四季のない熱帯で、生き残る方法(擬態の理由)
四季のない熱帯では、赤ちゃんだらけの世界に生きる方法では生きて行くことはできない。
四季がないので、赤ちゃんと強敵な昆虫や鳥などもいる。
そんな世界では、赤ちゃん、子供、親が、順番にやってくる世界のルールが通用しない。
なぜなら、カマキリの赤ちゃんは、狼の世界に囲まれた羊のように、食べられ放題になってしまう。
そこで、カマキリたちは、考えに考えた。
擬態。
擬態には、2つの意味がある。
自分が食べられないこと。
そして、自分が食べる餌を得るのに、最適であること。
この2つの要素が同時に組み合わさっていることが重要だ。
さて、この2つの要素を、擬態が兼ね備え、なお、自分の体を変化させるのは、
どのようにして可能にするのか。
人間が高等生物だからといって、自分の体を変化させることはできない。
しかし、カマキリは、花カマキリをはじめ、実に多彩な擬態を行う。
花カマキリは、赤ちゃん時代、子供時代、親時代とは、それぞれ、異なる擬態をする。
あまりにも変化に、遺伝子がどのようになっているのか、まったく、考えつかない。
その擬態ぶりを、並べてみると、同一生物であると思えないだろう。
その詳細は、昆虫図鑑、昆虫百科辞典にゆずるとして、ここでは、なぜ、そのようなことが起こりうるのかを考えなければならない。
擬態とは、自分と世界の関わりの中で、他の昆虫や鳥などを騙すことなので、その世界を把握しなければならない。
自分が、どのように見えているのかを、自分でみることはできないので、自分の実態を知る客観的視点が必要だが、この3次元世界にその視点は存在しない。
ここで、登場すべきなのは、カマキリの神様の存在だ。
全てを見通す万能の神様こそ、カマキリにとって、必要なのだ。
そして、このカマキリの万能の神様こそが、カマキリの擬態を設計し、擬態を生み出すのだ。
それ以外に考えようがない。
それは、光速を上限とする世界と光速を下限とする世界のコラボによるのだ。