20.港町
種族というものは、何を基準にどういった括りで決められているのだろうか。
この世界における人族とは人間族と妖精族、獣人族、魔人族の四種であるが、人族と同じように集落を形成して生活するオーガやオーク、ゴブリンといったモノは魔獣に分類されている。
語彙は違えどお互いに言葉というコミュニケーションツールを有し、利便性向上のため道具を使い、強者から身を守るためある一定の集団を形成させて階級を作り、同じ世界に生きているのにも関わらず、同種と認めることは絶対にない。
人族に括られるために必要な条件となるのは文化レベルか、それとも他と共存するという考えを持つか否かであるのか。おそらく後者の理由が当てはまるという者が多いのだろうが、決してそうではない。
それは人族の中にも他種族差別や排斥の考えは根強く残っているからである。
人間族がすべての種族の頂点であるという至上主義が。
獣人族では人間族など進化に取り残された弱者であるという超進化主義が。
魔人族では、人間族など大した能力も持っていないのに数を頼りに全大陸を支配地域にしようとする下等種族で、魔人族こそ人族頂点であるという原理主義が。
それぞれの主義主張は差別となりヘイトとなり、強は弱を、大は小を排除しようとする。人が人を支配し、それが強さの象徴であると勘違いして、恥かしげもなく浅ましい姿を曝しているのだ。
単一種が支配している訳ではない世界で、こういった主義主張の違いが種族間差別や小競り合い、事が大きくなると種族戦争を引き起こし、多くの人命が失われる結果になってしまう。
未熟で理不尽な世界。
そんな風にロウが評したこの世界は、このような闇が至る所で人々を飲み込み、その版図を拡大し続けているのである。
◆
妖精族の国ファーレン王国での騒動が終息するとロウは浮遊島へ戻り、いつも通り怠惰な生活を続けていた。
そのまましばらくの間は下界には降りず、休養を取ろうとしていたロウなのだが、現在、固有能力【不可視】を使って身体を透明化し、海岸線の上空を飛んでどこか大きめの都市がないか探している。
理由は当然「食」にある。二百年も食事をせず、物を食べなくても良い体に満足はしなくても不自由はしていなかったのに、一度食べるという習慣を身に着けてしまうと美味しい物を食べたいという欲求は止まらなくなってしまったからだ。
次に食べるのなら魚、海鮮、塩焼き、刺身である。ブリアニナ王国の『甲魔の迷宮』で倒したタラバもどきは身がパサパサで、焼いても煮てもあまり美味しくなかったのだ。
(海の傍にある町なら絶対に魚料理を売りにしているはずなのだ!)
海岸線に沿って飛んでいるのだが、いくつかの小さい町や集落があるのを見つけるが、大きい町がなかなか見つからない。やはり、擬人化して入るにしても、小さい町や村では余所者は目立ってしまうし、変な噂話は直ぐ広まるだろうし、顔を憶えられるのも面倒なのだ。
大きい町なら正当な身分証さえ示せば入ることができるし、余所者だからと言って深く詮索されることもないので人外のロウにとっては好都合であるのだ。
そのまましばらく飛んでいると、防護壁で囲まれたブリアニナ王国の首都タウンゼルの様な大きな街を発見した。海岸近くにあった丘をそのまま街にしたような形をしており、真中の城のような建物の城壁も含めると三連の防護壁に囲まれている。
街の規模もなかなか大きく、海の青と山の緑の間にぽっかりと浮かぶお皿のような印象だった。
海岸には港もあり大小さまざまな船が停泊していて、入り組んだ湾の上には小舟のような船も見える。当然、その場で獲れた海産物も陸揚げされている筈であった。
ロウは特透明化を保持したまま早速小ドラゴンに変化し、上空から一番目の防護壁を越えて街の中に入っていった。今回は不法侵入であるが、冒険者の登録さえすれば身分証の代りとなる認定プレートがもらえるので、今後はどの町にでも自由に出入りすることができるようになるはずだ。
適当な路地裏に入ってから固有能力【変化】を使って擬人化する。
この世界にも黒髪の人族はいるのだが、二百年前の戦争で異世界人が黒髪黒目という認識が広がり、現在でも悪目立ちするということなので茶髪鳶目に変えておく。しかし元の顔はのっぺり顔の日本人なので、お世辞にも似合っているとは言えなかった。
身に着けている黒い服は魔力で再現したものである。いわばロウの皮膚と同じようなものだが触った質感は布と変わりがない。
これで完全に人族姿になったわけだが、ロウは声を出す仕組み、所謂声帯の仕組みを知らなかったので、固有能力【変化】では再現できず言葉を出すことは出来なかった。しかしファーレンで作った紙をたくさん持ってきているので、筆談にすれば意思疎通は出来るはずである。
空間倉庫から魔力拡張鞄を取り出して腰にしっかりと巻きつけて固定し、さらに紙とペン、財布代りの袋を取り出して鞄の中に入れ替える。さらにやアダマンタイト鋼で作った剣を取り出して背中に背負うように斜め掛けすると準備は完了である。
触手に目を移して外見をみて、間違いなく人間族の雄だという事を確認して路地裏を出て行った。
ロウは人が多く活気がある街の大通りをのんびりと歩く。
この街には種族間の差別は無いようで、通りを歩く人族の中には獣人族もいればエルフやドワーフといった妖精族も偶に見ることができる。
道の両側に屋台が並ぶのは何処の都市でも同じようだが、ここは屋台が人の流れの邪魔にならない様に整然と並べられていて、脇道に曲がる部分にはちゃんとスペースが取ってある。
また、所々に人が座って休めるベンチや色取り取りの花が植えてある花壇などが置いてあるのだが、それらの配置が人の流れを上手に誘導しており、常に商店のある方へ足が向くようになっていた。
ロウは魚を食べるのならば刺身か塩焼きが一番良いと考えている。採れたての鮮魚を売っている店もあるが、切り身や刺身で売る店や肉の串焼きのように調理済みのモノを売る屋台が中々見つからない。時折見かける肉を焼いている店の前を、必死に我慢してやり過ごす事数回。ようやくお目当ての魚の塩焼きを売る屋台を発見した。
ロウは一目散に屋台目掛けて走り、そのままの勢いでカウンターに取り付くと売り子の少女は驚いで身を引いている。ロウが覗き込むと間違いなく細長いイワシのような魚を網の上で焼いている。
さっそく紙とペンを取出し、塩焼き十匹くれと紙に書いて少女に見せる。
『お魚の塩焼き十本おくれ』
「は、はい!お客さん声が出ないのかな?十本ですね!お待ちください!一本が半銅貨一枚だから、ええっと・・・」
さくっと計算し銅貨と半銅貨を二枚ずつ手のひらに載せて渡そうとすると、一瞬目を見開いて驚き、それでももう一度自分の指を折って数えて間違いない事を確認すると、にっこりと微笑んでお金を受け取った。
レミダの街で売っている肉の串焼きが一本半銅貨(銅貨の四分の一)二枚だったので港に近いこの場所なら妥当な金額なのだろう。
「さっき焼いたばかりの魚があるから先にどうぞ!」
元気よく答える少女がすでに焼いてあった二本を手渡してきた。
炭火焼にしているようで、表面にこんがりと焼き目が付いて見た目にも美味しそうである。さっそく魚の背に噛り付くと・・・やはり旨かった・・・。
白身の魚は脂がのってジューシーであり、噛めば噛むほど脂が口の中に溢れてくる。なぜか骨まで柔らかで頭から噛り付いてもバリバリと砕けてくれる。塩加減もいい。若干薄味だが淡泊な白身には十分な味付けだった。
ロウはあっという間に焼き魚二本を骨まで残さず平らげ、次の串が焼けるのを涎を拭きながらじっと見守る。
「あ、あの・・・すぐ焼けるからもうちょっと待ってね!」
ロウの様子に若干引き気味の少女が元気よく言って新しい魚を焼き始めた。
この屋台のスペース的に4本ぐらいしか焼けないみたいだが、効率よく裏を返したりしてまた二本、また二本と魚が焼き上がってくる。ロウはそれを片端から噛り付いては次を待つという事を繰り返した。
あっという間に先に頼んだ十本を平らげ、そこからさらに四本追加してもらって漸くロウも満足した。
ベトベトになった口元を布で拭きあげ、再び紙とペンを取り出してニコニコと笑顔を振りまく少女に礼を言う。
『美味しかった。また来る。』
「うん、お兄さんたくさん買ってくれてありがとう!」
魚の塩焼きも少女の笑顔もとても良い。ロウは幸せな気分で少女の屋台を後にしたのだった。
◆
久し振りの魚料理に大満足のロウは、次なる目的場所である冒険者組合に向っている。
冒険者組合の場所は既に来る途中で道端のベンチに座る人族に教わったので、教えられた通りに大通りを歩い行くと周りの建物より一際大きい石造り三階建ての建物が見えてきた。通りに面した観音開きの大扉は開け放たれており、入口には警備のためか槍を持つ冒険者風の男が立っている。
ロウは躊躇することなく冒険者組合の建物の中に入っていく。
冒険者組合と言えば混雑するのは朝夕の時間帯で、昼過ぎのこの時間は何となく閑散としていて、受付窓口はいくつも並んでいるのだが、実際に窓口業務のために座っているのは三人だけのようである。
とりあえず一番手近で人が並んでいない窓口に立ち、用意していた紙を受付の中年の男の前に置いた。
『組合に登録をしたい。声が出せないので筆談になる。』
「ほほう、それは難儀だな。声が出ないなら他の冒険者とパーティを組むのは難しいぞ。」
『問題ない。どちらかと言えば戦闘系というよりは生産系の魔道具屋だ。』
「ふうん、そういう訳か。それなら別に単身でも問題ないが、物を売るなら商業組合に登録した方がいいんじゃないのか?」
『あっちに登録したらノルマがあると聞いた。ここなら好きな時に買ってくれるとも。』
「まぁ、確かにそうだが、魔道具の買い取りは鑑定が必要だから時間が掛かるし、物によっては商業組合の方が高く買い取る。まあ、そんなことは追々勉強すればいいんだろうが。これに必要な項目を書いてもらおう。それと登録料として銀貨4枚必要だ。」
『了解した。』
財布から銀貨を取り出し、引き換えに皮紙の登録用紙もらって必要事項を書き込んでいく。項目は、名前、年齢、性別、種族、職業、申請能力の五項目。出身地は任意のようだ。
自己申告だから虚偽申請も可能だし、名前と年齢、性別以外は記載すらしなくて良いらしい。ただ、能力欄はパーティを組みたい他の冒険者へのアピールになるので公にできるものだけでも記載した方が良いそうだ。
ロウが能力【隠蔽】を使って作り上げた情報は、若干魔力が多目の普通の人族、のつもりである。
名 前:ロウ(♂25)
種 族:人間族
状 態:平常
適性能力:魔道工作士
固有能力:なし
特殊能力:【状態異常耐性】
通常能力:【体術】【鑑定】
出身地は北の果てにあるライストン王国のトリオス村と書いた。ここは浮遊島を見つける前に立ち寄った廃村である。冬は大地が氷に覆われてしまうような場所で、余りの過酷さに人が住まなくなったのだろう。
「ライストン王国?聞かない国だな。遠いのかい?」
『北の果て。村はもう廃村になった。』
「そうか。では認定プレートを作るからそこで待っていてくれ。」
しばらく男に示された木製のベンチに座っていると、今度は別の女性職員がロウのいる場所にやって来て、そのまま一階ホールの奥にある別のカウンターに案内された。
そこで聞かされたのは組合の成り立ちや組合員規則罰則、組合の役割や昇格条件についてなどで、その内容はどこかで聞いたような事ばかりで、ロウも特に気に留める必要もないと思ったのか、渡された黄色に縁取りされた認定プレートを見詰めているだけだった。
冒険者ランクは下から黄、青、赤、紫、銀、金、白銀の七つに分かれており、更に同じ色でも星の数で三階級に格付けされる。
組合依頼は自分のランクの一つ上まで受けることが可能で、黄色の見習い期間は、黄色か青の組合依頼を十件達成すれば卒業し、次の青ランクになれる。それからは達成した依頼の数や成績、難易度で評定され、ラングアップごとに試験が行われる。
依頼中のトラブル、怪我や病気は自己責任で。などなど。
「登録されたばかりの方の死亡率はどこの支部でも高いのです。くれぐれも自重なさって下さい。」
『了解した。』
「ロウさんは魔道工作士との事ですが、魔道具をお売りになるときは二階の売店で査定と買い取りを行っています。組合依頼の報告窓口とは別ですのでご注意下さい。」
『それも了解した。』
「説明は以上になります。今後とも冒険者組合セイギャロン支部を宜しくお願い致します。」
自由都市国家セイギャロン。
その名の通り一つの都市が国家として成り立っている。こういった国に属さない都市国家と呼ばれる街は多く存在するが、セイギャロンの様に自軍を持ち、周辺各国と対等に渡り合える街は少ない。
大陸間海上交通の要であるこの都市は、過去に何度も近隣国同士で奪い合う戦火に見舞われ、その度に海運が滞るという不利益を齎してきた。一国だけで管理できるほど簡単な土地柄ではなく、中立の都市国家として独立させていた方が良いと、この二十年でようやく体裁が整った国なのである。
説明が終わってカウンターを離れたロウは、エントランスホール一角にある依頼掲示板を覗いてみる。壁一面の巨大な掲示板には雑多な内容が幾つも掲げられており、ロウが受注できる黄青の依頼は街内の雑用、港での荷運び、職人の手元、街外の害獣駆除と素材集めが殆どである。さすがに魔獣討伐は含まれていない。
取りあえず一件受けて達成させておけば一年は強制脱退されないというので、達成期限の無い街外の害獣駆除の依頼を受けて組合を出る。指定された害獣は、どこにでもいる野ブタと野ヒツジで五頭駆除すれば達成一件になるらしい。
再び誰もいない路地裏に入り、小ドラゴンに変化して街を出る。掲示板には野ブタが街の北側で野羊が西側とあったので、とりあえず北側に向かって飛んで行った。
空中から固有能力【邪眼】と【索敵】を使って対象の生物を探していく。街の北側は丘陵地になっていて、山の頂に向かい雑木林が広がっていた。
空から探していると早速十五頭ほどの群れ発見したので、群れの近くに着地してから土魔法で砂鉄の剣を作り出し、宙に浮かぶ剣を一斉に群れに向けて放った。
十数本の砂鉄の剣は全て正確に野ブタの首を貫き、一刀で絶命させた。討伐部位は耳を切り取れば良いと書いてあったが、一頭丸ごと肉屋に売れるというので血抜きをしてから空間倉庫に詰め込んで行った。
さらにもう一団同じ規模の野ブタの群れを発見したのでこれも掃討し、僅か半刻くらいで北側の依頼を完了させる。
次に西側へ周って野ヒツジの群れを探すのだが、こちらは岩が露出した起伏が激しい山谷で、野ヒツジの群れも小規模のものしかいない。
仕方がないので気配を消して近付き、一頭一頭追い回して仕留めていく。そんな作業を日が暮れるまで頑張り、野ヒツジを二十頭も仕留めたところで今日の仕事を止めることにした。
野ヒツジは体毛と肉が売れるので、血抜きをした後に触手を使って前足を持ち上げ、腹を割いて売れない内臓を取り出してその中を水魔法で洗浄する。あとは凍結魔法で冷やして空間倉庫に入れておけばそれほど劣化はしないであろう。
あっという間に相当数の害獣を駆除したが、依頼を受けたばかりなのに早々と成果を持っていけば悪目立ちするので、明日の朝、混雑する時間を避けて持ち込もうと考え、その辺の適当な平地で丸くなりそのまま眠りについた。
翌朝の冒険者組合は多くの冒険者達が我先にと訪れ、少しでも実入りの良い依頼を奪い合ってすぐに街の内外に消えていく。
そんな人の流れとは逆向きに冒険者組合にやってきたロウは、組合登録手続きをしてくれた男の姿を窓口に見つけたのでそこへ並び、それほど待つことなく順番が来たので依頼の達成報告を行う。
『野ブタと野ヒツジを持ってきた。』
「お、早速組合依頼を消化してくれたのか。駆除一件で報酬が銀貨一枚じゃ安くてやる人間がいなくてな。増えすぎて困っているんだ。」
『たくさん捕れたぞ。』
「ん?どこだ?外に置いているのか?」
『魔法拡張鞄の中だ。』
そう書かれた紙を見て男は一瞬驚いた顔をしてロウを見る。魔法拡張鞄はとても高価なので駆け出しの見習い冒険者が持てるような魔道具ではないからだ。しかし、そういえばこの男は魔道具を作る工作士と言っていたのを思い出して納得顔に変わった。
ともかく建物裏の仕分け倉庫に行くようロウに言って、自分は席を離れて扉の奥に消えて行った。
そして今、組合の仕分け倉庫の床の上には野ブタと野ヒツジの死体が大量に転がっている。
「・・・君は一体どうやってこんなにたくさんの獲物を短期間で仕留めることができたのだ?」
『撒き餌、睡眠中、我徹夜。』
「ほ、ほう・・・なるほど。撒き餌で集めて夜眠っているところを仕留めたと。」
『正解。痺れ薬も少々。』
「中々の策士のようだな。ともあれ、ちゃんと血抜きも下処理してあるし傷も少ない。この状態なら素材の報酬金も満額払えるよ。」
『おけまる。』
「それに三十六頭の持ち込みだから依頼七件分の達成に相当する。中々優秀なのだな君は。あと三件で見習い脱出だから頑張ってくれ。」
なるほど。もうすぐ昇級するなら、あともう一日くらい野ブタを狩っても良いかなと考えつつ、今日は刺身を探さなくてはと思い直し、ロウの姿は雑踏の中を早足で街の大通りの方へ消えて行くのであった。
◆
その日の夕暮時、ロウの姿は大通りから数ブロック奥に入っていった場所にある、屋台ではなく店舗型になっている酒場や食事処などが多く軒を連ねるエリアにあった。
日中は町で刺身を探したのだが、生で魚を食べる習慣そのものが無いらしくそうしたものを供する店もなかった。仕方なくまた塩焼少女の元へ行ってまた焼き魚を食し、食べる間に愚痴を聞いてもらっていたのだった。
さて、ロウがこの街に来たもう一つの目的、それがお酒である。
前世ではお酒が大好きだったロウは、二百年もの間お酒を飲めない環境にいたので、この世界でも大好きだったお酒をどうしても飲んでみたかったのだ。
レミダの街では学生のティノと一緒だったし、ファーレンでは何やかやと忙しすぎて、この世界にもお酒があるという事まで頭が回らなかったのだ。
と、いうことで酒場へGOである。
適当な酒場兼食堂に入ると、まだ早い時間で席は半分も埋まっていないのだが、その中でもあまり目立たないカウンターの端っこに座って酒を注文する。どうやらこの世界にある酒は果実酒、蒸留酒、醸造酒などがあり、冷蔵技術が発展していないので常温で飲むものが多いようである。
目の前にドン!と木製ジョッキが置かれる。エールという泡の立つ酒が入ったジョッキを一気に呷り、久々に『くぅぅっぅ!!』とやってみる。もちろん声が出ないので気分だけなのだが、涙を流して嬉しそうに飲むロウを、カウンターに立つ男は呆れ顔で見ている。
すぐにきたエールの二杯目を片手に持ち、さて次は何を頼もうかとロウがカウンターの向こうの棚に並ぶ、酒の銘柄が書かれた小樽を眺めていると、唐突に横から咎めるような声が掛けられた。
「ねぇ、あんた。そこは私の予約席なんだ。どいてくんない?」
『?』
ロウの横に立っている冒険者風の女が一人。理不尽な要求をした相手がどんな態度を取るのか、挑発するようにニヤニヤと笑みを浮かべて見ていた。男ほどに背が高く良く陽に焼けた褐色の肌を惜しみなく曝しているが、女豹のように鍛え上げられた見事な身体つきをしていた。
このような酒場で個人のために席を取っておくなんて事はしないし、まだ席がそれほど埋まっていない店で席を譲れと迫るのは、単に嫌がらせをしたいだけなのかも知れない。カウンターの男も渋面を作って女を睨んでいる。
この女冒険者、このような事を何度も繰り返してきたのだろう。女と侮り、仕掛けてきた男を返り討ちにして楽しんでいるのか。
確かに血の気の多い冒険者ならすぐ挑発に乗り、暴力沙汰へと発展してしまうのだろう。だが、そんな女の態度も挑発とも思わないロウは、鞄から紙を取出して女に見せる。
『それはすまなかった。』
謝罪の言葉を紙に書き、すんなり席を譲るロウ。片手にジョッキを持ったまま、呆気にとられる女の横をすり抜けてカウンターの中央付近に移動し、再びジョッキを傾けて飲み始めた。
自分の挑発をあっさりと躱されるし、口の不自由な男に絡んでしまった後悔からか、女は不機嫌な顔でロウが座っていた席に座り、女の醜態をニヤニヤ笑うカウンターの男に、怒鳴るようにエールを注文していた。
ロウは気を取り直して飲み始めると、急に後ろが騒がしくなる。
何事かと体を捻って後ろを向くと、店の入り口から抜身の剣を振り回す冒険者風の男が乱入してきているではないか。しかも口から涎を垂らし、絶対に正気の目をしていない。
男は客を斬り付け、机を蹴り倒して大暴れし、飛び散る皿や逃げ惑う客で店内がパニック状態となる。それ程広くはない店内で遂にはカウンターにいる客を標的としたのか、真直ぐロウに向かってくると片手持ちの細剣を振りかぶり躊躇う事無く頭めがけて振り下ろした。
誰もが男が真二つになる姿を思い浮かべ、カウンターの方へ釘付けになる。しかし目にしたのは信じられない光景。ロウは持っていたジョッキをその場に落とし、白刃取りで剣を抑え込むと、男の腹に蹴りを入れて剣を奪ってしまったのである。
真剣白刃取り(○iki)。
相手が勢い良く頭の上に振り下ろしてくる刀を待ち受けて両手で受け止める防ぎ方。なお実際においては実行不可能に近い極めて危ない技であり講談や小説などの純然たるフィクションに近くて作中における超人的な人々が用いる技である。
当然、ロウもこのような特殊技術を持っている訳ではないし、白刃取りをやろうと思ったわけでもない。
自分の手のひらの皮膚を固くしてただ「受け止めた」だけである。単純に剣を抜いて受ける暇が無かったからだが、そのまま剣を素手で掴んでは都合が悪いと考え、こんな仕儀になっただけなのだ。
剣から手を放した男は突然立ったまま硬直し、何を言っているのか聞き取れないような呻り声を漏らしながら痙攣を始める。
その痙攣が徐々に激しくなると、鼻や目や口、耳の穴から血を流しはじめ、白目を剥いて後ろに倒れ込んだ。やがて痙攣も止りピクリとも動かない男が死んでいるのは誰が見ても明らかであった。
男が倒れたのを見ると、ロウは刃から手を離し、剣を返してグリップを握ると、唐突に何者かの声が頭の中に直接語りかけてきた。
(殺せ殺せ殺せ殺せ・・・・)
男とも女とも取れる低く地の底から響いてくるような声。しかも声だけではなく、以前に隷属の首輪を装着した時に感じた精神干渉の気配も感じる。ロウは、なるほどこれであの男を狂わせたかと納得した。
最近、この街ではある魔剣の存在が何度となく噂になっていた。
狂気の魔剣。手に持った者を惑わせて狂気と殺人衝動を植え付け、見境なく人を斬り付ける呪いの魔道具であると言われていた。しかも持つ者の身体能力を引き上げるかわりに、骨が筋肉が内臓までズタズタに断裂してしまうという。
元々は戦場に出たが敵が恐ろしくて戦えなかった貴族が、弱い心を克服することができる魔道具を魔道士に作らせたモノだったという。
長い年月と多くの持主を経てその剣がこの街に持ち込まれ、まさに今日開かれた競売会に出展されたということなのだ。
細身で長いだけの両手剣であり、装飾品としての価値も歴史的希少性もなく、悪い噂ばかりある剣なので誰も落札しないであろうと思っていたところを、この街の商人が安値で落札していったのだった。転売目的とも聞こえてきている。
さっきまで剣を持って暴れた男は、この魔剣を落札した商人に雇われていた用心棒で、元は紫星一つの冒険者だった男だ。
完全に狂った男から剣を奪ったことでホッと安堵した客達が、今度はその剣を奪った当人が剣を握りしめたまま動かなくなったので、再び息を呑み、緊張のあまり動けなくなった。
(殺せ殺せ殺せ殺せ・・・・)
相変わらず手の中にある剣が呪詛を吐き続ける。
確かに頭の中の直接このように延々と呪いの言葉を吐かれたら、並の人間ではあっという間に精神を支配されてしまうだろう。だが、今その剣を握っているのは人外のロウだ。
ロウは自分の握っている剣に向かって【威圧】を放つと、手先から一方的に魔力を剣に流して念話で話しかける。
『鈍剣め。その程度の力で我を支配できると思っているのか。このまま我の魔力を流し続けて粉々に砕いてやっても良いのだぞ。』
『っ!う、うああ!』
『魔剣ごときが精神支配を仕掛けるなど頭に乗るでないわ!』
『や、やめ!やめろ!!ぎゃぁぁ!!』
瞬間、ロウの持つ剣全体が淡く光りに包まれたように見えた。
ロウの威圧が少しだけ周囲の人族達にも漏れ伝わり酒場の空気が張り詰めるが、それも一瞬の事でロウの持つ魔剣が光を失うと、周囲の者が感じていた胸を押しつぶすような重圧から解放される。それと同時にロウの頭の中で聞こえていた呪詛もピタリと止まり何も聞こえなくなった。
あとはいくらロウが念話で呼びかけても剣が答えることは無かった。
誰もが押し黙り静まり返る店内で、突然静かになった剣を怪訝そうにロウが見ていると、先程ロウに絡んできた女冒険者が恐る恐ると言った態で話しかけてきた。
「え、ええっと・・・その、あんた大丈夫なのか?」
『?』
「それは、その剣はたぶん狂気の魔剣というやつで、手にした者の精神を乗っ取っては狂わせて無差別に人殺しをさせる、そんな風に噂されているヤバい魔剣なんだ。だから・・・」
『ああ・・何だかんだと頭の中に呪詛を仕掛けてきたが、一喝したら黙って大人しくなったぞ。』
「え?えええ??!!ま、魔剣に乗っ取られないというのかい!?」
『この程度、なんの問題ない。』
「え・・・」
信じられないと呟きながらロウも見つめる女を無視し、ロウは剣を小脇に抱え直し、カウンターに置いていた紙に何事かを書いて、同じように目を見開いているカウンターの男に見せる。
『憲兵か自警団か、どこかに通報してくれないか?』
「あ、ああ、逃げてった奴がいたから、すぐ憲兵がやって来るはずだ。」
『では、このまま待っていればよいか。エールもう一杯。』
落とした木製のジョッキを拾ってカウンターの男に差し出すと、ロウの図太さに狼狽しながらも男はジョッキを受け取り、新しいジョッキに酒を満たしてロウの前に静かに置いた。
しばらくして客達が動き出して倒れた椅子や机を直していると、軽甲冑を身に着けた兵士たちがドカドカと酒場に雪崩込んできた。全員が鞘から剣を抜き、盾を構えて半円になって剣を抱えているロウを取り囲んだ。
「いや!!違う!こいつは大丈夫だ!暴れたのはそっちの奴だ!」
カウンターの男が大声で憲兵達を止め、身を乗り出して必死に状況説明を始める。ロウが口を利けない事を知っていたので、代りに説明しようと思ったのだろう。
男や傍にいた冒険者の女が一緒になって状況を説明し、納得したのかしないのかしばらくして憲兵たちの殺気は少し収まったのだが、魔剣を小脇に抱えてエールを呑むロウに少なからず恐怖心を持っているのは明らかだった。
やがて部隊の隊長と思しき男が、剣を下げたまま近付いてきてロウに話しかけてくる。
「ぼ、暴漢を抑えてくれたそうだな。礼を言う。き、君はその魔剣を持っても平気なのか?」
『問題ない。ほれ、これは返すぞ。』
そういってロウは剣身の方を持ってグリップを隊長に向けて差し出すと、隊長も含め、半円に取り囲んでいた兵士たち全員が後ずさり、首を振りながら絶対拒否の表情でロウを見る。
怪訝そうに兵士たちを見つめるロウに、再び隊長が近付いて懇願した。
「・・・物は相談だが、憲兵詰所までお付き合い願えないか?その剣を持って。」
『我は何もしていないぞ・・・。』
「も、もちろんそれは分かっている!頼む!この通りだ!その剣を持ってきてくれ!」
『・・・了解した。』
また厄介事かとうんざりしながらも、ロウは律儀に飲んだ分の代金をカウンターの男に支払って外に出て行くのであった。




