3.契約
ソシラン王国とレジンドラ王国の国境付近、ソシラン王国の王都から馬車で五日ほどの距離に、レミダという街がある。
政治的にソシラン王国に属する都市レミダはアイザノク共同学院とメサイナ神教学園の二つの学舎を中心にして発展してきた学術都市で、両国間の交通の要所である西大陸街道沿いに位置していた。
この街の中心でもあるアイザノク共同学院は、国境を接するソシラン王国とレジンドラ王国、そこにノガバン連邦国が加わり、人材育成のため三国で共同設立した学院である。
所属、貴賤、種族を問わず、優秀な者なら誰にでも門扉を開き、『学院生』という平等な身分で学ぶ事が出来る学校なのだ。外交的な意味でも、この学院で共に学んだ仲間が各国に戻り、政治の一端を担うことで三国の友好関係維持にも寄与していた。
此処には戦術部、魔法部、生産部、選択部、一般部の五つの学部があり、さらにその下に十三の学科に分かれ、入学した者の適正に合わせて教育を行っている。
戦術部:騎士科、剣術科、体術科(戦闘技能、戦術を習得する)
魔法部:魔法科、魔法研究科、召喚術科(魔法、召喚に関する技術習得、研究を行う)
生産部:錬金科、鍜治科、薬師科(各種生産技術の習得、および研究を行う)
選択部:複合選択科(上記の複数を組合せ相乗効果のある技術を習得する)
一般部:商業科、自然学科、考古学科(各学科で専門分野の知識を習得する)
在学期間は三年。各学科三十人から八十人で構成され、述べ2,500人が学ぶ巨大な学院なのである。
一方、メサイナ神教学園は、女神メサイナの加護の元で神聖魔法を学び、大陸全土で怪我や病気の治療を一手に引き受ける神療神殿やメサイナ教の神殿に配属されていく。
神聖魔法を学ぶ者には適性が必要であり誰にでも使える魔法ではないのだが、神聖魔法以外でも治療魔法、回復魔法、解毒魔法なども教えており、こちらの学園にも1,200人もの学生が在籍していた。
勿論、こ二つの学舎だけではなく、ソシラン王国の冒険者組合、魔法士組合、従魔組合、薬師組合、商業組合の支部が置かれ、盛んに活動が行われていた。
更には卒業後もこの街に留まり、各国の依頼を受けて魔道具や古代遺跡の研究を行う機関に入所するものも多い。
何故なら、レミダから大陸街道の裏街道と云われる森の中の道を十日も歩くと『魔境』の南端に到達する。つまり『魔境』にもほど近いこの街は、研究に必要となる様々な素材を集めるには最適な立地にあるのだ。
◆
レミダの街から、歩けば半日はかかる場所に古い遺跡がある。人気のない森の中にあるのだが、西大陸街道からさほど離れている訳ではなく、獣を求める狩人や、薬草採取などの依頼で森に入る冒険者たちが偶に休憩所として利用していた。
この崩れかけた遺跡の裏側で、一つの影が平坦な地面の上に石粉を撒いて複雑な魔法陣を描いていた。
濃い茶色のフードからは少しくすんだ銀色の髪が覗いている。小柄な身体つきはまだ少女のようである。
(もう後がないわ・・・)
彼女はアイザノク共同学院に通う学院生で、『召喚士』の見習いである。
召喚士とは、文字通りこの世界にいる神獣や魔獣を呼び出し、自分に従わせて戦いを行う者達であり、呼び出せるモノは自分の能力、練度によって異なる。また、野にいる魔獣と戦い屈服させたり、共に生活して信頼関係を得て契約するという魔獣使いという職もいるが、召喚士は基礎体力が低いので成功するのは稀であった。
召喚士や魔獣使いの中にはワイバーンと呼ばれる飛竜や、オーガという人型魔獣を数体同時に使役して戦場を駆け巡る強者もいるが、それはほんの一部であって殆どの召喚士は人族より多少力が強い魔獣を使役することしかできず、正直微妙な職業である。
彼女は王国の東に位置する小さな町の出身で、身分は一応貴族家の出ということになる。当時王国騎士団の一騎士だった父が、二十年前に起こった辺境領にある死者の迷宮氾濫事件で多大な功績を立て、その褒賞として出身地の町の統治を任された。所謂、領地として与えられたのだ。
小さな町ではあるが、温暖な気候で農作物の育ちも良く、革製品と麻糸の生産技術があるため、比較的裕福な町である。
領主と言っても一つの町を治める郷士のようなもので城や大きな屋敷があるわけでなく、少し大きめの普通の民家に、父に仕える三人の従士と、家事を頼んでいる女二人の計五人が家臣団の全てである。
母親は幼い頃に早逝してしまったが、この小さな家臣団に囲まれて領主の娘として何の不自由なく暮らしていたのだった。
その生活が変わったのは三年前。突然父親が病死したのだ。前日まで全く健康で病気知らずだったにも関わらす、その日の朝、時間通りに朝食を取りに来なかった父はベッドの上で冷たくなっていた。
突然の肉親の死に追い打ちをかけるべく、国からは領主死亡による所領の返還を求められ、行き場をなくした彼女は途方に暮れる。この町は父の褒賞で与えられたので世襲ではないのだ。
町の新しい領主となったエデルザン伯爵から面倒を見てやるからと申し出があったが、それは自分の身体を求める伯爵の、暗に妾になれという申し出なのだと気付かぬほど能天気な彼女ではなかった。
このまま伯爵の領地にいてはと身の危険を感じた彼女は、家や家財を全て売り払い、身辺を整理したうえで父の友人の伝手を頼り、王都の国立学院の門を叩いた。貴族の権力が及ばない、唯一の場所がこの学院なのである。
そして彼女は、毎年数人しか採用しないという難しい奨学試験に合格して学院に入ることはできた。しかし、これで当面の危機は去ったと上機嫌で受けた入学直後の適性検査で示された適性が『召喚士』であったのだ。
彼女が学院で学び始めてすでに一年と半年、つまり教育課程の半分が過ぎたが、いまだにまともな魔獣の召喚に成功したことはない。
これまで召喚できたのはスライムやボーンラビットといった知能の低い小型魔獣だけで、大きいものではガルアードという鹿に似た魔獣の召喚に一度だけ成功したが、召喚後の契約に失敗して暴れだし、騎士科の生徒に討伐されてしまった。
同級生らはすでに自分の召喚獣を持っており、クラストップのユリアナは【ビャッコ】という一対の羽の生えた四足歩行の白い魔獣を従えている。模擬戦では騎士科の生徒が束になっても敵わなかったほど強かった。
魔法も碌にできず、唯一の適正である召喚も上手くいかない。そんな彼女は今季召喚術で何らかの成果を挙げなければ、能力なしと見做されて強制退学させられてしまうのである。
だから彼女は学院の休日になると、ひとり街の外に出て召喚魔法を練習している。何体が魔獣を呼び出すも、結果はやはりスライムやサンドボアといった下級魔獣ばかりで召喚術が上達する様子はなかった。
本来、こんな人気のない森でたった一人で召喚術を行うのは危険である。契約に失敗すれば召喚した魔獣に襲われる可能性もあるからだ。しかし切羽詰まった彼女の頭ではそこまで気が回らなかった
(これで最後!もう一度だけやってみよう・・・)
地面に書いた魔法陣に両手を翳し、召喚魔法の詠唱を始める。
少女の魔力に魔法陣が反応して淡い光を放ち始めると、やがて光は中心で収束していき、一つの形をとり始めた。今までにない大きさだった。
(え?もしかして上手くいった?)
やがて光が収まってくると魔法陣の中心に体長2mはある四足歩行の獣が現れる。灰色の固い毛皮を持つ狼型の魔獣ロックウルフだ。
「やった!成功だわ!あーーー!やっとできた!」
嬉しさを全身で表しピョンピョン跳ね回って喜んでいたが、突然背筋が凍るような殺気を感じて動きを止め恐る恐る振り向くと、魔法陣の中心にいるロックウルフは自分を呼び出したことに怒っているのか、召喚した少女を睨み付けていた。
「ちょっ、まって!今から契約を・・・」
「GAAAAAA!!!」
ロックウルフは少女の言葉を遮るように咆哮する。ここにきて少女は契約に失敗した時のことに思い至った。
(襲われる!)
もはや契約どころではない。少女は涙目になってジリジリと後ずさる。やがてロックウルフもゆっくりと歩きだし、魔法陣の外側に前足を置いた。
◆
奇跡の迷宮脱出劇から一ヶ月。ヒュドラは心から自由を満喫していた。
二百年に渡り迷宮創造主として暗い洞窟に閉じ込められ、迷宮内での人族と魔獣の戦闘を覗いているか、創造主部屋で自分が【創造】した魔獣と戦うこと以外楽しみなどなかったのに、今はこんな風に自然を、自由を感じているのだ。
さすがに巨大な九頭竜のままでは目立ってしまうと思ったのか、固有能力【変化】を使って思いつくままに様々な魔獣の姿になったり人型になったり、そして今は体長70cm位のドラゴンの幼体姿で森の中を徘徊している。
時々出会う魔獣達は、小さな竜から溢れ出る魔力を恐れて近付いてくることはない。
ヒュドラは生い茂る樹木の中から、実を付けているものや綺麗な花を咲かせているものを、片っ端から亜空間世界へ放り込んでは浮遊島へ転送移植し、小動物や虫、魚や鳥も強制的に移動させている。浮遊島の自然環境を充実させようという考えからだ。
転移魔法陣を駆使して、ずいぶん多くの動植物を浮遊島へと送り、自然環境の充実を図っている。
迷宮に設置していた魔素凝縮石も四十九個すべて回収してきたので、浮遊島の各所へ設置しているから魔素濃度も期待以上のレベルまで上がっていた。この状態であれば、「上」にいる六眷属達も問題なく生きていく事が出来る。
それまで樹木の間を自由気ままに飛んでいたヒュドラだが、不意に森を突き抜け、上空に向けて飛び出した。空中静止して周囲を見渡してみると、遥か遠くにそれなりに大きな街があるのに気が付く。
(この世界の事も知っておかなければならないし、久々に人間らしい生活もしてみたい。取りあえず行ってみるか。)
そう呟くと少しだけ高度を下げ、街に向かって飛んで行った。
そのまましばらく飛んでいると、下の森から少し強めの魔力の流れを感じたので、そのまま空中に静止してその発生元を探してみる。すると少し街道から離れた開けた場所に、中々上手に描けた魔法陣と召喚された魔獣、そして魔獣を召喚した召喚主の姿が目に入った。
魔法陣。古代魔法では、魔力を使って空中に魔法陣を描く事で魔法を発動させるのだが、人族の間ではこの魔法が既に失われており、詠唱という形で魔法を発動している。ただ召喚魔法は詠唱では発動できないようで、あのように地面にわざわざ陣を描いて術式を完成させているようだ。
上空から眺めただけで、我は何が起こっているのか状況を正確に把握する。召喚魔法が発動しているのに隷属魔法の気配がない、つまり契約に失敗したか隷属魔法もできないうちに襲われていることだ。
似たようなことはヒュドラも経験があった。
迷宮の階層主をスキル【創造】で生み出す際、姿形の参考までにとスキル【古代魔法:召喚】でドラゴンを召喚してみたのだが・・・。
呼び出したのは翼をもつ翼竜だったが、ヒュドラという格上の神獣を目の前にしてパニックとなったのか、いきなり炎を吐いてヒュドラに襲いかかっていったのだ。知能が低い魔獣を召ぶ場合、隷属魔法や魅了など併用しないと召喚した魔獣と契約できない場合があることをこの時初めて知ったのである。
眼下では灰色の狼魔獣が今にも少女へ飛び掛からんとしていた。
(おそらくあれと同じ状況だな・・・。)
迷宮では創造主としての本能のせいか、間接的ではあったとはいえ散々人間達を殺し、その死に対して後悔も慚愧もあるわけでもなく、むしろ人間は自分の命を狙う敵としてその命を奪うことに専念してきた。
しかしそんな環境から解放された今、百数十年前の、どこか心の隅に残った『人間らしさ』が、あの少女を助けろと囁いていた。
上空からロックウルフに向けてスキル【威圧】を放つと、狼の魔獣は体を硬直させて動きを止め、恐る恐るという感じでこちらを見上げてきた。
かの魔獣の目に宙に浮くモノの姿がどのように映ったかは分からない。その目に浮かぶ絶望と恐怖は、小ドラゴンの背後に本来の九頭竜姿を映しているのであろう。考えてみれば哀れな魔獣である。人間によって勝手に見知らぬ土地へ呼ばれ、絶望とともに死んでいくのだから。
目の前に展開した青の魔法陣から氷の槍を出現させると、肉眼では追えないほどの速度で狼に向け放つ。狼の首のあたりを貫通した槍は、一瞬で魔獣の命を奪い取った。
◆
ゆっくりと下降し、地面に横たわる少女の傍らに静かに降り立つ。少しヒュドラの威圧の影響を受けたせいか目を回して気絶していた。
年の頃は十五、十六といった所か。無造作に切り揃えられ、余り手入れはされていない銀髪は涙でグシャグシャになった少女の頬に貼りついている。
「んっ・・うぅぅぅ」
暫く触手でほっぺたを突いていると、ようやく少女は気が付いて薄目を開ける。
寝ていたわけでもないのに寝ぼけたように目を擦りながら上体を起こすも、思考が追い付いてこないのかぼーっとして座ったままだ。
やがて周囲を見渡し、傍にあった魔獣の死体を見て再び恐慌を起こす少女。
「きゃあぁぁぁぁぁぁ!!!」
四つん這いで這うように逃げようとするも、覚醒したばかりの身体では思うように動かず、すぐに手足を縺れさせて転がってしまった。そのままジタバタと手足を動かしているが、一向に前に進む気配はない。
ヒュドラは目の前で醜態を晒す少女に呆れつつも、触手を伸ばして少女が身に着ける革ベルトを掴んで空中に持ち上げ、念話で彼女の頭に直接話しかけた。
『落ち着くのだ。狼は我が倒したから安心するがよい。』
突然頭の中に響く声驚き、少女の動きがピタリと止まる。キョロキョロと周囲を見渡し、やがて宙に浮く自分と浮かしている小さな生物の位置関係を理解すると、再び騒ぎ始めた。
「いやぁぁぁぁ!!!食べないで!私美味しくないから!!だめぇぇえ!!」
『・・・我の声が聞こえていないのか?喰ったりなどしないから落ち着けと言っている。』
「え?ど、ドラゴンが喋ってる!?え、え?ドラゴンの子供?え?」
『まだ混乱が収まらぬか。まず、自分の命が助かったこと、我に敵意がないことを早々に理解せよ。』
「はっ!はいぃぃ!!」
少し強い意識で念話を飛ばすと何とか少女の恐慌は収まり、大人しくなった。触手を操り地面に降ろしてやるも、少女の膝はガクガクと震え、いまだ目の前のドラゴンに恐怖していることは明らかである。
それでも腰のベルトから短剣を抜き、両手で握りしめながら小ドラゴンと対峙した。
『全く、助けてやったというのに剣を向けるか。この世界の人間は恩という言葉も知らぬようだな。』
「え?あ、ドラゴンさんが助けてくれたんですか?私、食べられちゃうんじゃないの?」
『ふむ、我はこの世界にきてから人間はおろかモノを食したことなど一度も無いわ。』
「ほ、本当に?食べたりしない?ドラゴンさんは肉食じゃないの?」
『諄い。食べようと思えば何でも食せるだろうが人間を食おうとは毛程も考えぬわ。』
何度か同じような問答を繰り返して、漸く少女が落ち着いてきた。念話とはいえ言葉を理解するほど知能の高いドラゴンであり、自分が召喚に失敗した魔獣から救ってくれたという事に思い至ったのだ。
緊張を解き安心したせいか、腰砕けでその場で座り込んでしまう。
そして次に少女の胸に湧き上がってきたのは、また召喚に失敗してしまった自責と後悔、そしていつもいつも召喚に失敗し、稀に成功しても契約もできない自分の無能に対する悔しさだった。
「ひっく・・えっ・・えぇぇぇぇぇん!!」
少女は終いには泣き出してしまった。今回の召喚失敗で、辛うじて繋いでいた少女の心が遂にほつれてしまったのだ。
泣きじゃくる少女の様子をヒュドラは横に座って静かに見守っている。心が乱れて泣き出した女の子には、どんな慰めの言葉を吐いても無駄であることを思い出し、懐かしくも人心を忘れていなかった事に戸惑っていたのだ。
そんな中、涙を流しながら少女が語り始める。
召喚術が上手くいかない事、退学になるかもしれない焦り、没落貴族と言われて同級生たちからの蔑みの目、父の死の事、大好きな故郷の事。
こんな事を言葉が通じるとは言え人外の魔獣に話すなど自分でも可笑しいと思うのだが、誰にも話す事が出来ず、押し潰されそうだった彼女の心はもう止まらなかったのだ。
◆
『落ち着いたか。』
「ぶぁい。取り乱しぢゃってごべんなざい。ドラゴンさんには関係にゃいこどだったのに・・・。」
『まぁ、少しでも気が晴れたならそれで良かろうよ。』
「ひっくっ、・・・なんでドラゴンさんはじゃべれるの?」
『何だ、そんなことは気にするな。人間の言葉を理解するモノなどいくらでも居よう。それはともかく君は召喚魔法が出来れば良いのだろう?どうだ、我が教えてやるぞ。』
「え?」
『召喚魔法を教えてやれると言ったのだ。人間の使うものとはちと違うかもしれぬがな。』
「え・・・うそ?」
『嘘など云わぬ。我が見たところ、君にはまだ未発達の可能性が残っておるでな。』
名 前:ティノ・ヴァルドアス(♀17)
種 族:人族
状 態:弱混乱
生 命 力:1,700 魔力量:2,200
適性能力:召喚士
固有能力:【魔力最適化(未)】
特殊能力:【召喚魔法】
通常能力:【生活魔法】【魅了(未)】
武 器:魔鉄の短剣【両刃剣】
防 具:革のフード【魔法革】魔法抵抗小 認識阻害中
【魔法最適化】:ユニークスキル
複数の魔法を体内外の魔素を媒体にして関連付けし、一つの魔法として調律する。
彼女、ティノの能力を【邪眼】でみれば、未開発の能力、しかも使い方によっては強力な武器となる能力であることがわかる。当然、それが習得できるかどうかは別の話だが。
こういった能力を習得するには一度目にしたものを繰り返し修練するか、元から持っている能力を昇華させるしかない。
ヒュドラは【古代魔法】の召喚魔法を使えるので、それを習得させようと考えたのだ。
古代魔法とは、いわばイメージと記憶の魔法である。誰にでも習得できる魔法ではないが、ティノの持つ能力【魔力最適化】があれば習得できる可能性がある。仮に習得できなくても、そこに描いてある魔法陣の「間違い」を正し、「あるべきもの」を追加してやれば良い。
「ほ、本当に召喚魔法が出来るようになるのですか?」
『修練は必要だが十中八九出来るようになるであろうよ。』
「え?ええええ!?し、しんじられない・・・」
『ふん、信じられぬか・・・全く人間というモノは・・・』
ため息交じりに呟いたヒュドラは何の事前動作もなく目の前に召喚魔法陣を発現させると、七眷属の内の一体『九尾銀狐』を召喚した。
九尾銀狐。魔獣等級では破滅級に分類される恐るべき魔獣で、個体によっては霊獣に昇華する場合がある。
九つの属性魔法をその尾に纏わせて相手を攻撃し、驚異的な身体能力と幻術で己に向けられた攻撃を無効化してしまうという高位の魔獣で、たった一体でも都市の一つや二つ壊滅させるなど容易であろう。
破滅級とは魔獣等級(脅威度)のことで、四等級~一等級、さらに厄災級、破滅級、神話級と七つのカテゴリーに分けられており、討伐に当たっては相当の技量と経験を持ったものでなければ依頼すら受けることができない。
神話級:国軍+冒険者組合
破滅級:冒険者組合
厄災級:冒険者ランク白金、金
一等級:冒険者タンク金、銀
二等級:冒険者タンク銀、紫
三等級:冒険者ランク紫、赤
四等級:冒険者ランク赤、青
五等級:冒険者ランク黄、青、
なお、魔獣の等級は冒険者組合が長年蓄積してきた経験を元に決められている。
九尾銀狐が現れたことで周辺の空気が一気に変わる。体長5mを超える九尾が纏う魔力は、それほど強大で禍々しいものであった。それでもヒュドラにだいぶ懐いており、浮遊島にいる間は時々傍まで来ては一緒に草原で寝転がっていたものである。
目の前に現れた破滅級の魔獣に怯えて座り込むティノを余所に、ヒュドラは九尾の鼻先まで舞い上がって優しく撫でてやると、九尾は全ての尾をゆったりと揺らしながら気持ち良さそうに目を細めている。
浮遊島での住み心地や、他の魔獣たちとの関係などについて少しだけ念話を交わし、今度は召還魔法陣を発現させると、九尾は大人しく浮遊島へと還っていった。
その様子を呆然と見つめるティノ。
『これで信じてもらえるかな?召喚とは呼ぶモノを鮮明にイメージし、こちら側への道をつけてやれば良いのだ。』
「あわわわわあ・・・」
『・・・別に九尾ほどの霊獣を召べとは言わぬわ。扱いきれぬであろうしな。』
「あ、あなたはいったい・・・は、破滅級の霊獣を呼び出すなんて、まさかそれ以上の・・・」
『ん?我は名がない。そうだ、ティノとはしばらく一緒に過ごすのだから名を付けてくれ。カッコイイのがいい。』
念話ではあるが久々に人語を話しているヒュドラはご機嫌で、ティノに召喚魔法を教えることはもう決定事項のように会話していた。
「え?え?名がないって・・・私が付けるの?」
『自分では付けられぬようなのでな、別に我とティノで契約するのではないから安心してくれ。ん?そうか、人と契約すれば我も人間世界を自由に動けるな・・・。』
「ええっ!!?そ、そんなムリムリムリ!!あなた絶対破滅級以上なのに!!」
ヒュドラの話を聞いているティノの顔がどんどん青ざめていく。破滅級霊獣を使役するような存在と契約など、もし制御できなかったらどんな恐ろしい事が起こるか、想像もできなかった。
『・・・助けてやった恩をもう忘れたか?』
「うっ・・・」
『召喚魔法、教えてやるぞ?』
「はうっ・・・」
一方、ヒュドラにとっては人間と一緒にいれば街への出入りもできるし、何よりこの世界の事を教えて貰えるので、そのメリットは大きい。
人間と交わす契約など、古代魔法の【隷属魔法】を使えばいつでも解除する事が出来るし、そもそも人族が組み立てる程度の弱い魔法でヒュドラの行動を縛ることなどできないであろう。
姿を変える能力【変化】を常に掛けておかなければならない煩わしさはあるが、人の生活に溶け込むのであれば仕方のないことだ。
『分かったならば、早速済ませるか。我の名はどうする?』
「は、はいいいいっ!!ドラ様で!」
『却下。』
「ダークジェネラルサタンドラゴン。」
『長い。却下。それに我はドラゴンなどではない。』
一応不死竜ヒュドラであることは秘匿した方が良いと考えていた。迷宮を破壊して地上に出てきたのだから、いろいろ問題になっている筈である。最悪、迷宮のあったあの国では討伐軍が編成されているかもしれない。
「・・・」
『・・・』
「うそ。」
『今は言えぬが仮の姿だ。ドラゴンにこんな触手など無かろう。』
「・・・」
『・・・』
ティノはドラゴンの背中から生える十本の触手を見つめる。その姿はもしヒュドラが人型であれば、十本の腕を持つ破壊神シム・ロウの再来である。
「ロウ。」
『シンプルでよい。了解した。』
「あ、あの、本当に私と契約しちゃうんですか?」
『ああ、問題ない。我に掛かれば契約などいつでも破棄できるから、自由を拘束されるわけでもないし、何より人間との生活も面白そうだからの。』
「そ、そうなんでしょうけど、私は落ちこぼれで・・・」
『今はな。これから立派な召喚士になればよい。』
「・・・」
『自分を信じろ。ティノは我と出会って幸運だったと、一生涯に渡って思うはずだ。』
ティノの心の中にヒュドラ、ロウの言葉が砂時計のようにじわじわと落ちていく。父が死んで一人ぼっちになってから、たぶん初めて他から受けた信頼に満ちた言葉である。
涙が零れそうになるのを堪え、契約の言葉を紡ぐ。
「汝の御魂は我の元に沿い、我が剣と成れり、我の命運は汝の糧と成りて、更なる上に汝を栄す。」
ティノの身体から白い三ツ星が現れ、ゆっくりとロウに近付いていく。やがて三ツ星はロウの額に吸い込まれ、その痕を鮮明に残した。
名 前:ロウ(隠)
種 族:隠
状 態:平常
生 命 力:(隠) 魔力量:(隠)
能 力:ティノの契約者
呼ばれし者
(隠)
固有能力:【隠】【隠】【隠】【隠】【隠】【変化】【隠】【隠】
特殊能力:【言語理解】【物理魔法耐性】【状態異常耐性】
【隠】【空間収納】【隠】【隠】
通常能力:【威圧】【隠】【隠】【体術】【索敵】【隠蔽】
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名 前:ティノ・ヴァルドアス(♀17)
種 族:人族
状 態:弱興奮
生 命 力:1,700 魔力量:2,200
適性能力:召喚士
ロウの契約者
固有能力:【魔力最適化(未)】
特殊能力:【召喚魔法】
通常能力:【生活魔法】【魅了(未)】
武 器:魔鉄の短剣【両刃剣】
防 具:革のフード【魔法革】
魔法抵抗小 認識阻害中
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「ええええええええええ!?!?!?」
契約が終わった直後、森の中にティノの絶叫が響き渡った。
ティノとヒュドラ、いやロウの間で契約が交わされたことでお互いの情報が共有されたのだが、ロウの能力の異常さに思わず叫び声を上げてしまったのだ。
「ロ、ロウさん、あなたは一体何者なんですか?」
『ん?我はロウだ。ティノの契約者である。それと、名は呼び捨てで良いぞ。』
「い、いやいやいやいや!そうじゃなくて、何なの!?その保有能力の数は!?それに全然理解できないのもあるし!」
ティノにはまったく理解できない言葉で隠されているので、それがどんなものか判らないのだが、ロウの持つ能力の多さだけでも異常だった。
優秀な冒険者なら特殊能力は一つか二つはもっているが、固有能力に至っては持っている者は殆どいない。金・銀クラスでも二つも持てれば良いほうだと教わっていたのだ。
『あまり気にするな。それより自分の能力も判るであろう?』
「え?あああ!!わ、私に固有能力が!?」
『まだ能力が開花していないが、珍しくも優秀な固有能力だ。召喚魔法もちゃんと習得しておる。』
「っ!召喚魔法がある!」
ロウには他の者の情報を見る能力【邪眼】があるので、契約者のティノもその能力の劣化版を恩恵として使う事が出来た。これまで能無しと蔑まれてきたのに、ティノも未熟ながら召喚魔法を習得しているうえ、素晴らしい可能性が隠されていたことが判ったのだ。
勿論、ロウは【邪眼】によってその能力を見抜き、将来有望な「召喚士」であることが分かっていたのだったが。
『言ったであろう?「今はまだ」とな。ティノの【魔法最適化】が発現すれば、ティノでも我の使う魔法も習得できると思うぞ。』
「う、うん!がんばる!」
『では、まず我を街に案内してくれ。どんな街なのか楽しみにしていたのだ。』
「うん!わかった!」
元気よく返事をしたティノは、召喚魔法に使う白い石粉や魔力増強用の杖、魔獣を召喚できた場合に使う餌や万が一のための野営道具などがぎっしりと入った背負い鞄を持ち上げる。
身長が150cm程しかないティノが背負うと、人より鞄の方が大きく見えてしまう。
そんなティノを生暖かい目で見たロウは空間倉庫を開いて、迷宮創造主となっていた間に集まった内容量が見た目よりも大きい鞄を一つ取出してティノに渡す。迷宮内で死んだ冒険者たちが持っていた魔法拡張鞄である。
もはや誰のモノだったかも判らない鞄だが、その鞄は魔獣の革をしっかり鞣して、丁寧に作られていたものだ。中に入っていたガラクタは全て捨ててしまっているが。
『ティノ。これを使うといい。』
「こ、これ!魔法拡張鞄じゃない!なぜロウが持っているの!?」
『ん?迷宮で拾ったのだ。まだ二十個は持っているぞ。』
「はへ?に、にじゅうって・・・ね、ねぇ、ロウ。この鞄いくらか知ってるの?」
『知らぬ。我の「空間倉庫」に比べれば微々たる量しか入らぬ鞄だ。』
「・・・これ金貨五枚は確実にするよ。迷宮で拾ったって、ロウは迷宮生まれなの?」
『ああ。だから外の世界が楽しみで仕方ないのだ。早く行くぞ。』
ロウは固有能力【変化】を使い、迷宮脱出時に使った狼に姿を変える。さっき倒したロックウルフより大きさは一回り程大きいし、全身を覆う艶やかな毛並みは漆黒だった。
ロウが変化する姿を目と口をこれ以上なく大きく開いて、ただ呆然とロウを見ているティノのローブを咥えて背中に放り投げる。
『さあ、しっかり掴まっておるのだぞ!』
「ひぃやぁぁぁぁぁぁ!!!」
漆黒の狼は軽く力を溜めると地面を蹴り、爆発的なスピードで森の中を駆け出して行った。