31.願い
この世界で羽を持たない人族が自ら空を飛ぶという行為は不可能であるとされている。
魔法士達は古くから空を飛ぶ魔法や魔道具の開発に取り組んできたのだが、これまでにその成果はなく、召喚士や魔獣使いといった特定の者が飛竜や天馬、四翼鳥などの従魔に乗って飛ぶしかなかった。
それ故この世界で空は未開の場所となっており、ロウの塒である浮遊島も人族にとっては下から眺めるだけの未知の場所なのである。
不死鳥フェニックスの背に乗ったキョウとキノは、不死竜ヒュドラのロウと従魔契約を結んでいるという『白銀の天女』に会うため西の国ソシラン王国へ向かっていた。
昼夜問わず休むことなく飛び続ける不死鳥に乗っていけば、十日ほどでソシラン王国に着いてしまうという。途中の休憩もあるだろうが驚異的な速さである。
フェニックスの背で少し冷たい風を頬に受けているキョウは、眼下に広がる新緑の大地を熱心に眺めている。だが、頭の中では神域に置き去りになったロウを助け出すことが出来る、この世界で唯一の人物である白銀の天女の事を考えていた。
白銀の天女。
言わずと知れた「泣き虫ティノ」の事である。
アイザノク共同学院を卒業したティノは、オヌワーズ辺境伯の推薦もあってソシラン王国軍の従魔使いとなり、辺境警備や魔獣氾濫の鎮圧などで着実に功績を積んでいった。
相棒である白銀の従魔、幻獣グリフォンを駆って戦場の空を制する姿は、ティノの銀髪と相まって「白銀の天女」と二つ名で呼ばれるのに然程時はかからなかった。
やがて国軍でも認められたティノはソシラン国王より男爵に叙され、積年の願いであった生まれ故郷の町の統治を拝命したのである。ヴァルドアス領の復活であった。
ティノはロウを再召喚するための方策を探しながらも良く領地を治め、四年後には学院生時代から親交のあったユリアナの兄でもある次期オヌワーズ辺境伯ノートス・オヌワーズと婚姻を結んだのである。
そう、オヌワーズ家という巨大な権力と人脈を手にしたティノは、夫であるノートスに事情を全て話しロウの痕跡を根気よく探してファーレン王国に辿り着き、ここ数年何度もラフレシア女王とやり取りしながらロウの召喚方法を模索していたのだ。
因みに義理の妹となったユリアナは、やはり学院時代の同窓生であった錬金術科出身のスタイナーと結婚し、彼の領地へ嫁いでいる。
ティノがいるオヌワーズ領は王国の北西部にあり、強力な魔獣が跋扈する『魔境』と接した僻地であった。領内には領兵一万と王国軍が五千で計約一万五千の兵が駐屯し、外国からの侵略や魔獣の氾濫に備えて警戒警備を行っている。
外敵に囲まれたこの地の運営は非常に難しく、常に緊張を強いられているにも拘らず、初代から四代目となる当代の治世となっても、外敵からの侵攻を一度たりとも許さず、そのに住む者たちの安寧を守ってきたのだ。
現当主はノートス・オヌワーズで、妻であるティノとは十四年前に結婚し十歳の嫡子と六歳の娘がいた。
先代は『斬魔の猛将』の二つ名を国内外に轟かせた武人であったが、当代は先代程の個の武名は無くとも智の才は抜きんでており、他国との小競り合いや魔境を這い出る魔獣との戦いでは如何なくその能力を発揮し、自軍を勝利に導いた『智将』であった。
領地運営においても、農工新技術の開発や特産物のブランド化を推し進め、先代以上の利益を領内に齎していることで、領民からは絶大な支持を得ていた。
そんなオヌワーズ家に嫁いできたティノは、中年に指しかかった近年でも若々しいというか、今だ子供っぽい風貌を残しており、街の領民から未だに親しみを込めて「ティノちゃん」と呼ばれている。
(ロウが初めてこの世界で邂逅した人物、しかも天女か。きっと素敵な人なんだろうな・・・)
キョウは何の根拠もなく、まだ見ぬティノの姿を思い浮かべる。もしロウがキョウのこの思いを聞いていたなら、腹を抱えて大爆笑していたに違いない。
◆
この日、ティノはいつも通り従魔であるグリフォンのキュアを連れて、街の外れにある蒸留酒工場を訪れていた。
間もなく三十七歳になるティノは伯爵夫人となった今でも領内の視察によく出かけ、民の言葉に耳を傾けては必要な事、不要な事を判断し、夫と共に領民の生活がより良いものになるよう尽力しているのである。
因みにオヌワーズ領には奴隷は存在しない。
税金を払えぬ者、病気になって働けぬ者、親を亡くした子供達など様々な理由で奴隷堕ちする者がいるが、オヌワーズは農工商の公営企業を複数立ち上げてそういった者達を雇い入れ、正当な賃金を受け取る機会を作っている。
さらに自国内や他国からも定期的に奴隷を集めてきては折を見て解放し、自領内に住まわせている。その殆どが長く非正規の奴隷となっていた者達で、近年の奴隷解放の世相に流されて行き場を無くしたり、持主不在で放棄されていた者達だった。
未開地が多い領内での鉱山資源開発や荒れ地を農地転用したりと、それに携わる労働力はいくらでも欲しいのだ。
ティノが訪れた工場もそんな事業の一環で作られている。
この世界では穀物から酒を造る技術は未熟で大量生産できる環境が整っていない。だが、ロウが学院にいるときに錬金術科のスタイナーと知り合い、偶々酒談義になった時に前世の蒸留技術を語ったところ、彼と共に実際に蒸留釜を作ってしまったのである。
そしてスタイナーは卒業後も自領に戻って研究を続け、より度数の強い蒸留酒を造ることを目指して醸造所を開設したのだが、スタイナーにユリアナが嫁いだ縁で、オヌワーズ領でも蒸留酒造りが伝わったのである。
醸造所で働く労働者たちに声を掛けながら視察していると、外に待たせていた護衛の兵士が慌てた様子で飛びこんできた。
「ティノ様。屋敷付近に大型の飛行魔獣が現れたとの急報です!急ぎお戻りください!!」
「え!?まさか飛竜!?わ、わかりました、すぐ戻ります!」
この領内で、いやこの国内であっても空を飛ぶ魔獣と対抗できる戦士はユリアナの従魔ビャッコかティノのキョアしかいない。グリフォンは飛竜よりも速度は出せないが、小回りが利き空中戦は優位である。事実、ティノもキュアに乗って幾度も飛竜を討伐している。
ティノは駆け足で建物の外へ出ると、待たせていたキュアに飛び乗り、吹き上げる風のように空へ舞い上がっていった。
◆
広げた翼だけでも30メートルはある、白銀と深紅グラデーションが美しい巨鳥だった。虹のように輝く長い尾を靡かせて飛ぶ姿は遠目で見ても飛竜などではなく、もっと巨大でもっと美しい生物なのは間違いない。
(あれは・・・そう、きっと不死鳥フェニックスよ。ロウに聞いたことがある!最初に創造した眷属だって!)
あれは人を襲う魔獣なんかじゃない、ロウの事で何か動きがあったのだと見抜いたティノはゆっくりと旋回している巨鳥に向かって近付いて行った。
巨鳥も近付いてきているグリフォンに気が付いているはずだが、ティノの予想通り攻撃してくる気配はない。よく見るとフェニックスの背には人族の女が二人乗っているのが見える。
キュアにフェニックスと並走するよう指示を出し、ティノは戦場で鍛えた大声でフェニックスに乗る人物に誰何した。
「そこな者達よ!!如何なる理由でオヌワーズ領に入ったか!!!」
すると間を置かず、巨鳥に乗る人物の方からから風音の中でも良く通る涼やかな声が返ってきた。
「ファーレン王国より女王の親書をお持ちした!!オヌワーズ辺境伯夫人ティノ様へお取次頂きたい!!」
(あれが白銀の天女・・・。綺麗・・・。)
「先導する!!付いてきなさい!!」
(やはり!ラフレシア様からのお使いだわ。ロウの事で何か動きがあったのね!)
高鳴る鼓動を感じながらティノは屋敷の方へと先導していった。が、流石にフェニックスほどの巨鳥を着地させる場所は屋敷内には無く、仕方なしに屋敷の横にある湖畔の草原にキュアと共に降り立った。
不死鳥フェニックスはまるで綿のようにゆっくりと、重力など無いかの様に舞い降りて湖畔に着地した。
キュアの背から降りたティノは、目の前の美しい不死鳥に目を奪われていた。空を飛んでいるときもそうだが、不死鳥はその身から陽炎のような目に見えぬ炎を纏っていて、それが光を屈折させ幻想的な姿を醸し出している。
ティノ達が美しい不死鳥フェニックスに見惚れていると、フェニックスの傍に降りてきた褐色肌の女がティノの前まで歩いて来て、ラフレシア女王の友人で貴族であるティノに膝を付いて挨拶した。
「ティノ様、ファーレン王国からラフレシア女王の使いでやって参りました。キョウと申します。」
「キ、キョウさん!?貴女がラフレシア女王様の言っていた勇者様なの?」
「もはや闇の勇者などではありません。一度は死に、ロウのお陰で再びこの世に戻ってきた、ただの妖精族の冒険者。です。」
本当の自分の名を名乗り、跪いて自分を真直ぐ見つめてくるキョウを、ティノは若干の驚きと共に観察していた。
八年ほど前にラフレシア女王と直接会い、サキュリス教の崩壊とそれに関わったロウと闇の勇者の事を聞いた時、ティノは意外と冷静に受け止める事が出来た。
ロウとキョウ。共に異界からの来訪者だという二人が強い絆で結ばれているのは言うまでもなく、神という強大な存在に刃を向けてまでキョウを救ったというロウを、ティノは心底褒めてあげたいと思っている。
また、ラフレシア女王は転生した闇の勇者キョウが、今度は自分がロウを救い出すため日々心と体を鍛え力を蓄えていると言っていたが、彼女のその心意気が本当に嬉しかった。
そして美しく成長したキョウが、金色の瞳に強い意思を宿して目の前にいる。
ティノは嬉しくて仕方がないというような笑顔でキョウに立つよう促し、まずロウの契約者として言わなければならない事を口にした。
「うん。凡その事はラフレシア女王様から聞いています。ふふ、ロウがあちこちで迷惑かけたみたいね、ごめんなさい。」
「いいえ!!ロウは、ロウは私を助けてくれた。見返りもなく無条件で何度も何度も・・・。だから今度こそ自分が助けなければならない。」
「うん、大丈夫!きっとロウは戻ってくる。あのエロ竜がこんな可愛い巨乳さんを放っておく訳がないもの!」
「え?」
「ふふ、まぁ、それは置いておいて。私はすぐにでも出立できます。けど・・・旅の疲れもあるでしょ?二、三日は屋敷に泊って休んでから行きましょ。歓迎するわ。」
「あ、ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます。」
「うん!キノちゃんも久しぶりね!あ、フェニックス!!あなたもロウと同じように変化位できるでしょう?!小さくなって付いて来なさい!」
『・・・ナント我二命令スルトハ、豪気ナ人族デアルナ。サスガハ我ガ主ノ契約者カ・・・。』
いきなり見知らぬ者から命令されるとは思わなかったフェニックスが呆れた風に呟いたが、それでも言われた通りに変化を使ってカナリアほどの大きさになり、キノの肩に止まって目を閉じた。
◆
キョウとティノの邂逅から二十日余りが過ぎ、二人の姿はすでにファーレン王国にあった。
オヌワーズの屋敷に二日ほど滞在した後、一行は疲れを知らぬフェニクスの背に乗って八日ほどでシルファードに到着したのである。
旅の間も二人はどうやってロウを召喚するかについて、何度も何度も話し合ってきた。魔力不足をどう補うのか、ラフレシア女王の言うように神力を魔力変換できるのか、召喚をどこで行うかなど解決しなければならない問題は多い。
移動中にティノの固有能力【魔力最適化】をつかって神力を魔力に変換する訓練をし、キョウは何とかその感覚を掴む事が出来るようになったが、それでどの位の魔力に変換できるのか未知数であった。
そしてこの日、キョウとティノは王都シルファードにほど近いルフェンラノス村の外れにある小さな遺跡の様な建物の近くにいた。もちろんロウを召喚する準備のためである。
この場所にはキョウとティノの他に、ラフレシア女王以下守り人六傑、キョウがいない間も救出部隊をけん引してきたフレンギースと竜人族のセイヤ、魔人族のカミュも来ており、何らかの形でロウと係わり、ロウの帰還を願っている者達が集まった形になった。
ここにいる者全員が、キョウがダークエルフ族のアーミアとして転生していることを知っている。
皆にとって闇の勇者キョウはこの国を救った英雄であり、同胞達を悲惨な状況から助け出してくれた恩人でもあるので、キョウとロウのため、いかなる助力をも惜しまないのである。
つまり、ここにいる全員がロウを召喚するための魔力の源としてラフレシア女王の固有能力【精霊王の契約】の対象となることを了承している。
何日か続けた話し合いの結果、ロウを召喚する場所として選ばれたのが、ロウの「塒」である浮遊島である。
以前ロウは、キョウが何か身を隠す必要が生じたら浮遊島に逃げるよう言い、浮遊島への移動方法としてこのルフェンラノス村にある転移陣の存在を伝えていた。以前、この村に長期滞在していたロウが妖精族には内緒で残していったものだ。
それが目の前にある10m四方の箱の様な建物である。土魔法で創られた建物の床には魔法陣が描かれており、中心部分には真黒な長方形の岩の様なモノが置いてあった。
当初は王都シルファードで召還する事しか考えに無かったのだが、キョウが浮遊島の存在を想い出し、万が一、万が一でも召喚したロウが前の記憶を無くしていて暴れてしまい、シルファードに甚大な被害を与えるかもしれないという懸念も払拭できると転移門の存在を妖精族に伝えたのである。
浮遊島なら妖精族も行ったことがあり、地上より魔素が多いことは判っており、ティノの固有能力【魔力最適化】にとっても魔力を感じやすい都合の良い場所なのだ。魔力枯渇状態であるロウにとっても魔素の多い場所は魔力回復に有利である。
ただ問題は転移陣の起動方法である。妖精族達が浮遊島へ行った時と同じく、一人一人が魔力を通すやり方では起動せず、キョウにしても起動することは出来なかったのだ。
ところが意外な伏兵ティノがあっさりと起動方法を解決したのである。
ティノはにっこりと微笑むと、徐に召喚魔法の詠唱を始め、グリフォンの他にも自分と契約したもう一体の従魔を召喚する。
「天の楽園より我が元へ来よ、召喚ギガドゥール!」
ティノの召喚に応え、背が高く全身鋼の筋肉で覆われた四本腕の鬼獣が召喚された。魔鉄の輝きを持ったブレストプレートに身を包み、やはり魔鉄でできた巨大なハルバードを抱えている。その姿は精悍そのもので、全身から溢れる覇気も洗練されていた。
ギガドゥールは人間族に隷属魔法を施され意に沿わぬ従属を強いられていたが、ロウによって解放されその恩義からロウに忠誠を誓い、さらにはティノを護る騎士として通常の従魔契約も結んだのである。
ティノはギガドゥールに意思を尊重し、基本好きにさせていた。だが、ティノが本当の危機に陥った時に必ず助けに来てくれる立派な騎士でもあるのだ。
ティノはギガドゥールの太い腕をパシパシと叩きながら、親愛の表情で召還に応えたギガドゥールに感謝の言葉を言っている。
周りにいた妖精族達は突然現れた巨人に警戒と恐れを覚えつつも、なぜティノがこの鬼獣を召喚したのか、訝しそうに主従を見つめていた。
「ギガちゃんはね、普段はロウが創った天空の楽園にいるの。でも気が向いたら楽園からどこか別の場所へ行く転移陣を使って地上に降りて、魔獣を狩ったり訓練したりしてるんだって。だからこの転送陣の使い方も知ってるはずよ。」
ティノの言葉を理解しているのかギガドゥールが転移陣に近付き、黒い石碑に触れて暫くすると魔法陣が輝き出す。
次第に強くなる光が魔法陣の中にいる者達を包み込み、ついには視界が真っ白になるほど強く輝いた。そして光が弱まり、周りの風景が見えてくると、もうそこはルフェンラノス村ではなく、二十年前に一度だけ訪れた浮遊島の風景が広がっていた。
「ギガちゃんによると、魔力を通しながら行きたい場所の風景とそこにある魔法陣を想い浮かべるんだって。自分が住んでる場所だもん。当然帰ってくるなんて簡単だわね。」
呆然とする一行を余所に、ギガドゥールの腕をパシパシ叩きながら、相変わらず笑みを浮かべてティノがのほほんと話す。
そんなティノの言葉も耳に入らず、初めてこの場に来たカミュや一部の妖精族は勿論、一度来たことがある者も二十年前と変わらず、いや、あの時より一層緑が濃く、様々な生き物たちの生命力を感じる浮遊島の風景に誰もが感動していた。
「我々が活性化したこの場所がより美しく、より生命力に溢れ成長し続けている・・・。」
ともあれ、ギガドゥールの案内でルフェンラノス村に待機していた、戦で一緒に戦った戦士やロウによって奴隷身分から救われた者達も浮遊島に転移してきて、最終的には総勢180人余りの人族が集まったのである。
◆
浮遊島では続々と浮遊島に上がってくる人族達をキノが見守っている。ソシラン王国とファーレンを往復し、一足先に浮遊島へと戻るフェニックスに同乗してここに来ていたのである。
ロウの眷属達は、全員が主が神域から戻るべき場所はこの浮遊島であると強く思っている。主との繋がりが途切れたあの日から、自分の存在も消えてしまうのではないかという恐怖をずっと抱いていたのだ。
あの日、キョウの危機を感じ取ったロウはキノを置いて現場に向かい、そして眷属契約を結んでいるキノですら感知できぬ別の領域へ行ってしまった。
主がいなくなった眷属は徐々に力を失い、朽ちていくしかない。例えそれが数百年単位だとしてもいれはそうなってしまうという恐怖を初めて自覚したのである。
そして取り残されたキノはファーレン王国で、何もすることが無くただ主を待つだけの無為の時を過ごしてきた。
転機があったのはロウが消えて数年が経った頃であった。
一度変化を解いて魔剣に戻ってしまったら、ロウから魔力を貰わなければ再び人型に戻れないかもしれないと思い、これまでキノはずっと人型で過ごしてきた。
だが、ある日突然にただ主を待つだけの日々にどうしようもない虚しさを覚え、考えるのを止めようと元の魔剣の姿に戻ったのである。
その瞬間、キノの魔力は極端に減少した。
当然である。ロウの近くにいれば魔力の交換だけとなり極端な魔力減少は無いが、魔力を返す相手が同じ領域にいなければ渡された魔力は霧散してしまうからだ。
魔剣であるキノは元々使用者の魔力を貰ってその能力を発揮するので、初めて人化した時もロウの魔力を貰わなければ変化出来なかったように、剣自体が大きな魔力を持つことはないのである。
ところが、剣の状態となり魔力が極端に減少したキノはいきなり浮遊島に転移してしまったのだ。
キノはその理由を聞かされていなかったが、ロウは自分の眷属達に浮遊島への帰還魔法陣を与えており、発動条件を生命力と魔力の極端な減少としていたのだ。
眷属達の生命を脅かす事態、つまり死にかけた状態や魔力枯渇状態になった場合に、強制的に拠点へ戻る転移魔法である。それゆえキノの魔力減少を危機状態と感知して魔法陣が発動したのである。
何が起こったか理解できぬまま剣の姿で横たるキノの元に、浮遊島に転移したモノの気配を感じ取ったのか、転移魔法陣を護るギガドゥールが近付いてきた。
お互いロウの眷属同士である。意識だけで自分が置かれた状況を伝え、ギガドゥールから魔力を分けて貰ったキノは再び人型に戻ることができた。
これがキノと他の眷属達の邂逅である。
主の置かれた状況を他の眷属達に伝えたキノは、人族の間でロウを救い出す手立てが見つかれば協力してもらうという約束を取り付け、不死鳥フェニックスに送られてファーレンに帰国したのである。
あれから十数年。漸く主が戻ってくるのだとキノは喜びに打ち震え、大声を上げて叫びたい衝動を必死に抑えていた。
キノが両腕を天に向けて伸ばし、仲間の眷属達に呼びかける。
『さぁ、ロウ様に仕える仲間達よ。漸くこの日が来たのだ。出でよ、我々の主を呼ぶための「糧」と成るために。』
◆
ロウが常々言っていた「寝そべったら最高の」湖畔の草原に、地上から来た人族全員が集合する。
一列目にティノを中心としてキョウとカミュが並び、第二列にはラフレシア女王を筆頭にフレンギースや六傑、竜人族のセイヤとゼロフトが半円に並んだ。さらにその後ろに妖精族や獣人族、人間族が並んでいた。そして対面にはロウの眷属達もキノの背後に集まっている。
彼らの注目を一身に集めているティノは、ロウからもらって以来片時も離さなかった腕輪を胸の辺りにおき、もう一方の手を添えて目を閉じていた。
初めて会った時の小さなロウ、背中に乗せてくれた黒狼姿のロウ、レミダの街を救ってくれた大きなロウ。ティノは今でもロウの姿を鮮明に思い描く事が出来る。
(ロウ。みんな待ってるんだからね!さっさと戻ってきなさい!)
目を開けたティノが横に立つキョウを見て微笑む。
キョウの指先がそっとティノの腕輪に触れた時、召喚の詠唱が始まった。
それと同時にキョウは神力を解放する。キョウの身体からユラユラと揺れる陽炎の様な光が立ち昇り、その光は余さずティノの腕輪に吸い込まれていった。
ラフレシア女王も固有能力【精霊王の契約】を発動し、周囲の人族から少しずつ魔力を分けてもらってティノの腕輪に送り始める。
召喚の準備詠唱が淀みなく流れ、ティノの腕輪が輝き始める。ティノはそのままゆっくりと腕を前に突き出してさらに腕輪に魔力を通し、ロウが自分の元に戻ることを強く願った。そしてロウと過ごした短くも濃密な、自分を変えたあの日々を思い出す。
腕輪の魔法陣がこれまでにない輝きを放ち始める。その光は徐々に広がりを見せ、やがてティノの目前に巨大な光の魔法陣が浮かび上がった。
具現化した魔法陣が空中でゆっくりと回転しながら徐々に地表へと降りていく。そして地面に接しようとしたその時、魔法陣の中から別の魔法陣が一つ、二つと上空に向かって放たれ、円筒状の巨大な光の柱が出来上がった。
魔法陣はそれぞれが思い思いの方向に回転し始める。
「理の中に生まれし魂と魂が結び、百花繚乱たる一つとして、我が今生の友として、世に我の求める姿となりし汝を誘う。我が声に応え我が魂に触し、我が元に来よ不死竜ヒュドラ!我が元に戻れ、ロウ!!!」
光り輝く魔法陣の中では幾つもの光球が舞い、揺れ動き、その数が次第に増殖して魔法陣の円筒の中を飛び回っている。。
それはここにいる全員の希望、願い、そして思いに反応した魔力が具現化した姿。よく見れば集まった人々の身体から光球が湧き出てきていた。
数を増やしていく光球が一か所に集まり、次第にあるものの形を成していく。やがて灯が消えるように光が治まると、そこにあったのは九つの首を持つ巨竜の石像、石化してしまったロウであった。
予想通り、神域からの召喚に成功したのだ。
しかし、召喚の成功に歓声を上げた者はいなかった。誰もが沈痛な表情で巨大な石像を見つめてるた。
皆が見上げる石像のロウは背中の羽は折れ、顔の下半分を失い、鱗が剥がれた様相の石像は余りにも痛々しい姿で、なぜこんな姿になってしまったのかと見ている者は息を呑んだ。石化する直前の、実際に傷付き、体の一部を失っていたロウの生々しい姿を見ていたキョウは思わず目を背けてしまった。
召喚に成功したものの沈んだ空気が周囲を満たした。そこにいた誰もが不死竜ヒョドラさえもこれほどの傷を与えた神の力、神域での戦いの激しさを垣間見たのだった。
だが、じっと石化したロウを見ていたティノはその変化に気が付いた。石像が砂のように粒子状に分解し崩れ始めたのだ。周りの者もそれに気付き、突然の変化に誰もが戸惑っている。
尾と羽の先から石像が砂埃のように飛び散っていく。それが九つの頭の中の一つが崩れた時、頭の中から一つの丸い光体が現れてゆっくりと天に向かって昇っていった。封印が解かれたサキュリス神の残渣であろうか。
やがて最後に残った頭が崩れ粒子となって舞い上がっていくと、石像だったものは完全に消失してしまった。
いや、完全にではなかった。舞い散る粒子の中に一際大きな黒い塊が、空中に静止しているのが見える。
やがてそれはゆっくりと降下してきて草原の上に着地するとモゾモゾと動きだし、一対の羽、長い尻尾と首、短い手足を目一杯伸ばして大きく伸びをした。
それは皆が見慣れた、小ドラゴン姿のロウであった。
「グアァァ・・・」『よく寝たな・・・』
「ロウ!!ロウ!!!」
『ん?』
「良かった!戻ってこれたのね!よがっだ・・・よがだ・・・」
ロウが呼ばれて声の方を見ると、小さな二人の子供が足にしがみついている中年と呼ぶにはまだ早いような歳の女がボロボロと涙をこぼして立っていた。
背は低く短く肩の上で切り揃え銀髪が風に揺れている。そしてその背後には漆黒の翼を持つ幻獣グリフォンが控えている。
『この泣き声・・・なんと!お前は泣き虫ティノではないか!おおう!キュアも一緒か!!』
「ロウ!いつもいつも!!心配ばかりかけて!!」「クルゥゥゥゥ!!!!」
『いやいやいやいや待てぃ!そんな事よりその隣にいる子供はティノの子供か!?』
「ご、ごこらぁ!そんな事とは何よ!!心配じだのに!!うん、私の子よ。結婚して生まれたの。名前は・・・」
『で、でかした!ティノ!これ子供よ、名は何というのだ?お腹は空いてないか!?飴ちゃん食べるかああああああ!?』
「こ、こ、このバカ竜!!!最後まで私の話を聞きなさい!!」
ロウを叩き落そうとするティノの手が虚しく空を切り、それを躱たロウは脇目も振らず子供達の前に高速移動して、手で触ったり触手を巻きつけたりして、ティノの子供にドン引きされている。
大騒ぎで子供に纏わり付いていたロウだが、背後から向かってきた何とも言えない気配に突然ビクン!と硬直した。身に危険が迫ったという予感、防衛本能である。
「きゃ~~~~~ん!!!ロウちゃ~~~ん!!!」
『あ、危な!!』
「ちっ・・・躱したわね・・・」
ロウは突撃してきたラフレシア女王の両腕を間一髪のところで躱し改めてそちらを見ると、ブツブツ文句を言う女王と、成長して大人の女性に変わった魔人族のカミュ、弾けるような笑顔を見せる竜人族のセイヤとゼロフト、全く様子が変わらないフレン、妖精族の守り人六傑、その他大勢の人族達がいた。
反対側には・・・こちらに駆けてくる紅いドレス姿の魔剣キノ、咆哮をあげる六眷属達がいる。ロウの影から飛び出したシャドウアサシンは両腕を前に伸ばし、逆に眷属達の方へ走り去って行った。
ロウはもう一度辺りを見渡し、ここが自分の塒の浮遊島であること理解する。
見慣れた風景にようやくティノが己を召喚し、この世界に戻してくれた事に気が付き、プンプンと泣きながら怒っているティノに礼を言おうと視線を向けた時、彼女の後ろに震えながら立つダークエルフの女性に目が留まった。
ロウはダークエルフの女をほんの一瞬凝視し、そして何の気負いも気兼ねもなく、ごく自然にその名を呼んだ。
『なんだ、キョウではないか。どうした?そんなに陽に焼けて。日サロでも行ったのか?』
「っ!ど、どうして、どうして私が響だと・・・」
『キョウはキョウであろう?まぁ、日サロというのは冗談だ。無事ダークエルフに転生出来たようだな。働いた甲斐があったわ。』
「ロウ・・・ロウ・・・ごめんなさい・・・あ、ありが・・・と・・・」
ロウが迷いもせず「キョウ」と呼んだとき時からもう景色が滲むほどに涙が溢れている。終いにはキョウは両手で顔を覆い、そのまま俯いて泣き出してしまった。
本当はすぐにでもロウを抱きしめたいのに、姿が変わってしまった自分が判るだろうか、二十年も閉じ込められるきっかけを作った自分を許してくれるだろうか、とキョウの心は散々に乱れていたのである。
それが一瞬で消し飛んでしまい、安心したキョウは涙を耐える事が出来なかったのだ。
そんなキョウの目の前までゆっくりと飛んで行ったロウは、背中の触手を伸ばしてキョウの頭を撫でてやる。
『キョウよ、湿っぽいのは無しだぞ。我はキョウとの約束を守らなければならぬ。そのために必要な事だっただけだ。』
「でも!私のせいでロウは!!二十年も!」
『ん、二十年?たったの二十年ではないか。我にとっては瞬きにも等しい程度の時間なのだ。』
泣きながらロウに激しく感情をぶつけてくるキョウを優しき諭すように宥め、まるで些細な事しか起っていないかのように語るロウである。
時が経ってもロウは全然変わっていなかった。相変わらずいい加減な口調で、それでも相手に余計な心配を掛けぬよう気遣い、少し照れくさそうに横を向いて話している。
そんな様子を周りで見ていた全員が、以前と何も変わらないロウの帰還を喜んでいた。
『だが、キョウよ。我はあの空間で殆ど魔力を使ってしまってだな。暫くは元の姿には戻れそうもないのだ。』
「うん・・・うん・・・」
『今の我はゴブリンよりも弱いかもしれん。当分の間この身を護ってくれる者が必要なのだ。頼んだぞ。』
「うん・・・今度は私がロウを護る。絶対に守るから!」
キョウはこの世界に転生してから初めて本当の笑顔を浮かべ、力一杯ロウを抱きしめたのであった。
『おおう!おっぱいラッキーwww』
「へ?」
「こ、このド変態エロ竜!!キョウちゃんから離れなさい!!!」
「クルゥゥゥ・・・」




