33.灰色
西大陸の北東に位置するこのノクトール地方は、このあたりで「凍包の月」と呼ばれるこの時期になると、空は灰色の厚い雲で覆われ一日の内で陽が射してくることは数えるほどしかない。
大地に陽が射さなければ気温も下がり、時には雪さえも降ることもあるが、それが降り積もって大地を覆い隠すようなことは無かった。
だが、灰色の空を見て陰鬱とした気分になってしまうのは人族なら誰もが同じであろう。
それでも古来よりこの地に住まう者は、オルボス山脈から流れ出てくる水によって潤う大地からの恩恵と、海岸線から急激に落ち込んで抉りとられたように深いゼダハ湾の恵みを受け、決して暗く侘しい生活をしていたわけではない。
作物が育たず、海に出る事が出来ない時期もあるが、不毛の時期を乗り越えられる以上の蓄えは毎年毎年確保できている。
そうした一般生活以外にも、全てがモノトーンに見えるこのノクトールの風景は、人間族にとって最大の恩恵となるモノを与えた。
それが「属性魔法」である。人族、特に人間族が使う火、水、風、土を自在に操る能力だ。
その理由は不明なのだが、この辺りは魔法を使える適性を持つ者を多く輩出すると言われる地域で、魔法に関する未発見の歴史・情報・知識が数多く存在するとされていた。
人間族がいつから属性魔法と呼ばれる能力を使えるようになったのか、それを示している歴史は皆無である。
一説には能力神サキュリスが人間族だけに与えたものだとされている教本もあるが、サキュリス教誕生前にも人間族は魔法を使っていたとの見解が大多数を占めており、その根源を解き明かす事が魔法という存在を理解する最短の道とされているのだ。
魔法への造形を深めることで新たな魔法を開発したり、自分たちのルーツを明らかにすることが魔法士達の究極の目標であり悲願であり、この地に魔法士組合の総本部を置く前提にもなっているのだ。
◆
このノクトール地方にあり、北方三国と呼ばれるのはセダハ王国、ラビトアル国、テンフラント王国の三国であり、この三国は互いに同盟を結び、魔獣討伐の共闘、貿易関税撤廃、街道整備など蜜月の関係を維持してきた。
さらに東西大陸間の玄関口となるゼダハ王国は、東大陸の自由貿易都市国家イータルとも親密な関係にあり、海運を使った二国間貿易事業は、この二国に多大な利益を齎している。
東大陸から集められる希少な鉱石や珍しい魔獣の素材、魔素を多く含んだ食材などは西大陸ではかなりの高値で取引され、莫大な利益を生んでいる。
それに対し東大陸に輸出するのが食材と武器、あとは「人」だけである。殆ど簡単に集められるありふれた物ばかりで、冒険者や商人といった「人」に至っては自ら乗船料まで支払ってくれるのだ。
しかし、ここ数年の間に四か国の均衡に微妙な「ずれ」が生じ、その関係がギクシャクとしたものになっている。
その原因のひとつが、ゼダハ王国と東大陸のイータル、および魔人族の国々に軋轢が生じた事であろう。
北方三国の中では第一位の国力を持つゼダハ王国は、十二年前の第一王子を失った魔人族との戦争を切っ掛けにして、急速に国力を失っていった。
敗戦が決まった直後、海戦で失った五千人以上の兵士を補充するため大規模な徴兵を行ったことが国力低下の一番の原因といわれている。
辺境の町村では若い男の姿が消えてしまい、若い労働力と村の自警手段を失ったそれらの町では、魔獣に対抗できる手段を失い幾つもの町が消滅し、家族や家を無くした者達が大きな町に流れ着き、貧困層となって食うや食わずの生活を強いられているのだ。
さらにゼダハ王国と共に戦争に参加したラビトアル王国は、敗戦の影響で労働力不足となったことを理由にし、農産物や鉱石、魔石などの輸出品を出し渋りしたので、ゼダハにおいても市場は常に品薄状態となってしまったのであった。
ラピトアル王国は過去にあったゼダハ王国との戦争で領土が半減し、ゼダハ王国の属国のような立場になってしまったが、国力を衰退させつつあるゼダハ王国の状況は、再び自国土を回復する切っ掛けになると期待しているのである。
また、北方三国の中で唯一魔人族との戦争に参加しなかったテンフラント王国は、弱体化するゼダハ王国を尻目に内需拡大と軍備増強を図り、着々と国力を向上させていると聞く。
今は三国同盟などを結んでいるが、隙あらば海に接し海産物や塩の利権を持つラビトアル王国を、いやゼダハ王国含む北方三国をすべて手中にしたい思惑なのだ。
まさに銀盤に乗っているような三国の危うい関係だったが、そこに東大陸の都市国家イータルと魔族の国々が絡んできて、このノクトール地方は暗雲に覆われたような混沌とした様相を呈していた。
しかし、敗戦や第一王子の戦死や大量徴兵、魔獣の襲来でいくつ村が滅んだとか、ほとんど暗い話題しかなかったゼダハ王国の王都メッサドでは、衰退に向かう澱んだ空気を吹き飛ばすような熱気に包まれていた。
人口十五万を有するこの都市で、ある噂が静水の上を走る波のように広がっているのだ。
王都内に広まった噂とは、近々王城で大規模召喚魔法を発動させ、異界から救世主を召喚するという内容である。これは王城内から漏れた信憑性の高い話として数日前から囁かれている話であった。
異界人の召喚。
それは救世主召喚とも勇者召喚とも呼ばれ、特異な能力を持ち悪を打ち滅ぼす力を持つ英雄を、他の世界から呼び寄せるということである。
これまでも大規模召喚は何度か行われており、三百年も前の召喚では、大陸全土を征服しようとした悪の帝国を滅ぼしたのが異界から来た勇者だということは、物語にも唄にも読まれていて誰もが知っている歴史である。
そしてその救世主召喚が自国で行われると聞き、大多数の市民が熱狂しているのである。
「異界より救世主を召喚し、第一王子を死に至らしめた東大陸の魔人族の領地を攻め取る。」
この国の国民が切望しているのは現状の国力回復だけではなく、再びここノクトールに覇を唱える大国に戻ることであるのだ。
◆
セダハ王国の王都メッサドにある王城は、王都中央部にある小高い丘の上に建つ白磁宮殿風の建物である。
王城の中心には本城と呼ばれる地上五階、地下二階の巨大な建造物があり、その周りに十字を描くように左宮、右宮、後宮、前宮が囲んでいる。
広大な敷地内にはこの他にも兵舎や使用人たちの宿舎、馬場や練兵所など数多くの施設があるが、左宮のさらに奥にある礼拝堂のような建物の事は王城内でもあまり知られていない。
その場所は人目を避けるように木々が配置され、まるでそこだけを切り取るかのように鉄の柵で囲んであった。この数年の間、許可なくして立ち入る事は出来ない「監理区」となっていたからである。
今日の王城は朝からずっと慌ただしく胎動し、普段人気のない左宮とこの礼拝堂の間を何人もの人が行き来していた。
そして既に本日最後の鐘四つ刻(十七時くらい)を王都防衛の任に就く海竜将軍バッシニアの兵百名が囲んでいる。
この礼拝堂は一階部分が中空に嵩上げされた半地下構造を有し、礼拝堂の外にまで溢れる多数の人の気配はこの地下部分にあった。
建物の地下空間は、20m四方はある広い部屋となっている。
半地下とは言え、部屋の天井までは優に3mはあるだろうか。この上に鎮座する石造りの建物全体を、分厚い壁と中心部にある四本の太い柱で支えている。
四方の壁には窓が無く、その代わりにランタンの魔道具が一定間隔で吊り下げられている。
そしてその明かりの下、壁際には緋色のローブを着た百名以上の魔法士達が、床に刺している金属の棒を握りながら並んでいた。
彼らが見詰めているのは四本の柱の内側、この部屋の中心に描かれた直径10m程の巨大な魔法陣である。
たった今全ての詠唱が完了し、石畳の床に描かれた魔法陣が輝き始めたところである。
魔法陣が放つ光が徐々に強まっていくと、相応するように壁際に建つ魔法士達の顔が苦悶の表情を見せ始めた。
やがて魔法陣の光が直視できないほど白く激しく輝き出すと、何人かの魔法士は泡を吹いて昏倒し、そうでない者も持っている棒に体を預け、立っているのがやっとという状態で正に気息奄々である。
まさに魔力枯渇の症状である。
魔法陣の輝きがどれほど続いただろうか。
やがて光は徐々に弱まり、その場にいた全員が恐る恐る目を開けて前方を、先ほどまで光輝いていた魔法陣の方を注視した。
「おおお・・・せ、成功だ!やったぞ!」
「ああ!我らの召喚魔法が上手くいったのだ!しかも四人だぞ!!」
「だ、ダメだ。もう立っておれん・・・。」
ざわざわとした喧騒がそこかしこから上がり、魔法士達の顔は喜色に溢れている。
昏倒して気絶している者はともかく、何とか意識を保っていた者は魔法陣の中心付近に横たわる人型を見て、今回の大規模召喚魔法が成功した事を確信したのである。
それは魔法の術式開始からずっと様子を見ていた国王バレッド・アルベフィムル・ゼダハも、この術式を指揮した筆頭魔法士長ロードヘルブも同じである。
これまで何度も失敗を繰り返し、五年の歳月を掛けてようやく大規模召喚魔法が成功したのである。
その胸の内は歓喜に震えていた。
(ようやくか!これで奴等を打ち滅ぼす事が出来るのだ!ようやく!!)
豪奢な椅子に座ったその姿はすでに老齢の域に入っており、身体は年齢なりに衰えた感があるが生気を失っていない青い瞳だけは爛々と輝いている。
その視線の先には、時空転移の影響で気を失い、ピクリとも動かず裸で横たわる四人の男女の姿があった。
「誰か救世主様の召し物を持て!!魔法士達は全員退出せよ!立てない者は介助してやれ!」
「は、はい!ただいま!」
いつの間にか魔法陣の縁に立っていた赤髪の男性騎士が野太い声を上げ、その声に我に返ったのか、慌てた様子の女官がローブをもって前に飛び出してきた。
男性騎士は四枚のローブを受け取ると、まだ若干輝きが残る魔法陣の中に躊躇なく入っていき、一人一人の身体にローブを掛けると再び魔法陣の外に出て仁王立ちする。
すると、先ほどまで国王の傍にいたロードヘルブと、純白の法衣を身に着けた壮年の女が男性騎士の方へ近付いていき、横に並ぶようにして立った。
彼女もまたメサイナ教の教会で治療魔法を習得した魔法士であり、この国の教会を束ねる立場にいる人物だ。
間もなく目を醒ますであろう異界から呼び寄せた救世主たち。
強大な力を持ってこの世界に来る彼ら全員が、最初から自分達に対し友好的である訳ではない。
(先ずはこちらに害意が無いことを分ってもらわねばならん。)
魔法士達が続々と退出していく中、男性騎士は腰に差した剣を抜き、一人の兵士の名を呼んでこれを預け無手となって仁王立ちする。
自分が立つ床の下、すでに命の火が消えてしまったであろう、二百名の奴隷達の怨嗟の声を聴きながら。
◆
「ん・・・うぅ・・」
どれくらい時が過ぎた頃だろうか。四人のうち誰かが軽く呻いて体を捩った。
既にこの広間には魔法士達の姿はなく、帯剣した騎士も十人程しかいない。召喚の成否を見守っていたバレット王もすでに本城の方へ戻り、それに合せるように近衛騎士団も撤収していた。
大勢の人がいて息苦しかった地下空間も、今ではどこか冷えた空気が流れていた。
まず、最初に上体を起こしたのは二人いる内の片方の女である。
長い栗色の髪を後ろで束ねた、顔立ちが整った若い少女だ。女の歳は見た目で判断できぬというが、まだ十代であることは間違いないだろう。
ローブが掛けられているだけということに気付かぬまま上体を起こし、寝惚けているのかローブが擦り落ちて胸が露わになっても隠すことなく前に目を向けている。
そして、ようやく自分が裸であることに気付いたか、我に返って膝に乗るローブを引き寄せ、自分の身を包むように羽織って胸の前で押さえつけた。
「え・・・え?」
「良かった・・・。お目覚めになられましたか?」
「え?きゃ!!な、なんで裸!服着てないのっ!?」
「異界の人よ、お気持ちを静めて!先ずはそのローブを羽織って下さいませ。」
「っ!誰!?こ、ここはどこなのよ!?」
混乱している女に法衣の女性ラミルトがあくまで優しく、ゆっくりとした口調で話しかける。深い年輪が刻まれた慈悲に満ちたその表情は、彼女と会う者に安心感と落ち着きを与えるのだ。
そしてその思惑通り、ラミルト女史の顔を見た女は、若干落ち着きを取り戻し、床でしゃがんだままローブを身に着けてホッと一つ息を吐いた。
その様子を見たラミルト女史が再び女に話しかける。
「そちらへ行ってもよろしくて?もちろん私だけですよ。」
「・・・あなた誰なの。それより何が起ったか説明して!」
「ここは何処なのか、私達は何者なのか、貴女達が何故此処にいるのか、すぐに説明が必要なのは理解しておりますが、出来れば他の皆様が目覚めてからでよろしいでしょうか?」
そこで女は多少余裕が出来たのか、ようやく周りを見渡して自分以外にも裸で床に転がる人がいることに気が付いたようだ。
身体を横にしてこちらを向いている小柄な少女、仰向けに寝ている黒髪の男、もう一人うつ伏せになっているのも男で陽に焼けたがっしりとした体格をしている。
「何なのよもう・・・。いったい何が起こっているの?」
「私はラミルトと申します。貴女様のお名前をお伺いしても?」
いつの間にか女の傍まで来ていたラミルト女史が、女と同じ視線になるようしゃがみ、微笑んだまま尋ねる。
「・・・今は言えないわ。名前を教えた場合の不利益が予想できない。」
「なるほど・・・宜しいでしょう。貴女は聡明な方なのですね。お約束しましょう、我々が貴女様方に危害を加える様なことは無いと。」
「・・・」
「他の皆様がお目覚めになられましたら、宮殿へご案内いたします。」
そう言うとラミルト女史は立ち上がり、先ほどまでたっていた場所まで静かに下がっていった。
それを見る女の目には、鈍い光を反射している見た事もない甲冑を身に着けた男と、自分が身に着けているローブと同じものを着ている男が、片膝を付き頭を垂れた並んでいる姿が映っている。
女はさらに周りを見渡し、自分の置かれた状況の確認とこの薄暗い部屋の様子を探っている様子を見せている。
顔色は青ざめているが、混乱した頭の中を必死に整理しているようだった。
この様子を視界の隅で捉え、甲冑の男、近衛騎士団長グラハムは内心舌を巻いていた。
(若いのに適応能力が高い。危害を加えそうな者、逃げ道、手薄な場所を探しているのだろう。これは「当り」だな。)
目覚めたら見覚えの無い場所、見知らぬ人たちに囲まれていたら、大抵の者は恐慌を起こし大声で食って掛るか暴れるか、または一目散に逃げ出すか、であろう。
容易く名前を明かさなかった事といい、他の者を起こす前に状況把握に努める辺り、物事を冷静に分析できる性格のようだ。
そんな事を考えていると、周りの気配が動いたことで他の三人も目を醒ましたのか、モゾモゾと動き出し始めた。
そして、先ほど女が目覚めた時を同じような喧騒が始まる。
「うわっ!!なんだ!?何で裸なんだ!!」
「え?え?ここどこ!?え?」
「ふぁぁぁ!よく寝たぜ・・・。って誰だお前ら?あれ?ユージ達は何処に行ったんだ?」
「君こそ誰なんだよ!僕は道場にいたのに!!みんなはどこへ行ったんだ!?」
今度の混乱はなかなか収まらない。
自分が裸だということだけで周りが見えていない若い男、自分が置かれた状況が理解できずただオロオロ周りを見渡す少女、周りの変化に気付いているのかいないのか他人に尋ねる事しかしない男。
そんな中、先に目を醒ました女が凛とした声で一同を窘める。
「ねぇ!落ち着いて!!この場所には他にも人がいるのよ!先ずその布を羽織りなさい!!」
女の声を聴き、一旦言葉を収めた三人がようやく周りを観察し始める。そして自分達を見る視線があることに気が付くと、慌ててローブに包まった。
(流石に先に起きた分落ち着いている。まぁ、今の状況だけで判断するのは早計だが。)
グラハムはゆっくりとした動作で立ち上がり、魔法陣の中央で蹲る四人に近付いて行った。
◆
あれから左宮に用意されていた個室に入った四人は、贅を尽くした部屋で与えられた少し体に合わない服を身に着け、女給が用意した紅茶を喫した後で再び一堂に会した。
会談に使われた部屋の中にいるのは、召喚された四人と近衛団長グラハム、ラミルト女史、魔法士長ロードヘルブ、そして護衛の兵士が二人、壁際に立つメイドらしい女が二人である。
この部屋も中世期の城のような内装で、壁天井を飾る見事な装飾、一目で高価な物とわかる調度品が鎮座し、天井の巨大な集合灯の光を受けて輝きを放っている。
窓の外は闇だ。
すでに深夜であるにも拘らず、この部屋にいる誰もが眠気など感じていない。
そこにあるのは意心地の悪い緊張感と、相手を値踏みするように交わされる視線だった。
全員が着席し、少しの間重苦しい雰囲気の沈黙に耐えたあと、甲冑の男グラハムが代表して話を始めた。
「先ずは我々の方から名乗るべきだな。私はこのゼダハ王国近衛騎士団長を務めるグラハムという。そしてこちらはメサイナ教会司教のラミルト様と魔法士長ロードヘルブ殿だ。」
「騎士!?魔法だって!?」
「おいおい・・・何の冗談だよ?ドッキリ番組か何かか?」
「・・・イセカイキタ。」
屈強な戦士を前にし、緊張で静かだった少年二人が騒ぎ始める。
グラハムは一喝して黙らせることは簡単だと思いながらも、黙って話をさせておいた。
すると、やはり最初に目覚めた背の高い女がピシャリと男二人を黙らせる。だが、その視線は相手の少しの表情の変化も見逃さないように真直ぐにグラハムを見捉えたままだ。
「静かにして。彼の話はまだ終わっていないわ。」
「あ、ああ。すまない、つい。」
「ふむ、ありがとう。冷静な者が一人いてくれると話を進めやすい。質問があれば我々の話の後に聞く。今から一方的に話すが気を悪くしないで聞いて欲しい。」
ここでグラハムは魔法士長ロードヘルブと交代する。
彼は話の取り掛かりとして召喚魔法については踏み込まず、この国の名前や統治する領土の位置関係、さらには歴史にまで裾野を広げて説明し、そして最後にここが四人にとってはそれまで住んでいた世界とは別の世界、異界であることを淡々と告げた。
「そして貴方達が時空を超えてここに存在出来ている理由、それは我々が召喚魔法を発動して貴方達を求め、その呼び声に貴方達が応えてくれたから、なのです。」
「そ、そんな!知らないぞ!そんなこと!」
「誰にも呼ばれてねーぞ!気が付いたらマッパで寝てたんだからな!」
「そんなはずは・・・。貴方達は今いる世界ではない、別の場所、異なる世界へ行きたいと思っていたのではないのですか?」
「それは・・・!!それはラノベとかで読む話の事で・・・本気で行きたいなんて・・・」
グラハムは内心ロードヘルブの話術に感心せずにはいられなかった。
確かに召喚魔法は召喚する相手が応えなければ成立しない魔法であると考えられている。
それを逆手にとって、ここに来たのはお前たちの意思でもあるのだ、と誤魔化しを刷り込んでしまったのだ。
事実、目の前の四人はロードヘルブの話を疑いつつも、自分の心との葛藤に顔を歪ませているではないか。
四人が沈黙する中、グラハムはメイドに目配せして全員の茶を入れ替えるように指示を出す。
もちろん毒や媚薬などは入っていないが、四人のうち背の低い少女と体の大きい少年は、最初に供された紅茶を迷うことなくすぐに口を付け、黒髪の少年は少し逡巡しながらも結局は一口二口飲み込んでいる。
そして、やはりあの少女だけは口を付けていない。
「君たちが我々を警戒する気持ちは分かっているつもりだ。だが飲まず食わずでは頭も廻らぬ。毒も薬も入っておらぬし、城で供する事が出来る最高級の紅茶だよ。」
「それを信じろというの?」
「私が自ら毒見してもいいぞ。まぁ、信じてくれとしか言えないな。」
そう言うとグラハムは頭に手を乗せ、人懐こい笑顔を見せる。
普段は周囲に厳しい表情しか見せぬ男だが、偶に見せるこのような仕草が年代問わず人望を集める要因なのだろう。
じっとグラハムの様子を見つめていた少女は、視線を逸らして諦めたように溜息をつくとカップをソーサーごと口元まで運び、優雅な仕草で紅茶に口を付ける。
彼女もいきなり自分の身に起きた変事に戸惑い、緊張し、喉がカラカラだったのだ。
「さて、何時までも名を呼べぬままでは都合が悪い。そろそろ自己紹介をお願いできないかね?」
「あ・・・僕は上代東吾。あ、いやトウゴ・カミシロです。十九才の大学生です。」
「俺は斎藤健二だ。名前が健二な。俺は高一。」
「池崎瀬波。高二。」
「って高二かよ!嘘だろ年上じゃん。」
「高二。十七才。」
「・・・レイ・ナイトウェルよ。歳は関係ないでしょ。」
「へえ?外人さんかよ。あ、ハーフか。イカすね!」
「・・・」
ケンジがすかさず茶化して来るが、レイは視線を向けようともせず無視を決め込み、その上でグラハムに対し、話を先に勧めるよう促す。
「ありがとう。まぁ、今日全てを話してくれとは言わん。我々にはまだ話し合う時間が必要だ。」
「・・・一つだけ教えて。私達はこちらの世界に『拉致』されたの?」
グラハムは少しだけ驚いた顔を見せてから、元の真剣な表情に戻し、はっきりと拉致などではないと言い切る。
「さっきロードヘルブ殿も言ったが、我らの召喚魔法には君たちの意思も反映されている。この国の風習に慣れるまでは多少の制約はあるが、基本的に行動は自由だし援助も可能な限りするつもりだ。」
「グラハム殿、色々詰め込みすぎても彼らだって消化できまい。」
「そうですよグラハム殿。今日はもう遅いですからお休み下さいませ。明朝お目覚めになられましたら、部屋の外に控える者にお知らせくださいな。朝食を運ばせますので。」
「そうだな。この続きはまた明日にしよう。朝は寝坊しても良いぞ。話は昼食後だ。」
そう言いきったグラハムは壁際に立つメイドに案内役を呼ぶように指示を出すと、表に出たメイドは直ぐに使用人風の八人の男女を連れて戻ってきた。
彼らは召喚された異界人専属の世話係で、男女一人ずつの二名が一人一人に付くという。
まさか四人も召還されるとは思ってもいなかった国が慌てて掻き集めたため、殆どの者がその表情に緊張を滲ませていた。
「何か必要な物があったら彼らに行ってくれ。可能な限り供出しよう。では彼らを部屋へ案内してやってくれ。」
「畏まりました。宜しくお願い致します、救世主様方。ご案内いたします。」
一人だけレイはまだ何か言いたげな様子だったが、結局はゾロゾロと出て行く他の者達に続いて部屋を出て行った。
◆
広い部屋の中にはグラハム、ラミルト、ロードヘルブの三人だけが残っていた。
先程まではにこやかに話をしていた三人だが、今は疲れを滲ませた表情を浮かべ、互いに視線も合わせていない。
今日一日、肉体的にも精神的にも極度の緊張を強いられ、気の休まる時間など全くなかったのだ。
重い沈黙がしばらく続いた後にようやくグラハムが口を開く。
「ふぅ。初対面での衝突は何とか避けられたな。無理矢理異界より連れてこられたのだ。レイ殿のように警戒するのが普通なのだろうな。」
「今はまだ何も知らない、何もできない雛とはいえ、いずれ歴史書に残る勇者と同等の力を持つ者達ですからね。初見で悪い感情を持たれるのはまずいでしょう。」
「仰る通りです。我々が上手く立ち回らなければなりません。全大陸の禁を犯してまで彼らを呼んだのですから・・・。」
約三百年前にジロール帝国が行った大規模召喚魔法は、最終的には東西大陸全土を巻き込んで種族戦争を引き起こした。
その反省から、後世の人々は異界から能力者を召喚することを禁じてきたため、異界との道を開く召喚魔法の知識を持つ者は極めて少なくなり、魔法自体が失伝したことになっていた。
しかし、ゼダハ王国には古くから様々な魔法に関する史書や文献が残されており、その中には異界から「人間族」を召喚するという研究書もあって、今でも魔法士組合総本部の書庫に保管されている。
その文献には、異界から召喚された「人間族」はこの世の者を凌駕する強大な力を持ち、勇者たる「格」を有する、と記されている。この一文こそが、ジロール帝国が「強大な力を持つ異界人」を召喚するに至った切っ掛けだったのだ。
時は流れ、旧時代の戦争も歴史の中に埋もれてしまい、大規模召喚魔法を禁法とした理由さえ忘れられたのか、西大陸では時々、どこぞの国が勇者を召喚したとか失敗したとか、真偽の判らぬ噂が広まるようになっている。
それは吟遊詩人が謳う英雄譚であったり、悪鬼のように暴れまわり血の川が流れたという噂であったり。
大陸全土で魔獣の大氾濫が発生した時も、異界から召喚された勇者が「発生源」を発見し、これを大魔法で消滅させて氾濫を収束させた歌は、今でも大陸全土の酒場などで謳われていた。
そして、今の時代。
ゼダハ王国では第一王子を魔人族に殺されて怒り狂ったバレッド王が、その恨みを晴らすために周囲の諫言にも耳を貸さず大規模召喚魔法の発動を命じ、何度目かの失敗を経てようやく異界人の召喚に成功したのである。
国内の主だった貴族や施政者達も、バレッド王の勅命が発せられた当初から異界人の召喚に積極的で、国力回復のため、北方三国筆頭の名誉を回復するため、東大陸の魔人族に報復するため、異界からの救世主を切望したのであった。
もちろん中にはバレッド王に翻意を嘆願したものもいたが、後継を失った王の怒りと悲しみは激しく強く、何人もその胸中の黒い炎を消すことは出来なかったのだ。
「大河の流れは決して止められぬ。ならば我々がその罪を負わねばならん。例えこの身が地獄の炎に焼かれようとな。」
「召喚した異界人に「魔人族は悪」という概念を刷り込み、東大陸侵攻の旗印になるように誘導しなければなりません。嫌な役目です。」
「ラミルト様。実際、十二年前の戦争では五千人が海の藻屑と消え、イータルでも万に近い数の餓死者が出たのです。あのような所業を悪と呼ばず何と呼べましょうか。」
「分っております・・・。あのような事が二度と起こらぬように抑止力が必要であることも。」
十年来の悲願であった救世主の召喚に成功したというのに、この場にいる三人とも暗く沈んだ表情である。
国同士の争いは多くの血が流されるということを、頭では解っているのだが、自分たちがその要因を作ってしまったという罪悪感が拭えないのだ。
今、彼らの胸の内は、凍包のノクトールの空と同じような灰色の雲で覆われているのであった。