28.干渉
◇◇◇◇ 時は少し遡る。
ファーレン王国とブリアニナ王国の戦いから七日ほど経った夕暮れ時、王都シルファードはレイストル平原における勝利を祝うため、凱旋した戦士達と共に戦勝の祭りで賑わっていた。戦死者もいるので派手な祭りにはならない配慮がなされているが、王宮までのメインストリートは臨時の露店や屋台が立ち並び、人でごった返している。
戦に行った戦士達が道の中央をゆっくりと行進し、自分たちの国を危機から守った英雄達に向けて住民や都市防衛に残った他の戦士達から惜しみない賞賛が贈られていた。
そんな賑わう街の喧騒が王宮の中まで聞こえてくる。
主役の一人であるキョウは、小ドラゴン姿のロウを膝に乗せ王宮の中庭にあるベンチに座っていた。この中庭は室内が嫌いなロウがいつも寝ている場所で、それを理解している王宮に努める者達は滅多に立ち入らない場所だった。
キョウとロウは敵兵の殲滅より攪乱に徹していたため、ファーレン軍に対するブリアニナ軍からの直接攻撃は殆どなく、ファーレン側の戦死者はこの規模の戦いとしては考えられないほど少ないものだった。その功績は非常に大きい。
だが、ロウはファーレンのためというよりキョウの願いで戦ったので、賞賛だとか褒賞だとかそんなものには全く興味はない。ましてや人族ですら無いロウが大勢の前で姿を曝すなど、考えただけでも御免だった。
同様に、キョウも騒がしいのはあまり好きではない。
公衆が注目する女王の後ろに立ち居心地の悪い思いをしていると、式典の最中だというのにロウがいない事を気付いたキョウは自らも抜け出してロウを捜し、いつもの中庭の芝の上で寝そべっているところを見つけて今の状態に落ち着いている。
静かな、そして心地よい時間が流れている。
こうしてどの位時間が経ったのだろうか。眠ったように動かなかったロウだが、何か思いついたのか突然空間倉庫を開き、中から一振りの刀を取り出した。
以前迷宮に行った時、キョウにアダマンタイト鋼で作った剣を見せた時があったのだが、その時に脇差を作ることを無理矢理約束させられたのだ。シルファードに戻る道中が暇だったので、皆が寝静まった深夜にコツコツと作っていたのだ。
武 器:ヒュドラの牙の刀【短刀】:自己修復、ヒュドラの毒魔法、魔力吸収大
ヒュドラの毒牙から削り出した刀。使用者への精神攻撃の緩和、毒物の感知能力がある。
『ほれ、約束の脇差だ。我の身体の一部であるから自己修復能力はあるが、折れてしまっては修復に時間が掛かる。それと毒の取扱いに注意な。』
「覚えてたんだ。ありがとう、大切に使う。」
キョウは脇差を鞘から抜き、目の高さに翳して白銀に輝く刀身を見て満足そうに微笑んだ。
さらにロウは自分の目玉を刳り抜き、それを圧縮して宝石大に加工した指輪を渡す。これはいわばマーキングで、この指輪の所有者、つまりキョウの魔力を感知している間は宝石に込められているロウの魔力が解放され、宝石のある場所が分かるという魔道具である。
真赤な血の様な色をした宝石だが、それがヒュドラの目だったとは到底思えないほど小さく大豆程の大きさで、派手な装飾は無いのだが台座の緋緋色金の赤身と相まってどことなく上品な装飾品に見える。
魔道具:ヒュドラの目玉【装飾品】 念話中継、外見認識阻害、
不死竜ヒュドラの目を高圧縮し結晶化したもので、強力な魔力を内包し装着者の魔力底上げに寄与する指輪。
本当は召喚の魔法陣を描き込みたかったのだが、ロウの召喚には契約が必要で、今だロウとキノの契約がある以上は他の者と重複して契約は出来ない。つまりキョウがロウを召喚することは出来ないので召喚魔法陣を仕込むのは無意味となるから、その代わりとしていつでも意思疎通ができる魔道具としたのだ。
「・・・ねぇ、目玉って他の言い方ないの?」
『・・・目玉は目玉であろう。それを持っていれば距離によって時間は掛かるが大概念話が届く。キョウに何らかの危険が迫ったら呼べば良い。』
「なんか、きも・・・」
『まぁ、あれだ。気に入らんなら返してもらっても良いぞ。』
「仕方がないから着けててあげるわ。」
何だかんだ言って、キョウは自分の指に装着する。いつも無表情なその顔に少しだけ微笑んだように見えたのは気のせいだったか。
////// /////
そして現在・・・
シルファードの王宮から飛び立ったロウは元の九頭竜の姿に戻り、キョウがいるファーレン王国国境近くの辺境地アストレール渓谷へと飛んでいく。その速度は空の王者飛竜にも勝る速さであるが、それでもロウは焦っていた。
胸の中に拡がる不安、それはキョウに何か良くない事が起こるかも知れないという予感であった。
移動中もロウはキョウに向けて念話を送り続ける。念話は遠距離広範囲に伝えられるものではないのだが、ロウはキョウに中継能力のある魔道具を渡してあったので、距離さえ縮めればそれだけ早く念話が届くはずなのだ。
キョウに渡した指輪の能力でリアルタイムに居場所は特定できる。しかし距離が離れすぎていて中々念話が届かない事に歯痒い思いをしながらロウはさらに速度を上げて行った。
そして何度か試みていた『念話』が漸くキョウに届いた。
『キョウ!!聞こえるか!?キョウ!!』
『ちょっ!いきなり大声で話しかけないの!今それどころじゃないの!』
『それは判っている!すぐそっちに行くからとにかく防御に徹して身の安全を確保するのだ!』
『え?何なの?何を慌ているの?』
『とにかく周囲に結界でも障壁でも全力で張り巡らせるのだ!』
『わかった・・・』
念話での連絡は取れたものの、キョウとロウの距離はまだ遠い。ロウは九つある口から一斉に大気を吸い込み、軽く気合いを吐くとさらに速度を上げて北西の空に消えて行った。
◆
そして、その頃キョウは・・・。
サキュリス正教国のミルガンドという山岳地帯にある町の外れに、高い囲まれた供物所と呼ばれる施設がある。
千人規模の非正規奴隷が押し込まれているこの施設には、駐屯する兵士は二百人いて四交代五十人が常に警戒に当たっている。施設の入口は一カ所だけで外からの襲撃よりは中からの脱走を警戒した造りになっていた。
この建物にサキュリス正教国によって集められた非正規奴隷が収容されている。
キョウ達ファーレン王国の精鋭部隊の五人は、サキュリス正教国に入ってから五日ほど掛けて内偵した結果、漸くこの施設の存在と場所を探り当てた。
これから中に忍び込み施設の詳細調査と、可能であれば捕まった人たちの解放も試みる心算である。
施設への潜入は危険が伴うため、キョウの単独行動である。
この作戦にフレンギースをはじめとする救出部隊の面々が反対したが、キョウの能力が隠密行動に向いている事、不測の事態への対処が迅速にできる事を説明し納得してもらった。本音を言えば、単に足手纏いであったからなのだが。
特殊能力【闇魔法】と【隠蔽】を使って単身施設内に侵入したキョウは、まずこの施設の中枢を襲って指示系統の機能を奪い、この施設の指揮官とその取り巻きを行動不能にすると、交代の兵士が休む兵舎の扉を水魔法で凍らせ、中からは開けられない様に細工した。
続いて施設内に囚われている者達が押し込められている棟に行き、看守を次々と無力化して牢を破壊していく。殆どの者が牢に入れられていただけであったが、中にはその能力の高さから警戒されたかすでに隷属の首輪を装着させられていた者もいたので、ロウが作成した『解放のロッド』を使って難なく外していった。
あとは暴動宜しく各々がサキュリス兵から武器を奪い、数で教国の兵士を圧倒していったので、この施設を制圧するのにそれ程時間は掛からなかった。
その騒ぎを尻目に、キョウは外した隷属の首輪を魔法拡張鞄に仕舞い、さらに施設内で大量に作られていた未使用の首輪も全て回収した。
この施設は隷属の首輪の原型を作る工場でもあったのだ。
もちろん未使用の首輪に隷属紋は刻まれていないが、国が自らこれだけ大量の隷属の首輪を作るとは驚きである。
工場内を隈なく探すと隷属紋を写した半皮紙を見つけたので、これも回収しておく。さらに幾つかの部屋を捜索し、その中の一部屋でキョウは信じられないモノを目にする。
「これは・・・死体に隷属の首輪を?」
部屋の中には人一人が横になれる台が四つ置いてあり、その上には白骨化した遺体が安置されている。しかし、不自然なのはその遺体の首にはこれまで目にした隷属の首輪とは色が異なる黒い首輪が巻かれているのだ。
それぞれの台には頭大のな魔石が取り付けられ、遺体の胸の辺りに埋込まれた魔石と人の内臓の様な器官で繋がれていた。
キョウが注意深く観察していると、白骨化した遺体の指先が僅かに震えているのに気が付く。その瞬間キョウはこのままではいけないと判断し、刀を抜いて遺体の首を切断する。
下の台ごと切断された頭蓋骨が床に転がり、カラカラと音を立てる。首を切断した事で黒い首輪も外れ、内臓の様な器官も外れたため、遺体の指も動かなくなっていた。
キョウは刀の切先で首輪をすくいあげ、魔法拡張鞄に放り込んで部屋を後にした。
黒い首輪の意味を考えつつ完全に制圧された施設内を歩き、捕らわれていた者達が殆ど脱出した事を確認すると、キョウは既に機能を失った防護壁を抜け外に待機していたフレンギースらと合流し、一路ファーレンに向けて退避していった。
今回の脱出経路は、サキュリス正教国の南の国境に位置する『魔境』の一部であるアストレール渓谷を横断し、エルザード大森林の西端に出てから東に戻り、ファーレンを目指す経路である。
正教国内を一旦西に向かって移動するのは教国の目を欺くためで、渓谷内のルートはキョウ達救出部隊しか知らない険しい道であった。
サキュリス正教国にとって南西の辺境地は、偶に魔獣討伐の兵を向ける以外に領地開発などは行ってい地であるため、途中に人族の住む村や町などは無い。人目が無い代わりに三等級から二等級の強い魔獣がいる地帯だ。
そしてアストレール渓谷はファーレン王国にとっての国境線でもあるエルザード大森林の外輪に接している部分もあり、谷底や横穴から良質な魔鉄や稀にミスリル鋼が見つかるので、国内にいるドワーフ族にとっては危険を推してでも来るだけの価値がある貴重な資源採取場所になっていた。
正教国内を順調に移動した一行は無事にサキュリス正教国の国境線を越え、予定通りアストレール渓谷に入っていく。
その日は渓谷に入ってすぐの洞窟で野営し、次の日は早朝から渓谷内の道なき道を進んでいく。断崖絶壁、谷底の急流、偶に襲ってくるハーピィやガーゴイルなどの飛行型魔獣が行く手を阻むのだが、卓越した身体能力を持つ闇の勇者にとって厳しい地形は足止めにもならず、二等級魔獣など敵ではない。
同行している人間族の女冒険者コトガオとチャゲルも元々盗賊系能力の持ち主なので、移動しながらの戦闘は無理でも何とかキョウに付いて来ている。一方、エルフ族の二人についても問題は無い。渓谷といっても崖上や小段には樹や草が茂っているこの場所で、樹があればエルフ族はどんなに険しい道でも移動が可能だからだ。
さらに渓谷内で二夜を過ごし、これまでに何度か下見を重ね、熟知した経路を見失うことなく進んでいった。
そして最後の谷を飛び越えて漸くエルザード大森林の外輪に位置する平地に辿り着いた。ここには太古から石積の遺跡があり、三角錐の建物が渓谷を背に鎮座していた。真中にトンネルがあり雨風が凌げる遺跡はこの地に来るドワーフ族の中継基地になっているので、遺跡の中には生活用品や非常食がある程度は揃っていた。
「此処までくれば大丈夫ね。追跡してくる人間族の気配もないわ。」
フレンギースの言葉に他のメンバーも頷く。
キョウも移動中【索敵】を使って周囲を警戒していたが、反応するのは魔獣の気配ばかりで人族のものは一度も感知することが無かったので、フレンギースの言葉に同意する。
急ぎ且つ過酷な行程だったが、一人も欠けることなく無事に此処まで辿り着いた事に笑顔を見せ、お互いを称えあった。
今日はここで野営し、疲れを取ってからエルザード大森林へ入る予定である。妖精族の結界に入ってしまえば追手を気にすることなく移動できるのだ。
五人が遺跡の中に入り野営の準備をしようと荷物を降ろした時だった。キョウは遺跡の外に突然発生した魔力の気配を感じて、まず全員を遺跡の奥へ下がるよう指示を出す。
キョウが入口に出て目を凝らすと、遺跡の前の草地に突然巨大な魔法陣が浮かび上がり、その中から揃いの鎧を装着した一団が姿を現した。
白を基調として胸と肩に赤の縁取りが施された鎧は、サキュリス正教国の聖光騎士団の物しかない。聖光騎士団は一人一人が騎士としての厳しい訓練を熟し、かつ何らかの攻撃魔法も使いこなす魔法騎士の一団であった。
「・・・転移魔法?!まさか!」
サキュリス聖光騎士団が使った魔法は、神獣であるロウと同じ魔法陣を媒体とする古代魔法である。ロウによれば魔力の質が異なるから人族に古代魔法は使えないはずなのに、何故人間族である聖光騎士団が古代魔法を、それも転移魔法を使えたのか。
キョウは動揺しつつも腰の刀を抜き、自分に身体強化魔法を掛け戦いの準備をした。
最初の魔法陣の中には聖光騎士団が二十人いる。その魔法陣が消えるとまた次の魔法陣が現れ、さらに二十人の聖光騎士団が転移してきた。
出現した魔法陣は八つ。転移魔法を使って二百人近い聖光騎士団がこの辺境地に現れたのである。たった五人に対してサキュリス正教国の精鋭を大部隊で出撃させるとはこの戦いの黒幕は随分と思い切ったものである。
それにしても、聖光騎士団はどうやってキョウ達がいるこの場所を特定したのだろうか。白色の騎士団に堂々と切先を向けて立ち、臨戦体制に入るキョウの疑問は尽きなかった。
◆
不意を突いた奇襲、多勢に無勢では分が悪いので、キョウ達は遺跡の中に籠っての籠城戦を選ばざるを得なかった。
遺跡の出入口は二つあり、正面を聖光騎士団で囲まれ這い出る隙もなく、裏面は谷底に降りていく急勾配の小道に続いているが、二百人の魔法騎士を前にして谷底に降りていくのは悪手だ。防ぐ手立てがない場所で、頭上から魔法攻撃や投石などされればひとたまりもない。
キョウは魔法攻撃が遺跡の中に及ばないよう正面入り口に固有能力【障壁】を展開する。また、今回同行したエルフ族の男ノルヴィスに命じて土魔法で遺跡正面に幾つか土壁を作らせ、さらに遺跡内のトンネルを内側から補強するよう指示を出した。
フレンギースには精霊魔法で正面の敵を牽制しながら本国への連絡を、コトガオとチャゲルは裏面から敵が来ないか索敵し、必要に応じて弓による牽制をするよう指示する。
そしてキョウは一人遺跡の入口に立ち、刀と脇差の二刀流で構えて聖光騎士団に殺気を向けた。
そんな緊張状態の時、突然キョウの頭の中にロウからの念話が響いく。
『キョウ!!聞こえるか!?キョウ!!』
『ちょっ!いきなり大声で話しかけないの!今それどころじゃないのよ!』
こんな状態でゆっくりと話せるわけでもなく、ひどく慌てた様子でとにかく防御に徹しろと叫んでいたのが聞き取れただけだったが、恐らくこの場に向かっているのだろう。この絶望的状況に少しだけ光が射したようである。
しばらくの間対峙した後、騎士団から放たれる魔法攻撃で戦闘が始まった。
聖光騎士団は先に遠距離攻撃を仕掛け、キョウの動きを牽制しながら徐々に距離を詰めてくるようだ。
キョウはロウの作った脇差を巧みに操り、自分に向ってくる火球、風刃、水球などの魔法攻撃の魔力を、脇差の一振りで吸収して無効化しながら敵陣の中に突っ込んでいく。
ロウが作った魔法吸収の脇差の能力に舌を巻きつつ敵陣の中、キョウはまるで軽業師のように騎士団の間をすり抜け、又は飛び越えて刀を振るい、甲冑の隙間を狙って斬り突き刺して相手の戦闘力を奪って行った。
だが、聖光騎士団もさすがに訓練を積んだ精鋭部隊で、一方的に蹂躙されている訳ではなく盾を巧みに使い、キョウの攻撃をはね返しては別の騎士が横合いから反撃してくるなど、乱戦になってもちゃんと連携が取れている。
騎士数人に囲まれてもキョウの剣舞は流れるが如く止ることを知らず、たった一人であることを最大の武器にして戦いをコントロールしていた。
キョウが避けたいのは兵を分割され、一方が遺跡の中にいる仲間の方へ向かう事であり、その為には常に敵陣のなかで動き回り、相手の意識を自分に集めなければならない。
身体強化を生かしたバックステップで一旦集団から距離を取ったキョウは、闇魔法の【ダークボール】を発動する。直径1m程の黒い球を魔法で創りだすのだが、それに触れたモノを原子分解するという恐ろしい魔法だ。魔力消費が大きい魔法だが、キョウはこれを二つ作り自分の周りを旋回させている。
闇属性魔法は相反する光属性魔法で跳ね返したり消滅させたりは出来るが、具現化したダークボール以上の魔力を込めなければならず、異界からの召喚者であるキョウの魔力に対抗できる者がこの聖光騎士団にいるとは考えにくい。
キョウの周囲を旋回していた二つのダークボールが聖光騎士団に向けて放たれる。
風魔法や光魔法のように速度が速いわけではないのだが、この闇魔法の恐ろしさを知っているのか聖光騎士団は一斉に回避行動を取り、光属性の能力を持つ者は持っている盾にその魔力を込めて、なんとかダークボールの軌道を変えたりしている。
それでもこの一回の攻撃で相手の十数人は武器や装備、または体の一部を分解されて戦闘不能に陥った。
ジワリと前進していた聖光騎士団が一旦引いて体勢を立て直そうとしている。それを見たキョウも遺跡の方に下がり、ノルヴィスが作った土魔法の壁の影に身を隠した。
緒戦は何とか凌いだ。キョウが序盤から魔力消費が大きい術を使ったのは、相手の警戒心を出来るだけ引き上げて数に任せた突撃をさせないためだ。敵兵が少々の犠牲は覚悟の上だとして遺跡内部に突撃されては、少人数のキョウ達ではひとたまりもない。
だが、強力なダークボールでも一時凌ぎにしかならない。
幾ら魔力吸収の効果がある脇差を使っても、繰り返しダークボールを使っていればいずれはキョウの魔力は尽きてしまうし、三十倍もの戦力をひっくり返し、敵の包囲網を破ってエルザード大森林まで逃げ込む方法など皆無と言って良いだろう。
とにかくロウがこちらに向っていると分っただけでも少しだけ希望があるのだから、キョウは言われた通りに固有能力【障壁】を張り、時間稼ぎに徹しようとした時だった。
言葉では言い表せない、とにかく異質な気配を感じて伸ばした視線の先に、その場に不似合いな幼い少女が立っている姿が映った。
髪は美しい金髪で腰下まで伸びている。白いワンピースを着ているようだが、認識阻害の魔法を纏っているのか、その姿はよく注意してみないと周りの騎士たちの色に同化してしまい、はっきりと輪郭を捕える事が難しくなってくる。
少女を見た最初の印象は、美しいという事。だが彼女の大きな青い瞳に感情は無く、氷のような冷たさを醸し出していた。
少女が両手を前方に翳すと、少女の前に直径2m程の複雑な紋様を印した魔法陣が現れ、少女の髪が風に舞うように揺れると、その形を維持したままその手から放たれた。
魔法陣は回転しながらキョウが身を隠す土壁に真直ぐ向ってきて、そのまま吸い込まれるように衝突すると魔法陣は跡形もなく消え、同時に土壁も光の粒子に分解されてそのまま消滅してしまった。
身を隠す土壁が一瞬で消滅し、キョウは慌てて隣りの土壁に移って身を縮めるが、今起こった事に理解が追い付かない。動揺していると新たな魔法陣が放たれ、再びキョウが身を隠していた土壁が消滅した。
これは属性魔法を「打ち消す」魔法、いや魔法陣である。
ロウが使う古代魔法とは魔法を魔法陣で召還するもので、魔法陣を宙空に具現化するところは同じだが、そのまま放出して攻撃に使用するなどロウでさえやったことは無いし、そう言った発想は無かった。
キョウの頭の中には、ロウが言っていた『魔力を魔法陣として〝具現化〝できるのは我々神獣だけだ。』という言葉が繰り返し聞こえてきている。
それならば、魔法陣を使った魔法は神獣だけにしか使えないのであれば、今、目の前で魔法陣を具現化し攻撃魔法に使っている少女は何者なのか。ロウと同じ神獣種が人化した姿なのか。
キョウがそんな事を考えている間にも、少女からの魔法陣の放出は止むことは無い。身を隠しているノルヴィスが作った土壁も、キョウのいる場所から少し離れたところにある二つしかない状況だ。
そして、今まで身を隠していた土壁が魔法陣の攻撃によって消滅し、キョウに向けて新たな魔法陣が放たれようとした時だった。
土壁までは遠く、自らの固有能力【障壁】で防ごうと魔力を集めようとした時、両手を目の前に翳した少女が横合いから放たれた白い光に飲まれ、一瞬にして消滅してしまった。
さらにもう一条の白い光が聖光騎士団の前衛を掠め、同様に数十人の騎士が足の先だけを残して消滅下のである。
何が起こったのか理解できぬまま立ち竦む騎士団に追い打ちをかける様な獣の咆哮が響き、威圧をまともに受けた者達が腰砕けに尻餅をついて倒れた。
そして重装備の騎士が立っていられないほどの突風を従えて黒い影が空中で制止し、全長80mもある長い身体で蜷局を巻くように遺跡を抱え込むと、聖光騎士団に九つの首を向けてもう一度咆哮した。
「GOAAAAAAAA!!!」
咆哮と同時にロウは背中から触手を伸ばして横に二、三度振い、さらに聖光騎士団数十人を吹き飛ばす。
たったこれだけの攻撃で聖光騎士団はその数を半数までに減らし、残った者達はロウの禍々しい姿と溢れ出てくるような強大な魔力に恐怖を覚え、もはや戦意すら感じることは無い。
「ロウ!!」
『な、何とか間に合ったか・・・怪我は無いか?』
「う、うん。ありがとう。」
ロウを見て緊張が解けたのが、キョウはゆっくりと立ち上がり障壁を張ろうとした魔力を霧散させる。
生き残った聖光騎士団の連中を警戒しながらも、キョウの無事を確認し安堵したロウだったが、再び魔力とは異なる何らかのエネルギーが集まる気配を感じてキョウに注意を促す。
『まだだ、キョウ!まだ何かがいるぞ!!』
ロウは【索敵】と【意識集中】をもって周囲に気配を探っていく。辺りにあるのは骨を砕かれ、肉を断たれ、呻き声を上げる聖光騎士団の兵士達だけである。それでも油断せず十八の眼で周りを見渡した。
キョウが怪訝そうな表情でこれまで自分が戦っていた場所を見ようと振り返ったその瞬間、それまで気配の無かった気配が湧き上がり、突然キョウの周囲に十数本もの光属性魔法の槍が浮かび上がったのである。
(まさか!この感覚は神力!!古代魔法か?!!!!)
ロウは完全に意表を突かれた。まさか攻撃対象の周囲にいきなり魔法を召喚させるとは考えていなかった。
『待てキョウ!障壁を解くんじゃない!!!』
叫ぶと同時にロウはキョウの周りに固有能力【障壁】を展開させた。確実に間に合うタイミングだったし、出現した光の槍とキョウの身体の間に確実に展開したはずだった。
しかし、光の槍は障害など最初から無かったかのようにロウの張り巡らした障壁を摺り抜け、キョウの身体を全周囲から貫いたのである。
真赤な鮮血が吹き上がり、ロウの視界を赤く染める。
キョウは悲鳴すら上げる間もなく、その顔に驚きを張り付けたまま膝から崩れ落ち、そしてうつ伏せに倒れた。十本以上の魔法の槍がキョウを貫いており、その内一本は今日の左胸を貫いて、キョウの胸当てに赤い大きなシミを残して消滅した。
『キョォォォォウ!!!!』
ロウは慌ててキョウの傍に首を伸ばし、触手で抱え上げる。
再び光の槍が現れ幾条もの線となってロウに突き刺さるが、ロウは全く揺るぐことなく、その再生能力によってあっという間に傷を消していく。
光の槍の攻撃を受けながらロウは治癒魔法と再生魔法をキョウに施す。だがキョウの傷が塞がり消えていくのに意識は戻らず、目を見開いたままの顔は血の気は失せたままであり、元々白かった肌がさらに透き通るように薄くなっていった。
すでにキョウの意識は無い。即死だったのだ。
どんなに高度な治癒魔法でも再生魔法でも、一度身体から流れ出てしまった血と離れてしまった魂まで戻すことは出来ない。
つまり肉体と魂が切り離されたキョウは、二度と目を開けることは無いのだ。
『キョウ・・・目を、目を醒ませ・・・キョウ・・・』
身体の傷をすべて塞ぎ軽く電撃を与え、ショック療法で心臓を動かそうと試みるも、キョウの瞳に光が戻ることは無かった。
頭の中が真っ白になり、呆然としていたロウだが、先ほど度同じ気配を感じ上空に目を向けると、宙空に浮かぶ人影があった。
白い少女。こんな時でもなければ可愛らしく可憐な女の子、そんな印象である。
しかし、ロウは少女の表情を見て確信した。この少女が魔法槍を放ったのだと。
固有能力【邪眼】を使って少女の情報を読み取る。
名 前:サキュリス
種 族:管理者(神族)
状 態:平常(降臨状態)
生 命 力:‐ 魔力量:‐
能 力:万能神。能力を与える神。
固有能力:【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】
【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】
【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】【‐‐‐/】
『サキュリスウウウウウ!!!貴様が!!!貴様がキョウを殺したか!!!!』
ゆっくりと地上に降下してくる少女に向けて、ロウはすべての首からブレスを放った。
ロウのブレスに飲まれ、背面にいた聖光騎士団の連中と共に少女の姿が一瞬見えなくなったが、ブレスの光が消えた後、焼け爛れた大地の上に平然と佇む少女の姿があった。
更にロウがブレスを吐こうとした時、そんなロウを一瞥した少女は、まるで嘲笑うかのように口角を少し上げ、自分の横の空間に裂け目を開いて中に消えて行ったのであった。
◆
ロウは天に向かって咆哮をあげる。
怒りとも悲しみとも取れる長い咆哮が終わったとき、ロウは触手で塵でも払うようにサキュリスの兵士達を谷底に落とすと、何もなくなった地面にキョウを静かに降ろした。
ロウは固有能力【変化】を使って人化し、横たえたキョウの傍に跪き、開いたままだったキョウの瞼をそっと閉じてやる。
『キョウ・・・』
しばらくキョウの横にいたロウが立ち上がり両手をキョウに翳すと銀色の魔法陣が現れ、ゆっくりと上昇を始める。さらに魔法陣に曳かれるようにキョウの身体も持ち上がり、ロウの胸の高さ程で制止した。
ロウは片腕をキョウの背中の方に回し、キョウの身体を挟む形でもう一つ銀色の魔法陣を出現させると、二つの魔法陣はお互い反対の向きで回転を始める。
それはまるで蛍が舞い踊るかのように、キョウの身体の周りに小さな銀色の光球が集まり出す。やがてその光球はキョウの身体を完全に包み込むと一瞬強く輝き、ゆっくりと強さを失ってから消えてしまった。
光が消えた跡には、長さが3mもある巨大なクリスタルがキョウの身体を包み込んでいた。
ロウは人化を解いて再びヒュドラの姿に戻る。キョウのクリスタルのその腕に持ち、九つの首を全て上げて翼を広げた。
そのままロウは人族では聞きとれない言葉で詠唱のようなものを呟いていると、周囲には無数の魔法陣が湧き始める。暫くすると大気中の魔素が白い霧のように可視化され、魔法陣を介してロウの身体にどんどん吸い込まれていった
周囲では魔素が極端に薄くなってきている。ロウの固有能力【吸収】である。
多くの魔素を取り込まなければ生きていけない魔獣や魔樹が真先に死に至り、遺跡の中にいた救出部隊の者達も魔力枯渇状態と同じ症状に苦しんでいる。
そんな状況でもロウは気にも留めていないのか、無尽蔵に魔素を吸収し続け、サキュリスについて考えをめぐらしていた。
あの時、光属性魔法のブレスで消滅させたにも拘らず、索敵範囲内に突如として現れ、さらにロウの固有能力である【障壁】をまるで存在しないかのように貫き、キョウを死に至らしめた。
ロウの古代魔法を無力化した魔法を使うのは、間違いなく神族である。
(許さぬ・・・許さんぞ。サキュリスもこの世の神族とやらも!!)




