教えてくれない
「仕事、こっちなの?」
運ばれてきた互いの珈琲に口をつけ、ソーサーに置き、しばらく特に理由もなく店内や外を眺めて、また珈琲に口をつけ、という動作を三度ほど繰り返したところで、沈黙に耐えかねて私が尋ねた。窓の外を眺めていた男がゆらりと私を見て、目を細める。
「……もう、医者なの、って聞かねぇんだな」
その少しだけ愉快そうな色を含んだ呟きに、かっと顔が熱くなった。恥ずかしいのか、腹立たしいのか、よく分からなくてきゅっと唇を引き結ぶ。こんなに軽く過去の会話を、ーー それも淫らな行為のあとに布団の中で交わした他愛ない会話を持ち出す男が、分からない。子供扱いされているようで悔しくて、精一杯目の前の枯れた男を睨みつけた。
「医者じゃないって、言ったじゃない」
「言ったなぁ」
「医者って聞いたこと自体、馬鹿にしたくせに」
「『そんじゃAV男優の息子は大変だな』」
その時口にした言葉をそのまま恥ずかしげもなくなぞり、それにぎょっとした私の表情を見て、男は喉の奥で笑った。
ーー 『医者なの?』
初めて家についていってから、正確には覚えていないけれど、たぶん五度目か、六度目くらい。そういう行為に初めて及んでから数えたら二度目の夜、行為の後の気怠い時間に特になんの意味もなくそう訊いた私に、まだ下着すらつけず寝転がって煙草を咥えていた男は馬鹿な子供を見る目で笑った。
『なんで』
『だっておとうさんが』
『医者の息子は医者になんなきゃいけねぇのかよ』
そう、つまらなさそうに鼻で笑い、たっぷり三秒くらい沈黙してから。口の端で煙草を噛み、起き上がる体力すら残っていない私に対して、さっきの言葉を口にしたのだ、この男は。
「そっちは」
あの夜の男の掠れた声、口の端に噛まれた煙草、裸の肩と鎖骨をぼんやり思い出していて、質問なのかよく分からない言葉に一瞬反応が遅れた。
「え」
「ここらで働いてんの」
「あ、職場は別の駅……今日は買い物に出てきただけ」
「ふうん」
中身のない相槌を打って、それきりまた、男が黙る。私の最初の質問なんて、なんにもなかったみたいに。
またこの人は私に何も教えてくれないつもりだ、どうせ。
そのことに安心したのか不満なのか、自分でもよく分からなくて、よく分からない自分を誤魔化すように珈琲を一口飲んだ。




