表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/51

18.不穏

季節は「洗緑の月」から「繁枝の月」へと移ろい、森の木々も一層緑濃く、この時期特有の穏やかな暖かい風に靡いていた。

身体に纏わりつく空気の温度も上がるにつれて、川の水も温もり、畑では農作物の緑が競い合うように空へ向けて伸びていく様子が目に見えて分かるようになっている。


王都シルファードでの隷属解放の杖や魔法弓といった生産活動も粗方やり終え、ロウはシルファードを出て非正規奴隷から解放された者達が住むルフェンラノス村に滞在していた。

盗難対策も完璧に施し、あとは自分の好きな事をして過ごすのだと、小ドラゴンの姿でこの村にやってきたのである。

この村に住む者は、この小さなドラゴンが自分たちを解放してくれた恩人である事を知っていて、ロウを見つけると狩りで得た肉や手料理を分けてくれるので、ロウにとっては天国と言っても良い環境なのだ。


現在、この村に住んでいるのは五十五人で九割が女性であるが、エルフ族十四人、獣人族十七人、人間族九人の計四十人とファーレンから派遣された世話役の女性が十人といった構成である。また村外の番所には五人の男性エルフがいて、普段は姿を現さず村に近付く魔獣や事情を知らない冒険者たちを遠避けている。

ここに連れてこられた獣人族の女達は、助けられたことを恩に感じでか全員がこの村の残り、この村を拠点として警護や冒険者活動をすることになった。また、人間族の女達は帰る場所が無いという者ばかりで全員この村に全員が残ることになったようだ。 

獣人族や人間族の女達のなかには元冒険者や傭兵だった者もいて、いずれ本調子に戻ったら非正規奴隷救出部隊への入隊を希望しているので、心の傷が癒えた頃には貴重な戦力として手伝ってもらう事になるだろう。


ロウがこの村に来た目的は、この周辺に自生している香辛料の元となる植物の採取である。

以前、フレンギースと共にシルファードの街で食べたコッペルの焼肉に香辛料が使われているのを食して、その香辛料が何所にあるのかを聞いてまわり、王都シルファード近郊やこの村の近くに自生していることを知ったのである。

胡椒や唐辛子、ターメリックここで出来るだけの種類を集めて浮遊島に移植し、安定供給できるようになれば作れる料理も増えるというものだ。

ロウは精力的に森の中に入り、時に獣人族の女達に教わりながら香辛料を集めて行ったのである。


そしてもう一つの目的が紙造りの指導のためだ。

この村にいる女たちは、社会復帰のためファーレン特産品の生産活動を行っていたり、戦闘系の技術を持つ者は冒険者として活動したりしている。しかし戦闘系の技術も魔法適性も持たない者も中に入るので、農産業や接客業がないこの村で何かしら仕事を見つけてやらねばならなかった。

特産品のシルツ糸の加工は妖精族ならば出来るが、人間族では糸の加工が出来ない。戦闘系でもない女達でも何かできることは無いのか考えた末にロウが思い付いたのが和紙作りだったのだ。


切っ掛けはエルザード大森林の所々に生えているコウゾやクワの木に似た植物を見つけたことだった。エルフ族にあれは何かと聞いたところ、ただの雑草というからロウは驚いたのだが、それから紙漉きの道具を作り、作業工程を思い出しながら技術を伝えたのである。尤も所々忘れていたのでキョウに頼って補足してもらっていたのだが。

触媒になるトロロアオイの様な潰せば粘り気の出る植物もあったので、記憶をたどりながらではあったが実際に作ってみせるのは存外に容易だった。


出来上がった紙、和紙を見たラフレシア女王は即座にこれを国内産業の要の一つにすることを決断した。

この世界では紙を作る技術が浸透しておらす、家畜の皮をなめして作る皮紙か主流である。大量生産できない皮紙に比べて原料代が安価で手に入りやすく、製造工程も解りやすい。「漉く」という行程は慣れが必要だが、様々な大きさで創る事が出来るのは魅力だった。


ともあれ、冷たい水に手を付けることにはなるが、人間族の女達も技術を覚えようと一生懸命である。ファーレン王国の新規事業となった紙作りが財源となり、救出部隊の活動資金が潤沢になるのは遠い先の話ではないだろう。



所変わってブリアニア王国の首都タウンゼルでは、ヒュドラ襲撃で混乱を極めた首都機能も旧に復し、人々の生活も落ち着きを取り戻しつつあった。

厄災を振りまく魔獣と云われるヒュドラが暴れたにも拘らず人的被害はほんの僅かで、パニックになった住民が将棋倒しになって押し潰されたとか、騒ぎに乗じた略奪行為によって殺されたとか、ヒュドラの直接的な攻撃で命を落とした者はいない。


住民たちに笑顔が戻る中、王城内で行われている閣議に出席している面々は皆眉間に皺を寄せ、この国を実質的に取り仕切っている宰相ナザエルジの言葉に耳を傾けていた。


首都で起こった不死竜ヒュドラの襲撃、闇奴隷商人殺害、男爵位とはいえ貴族身分の者への暴行、これらはすべて亜人の国ファーレンの陰謀であると舌鋒鋭く説いている。

当然姿を消したヒュドラについては判らない事が多いが、ヒュドラが出てきた「甲魔の迷宮」がその機能を全て失い、ただの洞窟となってしまった事が分かっており、迷宮に籠った魔力を全て喰ったのではないかと噂されているのは確かだ。


国にとっては、迷宮が無くなった事による損害を考えると非常に手痛い損失である。

迷宮に集まる冒険者達、迷宮の魔獣がもたらす幾多の素材、迷宮内で採取させていた希少金属や薬草の類。それらの売り買いにこの街の経済活動は大きく依存していたのだが、そのすべてを失ってしまったのである。このままでは首都から人が減ってしまうのは誰でも予想する事が出来た。

この会議で宰相は軍を発してファーレンに攻め入り、タウンゼルで暗躍した亜人共から迷宮を奪うという事を提起していた。


「エルフの暗殺部隊というが、目撃情報では賊はたった二人でしかも人間族だったというではないか。」

「そう聞いている。人族の男女二人組が闇奴隷商人を殺害し奴隷を奪って行った。これは同業者の仕業ではないのか?」

「確かに賊は人間族のようだが、亜人奴隷の名前を知っていたらしい。人間族の二人組がエルフの暗殺部隊と見てよい。」

「奴隷商人はどうでも良いが、貴族への仕打ち、暴虐ぶりは許しがたい。しかも我が国の「物」が奪われたのだぞ。今すぐ攻め入り奴らに報復すべきだ。」

「ファーレンに攻め入るか?エルザード大森林が問題じゃぞ。軍では動きが取れんし、少人数に分けて入っては森の中を彷徨うだけじゃ。」


出席者の一部からはファーレンとの開戦に否定的な意見もあるが、殆どが肯定派である。

旧ジロール帝国から別れたこの国の6割がサキュリス教の信者であり、妖精族や獣人族を「亜人」と称して蔑む風習は根強く残っている。

ブリアニア王国にとってエルザード大森林は、戦略的にも政治的にもさほど重要な土地ではないため、積極的にファーレン王国を攻めるという動きは無かったが、ヒュドラによって自国の迷宮を一つ失った今、ファーレンにも存在する迷宮は喉から手が出るほど欲しい。


「樹など端から全部斬り倒してゆけばよい、森など焼き払ってもよいではないか。このままでは国の威信にかかわる。今亜人共に鉄槌を下さねば、奴等は増長してこのような事が繰り返すのだぞ。」


宰相がここまで言えば、この件はほぼ決定事項である。本来なら国王が決定すべき重大な事案であっても、ブリアニナ国王は「ナザエルジに任せる」と一言で全てを終わらせてしまったのである。

さらに宰相は言葉を続ける。


「この戦いは我が国だけの話ではない。正教会からも共闘の申し出があったのだ。」

「おお・・・」


ブリアニナ王国にもサキュリス教会は多数存在し、この国の教会を束ねるトンプシン司教より、本国から亜人の国討伐の兵を出すという連絡があったばかりだ。

近年亜人共が身の程を弁えず人族領を掻き回している現状を教皇様も憂いており、二度と辺境から湧いて出ぬよう鉄槌を下す必要があるので協力体制を取りたい、との事である。


人間族至上を掲げるサキュリス正教国にとっても、亜人が人間族領で暗躍しているなど許しがたい事であるにも拘らず、本国においても奴隷商人が持ち込んでいたエルフの奴隷を奪われ、アジトにいた者が皆殺しになった事件が起こったばかりであった。


因みに、サキュリス正教国には妖精族の奴隷は非常に少ない。そもそも彼の国に近付くような妖精族はいないし、サキュリスの人間族は人間族以外が国内に存在することすら由としない国である。

ただ、厳格なカースト(格差社会)が国内で確立しており、同じ人間族の奴隷が数多くいたり、亜人を人体実験のサンプルとしたり、国境付近では人手不足を理由に獣人族を捕えて家畜同様に扱う地域もあるため、非正規奴隷が全くいないという訳ではないのだ。


今回のタウンゼルで起こった事件について、教国では破壊神の手先である厄災竜ヒュドラと亜人の国ファーレンが結託して起こしたものとみている。そのヒュドラは現在ファーレンにいるに違いないとみた正教国は、被害国であるブリアニア王国を焚き付け、亜人の国ごと厄災竜を討伐しようと考えていた。

悪神の手先を討伐するため、サキュリス正教国の救世軍から、すでに第二聖光軍の魔法部隊三百が既にブリアニナに向けて出発している。


「正教国が動いた、つまりそれは教皇様の、サキュリス神の御心である!正義は我々と共にあるのだ!」


元々サキュリス正教の信者でもある宰相は、この国のみならず教会内での立ち位置も盤石にするため、サキュリス正教国を巻き込んだ遠征を画策したのでる。


熱心なサキュリス教信者でもあるナザエルジ宰相も、いわゆる亜人達を人族の一員であるとは認めていない。

種族間差別を無くそうなどという動きはあるが、彼にとって亜人達はゴブリンやオークといった魔獣と同じ範疇であり、草木の中を這いずり回り、文明的な生活が出来ない野蛮な種族に対し、そもそも差別など存在しないのだという考えである。

知恵がある分多少扱いにくいが、旧ジロール時代にはそんな亜人達を「隷属の首輪」を使って制御していたという。


(隷属の首輪を使えば我々の思い通りに動く家畜が出来上がる。素晴らしいではないか。)


ジロール帝国時代の様に、国家ぐるみで亜人狩りをする訳にはいかないが、亜人の国に戦さを仕掛けて勝利し彼の国の者を捕虜としまえば問題は無いのだ。長年暗部に研究させてきた魔獣を「隷属の首輪」で操る研究もようやく結果が出始めているし、隷属の魔法陣を直接体に刻む研究も成果が上がってきた。


(強国から小国の一つに成り下がったこの国を、もう一度華やかな表舞台に押し上げてみせる。)


ナザエルジ宰相の野望の炎が作り出す影は、ブリアニア王国の闇をさらに濃く深く上塗りしていくのであった。



一方、ファーレン王国の王都シルファードは伸び行く木々の枝を見ながら穏やかな日々が過ぎていく。長く悠久の時を過ごすエルフ族はこの時期が繁殖期となり、街中にも男女が肩を並べて歩く姿が多くみられるようになった。

妖精族の中でもエルフ族とドワーフ族は同族結婚ではないと子孫を残せず、異種族間交配で子が生まれることは殆どないと言って良い。極めて低い確率で生まれた「ハーフ」は妖精族としての能力を持たず、純血種より短命でその生を終えることになる。

そういった意味でエルフ族の男女は性に対して淡泊であり、種族的に血を守らなくてはならないという危機感から繁殖期というものができたのだとエルフの歴史は教えていた。


そんな中、王城の一角で次の同族救出作戦のため、闇の勇者キョウと会談を持っていたラフレシア女王の元に精霊からの急報が届いた。精霊達の伝言ゲームの様なモノで正確に伝わらない場合も偶にあるが、伝達速度だけは相当な能力を持っている。

会談を中断させたことを詫びながら宰相が入ってきて、ラフレシア女王に報告を行う。


「スイレーベのアルタミア様から緊急連絡が。ブリアニナ王国の国境の町カレンドにブリアニナ軍が集結しているとの事です。」

「・・・確かなのですか?」

「精霊は間違いなくアルタミア様の契約精霊である水の精霊の配下です。アルタミア様は常に人間族との国境に気を配られておいでです。」

「数は?」

「精霊は正確な数字を語りませんでした。とにかくいっぱいの人間、だそうです。」


ファーレン王国のスイレーベは他国の領地に最も番近い街であり、他国との戦争になれば当然戦いの最前線となる街である。それゆえ、ラフレシア女王は家臣中でも信の置ける一人アルタミアにこの街の統治を任せてきたのだ。

そのアルタミアが発した急報である。

アルタミアはブリアニナ王国に属する近隣の町や村と積極的に交誼を結び、人間族と良き関係を構築すると同時に細作の拠点を作って情報収集を行い、ブリアニナ王国の動静を探ってきたのである。

当然、カレンドにも情報収集のための拠点を置いていたので、ブリアニナ軍の動きを逸早く掴む事が出来たのである。


「守護6傑全員に招集の連絡を。各族長にも緊急連絡で招集をかけて。近衛と宰相は戦士をスイレーベに集める準備をお願い。」


ラフレシア女王が矢次に指示を出し、居合わせた家臣団が次々と王城内に消えていく。

キョウと二人だけになった女王の表情には、普段の愛くるしい笑顔が消え、怒りとも悲しみとも就かない苦悩を滲ませた暗い影が差していた。


「厄介な事になったわね~。」


すぐにいつもの表情を取り戻したラフレシア女王が、ブリアニナ軍の侵攻と聞いて俯いてしまったキョウに語りかけた。

一方のキョウは整った顔に苦悩を滲ませ、膝に置いた自分の拳を見詰めている。評非正規奴隷を救うためだとはいえ、ブリアニナでは大きな騒ぎをお越したうえ、数多くの人間族を殺してきたのだ。この戦のきっかけを作ったのは自分であることを十分理解していた。


「すみません。向こうでやり過ぎた。」

「仕方ないじゃないの~。いいのよ、キョウちゃんのお陰で沢山の人を救えたんだから。」


ラフレシア女王は各国で同胞を救う作戦を進めて行けば、いずれ人間族の国と衝突するこのになる事は予想していたが、だからと言って同胞の救出はやめる心算もない。決してキョウの所為ではないのだ。

これまでファーレン王国とブリアニナ王国の間には表立ったトラブルは無かったが、旧ジロール帝国時代の対立から積極的に国交を行うような関係にはならなかったし、ブリアニナ王国やサキュリス正教国が妖精族を差別視しているのも分っているので、これからも国同士の繋がりを持とうとは考えていない。

ただ、だからと言ってその二国と険悪になっているとは思っていなかったし、この世界が人種差別のない方向に舵を切っている中、いずれは何らかの接点が出るのでそれまでは静観するつもりでいたのである。


ただ、ファーレンに同胞を救い出すための強行部隊があるということは公然の秘事となっているわけで、他国での活動を続ければ外交上何かしらの圧力が向かってくることは覚悟していたのであるが、それがいきなり戦争という形で降り掛かってきたのは予想外だったというだけである。

まだ他国からファーレンを守り切るだけの準備が整っていない。それだけがラフレシア女王の懸念であった。


その日のうちに、王都に守護六傑や各族長たちが次々と転移してくる。

つい数日前に集まって話し合ったばかりなのに、それがこれほど早く現実となってファーレンを襲うとは思わなかったのか、皆の表情は険しいものだった。


これまでのファーレン王国であれば、森の木々に紛れてゲリラ戦を仕掛ける戦法一択であった。しかし森を焼くという暴挙に出るかもしれない敵軍に対し、エルザード大森林を盾にして戦うことは出来ない。

事実、その後の連絡でブリアニナ軍は万にも迫る勢いで増えているという。ロウが提言したエルザード大森林の危機が現実味を帯びてきたのである。


軍議は二日間、日中の殆どの時間を使っておこなわれた。

前回の会議でもでた事だが、これまでの戦術を捨て、森を出て戦うことはほぼ決定事項だ。森を焼かれるわけにはいかないと、誰もがみな同じ思いなのである。

しかし、敵は多勢で野戦を主とする人間族の戦い方を極めたブリアニナ王国の精鋭部隊なのだ。ファーレンが今から兵を募ったとして集まってくるのは精々三千。しかもそれはこれまで通り森の中で戦う事を前提にしたもので、森を出て戦うとなるとどれほどの者が答えてくれるのか、全くの未知数であった。


野戦を行う際の戦略に否定的な意見が噴出する中、皆を招集したラフレシア女王だけはこれまで通りの穏やかな顔で皆の意見が収束するのを待っていた。

ラフレシア女王の中でこの戦いにおける基本方針と戦術はすでに決まっている。


今この国には神獣ヒュドラたるロウが創った、神器とも呼べる魔法弓が7張が存在する。

先日、あの魔法弓を試射した感じでは、一矢で数百の軍勢を葬ることが出来るだろう。それ程の威力を持つ魔法弓の前には、敵がたとえ万を越える軍勢で攻めてきても手も足も出ない筈である。

一方的な戦いとなるだろう。


だが、とラフレシア女王は考える。

人死が増えれば増えるほど禍根が残る。綺麗ごとだけを言って国を守ることは出来ない事は理解しているが、人が死ねばそれを目の当たりにした者に負のエネルギーが充満し、それが怨念となってエルザード大森林に、ファーレン王国に跳ね返ってくる。

国を守るのは当然だが、敵を殺し過ぎてもいけないのだ。その加減をどう考えていくか。軍議の間中、ラフレシア女王はこのことをずっと考えていた。


ラフレシア女王が瞑想するかのように考えに沈んでいると、言葉を発しない女王を訝しんでか軍議への参加者たちも徐々に口を噤み、やがて全員が静かに目を閉じるラフレシア女王を見詰めていた。

皆の視線が集まっていることを感じつつ、ラフレシア女王は目を開けて微笑み、そして決然と言い切った。


「レイストル平原で敵軍を迎え撃ちます。我が国の犠牲を出さず、ブリアニナ軍の犠牲も最小限に留めて、かつファーレンが脅威であるという恐怖心を与えないといけないですね。とても難しい作戦ですわ~。」

「い、いや、ラフレシア様。敵は野戦に慣れたブリアニナ軍ですぞ。」


まるで初めから決まっていたかのようにはっきりと言い切る女王の言葉に、一同がどよめいた。

実際のところ、ラフレシア女王は異界から来た二人に集団戦に関して助言を求め、万が一他国との戦争が起こってしまった場合、どんな戦い方をするべきか、キョウの言うところ「しゅみれーしょん」を幾度となく繰り返してきたのだ。

この件に関してロウは全くの役立たずであったが、キョウの場合、書物からの知識であるとしながらも様々な戦略を打ち立て、机上の仮想敵をすべて撃破している。


その主軸となるのはやはり魔法弓であり、遠距離から先制攻撃し、強力な魔法攻撃の威力を敵兵に見せ付けて戦意を削ぎ、その隙に乗じて野戦に持ち込むというものである。

しかも、野戦と言ってもキョウが敵軍に単騎で斬り込むというのだが、この無謀な行動をラフレシア女王がいくら止めてもキョウは首を縦に振らなかった。


キョウ曰く、ブリアニナ王国の憎しみがすべて妖精族に向かうのはよくない、妖精族と一緒に戦う人間族もいるという事を知らしめれば、今後の救出作戦にも幅が広がると。

さらに自分とロウには固有スキル【障壁】があるので、大抵の攻撃は防ぐ事が出来るから心配はないとも言っていた。自分も戦に参加することが前提となっているロウは顔を顰めていたが。


淡々と作戦を披露するラフレシア女王だが、集まった面々は良く言えば奇抜、悪く言えば無謀な作戦に言葉を無している。

そもそも強力な魔法攻撃とは何なのか、精霊魔法には数千単位の敵を対象とした攻撃魔法など存在しないし、魔法を構築するまで相当な時間が必要となる。それともファーレンに滞在している闇の勇者が大規模魔法攻撃でも持っているのかと、疑問は尽きない。


「先程から聞いている限り、ラフレシア様は戦に勝つことを信じて疑わないようだが、何か策をお持ちなのか?」

「もちろんですよ~。でも、それを説明する前に、皆に渡しておくものがありますの。」


そういって女王が合図すると、部屋の扉を開けて小ドラゴン姿のロウを抱いた闇の勇者キョウが入ってきた。ロウがキョウから離れ全員が座るテーブルの上に着地すると、空間倉庫を開いて中から魔法弓を7張取り出して並べていく。

守護6傑は目の前に置かれた魔法弓を食い入るように見ていた。


まずその形の美しさ。ただ硬木を削り出して作る弓とは違って、幾つかの部品が組み合わさって出来ている複合弓は妖精族にとって初めて見るものだった。そして青白く輝くミスリル鋼と何の素材なのか判らない漆黒の弦が差し込む陽の光を反射している。

さらに無機物である弓自体が放つ魔力を感じる。生物でもないのにこれほどの魔力を感じるとは、まるで呪いの魔道具であるかのようである。


「皆さん分かっているとは思いますが見ての通り魔法弓ですよ~。しかも強力な魔法矢を打ち出す事が出来る、これはもう武器とは言わず兵器でしょうね。」

「ラ、ラフレシア様、このような魔動具を何所で手に入れられたのか。」

「ロウちゃんの事は皆さん聞いてますね。彼が妖精族を護るために創ってくれましたの。」

「グアァ」『おす。』

「・・・」


皆が一斉にロウを見詰める。

小ドラゴンは仮の姿であり実際の姿を見た者はいないが、この生物が人間族に囚われていた同胞を救ってくれたことは誰もが知っていたし、ファーレンに新産業の種を蒔いたのもこの小ドラゴンであると聞いていた。

さらに神器と呼べる魔道具まで作ってしまうとは、その功績に感謝しつつもこの小ドラゴンは何者で妖精族に何をさせたいのかと、その疑問は不安となってここにいる者の心に侵食してくる。


「・・・これは、これほどの魔力を纏っているとは・・・すごい。」

「この弓の威力、はっきり言いまして神器と呼んでも構わないほどの力ですよ?使い方を誤れば国さえ滅ぼすでしょうね~。」

「なっ!まさかそれ程の・・・」


この場で女王が虚言を言う必要はなく、それが事実であることは重々承知しているのだが、神器と呼ぶほどに強力な魔道具であるとは俄かに信じがたい。狼狽える領主たちに、実際に試射したアルタミアがその時の状況を何の誇張もなく説明すると、百戦錬磨も猛者たちも、もはや継ぐ言葉が無かった

話だけでその威力を想像するのは難しいが、何より魔法弓に埋込まれている石が魔素凝縮石という魔力の塊と聞いて、ドワーフの族長ボレンビスは目の色を変え、滅多に表情を動かさない最年長のサンダファレスすら目を見開いて驚きの表情を浮かべていた。

一同の心内に森を出て戦っても勝機はあるかもしれないと、小さな希望の火が灯った。


しかし、ラフレシア女王はそれまでのにこやかな笑みを消して、一転厳しい表情で皆を見て宣言する。


「たった一矢で数十、いや数百もの集団を倒すほどの神器です。強大な力はそれを持つ者さえ滅ぼす、自らを律しなければ精霊王の怒りがその身に降りかかると知りなさい。」

「ははっ!」

「王令で戦士を集めます。この戦、私が直接出向く。サンダファレス殿、フレームル殿、アルタミア殿はこの作戦に参加して頂く。」

「はっ!この命に変えましてファーレンを守りまする!」

「ミザルディーン殿は王都防衛を命じます。」

「ははっ!仰せのままに!」

「ノドスフィルン殿、ハサン殿、ボレンビス殿。万が一、この戦に敗れるような事態になれば・・・一族の長であるそなた達の裁量にお任せします。必ず同胞共々生き延びて頂きたい。」

「・・・ラフレシア様よ。俺達もこの国の一員だぜ。万が一なんてないと思うが、そん時は妖精族の誇りにかけて人間族と戦うよ。後ろの事は気にせず思いっきり戦ってくれ。」

「ボレンビス殿・・・。感謝いたします。」


ファーレン王国にとってこれほど大規模な対人戦は実に百数十年振りのことだが、長命種である妖精族は当時の経験者も数多く残っているので、彼らを優先的に集めて戦いに臨むことのなるであろう。

ラフレシア女王の決断でファーレン王国が戦に向けて動き出した。



妖精族の国と人間族の国の境界、エルザード大森林の入口と呼ばれるレイストル平原は、朝早いこの時間はいつも霧の様な朝靄が立ち込めて視界が悪く、天に見える陽すらも霞んで見える。


大森林に向かって緩やかな勾配を持つこの平原にブリアニナ王国軍六千余りとサキュリス正教国第二聖光軍の魔法士部隊三百が集結していた。ブリアニナ軍の内訳は歩兵三千、重歩兵二千、騎兵五百、弩兵六百、魔法士百、工作兵二百、数に入らない奴隷主体の荷駄兵である。


ブリアニナ軍を率いるのは狼牙将軍ダイセン・ファスタード将軍といい、敵対国である北のラミドナ王国との国境戦線で数々の功績を上げた貴族である。

全身金属鎧を装着した重歩兵を軸とした突撃戦を得意とし、野戦においては国内において彼の右に出る者は無しとまで言われていた。


ファスタード将軍へは、昨晩から四方に散っているブリアニナ軽歩兵の偵察隊より数百m先の正面に妖精族の軍が待ち受けているとの報告が届いている。

当然、ブリアニナ軍にもファーレン軍の陣容は伝わっていて、軍を率いるファスタード将軍は千と聞いたその敵の数が少な過ぎると感じ、朝靄が晴れるまで軍の行進を停止させ、奇襲に備えるよう全軍に申し付ける。

ゲリラ戦はエルフ共達が最も得意とする戦略で、朝靄が立ち込め視界が悪い間に動くのは得策ではないとの判断だった。

全軍に警戒態勢を取らせながらも、ファスタード将軍の表情は明るい。


「ほう、森を焼かれると知ってか虫どもが這い出て来おったわ。」


ブリアニナ軍にとって数押しできる野戦は得意とする戦略である。にも拘らず、妖精族が森でのゲリラ戦を放棄して這い出してきたという事は、森を焼いて行軍路を作るというこちらの作戦を察知したのかもしれない。

森を切り開きながら進軍し、籠城する妖精族を叩く予定であった作戦が思わぬ方向に転び、ファスタード将軍は一人ほくそ笑んだ。


一方、距離700mをとって対峙したのはファーレンの戦士約八百と六傑のうち火と水と雷、牛頭族百、人馬族百、獣人族部隊百、そして黒狼の背に乗る闇の勇者キョウである。

陣の先頭に守護三傑が並び敵陣を睥睨している。その後ろには黒狼の姿に変化したロウに跨ったキョウと、双角を持ち二足歩行で走るラプターという獣に騎乗した、白銀の全身鎧に身を包むラフレシア女王がいた。


妖精族にとっては初めてと言ってもよい集団による野戦である。女王の横顔には僅かながら緊張があり、目前の大軍を見据えている。エルフの戦士たちも森を出て戦う事に若干の戸惑いを持ちつつ、初めて目の当たりにする「軍」というものの気配に圧倒されていた。


両軍の思いは何所にあっても、避けられない戦いの幕は既に見えぬ位置まで上がっているのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ