12.邂逅
背後に広がるエルザード大森林の上空をみると既に月が昇り、漆黒の闇に包まれた森は静かで、風が揺らす枝の加減で差し込む月明かりに夜行性の獣たちの目だけが反射して輝いている。
夜光花が少しでも多くの羽虫を集めようと、月明かりに負けないよう薄紫色の光を出しながら小刻みに身を震わせる姿はいつ見ても幻想的だ。
ファーレン王国の王都シルファードは、大森林の中に二つだけ存在する山の中腹に出来た丘陵都市で、石造りの人工物が多い割には蔦や苔が覆い隠し、自然と一体化してしまったような不思議な街であった。
エルフと言えば樹の上に住んでいる、と誤解している他種族が多いが決してそんな原始的な生活ではなく、植物を極力切らずに緑を残し、建造物や道路などの社会資本を常に自然と調和させるという生活様式を取っているだけなのである。
そんなシルファードの街の中心地に、ラフレシア女王が住まう王宮とよばれる一見神殿の様な建物がある。
枯れた巨木の幹に特殊加工を施し、その材質を石と同じような固い材質に変化させた建物は、外観は元の樹の形状を残し中に人が活動する空間を有する特殊な形をしている。
建物の壁は樹の木目をそのまま映した白壁で、月明かりを反射して淡い青色に見える姿はまるで大理石でできた建物であるかのように幻想的な雰囲気を醸し出していた。
エルザード大森林から転移したその先は、いきなり王宮内の広間、王座が鎮座する謁見の間であった。
謁見の間には女王が大森林へ転移する前からいたのか、ファーレン王国の国政を担う重鎮たちと、武装した戦士が数名、防具の意匠から判断すれば将軍クラスが待機しており、広間に精霊の気配が溢れ、女王が無事帰還したのを見ると一様に安堵の表情を浮かべる。
ラフレシア女王はスイレーベでの不手際を詫びて、ヒュドラに怒りを収めて貰うため、万が一のときは王たる自分一人の命と引き換えに、エルフ族の生存を許諾してもらおうと決死の覚悟で謝罪に向かったのである。
もちろん家臣たちは、女王一人で死地に行かせる訳にはいかぬと女王を説得したのだが、女王は決して随行人を付けることを許さなかったのだ。それで女王が転移してしまった後も家臣達はこの場に残り、女王の無事帰還を願ってずっと待っていたのである。
だが、続いて現れた人間族の男を見た途端、武人たちは全員顔色を変えて抜剣し、何時でも斬りかかれるよう体勢を低くして構え、一番近くにいた重鎮はロウから女王を引き離そうという意図か、手を伸ばしてジワリジワリと女王の方へ近付いてきた。
もはやお約束のような展開にロウは思わず溜息を付くが、これもフレンギースとの約束を守るためだと、元の世界では誰もが知っているバンザイ、ホールドアップで敵意が無いことをアピールする。
「控えなさい!!」
凛とした声でラフレシア女王が命じると彼らの動きがピタリと止まる。
女王はロウに見えないよう目だけで頷き、交渉は成功裏に終わったことを伝え、改めてロウに向き直ったが、精霊魔法による転移は膨大な魔力を消費してしまうらしく、若干顔色が悪いように見える。しかも振り向く際に足元がふらつきよろけてしまったが、ロウが横からしっかりと支えたので転倒することは無かった。
『王様。だいぶお疲れのようだ。』
「ありがとうございます、ロウさん。二人もお疲れでしょう?今日はもう遅いですから、すぐにお部屋を準備するのでゆっくりお休みくださいね~。」
『いや、それより早く隷属魔法の解除に取り掛かりたい。疲れているのに申し訳ないが、誰か案内人でも立ててくれないだろうか。』
「ええ!?」
『もう三年も苦しんでいるのだろう?早く終わらせよう。』
ロウからの思わぬ提案に一瞬面食らったラフレシア女王だが、少しでも早く安心させてやりたいというロウの言葉の意味を理解し、姿勢を正して頭を下げた。
「・・・ロウさん。心から、心から感謝申し上げます。」
女王の表情から疲れが消え、威厳ある人民の主としての表情が蘇る。それは凛々しく、力強く、民を思う気概にあふれたもので、大森林での子供っぽい雰囲気は微塵も見られなかった。
家臣たちに矢次に指示を与え、自らロウを案内するつもりなのか、ロウの腕を取って謁見の間の外へ出てその先の廊下を歩いていく。もちろんフレンギースも、女王の側近も数名後に続いていった。
王宮内の長い廊下を奥へ奥へと進んでいく。磨き上げられた床に等間隔で設置された明り取りの照明魔道具の光が淡く反射し、夜が更けた室内でも闇が光に勝ることはない。
幾つかの階段を上りまたしばらく廊下を歩くと、精霊魔法に馴染のないロウでも感じるほどの魔力、ロウの使う古代魔法は違う魔力の流れを感じ取れるようになる。おそらく精霊の結界魔法などだろうか、魔力の流れが乱れ使いにくい状況であった。
やがて廊下の突き当たりの、女性兵士が警護する部屋へ入っていく。
わざと明りを落としているのか薄暗い部屋だった。
10m四方はある部屋の中には大きめのベッドが八つ並べてある。そのベッドの寝かされているのは全員が隷属の首輪を付けられているエルフの女性だった。
首輪の外側には精霊魔法なのか青い光のリングが回転しており、おそらくあれが首輪を膨張させている水魔法だろう。
女性たちは皆痩せ細っていて、表情にも生気がなく虚ろな目をしている。この女性たちが今この瞬間に至るまでの間、首輪を嵌められてからの間、どれほど辛い思いをしてきたのだろうか。
ロウは一人の女性が横たわるベッドの傍に立ち、彼女の首輪にそっと触れようとした。しかし、彼女はロウが近付いてきた辺りから目に見えて緊張し、手を伸ばした瞬間身を捩って避け、頭から毛布を被ってガタガタと震えていた。
「ロウさん、彼女は人間族の男性に対して恐怖心が抜けず、触られることを拒絶してしまうのです。」
『そうか。』
ロウは短く答えると、扉を開けて部屋の外へ出て行く。フレンギースが慌てて追いかけようと扉に近付くと、間を置かずその扉が開かれ、背の低い人間族の少女が入ってくるではないか。
「「え?あ、あなたは・・・誰?」」
『我はロウだ。女姿になれば問題あるまい。』
そう言ってスタスタとベッドに近付いていくロウを、いや、学院の制服を着たティノの容姿を写した女姿のロウを、部屋の中にいた者は呆気にとられて見つめていた。
仕切り直しである。
ロウは先程の女性の傍らに行き、今だに毛布を被って震えている彼女に、いや並列念話によってこの部屋にいる全員に語り掛ける。
『我はロウという。隷属魔法の使い手である。もちろん隷属解除の魔法も使えるので、今から君らの付けている隷属の首輪を外す。』
迷いなく、はっきりとロウが宣言する。
突然、頭の中に響いてきた念話に皆戸惑うばかりで、辺りを伺ったり、自分の耳に手を当てたりと、事態が呑み込めていない。そんな中、じっとロウを見つめていた一人の女性と目が合ったので迷わず彼女に近付いていき、同じ念話で語り掛けた。
『我を信じてくれ。君達を忌わしい首輪から解放しよう。』
しばらくロウを見つめていた女性はコクンと首を縦に振る。
微笑んだロウは軽く頷き、まず固有能力【邪眼】を使って首輪に仕込まれた術式と方陣を解析し、その命令系統と紋様を丹念に調べ上げて、こんどは反問の術式と魔法陣を指先に構築していった。
すでにフレンギースで経験済みの術式である。
指先に完成した隷属解除の魔法陣を出現させてベッドの上に正座したままの女性の首輪とプレートにそっと触れる。首輪に仕込まれていた術式と魔法陣が一瞬光り、光が弱まるとやがて消えていく。するとそれまで見えなかった継ぎ目が現れて二つに分断し、首輪が外れてベッドの上にポトリと落ちた。
その女性は今自分に起こったことが信じられないのか、目と口を大きく開き、両手を首に当てて首輪が無い事を理解すると、同じ目線にいるロウを見つめる。やがてその瞳いっぱいに涙があふれ、そのままベッドに突伏して嗚咽し始めた。
ロウは優しく彼女の背中を二度叩き、隣のベッドでその様子を見ていた女性に横に立つ。
おそらく彼女が一番長く苦しんだ女性なのだろう。体は痩せ細り、首輪が彼女の白い首に食い込んでそこだけ肌が紫色に変色していた。もう起き上がる気力もないのか、顔をこちらに向けただけで横たわったままだ。
同じように隷属解除を行い彼女の首輪を外すと、この女性も涙を流したままロウを見て少しだけ微笑んでいた。
ロウはそれだけでは終わらせず、背中から触手を伸ばして彼女の首に付いた醜い首輪の痕にそっと触れていく。可愛らしい少女の背から触手が伸びる姿に女王の従者が息を呑むが、女王はこれを手で制し、咎めるような視線を送って黙らせた。
触手は優しく彼女の傷跡を撫でていく。触手の先端が淡く光り、それが暖かなのか女性の表情は安らかでとても気持ち良さそうに目を閉じているのだが、触手が触れている部分を見れば、傷跡がどんどん消えて、元の美しい白い肌が蘇っているではないか。
まだロウは止まらない。横で様子を見ていた他の女性も、先程まで毛布を被って隠れていた女性も、次々と隷属の首輪を外していき、ほんの僅かな時間でフレンギースからの依頼を見事なまでに達成したのである。
さらにロウは最も重傷だった女性の元に戻り、静かに語り掛けた。
『辛かったな。そのことを忘れさせる事は我には出来ぬ。だが、お前の身体を無垢な状態に再生することは出来る。』
恐らくこの女性はロウの語ったことの意味を理解していないだろう。それでも恩人であるロウを見つめ、静かに頷いて見せた。
女性の肯定に微笑で返し、ロウは彼女の真上に直径2mはある大きな魔法陣を出現させると、触手を彼女の身体全身に絡ませて、固有能力【再生】を発動する。むろん魔法陣は彼女の最良の状態に導くモノである。
女性が光に包まれ、それは内側からも輝いているのか、その強さをどんどん増していき、奴隷となって散々受けた暴力や凌辱の傷跡を、再生能力を使って全て消し去っていく。
やがて身体を包む光が消えたとき、彼女の肌は元通り傷一つシミ一つない真白なものに蘇ったのであった。
光りが消えて恐る恐る目を開けた彼女は、元に戻った自分の身体を見て目を見開き、いったい何が起こったか判らず、ただただ混乱するばかりであった。
目の前で起きた信じられない事象に呆然としている女王達を余所に、魔法の効果を確認したロウは次の女性の元に行き、同じように再生魔法で傷を癒していった。そして最後の女性の傷が癒えた時、窓から日が差し込んできて夜の終わりを告げるのであった。
◆
それからしばらくして、もう日が十分高い場所に上った頃、王宮内の応接室にラフレシア女王とフレンギース、ティノの姿をしたロウの三人が集っていた。当然、皆徹夜である。
昨夜あの部屋で、女たちの部屋でロウが起こした「身体再生」という出来事について、女王も含めすべての者が状況の把握とその理解が追い付いていなかった。
そんな中、奴隷から解放されたことを、体の傷が消えたことをようやく理解した女たちが泣き出し、我に返った女王達は、食事の準備や湯浴み着替えの用意と大忙しで、そっと部屋を出て行ったロウの事に気付かなかったほどである。
フレンギースも一番に首輪を外された女性、友人のシンシアースの肩を支え、泣きじゃくる彼女と一緒になって涙を流していたので周囲の事に気が回っていなかった。
しばらくしてシンシアースも落ち着きを取り戻し、笑顔が戻ったところで、フレンギースはようやくロウがいない事に気付き、あちらこちらと探し回り、中庭のベンチに座ってボーっとしているロウを見つけて、女王に願いこの部屋をあてがって貰ったのである。
フレンギースに請われて漸くロウの事に思い至った女王は、この部屋に同道し先程の魔法について説明を求めたのである。
『ああ、我は女達の心の傷までは直せぬし、記憶操作なども出来ぬ。ならば、せめて身体だけでも元の状態に戻してやろうと思ったのだ。』
「ま、まさか再生魔法・・・」
『うむ、年相応の身体までにしか戻せぬが、これまで受けた傷や内臓疾患は完全に消えたはずだ。何者かに投与されていたよろしくない薬物も浄化した。おそらく純潔の証も戻っているぞ。』
「・・・あ、あの、本当に?」
『もちろんだ。だが、それで彼女達の心まで修復できたわけではないだろう。ここからは王様、貴女の仕事だ。』
「は、はい!無論です~。彼女たちが元も生活に戻れるよう、ゆっくり介助していきますよ~。私達の種族は時間だけはたくさんありますから。」
『うむ、我は疲れたのだ。少し休むぞ。』
そう言ってロウは座っていたソファでそのまま横倒しになり、あっという間にスウスウを寝息を立て始めた。
そんな姿を見て女王とフレンギースは呆気にとられ、二人で顔を見合わせた後、どちらともなく笑い出してしまった。
この国の王であるのに、最悪な状態にあった女達を救うこともできず、徐々に弱っていく様を見守ることしかできなかった。しかし、そんな彼女たちを救ってくれたのが、この世界を滅ぼすことも出来る厄災の不死竜で、それが今無防備にも目の前で眠りこけているのだから。
女王は眠っているロウを抱きかかえるとそのまま応接を出て行き、女従に準備させておいた客室へと向かう。そこにはベッドが二つ置いてあり、そのうちの一つにロウを寝かせると、フレンギースにも仮眠をとるよう命じ、静かに客室の扉を閉じた。
◆
ロウが目覚めたのは鐘二つの刻(鐘一つ刻は九時、鐘二つ刻は十三時、鐘三つ刻は五時、鐘四つ刻十七時くらい)位であろうか。
神獣種であるロウは本来眠りなど必要としないが、人間の記憶も併せ持っているので睡眠、惰眠が大好きである。眠ってから起きるまでの時間はある程度自分で調整できるので、何年も眠り続けるようなことは無いが、一回の睡眠は結構深いほうなのだ。
普段は信用置ける者の前でしか眠るようなことは無いが、今回の事件、ロウにとっても苦しむ女達の状態や、彼女たちの心情を慮ると遣る瀬無い気持ちになり、精神的に非常に辛いモノであったのだ。そのために一度頭の中を空っぽにする必要があったのである。
体を起こすと学院の制服が見えたので、そういえばティノの姿を模していたのだと思い出すと何となく気恥ずかしくなり、慌てて元の男性体の姿に戻る。
ベッドから降りて辺りを見渡すと、隣のベッドではフレンギースが静かな寝息を立てていたので、起こさない様にと気配を消し、そっと客室を出て行った。
とにかく室内ではなく外に出たかったロウは、今朝見つけた中庭へと向かい、誰もいないベンチに腰かけて一息つく。百年ぶりに長時間人化したのでどこか動きがぎこちなく、ロウも違和感を抱えていたのでぐっと伸びをして体をほぐし、力を抜いて息を吐き出した。
静かな昼下がりであった。自然豊かなこの街の空気は、何となく浮遊島のそれに似ているな、などとぼんやり考えていると、後ろから人の気配が迫ってくるのに気が付いた。魔力の質を解析するまでもなく、ラフレシア女王がロウの隣に優雅な動作で座った。
「ロウさん、今日は可愛らしいお嬢様姿ではないのですね~。男性型も素敵ですけど。」
『慣れぬ身体では動かしにくいし、ティノの格好では怒られそうでもあるしな。それと我のことは呼び捨てでよいぞ。』
「ふふ、ではロウ、昨晩の事、本当にありがとうございました~。あれから湯浴みなどを済ませた彼女たちは今、本当に安らかな顔で眠っていますよ~。」
『そうか、それは良かったな。まぁフレンギースとの約束だからな。無事に履行できて何よりだ。』
「そうね~、でもねロウ。貴方フレンちゃんとどんな約束をしたの?私は王として貴方のしてくれた事に見合う対価を用意しなければなりませんのよ?国庫や国宝で賄えるならいいのだけれど、妖精族が用意できるものなのかしら?」
『その辺は大丈夫だろう。此処になければある場所は知っているでな。』
「そう・・・ですか。可能な限り対応しますが、この国にそんな珍しい物や高価なものは無いですからね~。ちょっと心配なんです。」
そう言って女王は俯いてしまう。彼女は正直、どのくらいの対価を用意すれば良いのか、見当もつかなかった。
隷属解除の魔法のみならず、肉体再生魔法まで使って彼女たちの身体を元に戻し、傷跡さえ残さなかった。浴場で自分の身体を見た女達は嬉しさのあまりまた泣き出し、純潔さえ戻った話をした時にはそれが号泣となって抱き合い、喜びを分かち合っていたのだ。
妖精族で同じ規模の再生魔法を試みた場合、どの程度の人員と金がいるだろうか。想像すらできないのである。
『フレンギースとは串焼き四十本で契約したのだ。心配しなくてもよい。』
「はい?く、串焼き?」
『うむ、串に肉を刺してタレをつけて焼いたものだ。もしかしてこの街には無いのか?』
「い、いえ・・・その様な料理はありますけど・・・、あの、その他には?」
『うん?それだけだぞ?旨かったらもっと買うかもしれんがな。まぁそれは自腹かのぅ・・・』
「は?あの・・・そんな事であんな事をしたのですか?!」
もはや女王は何を言っているのか判らないくらい混乱している。対価として求めるものが半銅貨で買える程度の物なのだから当然だが、ロウがこの国にしてくれた功績に対して余りにも釣り合わない。
女王は人前であることも忘れ、何か言おうとしているが、言葉が出てこず口をパクパクさせているだけである。
『だがまだ全てが終わったわけではない。隷属解除の魔法を教えるまでがフレンギースとの約束だ。』
「あ・・・あの、ね、ねぇ、ロウ。隷属解除の魔法って、教えていいの?」
『もちろんだ。まだ困っている人がいるのだろう?寧ろ誰でも出来るようにならないか考えているところだ。』
「ええ!?」
せっかく混乱から立ち直ったラフレシア女王だが、ロウの考えに再び驚愕し大声を上げてしまった。
それはそうだろう。隷属魔法というのは元々魔人族の精神支配の魔法と封印魔法から派生したといわれる魔法で、魔獣を自在に使役するために使われていた魔法である。
人族以外を対象としたいわば上位魔法の簡易版であったが、人間族はこの魔法を魔人族以外の全人族に使えるよう改良を進め、暗示が効きやすくなる程度の精神操作の詠唱や隷属印といった術式を開発したのだ。
それは人族が常に放出している魔力を使って微弱な暗示を発し続け、精神支配に追い込むというもので、その媒体として首輪、若しくは腕輪と言った人の装飾品を利用したのである。
人間族の悪辣なところは、この媒体に罰則効果、即ち命令に従わなかったり逃げ出してしまったり時に媒体が収縮するという術式まで組み込んだことである。
隷属魔法はその危険性から国の許可を得て、奴隷商人が独占している魔法でもある。この魔法を使える者は非常に少ないうえ、その術式は殆が一子相伝で受け継がれるため、他人が習得するためには隷属魔法を使える奴隷商人から信用を得て教授してもらわなければならない。
まさに個人占有となる魔法で、当然奴隷商人たちはそのノウハウを秘匿しているため、外部に漏れることは無いし、正規奴隷商人ならば商業ギルドで保護する立場となる。
近年、正規奴隷商人が金銭目的で闇奴隷商人になったり、犯罪集団に襲われて隷属印を奪われたりして闇奴隷商人が増加していることに、各国とも頭を悩まされている所だ。
ロウはそんな隷属魔法をエルフ族のため伝授してくれるという。
「・・・ロウ、貴方は何故そこまで私達に良くしてくれるのかな?私達には貴方の働きに対する相応の対価を与える事などできないのですよ?」
『う~む、隷属魔法は犯罪抑止目的の必要悪だとは理解しているが、人の尊厳、個人の権利、その者の誇りを奪うとなると話は別でな、そんなもの無くしてしまえば良い。単純にそう思うからだよ。』
「っ!ロウ!少し威圧を抑えて・・・」
『おっと!すまぬな。奴隷というものに馴染がないで、ちと熱くなってしまった。とにかく隷属の解除を誰でも扱えるよう考えてみるつもりだ。』
どうも前世で人類みな兄弟を謳う世界に居ただけに、ロウはどうしてもこの奴隷制度というのに馴染めないようである。ましてや望まぬ形で奴隷とされていた人の、あまりに惨い状態を見てしまうと、馴染む馴染まないの問題ではなく、怒りすら覚えるのであった。
だからロウは隷属状態を解除する魔法陣を転写し、誰でも使えるような魔法にしようと思っているのだが、精霊魔法に馴染んでいる妖精族に使えるかどうか、その辺が不透明であるとも考えているのだ。
それほど人間族が使う魔法と、エルフの精霊魔法、そして神獣たちの古代魔法は違うのである。
「そういうことなら、まだ時間はありますよ~。あと四、五日すれば遠征している解放部隊が戻ってくるのです。」
『解放部隊?遠征だと?』
「はい~。各国で闇奴隷となっているエルフ族を解放するために、この国の精鋭たちで編成した部隊です。今回、北のサキュリス正教国に潜入していたのですよ~。」
『そんな国があるのか。それが戻ってくる。』
「はい~。あの国は人間族を至上種とするサキュリス神を信奉する宗教国家で、他種族を亜人と呼び人族とは認めていない国なのですよ~。昨晩、隊の者から今回は五人程連れてくると連絡がありましたの。」
姿形の違いで差別の対象とするとは、また厄介な国があったものだとロウは思う。大抵このような国は世界大戦の引き金になったり、一般人まで大量虐殺を行ったりと碌でもない歴史を残すことになる。まさに地球がそうであったように。
それにしても、このエルフの王がその様な秘密部隊を作っているとは驚きである。同胞を救い出すため、殆どが自ら志願した者達だという。それほどエルフの同族意識は高いのだろう。
そういった組織があるならば、ロウはその解放部隊が帰るのを待って彼らの意見も聞いてみてから、隷属魔法を教える事について改めで考えてみようと思うのであった。
◆
王都シルファードはエルフ族の女王のいる街であるが、だからと言ってエルフ族だけが住まう街というわけではない。
もちろんエルフ族が大多数を占めているが、ダークエルフ達が同族で集う町もあるしドワーフ族が営んでいる鍛冶屋もある。ノームの農民も多く、街の内外に広大な畑を作り季節ごとに様々な実りを街に齎してくれるのだ。
もちろん人間族や獣人族も見かける。彼らの殆どが冒険者で、この街からそれほど離れていない【迷いの迷宮】に挑む連中であった。妖精族の国の各都市に入場する時は、妖精族の誰かの紹介状が必要で、厳しい入場審査を受けてからになるが、それでも迷宮に挑むことは魅力的な事だったのだ。
迷いの迷宮は二十七層からなる迷宮で、各階層がかなり広く、未発見のエリアも多い。全ての階層で何度も分岐する洞窟や生茂る森、果てやたち込める霧が冒険者達の方向感覚を狂わせ、時に地形自体も変わってしまうためそれなりの知識が無いと中で迷ってしまい、生きて地上に出てくる事が出来ない厄介な迷宮であった。
しかし、それだけに迷宮内にある宝、主に装飾品の魔道具であるが、希少かつ高性能のモノが多く高値で取引されるため、一攫千金を求めてダンジョンに挑むものが後を絶たないのだ。
さらに、この迷宮の十五階層には「火喰鴉」という鳥型魔獣がいて、運よく群れのリーダーを倒しその身を食べると、魔法特性を持たない者でも火属性の魔法が使えるようになるのでこの迷宮の人気に拍車をかけているのだ。
ファーレンにはこういった迷宮が三個所あり、氾濫が起こらないように迷宮の入口に町を作って管理しているのである。
そんな街の喧騒の中をロウとフレンギースが連れ立って歩いている。特にロウは満面の笑みを浮かべて上機嫌で歩いている。
ロウが隷属解除の魔法を行使してから五日が経ち、何となく騒がしかった王宮も大分落ち着いてきた。
この五日間、ロウは中庭でボーっとしたり、王宮の蔵書庫に入れてもらって本を読んだりする位しか特にやることが無かったので、見かねたフレンギースが約束の串焼きを奢ると言って連れ出してくれたのだ。
エルフと言えど肉を口にしないわけではない。森の民を名乗るように、狩猟技術は他種族が並ぶ事がないほど優れており、魔獣の肉は好んで食べないだけで、鳥や獣は他種族と同じように普通に食べるのだ。
シルファードには「屋台」というものが無く、全て店舗型である。ただ店自体はどこも狭いので、飲食店などは店先を解放して椅子やテーブルを置くいわばオープンカフェの様な形式なので、店で買った食料をその場で食べることも可能である。
二人は早速「肉料理」が美味いと評判の店へと入っていった。
店の中のスペースは殆どが調理場で占められ、ここで注文して表で食べるシステムらしい。
店の看板メニューであるコッペルという草食動物のブロック肉と養殖鳥の串焼きを注文し、テーブルに移って早速噛り付いた。
(こ、これは!!)
コッペルの肉を一口食べてロウは驚愕する。レミダで食べていた串焼きとは全く異なる味わいであった。
レミダの串焼きはタレが甘く香ばしく、赤身の肉とよく合って幾らでも食べる事が出来た。ここで食べる肉には適度に刺しが入っており、何の原料か分からないがピリリと辛いソースと絶妙に調和している。
ロウはコッペルの肉を夢中で食べる。その様子は小ドラゴンの姿でいた時と何ら変わりがなく、一心不乱に食べるロウの様子にフレンギースは目を白黒させている。周りの人も通行人も、涙を流しながら美味しそうに食べまくるロウを見て、そんなにうまいモノなのかと買ってみる客もいたほどだ。
結局、ロウが一息ついたのはコッペルを八つも食べた頃で、店の人からもう在庫が無いと申し訳なさそうに謝られるまで食べたのである。その横で最後の一つを買っていった客がロウに睨まれたのは言うまでもない。
「は、はは・・・ロウは食いしん坊なんだね。」
『うぬぬ?食いしん坊ではない!美味しい物を美味しく食べているだけだぞ。』
肉汁でベトベトになった手を水魔法で洗浄して綺麗にし、持っていた手拭いで口元を拭きながらロウは答える。その様子は人族のモノとなんら変わりはなく、フレンギースは目の前にいるこの男は本当にあのヒュドラなのだろうかと疑問に思ってしまうのである。
とにかく、食べる物が無くなっては仕方がない。
フレンギースが頼んだ鳥の串焼きもすこし分けてもらい、それで満足したロウとロウの食べっぷりを見ただけで幸せな気分になったフレンギースは店を後にする。もちろん払いはフレンギースだった。
通りに出てのんびりと歩く二人の横を結構な速度を出した二台の馬車が通り過ぎていく。長旅をしてきたのか、幌も荷台もボロボロで引いている馬の毛並みも汗と埃で汚れていた。
それを見て二人は、あの馬車に乗っているのはサキュリス正教国に行っていたエルフ戦士の解放部隊なのではないかという事に思い至り、急いで王宮へと続く道を駆け上がっていった。
間もなく王宮の入口、先程見かけた馬車の後ろに人だかりが出来ていた。その中にはラフレシア女王の姿もある。
「ロウ!!首輪が締ってる!金属製なの!!!」
ラフレシア女王がロウの気配を感じて振り向き、大声で叫んだ。ロウは地面を蹴り一気に数十mも移動して人だかりに近付くと、状況の説明を求める。
この女性に付けられた隷属の首輪は、これまで見たことが無い金属製であった。金属製では水魔法を使った膨張阻害は通じない。しかもこの隷属の首輪はシルファードの街に入ってから突然首を締め付け始めたそうだ。すでにもう、幾らか首に食い込んでいる。
ロウはすぐに隷属解除の魔法陣を両手に出現させ、隷属の首輪に施された変形の術式と隷属の魔法陣を無効化した。
金属の甲高い音を立てて首輪が外れ落ち、首輪の拘束を逃れたエルフの少女は、やっと肺に入ってきた空気で咽てゴホゴホと咳を繰り返した。その様子を見てそれまで破裂せんばかりに緊張した空気が一気に萎んでいく。
少女の介助を王宮の女従に任せ、気配を消しながら人の輪から離れていくロウの姿を鋭い眼差しで見つめる女性がいた。ロウもその女性の視線に気付き、この世界で珍しい黒い瞳を持つ彼女を思わず【邪眼】を通して見て驚愕してしまった。
名 前:キョウ・ウエスギ(♀19)
種 族:人族(異界人)
状 態:平常
生 命 力:10,000 魔力量:20,000
能 力:闇の勇者
固有能力:【神刀技】【魔力回復上昇】【障壁】
特殊能力:【水魔法】【風魔法】【闇魔法】【空間魔法】【身体強化魔法】
通常能力:【刀術】【槍術】【体術】【生活魔法】【隠蔽】【索敵】【鑑定】
武 器:精霊の風剣【両刃短剣】
魔鉄の剣【両手両刃剣】
防 具:革の鎧【マッドベア】
物理魔法攻撃抵抗中
なんと、こちらも勇者様であったのだ。