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15.覚悟

ブリアニナ王国は旧名をネザーニア王国といい、二百年前の旧ジロール帝国によって侵略され帝国に吸収されて滅亡した国で、帝国崩壊直前に再び帝国からの独立を宣言して連合国側に付いたことで国家として生きながらえた国である。

現王家はネザーニア時代の一領主で伯爵位だったレルミド・ブリアニナ伯で、旧王の血筋は国家滅亡時にジロールによって完全に断たれていた。独立から二百年が経ち、現王を一言で言うならば、良く言えば鷹揚、悪く言えば愚昧。王政であるにも拘らず、文官が王の考えを無視し、自分たちに都合が良いように政治を執り行っていた。


帝国に侵略される前は、国の中央を流れるコカ大河が運んでくる土砂が堆積した肥沃な土壌を有していたため、農耕国として発展し地方随一の穀倉地帯であった。

それだけに肉体労働が主となる厳しい労働条件での人手確保が難しく、早くから犯罪者や他種族を「農奴」として使役する奴隷制度を確立しており、最低階級として過酷な労働条件で働かせていた歴史がある。

近年の他種族融和人権尊重の流れで「農奴」制度は廃止されたが、数百年にわたって培われた他種族=最低階級をいう意識は根強く残っており、旧ジロール時代に布教された「人間族至上」を掲げるサキュリス教の信徒もいまだ多い国なのである。


ブリアニナ王国にある迷宮は二つ。首都の西側にある十四階層からなる【甲魔の迷宮】と、国の北側の山岳地帯にある三十七階層の【土人形の迷宮】である。二つとも洞窟型迷宮で、ビギナーからセンタークラスの冒険者が探索するのに丁度良い難易度である。

【甲魔の迷宮】は既に攻略済み迷宮で文字通り甲殻魔獣が数多く跋扈する迷宮である。魔獣の甲殻は武器や防具の良い材料になるし、質の良いものは装飾品としても重宝され、特に翠背硬蟲の外殻は光沢の具合によっては相当高値で取引されているため、これを狙う冒険者は後を絶たない。

この迷宮が無くなったとしたら、ブリアニナ王国はどれだけの損害を被るのであろうか。



闇の勇者キョウと小ドラゴン姿のロウは、ブリアニナ王国の首都タウンゼルの市場の近くにある、迷宮探索のため冒険者が利用している宿屋に投宿していた。

もちろんロウは人前では固有能力【不可視】を使い透明状態となっているので、街に入る時の審査でもその存在を気付かれることは無かった。この宿でも冒険者ウエスギが一人で泊まっている事になっている。


キョウ達がこの街に留まって四日が経つ。既に【甲魔の迷宮】までの下見も終え、明日の朝から迷宮に入って目的の魔素凝縮石を回収する予定である。

まず、キョウが行ったのはこの街にいる闇奴隷商人の調査であった。既にキョウはこの国に二度ほど潜入して闇奴隷商人二つを潰し、獣人族人間族を含め十三人の非正規奴隷を解放していたので、おおよそ闇奴隷商人たちの情報は把握していた。タウンゼルにはまだ六人の闇奴隷商人が残っている。

この国で囚われているエルフ族は女三人。そのうち二人がまだ闇奴隷商人の元にいて、一人はすでに貴族家に買われていったとの事だ。成人したエルフ族には一人ひとり契約精霊が付いていて、常に一緒にいる彼らが自分の契約者のいる場所を教えてくれるのだ。


迷宮を潰し魔素凝縮石を回収するだけの計画が、いつの間にかエルフ族の奴隷達を救い出す混成ミッションになっていた。ロウが迷宮の出入り口を派手に吹き飛ばし、王都の目が迷宮に移った混乱に乗じて闇奴隷商人と貴族を襲い、三人を助け出す作戦だ。

キョウが所属しているファーレンのエルフ救出部隊は首都には入っていない。下手にエルフ族が街に入ると、あらぬ罪を被せられ「合法的に」奴隷にされてしまう可能性があるので王都から5kmも離れた東側にある森の中で待機中である。


今回の非正規奴隷解放計画は、これまでにない最大規模の作戦となる。

キョウはブリアニナの首都まで乗り込むなら闇奴隷商人を殲滅したいと言い出し、結局助力を頼まれたロウがしぶしぶ折れる形で実行されることになったのだ。


その準備として、ロウは救出部隊が待機している森に転移魔法陣を設置している。救出するのがエルフ族だけならファーレンに直接魔法陣を設置すれば良いのだが、非正規奴隷の中には人間族も獣人族もいる。いきなりエルフの国への転移は憚られた。

そのため、一旦タウンゼルの近くで非正規奴隷を集め、本人の意思確認をしたうえで、個人の自由で逃げてもらおうという事で落ち着いたのだ。もちろん金銭的な援助はしたうえで、だ。

エルフ族を捕えている闇奴隷商人から二人を救出した後、その他の闇奴隷商人のアジトを順に強襲し非正規奴隷達全員を解放して転移させる。最後はすでに貴族に買われてしまったエルフ族の女だ。


キョウは貴族が嫌いだ。特権階級など無いに等しい日本で育っただけに、権力にモノを言わせて不法行為を正当化する事が許せないのだ。この世界で人々の模範となるべき貴族が人を物扱いにしている事に激怒している。

だからこそキョウはある決意のもとに行動している。私は鬼にでも悪魔にでもなる、この貴族は見せしめのため、可能な限り残虐に処分する、と。


そんな胸の内の暗闇をおくびにも出さず、キョウは黙々と武器の手入れをしている。


『キョウさんや。なぜ我はエルフ族を助ける手助けなどしているのだ。』

「ロウにしか出来ない仕事だから。」

『我、基本ぐうたらだし。働きたくないし。人族に関わるのも怖いし。だが魔法陣を置いたりすごい働いているぞ。』

「後で串焼き買ってあげるから我慢。」

『・・・』


宿屋のベッドの真中に寝そべりながら、ロウは絶賛不満噴出中である。タウンゼルに入る時も入ってからも、ドラゴンがいたら目立って大騒ぎになるから【不可視】を解除してはダメだと言われ、屋台に出ていた串焼きを買えなかったのだ。

宿の部屋に入ってからようやく透明化を解除した訳だが、美味しそうな串焼き屋台の前を素通りした時のショックから立ち直ることが出来ないでいる。

そして、ロウが不機嫌になっているもう一つの理由は、迷宮出入口の結界の件である。


ファーレン王国の【緑壁迷宮】で出入口と階層主部屋の結界がロウにどんな影響を与えるか試してみたところ、階層主部屋の結界はロウには反応せず、出入口の結界が迷宮から出る時のみに強く抵抗し、そのままでは迷宮を出ることが出来ないことが判ったのだ。

ロウが生まれた怨嗟の迷宮の結界に比べれば若干弱い感じだったので、恐らく本気ブレスの五割から六割程度で破壊可能だろうと思われる。エルフ族の迷宮を破壊する訳にもいかないので、ロウはドラゴンの成体に変化し空を飛んで迷宮を脱出したのである。


「明日から迷宮。」

『我は魔素凝縮石を取り出すだけだからな。ああ~また出れなくなったらどうしよう・・・。』

「派手に吹き飛ばして。」

『簡単に言うな。我がいた国からも追われているかもしれんのにこれ以上敵を増やすのだぞ。ああ~安寧の時は何時やって来るのか・・・。』

「友は私が守るから大丈夫。」

『我はノンビリがいいのだ!キョウはあれこれ働き過ぎだぞ!それとまだ友達ではないぞ。』

「ふふ」


おかしな関係だが、小気味よく会話を交わす二人のいる狭い部屋が何となくほんわかした空気で満たされていた。



迷宮の入口。そこには見張所といって入口の結界が機能しているかどうかを確認する者が詰めている建物があるだけで、特に入るにあたっての審査や手続きはない。冒険者達は迷宮へ行くのに組合に届出る義務があるが、実の所好き勝手に出入りしてい者もいる。入るのも自由、中で死ぬのも自由、という事だ。


早朝鐘三つ刻(五時)を過ぎたばかりにも関わらず、迷宮の入口には一攫千金を求める冒険者達がすでに十人以上集まって、装備の確認をしたり、一緒に入るメンバーを募集していたりして中々の賑わいだった。

そんな彼らの間をキョウが縫うように歩き、迷宮の中に入っていく。彼女の能力【隠蔽】を発動しているためその姿に注意を向ける者はいない。もちろんキョウの頭の上にいるロウは透明化状態だ。


抵抗なく入口から入り、薄暗い洞窟の中を奥へ奥へと進んでいく。

ロウは固有能力【邪眼】を発動させながら注意深く周囲を観察し、魔素凝縮石を探している。ロウにとって迷宮という場所はやはり居心地が良いというか、家にいる安心感があるというか、人族が感じるような緊張や恐怖心は全くない場所だが、やはりキョウからは若干の緊張が伝わってきている。

迷宮の魔獣は敵を見つけて襲ってくるものだけではなく、生まれたばかりで突然傍に出現して襲ってくる場合もあるのだ。しかし、一番厄介なのが他の人族だ。迷宮内で事故は付き物とばかり単独、あるいは弱そうなグループを見ると襲ってくることがある。

もちろん冒険者組合も取締りを行い、こうした行為があった場合対象を厳重処分にしているが、迷宮では死体も残らず飲み込まれてしまうので証拠も残らず、摘発しにくいのが現状なのだ。


寄ってくる体長1m程の甲背ラッグ(ネズミ)やデミキャンザ(蟹)を蹴散らしながらしばらく進むと、一階層の階層主がいる部屋の付近で目当ての魔素凝縮石を発見したので、ロウが土魔法を使って岩壁から取り出して空間倉庫に収納する。

そして階層主の部屋に入る。50m四方の空間の中央にいたのは体長5m程の巨大な黒いタラバガニだった。


『キョウよ!あれを喰うぞ!きっと旨いに違いない!』

「ええ~・・・」

『ミソはいらん!足だけ確保してくれ!』

「めんど・・・」


そう言いながらもキョウは軽快な動きでハサミの届かない蟹の懐に入り込み、一刀のもとに足を一本づつ切り飛ばしていく。ロウは触手を使って飛んできたタラバの足を次々と空間倉庫に入れてご満悦だ。

迷宮を脱出してからロウの一番の楽しみが食べることであり、街で肉を食べる機会は増えたのだが魚介類は保存輸送の関係からか川魚くらいしかなく、これまで海鮮を全く食べていなかった。目の前の蟹に飛びつかないわけがない。


『ふふふ、焼きガニじゃ!!』

「後で一口。」

『うむ、これだけでかければ食いごたえがあるからな。構わんぞ。』


迷宮階層主をいとも簡単に撃破し、キョウは何気なく部屋の中を見渡す。

キョウの所にも噂程度だったが学術都市レミダでのアンデッド軍団と不死竜ヒュドラの戦いの話は届いていた。それによればヒュドラは天を突くほど高く、首回りは城の塔より太かったという。人化状態と小ドラゴン形態しか見ていないので何とも言えないが、この部屋ロウには狭い気がする。

怨嗟の迷宮では出入口をブレスで吹き飛ばしたと言っていたが、元の姿に戻るのだろうか。


「ねぇロウ、どうやって外に出るの?」

『ん、ここで元の姿に戻って暴風炎ブレスを吐くのだ。だがちょっとここは狭いな・・・。』

「ロウの元の大きさってどの位あるの?」

『測ったことは無いが、体長で100m以下80m以上というところか。』

「ここじゃ絶対無理だね。」

『いや、我の迷宮でも一階層はこんなモノだったはずだ。ブレスの威力は落ちてしまうが少し体を縮小化すれば問題ない。』

「・・・便利な身体だね。」

『・・・』


そんな緊張感のない会話をしながら勇者と厄災は、湧き出る魔獣を倒し魔素凝縮石を階層ごとに回収しながら下層へと下りていく。途中はそれが戦闘と呼べないほどキョウが一方的に魔獣を倒し、階層主でもわずか数分で決着が付いてしまう呆気ないものだった。

途中、九階層の階層主部屋でいわゆる”湧き待ち”という階層主が倒され再出現するまで結界が開かない現象に当たったが、それも数分で、再湧きした階層主はあっという間にキョウの刀の餌食となった。


次の階層でキョウ達の前にいた冒険者の五人組を追い抜き、第十四階層主の部屋の前に立ったのは鐘二つ刻(十三時)くらいか。【甲魔の迷宮】は攻略済み迷宮なので、この扉の向こうには最早迷宮創造主はいない。魔道具化した武器や防具類があるか、それとも宝石か。

だがこのコンビの狙いは、創造主部屋にある迷宮核を持ち出す事だ。

本来の目的からすればすぐにでも破壊すれば良いのだが、ロウの知識では迷宮核を破壊した途端に迷宮内にいる魔獣は全て消滅してしまうので、迷宮核を1階層まで運び、ロウのブレスで結界と一緒に破壊することにしたのだ。


迷宮の破壊を鐘四つ刻(十七時)に予定している。迷宮を下から戻る場合も階層主の部屋を通ることになるので、なるべく姿を見られないよう多くの冒険者達が家路に付く夕刻になるのを待つ。


『さて、そろそろ時間かの。キョウよ、我はこの部屋には入る事ができないので頼んだぞ。』

「おっけい。」

『触手を伸ばして手伝うことは出来るが、不測の事態にはそちらで対応してくれ。』

「了解。」


そう言ってキョウは迷宮主の部屋の扉を押し開けて中に入っていく。

ロウはこの部屋の結界がまだ機能している気がしたので、入るのを取りやめたのだ。そしてその予想通りキョウが扉を開けた途端、若干だが中に引きずり込まれるような魔力の流れを感じ、軽く障壁を張って抵抗する。


部屋の中、大きな石の台の上には様々な剣や鎧、それと金貨と見られる硬貨が無造作に積まれている。装飾品や宝石が若干と魔法拡張鞄が数個。これがこの迷宮で死んで行った者達の装備品だった物なのだろう。長い時間濃度の濃い魔素を浴びて魔道具化している物もある。

キョウはそれら全てを自分の魔法拡張鞄に放り込み、部屋の奥の迷宮核の前に歩いて行った。

ロウが飲み込んだ【怨嗟の迷宮】の迷宮核を同じ黒く滑らかな丸い石だが怨嗟の迷宮のものに比べて半分くらいの大きさしかない。迷宮と共に成長する核なので、恐らく迷宮の大きさによって違ってくるのだろう。


ロウは触手だけを部屋の中に伸ばしていき、人の頭ほどの石に触手を這わせると特に障害も罠もなく触れたので、土魔法を使って石壁から取り出してキョウに渡した。これで終了である。


キョウはすんなり部屋を出てきたが、部屋の中に入れた触手は扉まで残り5mの所まで戻した時に、結界に捕えられて引き抜けない状態になってしまった。が、これも想定通りである。ロウは空間倉庫から刀身が朱い片刃の剣を取り出し、別の触手で操って躊躇することなく触手を切断した。

触手の先から流れ出る赤い血を見てキョウが顔を顰め、それでもロウを心配して訊ねる。


「痛くないの?」

『まぁ、針で刺された程度の痛みだ。すぐ再生するしな。』

「その朱い剣、綺麗だね。」

『おおう、我が迷宮にいるとき作ったのだ。アダマンタイト鋼で作ったのだよ。名品だと自負している。』

「ふーん、頂戴?」

『・・・そんな簡単に差し上げることはさすがに出来ぬわ。』

「じゃ、脇差作って。」

『・・・キョウさんや、最近我に対する遠慮がどんどん無くなっている気がするのだが。』

「それほど親しくなったってことだよ。」


ロウにも色々言いたいことはあるのだが、今は一階層まで戻るのが先である。キョウはロウを頭に乗せると身体強化魔法を掛け、迷宮の通路をつむじ風の様に駆け抜けて行った。



『では、後でな。』


迷宮の一階層の階層主部屋である。

ロウとキョウはここで一旦二手に分かれ、ロウが暴れ出して王都が騒がしくなったら予め決めた場所で合流することになっていた。

ロウはこれから迷宮入口を破壊し、タウンゼルに向けて攻撃をする素振りを見せ、適当に暴れたら固有能力【不可視】【変化】で消えたように見せかけ、先にタウンゼルに入ったキョウと合流して闇奴隷商人のアジトを全て潰してしまう予定だ。


(そろそろ頃合いか・・・)


キョウと別れてしばらく経ってから、能力【索敵】使い迷宮出口まで人族がいないか探ってみると、一階層にいる冒険者は三人、通路上で甲背ラックをタコ殴りしている者以外はいない。迷宮の外、特にブレスが通る線上にも人はいないようだ。

人がいることは分かったので後で排除するとして、またあの時の様にキツキツになるのかと辟易しながらロウは魔力を収束させていきスキル【変化】を完全解除した。黒い鱗に覆われた体が部屋全体を充たし、さらに岩壁を軋ませて更に膨らんでいく。どうせ壊すのだからと土魔法で壁を削っても追い付かない状態だ。

それでも何とか触手を伸ばして行き、三人の冒険者を絡み取って階層主部屋まで引き寄せた。

突然の事に恐慌を起こしているビギナーと思しき冒険者達を自分の顔の前まで持ってきて睨み付けると、大した威圧でもなかったのに三人とも気絶してしまった。


これでもう邪魔者はいない。ロウは階層主部屋の扉の前に、先ほど回収した迷宮核を置く。迷宮の出入り口と共に吹き飛ばすためだ。


ロウは正面に赤と緑の魔法陣を出現させると、全力の六割を意識して火属性と風属性のブレスを吐き出した。

二つ首から吐き出した炎と風のブレスは、岩肌を溶かし風圧で溶岩を吹き飛ばし、螺旋を描いて迷宮出口の結界に衝突し、いとも簡単にこれを破壊して迷宮の外に轟音と共に外へ噴出した。まさに【怨嗟の迷宮】の再現であった。


今回は焦る必要もないので、ロウはゆっくり迷宮から這い出していくと、迷宮の入口周りには十数人の冒険者や、冒険者から素材を買いに来た商人達が突然の火柱に驚いて腰を抜かし、さらに這い出てきた九つの首を持つ竜に唖然として座り込んでいる。さてさて彼らにはこれから起こることの証人となってもらわねばならない。

ロウの役目はタウンゼルの目をこちらに向けて盛大に混乱させることだ。


数キロ先に街の防護壁が見える。

ロウは光の魔法陣を出現させブレスを吐く準備をするが、今度のブレスは拡散型ではなく遠距離射撃をイメージする。威力はそのまま範囲を狭く、レーザーの様に細く、狙いを外さないように・・・と。

白い魔法陣に蛍の様に白い光が集まっていく。それはいくつもいくつも魔法陣の中央に吸い込まれ、やがて眩い光を放ちながら超高速でタウンゼルに向かって走った。


白い光線はタウンゼル城壁の角にある櫓を貫き、石壁を溶かし木造屋根を炎上させる。もちろんロウは【索敵】を使って櫓が無人であることは確認しているので、ブレス直接攻撃で死亡した者はいなかったのだが。

続けてロウは咆哮をあげる。タウンゼルの人間達よ、我はここにいるぞ、と。


それはタウンゼルを守る護る守備兵たちを震撼させた。

轟音と共に上がった火柱が遠くに見え、何事かと城壁の上に上った途端真白な光が辺りを覆い、目を開けたら櫓が炎上しているのだ。そして心胆振るわせる獣の咆哮。兵士たちが見た者は、迷宮のある丘に蠢く九つの首を持つ巨大な竜であった


最近タウンゼルでも、西にある国で中規模都市が九頭竜のヒュドラに襲われて甚大な被害が出たという噂を聞いたばかりだった。そんな化け物がなぜこの国にいるんだと、兵士たちはその場を動くことも出来ずただ呆然としてヒュドラを見ていた。


「で、伝令!!城に報告へ走れ!!門を閉じるんだ!」


中隊長の絶叫が響き、近くにいた者から我に返って自分の仕事をするため走っていく。中には周りの動きに付いていけず、ただオロオロと右往左往するだけの者もいた。

長年戦争などなく、魔獣も首都まで攻めてくるようなこともなく、平和ボケした兵士は統率を取れる者も少なく、混乱を極めた。


混乱は兵士だけではない。

夕暮れ時で家路を急ぐ者、いつもの様に酒場へ出掛ける者、夕飯の買い出し客、街にいる者はまた日が昇ったかを感じる位の白い光と、炎を上げて燃え上がる城壁を見て、何事が起ったか理解できなかった。

不安に駆られる中遠く聞こえてきた獣の咆哮に、魔獣が襲撃してきたのだと誰かが言い出し、無軌道に逃げ回るパニックが起こってしまったのだ。タウンゼル位の都市規模になると、全員がまとまって避難できるような場所は無い。誰もが家に入り、戸窓を閉じて災害が行き過ぎるのを待つしかなかった。


それから暫くして、王城では迷宮入口と防護壁の炎上報告を受け、近衛兵団、騎士団、守備兵団に緊急招集が掛けられ、首都防衛のための配備が進められていた。

この国の中枢は、パニックになった住民を抑えるとか、先に調査隊の方を編成するとか、そういった訓練は無いらしく、ヒュドラ降臨の報を聞きいきなり討伐軍の編成を行っている。しかも各兵団バラバラ命令系統で動いている辺り、緊急リスク管理がなされていない証である。


城は兵士で溢れ、街は住民で溢れ、タウンゼルの街は大混乱に陥ったのである。正に策略通りであった。

もちろんそんな様子をロウが見えるわけではない。しかし、自分を討伐しようとしているのか、多くの混迷した意識の他に、明らかに自分に敵意を向けてくる人族が集まりつつある気配を感じ取っていた。


(兵士達が集まっているな・・・。門が開いたあたりが頃合いか。)


もちろん固有能力【不可視】と【変化】を使って姿を隠し、タウンゼルに侵入してキョウと合流するタイミングである。自分の役目は人間達の気を引くことだけなので、目的が達成されたら目立つ行為はさっさと辞めてしまいたかった。


(あーのんびりしたい、寝たい、串焼き喰いたい。・・・ん?)


ふと自分の身体の下を見ると、腰を抜かした商人が四つん這いで逃げようとしていた。全く前に進まずバタバタしているその横に、革の首輪を付けた狼人族の女がいる。獣人族で奴隷という事は非正規奴隷である可能性が高い。

おそらく主であろう男とは対照的に、狼人族の女は逃げようとしないばかりか、大きな荷を背負い表情のない目で前を見ているだけであった。


(こんな小商人まで奴隷を持つような国なのか・・・)


ロウは触手を伸ばして二人を捕まえると、自分の目の前に持ってきて周囲にいる冒険者達にも聞こえるように多重念話で話しかける。


『そこの矮小な人間よ、何故この獣人族の女を奴隷にした?』

「ヒッヒィィィ!!!」

『応えぬか。たかが人間族風情が気高き獣人族を奴隷にするとはな。やはり貴様らは滅んだほうが良いか・・・』

「あわわあわわ・・・・」

『獣人族、妖精族、魔人族に手を出すでないぞ。奴隷などと言う言葉を耳にすると我自らが人間族を滅ぼしたくなるわ。』

「っ!っ!ひっ!」

『この娘は我が貰う。貴様ら人間族に他族を支配する品格など無いと思え。』


ロウは若干の怒りを込めて威圧を放つと、商人の男はガックリと気絶し、周囲の冒険者達も辛うじて失神は逃れたものの、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。

そんな姿に構わずロウは隷属解除の魔法陣を出現させて狼人族の女に付けられた隷属の首輪を外し、同時に回復魔法で体の傷を癒していくと、それまで無表情だった女の目に光が戻り、ゆっくりと顔を上げてロウを見つめる。その目には涙が溢れロウの触手に落ちてきた。

その姿を見てロウは一転して優しげな口調で女だけに語りかける。


『この国からの脱出を手助けしてくれる仲間の元に送る。我を信用して欲しい。』


ちょうどその時、城門が開いて百数十の騎馬が吐き出される気配を感じたので、ロウは狼人族の女を拠点に転移させると、固有能力【不可視】を使って透明化して姿を隠し、タウンゼルに向けて音もなく飛び立った。

このときのロウは気付いていない。ロウが脅した商人はおろか、周辺にいた冒険者全員がロウの念話を聞くことになり、ヒュドラが奴隷を持っている人間を滅ぼすと言っていたことが国内全土に広まっていく結果になったことを。



一方、冒険者の身分証で難なく街の中に入ったキョウは、閃光と共に城壁の櫓が吹き飛んだのを見て、身体強化の魔法を使い屋根伝いに城壁まで登って騒ぎの原因を探したた。

キョウが城壁に上ると当時に獣の咆哮が轟き、そちらを見れば九頭の黒竜が長い首をくねらせて街の方を睨み付けている。


(あれがロウ・・・か。ふふ、姿形だけなら本当に厄災だね。)


もしあれが人の心を持っていない魔獣だったら、不死竜ヒュドラが魔獣大氾濫の元凶だったら、自分は戦って勝てただろうか、とそんな考えがキョウの頭を過る。

キョウは一度だけ頭を振り、城壁を飛び下りると目的の建物に向かって疾風のように走り去った。


タウンゼルの街は人々が右往左往し、兵士たちが走り回り、あちらこちらから悲鳴と怒号が鳴り響いていた。逃げ惑う人達は一斉に門へ殺到するが、守備兵からの命令が先行し全ての門が閉められ、誰も外へ逃げる事ができなかった。

唯一、西門には武装した兵士が隊列を成し、その殺気立った雰囲気に一般住民は近寄ることすら出来ない。

街からの脱出が不可能と悟った住民たちは、自分の家に戻り窓に板を打ち付ける者や、冒険者組合や憲兵隊詰所に押しかけてその庇護に入ろうとする者などで大騒ぎになっている。


こうした混乱は一般住民に限られたものではなく、裏社会に生きる者達も例外ではなかった。

闇奴隷商人の一人グエンツ・グラドは右腕のカイマンとセレグナールと共に自分のアジトに籠り、騒ぎが収まるまで動かず様子を見ることにしていた。もちろん用心棒共も一緒で、不測の事態が発生しても屈強な男達が何とでもしてくれると考えている。

奥の部屋にはかき集められた奴隷達が押し込まれている。今回仕入れてきた奴隷は見た目も良く粒揃いで、その内二人は滅多にお目にかかれないエルフの女だったので、グエンツはホクホク顔だ。

そんな彼は騒ぎに乗じて胡乱な奴らが手出ししてくるかもしれないと、渋る部下を怒鳴りつけてドンと構えて動かない事に決めたのだった。


キョウは混乱が続いている首都タウンゼルの歓楽街に建つ、二階建ての建物が見える場所にその身を滑り込ませる。これまでの下調べでこの場所にエルフ族の女二人が捕えられていることは判っていた。

中には闇奴隷商人とその取り巻きが八人、非正規奴隷十二人いる。

これまでは大人数でかからなければ成功しなかった救出作戦が、ロウがいるお陰で一人でもそれ程苦労せず完遂できそうだった。


そんな事を考えながら暗がりに立つキョウの背中を何者かがツンツンと突く。振り返ると人化状態(男)のロウが触手を伸ばし憮然とした表情で立っていた。


「うまくいった?」

『これで我はこの国でもお尋ね者になってしまったぞ。どんどん世界が狭くなるではないか。』

「あなた元々大きいから。」

『そういう意味ではないわ!まぁ・・・辛い思いをしている者がいるのだ。さっさと終わらせようか。』

「うん。」


音もなく闇奴隷商人のアジトに近付くと、いきなり扉を蹴破り躊躇うことなく中へ入っていく。最初の部屋にいた用心棒は突然入ってきた二人に目を剥くが、そこは手慣れたものなのかすぐに武器を抜いて大声を出し、仲間を呼んで斬りかかってくる。

キョウは大声を出して目の前に迫る大男に眉一つ動かさず、鞘抜きの一刀で胴と頭を切り離した。


(怖えええ!!この娘怖すぎる!ホントに平和ボケした日本人か??!)


ロウは目的の為なら鬼にでもなるキョウの姿に恐怖し、この娘と戦うのは絶対避けようと心に誓った。

キョウの戦闘能力は目を見張るものがあった。刀を得てからというもの日々訓練を怠らず、異世界補正も相まってその刀速は人族で見切れるものはいないだろう。さらにその胆力は据わっており、人の血を見ても臓物を見ても臆することなく、常に冷静であった。

次々と襲ってくる用心棒達を容赦なく切り伏せ、辺りは倒れた家具や切断された用心棒達の身体と部位で足の踏み場もない状態になった。ロウは【索敵】を使ってこの家の二階に誰もいない事をキョウに伝え、奥の部屋に十数人の人の気配があることを伝える。


敵の返り血で真赤になったキョウが一番奥の部屋の前に立つ。既に七人を切り捨てたので、残りは闇奴隷商人とその補佐役の隷属魔法使いの二人だけのはずだった。

内側から鍵のかかった扉を風魔法でズタズタに切り裂き粉々にして中に入っていく。中は壁を取り払った三間続きの部屋で、一番奥に鉄格子が設置され、中に十数人の奴隷達が押し込められていた。

そして鉄格子の前に建つ男が二人、グエンツとカイマンが剣を構えて二人を睨み付けている。


「てめぇらどこのモンだ!こんなことをして只で済むと思ってんのか!!」


グエンツが大声で恫喝するが、キョウはどこ吹く風だ。大胆にもツカツカと近付いて行き、グエンツに押しやられて出てきたカイマンを肩口から袈裟懸けに切り裂き、悲鳴を上げる間もなく絶命させる。さらに一歩踏み込んで返す刀で剣を持ったグエンツの両腕を跳ね飛ばし、回し蹴りで脇腹を蹴り付け壁まで吹き飛ばした。


「只で済むとは思ってない。地獄に落ちる覚悟はしているわ。」


地獄の鬼でも震え上がらせるような声でキョウが呟き、グエンツが腕を切り落とされた痛みも忘れて息を呑む。


そんなキョウの表情のない横顔を、ロウは何故か悲しげに見詰めるのであった。

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