生命の源、思考の源 超光速エネルギー体
地上に生きる生命は、強烈なエネルギーを必要として生きている。
そのエネルギーは、細胞を分裂させ、体を作りだす。
死が、訪れると、そのエネルギーは失われて、体は、朽ち果てていく。
だから、「生きる」ということは、強大なエネルギーが必要だ。
自動車や飛行機を、生み出すためには、鉄鉱石から、鉄を取り出し、鉄板を作り、部品を作り、組み立てるという、莫大なエネルギーを必要とする。
なのに、生命は、それをいとも簡単におこなう。そのエネルギーは、食べ物にあると考えられいるが、単なる物質のエネルギーだけで、生命を維持し、成長するエネルギーを確保できないはずだ。
その議論は、まるで、「太陽が、熱や光を発してるのは、石油や石炭が、燃えるのと同じ化学反応である。」と、言っているようなものだ。現在は、原子物理学が発展したので、太陽エネルギーは、化学反応ではなく、核融合エネルギーだということが、わかっている。
どうように、現在の生命エネルギーの説明を「ニュートン力学や相対性理論」の世界の中で、論じるのは、難しい。「光速を下限とする世界」の理論が、導入されない限り、解明できないのだ。
「光速を下限とする世界」は、この現実世界に存在しないように思うだろう。
かつて、ソ連は、宇宙のロケットをあげたり、宇宙を観測したが、神は、どこにもいないと、いう表現をしたことがあったが、実は、探していないところがあったことに、気がついていない。
「人間の心、意識の中」は、「光速を下限とする世界」ではないだろうか。思考の速さを測る方法はないのだが、その速さは測りしれない。
でも、ここで、再度、言わなければならないが、「光速を下限とする世界」では、速度、時間、距離という概念が存在しない。なぜなら、何かを思うこと、意識することが、行為そのままなので、全ては、一瞬、一瞬なのだ。
しかし、この世界は、超低速世界なので、速度、時間、距離という概念が生まれだす。しかし、人間の心、意識の中では、非常に、奇妙なことが起きる。この超低速世界のこちらの世界から、「人間の心、意識」の世界を認識するのは、どうしても、時間、空間、距離、速度という概念の影響を受けながら、認識していく以外方法はないので、非常に、不十分にしか、認識、観測できない。
それは、ジェット戦闘機の速度や移動距離を、1mの物差しや30mの巻き尺で、計ろうとするにも似ていて、人間の心、意識を、捕まえる手段をもっていない。
おそらく、それを把握するのは。3時限的計測機器ではなく、人間自体が、人間の心、精神を駆使して、捕まえる以外、当面、方法はないだろう。
その挑戦をしているのは、ヨガや禅といったものだ。意識を鎮めていくと、本来の「人間の心、意識」にたどり着くという考え方である。
そして、お釈迦様が悟ったような3次元宇宙ではない、大宇宙への一体化感覚への到達である。
それは、「生命エネルギーの原点」というべき、「超光速の世界」「光速を下限とする世界」への突入である。
すべての生命、いや、地球全体や宇宙全体が、「光速を下限とする世界」「超光速エネルギー体」「人間の心、意識の世界」に包まれているので、生きているすべてのものは、その世界に繋がってはいるのだ。
しかし、「光速を上限とする世界」と「光速を下限とする」世界は、厳然と分けられており、分離している。「この世」と「あの世」である。
そして、心や意識の速度は、仏教の言葉でいえば、「一念三千」という超高速で、動いている世界である。
超高速エネルギー体の正体が解明される時はくるのだろうか?
人間のこころ、意識の世界、あの世、光速を下限とする世界、神の世界を、解明される時がくるのだろうか?