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5話 対等な、関係になりたい

矢印自覚編


同居生活も、早いもので、もう一ヶ月半がたとうとしていた。

私はおいしいご飯と素晴らしい家事能力による生活に飼いならされつつある。今日も例にもれず、手打ちのパスタを使ったカルボナーラ、水菜とレタスのサラダにコンソメスープの夕飯を済ませ、デザートにパンナコッタをいただきながらまったりとした時間を過ごしていた。

今日の夕ご飯について言わせてもらえば、本日も完璧だった。手抜きですみません、という申し訳なさに呆れてしまった。この人の手抜きは手抜きではないのだ。まず、生パスタのもちもち感と、ソースの濃厚さが完璧でほっぺたが落ちるかと思った。カルボナーラの濃厚なソースは、私がやるとどうしても失敗が続いてしまうので嫌厭していたのだが料理をするところをのぞかせてもらったら簡単にてきぱきと作り上げてしまったその手腕に驚いた。もう、プロの仕事である。水菜とレタスのサラダはさっぱりとした柑橘系のソース、コンソメスープにはベーコンや野菜がたっぷりと入っていて大満足だ。

そしてデザートのパンナコッタ。よく冷やされてなめらかな舌触りに、つるんとしたのど越しがおいしい。もうこの人に飼い殺されてもいいかもしれないと本気で思ってしまった。

ご飯がおいしく食べられるって、なんて幸せなんだろう。しかも手作りで。


「今日のご飯もとってもおいしかったです」

「お気に召していただけて光栄です。お嫌いなものはないと伺っておりましたが、好き嫌いなく食べてくださるので作る甲斐があります」

「旭さんのご飯ならなんだって食べれる!」


意気込んでいえば、きょとん、とした後ものすごくうれしそうに笑われた。

なんだか照れる。美形の笑顔って、ある意味殺傷能力が半端なく高いのだ。

では、もっと美味しく作れるよう精進しますね、なんて言われてしまったらばもう、ハイお願いしますと答える以上にないわけで。満足そうにうふふと笑った旭さんは、私が食べ終わった器を片付けに行ってしまった。

最近、この執事さんの心臓に悪い感がひどいのだ。旭さんの存在に慣れてきているはずなのに、ふとした瞬間に落ち着かなくなる。

それは、私がおいしい、と笑いかけた時にふわりと笑う顔を見たときであったり、真剣に料理をしている横顔であったり、ふとした時に見せる穏やかな表情であったり。

この人は私の何にあたるんだろう、と思うのだ。


「……おにいちゃん、とか?」

「叔父さんの事ですか?」

「んーと、叔父さんはお兄ちゃんじゃないなあ…」


叔父さんはいつだって叔父さんだった。

兄でもなく父でもなく。ただいつだって私の見方でいてくれた人。

久しぶりに電話でもしてみようか、と思いながらそっと旭さんを見た。


「どうしました?」

「ううん、なんでも!明日は休みだから朝ごはん食べたらちょっと出かけてきます」

「お一人で、ですか」

「うん、お昼ご飯までには帰ってきますよー」


言うなり心配そうな顔でついていきますと言われたので必死で止めた。

ただちょっと買い物に行くだけで大げさな。買うものは決まっているので対して時間もかからない、となんとか説き伏せる。仕方ないと言いたげに、けれどそれ以上は強く言わない旭さんは、くれぐれも気を付けてくださいと言った。――なんというか、過保護だ。

そして私は、ちらり、と彼の手に目を向ける。

水仕事で荒れ始めている手に、ハンドクリームをプレゼントしようと思ったのだ。

そういうものなら、いいかな、と。

お礼をと言ってもいつも丁重に断られてしまうので内緒である。



そうして、朝ごはんを食べると私はそそくさと家を出た。

あのまま一緒にいてはばれてしまうと思ったのだ。ハンドクリームを買うだけなのになんだか疲れてきた。でも、これだけは譲れないのだ。

何でもかんでもやってくれるからと言って、甘えてばかりではいけない。たとえそれが仕事でも、労うこともお礼を告げることも忘れてはいけないのだ。

私のために、私を思ってやってくれていることを煩わしいなんて思えない。本当だったらあそこまで尽くしてくれなくたっていいはずだ。私はただの庶民なのだから。

店員さんに一番効果があるハンドクリームを選んでもらう。もちろん、スーパーの売り場ではなく良いところでの購入である。高いから効き目がいいというわけではないが、旭さんにはいいものを使ってもらいたいという、私の偏見だ。

気に入ってくれるといいな、と思いながら目的のものを手にした私は帰路を急いだ。


「おかえりなさいませ、栞様。もうすぐお昼ご飯にいたしますね」

「ただいま、旭さん」


出迎えてくれた旭さんとリビングに戻りながら、いつ渡そうかそわそわしてしまう。

喜んでくれるかな、使ってくれるかな、困ったりしないかな。

そういう思いを抱くことが初めてで、戸惑ってしまう。


「ご飯にしましょう、栞様」

「おなかすきました。今日はなにかな!」

「素麺にしてみました」


とりあえず、わからないことはわかるまで考えながら、おいしいご飯を食べるのが最優先だ。

お昼はそうめんだった。

初夏の始まり、という感じ。そうめんはそうめんだが、揃えられた薬味はゴマ、大葉、みょうがにネギ、ノリ、大根おろしと豊富で食べ飽きない。しかも手作りのめんつゆだ。お出汁をしっかりとって作られたそれは市販品よりもおいしい。

ほう、とおいしさに浸りながら素麺をすする。素麺と麦茶の組み合わせも、薬味が豊富にあるとおいしく食べられるということに感動である。


「いただきました」

「お粗末さまでした」


二人で手を合わせて礼をして、片付ける。

一緒にやる!と駄々をこねて、毎日の夕食後と休みの日のお昼ご飯の後片付けを一緒にやることになっているのだ。

キッチンで旭さんが洗ったお皿を私が拭いていく、という形である。微々たる手助けも一人ゆったりくつろぐよりはよっぽどいい。


「今日はどちらまでいかれたのですか?」

「デパートまで行ってきたの」


渡すタイミングを、逃しそうである。

ちょっと焦ってお皿を滑らせそうになったのは、内緒だ。

私の鞄の中に入れてソファにおいてあるハンドクリームをいつ手渡そうか、と悩む。


「あの、旭さん」

「はい、なんでしょう」

「渡したいものが、あるんですけど」


顔が見れずにうつむいたまま鞄から、店員のお姉さんに綺麗に包装してもらったそれを渡す。

これです。ぼそりとつぶやいて手に押し付けた。

洗剤で荒れた手。洗い物もお掃除も、料理もお米とぎだって完璧だ。働く人の手だ。

あれだけのクオリティを私は知らない。だからもう少しいわたりたいのだ。この人の負担にならないようにしたい。

執事ではなく、召使でもなく、対等な関係でいたい。


「これを、私にですか…?」

「旭さんの手、荒れたらやだ、から。デパートのお姉さんのいちおしです。よかったら使ってほしい」

「ありがとうございます」


うれしいです、その声が泣きそうで顔を上げた。

両手でしっかりと包みを持って、旭さんは愛おしそうに笑った。


「貴方の気持ちがうれしい。私のことなど気にしなくていいのに、そうして気にしてくださる優しさが、貴方らしいです」

「…気にします。私のためのお仕事でしょう?私のためにやってくれてること、いつもありがとうって思って。こうすることしか出来ないけど」

「貴方のためにすることが私の喜びなのです。栞様、ありがとうございます。今まで貰った贈り物の中で一番特別なものです。大切に、使いますね」


泣きそうだ、と思った。

あれだけの仕事をして、私の事だけを考えて、ハンドクリームなんていう簡単なものでこれだけ喜んでくれる。

私の知らなかった世界。贈り物をしたことは、ある。

誕生日にプレゼントを交換することも。誰かを労うことも。

でも、こんなにも泣きたくなるほど嬉しい思いはしたことがなかった。こんなに喜んでくれることも、なかった。

――私は、きっと、この人の特別になりたい。

執事と雇い主の家族という関係から、変わりたい。


「旭さん、大袈裟!」

「そんなことはありませんよ。これは私だけのご褒美ですから」


蠱惑的に笑うその顔が、とてもきれいだと思った。


「いつもありがとう。これからもよろしくね」

「はい。誠心誠意、お勤めさせていただきますね」


ありがとう、受け取ってくれて。幸せな気持ちをくれて。

その言葉を飲み込んで、私は誇らしげな気持ちになって笑った。

――そしていつか、お勤めなんて言葉出させないようにしてやりたい。





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