魂の記憶
温かな日差しを浴びて、僕は目覚めた。
新しい旅立ちの日が来たことを知った。
僕は、卵の殻を破って、外に出た日の出来事だ.
僕には、魂の記憶がある。
それは、お父さんカマキリとおかあさんカマキリが出会った瞬間からの記憶だ。
春から暑い夏を通り抜け、背中の羽根も十分伸びで、立派なカマキリになった
お父さんとお母さんの出会いだった。
お母さんの三角の顔が、こちらをみたとき、お父さんカマキリの体には、不思議な電流が流れて、その恋は始まり、そして、お父さんの精子とお母さんの卵が合体して、僕の最初が生まれた。
僕は、まだ、たった一つの細胞になったばかり。
何も、わからない状態だったけど、ぽつんとした、カマキリの意思があった。
命が、この地上に生きながらえるためには、命のエネルギーが必要なのだ。
傲慢さの匂いが漂う人間にすら、まだ、解明されていない生命のエネルギーの秘密を、僕は知っている。いや、知っているのはない、感じている。
それは、ものすごい強烈なエネルギーなのだ。あまりにも、強烈で、強力なのだが、生き始めてしまうと、それが、当たり前になってしまうので、特に意識できなくなってしまうだけだ。その強烈なエネルギーの存在を改めて知るのは、死んでいくときだけだ。
この物理宇宙の中で、もっとも強力な力は、原子核を縛り付けている力だと言う。原子核は、陽子という電気を帯びているので、陽子同士は、反発しあう。ちょうど、強力な磁石のN極とN極を押し付けようとすると、絶対にくっ付かない。どんなに押し付けても、反発する力が働くから、結合する訳がない。それを、ガムテープでグルグル撒きにして、密着させようとしても、隙間を作ろうとする。反対に、N極とs極だったら、密着して離れようとしない。だから、原子核は、本来存在し得ないはずだ。しかし、物質の基本形の原子核は、なんならの強烈なエネルギーによって、縛り上げられて、構成している。物理学では、まだ、解明されていないので、「強い力」という仮の名前がついている。
生命のエネルギーは、この原子核を縛り上げているもっとも「強い力」の何万倍もつよい力で、生命を縛り上げている。縛り上げているという表現は、ちょっと、似合わないかもしれないが、縛り上げている、束ねている、統治している、管理している といった感じだろうか。
原子核を縛り上げている「強い力」は、単純にギュウギュウと、原子核を縛り上げ、何億年も、何十億年も、何百億年も変わることが無いように、がっちりと縛りあげている。
しかし、生命の「強い力」は、単純に強いだけではない。なんと、生命自体を結合、廃棄、成長、繁殖をするものすごいエネルギーなのだ。なんという表現が可能なのだろうか。意思をもつエネルギー。生存するためのエネルギー。いや、そんな単純な表現では、無いはずだ。
神?? 神?? のエネルギー???
まだ、誰にもうまく表現できない。なぜなら、その言葉を表現する言葉がない。
言葉が、なにか、実態を括りだれるようになって、はじめて立ち現れる。
混沌の海には、たくさんの物があるが、そこからつかみ出されたものにようやく名前、言葉がつくのだ。
海には、魚や貝などたくさんの生き物がいるが、その一匹をつかみ出す時、名前や言葉が必要になるのだ。
ミケランジェロの前には、大きな大理石の固まりや何も描かれていない白い壁や天井があるが、それに意味を持たせるには、強烈な意思と努力が必要だ.
まだ、生命のエネルギーを抉り出すことに、掴みとることができないのだ。
宇宙には、光速を上限とする世界と光速を下限とする世界が存在する。その割合は、1対10か、1対20で、光速を上限とするニュートン力学、アィンシュタインの相対性理論が、構成する世界が、圧倒的に小さい。しかも、光速の上限する世界と光速の下限する世界では、世界は分離されて、混じり合うことができない。完全に区別される世界だ。
光速を上限とする世界を、どこまで追求しても、光速を下限とする世界には、到達することはできない。逆に、光速を下限する世界から、光速を上限とする世界に、侵入することはできない。
生命という例外を除いて。
物質を生命たらしめている生命エネルギーは、光速を下限とするエネルギーが、唯一、光速を上限の世界のエネルギーが、存在しうる例外的な場所である。
そのエネルギーは、多様な側面をもっている。
生命を維持するために、物質を制御する力。命をとどめるために、物質を縛り上げ、制御する力だ。
物質を成長させる力。
意思の力
他者や周りを理解する力
時間を知る力
記憶や未来を予測する力
などなど、生命に関するありとあらゆる力だ。
簡単に、神の力だといって、片付けてしまう方法もある。
しかし、哲学者 カマキリの名をタイトルする 僕は、そこを、解明するしかない。
サイクロトロンもMRI も、持たない、1匹のカマキリが、ただ一つ、魂の記憶を手がかりにその、難問に挑むのだ。