32.憂鬱
この名もなき世界に存在する知的生命、所謂人族達が住まう陸地は、緩やかに弧を描いた海岸線を持つ楕円形の西大陸、いくつもの大半島を突き出し入り組んだ海岸線をもつ東大陸、この二つの大陸を取り巻く無数の小島があり、二つの大陸を隔てるのはオルボスとネルヴァスという二つの険しい山と、その裾野に無限ともいえる広がりを見せる『魔境』であった。
陸続きであるにもかかわらず東西を行き来する陸上ルートが無いのは、この険しい二つ山と強力な魔獣が跋扈する『魔境』が存在するためで、東西大陸間の移動は専ら海路に頼るしかないのが現状である。
東大陸では大気中の魔素量が多いためか、『魔境』にいる魔獣も戦闘能力が高い個体が多く、姿形は西大陸と同じゴブリンでもオークと同じくらいの力を持つ個体や、人語を解し連携して戦いを仕掛けるオーガの集団までいると云われている。
魔素が多いのは西から吹く大陸風を二つの山が遮り、山の麓に広がる魔境に「魔素溜まり」が多く発生するためとか、未発見の迷宮が数多くありそこから魔素が溢れてくるとか言われているが、本当の理由を知る者はいない。
魔境による大陸の分断はこの世界の文明進化にも大きく影響を与え、西大陸は人間族を主体とする国家が多くその版図を広げ、魔素濃度が高い東大陸は魔人族の人口比率が高くなって人間族が住むには難しい環境になった。
では、人間族と魔人族の違いとは何であるのか。
魔人族の外見は一見妖精族のエルフ族と似たような姿であるが、青白い肌とエルフより長い耳、血のような赤い瞳が特徴的である。
人間族や妖精族より内包魔力量は多く魔法適性に秀でた種族であり、魔法に於いては主に無属性の魔法を使い、さたには人族に精神異常を引き起こす、魅了、幻惑、催眠、催淫といった状態異常魔法と、妖魔族や魔獣を従える隷属魔法を得意としている。
生活形態は他の人族と同じように、個は集団を、村を、町を、そして都市、国を創り、王を起てて支配階級を確立できれば戦士や文官が集まってこれを補佐していく。当然、従属階級には商人や農人、平人といったいわゆる一般人が当てはまり、生産活動で得た収入の一部を税として国家に納め、替わりに生活の保障と安全を供与されている。
一方、彼らの王はたる者の選抜条件は至って簡単なもので、力、能力、カリスマ性に優れた者、要するに他より能力のある者が選ばれる。王が代わる時は現王が自ら退くか、現王より能力の高い者がその座を奪うかであった。
こうした特殊な考え方があるため、魔人族の世界では人間族のように金=権力とはならない。金を持っていてもそれを守る力がなければ奪われるからで、寧ろ力=権力となる方が正しいのかも知れない。
力は個でも集団でもそれを示せば認められる。負けた方が悪いという考え方なのだ。
東大陸には魔人族の国がルリエント、サーベント、レグノイア、ウェグスニア、ゼヴェント、シンマの六国があり、人間族の都市国家がイータル、獣人族の国がガルータ、ヒューゴ、魔人族、獣人族、妖精族からなる混成国ピーシス、トロンの計十一ヶ国が存在する。また。国に属さないが自治を許されている妖魔族が住む地域もある。
なお、魔人族のそれぞれの国に必ず一人の王はいるが、種族の長としての『魔王』などという称号は存在しない。
東大陸では『魔境』から溢れ出てくる魔獣の駆除対策が常に優先され、国家間の争いなどやっている暇もなく、逆に各国協力体制を構築して事に当たっている程である。一部の妖魔族とは小競り合いが起きている国もあるが、国家間で争うような戦いはここ数十年の間起きていない。
つまり、魔人族はこれまで他の人族と敵対したり西大陸まで版図を広げようとした歴史は一度もなかったのだ。
それはこの地に住まう獣人族も妖精族も同じである。
一方、人間族は全て西大陸からの移民であり、古来よりこの地に住んでいた者はいない。
土壌のせいなのか水のせいなのか農作物の生育が悪く、西大陸の農作物はほとんど栽培されていない。東大陸に自生している自然由来の魔力を多く含んだ物を採取して食さなければならず、内包魔力が小さい人間族では魔力過剰となって「酔い」に似た酩酊状態になってしまい、過剰摂取した場合最悪は死に至る。
したがって人間族が東大陸に住む場合、食料の殆どを東大陸からの輸入に頼らざるを得ないのだ。
住も食も、人間族にとっては過酷なこの地に住まう者達は、何らかの理由で西大陸にいられなくなった訳あり者か、一攫千金を求めてやってきた冒険者や交易で財を成そうと夢見る商人くらいである。
そんな東大陸で唯一人間が集まる都市国家イータルは、北海に面した人口十二万ほどの大都市であり、周囲4kmを高い壁て囲み、魔獣の侵入を防いでいるので、城塞都市とも呼ばれている。
海岸には港を有し、人間族はこの都市国家を拠点として西大陸とは定期的に輸送船が行き来させて、東大陸で獲れた希少な鉱物や珍しい魔獣の素材、効能の高い薬などを輸出し、食料や武器、生活必需品などを輸入している。
この都市国家を統治するのは個人ではなく特定メンバーによる評議会である。
ダヒト家、レンクール家、カイリュウ家という三家に冒険者組合、魔法士組合、商業組合、薬師組合が加わり、計七人で政を決定していく機関である。
先三家とは西大陸から海路を使って東大陸に移り、人間族で初めて東大陸へ来る足掛かりを作った人物が起こした家(機関)である、文を預かるタヒト、武を預かるレンクール、輸送を預かるカイリュウとそれぞれの立場で政治に加わり、この都市国家の統治に携わっている。
決して貴族と名乗っていないのは、自分達だけでこの東大陸で生き抜いていく事は不可能であることをよく理解しているからなのだろう。
人間族が東大陸に踏み入れた当初は、先住民である魔人族との諍いも幾らかあったとされている。
その殆どが彼らの領域を人間族が乱した、というものだったが、東大陸全土という途方もなく巨大な版図をもつ魔人族にとって些細な出来事であり、家の中に虫が入ってきた程度の感覚であるのだ。
魔人族は積極的に他種族に関わることは少ない。
彼らにとって人間族などは弱くて脆い、取るに足らぬ存在であり、西大陸に固まろうが東大陸に乗り込んで来ようが干渉するつもりはない。その気になればいつでも排除できる相手だという事が判っているのだ。
当然、人間族が『魔境』にいる魔獣を狩って西大陸に持ち戻ろうが、鉱石を得るために渓谷を削ろうが、どうでも良い事である。
だが、魔人族の中にも昔からイータル付近に住んでいる者や、好奇心が旺盛な者は、単に物珍しさや時には物々交換で得られる人間族の文化を求めて人間族がいるイータルに来ることもある。
人間族も東大陸で魔人族と敵対するつもりなどなく、むしろ良い協力関係を築ければ東大陸に住む上でもメリットは大きいと考えている。それ故に積極的に魔人族を受け入れて、交易の糸口を模索したり東大陸の情勢を訪ねたりと良き隣人を演じてきたのである。
しかし、人間族が東大陸に入植して数百年が経ち、イータルの人口も徐々に増えて大都市と呼ばれる規模になる。魔人族との関係も付かず離れず、それなりに良好な関係が続いていたのだが、この不可侵不干渉の関係を自ら壊したのは人間族側であった。
◆
西大陸から渡ってきて東大陸で貿易の商いをしていた商人が、十五年も前に魔人族を拉致した事件である。その時の人間族の行いは目に余るものがあった。
当初彼らは冒険者を雇い『魔境』にいる珍しい魔獣や妖魔族を捕えようとしていた。だが、戦闘能力の高い彼らを生かして捕えるには相当危険を伴うという事を知ってからは諦め、事もあろうに魔人族を捕え、まるで家畜であるかのように西大陸に送ろうとしていたのだ。
仲間意識が希薄な魔人族であっても、脆弱な人間族が力ではなく詐術を使って同胞を陥れたとあれば黙ってはいない。
この企みを知った魔人族は従属させていた妖魔族と共にイータルに突入して港を襲い、西行きの船に拘束されていた七人の魔人族と十人の獣人族を救い出し、主犯の商人を公衆の目の前で殺たうえ、その家族と従業員も船の乗組員も、運搬船と共に海に沈めたのであった。
しかし、この商人は攻撃魔法が得意な魔人族の犯行を警戒していたのか、救い出された者達には隷属の首輪が装着されていた。
隷属の首輪の性能を知らなかった魔人族の面々は、助け出した同胞の首から忌わしき魔道具を外す前に所有者契約をしていた商人を殺害してしまった。
このため、契約者から隷属の首輪への魔力供給が出来なくなり、せっかく救い出された者達も首輪の締め付けで命を落としてしまったのである。
そして、事件はこれで終わらなかった。
件の商人の仲間への尋問を行った結果、魔人族の拉致はこの一度だけではなく、過去にも数回拉致が行われていた事が明るみになったのだ。この商人以外にもこの悪辣な行為を行っていた者がいて、拉致された魔人族が何人いるのか、正確な人数すら判らない状況だった。
この事件は瞬く間に東大陸の魔人族国家に伝わり、激怒した魔人族の五ヵ国家が共同して兵を起こし、約六十日間に渉ってイータルを取り囲み、人間族を兵糧攻めにするという「戦争」状態に発展したのである。
人間族は東大陸から食料を輸入しなければ飢える。この事を承知していた魔人族は、イータルの港に水生魔獣を多数出現させてこれを制圧し、西大陸からの食料供給ルートを完全に遮断した。
数万の魔人族兵に包囲された人間族は即座に降伏の意を示したのだが、魔人族はこれを拒否し、食料が尽きる寸前までイータル包囲を続けたのであった。
魔人族側から出された包囲を解く条件は、これまで連れ去った同族を早期に返還すること、今後一切東大陸の魔人族、獣人族、妖精族、妖魔族に干渉しないこと、魔人族側に定期的に一定量の武器を供出することであった。
さらに評議会は都市内に魔人族の領事館を置いて魔人族の戦士数十人を常駐させ、入出港する船の積荷については全て検閲を受けることも承諾した。
イータルはこの条件を無条件で呑み、まず拉致に手を染めた者すべてを捕えて西大陸に連行した者達の居場所を自白させ、精鋭の救出部隊を西大陸に高速船で向かわせた。犯罪者が自白に至るまで、相当苛烈な肉体的、精神的拷問があったことは言うまでもない。
現状予備として保持していた武器防具の類もすべて供出したのである。
これに対し、イータルと強い繋がりを持つ西大陸の国、ラビトアル国、セダハ王国はイータルの無条件降伏を良しとせず、連合艦隊七十隻、海兵一万を出撃させイータルを奪い返そうとした。港を押さえ補給路を確保すれば勝算は十分にあると踏んだのであろう。
だが、この軍事行動はイータル側から魔人族連合に知らされ、連合艦隊は港に入る直前で魔人族の放った海棲生物と妖魔族によって半数以上の船が沈められ、連合軍提督ゼダハ王国第一王子も戦士する結果となったのである。
ここに来て人間族は完全に魔人族に屈したのである。
この敗戦を受けて、西大陸では奴隷商人の供述から魔人族の購入先が徹底的に調べられ、魔人族を買った者はいかなる理由、いかなる身分でも全員が死罪となり、囚われた者達が次々と解放された。十万近い人間族の命が懸っているのだ。その苛烈さ、迅速さには目を見張るものがあった。
奴隷制度の見直しが行われてから早数十年が経ち、制度そのものに対する禁忌が大陸全土に広りつつも裏取引される「人身売買」は決してなくなることは無かった。
そんなぬるま湯の「法」が法を犯した「いかなる身分」の者には、とある国の王族まで含まれていたという。
やがて事件から一年も経たないうちに拉致された魔人族二十一人が東大陸に戻された。彼らからの聞き取りであと四人が戻っていない事も分ったのだが、居場所も生死すら判らぬ状況では捜索も出来ないということだった。
あの事件以来、イータルの港に入出港する船は全て魔人族の官吏に検閲を受けることになっている。
中には自分の意思で西大陸に向かうという魔人族もいるのだが、いずれにしても魔人族と獣人族の出航は厳しく規制され、人間族が人身売買を行う事を水際で防いでいるのである。
◆
そんな過去を持つ都市国家イータルの港で最近囁かれている噂があった。
「おう・・・聞いたか?ルリエント王国もサーベント王国に恭順するって話。」
「ああ、これで七国統合が出来上がったな。まだ迷っているゼヴェントもガルータ、ヒューゴも小国だしすぐ尻尾を振るだろ。後はレグノイアだが一国だけで連合に対抗できるとは思えないな。」
「奴等本当にここまで攻めてくるつもりなのかな。人間族を東大陸から追い出すって言っているらしいけど・・・。」
「本気じゃなければ【東大陸連合国】なんて作らんだろ。こんな噂の出所だって魔人族の何処の国だろうし、十中八九間違いないな。」
港湾荷役の一人足にまで流れてくる噂は、魔人族が人間族を東大陸から排斥しようと画策している、という内容だった。
魔人族の国では既に十数万の軍が集結しており、イータルに進撃する号令を待っているという事である。
「評議会が魔人族の領事と交渉しているらしいが、「死にたくなければさっさと出て行け」の一言で片付けられたらしいぞ。奴等は本気だよ。」
「はぁ・・・。だから船待ちの人間がこんなに多いのか。次の船が来るのは三日後だというのに。」
確かに港の中には大荷物を持った人間族がやたらと目に付くようになった。イータルの兵士が巡回してきては家に戻るよう各個に触れ回っているが、数は減るどころか日に日に増加している。
「だいたい船が来ても乗れるのは一隻で精々二百人かそこらだ。人間族だけでまだ十万人はいるのに逃げるなんて無理な話なんだよ。」
「なんだ、お前諦めたのかよ・・・。まぁ、俺らが優先されて船に乗ることはないわな。」
「ああ、儲け話に乗って遥々ここまで来たのは良いがこんな僻地で無駄死にしなきゃならんとはな。本当にツイてないぜ。」
それまで動かしていた手を止めて男は溜息をつき、何処か達観した目で東の空を見つめていた。
そしてこの日の同じ頃、イータル評議会がある城の一部屋に七人の評議員が集まり、答えの無い無為な会議を続けていた。
人間族が生き延びるにはそうしたら良いのか。
ここ数十日の間、繰り返し議論が行われてきたにも拘らず、有効な手段も対策も打てず停滞したままである。
商人の船が着く度に、西大陸の友好国に救援依頼の親書と女子供を中心に多くの一般人を乗船させて送り出しているが、明確な返事や行動を受けたことは無かった。
「追加の船の目途は立たんのか・・・。」
「三日後に二隻、七日後に六隻、十日後に四隻です。要請はしておりますが返事は届いておりません。」
「一般人だけでまだ六万もいるのだぞ・・・。どれ程の時間が掛かるというのか・・・。」
「魔人族が攻めてきても門を固く閉じ、籠っているしかあるまい。」
「都市に籠っての籠城戦では勝ち目はありません。過去の事例が語っております。野戦を仕掛けるとしても現状兵士が一万、冒険者が二万ではあっという間に全滅してしまうでしょう。」
「魔人族軍の規模はどのくらいなのだ?」
「ロミ殿から聞いた話では、東大陸を纏め上げた『魔王』が集めた兵は六万を下らないという事です。絶望的です。」
六十日程前に、突然魔人族側から送られた宣戦布告である。
魔王なる者が魔人族の国や獣人族の国も傘下に収め、東大陸連合を称して軍を編成し、東大陸から人間族を駆除するという内容だった。期限は書かれておらず、あの日から魔人族達の準備が着々と進んでいる噂だけが流れてくる。
イータル評議会は都市に常駐している魔人族の領事ロミに何度も説明を要求し、人間族側は戦を望んでいない、話し合いで解決したいと伝えたのだが、未だに『魔王』の周辺と接触すら出来ておらず、打つ手がないというのが現状だった。
魔人族の王たる魔王。
突然東大陸に現れて、魔人族の中で最も好戦的な国家であったサーベント王国の君主をあっさりと倒して自らその地位に就いた人物である。
それからは自国を防衛に徹するよう守りを固めさせ、次々と単騎で他の国に乗り込んでは各国の王を力で屈服させたという。強い者こそが王たる席にあるという魔人族特有の理念のもと、魔人族の王の中の王、魔王が誕生したのであった。
魔人族の頂点に立った魔王の政策は単純であった。
一つ、魔人族は一致協力して他種族の迫害に対抗する。
二つ、魔人族は敵対する人間族を滅ぼす。妖精族、獣人族には干渉しない。
魔王はたった二項目の号令だけで東大陸にある十一か国のうち、半分以上の七か国を共闘同盟の名の元に傘下に収めたのである。
しかし、魔王がなぜそのような行動に出たのか、根本的な原因が不明のままだった。
「ふぅ・・。判らないことだらけだな。突然の魔人族の統合といい人間族への宣戦布告といい。理由が全く判らない。」
「おそらく『魔王』は人間族を滅ぼす心算なのでしょう。だからわざわざ駆除という言葉を使った。人間族を害虫としか見ていないのです。」
「いったい我々が何をしたというのだ!十五年前の補償はこれまでも十分行ってきたというのに!」
「あの件に関わった者の処分はとうに済んでいる。今更蒸し返しても何も得るものはないぞ。」
評議員の頭に過るのは、十五年前に起こった魔人族拉致事件である。
あの事件以来、それまで友好的と言わないまでも互いに不干渉の立場だった人間族と魔人族の関係が険悪なものになってしまったのだ。
船が入る度に魔人族の隷属魔法の使い手が現れて、隷属の気配がないか、隷属の首輪の有無を確認し、船が出る時は積荷を隅々まで調べ上げていく。
人間族側が文句を言える立場にはない事は分かっているのだが、商船にとってはこの検査で数日間は待たされることになり、流通の本質としては効率が悪いことこの上ない。
「まさか我々の知らないところで魔人族の拉致が行われていたのではあるまいな。」
「やめてくれ!万が一そんな事があったとしたら交渉の糸口どころか、僅かな希望すら皆無になってしまう。」
「打つ手無し・・・。八方塞りか・・・。」
この国にいる人間族を守るため、評議会は打てる手は全て打ち、もう魔人族からの返答を待つばかりとなってしまった。または、魔人族が攻めてくるまでに一隻でも多くの船が入港することを願うばかりである。
「しかし、魔人族の王で『魔王』ですか。中々上手い言い回しですな。果たして魔王の目的は東大陸の統一だけなのでしょうか・・・。」
「どういう事だ。」
「いえ、『魔王』のいう人間族の駆除とは、この東大陸だけなのか、それとも西大陸も含めてなのか、という事です。」
「・・・考えたくもない事だが、この国だけで終わるという気が全くしないな。」
誰かがそう呟くと、そこにいた全員が西大陸の危機をも肯定するかのように頷いたのであった。
◆
鬱蒼と茂った深い森と、大地を爪で引き裂いた跡のように抉られた渓谷が幾重にも連なっている。渓谷の底は霧で覆われて見えないが、轟々と聞こえる水音がそこに急流が存在することを知らしめていた。
直接陽が届かない地面は倒木と苔で覆われ、時々獣たちが動く影が見えるだけだ。幾年も変わることがない、がなかれている。
ここは『魔境』と呼ばれ、人族のような弱い種族が決して立ち入る事が出来ない魔獣達の楽園、一歩踏み入れればそこは弱肉強食の世界であり、強い者だけが生き残れる世界である。
この世界にある二つの大陸を分断している魔の森は広大で、東西大陸ともにその面積の半分が『魔境』に飲み込まれている状態だった。
そんな魔境と人族の版図がぶつかる境界部、所謂魔境の外端部分には、高さ約30m程の断崖が聳え立っている。崖淵には樹木が今にも溢れんばかりに張り出していて、宛ら監獄の壁の様相を呈すこの巨大な壁は、この先の魔境へ向かう人族を拒むかのようであった。
そして、この断崖の中腹に、ポッカリと口を上げた洞窟があるのを見て取れる。
この洞窟、元々は奥行きが浅い只の洞窟だったのだが、ある時からその奥行きがどんどん地下に向かって広がって階層まで出現し、内部に魔素が濃く溜まり魔獣が自然発生するようになった。
新しい洞窟型の『迷宮』が生まれたのである。
人と魔の境界で生まれた迷宮は本来なら人族に発見されるはずがなかったのだが、永く放置されたこの迷宮が氾濫を起こし、魔獣の大軍を吐き出したことでその存在を知らしめることになったのである。
溢れ出た魔獣は近くの村々や集落を呑み込み、さらに次の獲物を求めて人族の街に向かったが、幸いにして大きな町に被害が及ぶ事は無かった。
この辺りを治める王国は氾濫を抑えるため国軍と冒険者組合、魔術士組合を総動員して魔獣の討伐に当たり、多大な犠牲を払ってこれを鎮圧、残った全軍で発生元の迷宮を攻略したのである。
以来、この迷宮は「攻略済み」迷宮として、国によって管理されることになる。
一番外端部とはいえ『魔境』に生まれた迷宮である。国にとっても冒険者達にとっても、まさに「金の生る木」を手に入れたわけで、辺境にも拘らず多くの強者たちが一獲千金を夢見てこの迷宮に潜っていた。
ところが数年前、この場所に一般人の立ち入りを禁ずる国令が出され国境警備に使うような砦が築かれると、約百名の兵士が駐屯して守りを固めるようになった。
一体何を守るための兵士なのか。国軍の極秘事項とされるこの問いに答える者はいなかった。
既に攻略され、迷宮主がいない筈の迷宮の内部。
この迷宮の第二十五階層にあたるこの場所は、岩盤をくり抜いた巨大な地下空間が拡がっていて、岩壁に群生したミドリヒカリゴケが仄かに輝き、その光を反射して漂うヒカリ胞子も相まって幻想的な空間を生み出している。
この開けた場所以降、迷宮は続いていない。つまりここは迷宮の最深部、心臓ともいえる『迷宮核』が置かれている部屋であり、迷宮主の部屋と呼ばれている所だ。
本来なら何もいないはずの空間の真中に、漆黒の巨体を横たえる異形の存在、九つの首を持つ黒竜が地面に付けて目を閉じている。
冒険者達が攻略に訪れなくなって久しく、何もすることがなく、何が起こる訳でもなく、ただ怠惰に惰眠を貪る毎日でああった。
しかし、今日に限って異形のモノはその上体を起こし、紅く燃えるような瞳を眼下にいる少女に向けていた。
この場に全く不釣り合いな赤いショートドレスを身に着けた十二、三歳位の少女は、一生懸命身振り手振りを加えながら巨大な黒竜に話しかけていた。
「・・・で、北方の三カ国の間ではテンフラント王国が先に戦を仕掛けるのではないかと誰もが噂しているとの事です。」
『なるほどな。』
「西大陸中の国家が隣国と、或いは東大陸との戦の準備に追われているかのような、そんな情勢に向かっているように感じます。」
『全く、戦争など百害はあっても利は全くないのに、やはりこの世界の人族はまだまだ未熟か・・・。』
「争いの火種や根本の原因は人間族にあると思うのですが、人間族の殆どがそれを認めておりませんが。」
『で、あろうな。』
今、この世界は血で血を洗う戦いに向けて歩みを揃えているかのよう感じられる。それは世界規模の戦であり、これまでのような人族に害を成す魔獣との戦いではなく、人族同士の争いであった。
「ただ、大国ソシラン王国と妖精族のファーレン王国はこの流れを否定しており、これまで通り中立の立場であることは変わりないようです。ファーレン王国も新王の統治がようやく落ち着いたように感じます。」
『むう、新しい王様もあの女王の後釜では相当のプレッシャーであろうな。とにかく変な争いが起きなかったのは良かった。』
「ぷれっしゃー?ですか?はい、守り人も他の族長達も協力して盛り立てています。新王は自分は繋ぎの仮王だといっていますが、妖精族の一枚板に揺るぎは全くありません。」
そう、九つの首を持つ竜は厄災の不死竜ヒュドラでロウと名付けられたモノ。その前で話す少女は、そのロウの眷属で【狂気の魔剣】キノが擬人化した姿である。
眷属であるキノは、普段はこの迷宮の中ではなく外の世界にいてあちらこちらと旅して廻り、旅の中で得た世の中の情報を、迷宮最深部にいるロウの元へ定期的に報告に来ているのだ。
近年、世界各地で戦が起こる前兆があり、その原因の殆どが種族間の差別を発端とする争いである。悲しい事にこういった争いの中心となっているのが人間族で、いまだに自分達が優位種族であるかのような幻想が消えず、事ある毎に他種族との対立の火種を振り撒いていた。
もっとも、こうした動きが活発化した原因は、東大陸の魔人族が西大陸に攻め入る準備をしているという噂が広まったためで、標的とされた人間族が他種族に対し疑心暗鬼になっているからである。
「ロウ様、もう一つご報告が。東大陸の件です。」
『おおう、例の件、何か分かったか。』
「はい。やはり東大陸の国々をまとめあげたのは魔人族ではなく他の人族、ダークエルフ種の女のようです。闇の勇者で間違いないかと。」
『そうか・・・。キョウめ、魔人族をも力でねじ伏せおったか・・・。』
「人間族の間では魔人族との全面戦争対策として、再び異界より能力者の召還を行うと囁かれておりますが、西大陸に残っていた召喚魔法陣は殆ど闇の勇者によって破壊され跡形もありません・・・。」
キノの報告にあるように、最近西大陸の国々に聞こえてきているのは、東大陸の魔人族の国に魔王を名乗る者が現れ、あっという間に幾つかの国家を傘下に収めて、人間族を滅ぼさんと軍備を進めている、という噂であった。
東大陸にある唯一人間族の足掛かりだった都市国家もすでに滅ばされ、魔人族の軍が『魔境』の妖魔族と魔獣を従えて西大陸に進軍しているとまで言われている。
『まぁ、これ以上自分と同じ境遇の者を作らぬように考えたのだろうよ。しかし、本当にキョウで間違いはないのだな?』
「バフォメル殿が自ら東大陸に出向いて魔人族に憑依し、実際に見てきました。銀髪に黄金の瞳。間違いなくあの時の闇の勇者だったそうです。」
異世界から闇の勇者として召喚されたキョウは、自分の信念のもとにこの世界で生きようと足掻き、この世界の神を名乗る「世界の管理者」の一柱によって殺されてしまった。
彼女の死を目の当りにして怒り狂ったロウが「神域」で暴れ、世界中を厄災の渦に巻き込もうとしたのだが、他の「世界の管理者」達がそれを止める対価として、キョウを再びこの世界にダークエルフ族として転生させたのである。
あれからどれ程の時が過ぎたのであろうか。
短命な人間族の知り合いは既に亡く、長命種の者でもすでに鬼籍に入った者もいた。
時が過ぎゆく中で、変わってしまったもの、それが何であるか判らぬほどに遠くへ行ってしまったものなどが記憶の闇に沈んでいた。
それでも変わらぬものはあった筈なのに。
『まったくキョウの奴め。この世界で魔王を名乗るとはいったい何を考えておるのか・・・。』
ロウは誰に言うでもなくそう呟くと、憂鬱そうに眼を閉じるのであった。




