生命エネルギーを継承する方法 種の保存の法則
僕の始まり。
お父さんカマキリとお母さんカマキリの精子と卵子の出会い。
精子も卵子も、単独で命をなることが出来ない半端者。
遺伝子を半分しか持たない半端者。
しかし、新たな命を引き継ぐ生命エネルギーの仕組みだ。
昔のテレビ番組にウルトラマンというのがあったが、ウルトラマンは、地上に3分間にかいられない。
僕たちカマキリだって、春から秋までしか生きられない。
もし、地球が、春夏秋冬が無くなってしまったら、僕たち、カマキリはどうやって生きていくのだろうか。
赤ちゃんや親が同時に存在したら、赤ちゃんは、あっという間に食べられて、絶滅してしまう。
命を引き継ぐためには、仕組みが必要なのだ。
精子と卵子の結合。
そこに存在する強烈なエネルギー。
まるで、サケが、海から大きな川の上流にさかのぼっていくように、途方も無いエネルギーが必要だ。
しかし、精子と卵子が、生命を育む仕組みだ。
この精子と卵子には、お父さんカマキリとお母さんカマキリの生命エネルギーが引き継がれるわけではない。新たなエネルギーの出発なのだ。それは、どこからくるのだろうか?
ぷらとん。おふとん、トントン????
「プラトンの言ったイデアの世界を思い出してごらん」と、カマキリのお父さんの声が、僕の心の中から聞こえてきた。カマキリお父さんとおかあさんは僕の心の中にいるのだ。
「生命エネルギーの世界は、単にエネルギーがあるという世界ではないんだよ。
この地上より、より高度に発達し、整備された世界が、開かれている。
高度な世界文明。
光速を下限するその世界には、この地球のような物質という概念はなく、存在が、全てだ。
意識の存在が、すべてなのだ。エネルギーの存在が全てなのだ。
言葉を発する前に、意識が動くと、そこに行ってしまう。
地上では、なにか、行動するためには、思考して、計画を練って、順番に行動するけど、光速を下限とする世界では、思考が、行動の全てで、順番という概念も存在しない。
そう、映画の「マスク」の主人公のような感じの行動形式。」
「私と他者が、別々に存在するというより、一体化しているような、いないような。
なにか、超高速で、一体化している。
そう、神とも一体化している。
しかし、地上の生命に、合体し潜り込むと、すべては、超スローモーションになる。千倍の遅さ、1万倍の遅さになる。
そのままだと、衝撃が大きすぎるので、一端すべてのエネルギーを封印する。
そして、徐々に、地上のスピードになれるようにするのだ。
赤ちゃんが、なにもできないのは、このスピードの封印しているせいだ。
光速を下限とするエネルギーを、光速を上限とするエネルギーに合わせるために、あたかも、ピストルの弾を、粘着質の物質の中に、打ち込んで、一旦、動きを封印して、いままでの過去を忘れ去って、のろのろと光速を上限とする世界で、もそもそと動き出すのだ。」
この時、カマキリ一族の一つのエネルギーが、精子と卵子に飛び込む。僕が、カマキリになる瞬間である。そのエネルギーは、強烈な力を発揮して、卵の分化を始めさせる。その飛び込んだエネルギーは、急ブレーキを踏んで、のろのろになって、ようやく、遺伝子の分化を始める。
あまりにも速い世界にいたので、遺伝子をゆっくりとゆっくりと組み替える必要がある。
さもないと、超光速エネルギーのままだったとうると、僕たち、カマキリの一生が、数秒、いや、一秒もかからずに始まり、終わってしまうのだ。
それじゃ、地上に生まれる意味がない。
それを、1年という月日に対応した速度に、落とす必要がある。
それが、この地球の生命に、飛び込み、結合し、生きる意味なのだ。
とてつもなく、遅い速度にして、時間をかけて生きることが、この地上で生きる意味なのだ。その仕組みを神が、作りだしたこと。
卵子の分割が加速すると、生命のエネルギーも分割を始める。一端停止したようになった生命エネルギーが、細胞の分裂ともに、少しづつ、速度を持ち始める。しかし、単純に速度をあげると、生命の時間が、どんどん短くなってしまうので、そのエネルギーの速度を細胞が増える数に分割していく。
人間の場合、細胞の数は、60兆個あると言われている。超光速生命エネルギーの速度も、60兆個に分割されて、ようよう、この地上生きる速度して、安定することができる。
光速を下限する世界の上限は、どのくらいだろうか?
光速を下限とすること自体説明できないのに、その上限を考えることは難しい。しかし、神、神。。 という概念が、登場しているところをみると、大宇宙を一瞬に把握する速度が存在しているようだ。
そんな速度が存在する訳がないという意見も聞こえてきそうだが、カマキリのお父さんの力強い、声が聞こえた。
「仏教には、無限の大きさ、無限の速度を表現する言葉がたくさんあるよ。超光速を表す言葉には、一念三千というものがあるよ。」
仏教が表現する、「この世」と「あの世」
それは、光速を上限とする「この世」と光速を下限とする「あの世」だったのだ。
仏教は、超超物理で、宇宙の実相を表現した世界であったのだ。そして、超超心理学でもあったのだ。
それを、人類が、継続して解明し続けたら、世界はどんなに変わったことだろう。
しかし、さすがに、仏教は難しかった。実態を把握できる人間の登場は、この数千年に一人登場するするのが精一杯なのだ。
「この世」と「あの世」の分離が明白で、生命現象が、唯一、それを繋ぐ道だが、その生命現象も、超超低速という方法で、ようよう実現しているのだ。