第五話「不穏の紫」
「有線キック!」
ハックの叫び声と共に、必殺のキックが、闇夜を引き裂く一筋の閃光となってグリッチの身体を貫いていく。爆発四散したグリッチを背に、ハックは余裕のある様子で肩を回して見せた。
もう秋場拓夫がハックとしてグリッチと戦うようになってから、二ヶ月程は経つ。ぎこちなく戦っていた拓夫――ハックも、もう大抵のグリッチは簡単に倒せるようになりつつある。
『よし、無事グリッチは撃破出来たな。随分手慣れてきたじゃないか』
「まあ、ね……。でもやっぱまだ、怖いけど」
とは言え完全に恐怖がなくなったわけではない。今回のグリッチは現れたのが夜中だった上に、騒ぎになる前に森で発見することが出来たおかげで何事もなく対処出来たが、相変わらずハックは警察に見つかると追われてしまう。
もうグリッチと戦う所を何度も目撃されているため、ハックのことはかなり噂になっている。ニュースでは慎重に報じられているものの、ネットやワイドショーでは「白い怪人は味方なのではないか」と言われることも多くなりつつある。それについては少しだけ誇らしく感じるハックだったが、目撃した時に撮った写真をSNSにアップロードするのはやめて欲しいと切実に思っていた。恥ずかしかったし、そんなことより早く避難して欲しいのである。
そしてそんな中でも正体がバレずにすんでいるのは、ラピッドハッカー及びジェットハッカーの驚異的なスペックのおかげだった。
「――――ッ!」
ふと、ハックはラピッドハッカーにまたがろうとして動きを止める。
「……まただ」
位置までは特定出来ないが、近くで誰かがハックを見つめているような感覚がある。ハックがまただ、と言ったのはこれが一度目ではないからで、今までグリッチと戦っている中でもう何度も感じたことのある視線だったからだ。
ピリッとした緊張感の中、ハックは感覚を研ぎ澄ます。普通の人間よりは優れた感覚を持つハックだったが、この視線の正体を特定出来たことは未だにない。微弱でわからない、というよりは巧妙に隠れているような感覚である。この視線はいつもすぐに消えてしまう。それは今回も同じようで、しばらくすると視線は消えてしまった。
『これで四回目だな』
「え、五回目じゃない?」
『いいや違うな。何故なら私は記録しているからだ。間違いなく四回目だよ』
「あ、うん、じゃあそうか……。あの視線のこと、何か最近わかったことある?」
そうハックが問うと、マクレガーはいや、と口ごもる。マクレガーの方も視線の正体については調べてくれているようなのだが、やはりうまく隠れているのか一向に正体がわからないらしいのだ。
「……とりあえずもう帰ろうか……明日学校だし」
呟くようにそう言ってから、ハックは大きくあくびをしながらラピッドハッカーへ跨った。
グリッチの出現により、夜中に外出することの多くなった拓夫は、必然的に授業中の居眠りが増えるようになった。
ハックとして戦うようになる前、拓夫はどちらかというと真面目に授業を受けるタイプだったせいで居眠りをすると注意された後心配されることが多い。教師の方も人によってはかなり真剣に拓夫の体調を心配してくれるため、理由をきちんと言えずにはぐらかさなければならないのは少し心苦しかった。
「秋場君、秋場君」
その日の三時間目、授業が終わってチャイムが鳴っても眠りこけていた拓夫を起こしてくれたのは由紀夫だった。グリッチとの戦闘のせいで睡眠時間が削れた上によく眠れなかった拓夫は、二時間目までは何とか持ちこたえたものの三時間目には力尽き、半ば気絶するような形でぐっすりと眠り込んでしまっていたのだ。
「ん、あ……おはよ」
「だ、大丈夫……? さっきの授業、全然起きなかったけど……」
「……うん、多分、大丈夫……」
眠そうに目をこすりつつ身体を起こし、拓夫は思い切り身体を伸ばす。あまり質の良い睡眠とは言い難かったが、とりあえず四時間目の授業は乗り切れるだろう。
ややボーっとしたまま、ふと拓夫が廊下の方へ目をやると、一人の男子生徒がふらふらと歩いているのが気にかかった。
背の低い小柄な生徒で、明らかに体調が悪そうな様子だったがそれを気に留める者は誰もいない。廊下にいる生徒達は次の授業の教室へ移動する者や、立ち話をしているだけの生徒ばかりで、体調の悪そうな彼を気遣う者はいなかった。
それをしばらく見て、拓夫は顔をしかめてから席を立つ。
「秋場君、どうしたの?」
「あそこ、体調悪そうな人いるのに何で誰も気にしてないんだろ」
「……秋場君?」
「俺、保健室連れてってくる」
怪訝そうな顔で呼び止める由紀夫をよそに、拓夫は急いで廊下の方へ向かっていくと、ふらついている生徒に肩を貸して保健室へと案内し始める。そんな様子をポカンとしたまま見つめて、由紀夫は小さく呟く。
「……あんな人、いたっけ……?」
しかしその呟きは、授業の開始を告げるチャイムがかき消してしまった。
四時間目の授業を終えた後、拓夫はすぐに食堂へ向かった。
たまに夕飯を作ってくれる凛桜だが、流石に弁当の面倒までは見てくれないし、拓夫は拓夫で弁当を用意するのを面倒に感じるので学校での昼食は大抵学食だ。
いつもは由紀夫と一緒に食堂で食べるのだが、今日は由紀夫が部活の用事で一緒に食べられなかったため、珍しく拓夫は一人で学食のカレーを食べていた。
他の席では友達同士でわいわい話しながら食べているのを見るとそれなりに寂しかったが、あまり気にしないようにしつつ拓夫はカレーを口に運ぶ。そうして半分くらい食べ終わった頃、不意に拓夫の正面の席に一人の男子生徒が座り込む。
「ここ、空いてる?」
「え、あ、うん、どうぞ」
少し長めの黒髪の、綺麗な顔立ちの少年だった。見たことのない生徒だったが、恐らく他学年の生徒だろう。拓夫はそれ以上何か話そうとはせず、黙々とカレーを食べ続けたが、ふと少年がポケットから取り出した携帯を見て、拓夫は手を止める。
携帯、というよりは正確には携帯についているラバーストラップだ。そのストラップは、黒を基調とした、ゴスロリ風の衣装を身にまとう金髪の少女で、拓夫はそのキャラクターのことをよく知っていた。
「ぎゅんぎゅん☆パンデちゃん……」
小声で拓夫がボソリと呟くと、少年はピクリと反応を示す。
「知ってるのかい……?」
少年がそう問うと、拓夫はそっとポケットから携帯を取り出すと少年へ見せつける。拓夫の携帯にも同じくラバーストラップがつけられていた。
電脳魔法少女きゅんきゅん☆デンパちゃんである。
拓夫の正面に座った少年は、冬馬春彦と名乗った。二年の拓夫より一つ上の三年で、食堂を使うのは久しぶりだったらしい。
春彦は拓夫と同じ「電脳魔法少女きゅんきゅん☆デンパちゃん」の大ファンであり、お互いにストラップを見せた後はすぐに意気投合してしまっていた。
「そう! 四十七話ね! あそこはスタッフの作画もやたらと気合いが入ってたしパンデちゃん役の水菜美樹さんの熱演がさぁ!」
「わかる、わかるよ秋場君。本当良かった……。デンパちゃんとパンデちゃんの最終決戦の作画はアニメ史に残るレベルだと思うんだよね。崩壊しまくってた初期とは大違いだったね」
「ね! 十話なんか、デンパちゃんの顔が酷くて酷くて!」
拓夫はどちらかというと人見知りをする方だったが、趣味が合うせいか春彦とはすっかりハイテンションで話し込む程打ち解けてしまっている。しかしそれも無理はない、拓夫はデンパちゃんについて話せる相手を密かに待ち望んでいたのだ。由紀夫はオタク仲間ではあってもデンパちゃんのファンではない。そのため、拓夫はネット以外でデンパちゃんの話をする機会がほとんどなかったのだ。
「いやあしかし驚いたよ。まさかここまで深くデンパちゃんを語れる人が学校にいたなんてね」
「うん、俺もびっくりしたよ。案外近くにいるもんなんだね」
「ちなみに秋場君は何話が一番好きなんだい?」
「一番? 一番かぁ……」
こういう話題では、一番と言われると拓夫は返答に困ってしまう。どれかを一番にしてしまうと必然的に何かを二番にしなければならないため、どうしてもあれもこれもと思い悩んでしまう。そうして数十秒悩んだものの、拓夫は観念したかのように口を開く。
「四十八話かな」
「最終回の前だね」
デンパちゃんの四十八話は、今まで敵対していたデンパちゃんとパンデちゃんが互いに手を取り合って世界を救う話で、ファンの間では「神回」と呼ばれることが多い。どう足掻いても世界が終わってしまう絶望的な状況で、デンパちゃんとパンデちゃんが協力して奇跡を起こす……そういう筋書きの四十八話を、放送当時拓夫は涙しながら見ていたのを今でも思い出す。
「良いよね、四十八話は……。もう何をしたって世界は終わるってのに、二人はさ……」
「そう、そうそう!」
ついついはしゃいで返答してしまう拓夫は、春彦の様子が少し変化したことに気づけない。今まで春彦は、拓夫のテンションに合わせるようにして顔を明るくしていたが、今は何故だか物憂げだ。そしてそのまま少し目線をそらして、春彦は言う。
「秋場君はさ、明日で世界が終わるとしたら……どうする? 二人のように、奇跡を信じるかい?」
思わずゾッとするような、冷えた調子だった。
そんな春彦に動揺を隠せなかったが、拓夫は真面目に考え込む。しかしそんな突拍子もない問いに対して、すぐに回答が出来る拓夫ではない。ウィットに富んだジョークを返せるわけでもなく、拓夫は困ったようにはにかんで見せる。
「……急に言われてもわかんないや……冬馬君はどうするの?」
「僕? 僕はね……どうでも良くなる、かな」
ため息混じりにそう答えると、春彦は不意に席を立つ。
「ありがとう、楽しかった。また話そうよ、その内遊びに行こう」
「あ……うん、そうだね。俺も楽しかった、ありがとう」
春彦の言葉の真意は、拓夫にはわからなかった。それを問い正す間もないまま去って行く春彦の背中をただ見つめ、拓夫はすっかり冷えた残りのカレーを食べ切った。
養護教諭の田宮百合は、午前中からずっと保健室にいる生徒が目覚めるのを待っていた。
秋場という生徒が連れてきたその男子生徒は、ふらふらしたまま会釈だけすると何も言わずにベッドへ倒れ込み、そのまま放課後まで眠りこけている。見た目は何の変哲もない男子生徒なのだが、妙なことに田宮はその男子生徒に一切見覚えがないのだ。田宮は全学年の保健の授業を請け負っているため、全く見たことのない生徒というのは基本的にあり得ない。学校に来ていない生徒の顔ですら、教師用の資料である程度把握している。だというのに、その男子生徒はいくら眺めても全く思い出せなかった。
しかし、秋場拓夫は当たり前のように連れてきていたし、その生徒も当然のように保健室に入ってくると田宮に会釈だけはしていた。まだ物忘れの激しくなるような年齢ではなかったし、田宮は困惑したまま彼が目覚めるのを待っていた。
名前がわからないため呼びかけることも出来ないまま、カーテンに覆われたベッドを見つめていると、不意に彼が身体を起こすのが影で見えた。
「目が覚めたの?」
開口一番に誰なのか聞くのもはばかられ、田宮は当たり障りのない言葉を吐く。しかし彼は何も答えないまま動かなかった。
「……どうかしたの? まだ気分が悪いのなら、もう少し休んでいても良いのよ?」
優しく言葉を投げかけても、彼は答えない。不審に思った田宮はゆっくりとカーテンへ近づいて手をかける。
「開けても良いかしら?」
しかしそう問うた瞬間、巨大な何かがカーテンを突き破りながら田宮へ迫りくる。
「――――っ!?」
声を上げる間もないまま、田宮はその黒光りする何かに突き飛ばされる。わけもわからないままドアまで吹き飛ばされて呻き声を上げながら、田宮はカーテンの中から現れた”ソレ”に目を見開いた。
「い、いや……!」
ソレは例えるなら、ムカデの化物だった。
身体の形は人間のようだったが、全身が黒光りするムカデの甲殻のようなもので出来ている。全身の端に無数の”ムカデの足”が生えており、それらをもぞもぞと動かしながら化物は太い両足で田宮へ迫って来る。頭部には凶悪な二本の牙が生えており、その口元からは呼吸の音だけが聞こえて来た。
悲鳴を上げようと田宮は息を吸い込んだが、叫ぶよりも化物が肉薄する方が早い。そして次の瞬間には、田宮の喉元に化物の牙が突き刺さっていた。
拓夫がマクレガーからグリッチ出現の連絡を受けたのは、放課後に学校を出てからのことだった。グリッチと聞いた拓夫はすぐに自宅へ戻ってバイクで向かおうとしたが、出現場所が学校の中だと聞いて血相を変えて引き返すことになる。
場所は保健室。しかし拓夫が駆けつけた頃には、既にそこはもぬけの殻だった。
「い、いない……! 逃げたのか!?」
そう言った後すぐに、拓夫は窓がぶち破られていることに気がつく。すぐに底から外を覗き込むと、グロテスクな姿をしたグリッチが校舎裏を歩いている姿が見えた。
放課後の校舎裏なので、まだ目撃されていないのか騒ぎにはなっていない。拓夫はすぐにハックドライバーの操作を始める。
『Now Loading……』
「……あ、やばい!」
電子音声が流れると同時に、廊下の方から足音が聞こえてくる、拓夫はハックドライバーを隠しながらベッドの方へ逃げると、すぐにカーテンを閉じた。
『Install……』
身体でハックドライバーを覆い隠し、何とか電子音声を誤魔化しつつ、拓夫はうずくまったままハックへ変身する。
『Set up! Hack!』
「……マック、これさ、マナーモードとかつけない……?」
『検討しておこう』
そんな間の抜けた会話をしながらも、ハックはすぐに壊れた窓から外へ飛び出していった。
ハックがグリッチの元まで駆け寄ると、グリッチはすぐさまハックへと攻撃をしかけてくる。グリッチは毒々しい、赤色の爪の生えた尻尾を伸ばしてハックを捕らえようとしたが、ハックはへっぴり腰になりながらもそれを回避する。
「う、うげぇ……む、ムカデだ! お、おま、お前、気持ち悪いにも程があるだろ!」
黒光りする肢体と、全身から生える小さなムカデの足。今までハックが見てきたグリッチの中でも飛び抜けてグロテスクなその姿は、ムカデが苦手な拓夫にはかなりこたえる。しかしだからと言って逃げるわけにもいかず、ハックは必死でグリッチへ殴り掛かる。
グリッチ自身は見た目が恐ろしいだけで特別頑丈だったりするわけではないのか、ハックの拳を受けてよろめく。その瞬間をチャンスと見て、ハックは続けざまに拳を叩き込み、とどめと言わんばかりに右足で蹴り飛ばした。
「よ、よし……さっさとぶっ飛ばしてやる!」
ハックとしてはあまりこのグリッチと長時間戦いたくないというのが本音だ。見た目から来る不快感に急かされるようにして、ハックはドライバーへ手をかける。しかしその次の瞬間、起き上がったグリッチから伸ばされた尻尾がハックの身体に巻き付いた。
「えっ――――!?」
『拓夫!』
凄まじい速度で巻きついた尻尾は、一瞬でハックの両腕を封じてしまう。何とか抜け出そうともがくハックだったが、きつく巻き付いた尻尾からは逃れられない。
ハックは、装甲で守られているとは言え決して感覚が遮断されているわけではない。そのため、グリッチの尻尾の端で蠢く小さな足の感触も感じてしまっている。ハックの身体に巻き付きながら、その上を這うようにして蠢く無数の足。そのおぞましい感覚がハックの焦燥感を募らせたが、どれだけもがいても振りほどくことは出来なかった。
「くッ……うゥ……!」
グリッチは勝利を確信したのか、ハックを捕らえたままゆっくりと歩み寄って来る。今まで戦うのに夢中で気に留めていなかったが、今はグリッチの口元から伸びる鋭い牙が恐ろしく感じられる。
ハックは、せめて足で応戦しようと力を込めたが、それに気付いたのか尻尾はさらに強くハックを締め上げる。たまらなくなって膝から崩れ落ち、ハックは呻き声を上げた。
『拓夫! しっかりしろ! 大丈夫か!?』
最早マクレガーの言葉に応えるような余裕さえない。しかしハックが一瞬諦めかけた……その時だった。
不意に、グリッチが動きを止めてハックから視線をそらす。それに気付いてハックがグリッチと同じ方向へ目を向けると、そこにはグリッチと思しき怪人がこちらをジッと見つめていた。
「……!? アイツは……!?」
基本的に、ハックが今まで見てきたグリッチは何かしら虫のような特徴を持っていた。しかしそこにいる怪人の姿から、ハックは虫を連想することが出来ない。その怪人の黒い身体には、紫色の触手のようなものが無数に絡みついているように見える。それは頭も同様で、包帯のように巻き付いた触手の隙間から、丸い真っ赤な目がこちらをジッと見つめていた。
ハックもグリッチもその怪人に気を取られていたが、先に現状へ意識を戻したのはハックだ。怪人に気を取られ、グリッチが力を少しだけ緩めた隙にハックは強引に尻尾を振りほどく。
「ッ!?」
グリッチが驚いた頃にはもう遅く、ハックは距離を詰めて連撃を叩き込みつつハックドライバーを操作した。
『Program Break!』
「おおおッ!」
エネルギーが右足に充填されると同時に、ハックはグリッチを右足で蹴り飛ばす。蹴りが直撃した時点でケーブルが接続されていたのか、グリッチはケーブルを引き伸ばすようにしてその場から吹っ飛ばされていく。
「有線キック!」
ハックはその場で軽く跳躍すると、そのままケーブルの中へと吸い込まれていく。そして一秒と経たない内に、ハックはケーブルを通じてグリッチへ必殺のキックを叩き込んで貫き、グリッチの背後へ着地した。
有線キックを受けてグリッチが爆発四散する音を背中に受けながら、ハックはすぐに紫の怪人の方へ目を向けたが、その時にはもう怪人は姿を消してしまっていた。
「……何だったんだ、アイツ……」
『……私にも全くわからんな……。調べておこう』
あの姿からして恐らくグリッチだろうが、何もせずにハックを見つめていた理由がわからない。その上、あの怪人の視線はここ数日ハックが感じていた正体不明の視線にどこか似ているような気がしてならなかった。
何とも言えないモヤモヤを残したまま、ハックは騒ぎになっていない内にその場を立ち去った。