第十一話「其処に神は居るか」
ヴィルス・パンデミック。そう名乗ったヴィルスは身体の感覚を確かめるかのように、ハックの前でストレッチをして見せる。そんなヴィルスの姿を、拓夫は呆気にとられたまま見つめていた。
「結構食べたよ? 君にやられたせいでかなり損傷しててさ、普通ならあそこで消えてるとこだった」
『……他のグリッチのデータを取り込んだのか!』
「そゆこと」
短くそう答え、ヴィルスはストレッチを終えてハックを真っ直ぐに見据える。
「さて……会いたかったよ秋場君。本当に、本当に会いたかった」
「冬馬君……!」
「どこにいても、どんなグリッチを食べていても君のことばかり考えていた。まるで恋煩いだよ。今でも、もう君しか見えない」
そんなことをのたまうヴィルスだったが、発せられる殺気は尋常ではない。少しでも気を緩めれば丸呑みにされてしまうかのような殺気だ。それに少し気圧されながら、ハックはヴィルスを睨みつけた。
「じゃあ始めようぜ。ヒーローとライバルが顔を合わせたら、やることは一つだろ」
言い終わった瞬間、ヴィルスが凄まじい速度でハックへ突っ込んで来る。砲撃で迎え撃たんとして、ハックは砲塔をヴィルスに向けたが速すぎてうまく照準が定まらない。気がつけば、両腕に刃を生やしたヴィルスがハックの眼前まで迫ってきていた。
「――――ッ!」
そして一振り、ヴィルスの刃がハックの装甲へ叩きつけられる。勢いも鋭さも、前の比ではない。いくら今のハックの装甲が重厚でも、前のように平然と立っていることは出来ない。
「ぐッ……!」
「ははッ! 効いた効いた!」
衝撃に呻き、よろめくハックへヴィルスは楽しげに追撃する。二振り、三振りとヴィルスの刃を受けてしまうハックだったが、四振り目でどうにか回避して距離を取ると、今度はハックの方から左手で殴り掛かる。
それを受け止めて、ヴィルスはニヤリと笑って見せた。
「これだよ……これだ! 僕が欲しかった感覚! どうでも良いものをぶっ壊すよりも、君とこうしている方が余程幸福だ!」
「幸福……!?」
「そう、幸福だ! 僕は今最高に幸福なんだよッ!」
叫びつつ、ヴィルスはハックの腹部に膝蹴りを叩き込む。ヴィルスとの会話に気を取られていたせいで不意打ち気味に膝蹴りを受けたハックがその場でよろめくと、ヴィルスは容赦なく刃で切り裂いた。
「がァッ……!」
装甲から火花を散らし、その場から少し跳ねるようにしてハックは倒れ込む。
「さあ、もっとやろう! 僕を生かしてくれよ!」
「生かす……?」
ヴィルスの言葉の真意が汲み取れず、ハックは起き上がりながら困惑する。そのまま数秒間だけ二人が見つめ合っていると、不意にパトカーのサイレンが鳴り響いた。
「……なんだよ。まあいいや、またにしよう秋場君。次は誰の邪魔も入らない場所でゆっくりやろう。来てくれるだろ?」
ヴィルスはそれだけ言い残すと、ハックの返答もまたずにその場から掻き消える。状況に追いつけずにハックが戸惑っている内に、何台かのパトカーがその場へ到着する。
『……とにかく今は撤退だ』
「う、うん……! 凛桜達は避難出来てるかな……?」
『君が駆けつけるのが早かったおかげで、ほとんど被害は出ていない、大丈夫だろう』
マクレガーのその言葉に安心すると、ハックはすぐにその場から猛スピードで逃走していった。
その日の夕方、拓夫は凛桜の家を訪れた。ヴィルスとの戦いの後、拓夫は警察に見つかる前に逃走してしまったため、凛桜達がどうなったのかハッキリとわからなかったため、安否を確認したかったのだ。
凛桜の家のインターホンを鳴らすと、凛桜の母親が顔を出してキョトンと首を傾げて見せる。
「あ、あの……」
「えっと……どちら様? 凛桜のお友達かしら?」
そんな凛桜の母親の様子を拓夫が呆気にとられたまま見つめていると、母親に呼ばれて凛桜が玄関までやってくる。
「誰……って、ああ、拓夫じゃん」
「……拓夫君? まあ! ボーイフレンドがいるなら教えてくれれば良いのに」
「違うわよ! 拓夫はその……」
途中まで凛桜は照れ隠しに否定していたが、言葉の続きがうまく出せないで顔をしかめてしまう。拓夫と自分がどういう関係なのか、最早凛桜にはわからなくなっているのだろう。
辛うじて拓夫のことを覚えてはいるものの、忘れられるのは時間の問題だ。凛桜の母親だって、本当は何度も拓夫と会っているハズなのに全く覚えていない。
本当に消えていくんだな、と実感すると同時にやり切れなくなって拓夫は顔をうつむかせた。
「……拓夫?」
「いや、ごめん……急に来て」
「それは良いけど、何か用?」
「遊園地……化物が出ただろ? 凛桜はちゃんと逃げられたかなって」
拓夫がそう言った途端、凛桜は驚愕で目を見開く。その反応が何を意味するのかすぐに察してしまい、拓夫も全身から力が抜けてしまうかのような錯覚に陥る。
「アンタ……何であたしが遊園地行ってたこと知ってんの……? 話したっけ」
「お、俺も……俺もさ、行ってたんだ……」
しどろもどろになりながらではあったが、拓夫がそう弁明すると、凛桜は少しだけ納得したかのように何度か頷いて見せた。
「何よいたなら声かけなさいよね。大谷と二人だったからちょっと気まずかったのよ」
もう、すっかり抜け落ちてしまっている。拓夫が企画して、拓夫が誘って、そうして三人で遊園地に行ったハズなのに、凛桜の中から秋場拓夫は抜け落ちてしまっている。
「……でもあたし何で大谷と二人で遊園地行ったのかしら……?」
凛桜と由紀夫は二人だけで遊びに行く程親密な仲ではない。当然凛桜にも由紀夫にも不自然なことだったが、その違和感の正体に凛桜は気づくことが出来ない。
ハック・バスターの力は確実に、それも急速に拓夫を、データを狂わせている。たった二回使用しただけでこれだけ忘却が進むのなら、この先はマクレガーと二人きりで進むしかないのだろう。
誰からも認識されていないことは、そこにいないこととあまり変わりがない。その場にいながら自分が急速に消えていくような感覚は筆舌に尽くし難く、拓夫はその場で言葉を失った。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ! 何で泣いてんの!?」
凛桜に指摘されて、初めて自分が涙を流していたことに気がつく。拓夫は慌てて袖で涙を拭うと、くしゃっとした笑顔を凛桜に向けた。
「眠くってさ、あくびしてたんだ」
その強引な言い訳に違和感を覚えない凛桜ではない。しかし凛桜が何か言葉を発する前に、拓夫はそれじゃ、と一言だけ告げて走り去って行く。その背中を追いかけようと手を伸ばす凛桜だったが、追いかけてどうすれば良いのかわからず、凛桜はそっと手を引っ込める。
「さっきの……拓夫、君? 不思議な子ね。何だかあんな子と、小さい頃遊んでなかった?」
「……そう、だっけ……そうかも、ね」
歯切れ悪くそう言いつつ、凛桜はしばらく拓夫の走り去った先を見つめる。そこにもう、彼の背中はなかったけれど。
顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、拓夫はただひたすら走り続けた。
戦うと決めた。守ると決めた。例え消える運命だとしても、それでも。
けれど拓夫を守る者はいない。どれだけ傷ついても、少しずつ消えて行っても、誰も拓夫を守らない、守れない。マクレガーにだって、拓夫を助けることは出来ないだろう。
それがたまらなくなって、拓夫はがむしゃらに走る。戦うことをやめられるわけがない、やめたからどうにかなる話ではない。
世界にたった一人のヒーローは、ただの人間がなるにはあまりにも重過ぎたのかも知れなかった。
ひたすら走って人気のない道に出ると、近くに鳥居があるのが見える。拓夫がそれを見てその向こうに行ったのか、ただそのまま走った結果鳥居の向こうに行ったのかはわからないが、拓夫は人気のない神社の中へと入っていく。その頃にはもう辺りはすっかり暗くなっていて、神社の中は異様に不気味な雰囲気を漂わせていた。
そこは朽ち果てた廃神社だった。人気がないのではなく、本当に人っ子一人いない。拓夫は気づかなかったが、周囲の景色は所々崩れたグラフィックのような部分がある。終わりは、確実に近づいていた。
正中を真っ直ぐに駆け抜けて、拓夫は体当たりするように賽銭箱に突き当たる。朽ちた木箱がミシリと音を立てて、独特の臭いを放つ。
上から垂れ下がる、カビの生えた縄を握りしめ、拓夫は乱暴に振る。乾いた鈴の音が少しだけ響き渡って、それが逆に静けさと虚しさを際立たせてしまう。
拓夫は必死に手を合わせ、賽銭箱の向こうへ身を乗り出す。そこにはもう、何もないことはわかっていたけど。
「なぁ、いるなら助けてくれよ……ッ! 神様だろ! そこに、そこにいるんだよな!」
朽ちた木材が、ただただ拓夫の声を吸い取るかのようで、何も返っては来ない。
「俺……俺、嫌だよ! 消えたくない……消えたくないよ! 何とかしろよ! 助けてくれよ! 俺を、俺を……ッ!」
賽銭箱に寄りかかるように泣き崩れて、拓夫は声を押し殺すように泣いた。
こんなことをしても仕方がないことはわかっている。こんな所に神は居ない。居たとしてもそれはデータに過ぎない。
神に救いを求めるのであれば、神なき世界に救いはなかった。
そのまま賽銭箱へ突っ伏す拓夫の後ろに、ゆっくりとマクレガーが歩み寄る。ドライバーを通して拓夫の様子を見て、見るに見かねて直接会いに来たのである。
「……拓夫」
恐る恐るマクレガーが声をかけると、拓夫は涙で腫らした目をマクレガーへ向ける。それがあまりにも痛ましくて、マクレガーは思わず顔をそむけそうになったのを何とかこらえた。
「あ、あれ……? マックじゃん、どうしたの?」
平静を装ってはいるが、声は涙で震えている。何と答えたものかとマクレガーが戸惑っていると、拓夫は察したかのように溜息を吐く。
「……見てた?」
拓夫の問いに、マクレガーはうまく答えられない。それを肯定と受け取って、拓夫は目元に残った涙を拭き取ってから賽銭箱の上に座って見せた。
「罰当たりかな」
「……ここに神はいない。いるとしても、君とこの世界を救えない神に、罰を与える資格はない」
冗談めかしてそう答えた後、マクレガーはその場で深く頭を下げる。
「謝ってどうにかなることではない。だが、君がこうなってしまったのは私の責任だ。君が私を巻き込んだんだ。私が、君を……」
「だから良いってば、そんな何回も謝んないでよ」
そう言って笑う拓夫だったが、マクレガーは顔を上げなかった。
「俺の方こそごめん。かっこ悪いとこ見せて……。大丈夫だよ、俺はやれる」
マクレガーには拓夫が強がっているように見えたが、これは拓夫の本心だ。凛桜の記憶から消えていくことがたまらなく辛かったことに違いはなかったが、それでも決意が揺らいだわけではない。
「……それは謝るようなことではない。普通のことだ、普通は耐えられない、戦えない。私はそんな責任を君に押し付けたんだ」
「マック……」
「私は、私は汚い人間だ。君が戦うと決めた時、心の何処かでホッとしてしまったんだ。君が戦わないと言うなら、私が戦うしかなかった」
拓夫は、マクレガーの次の言葉を促すように黙り込む。それから数秒の間があってから、マクレガーは再び口を開く。
「君は、強い。戦い続けられる君は、本当に強い……だから本当は、謝罪よりもこう伝えるべきだったんだ……ありがとう、ありがとう、秋場拓夫」
どこか呆然としたまま、拓夫はマクレガーの言葉を聞いていた。もらった言葉を丁寧に噛み砕いて、飲み込んで、そうするとじんわりと身体の中に広がって、どこか満たされるような感じがした。
「お礼を言うのは俺の方だよ、マック」
はにかんでからそう言って、拓夫はそっと夜空に手を伸ばす。星は憎らしいくらいに、拓夫とマクレガーを照らしている。
「俺、ずっと情けない奴でさ。弱っちくて、いじめられたら凛桜に助けてもらうような、そういうダサいオタクだったんだ」
でも、と付け足して、拓夫は語を継ぐ。
「それでも、ヒーローにちょっと憧れてた。悪い奴から誰かを守る、ヒーローになりたかった、弱い自分を変えたかったんだよな、きっと」
伸ばした右手を、グッと握り込む。どこまでも遠くてつかめないハズの星を、握り込むように。
「マックが、マックがくれたんだ。変わる力、変われる力、誰かを……守れる力。弱いだけだった俺に、力と勇気を……マックがくれたんだよ」
「拓夫……」
「俺は変われたかな。力だけじゃない、ハックにじゃない。俺は俺として、少しは強くなれたかな……ヒーローに、近づけたかな」
ゆっくりと、静かにマクレガーは首肯する。
「君はヒーローだ。私にとって、最高のな」
拓夫は変わった。どこか流されるようにハックになって、認められないから嫌だと不貞腐れていた拓夫は、今はもう自分の足でしっかりと立って、踏み込んで戦える。今と明日を守るために。
彼は、変身した。
「そっか……ありがとう、マック」
互いに顔を見合わせて微笑んでから、そのまま二人はしばらく夜空を見上げた。作り物の空は不気味な程に綺麗で、チラついている。
ただ願う。終焉がどうか、美しく安らかであるように。




