始まりの時
僕は、卵の殻を破って、赤ちゃんカマキリとして、一歩を歩み出した。
僕の超光速生命エネルギー体は、どうなったのだろうか。
卵に合体するとき、ジェット戦闘機が、空母に着艦するのに似ていると表現してみたが、不時着や墜落に近いのかもしれない。
ともかく、急減速して、エンジン停止状態になってしまうのだ。
その残された、強烈なエンジンによって、卵は、分化して、赤ちゃんに変化する。その時の細胞数は、億、兆といった数に分化していく。
億、兆といった数の細胞に分化していくと、一つだった超光速エネルギー体も、細胞の数だけ、速度を分化して、カマキリの赤ちゃんに一体化する。
すると、超光速エネルギー体は、光速を下限とする世界の感覚が、どんどん失われていき、地上の細胞のリズムにのまれていく。半分、酔っぱらったような感覚になってしまう。
この地上(光速を上限とする世界)のノロマなリズムとノロマな時間に、適合していく。すると、超光速エネルギー体の本来のカマキリの意識は、見えなくなり、地上に生きるカマキリの意識になっていく。
ノロマな速度、ノロマな時間
時々、僕は夢をみる。
孫悟空のように、空を飛び、宇宙空間をあっという間に駆け抜けていく。
孫悟空には、やはり、速度と時間が存在するが、僕の夢は、速度と時間を超越している。
でも、その世界では、すべてのものが、そうなので、僕だけが、すごいわけではない。
その超越度も、いろいろと段階があるようだ。
宇宙を速度や時間を越えて、一瞬に把握することも可能になる世界もある。
シャカ、シャカ、シャカ と、カマキリお父さんが言い出す声が聞こえる。
カマキリお父さんは、昨年の秋に、お母さんカマキリが卵を産むときに死んでしまったので、この声のお父さんは、おそらく、超光速エネルギー体のお父さんが、僕の心を通して語っているのだ。。
「ズーッと昔、インドに生まれたお釈迦様は、お悟りになって、大宇宙とお釈迦様が、一体になる体験をされたと伝説は伝えている。きっと、この地上から、超光速エネルギー体の世界へ、突き抜ける体験をしたんでしょうね。だから、仏教には、「この世」と「あの世」という概念がしっかり伝わったのだと思う。光速を上限とする世界と光速を下限とする世界は、決して交わらない。」
すべてを一瞬で体験してしまう世界は、それはそれで、すごいのかもしれないけど、1年をかけて、カマキリの卵から、カマキリの親になるまで、ノロノロと時間の中を生きてみる体験は、絶対、光速を下限とする世界では起こらない。刺激の少ない安定した日常にくらべれば、非常に刺激的で、神のような全能感覚に似ているし、なによりも、時間と自由意志を手に入れる、本当に少ない、少ない機会なのだ。1000人の子供たちが、1台のゲーム機の順番を待っているような、感覚なのだ。
しかも、超高速の世界は、エネルギー世界なので、全てが関連し、エネルギーの乱れは、すぐわかってしまうので、迷いも、試行錯誤のなく、善悪、優劣、最善策も、一瞬にわかってしまう。しかし、エネルギーの段階(超高速の速度の段階)が存在しているので、自分が安定している世界では、非常に安定しているのだが、違う世界を見たり、体験することができない。エネルギー体が異なると、反発して、相容れないのだ。しかし、この低速世界では、この小さな世界(地球)に善悪、不合理、生と死、迷い、失敗、成功、未熟さなどが、混在し、なにが、正しいのか正しくないのかも、全てが、ごちゃ混ぜである。
すると、自分と異なるエネルギー体との出会いがあることは、とんでもなく、魅力的である。この世界では、もしかすると、メシアや仏陀にさえ、出会えることが可能なのだ。超光速世界では、絶対あり得ないことが、この世界(地球)では、あるかも知れないとんでもない世界でもある。
しかも、この世界では、生き延びれるかどうかは、100分の1、いや、1000分の1 そんな確率で生きるなんて、とても、ワクワク。
そうしている間にも、僕の兄弟の赤ちゃんカマキリは、どんどん死んでいく。
僕は、目の前を動く、何かを見つけて、小さな鎌で挟んで、口に入れた。
不思議な味がした。
なにか、とても、不思議な味がした。
僕の最初の一日の始まり。
まるで、火星に到達した探査車 オポチニティーの1日にも似ているような、僕の1日の始まり。
なにも、わからないけど、とにかく、始まった。
でも、僕は、超光速エネルギー体とは、繋がっているのだ。
ほとんど、実態は、わからなくなってしまったまま。僕の超光速エネルギー体は、飛び回っていた過去の記憶を、まったく失ったまま、カマキリそのままになった。
鎌の使い方も、上手になった。