一つの細胞が、赤ちゃんに変化するまで
僕の魂の記憶を辿っていこう。
光速を下限とする世界を、超光速で飛び回っていた生命エネルギーは、この地上の生命に結合する。
それは、まるで、ジェット戦闘機が、空母に着艦する時のようなものだ。
数百キロの速度が、あっというまに、停止するのだ。
そのようなショックを受けて、細胞と生命エネルギーが、合体、結合する。
ほとんど停止したような状態から、生命のエネルギーは、低速ながら動き出す。
まず、最初にするのが、細胞の分裂である。
超光速の世界では、時間は、ほとんど、存在し得ない、時間とは、低速の世界のみに存在する概念である。そして、物質世界の生命は、恐ろしく鈍い変化なのだ。
ようよう、細胞が、1つから、2つに、4つに、8つに、16、32...と分化し始めて、ようやく生命エネルギーも、少し元気になる。超低速だが、細胞の数がだんだん増えてくると、生命エネルギーの速度を、それぞれの細胞に分け与えることができるので、生命エネルギーも、少し落ち着いてくる。
車のエンジンの回転力を、タイヤを回転させるエネルギーに分割していくようだ。4WDでも、4つのタイヤしかエネルギーを分けることができないが、細胞の場合は、数十万個、数百万個、数億個、数兆個の細胞にエネルギーを分割できるので、超超光速のエネルギーも、ようよう、一息つけるようになる。
そんなころになると、カマキリは、赤ちゃんカマキリの形になる。
遺伝子と生命エネルギーのコラボの結果である。
低速体と超超光速のコラボである。
そのコラボ故に、赤ちゃんは、誕生できる。
さもなければ、あれほど、複雑な生命が形つくられるわけない。
生命エネルギーは、単純なエネルギーではない。意思もつエネルギーである。
カマキリの生命エネルギーは、カマキリの個の意思のエネルギーをもっている。
精子と卵子の結合から生まれた遺伝子は、細胞分裂を繰り返して、細胞の数だけ、複製された。
それらが、カマキリのそれぞれの体を生み出しているのだ。
その不思議は、不思議というしかないが、実にありふれた出来事である。
そのように不思議さを通じて生み出された赤ちゃんカマキリも、たくさんの赤ちゃんカマキリの屍の山の向こうに、春夏秋という時を経て、数匹の生き残り生み出すシステムである。
あまりにもたくさんの無駄を生み出すようにも、見えながら、生命エネルギーが安定して、存在するシステムなのだ。
カマキリの赤ちゃんの数とその生存範囲が、一定であるように、生命エネルギーの総和も、赤ちゃんの数とその成長に伴う減少は、カマキリの生命セネルギーの総和を維持するシステムになっているのだ。