24.忌子
どの世界にでも孤児というものは必ず存在する。
早くに親が亡くなった者、親に捨てられた者、攫われて保護された者、事情は様々だが人間族主体の国家ではどの町にも孤児がいた。
その内、孤児院に引き取られ税贅沢は出来ずとも衣食住を与えられる子供はまだ幸せで、保護する者がいない子供は貧民街で残飯を漁り、時に他人から暴力で奪い奪われ、悪い大人に騙されて奴隷として売られる者もいるのだ。
人族の社会は、人間族なら貧富差、獣人族なら力の強さなど、独自の尺度を基準とした格差を作りさらに優劣をつけることで成り立っているのである。
ユリム達が育った孤児院はメサイナ教が全世界に展開する礼拝所に付随している施設で、神殿から下賜される雀の涙ほどの運営資金と、大人になり孤児院を出て働いている出身者からの寄付で細々と運営されている。
現在人間族の子供が十人と獣人族の子供七人が、親代わりである修道女レミストレナ女史の手によって育てられていた。
ユリムとサレジーナが奴隷狩りに攫われたことは、レミストレナ女史にも知らされており、その二人が無事に帰ってきたことを本当に喜んでいた。
多くの子供たちが冒険者の一行を好奇の目で遠巻きに見守る中、ロウ達は中に招かれて入っていくと孤児院の外でも感じた魔力が一層強くなるのが判る。当然、強い魔力といってもロウのような人外や竜人族であるゼロフトであるから感じ取れるのであって、一般人に影響を与えるものではないのだが。
この魔力の発生源は孤児院の一番奥のようである。ロウの意を受けてゼロストがシスターに単刀直入に尋ねた。
「シスター様。つかぬ事をお伺いするが、この奥にどなたかいらっしゃるのか?」
「い!?いえ・・・。その・・・」
言い澱む女レミストレナ女史だったが、ユリム達を連れてきたのが白金級の冒険者であったことに思い至り、隠し通せるモノではないと諦めたのか、四人を促して建物の奥まで案内に立った。
両側が事も部屋になっている廊下を進み、孤児院の一番奥の部屋の前までくると、レミストレナ女史が扉を開け中にいる者に声を掛ける。
隙間の空いた木製の扉窓から漏れてくる光があるものの部屋の中は薄暗い。4m四方ほどの狭い部屋にベッドだけが置かれており、その上に薄い布を布団代わりにして一人の子供が横たわっていた。
おそらく十二、十三歳の女の子だが、他の子供達と同様に十分な食事を食べる事が出来ないせいか、体は小さく痩せている。
しかし、女の子の身体が小さいとか痩せているとかの問題ではない。
その少女の外見が、少し青みがかった白い肌と真赤な瞳、妖精族よりも横長の耳、そして吸い込まれるような漆黒の髪は、紛れもなく魔人族の特徴を表わしていた。
魔人族。
大気中の魔素との親和性が高く、魔力を内包、または放出する能力に卓越した種族で、魔法の扱いに優れている。
個体差はあるものの体内に多く魔素を取りこんでいる魔人族は身体能力も高く、他の人族の中でも最も強い種であるが生殖能力は低く、種族人口は極めて少ない。
この世界での種族間の諍いは、二百年前の種族戦争集結を機に激減していて、魔人族の国とあからさまに敵対している国は人間族至上掲げるサキュリス正教国くらいである。
種族戦争の渦中であったジロール帝国との戦いには、連合軍側に魔人族の国も参加しており、それ以来、魔人族は人間族や妖精族と敵対している訳でもなく、かといって積極的に交わりを持っているという訳ではなく、独自の生活圏の中で独自の歴史を刻んでいる。
ただ人間族の中には魔人族を魔獣の類と同視する者もいて、魔獣が人族を襲うのは魔人族の所為だと言い張る者までいる。魔人族の中には魔獣を使役して戦闘を行う獣士という能力を持つ戦士がいるからだが、人間族や妖精族にも魔獣使いとして戦う者もいるので全くの『言い掛かり』でしかない。
そしてこの少女にはもう一つの特徴があった。
先天的に右肘から下がない状態であるうえ、幼い頃に頭に受けた衝撃で視力がほとんどない状態なのだ。先天的に腕が無いのは、魔人族と人間族というように異種間交配で混血が生まれること自体が極めて稀であり、幾つもの偶然が重なってこのように遺伝子不具合が起ったのかもしれない。
レミストレナ女史によると、この娘カミュは四年ほど前にこの孤児院の前に一人で佇んでいた。門前で町の方をずっと見ている少女に親はどうしたのか尋ねると、母親がここで待っていればすぐ迎えに来ると言って一人で町の方に行ったのだという。
少女には父親の記憶は無く、常に母に手を引かれてあちらこちらと移動していたのだと話していた。
レミストレナ女史はすぐにこの娘は親に捨てられたのだと思い至る。
カミュと名乗った少女は当時八歳で、その時点ではそれほど魔人族の特徴が出ていたわけではなく、良く見れば人間族の子供とは少し違うという事に気付く程度だった。
カミュの母親も娘が人目を引かぬようにするため、相当苦労したのだろう。事実、彼女はそれほど寒い季節でもないのにフード付のコートを着せられ、常に頭を隠しているような服装をしていた。
レミストレナ女史はこの不条理な世界にいながらも絶対的慈悲の人である。その当時から孤児院の経営が苦しいにもかかわらず、迷うことなくカミュを受け入れた。彼女の子供達への愛情は種族の違いで薄れるような弱いものではなかったのだ。
孤児院に入った当初はずっと塞ぎこんでいたカミュだが、レミストレナ女史の優しさと、そんな彼女に育てられた素直で大らかな子供達と触れ合う事で徐々に元気を取り戻し、孤児院での生活に溶け込んでいったのである。
だが、この一年の間に魔人族の特徴が色濃く出てくると共に、何の病気なのかどんどん体力が落ちて食も細くなり、今では寝たきりの状態になってしまったのである。
「この娘は魔人族だな。」
「・・・はい。で、でも悪さする訳でも迷惑をかける訳でもない、素直な良い子なのです!それに、ここ一年の間は見ての通り寝たきりなのです。」
『魔力が駄々漏れだな。いくら魔素を取り込んでもそれ以上に漏れ出している。』
「この娘、腕が・・・」
「は、はい。ここに来る前から、です。生れつき左手の先がありません。『忌子』なのです。」
『待て、忌子とは何だな?』
「稀にですがこの子のように生れつき体の一部を与えられないで生まれてくるものがおります。そういった神に見放された子供は周囲に災いを齎すと云われているのですよ。」
「うむ。忌子が生まれれば大概はすぐ口に布をあてられる。不作や飢餓、疫病の原因とも云われているのだ。」
『・・・色々と言いたいことはあるが、この世界の文化レベルではそれが通説なのであろうな。』
「む?どういう事だ?」
『この娘の腕が無いのはDNA情報のミスが引き起こしたいわば病気だ。災害の元凶などであるものか。』
ロウは固有能力【邪眼】を使ってカミュの状態を調べてみると、やはり衰弱の原因は魔力欠乏症であり、それ以外に他を巻き込むような呪いや状態異常を齎す能力は何も持っていない。
名 前:カミュ(♀12)
種 族:半魔人族
状 態:衰弱(魔力欠乏症)
生 命 力:411 魔力量:77
能 力:‐
固有能力:【再生魔法】(未)
特殊能力:【身体強化魔法】(未)
通常能力:【生活魔法】(未)【隠蔽】
ロウが元居た世界でも奇形が生まれれば忌子として殺されてしまうような歴史はあったが、現代医学を知るロウにとってこうした差別こそ忌むべきことであり、それが小さな子供に向けられているとなると抑えようのない憤りを見せるのであった。
ロウはそれまで乗っていたキノの頭の上から飛び降りるとベッドに横たわるカミュの顔の横に立ち、何かの気配を感じて若干戸惑いをみせたカミュの頬を短い手を使って優しく撫でてやる。すると表情の無かったカミュに少しだけ笑顔が戻り、細い腕を伸ばしてロウを探すように虚空で揺らし始めた。
『カミュよ、少しだけ苦しくなるかもしれんが我慢してくれ。』
ロウは背中から触手を伸ばしてカミュの四肢と腰、首にそれぞれ巻きつけ、さらに頭の「こめかみ」部にもそっと触れるように添えておく。触手が触れた時、カミュは一瞬息を呑んだような動きがあったが、その後は何も言わずされるがままになっていた。
先ずは魔力を供給せずにカミュの中の魔力の流れを感じ取る。暫くそうしていると、魔力が滞っている場所、魔力が外に漏れ出す場所が分ってくる。カミュの場合、やはり右腕の先であった。
次にロウは体内の流れを阻害しない様に、少しずつ自分の内包魔力をゆっくりと静かに注込んでいく。最初は異質な魔力に対する拒絶なのか若干乱れる動きがあったが、徐々に流れに力強さが戻ってきた。
さらにロウは余った触手を使って空間倉庫を開き少量のミスリル鋼のインゴットを取り出すと、輪切りにしたひとかけらを約6cmほどの円筒状に加工して表面に魔法陣を刻んで行った。
円筒の金属を蓋を被せるようにカミュの右手に装着する。するとカミュの魔力の喪失が止まり順調に体内を循環し始める。カミュの表情も幾分和らいだようだ。
「これは一体・・・」
『うむ、魔力の循環を促す一種の魔道具だな。魔力が漏れ出るところを塞いで体内に戻すため、というより魔力操作の能力を高める魔法陣を写している。』
「おい、そのような魔法陣があるなど聞いたことが無いぞ。大体魔法陣は召喚や契約に使うものではないのか?」
『我が使う魔法は全て魔法陣だぞ?こちらから見れば態々詠唱して魔力を”溜め”なければならない人族の魔法の方が異質なのだがな。』
ロウの魔道具によって魔力操作が働き始め、これでカミュの魔力欠乏症は快方に向かうはずである。ただ、このまま不格好な金属板を装着し続ける訳にもいかないので、以前レミダで出会った狐のお姉さんアルフレイに作った義手を作ってやれば喜んでくれるだろう。
続いてカミュの目を直さなければならない。頭を打ってから見えなくなったという事は視神経断裂か網膜剥離か。
『頭部への衝撃なら網膜剥離かもしれん。生まれながらの盲目でないなら回復は可能なはずだ。』
「もうまくはくり?何だ、それは?」
『まぁ、一種の怪我のようなものだ。再生魔法を使えば元に戻るかもしれん。』
そう言ってロウは触手の先端をカミュの目に被せるように近づけると、過剰にならないよう魔力を調整しながら再生魔法の魔法陣を展開する。それは小さな魔法陣で、目という機関が複雑な構造であることを現代医学の知識で知っていたロウが、極力他のデリケートな器官に影響しないよう調整したものだった。
その小さな魔法陣が一つ二つと光りの無いカミュの目の中に消えていく。
やがて変化は直ぐ起きた。カミュの目が何かを探すように上下左右に揺れ始めたのだ。
「あ・・・あ・・・あぁぁ・・」
『これ、カミュよ、暫く目を閉じておくのだ。今はまだそんなに目を使ってはいけない。』
「は・・・はぃ・・・」
ロウはカミュに目を閉じるよう言いつける。部屋は薄暗かったのでいきなり光が目に入ることは無いのだが、激しく動かせば直った傍から元に戻ってしまうかもしれないからだ。
突然自分の身に起こった変化に萎縮してしまっていたカミュの体を巻き付けていた触手で体を起こし、常々空間倉庫の中に用意していたロウ特製【救急箱】の中からシツル糸製の包帯を取り出してカミュの目が隠れるように巻いていった。
『せめて明日の朝までこのまま安静にするのだ。』
「あの!さっき目が・・・ボンヤリと目が・・・」
『うむ。怪我をして傷付いた部分を直したのですぐに見えるようになるぞ。』
「ほ、本当に?本当にこの目が元に戻るのですか・・・また見えるように・・・」
『身体の病気も治ったしな。元気になって何よりだ。気分はどうだ?』
「・・・痛くないし気持ち悪くない!シスター様!腕が・・・体が動きます!」
「・・・本当に・・・なんてこと・・・良かった・・・」
まだ目に包帯を巻いたままだが、見違えるほど元気になったカミュを見てレミストレナ女史が涙ぐみ、華奢なカミュの身体を抱きしめる。それは正に母親が子供に愛情を注ぐそれと何ら変わりは無く、二人の周りに温かい光が見えるようであった。
今日は既に陽が傾き始めていたので、ロウとゼロフトは孤児院を出てセイヤ達と合流するため町へと向かった。
孤児院には二人が魔法拡張鞄にいれて持ち歩いていた食料を全部置いてきたので、子供達はとりあえず今晩の食事はお腹いっぱい食べる事が出来るだろう。
二人は町の商業区に戻り、ゼロストがセイヤに意識同調を飛ばして投宿した宿の場所と名前を聞き、宿屋や酒場が並ぶ一角に向かう。
セイヤが取った宿屋は『ロンジンの酒場』という酒場と宿泊所が一緒になったような宿で、夕暮れのこの時間、酒場の机は既に多くの客で埋まっている。
先に入っていたセイヤとキノがいる席に座ると食事を酒を注文し、孤児院での顛末を二人にも報告する。現在の孤児院の環境を改善するため、二日ほどこの町に滞在することを伝えたが、もちろん二人に異論はない。
「ところでロウ。なぜあの少女を助けたのだ?たとえ助かったとしても人間族の国で成人前の魔人族の孤児が生きていくのは難しいぞ。」
『やはりそういった種族差別はこの国にもあるのだろうな。』
「魔人族が自ら他種族に関わってくることは滅多にない。だから先入観や偏見で差別を受けてしまうのだろうが、この国だけではなくどこにでもそういうものがるのは事実だ。」
『レミストレナ女史とカミュの意思次第だが引き取り手の当てはあるのだ。セイヤ殿も行こうとしている妖精族の国ファーレンだ。』
ロウは固有能力【邪眼】で見たカミュの持つ能力【再生魔法】について話して聞かせる。
カミュはまだ未開花だが再生魔法を使える適性を持っており、非正規奴隷を解放しているキョウの助けになるはずなのだ。事実、あの時ロウが使った再生魔法は心に傷を負った女達に希望を与え、再起する切っ掛けの一つになったことは間違いないのだから。
『我以外に回復魔法の使い手がいれば、それに越したことは無いのだよ。人外が人族と長く一緒にいる訳にはいかないからな。』
小ドラゴンの姿では表情は分からないが、ロウの念話の声に少しだけ寂寞が見えたのは気のせいであったのだろうか。
◆
翌朝、宿で朝食を取った一行は再び二手に分かれて孤児院環境改善の準備をすることにした。
せロフトとセイヤはだいぶ着古していた子供達の服と寝具、壊れたままになっていた灯り用の魔道具などを揃えるために街へ買い物に出かけ、ロウとキノは一足早く孤児院に行ってある程度敷地の片付けを行う事にしている。
ロウを頭に乗せたキノが姿を見せると、孤児院から子供たちが飛び出してきて周りを囲み、ロウを撫でたり突いたりと大騒ぎになってしまった。
昨晩は孤児院に泊ったサレジーナが出てきて子供たちを一喝し、一応騒ぎは収まったのだが、ドラゴンを見た子供たちの好奇心に満ちた目はロウから離れることなく、孤児院に入るまでずっと後を付いて来ている。
レミストレナ女史と挨拶を交わしてから彼女の案内でロウ達がカミュの寝ていた部屋に行くと、カミュは昨日とは打って変わって血色の好い肌を見せ、すでにベッドの上で起き上がってこちらに顔を向けていた。
「みんなの騒ぐ声で皆さんが来たのがすぐ分かりました。小さいドラゴンさんが治してくれたのですね、本当にありがとうございました。」
『身体に辛い所は無いようだな。それと我はロウだ。そう呼んでくれ。』
「はい!ロウさん、もう目隠しを取っても大丈夫ですか?」
『ああ、少し待つのだ。少し部屋を暗くしないといきなりでは目が驚いてしまうであろう?』
気の逸るカミュを宥めるロウの言葉を受け、キノが扉と木製窓を閉めて陽の光を遮断した。
ロウが触手を伸ばしてカミュの包帯を外していく。カミュは両手を胸の前で重ね、不安と期待、とても言葉では言い表せない感情を必死に抑えている。
『カミュ、まだ目を閉じているのだ。・・・よし、ゆっくりと目を開けてごらん。』
「ゆっくり・・・ゆっくり・・・。あぁ・・み、見えます。ちゃんと見えます・・・ひっく・・・ひえぇぇぇん・・・」
『まだいくらかぼやけているだろうが、少しずつ良くはなると思う。最悪は眼鏡を付けることになるが今見えるならいらぬ心配だろう。』
「ろうしゃん・・・ありがどごじゃいましだあ!やっと、やっと厄介者じゃなくなる・・・」
レミストレナ女史がカミュの高ぶった感情を和らげるように優しく頭を撫でている。
漸くカミュが落ち着いたところで、直接陽を見るなとか頭をぶつけないよう良く周囲を見るようにするとか、様々な注意事項を言い聞かせてキノと共に部屋を出て行った。
カミュの問題も解決したところで、次にロウが取り掛かるのは孤児院の敷地の整理である。
雑草雑木が整備されず伸び放題になっている庭を整備し、少しでも自給できるよう畑を作ろうとしているのだ。この作業には土魔法を覚えたてのユリムにも手伝わせて、魔法の使い方を実際に経験させることにした。
まず敷地の表土1m程度を対象にして土魔法を使い雑草と礫、土壌の三つに分別する。柔らかくなった土の部分を囲むように分別した礫を並べて区画割し、これだけで一応形だけは畑のようには見えるようになった。
サレジーナに子供達と雑草を細かくするよう指示すると、ロウは町の塀を飛び越えて近くの森まで行き、土の中にいる虫たち諸共森の腐葉土を空間倉庫に入れて孤児院まで運びこんだ。そして持ち込んだ腐葉土を礫が抜かれただけ目減りしてしまった庭の土の補充にあて、あとは再び土魔法で土を撹拌すれば栄養分豊富な畑の出来上がりである。
さらにもう一度森へ行き、繁殖力が強い切り傷用の薬草と、魔力回復薬の原料となるギレン草を根が傷まないよう周りの土ごと採取してきて畑に移植し、あっという間に薬草農園が出来上がった。定期的に外の森へ行き落ち葉を拾ってきて腐葉土を作れば、町の中でも薬草が育ってくれるはずである。
特にギレン草は冒険者組合でも常に採取依頼が出ている薬草で需要も高く、いつでも買い取りしてくれるので少しは運営資金の足しになるだろう。
しかし、それでも畑の三分の一ほどしか使っていないので、残るエリアは農園から野菜類の種を買って自家菜園にするようユリムに銀貨を渡しておいた。
ちょうどその頃、ゼロストとセイヤが必要な衣類や雑貨と屋台で昼食の替わりとなるような串焼き肉やスープなどを大量に買い込んで戻って来たので、作業を一旦中断し昼食をとることにした。
子供たちは普段とは違う豪勢な食事に大喜びである。もちろんロウも子供達に負けない勢いで肉に噛り付いていた。
さらにゼロストは町の建設業者に建物の増改築を金貨四枚も払って発注してきたという。暇な時期なので職人たちは明日からでも作業に取り掛かれるらしい。何とも豪気な話なのだが、遣う当てのなかった金を有効に使う事が出来たとゼロスト本人は屈託がない。
さて、昼からロウが始めたのは井戸造りである。なにせ孤児院という女子供しかいない環境下では、遠い公共井戸まで水汲みに行くのはつらい重労働であるのだ。
しかも孤児院の庭が菜園化したので、水を撒くのに井戸は必需品である。だが、子供が多い孤児院で素掘りの井戸を掘っては危険極まりないので、ロウは手押しポンプ式井戸を作ろうとしていた。
普通の鉄のインゴットに錆びにくくなるよう魔鉄を二割ほど混合して、長さ20m程で径の異なる二本のパイプを作り、その内一本はランダムに穴が空いた有孔管である。
まず太い径のパイプを建て起こし、外側に細かい砂利を貼りつかせながら土魔法を使って地中に刺すように沈めていき、地面から30cm程突き出た状態にする。次に先端に開閉弁を付けた細いパイプを太いパイプの中に挿入し、二本の隙間を少し粒形の大きい砂利で埋め、太いパイプが密閉されるよう蓋を取り付けた。
あとは曖昧な記憶を絞り出して魔鉄製の手押しポンプを作り、中の木玉をエルフの国ファーレンの【緑壁迷宮】にいる木魔獣トレントから採れた木材を使う事で気密性を確保して井戸用手動ポンプが完成した。
呼水を入れてしばらく動かしていると、やがて濁った水が勢いよく溢れ出てきた。目を輝かせて一連の作業を見ていた子供達から歓声が上がる。
あとは水が綺麗になるのを待つだけだが、水を【邪眼】で調べてみても有害な物質は含まれていなかったので飲料水にもできるよう砂利と木炭で簡単なろ過装置を作り、ポンプの傍に備え付けて置いた。
ロウが固有能力【創造】で作ったポンプの設備以外は土魔法、水魔法を使える者なら簡単にできる事である。ユリムとサレジーナにはポンプとろ過装置の構造を説明し、簡単なメンテ方法なども合わせて覚えてもらった。
しかし、元気な子供達の水遊びで庭が水浸しになってしまった。毎回これでは菜園も荒れてきてしまう。
それでは本末転倒なのでロウは庭の一角に砂場、ブランコ、滑り台など『遊具』を作っていく。どんどんできていく新しい玩具に子供達は大興奮で、ポンプから興味の逸れた子供たちはようやく水遊びを止めてくれたのだった。
一応、雨の日も家の中で遊べるよう、積み木とリバージ、アヤトリとお手玉など室内玩具を作っておいたので、明日は遊び方やルールを教えたり大変な日になりそうだ。
そんな様子を、日陰に座ったカミュがニコニコととても良い笑顔で眺めていた。
◆
その日の深夜、ロウとキノは孤児院の庭を借りてカミュの義手造りに取り組んでいた。
元々人族のように睡眠など必要ない二人である。月明かりが降り注ぐ中、急拵えの作業台に様々な部材と道具が並べられていた。
ロウにとっては一度作ったことがある製品なので、サイズの調整さえしてしまえば組み立てるのは簡単な作業である。ただ、先天的に腕が無かったカミュの場合、義手を動かす魔力回路(神経回路)をより細やかにしなければならなかった。
アルフレイの義手と同じミスリル製で、カミュの身体に合わせて少し小さく作ってある。
今十二歳の彼女はもう少し成長するであろうから、その時の体型に合わせて作り直す必要があるが、かなり精密に作り込んでいるので外殻を更換すれば良いように工夫されている。アルフレイに作った義手は、いつか本物の腕を取り戻すための『一時的な』モノでしかないのだから、多少の粗さがあったことは否めないのだ。
しかし先天的に障害を持って生まれたカミュの腕は再生魔法でも戻すことは出来ないので、この義手を生涯付けた生活とより精密に、繊細に作らなければならなかったのだ。
骨格は純度を高く錬成した魔鉄で精密に作り、筋肉の代りには糸のように細く加工したミスリル鋼の束を取り付けていく。まるで鋼鉄の筋肉標本のようなそれの外側には、地竜の革にミスリル鋼を薄く伸ばした細かいバーツを溶着した外殻を貼りつけていく。
カミュの腕との接合部分にも地竜の革を使い、持主の魔力を感知すると収縮して一体化するように術式を書き込んでおく。
一見中世の甲冑ガントレットだが、女性の腕のように細く美しい仕上がりであった。
そして夜も明けるころ、カミュ専用の義手が一応完成した。一応成人した時のために大きい外殻も用意してある。
薄蒼に輝く滑らかな表面は、辺りを照らしだした朝日が当たると絶妙に光りを乱反射させ、恰も自らが輝きを放っているかのようである。
魔道具:ミスリル義手【魔力操作媒体】 魔力を通す事によって自由に動かす事が出来る。
能力:魔力操作、魔力増強、認識阻害
『うむ、あとはカミュの腕に装着してから様子を見て仕上げだな。』
「・・・ロウ様。こんな美しいモノを創れるなんてすばらしいです!あぁ・・・私もロウ様に創って貰いたかった!」
キノは出来たばかりの魔道具に嫉妬して身悶えしている。怨念の憑代と呼ばれた『狂気の魔剣』であった頃のキノを知っているロウは、いくら可愛らしく身を捩る仕草をしても生暖かい目で見る事しかできなかった。
そしていつも通りの朝が来る。孤児院の皆が起き出す時間となっても子供たちの寝起きは最悪だが、一旦起きてしまえばレミストレナ女史やユリム、サレジーナの号令の元、掃除や洗濯、畑の世話と大忙しで動き回る。
この孤児院では朝食前からそれぞれの担当するお手伝いを終わらせ、みんな揃って朝食を食べるのが決まりになっているのだ。
そんな喧騒の中、ロウとキノはカミュを向きあい、出来上がった義手を装着しての最後の調整を行っていた。
『何も難しい事を考える必要はない。当たり前にあるものと思い込めばいいのだ。では取り付けるぞ。最初は刺すような痛みがあるが心配することは無い。』
「は、はい・・・。っ痛!!」
『よし・・。まず体に内包する魔力を感じるのだ。その流れを右手の義手の先まで向かわせ、そしてまた自分の胸に帰ってくるような、そんなイメージだ。』
「い、いめーじ?ですか?ええと・・・・」
『よし、魔力の流動を感じる。ゆっくりと手を握ってみるのだ。』
「ああああああ!う、動いた!!」
『うむ、焦らなくてよい。今度もゆっくり開いてみるぞ。』
「はい・・・できます。できましゅだ!でが動きまじた・・・できましだロウざん・・・あるがど・・・あ、あ・・・」
『うむ!初めてでこれだけ動けば大丈夫だろう。カミュよ、頑張ればもっと自由に動くようになるぞ。』
「う゛えぇぇぇぇん!!!」
ついにカミュは義手を胸に抱いて大泣きしてしまった。
慌てて宥めようとするロウだが、オロオロと右往左往するばかりで結局なにもできずキノに救いを求めるが、魔剣であるキノも泣く女子を慰めるスキルなど持っておらず、ロウから目を反らして明後日の方向を向き全く役に立とうとしない。
結局カミュの泣き声を聞いてやってきたレミストレナ女史が優しく言い聞かせ、漸くカミュも落ち着いて泣き止んだのだった。そして涙と鼻水でグシャグシャになったカミュが小ドラゴンのロウに飛びつき、新しい腕でロウを抱きしめ、もう一度「ありがとう」と呟くのであった。
◆
夕暮れ間近になってソルトの町を出たロウ、キノ、ゼロフト、セイヤは、再び自由都市国家セイギャロンへの街道を徒歩で南下していく。と、言っても街道を歩いて行くのは町の防護壁が見えなくなるくらい離れた場所までで、一行は突然街道を離れ西の森の中へと入っていった。
これからロウ達はセイヤが闇奴隷商人に捕まったというレミルグラン王国へと向かうのだが、セイヤが連れて来られた時がそうであったように、レミルグラン王国へは海路で向かうのが一番近い。それでも船で六日も要するので、成竜に【変化】したロウの背に乗って飛んで行く事にしたのだ。
この町からの出発を夕刻にしたのも、馬車を使わなかったのも夜の闇に紛れて移動するためだ。
あの孤児院にはゼロフトが金貨を十枚も寄付したので、贅沢さえしなければ借金などぜずに数年間は多少余裕のある暮らしが可能であろうし、菜園で育てる薬草や野菜もまとまった収入源になって孤児院の運営を助けてくれるはずである。
庭に作った井戸や子供たちに作った遊具や玩具も好評で、小ドラゴンのロウは子供たちに大人気となり、みんな弾けるような笑顔で送り出してくれた。
ロウはカミュにはいまだ開花していない固有能力【再生魔法】があることを伝え、妖精族の国ファーレンである人物に会って欲しいとお願いした。もちろんその場で返事はもらわず、レミルグランからの帰りにまた孤児院を訪ねてくるので、その時までに決めて欲しいと言って別れてきたのである。
たった二日であったが、カミュが真直ぐ聡明な少女であることは全員が分っていたので、これまでの先の見えなかった未来からもう一度自分の将来を見つめ直し、真剣に考えてくれると思っている。
カミュに魔力操作のやり方と元々持っていた【隠蔽】を自分を対象にした発動方法を教え、また会う時まで毎日練習しておくよう何度も言い聞かせる。視力が戻りこれからは外に行く機会も増えるのだから、魔人族であることを上手に隠して暮らさなければならないからだ。
やがて山の頂に陽が隠れ、辺りに夜の気配が満ちてきた。
ロウはキノの頭の上から降りると、少し離れた場所へ移動し固有能力【変化】を使って成竜体へと変身した。
ゼロフトとセイヤは目の前に現れた黒いドラゴンを目を輝かせて見つめ、その横では腰に手をあてたキノが小さい体を精一杯伸ばして自慢げに微笑んでいる。
『さて、そのレミルなんとかが何所か我は知らぬ。案内は頼むぞ。』
ロウは触手を伸ばして三人を背中に乗せ、羽を一羽ばたきさせて空へと舞いあがった。
月の明かりの中で一旦静止して自分の周囲に障壁を張り巡らすと、セイヤが指をさした南西の方角へ向けて一直線に飛んで行った。