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超人ハック  作者: シクル


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第十二話「明日のコロッケ」

 その日の朝は、妙に落ち着いていた。

 いつもより早く目が覚めた上に、頭の中は変にスッキリとしている。あれから拓夫は学校に行っていないが、誰からも連絡はない。もう、関係の浅かった人達はほとんどが拓夫のことを忘れているのだろう。そうして拓夫がいないまま、何の変化もなかったかのように日常は続いている。誰も座らない空席を見て、首でも傾げながら。

 目覚めてから大体一時間程、丁度いつもなら拓夫が学校へ向かう時間帯に、ハックドライバーを通じてマクレガーからの通信が入る。

「……グリッチ?」

『ああ……それも恐らく……』

 ヴィルスだと、マクレガーが言う前に拓夫も察する。今度は邪魔の入らない場所でやろう、ヴィルスがそう告げてからもう数日経つ。もう少し早く戦うことになるかとも思っていたため、身構えていた拓夫やマクレガーからすると少し遅いくらいだった。

『一つの場所に留まったまま動こうとしない。君を待つつもりだろう』

「……わかった」

 短くそう答えると、拓夫はすぐにバイクのヘルメットを脇に抱え込んで部屋を出て行く。必ず帰ると決意するかのように、しっかりとドアに鍵をかけて。



 駐車場からバイクを出してアパートの外へ向かうと、入り口で一人の少女が困り顔で佇んでいるのが見える。長い黒髪の、勝ち気そうな少女だ。

「……あの」

 通り過ぎようとする拓夫に、声をかけたその少女は――――卯月凛桜だった。

「このアパートに住んでる奴で……”たくお”って奴、知らない?」

 思いもよらないその言葉が、拓夫の胸に突き刺さる。うまく答えられないままただ凛桜を見つめていると、凛桜はハッと何かに気づいたように拓夫を凝視する。

「……俺だよ」

「あ、あー! なんだ、いるじゃないの! 心配させないでよね」

「うん、ごめん。今日はどうしたの?」

「……いや、どうってことはないけど……っていうかアンタ学校来てないじゃない、何サボってんのよ!」

 きっともう、凛桜にもほとんど覚えていられないのだろう。それでも必死で拓夫を思い出してくれようとしていることが嬉しいと同時に、どうしようもなく辛い。忘れる方だって辛い、そんな当たり前のことに、拓夫は今やっと気づいた。

「ごめん、ちょっと行かなきゃいけないんだ」

「あっそ。ま、今度ちゃんと話しなさいよね」

「……うん」

 それだけ答えて、拓夫は凛桜に背を向けてもう少しだけバイクを押して歩いた後、ヘルメットをかぶってバイクへ跨る。

「……拓夫!」

 その背中が妙に儚く見えて、凛桜は思わず呼び止めてしまう。ヘルメットをかぶったまま拓夫が振り返ると、凛桜は言葉を続けた。

「ちゃんと、帰ってきなさいよ」

「うん……帰るよ。行って来ます」

 静かにそう答え、拓夫はバイクにエンジンをかける。ハンドルを力強く握りしめ、拓夫は向かう。ヴィルスと、決着をつけるために。









 ヴィルスが選んだ場所は、郊外にある小さな廃工場だった。人気のない場所にポツンと存在するその建物の中には、もう一台も機械が置かれていない。草はそこら中生え放題になっており、壁には何本もの蔦が張っている。あの神社同様、人気のない場所はデータが不安定

になっているのか所々景色がチラついている。人気がないからそうなのか、それともそうなったから人がいないのか。

 工場の傍にバイクを停めて拓夫が中に入っていくと、真ん中の方で冬馬春彦が待ち構えていた。春彦は拓夫の姿を見つけると、穏やかに笑みを浮かべて拓夫へ歩み寄って来る。

「待ってたよ、秋場君」

 くだけた口調で声をかける春彦だったが、拓夫は顔をこわばらせたまま答えない。

「ここなら誰も邪魔しない、本当に二人きりなんだよ」

「……何が目的なんだ、お前は」

 にべもなく拓夫がそう言うと、春彦は意味深に笑みをこぼす。

「さて、何だろうな」

 そう言うやいなや、春彦の身体が紫色のもやに包まれる。それがヴィルスの姿へ変わるサインだと察した拓夫は、すぐにハックドライバーにディスクを装填する。

『Now Loading……』

 電子音声が聞こえると、拓夫はすぐにドライバーの上蓋をスライドさせる。

『Install……Set up! Hack!』

 拓夫はハックの姿になるとすぐにバスターディスクを装填する。もう通常のハックで戦っているような余裕はない。これ以上消えたくはなかったが、もうそんなことを言っている場合ではなかった。

『Update……Version2! Hack Buster!!』

 ハックの姿がハック・バスターへ変化すると同時に、既にヴィルスの姿に変わっていた春彦も更に姿を変化させる。毒花が開くように、紫の花弁を開いたヴィルス・パンデミックは愛おしげにハックを見つめる。

「さあ、やろうか」

「うおおおおおおッ!」

 ハックの答えは雄叫びだった。右腕の砲塔を向け、エネルギー弾を連射しながらハックはヴィルスへ肉薄する。ヴィルスは全てのエネルギー弾を回避しながら、両腕から伸びた刃を構えてハックへと接近する。

 ヴィルスとハックがぶつかるほんの数メートル手前で、ハックは砲撃をやめて右腕を横に伸ばす。すると、砲塔からエネルギー弾の代わりに黄色い光の剣が伸びる。それを見ると、ヴィルスは心底幸福そうに笑った。

「そうだよ! そうこなくっちゃな!」

 そして肉薄した二人の刃が正面からかち合う。そのまま何度かぶつけ合った後、ハックとヴィルスは互いの顔がぶつからんばかりに接近したまま鍔迫り合いを演じ始める。

「ハハッ! キスの距離だ!」

「答えろ! お前は何がしたい!?」

 おどけるヴィルスにハックは叫ぶ。もうこれ以上ヴィルスの軽口に付き合うつもりはハックには少しもなかった。

「何がしたい!? 野暮だな、こうしたかったんだ!」

 互いに互いを刃で弾き合い、二人は距離を取る。

「もう僕の世界には君しかいないんだよ! それは君だってほとんど変わらないだろ!?」

 ハックよりも先に攻めたヴィルスの刃を、ハックは光の剣で受け止める。

「もう君のデータもグリッチと変わらない! 誰も君のことなんざ覚えちゃいないだろ!」

「それはッ……!」

「でも僕は違う! 君のことを絶対に忘れない! 君もそうだ……君も僕を忘れないだろ!」

 ヴィルスの勢いに気圧されるハックだったが、何とか踏みとどまってカウンター気味に剣を振り抜く。しかしヴィルスはそれを容易く受け止めると、わざとらしくハックと顔を近づけた。

「ありがとう! ありがとう秋場拓夫! 僕は今、君に認識されてここにいる! 君は今、僕に認識されてここにいる! 僕らは互いに互いの居場所なんだよ! わかるか!?」

「居場所……居場所だって……!?」

 冬馬春彦が、どのような経緯でヴィルスになったのか拓夫もマクレガーも知らない。しかしもしその経緯が、今の拓夫に近いものだったとしたら……?

 自我と意識を保ったままグリッチへ代わり、次第に周囲から忘れられながら化物へと変貌していく。その生き地獄のような絶望は、今の拓夫が味わっているものよりも恐らく深い。

 誰も認識していないということは、どこにもいないということだ。見えないものは、感じないものはいないのと変わらない。自己と他者が認識し合うことを存在の前提とするのであれば、この世界のどこにも秋場拓夫と冬馬春彦はいない。

 拓夫にはマクレガーという例外が存在した。けれど春彦にはマクレガーがいない。誰にも頼れないまま孤独になっていく感覚は、想像するだけでも絶望的だった。

「君とこうして戦っている間、僕は生きていられるんだ! 君が僕を生かしたんだよ秋場拓夫ォ!」

 思考がハックの判断を鈍らせる。ヴィルスの刃が、剣を弾いてからハックの胸部に直撃する。

 派手に火花を散らせながら仰向けに倒れるハックだったが、すぐに起き上がってヴィルスを睨めつけると、右手の剣を構えた。

「だったら……だったら別の方法だってあるだろ! 俺とお前で、こうして戦わなくてもやっていける方法だって……!」

「ないね。ないよ。それはつまらない……だってそうだろ? ほっとけば終わる世界で、お前と仲良しごっこしたって意味なんて何もないだろ」

「だから……だから戦うっていうのか」

「そうさ」

「意味がないから、人から奪って壊すっていうのか」

「そうさ」

「……俺と、俺とお前ッ……は! こんな形でしか語り合えないっていうのか!」

「……そうさ」

 マスクの向こうでハックは、拓夫は泣いていた。分かり合えないことがただ悔しくて、手を取り合うことが出来ないのが悲しくて。

 ヴィルスの気持ちが全くわからない拓夫ではない。置かれた状況は同じなのだ。もう何を守ったって、誰も拓夫を覚えていない。きっとそれは壊しても同じだ。自我を失ったグリッチのように暴れても、もうマクレガー以外に拓夫を咎める者はいない。もし拓夫の傍にマクレガーがいなくて、拓夫も春彦と同じように自我を持つグリッチになっていれば……同じことをしなかった保証なんてない。

 どうしようもなく、二人は同じで、違ってしまっていた。

「だッ……たら! だったら!」

 強く左手を握りしめ、拓夫は――ハックは右腕の剣の切っ先をヴィルスへ向ける。

「だったら……最後まで思う存分付き合ってやる! 今この瞬間にお前が生きてるっていうなら、好きなだけやってやる!」

「助けてくれるんだ、ヒーローは」

 ヴィルスのその言葉には、ハックは答えなかった。しかしそれを肯定と受け取ったのか、ヴィルスは薄く微笑むと再びハックへ向かってくる。それに応えるように、ハックもまたヴィルスへと駆け出した。


 そのまま、長い剣戟が続いた。本当は数分のことだったのかも知れなかったが、二人にとっては永遠に等しい。永遠に続く剣戟は二人にとっては永久の語らいだ。両者全く譲らず、完全に拮抗した勝負の中、二人共が同時に疲労を感じ始めていた。

 先に戦いを終わらせようとしたのはハックだ。ドライバーを二回スライドさせて、必殺のエネルギーを砲塔の剣へ充填する。

『Giga Program Break!』

 ドライバーの電子音声を聞いて、ヴィルスは一瞬名残惜しそうな表情を見せたが、すぐに力を溜め始める。左腕から刃が消え、その質量分だけ右腕の刃が肥大化する。その禍々しき曲刀は、さながら死神の持つ大鎌のようだった。

 紫色のエネルギーの充填さえれたヴィルスの刃と、真っ白なエネルギーに包まれたハックの剣。互いにしばらく睨み合った後、二人は同時に駆け出した。

「「おおおおおおおおッ!!」」

 互いの渾身の雄叫びと共に、剣と刃がぶつかり合う。拮抗した二つのエネルギーはしばらくその場で弾きあった後、凄まじい爆発となって二人を包み込んだ。

 巨大な爆発が、廃工場の天井と壁を粉砕する。派手な轟音が鳴り響いたが、それに気づく者は誰もいない。ここには、誰もいない、何もないのと変わらないだ。

 爆発に巻き込まれた二人は、互いに吹っ飛ばされて数メートル離れた場所に倒れ込む。ハックはバスターの姿を維持出来ず通常のハックの姿に戻り、ヴィルスもまた、パンデミック態から元の姿に戻っている。

「こ、……のッ……!」

 先に立ち上がったのはハックだ。装甲は所々傷つき、敗れたスーツからは血が流れている。それでも立ち上がったハックに呼応するかのように、数メートル先でヴィルスが幽鬼の如くふらりと起き上がる。

「は……はは……はははッ……!」

 ハック同様、ヴィルスも無事ではない。全身傷だらけで、身体からは不気味な緑色の体液が漏れ出ている。それをポタポタと垂らしながら、ヴィルスは覚束ない足取りでハックへ歩み寄る。

「秋場ァ……拓夫ォッ!」

「冬馬……春彦ォッ!」

 互いの名を呼び合い、確かめ合う。ここにいることを、互いに認識し合っていることを。ここにいる、この場所にいる――――生きている。

 緩慢な動作で肉薄すると、互いは同時に拳を突き出す。どちらも避けはしない、互いの渾身の一撃が互いの頬に直撃する……所謂クロスカウンターだった。

「かッ……!」

「ァアッ……!!」

 ヴィルスの拳が、ハックのマスクを派手に砕く。むき出しになった拓夫の口からぶちまけられた血が、地面に滴り落ちた。

 そしてハックの拳もまた、ヴィルスへ決定的なダメージを与える。緑色の体液が吐き出され、ハックの白い拳を汚す。

 その衝撃で二人はその場へ倒れ込んだが、すぐにヴィルスが立ち上がる。そして中々起き上がれないでいるハックへ近寄り、かがみ込むと強引にハックの身体を起こし、その顔面にもう一度拳を叩き込む。

「はァッ……はははァッ! どうしたァ!? 起きろよォ……生きてるンだろォ!」

 殴りつけられて倒れたハックをもう一度起き上がらせ、顔をギリギリまで近づけてヴィルスがそう言うと、返事の代わりに渾身の頭突きが叩き込まれた。

「がァッ……!」

 のけぞるヴィルスの腹部に、ハックの右拳がめり込む。骨の砕けるような音と同時に、尋常ならざる激痛がヴィルスを襲う。しかしそれでも、ヴィルスは動くことも笑うこともやめない。今を、この一瞬を、思う存分堪能するために。

「そうさ……僕はここにいるッ……そうだろ拓夫ォォォ……」

「そう、だ……俺がいる限り……お前は、ここにいる……ッ!」

「はァッ……」

 恍惚な笑みを浮かべるヴィルスの姿が、ハックには哀れに映る。もっと、もっと違う形で出会えれば良かった。もっと早く出会っていれば、もしかしたら違う未来を歩けたかも知れない。

 例え滅ぶ未来だとしても、それでも、こんな陰惨な形で語り合わなくてすんだかも知れなかった。もしこの戦いこそが、この戦いだけが冬馬春彦の救いであるなら――――最後までやり切るのがハックの、拓夫の務めだ。

 そのまま、血みどろの殴り合いは続く。戦いは原始のレベルへと戻り、本能だけが壊れた身体を突き動かす。

 もう、ハックの装甲はほとんど残っていない、それはヴィルスも同じで、いつの間にか互いに人間の姿に戻ってしまっていた。

 そこにいるのはただの二人の少年、秋場拓夫と冬馬春彦だった。

「う、お、おおお……おおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」

「ああッ! あああああああああああッ!」

 最早互いの意思疎通に言語など必要ない。音と意志、そして拳があればそれだけで事足りた。握った互いの拳が、全く同じタイミングで真っ直ぐに伸びる。二人の拳は一分のズレもなく正面から衝突する。


 そして最後に何かの砕けるような音がして、その場所から音も意志も消えた。










 その日は、呆気に取られてしまう程美しい夕暮れだった。普段は景色のことなどそれ程気にしない卯月凛桜も、買い物帰りに見る景色の美しさに少し見とれてしまっている。

 なんだかその夕暮れを長く見ていたくなって、凛桜は少しだけ寄り道をする。これだけ綺麗な夕日なら、きっと川に映る姿も映えることだろう。そう思って凛桜は土手の方へ寄り道した。

 土手の景観は凛桜の想像通りで、川面に揺れる夕日が美しい。目に見える美しい景観を思わず片っ端から携帯のカメラで撮影して、凛桜は少し満足げに笑みをこぼす。

 確か昔、こんな何でもない写真を真っ先に送りたかった相手がいたような気がする。何故かもやがかかって思い出せないその顔に、凛桜は時折悩まされるのだ。

 送る相手のいない写真を何気なく見つめた後、凛桜は踵を返して帰路に着く。あまり遅くなると母親が心配するだろう。

 そして土手を歩いていると、ふと一人の少年が芝生の上で寝そべっているのが見える。今時こんなところで昼寝をする少年がいるのか、と珍しく思って凛桜が近寄って見ると、少年は凛桜に気づいて目を開けた。

「あらごめんなさい、起こしちゃった?」

 凛桜が謝ると、少年はどこか懐かしそうに目を細める。その表情は決して不快ではなかったが、何を思ってそんな顔をするのか凛桜にはわからなかった。

「それ、夕飯の買い物?」

「……ああ、うん、そうだけど」

 凛桜と少年は初対面だったが、少年の態度はやけに馴れ馴れしい。普段の凛桜なら突っぱねるとこだったが、何故かそんな気になれずに返答してしまう。

 よく見ると少年は、ひどくやつれているようだった。凛桜には専門的な知識はないが、その少年は不健康そうに見える。そんな少年を何となく見つめていると、不意に少年のお腹が鳴る音が聞こえた。

「……そろそろ夕飯だ、帰らなきゃな」

 そう呟いたが、少年は立ち上がらない。どうしようもなく疲れたような表情で、少年は凛桜から空へ視線を移している。

「アンタ、まともな食事してなさそーね、大丈夫?」

「……大丈夫だよ」

 そんなか細い大丈夫があってたまるか、と凛桜は怒鳴りそうになるのを押さえ込む。あまりにも消え入りそうな声で少年が言うものだから、このまま放っておけば死ぬんじゃないかと思ってしまう。

「……良かったらなんか作ってあげよっか? 勿論食材はアンタ持ちね」

 自分でも何でこんなことを言い出すのかわからなかったが、思わずそんな言葉が口をついて出る。それが妙に懐かしく感じて、凛桜はどこか安心するような感覚になった。

「でも、今日はおばさんが待ってるだろ。ありがとう、今日はいいよ」

「そ。じゃあ……明日、明日はどう? 休みだし、なんか作りに行ってあげるわよ」

 凛桜がそう言うと、少年はピクリと反応を示す。

「明日……明日かぁ」

 噛みしめるようにそう呟いてから、少年はゆっくりと語を継ぐ。


「俺、明日はコロッケが食べたいな」

 そう言って空にかざされた少年の手は、どこか透き通って見えた。


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