捨てになど出来るわけがなかった。

そうこうしている内に二人が預所に到着すると、カウンターでアルフレイがにこやかに手を振っている。何故かそのカウンターの上には、よりによってロウが座っていた。


「さて、ティノさん。あなたの従魔を紹介してくださいませ。」

「いい、いや、その・・・」

「ティノちゃん、諦めな。ユリアナは朝ビャッコが強い魔力を感じたからってここに来たんだと。ロウがいることはもう知っているよ。」


ティノは目を閉じて天を仰ぎ、完全に諦めモードに移行する。

考えてみれば、知能の高いロウがこんな所に閉じ込められてジッとしている訳はないのだ。きっと他の従魔たちを威圧したり、脅かしたり、もっと悪い事をしていたに違いない。軽くロウを睨み、改めてユリアナにロウを紹介する。


「ロウです。昨日契約しました。」

「ごきげんよう、ロウさん。」

「グワァ」『おす。』

「やはり人語を理解されているのですね。」


微笑みながらロウに話しかけるユリアナを邪眼で見てみると、なるほど彼女は【鑑定】能力を持っていた。今日は朝から挙動不審なティノを何となく鑑定してしまい、「ロウの契約者」であることを見抜いたのだろう。中々優秀な女子である。

ロウに対するティノの視線が厳しいのはよくわからないが。


名 前:ユリアナ・オヌワーズ(♀16)

種 族:人族

状 態:平常


生 命 力:健康 魔力量:3,300

適性能力:召喚士・魔獣使い・魔法士

     ビャッコの契約者

 

固有能力:【魔力操作】

特殊能力:【召喚魔法】【水魔法】

通常能力:【生活魔法】【鑑定】【護剣術】【身体強化】


武  器:魔銀の双短剣【片刃剣】

防  具:魔素吸収のイヤリング 質量軽減の指輪 


彼女も【魔力操作】という固有能力持ちであるようだ。この世界では「称号」の意味合いを持つ適性能力には、召喚士だけではなく魔法士の適性まであり、彼女の魔法能力の高さが伺える。


ティノはドラゴンの姿をしたロウを見ても全く動じることなく対応しているユリアナを見て、やはりこの人は別格だなと改めて思う。そんな彼女は何故自分を気にかけてくれるのだろうか。

そして当のユリアナと言えば、今度こそ本当の笑みを浮かべてティノに言ったのである。


「おめでとう、ティノさん。」

「は・・・はい!」


彼女の美しさに頬を朱に染めて、やっと一言返事が出来たティノであった。


それからティノは従魔の同道許可証の申請のため学務課のある職員棟へと向かった。ロウは愛用の背負い鞄の中である。

そしてティノの横には何故かユリアナとその従魔ビャッコが並んでいた。


「あ、あの・・・ユリアナ様、私一人でも大丈夫ですので・・・。」

「ユ・リ・ア・ナよ。ティノさん、従魔の同道許可証の取り方、御存知?」

「う、知らないです・・・。」

「では、ご一緒しましょうね。」


ユリアナがなぜティノの事を気に懸けてくれるのか、本当に判らない。

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