かまきりの目と鎌の秘密
カマキリが生きるために、必要な目や鎌は、どのように進化したのか。
本当は、進化という言葉が間違っているのかもしれない。
進化とは、「生物が、周囲の条件やそれ自身の内部の発達によって、長い間にしだいに変化し、種や属の段階を超えて新しい生物を生じるなどすること。一般に体制は複雑化し機能は分化していく」ということだ。
カマキリの目は、どのように、何世代もかけて、進化したのだろうか?完成しない目はいったい、どんな目だったのだろうか。半分、すべてのカマキリが、半分メクラの状態だったら、一世代として生き抜くことは
できないだろう。今だって、親になれるには、100分の1の確率なのだから、それより、ひどい結果になって死に絶えてしまうに違いない。
すると、カマキリの登場共に、カマキリの目は完成していなければ、ならない。
では、カマキリの目はいつ完成したのか。
超光速エネルギー体は、生命を司るエネルギーだ。
細胞を1つから、2つへ、4つへ、8つへ、10万個、100万個、1億個へと
分裂をさせていく力である。
その方向を司る。超光速エネルギー体には、カマキリのイメージが存在し、そのイメージは、
超光速エネルギー体の世界で、既に完成している。思うことが全てであるその世界においてにカマキリの目は、イメージされ、最適化され、それが、カマキリの遺伝子の分化とともに、カマキリを形造っていく。遺伝子だけでは、生命は生み出せないのだ。この超光速エネルギー体のエネルギーを吸収し、その意志によって、生命は形造られていくのだ。超光速エネルギー体は、カマキリの完成図を持ち、折り紙を折るかのように、生命の形を作り上げていくのだ。
鎌もそうなのだ。既に、超光速エネルギー体の世界で、完成図はできており、超光速エネルギー体が進化を望めば、明らかな意思をもって、進化するのだ。
擬態も、実は、超光速エネルギー体の世界で生まれる。なければ、鏡を持たない、カマキリが、花に擬態することはできないだろう。鏡があっても、それは不可能なのに。
これほど、生命が意志的に形成されているのに、人間は、一切無視してしまうのも、すごいことだ。
全ては、意志の上に成り立っている。
地球と太陽の位置、地球の傾き、大気の構成、365日それらは、偶然の産物ではなく、明らかな意思のもとに構成され、明らかな意志の方向に生きている。
そうでなければ、生命エネルギーの説明ができないはずだ。
人間が思考し、生きること、カマキリは、カマキリとしていきることの説明ができないはずだ。
しかし、あまりにも、あまりにも単純に生命エネルギーとはなんなのかを説明しない。
あんなコンピュータでさえ、なにかするのに大量のエネルギーを必要としているのに、どうして、生命がエネルギーを必要としないと、思っているのはなぜだろう。
それは、探すところを間違えているからにすぎない。