春が来るのはまだ遥か先
久しぶりの東京出張が決まった。本社での仕事。俺は遥にメールを送る。
俺「来月の23日金曜に東京出張になったよ。遥は金曜の夜と土曜日は空けられる?大丈夫ならダブルの部屋を抑えとくから。池袋でいい?」
その日の夜、遥からメールが返ってきた。
遥「23日の夜も24日も大丈夫です。場所もおまかせします。ずっと会いたかったです。やっと逢えますね!」
出張当日、朝の飛行機で東京に向かう。娘には「パパ、お土産はクッキーでお願い。忘れないでよー。」と言われた。せっかくの本社なので、同期の仲間とランチ。みんなの近況を聞いて刺激を受け、午後の仕事を無事に終える。
遥との待ち合わせは19時。早目に着いた俺は、先にチェックインしようかと思ったが、遥を待つこととし、池袋駅前のカフェでコーヒーを飲む。ブラックの苦味が、大人の味であり、人生の深みを彷彿とさせる。
到着したというメールを確認して、店を出る。遥が俺に気がつき、笑顔で近づいてくる。
遥「お待たせしました♪」
彼女の笑顔の純粋さに少し心が痛む。
俺「やっと逢えたね。」
2人でホテルにチェックインし、近くのスペインバルに入ることにした。
俺「元気だった?頑張ってる?」
遥「元気といえば元気ですし、頑張ってます。そして、ずっと逢いたかったです。」
スペインのスパークリングワインで乾杯。
遙「札幌には結構帰ってますか?」
俺「子供達もいるし、なかなか帰れないよ。年に1回、正月くらいかな。」
遙「そうなんですね。私は札幌を離れて10年、そろそろ帰ろうかなって思ってます。」
遙は大学時代のサークルの後輩。当時はただの後輩だった。今からちょうど10年前。俺が会社に入ってまだ4年目、最初の配属先である埼玉に住んでいた頃、俺は遙と再会した。もちろん別々の会社だが、同じ部活の後輩の結婚式で再会し、意外と近くに住んでいることがわかり、意気投合した。そして、何回か仕事帰りに飲みに行くようになった。クリスマスが近づく12月。まだ新人だった彼女は、仕事で大きな失敗をし、会社を辞めて北海道に帰ろうかというくらい落ち込んでいた。そんなことは知らず、年末に向けた多忙期でストレスが溜まっていた俺は、仕事以外の癒される飲み会を求めて、彼女を飲みに誘った。
遙「先輩、私・・・」
俺と遥は、男と女の関係になった。俺が結婚してからも、そして転勤してからも、少なくとも年に一度は逢瀬を続けていた。
俺「俺たちが埼玉で再会した時も、そんな話だったよね。もう10年か・・・」
遙「でも、大学生の時に先輩が酔っ払って、私に壁ドンしたんですよ。壁ドン!覚えてますか?」
俺「そういえば、なんとなく覚えてるよ。当時は壁ドンなんて言葉なかったけどな。」
遙「あの頃は、先輩は咲良さんと付き合ってて、お似合いのカップルでしたよね。」
俺「咲良といえば、こないだ鹿児島出張の時に偶然会ったよ。」
遙「えっ、そうなんですか。運命の再会なんて、ドラマが生まれませんでしたか?」
俺「もう昔のことなんだから、そんなことあるわけないじゃん。」
遙「怪しいなあ~。でも咲良さんがいながら、私に壁ドンなんかしちゃって、先輩は昔から悪い男ですね。」
俺「俺はさ、自分に正直に生きてるだけだよ。」
遙「今思えば、あの時から先輩の存在が大きかったんです。あの頃も、そして今までずっと・・・。」
情熱の国スペインのお酒が進み、雰囲気に酔いしれる。
遙「新しい恋に踏み出さなきゃ、いつまでたっても春が訪れないってわかってる。頑張って恋をしようって思ってるんです。」
俺「そうだよね・・・」
遙「それなりに言い寄ってくれる人はいるけど、先輩よりも素敵な人がなかなか見つからないんです。もう、ホント責任とってくださいよ!」
気持ちよく店を出た2人は、ホテルの部屋に戻った。
俺「飲み過ぎてないか?大丈夫か?」
遙「大丈夫~。それより、私、可愛い?」
俺「可愛い可愛い。飲み過ぎたみたいだね。水でも飲んで。」
遥「ねえ、ちゃんと答えて。ホントに可愛い?咲良さんより?」
俺「・・・可愛いよ。」
遥「遥の春は、貴方しかいないんだから。貴方だけなの。ねえ、わかってる?」
俺は何も言えず、遥を強く抱きしめるしか出来なかった。
翌朝、目覚めると隣には遙の寝顔。いつもは優しくて可愛いくて、優等生キャラの遙。でも昨日は想いの内をぶちまけていた。遥もいろいろ悩んでるんだろうな。咲良と比べるなんて・・・意外だけど、愛おしく感じる。
今日、土曜は仕事の関係もあり浅草へ。浅草寺の雷門や仲見世のお土産等を見てはしゃぐ姿は、またいつも通りの遙だ。本当に健気で無邪気。遙には、幸せになってもらいたいし、春が訪れて欲しい。遥か先ではなくて、すぐ近い将来に。
仕事の所用も終え、浅草の下町を散策。
遙「すごいねぇ~、いろんなお店があって面白い。そして、昼間からお酒飲んでる人がいっぱい!」
俺「面白いなぁ、さすが下町!」
遙「ちょっと楽しそうですね。飲んじゃいませんか?」
俺「いいけど、おしゃれな感じじゃなくていいの?」
遙「もうそんな年じゃありませんよ。昭和の女ですから。さあ、入りましょう!」
店に入り、おススメのハイボールを片手に、モツ煮を味わう。
俺「なんか、こんな天気の良い昼間からお酒を飲むなんて、美味しいけどバチ当たりな気分だな。」
遙「ホント。お酒だけじゃなくて、いろんな意味で罪悪感があってドキドキですよね。」
俺「もう・・・酔っ払っちゃえ。」
遙「先輩と咲良さんって、絶対結婚するだろうと思ってたくらい仲良しだったのに、別れたって聞いたとき凄い驚きました。なんで別れたんですか?」
紅く染まった顔の遥がいろいろと聞いてくる。
俺「若かったからな。お互い。いろいろあったんだよ。もういいじゃん。それより、遥は結婚しようと思ったことはないの?」
遙「私は、つき合った人とは結婚を考えたことはあるけど・・・。この人かな?って思っても、この人じゃないなって思っちゃって。運命の人に出会えてるんだか、まだ出会えてないんだか、もうわかんないや。」
俺「たぶん、これから出会えるんだよ。だから、大丈夫!」
遙「こっちにいた方が出会えるのかな、それとも札幌に帰った方が出会えるのか、教えて欲しい。」
俺「神様に聞いてみるしかないね。」
遙「神様、私の運命の人はどこにいますか?もしかしたら、今わたしの目の前にいますか?」
俺「俺なんかよりもっと素敵な男が現れるはず!」
遙「そうだといいな・・・。」
店を出て駅に向かう。
俺「途中の駅まで送るよ。大丈夫か?」
遙「大丈夫、羽田空港までついて行くから。」
俺「昨日から疲れてるだろ?無理するなよ。」
遙「ダメ。人の多いところでも、ラブラブしちゃうの。」
俺「今日もだいぶ飲んだな~。」
遥「先輩の思い通りにばかりはさせないですから。絶対に都合の良い女になんてならないんだから。」
羽田空港についても、身体を密着させて、手をつないでくる。誰かに見つからないことを祈るばかり。酔っ払った遥は、もう手をつけられない。
俺「じゃあ、行くよ。元気でな。」
遙「ちゃんと娘さんにクッキー買った?息子くんは、奥さんにも忘れちゃダメだぞ!」
俺「忘れてないよ。こんな時に家族のことを思い出させなくていいから。」
遙「先輩だけ幸せなんてズルいな。これからも、先輩の思い通りにばっかりなんてさせないから。覚悟してくださいね。」
俺「覚悟しとくよ、ずっと(笑)。」
遙「ウフフっ。大好き。」
遙に、早く春が訪れますように・・・心の底からそう思い始めてきた。でも、春が来るのはまだ遙か先の予感・・・