第六話「Vの鮮烈」
「行方不明?」
ある日の夕方、夕飯を作りに来た凛桜の話を聞いて拓夫はそう聞き返す。
「そ。なんか連絡しても繋がらないし、家にも帰ってないみたいなの」
「……大変だね、手がかりとかも全然ないの?」
「あるわけないでしょ、あったらどうにかして見つけてるわよ」
手慣れた手つきで玉ねぎをみじん切りにしつつ、凛桜は平然とそんなことをのたまう。手がかりさえあれば見つけ出せる、という謎の自信が妙に彼女らしい。
凛桜の話によると、数日前から凛桜の友人が行方不明になっているようなのだ。家にもほとんど帰っておらず、凛桜や他の友人から携帯へ連絡を入れても全く繋がらない。既に警察は捜索を始めていたが、今のところ成果はないらしかった。
「……ぶ、無事だと良いけど……」
「そうね……化物と関係なければいいけど」
できたてのチャーハンを机に置きつつ、凛桜は小さくため息を吐く。
化物……グリッチが関わっている可能性は低くない。マクレガーの話によればグリッチが現れてから、この田外市における行方不明者の数は着々と増え続けているのだ。凛桜の友人だって、グリッチの被害に遭っていないとは言い切れなかった。
「いただきます」
丁寧に手を合わせてから、拓夫はチャーハンをスプーンですくって口へ運ぶ。鼻孔を刺激するごま油の香りに促されるまま、拓夫は口元を緩めながらチャーハンを噛みしめる。凛桜はその様子をジッと眺め、拓夫が二口目を口にしたところでニヤリと笑みを作って見せる。
「ん……な、何だよ……?」
「食べたわね?」
「……食べた、けど」
悪戯っぽい凛桜の笑みを見て、拓夫がやばいと判断した時にはもう遅い。もう何度目ともわからない凛桜の夕飯トラップに、拓夫は久しぶりに引っかかってしまったらしい。
凛桜が定期的に拓夫へ夕飯を作りに来るのは、料理の練習が主な理由だ。勿論拓夫の食生活を心配しているだとか、拓夫に会いに行く口実だとか、そう言った凛桜以外は知らない事情もあるにはある。しかし、稀に凛桜は拓夫に夕飯を振る舞ったのを理由に何かしら頼み事をすることがあるのだ。これを拓夫は、夕飯トラップと呼んでいる。
当然このトラップにかかると拓夫に拒否権はなくなるのだが、正直な話凛桜に半ば強制的に頼まれれば夕飯を振る舞われようがそうでなかろうが拓夫は頷かざるを得ないのだが。
「拓夫も捜してくれない? 美由のこと」
「み、美由……って、その、行方不明の?」
どんな頼み事をするのかと思って警戒していた拓夫だったが、思いがけない凛桜の発言にほっと胸をなでおろす。前に有名な歌手のサイン会に並ばされたことや、凛桜の家の日曜大工的な仕事を頼まれた時に比べれば、素直に引き受けられる頼み事だった。
それに、グリッチが関係している可能性があるならそれこそ率先して動くべきだろう。拓夫に断る理由は全くない。
「それは、良いけど……でも、警察が捜して見つからないのに、俺に見つけられるかな……」
「そこまでは期待してないわよ。ただ……」
「ただ?」
「出来ることは、なるべく全部しておきたいの。空いてる時にちょっとだけでも良いから、お願い出来ない?」
それはいつになく控えめな頼み方だった。いつもは毅然とした態度で振る舞う凛桜だったが、余程美由のことが心配なのか表情は暗い。恐らく凛桜も、グリッチに襲われてしまった可能性が高いと判断しているのだろう。
「……わかった。明日は休みだし、俺、捜してみるよ」
「……何よ妙に素直ね。それに、出不精のアンタが明日すぐ行くなんて」
「い、いいだろ別に! チャーハン、おいしいんだし」
「そっか」
短く、素っ気ない返答ではあったが、凛桜は少しだけ穏やかな表情を見せる。チャーハンを丁寧に噛み締めながら、凛桜を見つめ、明日の捜索へのモチベーションを高めた。
翌日、拓夫は昼過ぎには早速美由の捜索へ向かった。とは言え、手がかりは本当に何もない。とりあえずバイクで一通り人の集まる所は回って見たが、その程度で見つかるなら凛桜も警察も苦労はしない。心のどこかで見つけようがないだろうとは思ってしまうものの、何もしないでいる気にはなれなかった。
凛桜の、いつになく寂しそうな顔が拓夫は忘れられない。いつも気丈に振る舞っている凛桜が、あんなに不安そうな様子を拓夫に見せるのは珍しい。いつまでもそんな顔はしていて欲しくない、あんな顔に比べればまだ怒っている時の方がマシだとさえ思えた。
バイクを家に片付けてから、拓夫は徒歩で郊外を歩いていた。あまり人通りはなく、勿論美由の姿もない。
「……こんな漠然と捜しても、見つかるわけないよなぁ」
『まあそうだろうが、それでも君は漠然とでも捜すのだろう?』
不意に聞こえたマクレガーの声に一度肩をびくつかせてから、拓夫はうん、と短く応える。
「グリッチが関わってるかも知れないしね……。後マック、連絡は先に携帯にっていつも言ってるだろ!」
『すまんすまん、こっちの方が楽なのでな。ついつい』
幸い人目はないため怪しまれることはないが、迂闊に拓夫の腕にハックドライバーを出現させるのだけはなるべく控えて欲しかった。
聞けば、拓夫が気付いていなかっただけで数分前からドライバーは出現していたらしい。どうもこの近隣でグリッチと思しき反応があったようで、ひとまずドライバーを通して周囲の様子を確認したかったとのことだった。
「それでどう? ……グリッチいそう?」
『微かだが反応はあるな……気をつけてくれ』
マクレガーの言葉に短く答え、拓夫は周囲を警戒しながら歩を進める。空はもう薄っすらと赤らんでおり、拓夫が思っている以上に家を出てから時間が経っているのを感じた。
しばらく歩いて、橋の辺りまで来ると不意に人影が見えてくる。シルエットからして女性のようで、拓夫の高校の女子制服に見える。
ゆっくりと近づいて見ると、セミロングの、少し背の高い少女だとわかった。そこでふと思い当たることがあって、拓夫は慌てて携帯を取り出し、凛桜からもらった美由の写真を確認した。
「……君は!」
うつむいていて顔はよく見えなかったが、彼女の特徴は美由とよく似ている。いつもなら初対面の人物に話しかけるような度胸はない拓夫だったが、事態が事態だったのですぐに少女へ駆け寄った。
「あ、あの! 美由さん……ですか!?」
拓夫の言葉に、少女はピクリと反応を示して顔を上げる。随分とやつれていたが、間違いなく美由だった。
「良かった……! あの、大丈夫ですか!? 凛桜も家族の人も捜してて――――そうだ、連絡しなきゃ! えっと、警察が先の方が良いのかな……?」
ややテンパりながら拓夫が携帯を操作していると、不意に不快なノイズが拓夫の鼓膜を刺激する。
「え……?」
聞き覚えのあるそのノイズは、少しずつ音量を増していく。それと同時に、目の前で美由が胸元を抑えて呻き始めた。
「――――美由さん! だ、大丈夫ですか!? 美由さん!」
拓夫の言葉に応える余裕は、美由にはない。ただ苦しみながら呻くばかりだ。
『……拓夫、離れろ……拓夫!』
「美由さん! 美由さん!」
それは、“ゲームのグラフィックがブレるような砂嵐”だった。砂嵐が美由の身体を包み込み、不快なノイズを奏で始める。驚いて美由から離れ、拓夫は目を見開いて目の前の光景を凝視していた。
「う、嘘だろ……?」
砂嵐が収まると、そこにいたのは美由ではなく一体のグリッチだった。
白と黒のまだら模様の肢体をくねらせ、グリッチは頭部の長い触覚を揺らしながらその場で身悶える。口元には鋭く、頑強に見える牙が生えており、その姿はカミキリムシを連想させる。
美由は、拓夫の目の前でグリッチへと変貌した。
「ガ……ギッ……ァ゛……ィィ……」
言葉にもならない声を上げ、グリッチは身悶える。わけもわからないまま拓夫がその場で硬直していると、グリッチは唐突に拓夫へ殴り掛かる。
「う、うわッ……!」
慌てて回避し、拓夫がグリッチから距離を取ると、ドライバーからマクレガーの声が響いた。
『拓夫! ハックになれ、グリッチだ!』
「ぐ、グリッチだって……でも、アレ……!」
『拓夫!』
マクレガーの怒声に急かされるように、拓夫はドライバーにディスクを装填する。
『Now Loading……』
そうこうしている間にも、グリッチは再び拓夫へ襲いかかる。グリッチの拳を回避しつつ、拓夫は即座にドライバーの上蓋をスライドさせた。
『Install……』
「ギッ……ガァァァッ!」
『Set up! Hack!』
殴り掛かるグリッチを、ホログラフィックの壁で弾きながら拓夫はハックへと変身する。しかし変身が完了しても、ハックは立ち止まったまま動かなかった。
「ギィィ……ッ」
しかしグリッチは、起き上がるとすぐにハックへ飛びかかる。それを何とか受け止めて、ハックはグリッチへ必死に呼びかける。
「や、やめてよ! み、美由さんなんだろ!? どうしちゃったんだよ! ねえ!」
ハックのそんな言葉は、グリッチにはまるで伝わっていない。ただ唸りながらハックを振りほどこうとするばかりで、とてもじゃないが意思の疎通など出来そうにない。そうこうしている間に振りほどかれ、ハックは地面に叩きつけられた。
『拓夫! アレはグリッチだ……戦え!』
「出来るわけないだろ! あの人、美由さんなんだよ! 凛桜が、凛桜が捜してるんだよ! 家族の人だって……!」
立ち上がり、ハックはドライバーに向かってそう叫ぶ。それを隙だと判断したのか、グリッチは飛びついてハックの身体に組み付いた。
「や、やめてくれ……やめてよ! 頼むよ……!」
「ガァァァァッ!」
ハックの悲痛な声を、グリッチの唸り声がかき消す。そしてそのまま間髪入れずに、グリッチはハックの右肩に噛み付いた。
「うわァッ……あ、あァ……ッ!」
ハックの装甲を貫き、想像を絶する痛みがハックの右肩を襲う。何とか突き飛ばす形でグリッチを引き剥がしながら、ハックは右肩を抑えてその場へうずくまった。
傷口から流れる真っ赤な血が、ハックの白い装甲を汚す。左手に付着した鮮血を見て、ハックは今にも泣き出しそうな呻き声を上げた。
「ほんとに……ほんとにグリッチになっちゃったのかよ……!」
ハックの言葉には、誰も答えなかった。
目の前の光景と、右肩の痛み……それだけがハックに突きつけられた現実で、答えだった。
よろめきながら起き上がったハックを、グリッチの右腕が弾き飛ばす。グリッチになされるがままになぶられるハックだったが、それでも反撃しようとはしなかった。
『拓夫……! 戦え、戦ってくれ……! アレは、アレはグリッチなんだぞ!』
「戦える……わけ、ないだろ……! ふざけんなよ! アレは美由さんなんだ! 凛桜が、凛桜が捜してた……! 嫌だよ俺……また、なんにも出来ないのかよ!」
ハナのときと同じだった。ハックには、救うことが出来ない。グリッチを倒すことは出来ても、ハナや美由を救う力はない。それが悔しくて、ハックは右手を握りしめる。どろりとした血が、肩からまた溢れ出た。
グリッチの太い右腕が、ついにハックの首筋をとらえる。そのまま片手で持ち上げられながら、ハックは呻きながら足をばたつかせた。
「ギィ……ギァ……ァ……ッ」
唸り声が、悲鳴にも似た響きでハックに吐きつけられる。腕から解放されるためなのか、それとも救おうとしたのか……どちらにしても、伸ばしたハックの右手は届かなかった。
「くッ……うぅ……! ……ッ!?」
何とか抜け出そうともがいていると、ふとグリッチの後方から歩いて来る紫色の人影が見える。近づく度に明らかになる、その不気味で異様なフォルムから、ハックは視線をそらせなかった。
「あ、アイツは……!」
数日前、学校に現れた紫色の怪人だった。
怪人はやや早足でこちらへ歩み寄ると、突然グリッチを背中から殴りつける。不意のことで驚いたグリッチは、思わずハックをその手から放してしまう。
「げッ……げほッ……!」
むせるハックをチラリと見た後、怪人は続けざまにグリッチを殴りつけ、蹴り飛ばす。グリッチがその場へ倒れたのを見ると、怪人は左手で自分の右腕をなでつけた。
すると、怪人の右腕からトンファーのような形で刃が生える。その毒々しい刃を見、怪人は満足げに頷いてからその刃でグリッチを切りつけた。
「ガァァッ!」
悲鳴を上げて弾き飛ばされるグリッチを見て、ハックは慌てて立ち上がると怪人とグリッチの間へ立ち塞がる。グリッチを守るようにしてハックが両手を広げると、怪人はキョトンとした様子で首をかしげた。
「お、おい、やめろよ! だ、誰だか知んないけど……こいつ、ほんとは化物じゃないんだ! それにお前……グリッチの仲間じゃないのかよ!?」
ハックの問いに、怪人は少し間を置いてから首を左右に振って見せる。
「そいつの仲間? 僕が……? うん、まあ、広義ではそうかもね……でもそれはさ」
そこで言葉をわざとらしく区切ってから、怪人は右腕の刃でハックを切りつけた。
「君も同じだろ」
怪人の刃とハックの装甲がぶつかり合い、派手に火花を散らす。装甲越しにダメージを受けたハックは後ろのグリッチから引き離される形で弾き飛ばされた。
「お、お前……!」
「黙って見てなよ、話なら後で聞くからさ」
淡々とそう言って、怪人は再びグリッチを切りつける。そして呻きながらグリッチが仰向けに倒れたのを見ると、怪人は右足で地面を数度叩いて見せる。
「君がやってるの、こんな感じだっけ?」
「何言って……!?」
そこでハックは、怪人の右足に紫色のエネルギーが充填されていることに気がつく。その、ハックの有線キックと似た右足の状態で、ハックは怪人が次にどんな行動に出るのか即座に理解した。
「や、やめろッ!」
すぐにハックは怪人へ駆け寄ったが、怪人は素っ気なく右腕の刃でハックを弾き飛ばす。
「そらよ」
「やめろォォォォォォオオオッ!」
ハックの叫び声も虚しく、怪人の右足がグリッチの頭部を勢い良く踏みつける。右足を通じて紫色のエネルギーがグリッチへ流れ込み、そのまま踏み潰されるような形でグリッチは爆発四散する。
「あ、あぁ……ああああ!」
爆炎の中から、ゆっくりと怪人が姿を表す。その紫色を力強く睨みつけ、立ち上がったハックは勢い良く飛びかかった。
「うわああああああああ!」
「落ち着けよ、そんな大したことじゃないだろ?」
突き出されたハックの右拳を片手で受け止め、怪人はわざとらしく肩をすくめて見せる。
「お前だって、今日までずっとやってきたことだろ? 何で僕だけ怒られなくっちゃいけないんだ、不公平だろ、そんなの」
「違う! お前……! お前、人を殺したんだぞ! 凛桜の友達を、殺しちゃったんだぞ、お前!」
「はーん、そゆこと? ごめんね、僕知らなかったよ」
「ふざけんなよ……ふざけんなッ!」
「君だって知らなかっただろ?」
「何がだ!?」
「何もかもだよ」
怪人の拳が、ハックの腹部に叩き込まれる。ハックが呻きながら後退ったのを見て、怪人はわざとらしく笑みをこぼした。
『拓夫……! 逃げろ、今の状態ではそいつには勝てない! 今すぐ逃げろ!』
「だってさ、どーする?」
ハックは、マクレガーの言葉には答えないまま怪人を睨みつける。
「お前一体……何者なんだ……!?」
「自己紹介しなかったっけ? あ、してないか……ごめんね」
クスクスと笑みこぼしてから、怪人は言葉を続けた。
「君は……ハックだっけ? じゃあ僕はどうしようかな」
「どうしようかなってお前……馬鹿にしてるのか!」
「してないよ……そうだな、じゃあ“ヴィルス”。君はハックで、僕はヴィルス……どう? ライバルキャラクターって感じがしない?」
おどけた様子でそんなことをのたまう怪人――――ヴィルスの態度に、堪忍袋の尾が切れたのか、ハックは怒りを露わにして殴りかかった。
「血の気が多い……なッ!」
ヴィルスは、突き出されたハックの右拳を避けながら両手で受けてその場に固定すると、即座に右膝を叩き込む。その強烈な膝蹴りによって、ハックの右腕が一瞬関節とは逆に曲がり、骨の折れるようなえげつない音が鳴る。
「う、あぁ……ああああああああッ!」
激痛に呻き、その場にうずくまるハックを見下ろしながら、ヴィルスは再び右足にエネルギーを充填し始める。
『拓夫! 拓夫ォーーッ!』
「ばいばいヒーロー……また、来週」
うずくまったハックに、ヴィルスの右回し蹴りが直撃する。凄まじい威力の回し蹴りに装甲を破壊されながら、ハックは橋を飛び越して川の中へと落下していった。