ワインの花がまだ開かなくても
遥が徳島に来た1週間後、咲良から連絡がきた。
「大阪から東京に転勤になったよ。また東京で頑張るね。」
咲良も遥も、東京か。
そして夏、東京出張が決まった。今までは東京に行くたびに遥に逢っていた。でも、今回は咲良も東京にいる。咲良に逢うべきか、遥に逢うべきか、どちらにも逢わないべきか。数日悩んだ末、俺が声をかけたのは・・・
俺「来週の金曜に出張で東京に行くんだけど、金曜か土曜に逢える?」
彼からメールを貰って、嬉しさも大きかったけど、戸惑いも大きかった。
なぜなら、私には気になっている人が出来て、新しい恋の予感が生まれたところ。だから、本当はもう彼には逢ってはいけないんだと思う。でも彼に逢いたいし、新しい恋についても背中を押してもらいたい。どうしていいかわからないから、その日は返信出来なかった。1日悩んで結論が出た。過去にすがってもいけないし、過ちが起きてしまってはいけないから、金曜日の夜は逢わない。土曜日の日中だけ逢うことにした。最後の思い出に。
咲良「久しぶりだね。連絡ありがとう。金曜日は遅くまで約束があるの。ゴメンね。でも土曜日は大丈夫だよ。」
咲良から返信が来た。金曜日の夜がメインなのに、逢えないのか。残念だけど、そう都合よくばかりはいかないよな。
俺「ありがとう。じゃあ土曜日によろしく。どこか行きたいところある?」
咲良「最近、ワインの魅力に惹きつけられてて、勝沼のワイナリーに行ってみたい。」
金曜日、東京での仕事は無事に終わった。会社の後輩に軽く付き合ってもらい、ほろ酔い気分で新宿のビジネスホテルにチェックインした。時計を見ると10時。
「遥を誘えば良かったかな・・・」 寂しさのあまり、遥のことを考えてしまう。
俺「新宿のホテルに入ったよ。明日はよろしくね。勝沼に行くのは初めてだから、楽しみだよ。」
咲良にメールを送る。すぐに返信が来る。
咲良「やっぱり、逢いたい。今から部屋に行って泊まってもいい?」
しばらくして、部屋に咲良が来た。 咲良に会うのは鹿児島以来、1年以上経つ。
俺「ありがとう。嬉しいよ。」
咲良「ごめんね・・・、急に・・・。」
俺「謝らなくていいよ、何も言わなくていいから・・・。おいで。」
俺は咲良を抱き寄せた。
俺「俺は咲良のすべてを受け入れるから・・・」
出会ってしまえば、決して止めることのできない、特別な2人の愛。
土曜日、朝から俺と咲良は新宿駅から特急あずさに乗り、勝沼に向かう。
咲良「やっぱり駅弁を食べると、小旅行って気分を味わえるね。」
俺「朝から食欲旺盛だね。」
咲良「うん、ずっと楽しみだったから。天気も良くてよかった。後は、ワインを飲みながら素敵な思い出になればいいな。」
俺「いつからワイン好きになったの?」
咲良「実は、ドラマで『神の雫』を観てから飲むようになっただけのミーハーだよ。」
俺「俺も漫画で読んだからちょっとわかる気がする。ワインの世界観に触れられたら嬉しいな。」
電車は勝沼ぶどう郷駅に着いた。ぶどう畑が広がる光景。
咲良「すごーい。ぶどう畑!」
俺「これは素敵な光景だね。圧巻。」
咲良「ワインが楽しみ。早く行こう!」
ぶどう畑の脇の道を息を切らせながら小高い丘を登る。そして一面に広がるぶどう畑が心地よい。
甲州市勝沼ぶどうの丘に到着。地下の貯蔵庫では、200近い銘柄のワインが並び自由に試飲が出来る。
俺「赤から飲む?白から飲む?」
咲良「白から飲みたい。」
まずは白ワインから試飲。辛口を口に含むと大人の味わい。
俺「辛口だけに、辛いね。」
咲良「何、その普通の感想~。」
そして次に甘口を味わう。
俺「うん。ぶどうの甘みと香りが口に広がる。」
咲良「美味しいね。」
ほどよい甘みと辛さのバランスを確かめるため、やや辛口とやや辛口を行ったり来たり。
咲良「これじゃあ、すぐに酔っ払っちゃうわ。気をつけないとね。」
俺「咲良の顔が紅くなってきて、可愛いよ。」
咲良「薄暗いけどちゃんと見えてるの?」
俺「あんまり見えてないよ。バレたか。」
咲良「もう~。でも、白ワインは強すぎない適度な甘みがいいね。」
そして、ロゼをたしなむ。
咲良「いよいよ赤ワインね。」
ライトボディの赤ワインから嗜む。
咲良「思ったより甘味が強いね。」
俺「甘いけど、ぶどうの力強さを感じる。」
そしてフルボディの赤ワイン。
咲良「なんか渋いというか、固い気がする。」
俺「そうかもね。あんまりワインに詳しくないけど、これが勝沼の赤ワインの味なのかな。」
いろいろな種類を味わうも、同じような印象のまま。
咲良「普段飲んでるボルドーとかのフルボディと違う気がする。」
俺「神の雫的に言うと、若くてまだ花が開いてないのかもね。」
俺たちは、地下ワインカーヴを後にした。
咲良「赤ワインを飲んだら世界観が変わるかなって思って期待してたけど、何も変わらなかった。」
咲良の表情が沈む。
俺「他にも試飲ができるワイナリーがあるみたいから、行ってみようよ。」
ワイナリーでの試飲を重ね、レストランで休憩しながらランチの時間だ。
咲良「私ね、昨日は逢うつもりはなかったの。結局逢っちゃったけど、本当は今日だけにしようって思ってたんだ。」
俺「そう言ってたけどさ、俺は逢えて良かったよ。」
咲良「実はね、ちょっと気になってる人が出来たの。だから新しい恋のスタートを切らなきゃと思ってた。」
俺「そうなんだ・・・。ちょっと妬けるけど、それよりもおめでとう。応援するよ。」
咲良「逢えるって聞かれたときは気になる存在だっただけなんだけど、最近、彼に告白されたんだ。」
俺「じゃあ、つき合ってるの?彼氏が出来たってこと?」
咲良「返事は急がないって言われてて、まだ返事はしてない。OKするつもりだけど、結構年下だから踏ん切りもつかなくて。だから、貴方に逢って美味しい赤ワインに出会えたら、新しい恋を始められるかなって思ったの。」
俺「年下なんだね。ちょっと意外だけどさ、年なんて関係ないよ。恋したいって思えるなら、いいんじゃない?」
咲良「それなのに結局、貴方に昨日逢いに行っちゃったし、赤ワインもちょっと期待と違ったし、なんか恋をスタート出来ないかも・・・。」
咲良の表情はさらに曇る。
咲良「さっきの赤ワインみたいに、私の恋もまだ花開かないのかな・・・」
俺「そんなことないよ。慣れてないだけで、ボルドーと違った良さもあるはずだよ。単純に比べられるものではないしね。」
咲良「そうよね。貴方と新しい彼だって、単純に比べられるものではないわよね。私と彼の愛はこれから育んでいくものだから。」
俺「そうだよ。彼のこと気になってたんだろ?告白されて、嬉しかったんだろ?その感覚は信じていいんじゃないか?」
咲良「貴方は、私にとって特別な存在だけど、でも、もう逢えなくなるわよ。」
俺「それは覚悟できてるよ。逢えなくたって、俺にとって特別な存在なのも変わらないし。それに、いつかまたきっと逢えるよ。」
咲良「そうね。でも、またすぐに逢えるってことは、新しい恋が上手くいかないことになるから、しばらくは逢えない方がいいな。私も、早く幸せになりたいから。」
俺「咲良なら、ちゃんと幸せになれるよ。」
そしてまたぶどう畑を眺めながら勝沼ぶどう郷駅まで歩く。歩くというより丘を登る。暑く息が切れるが心地良い。自然の息吹きと香りを感じながら。ちょっとした切なさも噛みしめながら。
帰りの電車では、咲良はすぐに眠ってしまった。俺は、咲良の横顔を見て、心の底から幸せを願った。ワインの花はまだ開かなくとも、咲良の恋は花開くはず。
そう信じている。